オドゥヴァル

手嶋淳

小説

11,394文字

ぼくは、結局、掃除するしかないと思ってる。自分が自分であることが辛い夜なんかは。

 

にゅーちゃんは印度哲学科で空観の研究をしていた。研究者になること以外は全く考えていないと明言していた。上野の彼の一軒家は小さなナーランダ。天井まできれいに並べられた蔵書の重みで棚はたわみ床までへこんでいて、「にしてもこんなに自前で揃えておく必要はあるのか」と思いながら初めて部屋にあがったとき見渡したのだが、にゅーちゃんはそれら一切経を背に負い、傲然と、族長みたいに膝を立ててたばこを吸っていた。「まあ、座れよ」と、ぼくのほうを見ずに座布団へ促す。釈論に埋もれて、すぐさまぼくたちは話を始めた。友人のなかには気持ち悪がる人がいてそのたびにへこみ、ぼくはひっそり隠れて大乗の勉強をしていたのだが、その晩は、大乗非仏説について思う存分話をした。毎晩同じようなことを繰り返した。適当に銭湯に行って、帰ってきてまた続きの話をする。食事もろくに食べない。にゅーちゃんは喋るときはいつも箸でドンタコスを食いながら眉間にしわを寄せていた。ビデオに録った『007』を倍速で鑑賞していたときも、「これで俺は十分分かるんだよ」と眉間にしわを寄せてぼくに言った。

やがて、込み入った話をするようにもなる。にゅーちゃんは、あるとき、ぼくのことを透明人間のようだと言った。道行くオリーブ少女っぽいやつに対して、その顔面に浮き出る我の強さを見出し「けっ」と毒を吐くぼくを指して、「責任感がない・忍耐力がない・努力がない・社会参加を望まない・友人関係が安易・現実に触れないことで非現実的なイメージを担保している・実に我の強い」下品下生なやつだと言った。そして「どこにも核がない透明人間」のようだ、と。その手厳しい格付けによると、ぼくは「懈怠界」の住人ということらしい。懈怠に安穏と居座り、他の境涯の住人を見下してばかりだということだ。そして、見下すという点こそ、懈怠界の住人の一番の特徴のようだ。

「人生は業の品評会じゃないぜ。おまえの好きな小説だってそうだろ。品評会じゃないんだぜ」

ぼくは内心へこみうなだれた。ずっと品評ばっかりしてきたかもな。品評に一人で腐心しているのは誰に言われなくても自分で薄々ながら知っていたから、腹を立てても埒は明かないと思いつつ聞いていたら、図に乗ってさらにたたみかけてきた。

「おまえは『浦島太郎』を読んでもらったことがあるだろう。カメに乗った一人の釣り人の人生。玉手箱を開いたら白髪のじいさんになっちゃって、絶望しましたとさ。って。あれさ、夢のように時間が過ぎたのは、竜宮城のせいじゃない。諸行無常のせいでもない。ましてや亀のせいじゃないよ。罪悪だ。懈怠だ。懈怠という罪悪深重。現実を生きないという選択を採り続けてきたなら、現実感を失うのは当たり前だよ。白髪のみじめな老人になる前から、もともと現実を生きていない透明人間だったのさ。一人ぼっちで透明人間の生き様を引き受けていく境涯が、誰も顔見知りのいないその後の浜辺の漁村だったんだよ」

透明人間も、いいものだ。その生き様を回収するだけの度胸さえあれば。

そう、いつか透明人間をやめる日が来る。大乗の祖である龍樹は、まだ若い頃に、神術を極めて透明人間になる技を修得する。そうしてやることと言えば、友を誘い宮廷に忍び込み、女官を襲うことだった。透明人間になるとは、遠慮なく思い通りにやりたいようにやれることであり、それでいて現実に触れないということである。いつまでも現実に触れないでいられたならよかったのかもしれないが、次から次へと身籠る女たちの姿を見て王が激昂して、種々の状況から推理しひとつ策を打つことになる。白砂を撒いて獲物を待ったのだ。透明人間であることをいいことにその夜もまた楽勝の足取りで誰もが寝静まったかに見えた宮廷に龍樹たちは現れるのだが、ぽつり、またぽつりと、足跡が残ってしまう。余裕をかまして今宵の獲物を品定めする二人は、柱の陰に伏せた兵の息遣いにも全然気がつかない。龍樹は何の前触れもなく、目の当たりにすることになった。血を吹きつつ神術が解けていく、それはウェルズのインヴィジブルマン・フィリップと同じだ。一人の若くして息絶えつつある半死体の姿が半透明に、じわりまたじわりと形を現していく。死ぬことで初めて実体であったことを証明するわけだ。たまたま、殺し屋が先に斬り払った足跡の主は、友の方だった。龍樹はとっさに兵の背後をとってその足跡を踏んで攪乱しその場をしのぐ。辛くも逃げおおせるわけだが、龍樹はそれから淫蕩にふけるのをやめ、神術すら捨てることになる。

ジョークみたいな出世譚だけど、シリアス。ちょっと落ち着いてから、きっと思ったのだ。「透明人間が引き受けるのは、血を吹く結末くらいでは済まない。それ以上に注目するべき点がある。それが、懈怠の罪悪だ。つまるところ、こんなことやってる場合じゃないはずだ」と。

木曾義仲が入洛したとき、ただ一人黒谷で勉強を継続することをやめなかったのが法然だ。幼少期に目の前で父親が斬りつけられ、血を吹き息絶える姿を目の当たりにする勢至丸は、「今はまだ無理だけど、必ずや仇を」と父の肩を抱く。復讐を誓う我が子に対して、復讐ならやめとけと父は遺言し事切れる。復讐以外の、ただ漠々とした残りの人生を突き付けられるわけだ。そうやって生きた法然もまた、長いような短いような残された時間に対してまともでいたかったのだと思う。非常事態の都で、意地になって書物の山から離れないでいる法然の姿をぼくは想像する。

やがて、にゅーちゃんとの付き合いは遠のいた。どこかに誇示的なものが感じられる。苦痛を忍んで壮語している――ぼくはそんなふうに、一人のホモを品評し心の内で見放した。

二十三歳にしてやっと、見下してばかりの自分はひとりぼっちだということが分かってきていた。いろんな人がいるという事実から目を伏せていた。いろんな人がいる、と、ただそれだけを見渡すことができないほどに、余裕がない人生だったんだなあ。

忘年会の三次会、ぼくは『ひげ抜き地蔵』でソファに座ってカラオケの順番を待っていた。喧噪のなか、クスリやんない、としなだれてくる女を見て、「ああ、辛いなあ」とぼんやり思った。こすれ傷だらけのビー玉みたいな目をしてる。ぼくとて酔っ払っている。ステージのうえでは二人のビッグショーが始まっていた。ああやって楽しそうでうらやましい。オカマはいったいどんな人種なんだろう。「なぜ」を考えぬのがこの世の生きもののおきて――と言わんばかりの堂々たるから騒ぎである。一つ言えるのは、覗き込むことが自分にはできないということ。傷だらけのビー玉もまた、覗き込んでも覗き込んでも、平板な半球面のその奥に辿り着くことはできない。しっかりしろよと投げかけてみても返事はない。女の太ももを払いのけて、ぼくは外に出た。夜風に当たりたくなった。扉を閉じるとふわっと店内の喧噪が遠のいて、期待した通りの夜気が渦を巻く。

年末だというのに、外気はひんやりする程度で全然寒くなかった。ビルの陰に隠れているのかもしれなかったが、探した限り月を見つけることはできない。月光はさやさやと、優しい光で人の心を支えようとする薬。しかしそもそも朔望を観ずる視力がぼくにはない。朝日が昇れば、太陽が強烈な光で照らしてくれるだろうけれど、目と頭が痛いだけだ。日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の脇侍なのである。ぼくはどこどこまでもぼんやりとしていて、ひとりぼっちで、そして差し出される薬に類するものは大抵受け付けなかった。酔っ払ったホストも電信柱にもたれて何物も浮かんでいない夜空を仰いでいる。どこかの店から歓声がどっと沸く。ぼくは再び重い防音扉を開けた。

翌日の夜、『ひげ抜き地蔵』で一緒に騒いだ先輩の銀色のクーペに便乗して、ぼくは旅行に出かけた。めちゃくちゃ寒い鳥取砂丘を歩いた。風がとにかく冷たく、ただ過酷なだけの砂漠だった。友人が合流して翌朝、境港市の小学校で遊んで朝市が開くのを待っていると、メールが届いた。

「ジュン、はつもうでいこうよ」

あ、あの人か。アドレスには名無しで登録しているし素性は分からない。がんばらない限り思い出すこともできないぐじゃぐじゃの喧噪のタイムラインを整理した。朝方に『ひげ抜き地蔵』に入ってきたモンゴル人だ。二人連れで入ってきて何やら踊っていた。そうだ、一緒に踊った縁だよ。

「オッケー」

顔をなるべくしっかり思い出してから、ぼくは鉄棒にもたれて朝日の校庭を見渡した。棕櫚の影が長く曳いた運動場。それが、ひつじ年の始まりだった。

 

オドゥヴァルという女の子は、いつも空の下で生活している躍動感があった。起きるときも、寝るときも騒々しかった。バサッと大きな音がしたかと思うと、オドゥヴァルが起き上がっていて、カーテンから差し込む太陽の光でジーンズを見つけて尻にねじ込む。そして、クリームパンを食料庫から出して机のうえにぽんと置いて、学校へ出かける。ぼくは鍵をかけて一足遅く傘を開く。初詣に出かけてからそのままぼくたちは、一緒に住み始めていた。

夕飯時はテレビも点けずちゃぶ台で話をする。

モンゴルの首都ウランバートルは人口流入が凄まじく、工業化が進んでいる。「空がかすんでるよ」大気汚染も激しいらしいウランバートルがオドゥヴァルの第二の故郷だ。どちらかというとロシアに近いダルハンの生まれ。オドゥヴァルは中国とモンゴルの関係についても思うところを喋ってくれた。今、中国は? ――bad. 十年後は? ――worse. 十五年後は? ――worst. 二十年後は? ――good. 共産党政権がつぶれるからと語る。中華思想をその命として吹き込まれたゴーレムは何度も復活するのではないだろうか? なんだか馬鹿らしくはないだろうか? 「その後は?」「分からない」オドゥヴァルはそんなふうに真剣に呟いた。内モンゴル自治区の炭鉱開発を共産党が進めており、それに抗議していた遊牧民がトラックにはねられて死んだという。共産党の仕業だと訴える人々によって、原因追究を嘆願するデモが行われたのだが、封殺されている。このことを語るとき、オドゥヴァルは、めらめらとした闘志を目の中に湛えた。ささやかでモノトーンなまなざしだった。

オドゥヴァルの誕生日で行って以来、何度も巣鴨の『シリンゴル』へ行った。モンゴル料理店だ。毎回、山手線に乗って出かけていて、その道のりはおなじみの道となっていく。道々、喋りながらぼくはオドゥヴァルとは育ちが違った自分の姿を見つける。ぼくは自分が抱えるもやもややイライラが、仕事の問題ではなく自分のごくごく個人的な問題だと分かっていた。仕事を変えるとか、政治がどうこうとか、そういう問題じゃない。そうこう考えていると、そんなこととは関係なく、湯気を立ち上らせながら皿が運ばれてくる。目の前では彼女が肉をかじりはじめる。二十センチはあるナイフのような骨をきれいに舐めとるライオン然とした食いっぷりを見て、ぼくは再びいろんなことがどうでもよくなる。ほくほくしていて香り高い魔法の肉塊にぼくもかじりつく。

「ものに独存性はない。それが釈迦の獅子吼だ」と言ったのが、龍樹菩薩だ。釈迦はライオンのように吼えた。その咆哮が響き渡っているのは、小乗ではなく大乗だ。大乗のなかに、人と人がまっすぐに向き合う姿が広がりをもって描かれている。大乗とは拡声器のようなものだ。あまりに静かで淡々としていたライオンの叫び声は、後世の菩薩たちを揺さぶり、動かしてきた。ぼくもまた、ライオンの堂々たる姿に心揺さぶられている。ライオンとはそういう種類の動物だ。ときにオドゥヴァルとは、死ぬまでただ生きることを泰然と受け止めた何かの動物に見えた。

『シリンゴル』から少し歩けばお隣は文教地区である。そこには、つい最近までぼくが籍を置いた学校がある。学生さんたちが教授を囲んで至って和やかに談笑している席が目に入ると、懐かしくもある。どんな流れで食事会がセッティングされたのだろうか。言語文化学科とか、国際社会学とかだろうか。フィールドワークの仲間だろうか。早々におひらきになって、わいわい騒いだままに、「次回はまたお花見で」と店の戸を後ろ手で閉めて去っていった。学生たちはそれぞれの家に帰っていったのだ。帰ってガールフレンドと過ごすのか。男友だちとぼそぼそ人生について喋るのか。夜景にカメラを向けて映画でも作るのか。それとも、フライパンで夜食のソーセージでも炒めるのか――ぼくは過去を素通りする。

オドゥヴァルの歌は特別上手なわけではないけど、どっしりとした声だった。ぼくはディズニーランドのチョコレートの缶をひっくり返して手で叩いて一緒に演奏した。そして時計を見る。「おなかすいた」と言う。豚肉を炒め、ちゃぶ台についてひと段落ついたら皿を片付ける。夜も深まった時間になると、ぼくはただ黒くて長いつやつやした髪の毛と一緒に寝たくなった。しかし、そんな時間になると、日本に出張しているオドゥヴァルの兄から電話がかかってきて、えらい剣幕で何やら会話を始める。喧嘩ごしでしゃべっているその内容に、ぼくは興味が持てなかった。電話を切ったあとで、ぼくたちは何もなかったかのように布団に潜りこむ。

オドゥヴァルが寝息を立てる頃、今度はぼくのほうに電話がかかってくるわけじゃないけども、でも、声が聞こえる。「こんなの長続きするわけないよね。だって、そもそも、長続きさせるつもりもないでしょう?」

少しずつ分かったのは、オドゥヴァルは父親の看護のために戻れと言われているということだった。兄の家族はウランバートルの火力発電所の近くのマンションに住んでいる。JICAの日本スタッフと仕事をしている。そういう姿を見て、オドゥヴァルとしては日本語を学びたいという気持ちを抱いたのは当然だったのかもしれない。しかし、オドゥヴァルに望まれているのは、家族の看護。今のぼくからすれば、そんなシナリオは彼女にとっての大きな挫折と思える。当時はどっちでもいいじゃんくらいにしか感じなかった。だから黙って聞いていた。

「ジュンの家族はどう?」

オドゥヴァルに聞かれて、ぼくはオドゥヴァルのイメージするのとは異なる日本の話、そこで生活する一家族の話を話そうと考えた。きっとオドゥヴァルの頭のなかにあるのは、高度成長期のような、あるいはその延長にある円熟した経済大国。多額の経済援助と技術援助を惜しまない、笑顔の日本。しかし、ぼくの頭にあるのは希望が薄れゆく日本だ。ばりばりのサラリーマンである父親の姿を息苦しく見ていた自分。人生の大半を託すような仕事を、ぼくには見つけることができない。ぼくの目に映る世界はいつも立ちはだかる壁だった。しょうもない。なんでぼくはそんなふうに世界を見ているのだろう、という疑問が頭をよぎってしまって、今考えたことを話すのをやめにした。急に、そういう話が無意味に思えたからだ。

「俺はいっつも夜が怖かったよ」

代わりにふっと浮かんだごくごく小さなエピソードを話しようと考えつついると、オドゥヴァルは「かわいい」と笑って立ち上がった。

「夜になると、まっくら。こわいよね」

オドゥヴァルは電気を消した。

「おばけ」

オドゥヴァルは不思議な角度で両手を挙げた。それは見たこともないポーズだった。少なくともおばけじゃない。うっすらとした青い夜のなかでオドゥヴァルの目だけが光をつややかに放っていた。ぼくは美しいものを見ているなと感服し、引き続きしゃべろうと思っていた家族の話を俄然やめにした。風が急に吹き付けて、窓ガラスがわずかながらかたかたと震えた。ぼくは眉をひそめ布団をかぶった。「助けて!」そのように、おばけもどきに怖がる子ども役を引き受けた。あとでぼくは改めて説明を求められた。

「なんだろうね。今でもよくわからない。暗闇に吸い込まれそうになるんだ。考えることを止めないと、もっともっと怖くなる。坂道みたいな感じだよ。どんどん怖くなる。お母さんに声かけられても、まったく慰めにならない。もう、方法はひとつしかなかった。忘れること」

オドゥヴァルは聞いたこともない話を聞く顔をしていたが、少しして尋ねた。

「今でもそう?」

「今でもそうだよ」

「今は怖い?」

「今は楽しいよ」

「今は忘れられてるんだね」

「ははは、そういうことかな」

あの頃の恐怖心は自然となくなってきたような気もするが忘れているだけのような気もして、自分でもよく分からなかった。

神社が好きなオドゥヴァルと初めて出かけたのが鶴岡八幡宮ならば、最後に遠出をしたのは日光東照宮だった。修学旅行のように、中禅寺湖や華厳の滝を回って、野生の猿と出会っては足を止める。駐車場から歩いて東照宮に向かう途中、雨が少しずつ降り始めた。本降りになりそうだったので、オドゥヴァルを土産屋に残して、ぼくは傘を取りに駐車場まで戻った。タオルで身体中を拭いてバサッと傘を開くと、水を弾く音が頭上にばたばたと聞こえる。傘を取りに来てよかった。オドゥヴァルは「傘取りに行くのはめんどうだよ」とか、「濡れても大丈夫だよ」と言ったけども、天気を気にしつつうろうろするのは嫌だったので、ぼくはほとんど自分のために傘を取りに来たのだった。「いいからここでちょっと待ってて」と言った土産屋は神橋の脇である。緑が雨に濡れそぼり、上流の小さな町は一気に冷気に包まれていて、その土産屋もまた雨の景色のなかに霞んで見える。鬼怒川沿いの一車線の道路は、傘を持たない家族連れやなんやらが小走りで右往左往して交通がごみごみしている。そんな鄙びた観光地の光景は、なんとなくうんざりするものがあった。ばたばたと走っているなかに、オドゥヴァルの姿があった。あれ? なんで土産屋にいないの? と最初に思ったが、雨に濡れながらこちらに向かってきている様子だ。ぼくはもたもた観察するのをやめて、濡れたタオルを後部座席に放置して、オドゥヴァルの傘を持って走った。

「どうしたの?」

びしょ濡れのオドゥヴァルは「待つのやだ」と笑った。ぼくはずぶ濡れのオドゥヴァルを見て腹を抱えて笑った。何だか分からず笑い続けてそのまままた車に戻って、オドゥヴァルをタオルで拭いて少し落ち着いてから、ぼくたちは傘をさして悠然と東照宮に向かった。見ざる・言わざる・聞かざるの三猿を見てはしゃいだ。「すごいちっちゃいねー」などと言いながら。「ふーん、もっと大きいかと思ってたね」

ぼくは、見ざるをばっちり決め込んだ。ずぶ濡れの一人の人間の姿が頭に焼き付いて離れない。そこで直視することを意識的に避けた。「待つのやだ」という言葉が確かに耳から離れない。だからこそ、頑なに聞かざるを決め込む。なるべく遠く遠くの空に放り投げられた願い。ほんとかうそか、何ものなのか。確認したくない、オドゥヴァルの思い。放物線を描いていくそのオドゥヴァルのまっすぐ伸びていく願いのようなものを見出しそうになったから、こちらに差し向けられた気がしたから、ぼくは頑として目を背けた。その願いはただ地面にころりと落ちただけだったのだろうか、どっちにせよぼくのあずかり知るところではあるまい、とはしゃいだ。

帰りの車で、ぼくは運転しながらいろいろと思い出していた。オドゥヴァルが寝ているので、気楽だった。思い出していたのは、家族のことだ。川沿いにキャンプに行った日、ぼくは帰りの車の中で一人で泣き続けた。空しさに襲われていたのだ。そんなにキャンプが楽しかったのかというと、そういうわけではなかった。願いが儚い、それが辛いのかもしれなかった。いつも感じていることが溢れ出したに過ぎなかった。素晴らしい願いもくだらない願いも、平等に挫かれていく。素晴らしい願いくらいは報われてもいいじゃないか。なんで平等に挫かれちまう世の中なのか。ぼくはもう生きるのも辛いくらいに思って泣けてきたのだった。母親は「そんなに泣くことないじゃない」と言った。父親は黙々と運転を続けるだけだった。その頃のくよくよしている自分は、まだ自分のなかにいる。自分は何か苦々しいものを味わい続けている。それは完膚なきまでの敗北の味ではなかろうか。目を背けることでしか自分の心を保つことができない、重々しい敗北感。

夜の国道は静かだった。ただ車のエンジン音と乾いた音楽の音だけが聞こえて、ぼくたちは東京に運ばれていた。心が穏やかだった。ぼくはオドゥヴァルの思いが一体どんなものなのかを覗き見るのが怖いただの臆病な子どもなんだな。

依然、心は穏やかだった。

 

「君はやさしかったね。何も要求しなかった。わたしはいつも家族に責め立てられている毎日だ。もう本当に嫌だ」

モンゴルに帰ることが決まった日、オドゥヴァルはそのように言った。短いながら、いや、短いからこそその日まで、本当に楽しい毎日だった。オドゥヴァルの言葉に改めて満足を覚えた。と同時に、今更ながら寂しさが膨らむのをやたら自覚し始める。日本でこれ以上時間を過ごすことが許されなかったオドゥヴァル。家族から逃げるように日本に来たのだが逃げ切ることはできず挫かれた、という大方の筋書きである。その筋書きにぼくは端役として登場したに過ぎない。

「ごめんね。俺は特に何もしないということだから」

ぼくはそう言った。

「いいのよ。やさしい」

こうやって簡単にいともあっさり離れ離れになるのは、お互いが黙認している、そういう仲だ。オドゥヴァルの部屋からちょっとした自分の荷物を引き上げて、ぼくたちは握手して別れた。ものすごく息苦しかった。

本格的に寒くなり始める冬の入り口、またぼくは一人で生活を始めた。仕事の都合で横浜のとある門前町に住むこととなった。その町は参詣道の名残りとしての大きなアーケード商店街が賑わっている。店主と顔見知りになって話をしているうちに気を許して彼らは一様に寺について話す。街頭の電球ひとつ交換してくれねえくせに納付金がまた吊り上りそうだ。先代が亡くなってババアが仕切り始めてひどくなった。息子は常連なんだけどね、まあよく飲むよ。――千年前に聞いたかのような言葉だ。中世定期市から、変わりはない。土地持ちたちは文句を垂れながら地蔵の拝観にやってきた老人を相手に商売を成り立たせている。貸店舗には行商がやってくる。今治のタオル屋。沖縄物産店。燕の金物屋。季節の菜園もの。DVD。貸し土地はひっきりなしにチェーン店が入れ替わっている。餃子屋、牛丼屋、コンビニ、菓子屋、ラーメン屋、クリーニング屋。三つ隣の商店街とほとんど同じラインナップだ。花の季節になると、ぼくは遊びに来た友だちと一緒に地蔵を見に行き、川沿いの桜を眺めたり野毛をぶらついたり桜木町まで足を伸ばしたりして、また地蔵のいる町に帰ってくる。

どこまでも相手の苦境につきあい、棘が抜けるその日まで果たし遂げるのが地蔵菩薩である。ときに、相手は癇癪を起こしたり、冷徹に切り捨てたりする。都合の良いときには屈託ない笑顔で、都合の悪いときには表情を曇らせ見捨てにかかる。そんな者を相手にしていく。自負心などというものをもっていてはできない仕事である。そこで地蔵は、仏とは異なり装身具を身につけない。「わたしはハゲでございます」「わたしはチビでございます」と、相手の劣等感を刺激せず付き合い、そうすることで見捨てることをせず、添い続ける。つけ上がり、責め立て癇癪を起こし叩き潰す対象として、相手は嬉々として地蔵菩薩を離さない。利用するのである。そういうかたちで、結果的に、癇癪が果てた時になおも喜んで付き添う地蔵の心の姿を目の当たりにする。日本にもっとも多く造られた菩薩像であるお地蔵さんは、地獄の底で再会する菩薩なのだ。

強烈に慕われてきた歴史と同時に、地蔵菩薩にはその信仰の歴史と同じだけの間、暗い影が投影され続けてきた。慈善事業として幼子の面倒を見ることから「地蔵」と町中で讃えられた、その実わけのわからぬ情欲を底に湛えていた男の話を、井原西鶴は書いている。傘地蔵は、老夫婦の労をねぎらうならばなぜ誰もが寝静まる安穏の時間に不気味に押し掛けるのか。おこり地蔵は願いを果たせず地獄の釜底で焼石となって敗北の涙を流すだけなのか。

ほの暗い一面・敗壊の菩薩像を常に投影されているのが、地蔵菩薩なのである。

……やい、地蔵。

ぼくが地蔵の話に触れるとき、口に浮かべたその微笑みを前にするときに、決まって心に湧き上がる野次があった。

……必ず敗北するときが来る。それは分かってるよね? 

それは、年端いかぬ幼児に憑りついて以来、ぼくの内側にいつも響いている囁き声である。オドゥヴァルと別れるとなったときも、ぼくは案の定、この声を聞いた。

その声は、しかし続けた。

……やい、ジュン。やっぱり幕切れはやってきたさ。でもオドゥヴァルに関しては、まだマシだったよ。半端にしか向き合わなかったからこそ、大敗は免れたよ。なかなか逃げるのがうまくなったんじゃないか?

ぼくは、初めてこの囁き声について考えるようになっていた。つまり、この一連の囁き声は、徹底抗戦すべき「魔事」ではなかろうか、と考え始めた。

夜闇を怖がるぼくを見て、母親はただただ困った。よく分からない何かに怯える我が子を、なんとかあやそうとした。しかし、それはなんの慰めにもならなかったのであり、つまり無意味だった。キャンプの帰りがけにぴーぴー泣かれても、計り知れないものを相手にして悶える我が子を前にして、困るだけだった母親。母親は、ひとつの概念の前で、打ち砕かれた存在だった。時間は流れていく。いつか人は死んでいく。幕切れを目の前にしたとき、人の願いは無意味であり、打ち挫かれるだけ。その概念は神と化し、ぼくのなかに棲みついた。誰もさからうことはできないのだよ。屈するしかないんだね。神はそう囁く。そして神は、役立たずの無意味な人間として、母親を引きずりおろした。ぼくの中に住む神は肥大化し、敗北の烙印を押し続けていく。時の流れの分だけ人を引きずりおろし、ぼく自身を引きずりおろし続けてきた。全てを無価値なものとして、等位に引きずりおろしていくのだ。ぼくのあずかり知らぬところで、神はいつも確実にひょいと顔を覗かす。「こんなの長続きするわけないよね。だって、そもそも、長続きさせるつもりもないでしょう?」オドゥヴァルを品評し、無意味だ、やめちゃえ、どうでもいいでしょう、と言い放つ。その願いが切実に見えそうになった暁には遁走する。そうやって世界を無気力に見せていく。世界をウソ臭いものに創造していく。人と長く一緒に生きていけない無為・徒らな一人のヘタレを、神は創造したのだ。

ぼくはこのように、距離を持って見つめる視線、「魔事」の成長を眺める視線を、初めて持ち始めていた。そんな苦々しいひつじ年も終わりかけ、再び年の瀬だった。人生の謎がひとつ輪郭を持ち始めたとき、ぼくは二十四歳になろうとしていた。人生が半分くらい終わったような絶望感とともに、しみじみと思ったものだ。

本当に、人は、生きてきた人生をかけてそのような人間になっているものなのかもね。

 

しばらくしてから、掃除をしているときにふいに出てきたのが、ひとつのキーホルダーだ。指の間で揺らしてみる。いつ、どのようにもらったのか。思い出すことはできなかった。アクリルに閉じ込められたチンギス・ハンを見ながら、オドゥヴァルの顔を思い出した。今頃どうしているだろう。空、草原、ウランバートル、火力発電所。随分と好き勝手に一人の人を思い出す。そしてひるがえって自分は……。

ぼくはあれから、詰まるところ一つの願いしか持ちえなかった。結局は、自分の設問から逸れることはできない。――次の二回り・二十四年間をかけてでも、神を討つべし。

そんなぼくは何を考えることも放り投げて、小箱の整頓を続けるしかなかった。

2014年4月7日公開

© 2014 手嶋淳

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