「引越しの荷造り時に自分史作りの資料を発見する」

消雲堂

小説

1,312文字

引越しの荷造りをしていると2004年の手帳が出てきた。手帳へのメモ書きから当時何があったのかがわかる。これも自分史作りには重要な資料となる。

手帳には2月20日の欄に「生子、乳がん。マンモグラフィ」とだけ書いてある。この以前から、かみさんが「おっぱいが痛いから神奈川の病院に診てもらいたい」としきりに訴えるのを無視するように僕は「そんなものたいしたことない」と言い続けて相手にしなかった。

それから1ヶ月ほど経って「やっぱりおっぱいが変だから病院に診てもらう」と言ってかみさんは1人で飯田橋にある厚生年金病院に行った。

僕が当時勤めていた会社で打ち合わせを終えて席に戻ろうとすると携帯電話にかみさんから電話があって、「やっぱり乳がんだって…」と泣きながら言うので、僕は目の前が真っ暗になった。「もうかみさんは死ぬのだ」と勝手に悪い方に考えてその場にへなへなと崩れ落ちてしまったのを覚えている。大げさではないよw

かみさんが乳がんだという現実を受け止められなくなって「絶対に乳がんじゃない。違う病院に診てもらおう」なんて慌ててセカンドオピニオン先を探した。セカンドオピニオン先は乳がんでも手術数が多いという秋葉原の三井記念病院を選んだ。インターネットだか雑誌だかでその病院が目にとまったのだった…と思う。

それからはもう「かみさんは死ぬんだ」と思い込んじゃって2週間以上にわたって「苦しい」という文字が並んでいる。恥ずかしながら僕が書いたもので、その間、ずうっと泣きっぱなしだったと思う。僕は”かみさんに辛い思いをさせてきたから病気になった”と思い込んで勝手に苦しんでいたらしい。だったかなぁ?もう忘れちゃったよw

当時勤めていた会社が良い会社で、手術が終わるまでの2ヶ月にわたって「会社を休んでいい」と優しく言われた。しかし、当時は営業の仕事は重要だったから、休むことなく昼は営業活動を行い、朝と夕方に病院に通った。

手術費用を捻出するために、それまでの金遣いを改めて清い日々を送ったのだ。多分…。

何度かの検査の後に、かみさんは3月22日に入院した。23日にインフォームドコンセント、24日に手術とメモ帳に書いてある。他には「多臓器に転移なし」と走り書きしてある。

面白いのは手術の日の欄に「朝から生子、俺を見ない」と書いてあること。手術が怖いのか?このまま死んじゃうかも?ってかみさんが考えて見なかったのか? 今となってはなんだかわからない。かみさんに聞いても「んなこと覚えていない」という返事ばかり。

術後も、麻酔から覚めぬかみさんは「痛い痛い」と覚醒しながら泣き、僕の妹の手を握っていいたことにも僕は腹を立ててメモ欄に書いたのかもしれない。今となっては、どうでもいい謎である。

同月30日に退院すると、続けてホルモン療法が開始された。メモには「タモキシフェンを飲み、デュープリン注射、毎月20000円以上、骨シンチ、血液異常なし」と書いてある。

続けて「お腹が痛い」というので、厚生年金病院に連れて行ったら「胆石があるので、胆嚢を摘出する」と言われ、哀れ、かみさんは5月に再入院・手術をすることになるのだった。


2013年8月12日公開

© 2013 消雲堂

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