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いっしょに山をのぼった時間よりいっしょに山をくだった時間のほうが意義深いように思う。いや、むつきと高尾山の頂上を目指しながらそれなりにユーモラスな会話を交わしたさ。だけどね、その交わした会話はじっさいのところ登山というシチュエーションが意味を持たせたもので、言ってしまえば山をのぼりながら交わした会話について語るのはいささかチープ感がいなめない。登山というサブジェクトはとんでもない画素数と解像度でその人の人生観を形容できてしまうわけで、つまり山をのぼりながら発した言葉、その言葉の表層に深海の色をたやすく塗布できてしまうんだ。したがってむつきを語るうえでのぼりの場面に触れるのはなんていうか、妙な背徳感をおぼえちゃう。それにさ、うまく言えないけどのぼりの場面を語るよりくだりの場面を語るほうが「むつき的」なんだ、うん。伝わってるかな? そもそものぼってたときたいした出来事なんて起こんなかったんだよ。ティルト・シフト・グラスをかけたむつきの前にティルト・シフト・イヤホンをした人が現れて物語がティルト・シフトするといった展開もなかったし、ティルト・シフト・グラスをかけたむつきが語り手になってしまうとかそんな実験小説的展開も起こんなかった、ほらこのとおり。話としておもしろみがあったのは、僕はむつきに頼まれてアクションカメラでずうっと彼女を撮影してたんだけど、そのときぐうぜんそのカメラで未確認飛行物体を撮影できたことくらいさ。まあ何はともあれ、低い山でも頂上は頂上だ。僕とむつきは高尾山の頂を制した。ところが、てっぺんに対して特別な関心がないとむつきが言い出しちゃって、そんなわけで僕らふたりはときをうつさず下山することにしたんだ血だらけで。
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