Adan #78

Adan(第78話)

eyck

小説

1,006文字

ティルト・シフト・グラス〈5〉

そう、僕とむつきは血だらけだったんだ。どうしてかというと、ふたりともころんで頭を打ったのさ。僕は後頭部を、一方のむつきはせりだしてる自慢のその前頭部を。僕がころんだ理由はアクションカメラでむつきを撮影しながら歩いていたからで、むつきがころんだ理由は単にイキがったから。高尾山にのぼるまえ彼女は僕にこう言ったんだ。「ずっとしゃべってて亜男。私にふれないで」って。僕はむつきのそれを受けいれ守りとおした。それゆえむつきは銃を自身のこめかみにあてたエマ・ゴンザレスのイラストがプリントしてある白いダウンジャケットを血で赤く染めることになり、僕のほうはメンガーのスポンジのイメージがプリントされた赤いチェスターコートを血で赤く染めなおすことになっちゃったとまあそういうわけ。

 

頭も怪我したしのぼりで一時間くらい歩いたしで僕はもうへろへろだった。ふもとからケーブルカーで山の中腹までいってそこから歩きはじめ、おまけにあらかた舗装されたとこをのぼってきたんだけどさ、僕はもう動きたくなかった。僕はてっぺんにとどまっていたかった。くだりたくなかった。

 

「ずいぶん遠いね。元来どこからくだるんだい?」

 

むつきが下山するって言ったとき僕は彼女にそう尋ねてみた。するとむつきは僕にこう問い返したんだ。

 

山頂ここからケーブルカーでふもとまで行けないんだっけ?」

 

むつきも相当まいってたみたい。だけど不親切なことに山頂とふもとをむすぶケーブルカーは走っていなかった。したがって僕らふたりはのぼってきたルートをひきかえすという判断をくだした、なくなくね。もちろんゴールはふもとではなく中腹にあるケーブルカー乗り場さ。

 

下山しはじめてまもなくむつきはまたころんだ。彼女はハイヒールを履いていた。つまりむつきは転倒するための大きな可能性をひといちばい秘めていた。そのときのむつきのかかとの高さは彼女のうぬぼれの強さを悲しいほど如実にあらわしていたように思う。高尾山はミシュランガイド三ツ星観光地だけあってその日も多くの登山者がいたけど、ハイヒールを履いて転倒したむつきに手をさしのべる人はいなかった。みんな見て見ぬふり。彼女に声をかけてあげたのは僕だけだった。ころんでうずくまっているむつきの頭頂部に向かって僕はこう言ったんだ。

 

「舗装された道でコケると痛いだろう、むつき」

2021年9月4日公開

作品集『Adan』第78話 (全83話)

© 2021 eyck

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