勃起していた男

応募作品

わく

小説

2,578文字

 多分、現実にこういう人がいたら、私は嫌だなあと思います。でも、こういう風なセリフを吐ける人間はかっこいいかなあとも思って書きました。個人的な好みでしょうが。

あの時、誰も目の前の海を見ていなかったように、プロジェクターから流れる映像を誰も見ていなかった。那奈とその結婚相手の幼少期から大人に成長するまでの、ありふれた写真が散りばめられたよくあるやつ。目の前に出された食事を遮二無二に口の中へ運ぶのに忙しくて、同じテーブルの誰もしゃべらなかった。食事をしているからしゃべらないのか、しゃべらないから食事をするのか、もはや分からないような状況ではあったが。食い気は旺盛なようでも、誰もヒカルが式にやってくるとは思わなかったから、どいつもこいつもどこか不満気。あの時、おれたちが海に行った時もそんな顔、みんなしてたっけ。おれたちに無断で那奈が初めての彼氏を連れてきたから。みんな、あいつはヒカルと付き合うもんだと思ってた。那奈と彼氏は二人で波打ち際を散歩して、おれたちはビーチボールで遊んでたけど、ヒカルだけはボール遊びに加わらずに、ずっと砂浜の上に座っていた。みんなヒカルのことはあえてほっといたんだけど、空気の読めないおれだけはヒカルのそばへ行ったっけ。

「遊ぼうよ。どうした、立てないのか?」

「勃起してんだ」

ヒカルが下ネタを言ったのはそれが最初で最後だった。いつもそうだったけど、別に相手を笑わせようとする力みもないクールさ。非常識を当然のように言ってのける、やってのける、価値観を転倒してみせるやり方。それまでダサいと思われていたニューバランスのカラフルなスニーカーを流行がやってくる前に取り入れたのも身内じゃこいつが初めてだった。那奈たちの方を見ながらも優しい顔して口にした回答は、あまりにも完璧だったので、奴を遊びに加えようという試みは粉砕され、おれは笑いながらも、ひとりでみんなの方に戻るしかなかった。振り返ってみると、あいつが夕日を浴びながら微風に髪を揺らし、スカした顔して座っている姿は最高にかっこよかった。たとえ本当に勃起していたとしても。

別に、那奈に彼氏ができても、その後ヒカルに彼女ができても、二人の関係は変わらなかった。以前と同じように、好きなバンド(おれたちが名前を何度聞いても覚えないインディーズのやつ)の話で二人で勝手に盛り上がってたし、小説やマンガの貸し借りを交換日記のように常にしてたし、学校から同じマンションに二人で帰っていた。真夏の公園でワンオンワンのバスケを、大汗かきながら真剣にやっている姿を見かけたとき、おれはどきどきして声をかけることもできなかった。

「ああ、そういうやり方もあんだな」

おれたちは妙に納得し合った。お互い思っていること腹を割って話したわけじゃないけど、モダンで都会的な関係がそこにあるように思えて。少なくとも、幼稚舎からずっと一緒だったおれたちの輪に何も影響を与えない、無害なもののように見えた。

那奈とヒカルには大学を卒業するまで、それぞれ恋人が入れ替わりに何人もできたけど、お互いの関係のせいで破局をむかえたことは一度もなかった。そういう邪推をするのは、大学から一般入学してきたので事情に疎い奴ら。それぞれ相手の恋人に対しては思いやりを持っているように、おれには見えた。だから、一般入学の奴がこんなことを言ってるのを聞く度にムカついた。

「ヒカルと那奈が夜のホテル街を歩いてるとこ見たって聞いたよ」

そんな曖昧な話をしてる奴らの首を絞めてやりたかった。二人の関係のことをほんとに理解できんのは幼稚舎からの仲間だけなんだって、まだ学生のおれは思ってたんだっけか。

大学を卒業してから何年かたって、那奈が付き合っていた男と結婚すると言っても、どうということはなかったはずなんだけど、問題は彼女が妊娠したということだったようで。その場ではみんな「おめでとう」としか言わなかったけど、すぐに二人を除いて会議。おれたちの中には、両親が離婚をして慰謝料で育てられた奴もいれば、慰謝料をもらえずに奨学金でなんとか大学まで卒業をした奴もいて、それが関係あるかどうかもわからないけど、みんながヒカルのことを心配した。おれが心配ないだろうと説得しても、「うぶだね」とか「無垢だね」とか散々バカにされるだけで。その後、奴らはヒカルに、那奈と二人きりで会うことを禁止すると勝手に宣言した。ヒカルはそれに怒ったが、その怒り方が普通でなく、というかヒカルが怒ったところなんて誰も見たことがなく、史上最高の騒ぎとなり、殴り合いにまでなった。間に入ったおれが無駄に転んで無駄に腕を骨折して、ようやく喧嘩は終わった。

そうして迎えた結婚式だった。おれの方が一年早く結婚したけれど、この結婚式の方が、子供時代の終わりをはっきりと意識させた。彼女がみんなの初恋の相手だった。マンガを読んでいてヒロインと読者の自分が結ばれたいと思うのが不自然なように、ヒロインは主人公と結ばれるべきだとみんなすぐに気づいたのだった。その主人公こそヒカルのはずだった。いま、彼女の腹の中にいる赤ん坊は、五年もすればおれたちが出会ったころのような子供になる。まだまだ自分が大人になりきれないと思っていたのに、すぐそこには次世代が待っていた。

結婚式はつつがなく進行し、それぞれの両親への感謝の気持ちを手紙にして読みあげるという、トレンド通りに終了した。式場を立ち去る時になっておれたちのテーブルにはまた気まずい沈黙。その匂いを嫌がってみんな、すぐに立ち上がり出口へ消えていった。彼だけが、一人イスに座ったままだった。おれには何かが聞こえるような気がした。うなだれて立ち上がる気配もない、その姿の奥に何かが見える気がした。あの時と同じようにおれが声をかけると、あの時と同じようにとんでもなく優しそうな顔が輝いた。

「勃起してんだ」

そう言われた瞬間、あの時見ていなかった海が見えた。そして、聞いていなかったはずの波の音が響いた。あの日、ずっと見続けていることができなかったのに、おれの頭の中で反芻され続けていた波風に揺れる奴の姿が黒いスーツを着た彼と混ざり合った。あの浜辺が、最高にかっこいいと思ったはずの奴のスカした微笑みが、水平線を見つめるような彼の顔が、同時に溶けていった。どんどん遠くなっていき、ぼんやりしていく瞳のような丸い残滓は、大洋のかなたで浮かぶ小島のようにも見えた。おれたちは決して行き着くことのない、平和な小島に。

2021年6月30日公開

© 2021 わく

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ユーモア

"勃起していた男"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2021-07-21 00:40

    はじめまして。
    中年の自分としては、若いころかっこいいと思って憧れや気後れを感じていたような仲間が案外そうでもなかったなあ、とか、今思うとめんどくさいやつだなあ、とか思う事があるのですが(当時の印象と変わらない者もいますが)、そのような作品として読ませていただきました。ひょっとするとわくさんの意図と違うのかもしれませんが。
    「結婚」という人生のイベントが象徴する俗な意味での「大人の世界」、気づけばそれに取り残されて成長のないまま年だけ取ってしまった自分たちの悲哀。「勃起してるんだ」という全く同じ言葉がここではなんだか哀れを催す響きを持っているような……そんな作品として読ませていただきました。

  • 投稿者 | 2021-07-21 21:58

    無垢の喪失の切なさがうまく描かれている。いい感じにエモい。主人公に対する羨望を秘めた語り手が『春の雪』を思わせる。最後の小島の比喩もすごく良い。星五つ!

  • 投稿者 | 2021-07-22 14:24

    下ネタジョークってやつは扱いが難しいです。相手を選んで言ったつもりが軽蔑されたり、逆にその一言で終わるはずだったのに続きを期待されてしまったり。それはさておき、本人は意識の外にあるはずだと思っていることでも外からは繋がりが見えてしまうことって結構あって、これも扱いが難しいです。

  • 投稿者 | 2021-07-22 17:32

    ヒカルの二回目のセリフで、彼が数年間胸の内に秘め続けた苦しみ悲しみが初めて腹に落ちると言う心憎い仕掛けです。それは語り手自身が大人になったことでもあり、少年時代が永遠に去ったことでもあり。「よくある」結婚式の進行に合わせて語られるしぶいドラマですね。
    子供のころからの友達となると、どうしても地域社会での「幼馴染」かと思いがちなのですが、私立の一貫校の同級生という設定なのですね。藤城さんは『春の雪』と仰っているけど、私はとっても現代の東京っぽいと感じました。

  • 投稿者 | 2021-07-22 21:19

    ホモソーシャルな関係の中でそこだけ突き出たように勃起しているヒカルのイチモツが印象に残ります。
    仲間の輪の中で居心地の良さを感じ、その輪を乱そうとする噂に怒ったりしてホモソを守ろうとしている主人公ですが、反面、輪から突き出たイチモツに憧憬を抱いている心情を読み取れる気もします。

  • 投稿者 | 2021-07-23 02:49

    下半身ネタかと思いきや、青春の残り火的な甘酸っぱいストーリーでした。僕にはそういう青春はありませんでしたが、ある人にはこういうのがあるんだろうな! て想像できました。

  • 投稿者 | 2021-07-23 08:56

    切ないですね。
    恋は終わるけど友情は終わらない、みたいな言葉を思い出しました。でも終わってしまった、という。
    そしてそれを当事者たちの口ではなく間接的に語ることで、2人を映した風景が見えやすいので映画のようだなと思いました。

  • 投稿者 | 2021-07-23 11:38

    文章が特別うまい方ですよね。私はよく文章が汚い、と言われるので羨ましいです。ところで、ですが、勃起するというのは、なにか理由があってするのですか? それともなにか刺激物があってするものなんですか? その辺が分からないので、勃起の象徴するものが分かりません。もしなにか刺激物が必要なら、それは結婚していく彼女だと思うんですが、昔、海に行った時も彼女がいましたよね。しかし、刺激物がなくても勃起するのだとしたら、それは大きな違いでもって、それは大きな意識の象徴する日常生活を超えた勃起だと思います。勃起は憧れです。私もしてみたいです。徹夜明けなんで、失礼しました。

  • 投稿者 | 2021-07-25 03:25

    トレンド通りっていいなあ。結婚式って勝手にそういうもんだと思ってましたけど、トレンド通りってww。でも、なるほど。トレンドね。ああ。なるほど。あと、すぐそこには次世代が待っていたって言うのでなんとなくPS4発売日からPS5発表日までのスパンの短さを思い出しました。ほぼ六年くらいでしたあれは。衝撃だったもんです。

  • 投稿者 | 2021-07-25 18:26

    拙文を読んで頂き、またコメントまで丁寧にくださり皆様に感謝です。
    合評会には参加できないので、ここで弁解を書いておきます。
    自分としては、ヒカルの喪失感を表現したかったというよりは、語り手がヒカルを通して、現実社会では理解されようもないビジョンを垣間見るさまを表現したかったです。
    しかし、それならば、語り手が最初はヒカルにネガティブな感情を抱くようにしてから、それを逆転させるとか、別の書き方が必要だったなあとコメントを読んで考えさせられました。
    毎回、大変勉強になります。今後もよろしくお願いいたします。

    著者
  • 投稿者 | 2021-07-26 15:33

    青年期の終わりとでもいうべきか。しかし、海というテーマにちなんでか、「下ネタ」ラッシュがここまで続きましたが、それにとどまらず、昇華されてるなと感じました。

  • 編集者 | 2021-07-26 19:31

    青春の描写が輝く。嗚呼、こんなにも透き通った下ネタもあるのか。

  • 投稿者 | 2021-07-26 20:07

    この文体は好きだ

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