敗者たちのセナ

応募作品

わく

小説

5,393文字

 それは四月の日曜の夕べ、おれが憂鬱な月曜へともう歩き始めていたころ、一方の瀬名は樹齢百年を超える満開の枝垂れ桜にトライアンフボンネビルを時速百キロで衝突させていた。

それは四月の日曜の夕べ、おれが憂鬱な月曜へともう歩き始めていたころ、一方の瀬名は樹齢百年を超える満開の枝垂れ桜にトライアンフボンネビルを時速百キロで衝突させていた。瀬名が桜に衝突したとき、近所の人間は桜の方を心配をしたので、救急車は一向に呼ばれなかった。かつて、取材のテレビクルーと一緒にやってきた千葉大学の園芸の専門家をもう一度呼んだらどうだろうと言う人もいたが、桜の木はバイクが突っ込んだ根元から真っ逆様になり、木のてっぺんが落花生の畑に落ちているような状態だったから、どう考えても手遅れだった。バイクで突っ込んだ奴の方はまだ手遅れではなかったから、桜と一緒に人生を送ったうちの祖父が、戦前から敷地にずっと残されていてまるで拷問室のような蔵にあった竹槍をもってきて、瀬名にとどめを差そうとした。幸か不幸か、その竹槍は野次馬のひとりの主婦に突き刺さったので、今度はきちんと救急車が呼ばれることになった。

その後、警察の事情聴取やらなにやら、面倒なことはなにも片付いてはいなかったが、名前はよく知らなくても子供のころから顔を見知った近所の主婦になるべく早く丁重にお見舞いはしなければならなかったので、一万円もする果物のセットを持って病院に行ったのだが、まず出会ったのは中学の同級生の瀬名だった。

「お前くらいだ。見舞いにきてくれんの」

「おれもお前のためじゃねえ」

「全部、おれの好きなフルーツ」

「お前の代わりに竹槍に刺されたおばさんのだよ」

そう言うと、瀬名はようやく果物から手をひっこめた。大事故を起こしたのに、瀬名は事故なんて冗談だったみたいに元気だった。うちの祖父のような人間が外で大勢待ち構えているのだと思うと奴は退院したくないようだった。

「うちのじじい以外いねえよ、そんなの。病院も迷惑だから、早く退院しろよ」

「ガンなんだよ、おれ」

「え?」

おれは真顔で聞き返した。

「心のガンなんだよ」

真顔で聞き返したのがバカバカしくなり、たった一瞬のことでも後悔したが、おれは真顔のままだった。というのも、おれの知っているはずの同級生、瀬名太郎はこんなことを話すやつではなかったから、実際、何かしら精神的な疾患を抱えているのではないかと、別の疑いが頭をもたげたからだった。

「心のガンってなんなんだよ?」

「それを説明するのにはだいたい二時間かかんだけど、いいか? パイレーツオブカビリアンほどの時間はかからねえけど、アナ雪よりは長い」

「カリビアンな。カビリアンはエロサイトのほうだ」

おれだって健康的なときは、こんなこといちいち訂正なんかせず、奴の口にグーパンチ放り込んで黙らせ、さっさと用事をすませて帰ったはずだった。でも、東京で就職した会社が倒産し、久しぶりに帰ってきた故郷にはもうだれ一人友達もいなく、なんとか親のコネで再就職した保険代理店では上司にいじめられていて、おれにはだれでもいいから話相手が欲しかった。今、思えば、奴の話は何から何まで適当で、たしかに病院内の喫茶店で二、三時間は話しただろうが、書き出してみればだいたいこんなところで二、三時間もかかる話ではなかった。問題はうまく要約できているかどうかだけれど、そんなことは大した問題ではないだろう。所詮、笑ってすませる冗談にすぎないからだ。奴らやおれの人生と同じように。

 

————ゴッドをおれが信じてるって話しはしたっけ。神頼みするような神様じゃなくてさ、ゴッドはチャンスを与えてくれるだけ。ゴッドはなにも与えてはくれないっておれは産まれたときから知ってた。だっておれの名前。太郎なんて、平成生まれの子供につけるなんて育児放棄にも等しんだよ。男である以外、何の意味もねえ名前つけやがって。実際、名前の由来を親父に聞けば、「おじいちゃんが」って。そのじじいに聞けば「長男なんだから太郎に決まってんだろ」って。自分は長男のくせに『一郎』って名前で、自分の長男には『元』って名前つけたくせに。まあ、名前かぶらせたくなかったのかもしれねえが。でも瀬名って苗字は嫌いじゃなくて、いやいや、好きだった。スーパーヒーロー、アイルトンセナがいたから。もう死んでるやつだからってお前らは誰も知らなかったけど。そうそう、おれはガキん頃から死んだ人間を愛してた。お前らがAKBやらなにやらに振り回される前から、おれにはもう死んだ人間こそが最高にカッコよく見えた。分かんだろ? おれらのゴッド、ジェームスディーン、スコットラファロ、格好いいやつは最高の自動車事故で死んでんだ。『セナ』って苗字で呼べって言ったのに誰もそうせずに『たろう』のままだったから、お前らのせいで高校に入っても『たろう』と呼ばれなきゃいけねえのかって思って、おれは鈴鹿の高校に入ったんだ。いや、それは嘘。嘘じゃねえけど、理由の一割くらい。とにかくレーサーになりたかった。さすがに数年もありゃあ、カートだけでも充分。金は十分でいざとなったら、親父もろともこの病院売り飛ばせばいいなんて思ってたけど、才能がねえ。でも勘違いすんなよ。レーサーの学校でおれはビリだったわけじゃねえ。いつも二位。一位のやつもいつも同じで、そいつの名前もセナだった。でもそいつのフルネームは『風早瀬奈』ってかっちょいい名前だった。おれみたいに苗字のセナじゃないから、セナになるべくしてなった本物のセナ。それに『一位カザハヤセナ』 『ニ位セナタロウ』って言葉に出したときの響きね。どっちがかっこいいってもう一位か二位の話以前の問題よ。でも風早の方は、名前だけじゃなくて実力もあった。そんな風早ですらその後はF3でくすぶってんだから、おれなんかには何の勝ち目もない。そっから東京の医学部受験予備校で何年かくすぶったよ。いつの間にか失効した車の免許もっかい取り直そうと思ったけど、それはやめて今度はバイクに乗ってみたらドはまりして。同じように何浪もしている医者の息子が何人もいたから、十人に勧めたら、十人中六人がはまった。みんな、ラジコンは何台も買ってもらえるような奴らだったけど、バイクに乗ろうなんて人生で一度も考えたことない奴らだったから、乗ると楽しくて仕方なかったみたいで、普通の人間が社会人になるような歳でおれたちは暴走族を結成。名前は『野田クルセーダーズ』。別に野田近辺で活動したわけじゃなくて、当時通っていた予備校の名前から拝借させていただいたわけ。もちろんおれらは集団でバカデカい音をだしてくタイプじゃなくて、制限速度を守らないタイプ。峠攻めるやつ。だから事故ってみんな死んだよ。医者一家に箱入りで育てられ、医学部には合格できずに社会から隔離されて予備校に収まっている童貞たちがスピードに狂って死んでいく姿を、仲間たちはなぜか『特攻』って言ってたけど。まあ本物の特攻隊の人たちからはうんこ投げつけられそうな話だけど『無意味に生まれて無意味に死んでいく姿は正に特攻じゃん』って妙に納得もしてたっけ。そのころはゴッドのことなんて信じてなかったのかな。葬式には黒の革ジャンで押しかけたけど、誰よりも泣いてるんでなんとか追い出されなくてさ。でも葬式に来る住職には必ず『仏教の空、これはいったいなんなんですか?』と号泣しながらおれが尋ねるんで、毎回参列者も住職も困らせちまった。だって住職も若い人間の葬式の場で哲学談義にふけりたくなかったし、両親が泣いてる前で「一切は実体がない」なんて話もできないだろ。でもおれは本当にそれが何なのか見極めたかっただけなんだけど。六人いたはずの仲間で最後に残ったのは、おれともう一人だけで、一番テクニックのある田中。ある時、田中の下宿先のアパートで金曜ロードショーのホラー映画を見たのが、きっかけであいつは発狂したの。『紅の豚』。あれって死んだパイロットの友達が夢で出てくるシーンがあんだろ。あそこがいけなかった。翌日、いつもの山道で、突然やつは時速百五十キロで発狂して、死んだ仲間五人の名前を叫んで、崖下へダイブ。それから、おれはバイクをやめた。受験予備校も辞めて、なんとなく社会勉強のつもりで牛丼屋のバイトをはじめた。おれにはレースの才能よりも、牛丼を盛り付ける才能のほうがあった。これ、マジなやつね。牛丼の盛り付けの正確さとスピードを測る社内の競技会でおれはたった二年で全国優勝。カートやバイク乗り回してた頃のような感覚とは違うけど、初めておれは一位になって嬉しかったのかな。『牛丼界の音速の貴公子』って、さすがにそれは社内の奴らも笑って言ってたけど、社員に登用されて店の経営も任せられたのは、満更でもなかった。牛丼屋に勤めて四年たって、突然おれの店に風早が現れた。都心の駅前の店だったから奴は何気なく入っただけだろうけど、おれにはすぐわかった。

「風早どうした? なにニタニタ笑ってんだ? そんなにおれの格好がおかしいか?」

そう言っても風早はニタニタ笑ったまま。

「おれだよおれ。セナタロウ」

そう言っておれが店の帽子をとってみせても風早はニタニタ笑ってるんでおれはあいつの頬をビンタした。

「ごめんな。事故にあってから顔面麻痺があんだ」

変わってしまった風早のしゃべり方を聞いたとき、おれは牛丼屋で初めて泣いた。おれたちの話を聞いていた風早の隣の客まで、丼に涙をこぼしながらかっ食らっていて、あの日、あの牛丼屋には、開店史上初めて天使が舞い降りて、油切った床の上をスケートしてた。風早は常連になって、あいつの事情もはっきりわかった。練習中、大事故に巻き込まれて身体の傷は癒えても心のガンになって引退、それからは父親の会社の労務管理をするだけ。死んでいった浪人生の魂が、風夜に乗り移ったようだったから、おれはまたバイクを勧めた。初めはあいつも抵抗したけど、教習所へひっぱっていったらあいつもすぐに生き生きした。真実の笑顔だった。もうそのころには、やつの真実の笑顔がおれにもわかるようになっていた。あいつがバイクの免許をとって桜を見たいというので、おれはなんだかがっかりした。おっぱいと車にしか興味のなかった若いレーサーの成れの果ての答えがこれかと思うと、老人になったような気がしたけれど、別に目的地なんてどこでもよかった。会社のバイク好きの先輩がおれのために、トライアンフを貸してくれるってんで、おれもいい気分だった。数年ぶりの運転でおれはハイだった。風早がスピードを出しておれを抜き去っていくと、レーサー時代の感覚が、あの焦燥と快感がそっくりそのまま戻ってきた。風早に追いつこうとスピードを出して前に進めば進むほど、おれは過去の中に戻っていった。風早に追いつくと、あいつはいつの間にか、若い頃と同じようにいつの間にか、多分瞬殺のナンパで、金髪ミニスカノーヘルの姉ちゃんをタンデムさせてた。姉ちゃんはヘルメのかわりに小っちゃくてかわいい帽子をしてたんだけど、風早がさらに加速すると、彼女のはにかんだ笑顔が帽子を田んぼの端へ吹っ飛ばした。風早と彼女はおれの方を覗き込むように振り返ると笑った。それは二人とも真実の笑顔だった。おれは追いつこうとフルスロットルにしたけど、昔と同じようにあいつにはなかなか追いつけなかった。それでも、そのうち昔のような焦燥は消えて快感だけが残った。そして、あの時の田中のようにおれの周りには仲間たちがいた。別に『紅の豚』みたいなホラーじゃなくて、みんな笑って踊っていた。サンバ踊ってる奴もいりゃ、ブレイクダンス踊ってる奴もいりゃ、盆踊りのやつもいた。田中は静かにパラパラしてた。おれもシートの上で踊りだした。もちろんシートの上だから、やれることは限られてくるんで、だいたいは田中と一緒にパラパラやってた。そのうち風早に追いつくと、もう奴はヘルメットをかぶってなくて、顔面麻痺も完全にとれたように顔も若々しくなって、もはやバイクを運転もしてなくて、普通にあのでっかい桜の幹を掌でふれていた。「なんであのとき、おれ死ねなかったんだろ? 本物のセナみたいに」ああー、こいつ死んだな。いや、おれもかな? 聞いたことのない爆音。天使たちのラッパ。黙示録のドラゴンが投げ込まれた燃える硫黄の池のように火を吹くエンジン。本物のセナの笑顔に風早のかつての笑顔がオーバーラップして加速する。そんなイメージが切れ切れに重なって、おれはそれから思ったんだっけ。願わくは花のもとにて春死なむ、って。そのあとはお前が知ってのとおり。気づいたら、おれはこの病院にいたわけ。桜のもとで死ぬんじゃなくて、桜をぶっ倒したわけ————

 

瀬名が早口になって急に話をおわらせようとしたとき、こいつの目はおれの後ろのほうへそそがれていた。おれが振り向くと、そこにはひきつって笑っているような顔の男がいた。その男は近づいてくると瀬名にDVDを何枚か渡した。

「おい風早、パイレーツオブカビリアンは2と3どっちも頼んだはずだけど?」

「2は借りられてたよ。それになあ…」

風早はおれと同じように丁寧に瀬名に突っ込みを入れた。

「カビリアンじゃなくてカリビアンだっつの!」

言ったあと風早は乾いた声でからから笑っていたが、それが『真実の笑顔』なのかは、おれには分からないままだった。

2021年3月6日公開

© 2021 わく

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"敗者たちのセナ"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2021-03-25 12:33

    フルスロットルで文章の上を駆け抜けました。駆け足の人生を送る敗者たちの描写が魅力的で、人物が浮いて見えるような感じがします。

    語り手と回想の中の瀬名太郎の一人称が両方「おれ」であるところが少し気になりました。

  • 投稿者 | 2021-03-27 20:00

    出だしが突拍子もない感じがしましたが、「セナ」の語りが始まって以降は素直に面白く読みました。「パイレーツオブカビリアン」も知りました。一つ勉強になりました。

    職業に貴賤はないとは言うものの、夢破れた人の傷が癒えることはないし、思うように人生を歩めなかった人たちの「心のガン」に思いを馳せ、密かに涙を流したことでした。良い作品だと思います。

  • 投稿者 | 2021-03-28 13:17

    タイトルといい、書き出しといい、私の様なものからしてみたら第一印象としては、
    「読み辛そう。あととても辛い話かもしれない」
    と、そういう印象だったんですけど。すいませんその辺が私は馬鹿なんで許してください。

    でも、読み始めたらあっという間でした。焦らせるような感じというか。矢継ぎ早っていうのかな、将棋で言うと最後まで攻めが切れないような感じの。

    私の勝手な印象ですけども。

    大変面白くございました。

  • 投稿者 | 2021-03-28 22:46

    文章に疾走感があってモータースポーツしてますね。祖父が竹やりで瀬名にとどめを刺そうとしたり、瀬名の名前のせいで鈴鹿の高校に行くことになったり、突拍子のない話が挟まれているのが良いアクセントになっていると思います。

  • 投稿者 | 2021-03-29 01:11

    シニカルで哀愁があって、こういう話には弱いです。名前の方のセナって、なんかすごく納得いっちゃうのが不思議です。アイルトン・セナ自身はアイルトンの方が名前なのに。セナは知らなかったのですが、調べたら母方の姓みたいです。ちょっとタイムリー、力士の寺尾(現錣山親方)もたしか母方の姓なんでしたっけ。これから日本はどうなるのかというちょっとコースアウトな感想も同時にもったりなんかもしてしまいました。

  • 投稿者 | 2021-03-29 12:00

    冒頭の桜にぶつかるバイクの絵が鮮烈で美しい。その後のシーンで意外とピンピンしていて笑えた。彼らは何に対して敗れたのだろうと考えさせられる。もう一人のセナもその場にいたのなら救急車を呼んであげればいいのに。

  • 投稿者 | 2021-03-29 14:26

    瀬名の語りが魅力的です。風早生きていて良かったです。おばさんが唯一の気がかりです。

  • 投稿者 | 2021-03-29 18:37

    カリビアンコムのことだと思って、あれってカビリアンコムだったっけ???ってなってしまったんですが、そんなことはなくてカリビアンコムでよかった。

  • 編集者 | 2021-03-29 19:00

    二人の掛け合いが面白い。人生そのものが動力不明のモータースポーツなのだなあと思った。カリビアンだったかカビリアンだったか……。

  • 投稿者 | 2021-03-30 14:55

    面白く読みました。カビリアン、の話は必要かな? と思います。まるごと削除してその分の字数で「セナ」をもっと掘り下げてもいいかなという気がします。

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