佐々木、愛なのか?(8・最終回)

佐々木、愛なのか?(第8話)

青井橘

小説

6,662文字

アパートの手前の公園を曲がった時には、そのまま冷蔵庫のない、六畳の、牧夫の廃棄物で雑然とする自分の部屋に帰る気がしなくなっていた。公園の明かりは点いていたが、人影はない。佐々木晴男はアスファルトから砂地の公園に入った。

ブランコと、滑り台と、ジャングルジム。遊具はそれだけで、あとは広い空き地になっている公園だった。空き地では、昼間子供がキャッチボールやサッカーをしているようで、時折子供の遊び声が部屋にいても聞こえる事がある。しかし、佐々木晴男はいつも通り過ぎるだけだった。

夜の公園には誰もいない。木々は黒く立ちそびえ、遊具は錆び付いたようにじっとしている。背もたれのない木製のベンチが、街灯にいくつか照らし出されていた。佐々木晴男は大きな桜の木の下にあって、あまり明かりの届かないベンチを選んで腰かけ、カレーパンの袋を破いた。

カレーの匂いなどしないけれど、カレーパンと書いてあるからカレーパンなのだろう。佐々木晴男は大きくかじる。冷たくパサついたパンに、油がしみている。濃い辛味が口の中に広がる。中身のカレーも冷え、硬くなっていた。佐々木晴男は一気に口に押し込むと、もう一つも喰いつくした。「健康野菜」にストローを突き立て、吸い込む。口の中の乾きも、油の匂いも、「数種類の野菜とビタミン」の酸味にかき消された。

パンの包みと空になった紙パックをビニール袋に入れ、袋の口を結ぶ。空腹は和らいだ気がしたが、暖かいものを食べなかったせいか、幾分指先が冷えている。口元が油でてかっているような気がして、手の甲で拭う。唇も冷たく乾いていた。

ここにいても、部屋にいても、どちらにしても同じだ。自分にはやるべき事などなにもない。佐々木晴男は帰ろうかと思う。

公園の周囲の道に人通りはなく、静かだった。明かりに照らされて、入り口にゴミ箱があるのが見える。ベンチから立って歩き出そうとしたとき、足元で、茶色く小さなものが蠢いていることに気がついた。

しゃがみこんでよく見ると、それは毛虫だった。細長い体に細かな毛を生やし、ごにょごにょと身悶えている。佐々木晴男はしゃがんだまま、しばらくその動きを見つめた。

何処へ行こうとしているのかわからない。なにに向かって動いているのかわからない。毛虫はまるで、公園の地面に囚われたかのように、その場で身をくねらせているだけだった。

佐々木晴男は立ち上がった。

毛虫だ。

砂の上でのたうつ小さな虫から生えた細かな毛に、砂がまみれている。

再び毛虫を見下ろす。

今度は虫というよりも、それはどこか鉱物めいてみえた。

磁石だ。

佐々木晴男は自分の思いつきに感心する。これは虫のように見えるけれど本当は磁石で、運の悪い砂鉄が絡み取られている。意志のない砂鉄が貧弱な磁石に吸い寄せられ、周りを覆う。磁石には砂鉄が、毛虫には毛が必要なんだ。

佐々木晴男の眼鏡の奥で、小さな瞳が輝く。口元が歪み、笑う。足をあげ、ゆっくりと毛虫を踏み潰す。何度も擦りつけるように、靴底を地面に押し付ける。

足を上げると、毛虫はさらに砂にまみれ、カリントウのようになっていた。潰れていないのかと腰をかがめると、黄緑色の粘ついた液体がはみ出している。靴にも体液がへばりついていた。ベンチの角でこそげ落とす。

佐々木晴男は、桜の木を見上げる。つい先月ごろまで狂おしく乱れて咲いていた花は散って、新しい葉が夜空に黒く浮かんでいた。毛虫を踏みつけた足で思い切り幹を蹴った。ぱらぱらと、茶色く柔らかいものがいくつか落ちてくる。

毛虫だ。毛虫が沢山いる。佐々木晴男はビニール袋の結び目を解き、中のゴミをベンチの上にばら撒くと、ビニール袋に手を入れた。

手袋のようにビニール袋で覆った手で、落ちてきた毛虫を拾う。七匹、八匹。数えながら拾うが、途中で数などどうでも良くなる。落ちている毛虫を全て拾うと、佐々木晴男はビニール袋を裏返し、袋の底にたまった虫たちを、公園の明かりに透かした。

動いている。袋の中で、出口なしの場所で、身を寄せ合いながら蠢いている。妙に楽しかった。どこからか、体に力が漲ってくる。それは強烈な引力をもって、佐々木晴男を奮い立たせた。溢れてくる力は自分でコントロールできるようなものではない。頭の中でなにかがはじけてしまったように、怒りとも、歓喜とも区別できない衝動を、佐々木晴男は「わりと心地良い」と感じた。

自分を失うのは、心地良い事なのか。ならばもっと早くこうしたかった。例えば父親と共に暮らしていた頃に。あの頃自分は、何故あんなにも自分自身にすがり付いていたのだろう。けれど過去の記憶も感覚も、思い出す意味はない。あの頃の自分は逃げたかった。自分を連れたまま逃げ出したかった。それだけのことだ。

すぐに、今自分自身を包む高揚のようなものに引き戻された佐々木晴男は、ビニール袋を軽く前後に振りながら、早足で公園を出た。早足は、いつの間にか駆け足に変わっていた。

コンビニの明かりに戻りつく。理香がまだ雑誌売り場にいるのが見えると、心が躍った。理香は男と話していて気がつかない。佐々木晴男は飛び跳ねる勢いで、コンビニの自動ドアを抜け、理香の開いている雑誌の上に、ビニール袋の中身をぶちまけた。

「うらぁ!」

声など出すつもりはなかったが、佐々木晴男の大きな声と、ビニール袋のガサガサ、という音が重なった。

「は? なにこれ!」

理香の開いていた雑誌に載る、ウエディングドレスを着た女の顔の上に、毛虫が落ちる。

「ちょっと!」

2012年10月18日公開

作品集『佐々木、愛なのか?』最終話 (全8話)

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© 2012 青井橘

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