犬の腹

麦倉尚

小説

6,619文字

短編です。

犬の腹

 

 

 白い床を眺めると荒田勝介はひとつ落ちているかけらを見つけた。展覧してある刀の欠けたものかと彼はしゃがみ、それをつまみ上げ眺めた。ただの小さい石だ。再び床にそれを置き立ち上がり、透明のかこいに守られている刀を見た。勝介は特に刀に入れ込んでいるわけではなく、従妹の茉祐香に連れられて来たまでだ。

「近所で見るところ、ここぐらいしない」

茉祐香は勝介の隣の展示を見ながらそう言った。彼女は岡山で生まれ育ち高校を出て、工場で働いている色の白い女で、男の一人もいそうな綺麗さだが彼女の父親いわくずっと家にいるらしい。仕事の時以外はパソコンに向き合っている

「つまんないでしょ私といても」

茉祐香は勝介に向かって言う。

「いいや、この博物館いつか来ようと思ってたから楽しいよ」

「またまたそんなこと」

茉祐香は下を向いて経路を進む。展覧は見ていない。勝介は立ったまま日本刀を眺めた。銀色の刀。勝介は包丁で指に怪我をしてしまったことがある。肉がそげて白い骨が見えた。痛くはないが血が流れ出し止まらなく、白いまな板の上に液体が垂れ、表面の傷に沁み込んで洗っても落ちなくなった。そのまな板はいつのまにか捨てられた。勝介はそれ以降包丁を握っていない。

 二人は博物館から出た。夏の日差しが茉祐香の肌に差し込む。勝介は茉祐香の頬を見て白い餅のようだと思った。

「まだ二日目なのにすごい退屈だね」

茉祐香は白いカッターシャツを着ていた。しわだらけだった。

「夕食まで時間あるから歩いて帰る?バス全然来ないから徒歩の方が早いかも」

「わかった、そうする」

勝介は茉祐香について進んだ。風が吹くと土埃が舞い上がる。

「川あるから行こうよ」

進行左手に川がある。二人は道路を離れ水の側まで歩いた。

「子供の頃ここで遊んだの覚えてる?」

「覚えてるよ、懐かしいね」

茉祐香は作業靴を履いていると見え、ところどころに傷がついている。しばらくしてここにいてもただ水が流れているようすを見るだけだと勝介は思い「もう行こうか」と茉祐香に促して道路へ戻った。

 子供の頃の川遊びの後もこうして茉祐香の後ろをついて歩いたものだ。勝介は幼少期とは違い、成長した女の後姿を見て欲情し、その気分を打ち消すために空を見るとヘリコプターが飛んでいる。何故かプロペラの音が無い。「ヘリ飛んでる」茉祐香も空を見ている。彼女の両親が言うような暗さは窺えないと勝介は感じ、「休みの日は何してるの?」と聞くと「いろいろ、たまにどこか出かけるぐらい」茉祐香の歩みが早くなった。逃げられてはなるまいと勝介も同じペースを上げた。

 家に着くと犬が勝介に吠える。大型の年取った犬は、番犬としての責務を感じているのか石川家以外の者全員に吠える。狂ったかのように。

「どうだった、刀の博物館は、なんだかんだで初めて行ったんじゃないの?」

 勝介のおじに当たる石川拓郎が言う。石川はネット通販事業で成功し、在宅で仕事をしているので、平日でも家に居ながら働いている。勝介が面白かったと伝えると拓郎が「刀興味あるなら今夜、いいもの見せてやるよ」とにやつきながら話した。

子供の頃から岡山の石川家に荒田家が止まるのが慣習だったが、今年は妹の理央が高校受験で勝介のみが泊まりに来ている。拓郎の妻・静香はパートに出ていて不在だ。「勝ちゃん風呂入ったらいいよ」拓郎に促され勝介は風呂を済ませた。その後に茉祐香が風呂に入った。勝介は当てがわれている部屋に戻り、夕食を待つが退屈だ。勝介は座ったと思えば立ち上がり、そわそわ部屋を見返してまた座った。家族で来た時は四人でこの部屋に泊まった。ひとりで居ると持て余す。勝介は寝転んで床に耳を付いた。茉祐香と拓郎の声が聞こえるが勝介は内容を聞き取れない。この下はキッチンだったはずだ。勝介は足音から静香の帰宅を察し、耳を床から離し立ち上がり室内をひとまわりすると「勝ちゃん、ごはんどう?」と下の階から聞こえる。二十秒待って階段を降り「お帰りなさい」と勝介は静香に挨拶をし机に向かい座った。勝介は茉祐香が夕食を運んでくるようすを見て、自分も手伝おうと勝介が立ち上がろうとすると「お客さんだから座ってて」と拓郎が制した。

 夕食は鯛や何やらの刺身だった。食事が済んで後このままリビングに居ても仕方ないと勝介は考えその場を去った。部屋でスマートフォンを触っているとドアが叩かれた。「勝ちゃん、刀みない?」勝介は扉を開けた。「刀?」「そう、刀」勝介は拓郎に続いて庭に出た。玄関から出るとまた犬が吠えるので、拓郎が頭を撫でて黙らせた。ふたりは倉庫の前に来ていた。「ここ、昔からある倉庫」拓郎はポケットから鍵を出し扉を開けた。「あんまりはいってないから埃っぽい、外で待っててもいいよ」勝介は拓郎と一緒に中に入った。拓郎が立てかけてある釣り竿をかき分けて取り出したのは刀だ。再び倉庫の前に出て拓郎は「これどう?あの博物館のやつよりも劣らない、優れたものなんだよ」そう言い刀身を鞘から出した。灰色の光が夜の中に光る。「かっこいいですよ」勝介の背中は寒くなった。博物館にあるものも、この刀もただの鉄だなと思った。

 拓郎は剣を振って勝介に見せた後また倉庫に戻した。うちは武士の子孫だったんだよ。嬉しそう刀を振り上げて、地面に向かって勢いよく下ろす。子供っぽいところがある人だ、と勝介は拓郎を身近に感じた。勝介は部屋に戻るとすぐに眠ってしまった。

 

 2

 

 朝が来た。勝介は理央からの電話で起床した。寝ぼけた頭では理央の話が頭に入ってこない。電話が切られた後、また眠ろうと横になったが名前が呼ばれ朝食の席に着いた。茉祐香は仕事らしく作業着を着ている。朝食を済ませまた勝介はやることがなくなった。子供のことは虫取りや川遊びで時間は過ぎたが、この行事も今年限りかもしれないと勝介は感じていた。

 静香がドアの向こうから「何もお構いできなくてごめんね、することがないならうろついてきてね」「わかりました」勝介は子ども扱いに恥ずかしくなってしまい、歩いて駅まで出た。駅の周りには何もない。勝介は電車に揺られ岡山市に出て、昼食を食べ、家族に頼まれたきびだんごを買いうろついて足と気持ちが疲れたが、思うように時間が経ってくれない。勝介はまた電車で石川家の最寄り駅へ帰り、ゆっくり歩いていると彼の視界に石川静香の後ろ姿が入った。パート終わりというにはまだ早い時間だ。静香が帰路とは違う方向に進み始める。勝介は立ち止まり、常識に反するものの、退屈だから仕方ないと自分を納得させて、静香の背中を追う。数分進み静香は大きい民家のチャイムを鳴らした。中から壮年の男性が出てきて彼女は入口をくぐった。

 勝介は石川家に帰宅した。拓郎がリビングで仕事をしている。子供の頃の記憶よりもだいぶ太い。拓郎は振り返り「お帰り、犬うるさくてごめんね」と勝介に詫びて続ける。「ねえ、お父さんお母さんから話聞いてる?」

 拓郎は事業で成功し波に乗り、人手を探しているものの知らない人を雇うより知っている顔と仕事をしたい。なので勝介に仕事を手伝ってほしいと彼の両親に頼んでいた。勝介もその話に乗り気だった。

「はい、少し」

 拓郎は勝介の隣の椅子に座った。家に居ながらできるからと拓郎はパソコンの画面を見せ、仕事を進めている。勝介は今、居酒屋でアルバイトをしている。

「なんでか、茉祐香が手伝ってくれないんだよ、今の工場で十分だからって」

拓郎は何度か事業を興していた。このビジネスは三番目にあたる。岡山の裕福な家庭で育てられた拓郎にとって廃業は痛くないが、嫁と娘からすればまたいつ潰れるかわからないと敬遠されている。勝介は日本刀を振り回す、子供じみた拓郎を思い返した。

「すごい簡単、こんないい仕事ないよ」

 勝介は誰か帰ってこないかと期待した。茉祐香は工場だが、静香はあの家にいるはずだ。勝介はパソコンに向かう拓郎の下世話な笑顔を見て、静香の苦しみを察した。

「アルバイトは考えておきます」

 勝介は部屋に戻った。

 

 3

 

 勝介が扉を叩く音で目が覚めた。茉祐香が扉を開けて「おはよう、ごはんだよ」と勝介に話している。リビングに降りると食卓にパソコンを広げている拓郎がいる。静香と茉祐香は何も言わない。

 夕食はたこめしだった。そういえば来る都度、たこめしを食べていると勝介は気付いた。

「食べ終わったら、仕事教えるよ」

 拓郎が勝介に話す。することもないので「はい」と勝介は返事をした。

 夕食が終わり勝介は拓郎の横に座り指導を受けた。難しい仕事ではなさそうだが、勝介は仕事を断る理由を考えながら拓郎の話を聞いていた。

「どう、パソコン持ってるなら家で簡単にできるけど」

「いや、実は今、居酒屋で働いてて、辞めてからになるかもしれません」

 拓郎は口を開く。

「じゃ、辞めたら教えて」

「わかりました」

 拓郎の視線は画面に戻った。勝介は部屋に戻ると真由香が来て、

「ごめんね、お父さんが」

「え、何が」

 真由香は廊下に座った。白い足が短パンから露出されていてる。

「まあ、いいや」

 真由香は雑談を始めた。勝介は茉祐香の気遣いを感じた。髪が濡れている。薄い上着に下着が透けている。勝介が三度目の視線を脚にやった時、

「もうそろそろ寝るね、じゃあ」

 と唐突に帰って行った。勝介は布団に寝た。大きい鯛を三匹捌いた後、素潜りをして海へびを突く夢を見た。

 

 4

 

 蝉が鳴いている。拓郎は玄関に犬を連れ込んであやしている。勝介はおはようございますと拓郎に挨拶をすると犬が吠えだした。「こいつもおはようってさ」拓郎は少年の笑顔で応えた。

 今日も静香さんはパートらしい。俺は何故ここにいるんだろうと勝介は朝食を食べながら考えた。食べ終わった時、おそらく拓郎さんが俺を強く仕事に勧誘するためだなと勝介は思った。室内でも暑く、机に腕を置くと汗で貼り付く。

 静香がパートで出て行くと、拓郎は勝介を誘い、また仕事を教え始めたが、一時間たち疲れたのか拓郎は立ち上がり、勝介を散策に誘う。勝介は誘いに乗った。玄関から出ても犬は吠えない。眠っていた。

 拓郎は勝介を連れコンビニエンスストアへ入り、アイスを買い与えた。勝介はコンビニの前でアイスキャンディーを食べながら、川遊びの後もこうして冷たいものを食べたなと思い返していた。拓郎が煙草を吸い始めた。勝介はアイスを舐めながら拓郎の隣に立っている。拓郎がたばこの先を灰皿に付ける。勝介は何気なしに灰皿を覗き込むと、羽虫の死骸がその中に捨てられているのを見てしまい、気持ち悪くなりアイスを食べる手を止めた。拓郎が一本目のたばこを吸い終わる時、勝介が手に持つアイスは溶けだし液体になり、木の棒を伝い彼の手に流れ着く。勝介はアイスを足元に落とした。「手、洗っておいで」拓郎の勧めのまま勝介はコンビニのトイレで手を洗って出ると、拓郎の姿が無い。

 勝介は通りまで出て、拓郎の姿を探すと道の向こうを見ている。何かと思い勝介は後ろから「どうしたんです?」と拓郎に声を掛けた。

「静香が男と歩いてる」

 拓郎の頭には白髪が目立つ。上着のシャツは長く着ているのかくたくたで、彼の老齢を示しているようだ。勝介に見えるのはあの壮年の男性と静香だった。

 二人は静香と男性を見送ることしかできなかった。拓郎はまた灰皿によりだまって喫煙をした。勝介その横で黙って下を向き、足元のアスファルトを見ていた。

 

5

 

 その日の夜、夕食を済ませた後、勝介は静香に「ごめんね、うちの人が変な仕事押し付けようとしちゃって。たぶん、もうすぐ飽きるからバイトは期待しないで」と耳打ちをした。勝介は曖昧に返事をした。すると玄関から拓郎が「勝ちゃん、おいで」と聞こえる。俺はなにをやっているのだろう。子供の頃みたいに川で遊んで、バーベキューをして、夜は花火をしたい。勝介は玄関に向かった。犬が吠えるので拓郎が諭した。拓郎は勝介を倉庫へいざなった。

「俺の仕事、どう思う?正直言って」

「どういうことですか?」

 拓郎は倉庫の扉を開けた。この中に花火でも入っていないだろうか。拓郎は少年に戻りたかった。

「いや、だめだと言っているだろ、俺以外の二人は」

 勝介が返事をしないでいると、倉庫から刀を取り出した。勝介は後ずさり「ちょっと、やめてくださいよ」と小さい声で言った。勝介の脳には指からしたたる血と、血まみれのまな板の映像が現れている。

「ただ素振りをするだけだ」

 拓郎は鞘から刀を抜いた。刀身は前に見た時よりも輝いて勝介の目に映った。拓郎は刀身を振り上げた。そして勢いをつけ下ろした。空を切る音がする。勝介は拓郎の底意地を感じた。

「俺みたいなやつはどこにでもいる。たまに、自分の人生が他人のものに思えるんだ。そういう時こうして素振りをして自分の気持ちを落ち着けるんだ」

 拓郎は素振りを続けた。二十回振ったところで息が上がり切り、刀を鞘に戻して勝介に差し出した。勝介はそれを持った。

「その刀はうちの先祖が、悪さをしたやつを切るために使ったんだ。正義を示すために人を切ったものなんだよ、その刀は」

 勝介は背中に寒気を感じ、拓郎にそれを返そうとしたが、拓郎が「素振りしてみなさい」と指示する。

「嫌ですよ、怖いですよ」

 勝介は剣を足元に置くと、拓郎はそんな粗末に扱うなと注意し、それを拾い上げ刀身を鞘から出す。

「俺は家族のために生きてるんだ」

拓郎はまた素振りを始めた。勝介は明日に帰れると自分自身をなだめて、拓郎の素振りを見ていた。

「何してるのよ」

 茉祐香が居る。裸足にスニーカーを履いている。拓郎は素振りを止めて日本刀を鞘にしまった。茉祐香が拓郎に近寄り刀を取り上げた。

「これ模造刀なんだよね?」

 茉祐香は刀身を十センチ鞘から晒して眺めた。側面に添えようと人差し指を近づけると、「待って」と拓郎が制止し茉祐香に近寄り刀を取り上げた。

「それ、大丈夫なんだよね」

 茉祐香は不安を隠しきれていない。拓郎は茉祐香に背を向け倉庫に向かった。

「私、もう知らない」

 茉祐香も去って行く。勝介は拓郎を待とうか迷い、茉祐香の背中を追った。

 

 6

 

 最後の日、朝食後にスイカが出た。勝介は塩をかけて食べた。蝉が鳴いている。勝介は最後の日をどう使うか考えていたが、殊勝な事柄は思いつかず、歩いて川にでも行こうかと考えていると茉祐香が「今日あたし休みになったの、だからまた出かけよう」と笑顔で声を掛けた。

 まだ八時にもならないのに、二人は連れ立って家を出た。勝介が玄関から出ると犬が吠えるので、茉祐香が犬の前にしゃがみ込み、鼻を撫で黙らせている。背中に下着の跡が出ている。勝介は茉祐香の背中から目を逸らし空を見た。絵画みたいな入道雲がある。勝介は胸の内に思い出された少年の頃の気持ちを見逃さなかった。

「どうしてももっくんお散歩に行きたいみたい、連れて行っていい?」

 朝お父さんが連れて行ってたのに、と茉祐香は付け足した。勝介は「いいよ」と返事をした。もっくんの毛に覆われている腹。勝介は達郎がフライドチキンをこの犬にやっている場面に出くわしたことがあった。あの腹は脂で出来ている。勝介はこの犬の腹に刀を刺して、魚を捌くみたいに開けばきれいな脂が溢れるだろうと想像していた。

 進み、コンクリートで出来ていた道は砂道に変わっている。もっくんが先を歩いている。道の周りを固めている雑草から虫が飛び出すと、もっくんがそれに飛び掛かった。茉祐香はリードを放した。もっくんが虫を追いかけたが見失ったようで戻ってきた。勝介はよくなついている犬だと感心した。バイクの音が聞こえた。

「最近、よく暴走族がこの辺りに出るの」

 茉祐香は作業靴ではなくスニーカーを履いている。

「うるさくて困るわよ」

 勝介は音の方を向いたが、暴走族が見えないので「遠くに居るのかね?」と小さく言うと、茉祐香が、

「お父さん、昔暴走族だったってこの前おかあさんに聞いちゃった。」

 茉祐香は呼吸を荒くして舌を出しているもっくんを見ている。犬が止まり、後ろを歩く勝介の方を見た。黒い瞳がじっと勝介の目を捉えている。茉祐香が、

「この子、いったい何考えてるんだろうね」

 そう言い、しゃがんでもっくんの頭を撫でた。勝介にはまたバイクの音が聞こえていた。

2020年12月18日公開

© 2020 麦倉尚

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