妊婦

麦倉尚

小説

10,404文字

今年の夏に書きました。養豚所の話です。最後まで読んでみてください。よろしくお願いします

1

 

 豚肉を焼いて塩をかけ、ごはんに乗せれば豚丼。久住はそれを食ったが予想した味とは違うので、塩を追加してみたがやはり思い描いた味にならない。食べ終えて食器を台所に置いて眠った。朝が来ると久住は服を着替えてアルバイトに出た。台所の食器には塩がこびりついている。

 久住は朝のラッシュ時に人を電車に押し込む仕事をしている。汗を流し、人を押し込んで勤務が終わったのは朝の九時半で、久住はその後大学へ向かい、講義を受けた後、スーパーで豚肉を買い帰宅した。朝に豚丼を盛った皿を洗った。

 どうすれば豚丼はうまくなるのか。久住は考え、ネットでレシピを探して良さそうなものを見つけ、その通りに作ってみたが何か違う。正直に言ってまずい。レシピの通りに作ったのに。

 久住は皿を洗いながら明日は学食で豚丼を食べ、自分の作ったものと何が違うのが研究することにした。皿に付いた汚れを洗い流し終わり、久住は身体の疲れと共に床へ伏せて眠り込んだ。久住は日頃夢を見ない。

 次の朝、久住は着替え職場(駅)へ行き列車へ人を押し込んだ。人間は柔軟性があるのか、これ以上入らなさそうに見えても、押し込めば電車の内に収まる。しかし今回は違い、中から「痛い」という女性の声が聞こえた。久住は聞こえなかったことにしようか迷ったが手を挙げ、緊急事態のサインを出すと隣の扉に人を押し込んでいた吉川という男が走り寄ってきた。

「どうした?」

「痛いって声が聞こえました」

 吉川は列車の中に、

「大丈夫ですか?」

 と大きい声をかけたが返事は帰ってこない。

「聞き間違いじゃないの?」

 遅れるとまずいから出発させちゃおう。吉川は車掌へ向かいサインをだした。扉が閉まり電車が走っていく。久住は服の縁で頬の汗を拭った。

「大丈夫だって、気のせい」

 吉川は久住にそう声をかけて持ち場に戻っていった。

 仕事を終えた久住は汚い藻のような気持ちを抱え、大学に向かい講義を受けた。ゼミで越智にバイトでの話をすると、足が踏まれて痛かったんじゃないの?そうだとしたら電車止める程でもないし、おまえのせいでもないよ。と返事が返ってきた。久住はその意見に納得でき、その後すかっとした気持ちで過ごせた。

 学食へ向かい豚丼を購入した。豚肉を口に含みスローペースで咀嚼し、舌に神経を集中させ味わったが、学食ではどうしてもクオリティが低いようで参考になりそうにない。きつい塩の味で安い豚肉の風味をごまかしている。久住はそれを食べ終わると帰路に着いた。

 スーパーに向かい精肉のコーナーで豚肉を選んで、レジのおばさんに「よくこのスーパーをご利用なさるなら、ポイントカード作った方がお得ですよ」と勧められ、久住はカードを作った。

 家に帰りそのカードを眺め、俺が豚肉を買うたびにこのカードにはポイントが貯まる、そう考えると久住は楽しくなってしまった。豚肉ポイント。俺は豚肉ポイントをこのカードに貯める。久住はキッチンへ移動し豚丼を作り始めた。レシピは信用せず自分の直感で調理した。すると不味い。やはり不味い。久住は我慢してどんぶりを空にし、それを台所で洗った後眠りについた。

 

 2

 

 駅のホームは大混雑だ。久住は走り去る満員列車を眺めた。久住は声をかけられて振り返ると、老婆が定期更新のことを聞くが、彼は彼女が何を話しているのかよく理解できなかったため、ご案内コーナーへいざなった。老婆が頭を下げて礼を言うので久住も頭を下げた。彼の心には充実が現れていた。

 久光がご案内コーナーを出て持ち場に戻ると吉川が、

「今日、雨でお客さんいらいらしてるな」

 そう久住に話すので、

「そうだね」

 久住の生返事は乗客の雑踏がかき消した。列車が来て人々が乗り込んで行く。誰もがいらいらしている。久住はいつも通りはみ出ている乗客の背中を押し込むと、「痛い」と明確に聞こえてしまった。声の主は久住が背中を押している女性だ。その女性は顔だけ振り返り、久住を睨みつけて電車から出た。久住はその人にびびりながら車掌にサインを出し、電車の扉が閉まり出発した。

 久住はいらだっている女性に隣り合い、次の電車を待つことになってしまった。久住は彼女の表情を横目で確認した。確実に怒っている。久住は周りを見渡した。神社の看板、病院の広告、時刻表、久住は背中をつつかれて振り返った。さっきの老婆がいる。

「さっきはありがとう、これ」

 老婆は飴をくれた。久住がそれを受け取ると老婆は歩んで行く。久住は封を開け飴を口に含んだ。塩の味がする飴だった。遠くから音がして電車がきた。扉が開くといらだっている女性は電車に乗り込んで、久住からは見えなくなった。久住ははみ出している大柄な男性を押し込んだ。力の加減を調節した。乗客が中に収まり扉が閉まり、電車が走り去る。久住は肩で息をして汗を拭った。そのときに手の震えに気付いた。

 仕事が終わり着替えた。支給されたシャツに汗の跡ができている。それをロッカーに投げ込んで大学へ向かった。

 久住は三時間目の講義で中国の歴史を少し知り、昼休みに学食に向かうと混んでいる、湿気ており不快なのでそこを去り大学を出た。昼を食べる店を捜して歩き、見つけたのは豚丼五〇〇円の看板で、久住はその前に立って豚丼五〇〇円の文字をしばらく眺め、店に入り豚丼を注文すると一分経たないうちに器が久住の前に置かれた。

 味わって食べよと久住は頭の中で自らに言い聞かせ、箸を持ち豚肉を米から持ち上げて観察した。いつも食べている一般的な豚肉だろうが、脂が照っている。店内は薄暗いが肉は脂で光る。久住はそれを口に運び歯と舌で味わうと、なんか、うまいと思えた。学食の豚丼、自作の豚丼とは違うのかもしれないと久住は思い、食べ進めるとやはり味が断然にうまい。一心不乱に食に集中している久住。食べ終わり五〇〇円払うとき、こんなにうまいものがたった五〇〇円でいいのかと店員の顔色をうかがったが、ひげの生えた壮年の男性は、笑顔を崩さずに料金を受け取り、

「ありがとうごさいました」

 と頭を下げていた。頭頂部が薄くなっていた。

 久住は店を出て大学で講義を受けながら、さっきの店をスマホで検索すると、食べログがヒットしたので開いた。めぼしいことは書いていない。その後久住は眠り、講義が終わる頃に起き、トイレで顔を洗い大学を出てまたあの店に向かったが、外から眺めただけで久住は足早に駅へ向かった。

 電車に乗り三駅で自宅からの最寄り駅に着いた。久住は顔を下に向けて改札を通り過ぎ、振り返り知っている顔が駅員室にないか確認したが誰も中にいない。

 久住はスーパーに闖入し、やはり精肉コーナーの前に向かう。いつも手に取る安い肉ではなく、少しだけ値の張る商品を手に取り、眺めると、その肉の輝きが、昼に食った豚肉と似ているように見えたので購入し、自宅に帰り颯爽と調理した。いい感じいい感じ。彼の耳には排気口の音が小さく聞こえている。いつもは盛りつけにこだわらないが、さっき豚肉とともに購入したレモンとパセリを肉の側に添えた。

 これだと久住は感動した。肉の照る脂、付け合わせのレモンとパセリ、これがおいしいなんだ。久住は箸を手に取り、豚丼を口に運んでいる。自分でおいしいを作れた久住は、これまで感じたことのない達成感を胸の内に感じ取っていた。

 食べ終わり久住は台所で食器を丁寧に洗い、パソコンの前で一息着いて、何もすることがないと気付いてしまい空しくなり、寝ころび、電灯に手をかざしてみた。やはり、ただ空しいのみだった。布団に移動して横になり、久住はいつのまにか眠ってしまっていた。

 

 3

 

 大学に着くと隣に西野という男が座ってきた。ゼミ室の空調がいつもうるさいのは、北一号館が古いからだろう。久住は西野の顔を見ず正面を見ながら話を聞いたが、内容が頭に入ってこないので西野の顔を見た。こんな顔だったかこいつは。久住はまつげ、二重瞼、鼻筋を重点的に見ていると、

「何、そんな見て」

 久住は歯の裏を舐めた。

「なんか、知ってる顔と違ってて」

 西野は顔を触った。空調の音が大きい。

「何も変わってないと思うけどなあ」

 久住は西野の顎を見た。ドアが開いて教授が入室し、クーラーの温度を下げてより音が大きくなった。

「じゃあ始めましょうか」

 エアコンの吐き出す音が教授の小さい声をかき消し、何も聞こえない。ただ、誰も話を聞いていないので問題にはならなく、九十分経つと講義が終わり、解放された。西野が、

「昼行こうよ」

 と誘うので後を着くと校門を出た。

「どこ行くの?」

「いい店見つけたんだよ」

 彼は商店街を歩いて入り組んだ道に入り、着いた店はラーメン屋で、久住はすでに行ったことがあった。

「ここ、いい店なんだよ」

 西野は心底この店を気に入ってるらしく、笑顔でそう言った。久住はここの伸びた麺のことを忘れて店に入り、カウンターの奥の席に座った。たばこを吸っている男がいた。この店は分煙でも禁煙でもないらしい。

「おすすめ、これ。ラーメン屋だけどこのチャーシュー丼が旨いんだよ」

 西野が勝手にチャーシュー丼二つと頼んだ。久住はメニューを眺め、ラーメンはまずくても他のメニューはいい味なのかもしれないと期待を創り出し、西野の横顔を見た。やはり顔が変わっている。やせたのか太ったのか、中肉中背だった記憶の中の西野は、今で同じく一般的な体型だ。なら整形か。西野はそんなに美にこだわりがある男と思えない。肩掛けのかばんにシャツとジーンズの容貌は、どこにでもいるださい青年だ。

 チャーシュー丼が来たので二人は食べ始めた。うまいうまいと久住は西野よりも早く食べ終わり、彼が食べ終わるまではやはり、西野の横顔を見ていた。

 店を出て、チャーシューを買って帰ろうと久住は決心した。西野が口を開いた。

「なあ、やっぱ気が付いた?」

「え、何が」

 久住は自分でも白々しいと感じた。空には雲が浮かんでいる。白い大きい入道雲が。

「いや、実は、ほくろとったんだ。それだけ」

 目は?鼻は?久住はまた西野の顔を見た。

「ここなんだ、あっただろ、目立つほくろ」

 西野は右耳のみみたぶの付け根を指さしている。

「気になってて、まあ触れないでくれよ」

 またなぁと手を拭り、西野は去っていった。久住は電車に乗り、下宿に戻ってシャワーを浴びて、空いた午後をどう使おうか久住は画策したが、何をしてもいいとなれば何をする気にもなれず、布団に寝ころんで少し眠り、起きてテレビを付けると映画が放送されている。天井からぶら下がった牛肉の間を主人公が歩いて、ここで働きたいと太った男に言う。豚肉もあんな風に冷凍されぶら下がっているのか、久住はテレビを消して立ち上がり、窓を開けて部屋を換気した。空が暗い、雨が降るのか。

 日涼みはビニール傘を持ちスーパーへ向かった。蝉が鳴いていて湿気がものすごい。

 店内の空調が久住の気持ちを起きあがらせた。彼は精肉コーナーには向かわずに、ハム等、加工肉が陳列してある一角へ向かい、捜すのはチャーシューだったが見つからないので諦めて、出来合いの弁当を買った。

 久住はレジ袋に買った弁当を入れながら店外を眺めた。雨が降り始めていたが、音がしない。小雨だろうか。久住は暗くなったガラスに反射する、自分の顔を眺めた。何かさっぱりしないのは髭をそっていないからだろう、久住は顎の周りを触り、堅くとがった髭の感触を手の平で感じ、またガラスに映る自分の顔を見た。西野はなぜ、人からすれば気にならないほくろを取ったのだろう。俺が西野の顔から感じた違和感は、ほくろの有無と関係ないと久住は確信していた。もっと別の、根本的な部分だ。

 久住は家に帰ると髭を剃った後、弁当を食べ始めた。その時、自分の生活がすごく空しいものに思えてしまった。彼は食べ進め、空になった弁当がらを水で流したのち、傘を差して外を歩いた。空しさの埋め合わせに。

 ふらふらしていると公園に着き、足を踏み入れ園内を歩くと一体に花が植えてあるエリアに行き着いたので、久住はなんとなく花弁を眺めていた。地面がぐしゃぐしゃで泥はねが久住のズボンにあるが、本人は気付いていない。久住は腰を屈め花の中をのぞき込むように、顔を花弁に近づけている。

「お花、きれいでしょ」

 久住に話しかけたのは、彼がホームで案内所まで手を引いた老婆だ。叫び声が聞こえると思い、振り返ったが音の正体は視界には無い。その音が小さくなり、久住はバイクの発する音と思い至った。老婆にはその音が聞こえていないのか、音には無反応で花を見つめている。

「このお花、私の知り合いが植えたのよ」

 老婆の話が始まった。雨がやんだ。久住は長い間、老婆の知り合いの話を聞いていた。

 

 4

 

 久住は空しさから脱却するために一生懸命働いて、腹いっぱい豚丼とチャーシュー丼を食うという目標を掲げ、意気揚々、アルバイトへ向かった。

 久住は客を押し込んで仕事を終えた。ロッカールームで吉川が、

「今日張り切ってたな、なんで」

 久住は照り返す豚丼と分厚いチャーシューを思い浮かべていた。

「いや、なんでも、今日雨降ってないし」

 久住は職場を後にして大学へ向かい、講義を受けながらアルバイトを捜した。早朝に魚をさばく、時給千四百五十円。鮮魚市場で愉快な仲間と働こう!今しているアルバイトの時間とかぶるので却下、フリーターさん活躍中!カンタン品だしアルバイト!時給一〇〇〇円、時給が安いので却下。しっくりくる仕事はないのものだ、久住が顔を上げると教授と目があった。教授の方から目を逸らして生徒たちに背を向け、ホワイトボードに板書を始めた。ドイツの歴史、レジュメを見ると虐殺された人の死体が載っていたので裏返した。養豚所で働きませんか?時給一六〇〇円、一日働くとなんと一〇〇〇〇円オーバー!久住は電話番号を控え、講義が終わると学舎の外で電話をかけた。久住は採用され、次の土曜に自然が豊かな地域に行くことになった。

 久住は家に帰る途中、レンタルビデオ店の旧作一週間八〇円の広告に惹かれ、店に入った。中を歩き回り、ネットでみれるものばかりだと思うと借りる気がなくなってしまい、建物を出ようと足を出入り口に向けたとき、養豚所のドキュメンタリーを見つけ、手にとった。ケースを眺めると笑顔で豚を捌く女性が写っている。久住はそれをレンタルし、家に帰りパソコンでそれを見ようとしたが、パソコンがそのディスクを読み込んでくれない。久住は深いため息を吐いた。一人しか居ない部屋にその音が響く。久住は立ち上がり、キッチンへ向かいお菓子を取り出してむさぼり食って、腹が膨れると眠くなったので、布団に潜った。

 

 5

 

 今日は電車のアルバイトがない。久住は曇り空の下を歩きレンタルビデオ店へ向かい、養豚所のDVDを返却して、店内をうろつき十八禁コーナーを探したがこの店には無いらしく、動物のコーナーでペンギンの生活を記録したドキュメンタリーを借りた。家に帰りパソコンでDVDを再生しよう読み込ませようとした時、あの養豚所のものが観られないならこれも無理と思いつき、落胆し、久住は座り込んでしまった。

 ツマラン生活だ。久住は自分の脚に生えた、黒い毛を観察しながら自らの暮らしぶりを思い返した。胸の奥が縮んだ。養豚所で豚の世話をすれば、俺は今から脱却できるのだろうか、できるだろうと言い聞かせ、彼は週末のアルバイトに向けて気持ちを整えた。

 久住は風呂に入り、シャンプーで頭を洗いながら鏡に反射する顔を見ていると、右頬の下部にほくろがあると気付いた。久住は顔を鏡に近づけて、じっくりそのほくろを観てみた。必要だとは思えないが、無くても困らない。久住は洗顔石鹸を手に取り、泡立てて顔を洗った。

 鼻の横を洗った後、目の回り、でこ、こめかみ、頬、顎、耳の裏、首、その後、首に手をまわしてゆっくり動かして、目を閉じたまま蛇口をひねるとシャワーから出る冷水が彼にかかった。久住は立ち上がり水を避けた。

 息が上がっている久住は、また鏡に反射する自分の顔を見て、ほくろを取る整形手術を受ければ何か変わるかも知れないと思い付き、湯船に浸かった。

 西野も俺みたいに物足りなさを感じていたから整形手術を受けたのだろうか。ただ、ほくろをとったぐらいで生活が変わるとは思えない。久住は湯船に頭まで浸かり、目を開けてみるとぼやけた視界が新鮮だ。三秒程度で目を閉じて、真っ暗い世界に戻ると胸が苦しくなり、顔を空間にあげて呼吸をした。西野はきっと、小学生のプール以降、水の中で目を開いたことはないだろう。やつにはこんな新鮮味が生活になかったから、意味のない整形手術を受けた。そうに違いない。

 風呂から上がった久住はほくろ除去手術の値段を調べると、意外と安価で驚いた。久住はどうせなら目や鼻も、と調べると価格はほくろに比べて格段に高い。駅と養豚所でがんばると久住は心に決め、その日は眠ってしまった。

 

 6

 

 養豚所の最寄り駅まで久住を迎えに来たミニバンはきれいに磨かれていて、白いボディに汚れがない。久住はそれの後部座席に乗り込んで、挨拶をすると運転手が話し始めた。いろいろ話したが要約すると時給は高いし、みんな優しいから次も来てくれ、だった。「何か、日ごとは身体動かしてるの?」「いえ」「じゃあ、ちょっときついかも知れないけど、慣れるから」久住が電車のバイトの話をするか迷っていると車が止まった。運転手が降りるので久住も続いて車を出ると、生い茂る緑の中に細長い舎がある。運転手(のちに岩満と判明するので以下「岩満」と記す)が扉を開くとごみのようなにおいで吐き気がした。

「大丈夫、すぐ慣れる、みんな最初はそうなるから」

 岩満は久住の背中を叩いてそう励ました。胃から上がってくる酸が久住の食道を痛めつけている。突然豚が鳴き始めた。久住が顔を上げて舎を見渡すと暗く、豚の鳴き声、においと相乗し地獄のように思えた。

 岩満が業務用扇風機を動かし始めた。「豚さん達新しい人来て喜んでるみたいよ」豚は鳴きやみそうにない。岩満は長いスコップを持ち出して久住へ手渡し、「付いてきて」と指示した。岩満の背中には汗のしみが出来ていて、久住はそれを見ながら舎を進んでいく。

 岩満が作業を始めた。久住も見よう見まねで仕事に取りかかり、気が付けば昼だ。

「一時間、自由にしてて。昼は持って来たよね?」久住は鞄に入ったパンを思い「はい」と答えた。「食堂こっち」案内された場所は会議机の置かれた離れだった。久住はそこでパンを食い、余った時間はテレビを見た。久住は時間が来ると舎に移動した。午後の仕事も似たような内容だった。

 予定よりも十分早めに終わり、久住は岩満の運転する車で駅まで連れられた。

「お疲れさま。これ、貰って」

 岩満が差し出している袋を受け取った久住。

「うちで作ってるチャーシュー、気にせず食べて」

 気にせず。久住はありがとうございますと返事をして、駅へ向かう。少し進んで振り返るとすでに車はなかった。

 家に帰った久住は渡された袋を見ると、お手製のチャーシューが入っていった。久住はそれを暖め、器に盛ったごはんの上に置いて気にせず食べた。久住は養豚所で見た、尻を振るみたいに歩くピンク色の豚のようすを頭に思い描いたが、目の前のチャーシューとは何の関係のないものに感じたので抵抗無く食べられた。

 

7

 

 朝になり起き、顔を鏡で眺めほくろを確認したが、この前風呂場で見たときよりも目立たない、というか多分、元々全く目立たない、人からすればどうでもいいものだったのだろう。鼻も目も今のままで問題ない。整形はやめだ。久住はバイト着に着替え、道にでるとさっぱり晴れている。梅雨が明けたらしい。

 久住は駅に着き仕事を始め、人よりも豚の方が扱いやすいなとか考えていると、いつの間にか時間が経って仕事が終わった。彼は大学へ向かいゼミに出ると、西野が河喜多というかわいらしい女の子と隣り合って座っているので、久住は西野を遠巻きに眺められる席に座った。彼の無くなったほくろがどこだったか顔を凝視したが、やはりどこに在ったのかわからない。

「おはよう」

 西野が久住の方向を見て挨拶をした。河喜多はスマホを眺めている。

「おはよう」

 会話は続かない。久住はスマホを取り出して教授を待った。

 授業が終わると久住は教室から逃げ出し、大学の正門をくぐり、あの豚丼を食べに向かうと店の前に列が出来ている。久住が最後尾に着けると前の男女二人連れが雑誌を持って、楽しそうに笑い合っていた。どうやら雑誌で紹介されたらしい。久住は並び始めて三十分して店へ入り、豚丼を注文すると一分で来た。旨い。店内に笑い声が聞こえる。豚丼は旨い。もんくない。久住は大満足で店を出て大学で講義を受けた。韓国の歴史は初めて習った気がした。九十分経って久住は大学の最寄り駅へ向かい、そこから養豚所へ近い駅に移動し、改札を出ると岩満のバンが彼を待っている。

 久住は車に揺られ養豚所に着いた。久住は豚に夕食を与え、一通り掃除をした後にまた岩満の車に乗った。岩満は久住にチャーシューを与えた。こうしてチャーシューが貰えるのなら、西野と行ったチャーシュー丼が旨い店はもういかなくてもいいかと久住は考えていると、知っている演歌がラジオから流れ始めたので耳を澄ませた。

 駅に着き二人は別れの挨拶をした。久住を降ろした車は素早く養豚所へ帰って行った。久住は電車に乗り込み自宅の最寄り駅に到着すると、体と心にまだ余裕があったのでこのまま返るのは惜しいと思い、彼は駅前を散策し、DVDありますというピンク色の看板を見つけたので店に入った。

 予想通り卑猥なDVDが売られている店だった。整形手術費用問題、チャーシュー食う金がない問題が解決された今、久住の財布は潤ったのも同然だ。彼は適当な棚の前に立ち、目をつむって手を伸ばした。そこにあったのは妊婦のビデオだった。久住はパッケージの裏表を見て葛藤し、レジに向かいそれを購入した。

 家に着き中身を出して、反射するディスクに写る自分の顔を見て、思い出したのは再生されなかった養豚所のDVDだ。彼は封の開いたパッケージを見た。三千円したこの妊婦さんが乱れる動画を見ることができないのか、俺は。久住はパソコンを開き、ディスクをセットして読み込ませると再生が始まった。よかった。彼は何となく部屋を見渡してから、流れている映像に集中した。

 射精した後、久住は寝転び、背中で床の硬さを確認すると、パッケージを持ち上げて妊婦の腹を見た。特殊メイクだろうか、本物だろうか。久住はDVDをパソコンから取り出して、パッケージへ戻し本棚の隙間にそれを置いた。眠気が頭にある。

 布団に入り込み眠ろうとするが、なかなか睡眠に入れなく思考が巡り出す。西野はなんで、ほくろをとったんだったけ、気にし過ぎたから?つまり誰がどうじゃなくて、西野自身がほくろばかりに気を取られたから、やつは顔にメスを入れた。馬鹿馬鹿しい話だ。でも世の中なんでもそんなものか、結局何もかも自分次第か。乗客の背中を押して痛がられようが、俺は自分の仕事をした結果なんだから怒られる義理はない、客は俺じゃなくて仕事の指示をした会社に怒るべきだ。あの老婆の話に出てきた、キヨシという男は味噌を作る会社に勤めていたらしい。味噌造りは体力が要るんだよ~、味噌は重いからね、それに、キヨシさんの作った味噌は旨いよ。すごく。花を上手く植える以外にも味噌も作れる、キヨシはいい男だよ~。あの老婆はキヨシさんと上手くやっているのだろうか。きっと飴をキヨシにも手渡すのだろう、その時お互いの手が触れて、心が通い合う。雨はもうしばらく降らない。梅雨が明けたから。今年はからっとした暑さの中で鳴く蝉の声に耳を傾けて、自然を楽しみたい。俺は、養豚所で働いてどうなりたいのだろう。岩満さんがくれるチャーシューは旨いが、それをもらう為に豚の飼育をしているわけではない。元々、あの旨い豚丼、チャーシュー丼を何杯食べても問題ない程度の金を得るためだったはずだ。しかし今は流行ってしまった豚丼に執着していない。チャーシューは貰える、チャーシュー丼ももういい。あの尻を振って進むピンクの豚達。尻、ピンク、豚。知夏子は楽しくやっているだろうか、元気ならいいのだが、変な奴に騙されていなければいいが。久住は陰茎を触り始めた。驚くほどに硬直している陰茎を擦る久住。豚、知夏子、豚、豚丼、チャーシュー丼、豚、養豚所、岩満さん、岩満さん、岩満さんの眼鏡、岩満さんの出っ張った腹、岩満さんの背中の汗、豚、豚、久住の勃起は収まっていた。虚しいなあ。虚しいよ。目が冴えている。俺は、目が冴えている。ピンクの豚、豚はピンク、ピンクの豚、豚丼、豚丼、豚、豚、豚、豚、豚。ピンクの豚、知夏子、知夏子、また勃起する久住の陰茎、久住は起き上がり、DVDを本棚から取り出して、パッケージを見ると妊婦、豚、ピンクの豚、知夏子。久住は射精した。とても疲れている久住は、布団に入り込むとすぐに眠ってしまった。

 

 次の朝、久住は寝ぐせのひどさに驚いた。仕方なくシャワーを浴びて髪の毛を乾かして、整髪料を付けバイト着を着衣し、家を出た。蝉の声が乾いた夏空に響く、爽やかだ、爽やかだ、爽やかだ。

 駅に着いてバイトが始まった。蝉の声を聴きながら仕事をすると、心軽く乗客を押し込める。なんだかとってもいい感じ。久住は特急を見送った後、次の電車を待つ時間にピンク色の服を着た、背の低い妊婦を見つけた。肉付きがいい。ピンクの豚。久住は電車がくるまで、そのピンクの豚の後ろ姿を眺めていた。

2020年12月26日公開

© 2020 麦倉尚

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