踊ってばかりの国

応募作品

諏訪靖彦

小説

21,679文字

日本列島を襲った未曽有の大災害と前後して、出自によってヒエラルキーがつくられた。皇統と同じY染色体ハプログループを持つものは「皇別」、皇統と祖を同じくするハプログループを持つものは「神別」、それ以外は「諸蕃」とされ、諸蕃は差別と偏見の中で生きることを強いられた。分断された近未来の日本で、諸蕃で構成されたパルチザン「トライ戦線」が分断前の世界を取り戻すため、皇統を断絶すべく皇嗣暗殺を目論む。

天皇が危篤となり日本国民が令和時代の終わりを肌で感じ始めたころ、皇室典範改正の機運が高まった。旧宮家の皇族復帰である。常陸宮ひたちのみや正仁まさひと親王、秋篠宮あきしののみや文仁ふみひと親王は既に逝去、秋篠宮悠仁ひさひと親王も成人を迎える前に早逝していた。天皇以外の皇族に男子が一人もいなくなったのである。令和天皇は女性宮家の創設、女性天皇の即位及び女系天皇制の確立を強く望んでいたとされるが、当時の内閣は天皇の気持ちを国民に伝えることなく、事実上無視した形で、令和天皇が崩御する前に敬宮としのみや愛子あいこ内親王を一代限りの天皇として即位させ、在位中に臣籍降下した旧宮家から適当であると判断された者を皇族に復帰させる皇室典範の改正に踏み切った。
女性天皇は認めるが女系天皇は認めないとする皇室典範の改正は一部から猛烈な反対の声が上がったが、当時の日本を覆っていた空気は、霞のような保守主義であり、その正体は、たとえ形だけであっても二千年間受け継がれてきた伝統を捨てれば、国家のアイデンティティが失われてしまうのではないかという漠然とした危機感であった。日本人の拠り所としての男系継承存続を声高々に訴える者もいたが、多くの国民はなんとなく、漠然と、積極的ではないにせよ旧宮家の皇族復帰に賛成した。そんな靄のような、霧のような、霞のような空気に希釈され、女系天皇を認めるべきだとの声は次第に影をひそめていった。
旧宮家を皇族復帰させるにあたり、宮内庁が調べたのは天皇の「Y染色体ハプログループ」である。Y染色体パプログループとはY染色体系統樹に沿った分岐の分類マーカーであり、変異が生じなければ父親から息子にそのままの形で引き継がれる。よって皇室に復帰し宮家を創設する男子のY染色体ハプログループは天皇と同じものでなければならない。しかし、戦後臣籍降下した旧宮家出身の男子であったとしても、天皇と同じY染色体ハプログループをもっていると断定することは出来なかった。それは、表向き男系で繋がっているとされていても、妻による不貞が無かったとはいえないからである。
宮内庁は天皇のY染色体ハプログループをもとに、旧宮家男子のY染色体ハプログループの照合を行った。合わせてミトコンドリアゲノムのハプログループも調査されたが、万世一系の男系であるとされる皇室にとって、女系継承されるミトコンドリアゲノムのハプログループに意味があるとはいえず、上皇后、皇后などの外から入った女性皇族の出自に興味を持った一部の研究員の好奇によって調査された。
天皇と旧宮家男子のY染色体ハプログループの照合は宮内庁により極秘裏に行われたが、調査を進める中で思わぬ出来事が起こった。のちに「列島分断の始まり」と語り継がれる事件である。天皇のY染色体ハプログループが外部に漏れた。天皇のものとされるY染色体ハプログループは変異間隔から分岐時期を調べる、いわゆる分子時計によって導き出された約一五〇〇年前に一人の男子から拡散したとされるもので、それは日本人男性の二〇パーセント程度に見られるものであり、それが政治利用されることになった。天皇と同じY染色体ハプログループでなくとも、縄文時代から日本にいる天皇と同じ枝から派生したY染色体ハプログループであれば日本人であり、大陸から数千年前に渡来したとされるY染色体ハプログループは日本人にあらずと言った言説が公然と交わされるようになる。天皇と同じY染色体ハプログループを持つものは「皇別こうべつ」、皇室と祖を同じくする枝から派生したY染色体ハプログループを持つものは「神別しんべつ」、それは以外のY染色体ハプログループを持つものは「諸蕃しょばん」とされた。そして諸蕃は「ばん」と揶揄されることになる。
Y染色体ハプログループはただのマーカーである。Y染色体の中に形質や知能、運動能力を司る遺伝子は見つかっていない。生殖の為だけに存在すると考えられているY染色体の一部マーカーを使って日本列島でヒエラルキーが作られたのである。女系継承されるミトコンドリアゲノムにはそれらの遺伝子が含まれていたが、Y染色体のような区別は行われなかった。朝鮮半島、中国北東部とさして変わらないミトコンドリアゲノムハプログループ分布が、Y染色体原理主義を牽引していた民族主義者たちにとって都合が悪かったからである。また、性染色体に比べ遥かに多くの遺伝子を持ち、ヒトの形質、知能を司る常染色体も一切考慮されなかった。民族間の遺伝距離を測るのに適したSNPsを使った主成分分析では、国内の地域差よりも韓国との遺伝距離の方が近い場合が多々見受けられたからである。
当然、一つの性で起こった分断はもう一つの性に波及する。諸蕃を夫に持つもの、子供が諸蕃のものも同様に諸蕃として扱われた。それは離婚して夫の配偶者から外れても、諸蕃の子供の親権を元夫や他人に委譲しても続いた。男子を産んだことのある女性は胎児の細胞が自身の身体に移動、出産後も自己免疫によって排除されずに残ることがある。マイクロキメリズムと呼ばれるこの現象によって、一度でも諸蕃の男児を産んだものは諸蕃のY染色体を体内に有している可能性が有り諸蕃として扱われた。また、一度でも体内に精子を取り込んだことのある女性の中でもY染色体が残る事例が幾つか見つかり、男性によるY染色体差別を冷ややかに見ていた未婚女性たちも、しだいに性交相手や結婚相手を皇別や神別から選ぶようになっていった。

 薄汚れたバラック小屋の、錆によって茶色く変色したトタン扉の隙間からテレビの音声が漏れ聞こえる。「列島分断」が起こってから三〇年後、諸蕃は列島各地で三〇〇を超えるコミュニティを作っていた。いや、作らざるを得なかった。諸蕃がまっとうな職に就けることはなくなり、都心に住む諸蕃の人間は諸蕃部落近くに作られたゴミ処理施から金目のものを拾い集めたり、時折現れる日雇い斡旋による肉体労働で小銭を稼いだ。違法薬物の売買で生計を立てるものもいた。ここ埼玉県川口市西川口駅西口周辺もそんな諸蕃部落の一つだった。
分断当初、皇別、神別のY染色体ハプログループを持った日本人男性は四割弱であったが、裕福な諸蕃の多くが差別されるのを嫌い海外移住したことにより諸蕃の人数が減少、さらに敬宮愛子内親王が天皇に即位した翌年、日本列島を巨大地震が襲った。神奈川県沖を震源とする地震を起点に、駿河トラフ、南海トラフ、日本海溝プレートが相次いで連鎖、太平洋沿いの地震観測地点すべてで震度計の許容量を超える激しい揺れを計測した。震度七にも耐えうるとされていた首都圏の高層ビルは想定していた規模をはるかに超える揺れに耐えきれず軒並み倒壊、沿岸部の都市は津波に呑まれ消え去った。内陸部では富士山をはじめとするフォッサマグナ沿いの活火山が一斉に噴火、溶岩流、火砕流、土石流に多くの都市が飲み込まれた。未曽有の大災害は列島に大きな傷跡を残し、誰しもが一〇年や二〇年では震災前の状態に戻ることは出来ないと考えていた。そこで政府が推し進めたのが選別的震災復興である。
政府は諸蕃に対して十分な手を差し伸べず、皇別、神別に手厚い保護を行う震災復興を行った。結果、皇別、神別が日本男性の九割を超えるほどになり、僅か数パーセントにまで落ち込んだ諸蕃は日本社会の外に追いやられた。震災前から諸蕃の占める割合が大きかった川口市は震災によって壊滅的な被害を受けたが、満足な復興支援を受けることができず、市内にいた皇別や神別は他の地域に移住した。他の諸蕃部落の成り立ちもおおよそ似たようなものである。

――……午後二時一五分ごろ、社会福祉法人「ひかりの葉」主催「全国緑化大祭」式典に出席されていた治仁はるひと皇太子殿下が、記念植樹中に狙撃されました。宮内省より正式な発表はまだないものの、複数の情報筋によると何者かが放った弾丸が皇太子殿下の頭部を打ち抜き、皇太子殿下は薨御されたとのことです。犯行声明は確認できておりませんが、二月十一日、宮内省病院より皇太子妃綾子あやこ殿下に抱えられ、初めてお姿を見せられたご夫妻の第一子、芳仁よしひと親王殿下を射殺した反政府組織「トライ戦線」によるものと思われます。トライ戦線は次々と皇族を……――

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2020年10月4日公開

© 2020 諏訪靖彦

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