リトル・マーメイド

応募作品

諏訪靖彦

小説

3,961文字

2020年9月合評会参加作品。お題は「まぼろしの魚」

 
――埼玉県警は21日、秩父市三峰に住む小学四年生の女児、有賀ありが絵瑠える(10)ちゃんが19日の夕方から行方不明になっていると発表した。県警は誘拐の可能性も視野に入れ捜査を行っている。絵瑠ちゃんは身長135センチ前後のやせ型、腰まである長い髪、失踪当時、白いカットソーに緑色のスカートを履いていたと思われ、県警は広く情報提供を呼び掛けている。生活安全課によると絵瑠ちゃんが最後に確認されたのは学校が終わった15時過ぎ、一人で家に帰る絵瑠ちゃんを同級生が目撃していた。同級生によると絵瑠ちゃんは……――
 
 児玉こだま宗介そうすけはソファーに横になりながら、朝刊の地方欄に載っている小四女児行方不明事件の記事を読んでいた。一通り読み終え、そろそろ連絡があってもいいころだろうとガラステーブルの上に置いたスマホに目を向ける。と、同時にスマホがジージーと震えだした。児玉はソファーから立ち上がるとテーブルまで歩いて行きスマホを手に取る。ディスプレイには山口やまぐち剛志つよしと表示されていた。児玉は軽く息をついてから通話ボタンを押した。
「よお、児玉、また人魚が上がったんだ。海に返しに行ってくれないか?」
 電話を取ると山口の甲高い声が聞こえてきた。それを聞いて児玉は相手に聞こえるようにため息をついた。
「あのな、山口、今年に入って何度目だ? あまり派手にやって捕まっても知らんぞ。警察はそんなに無能じゃない。それにこのペースでこなしていると過去の行方不明事件と結び付けられる可能性が有る」
「もっと早く連絡するつもりだったんだけど予定が狂ったんだ。でもお前ならいつものようにうまくやってくれるよな?」
 山口が悪びれずに言った。すぐに児玉が言い返す。
「マスコミに報道されてから海に返すのは面倒なんだよ。それまでは警察の動きだけ注意していればいいが、報道されてからだとすべての人間に注意を向けなくてはならない」
 電話口の向こうでザザと不快なノイズが混ざる。児玉と同じように山口も電話口にため息を吐きかけたようだ。
「説教はあとで聞くから、とにかく今すぐ来てくれよ」
「仕方ないな……、それでお前は今どこにいる? 人魚と一緒か?」
「ああ、そうだ」
 児玉は山口の居場所を聞いて電話を切った。人魚を海に返すには色々と手間がかかる。人魚の髪の毛や体液、皮膚片が車内に落ちないようにするために厚手の死体袋が必要だし、人魚を乗せる場所にビニールシートを敷かなければならない。人魚を車に載せたあとには現場の清掃が不可欠で、特殊清掃用具で現場に残った人魚や山口がいた痕跡を消す必要がある。勿論、清掃時には靴跡一つ、髪の毛一本残してはいけないから、シューカバーやヘアカバー、マスクを着用して作業することになる。
 児玉はソファーの背に掛けたジャケットを羽織りリビングルームから出て行く。玄関に向かう途中、脱衣所の端で洗濯機を回していた妻、靖子やすこに声を掛けられた。
「あれ? 宗ちゃん、今日は休みじゃないの?」
 児玉は靖子に振り向き肩を落とす。
「それが、出勤しなきゃいけなくなったんだよ」
「ええぇ、今日は宗ちゃんが綾香あやかの面倒を見る日じゃない。あの子はまだ一人で留守番できる歳じゃないんだから。それに夕飯の支度も宗ちゃんの番でしょ」
 靖子はそう言って頬を膨らます。その仕草からそれほど怒っているわけではなさそうだ。
「わるいな、急な仕事が入ったんだ。いつものように帰って来るのは明け方近くになるから、夕飯の支度も出来そうにない」
 靖子は暫し児玉を見つめたあと、頷いた。
「そう、だったらしょうがないね。私もこれから仕事だから、綾香の面倒はお義母さんに見てもらうことにする。ねえ、宗ちゃん、宗ちゃんの仕事は宗ちゃんにしかできない大切な仕事なんだからしっかりね」
 そう言って靖子は微笑んだ。児玉も靖子に笑みを返しから「そうだな」と言って玄関に向かって歩いて行った。
 
 児玉が運転する黒いハイエースが雑草の生い茂った廃工場の敷地内に入っていくと、駐車場の先、道路から死角になる場所に一台の軽自動車が停まっていた。児玉はゆっくりと軽自動車に近づいて行く。すると軽自動車の向かいの建物、閉じられたシャッターの隅に備え付けられたドアが開いた。そして中から山口が姿を現す。山口は車の中の児玉にニッと笑いかけたあと、直ぐにドアを閉めて建物の中に戻って行った。児玉は山口が姿を見せたドアにハイエースを横付けしてから降車し、後部座席から死体袋を取り出して建物の中に入って行った。
 建物の中に入った瞬間、ムワっとする血の匂いが児玉の鼻を突いた。100平米ほどある建物の中心には、梁から延びる鎖で繋がれた大きな金属製のフックが垂れ下がり、そのフックに右足を括りつけられ上下逆さまの状態で全裸の少女が吊るされていた。少女の指先から滴る真っ赤な液体がピタンピタンとコンクリートの床に落ちて大きな血だまりを作っている。建物上部に並んだ窓から入って来る日の光が、鬱血した少女の顔を照らし、弛緩した口元から流れ出る粘度の高い唾液がテラテラと光って見えた。
「こりゃまた派手にやったな」
 児玉は隣に立つ山口に視線を向けることなく言った。
「一日で終える予定だったけど、三日に分けた方が撮れ高も多いだろ? だから今朝までカメラを回し続けていたんだ。素材は多ければ多いほど金になるからな」
「本当に撮れ高のことを考えていたのか?」
 山口を見るとニタニタと笑うばかりで言葉を返さない。
「まあいい、さっさと人魚を運ぶぞ」
 児玉がそう言うと山口は少女に向かって歩いて行く。山口は血だまりの横で腰を落とし、太いケーブルが繋がった黄色い長方形の制御装置のようなものを手に取った。そこには緑色と赤色のボタンが付いている。山口が赤色のボタンを押すと、ジャラジャラと鎖が擦れる音を立てながら少女を吊るしたフックが床に向けて動きだした。
「おい、山口、何やってんだよ。そのままでいい、人魚を動かすな」
 山口はボタンから手を放して児玉に振り返った。
「どうしてだよ。吊るしたままだと運べないだろ」
 児玉は山口の言葉を無視して山口のもとに歩いて行く。吊るされた少女の隣で腰を落として右手に持った死体袋上部のファスナーをジリジリと押し広げた。
「このまま人魚を死体袋の中に入れる。血だまりの中に下ろして汚れたらあとがめんどうだ」
 児玉は少女の両手を広げた死体袋に入れると、そのまま少女を包み込むように死体袋を持ち上げた。フックに繋がれた足先まで死体袋を押し上げてから児玉は山口に声を掛けた。
「人魚の肩を抱え込むように持っていろ。フックに繋がれた右足を外すから」
「わかった」
 山口の靴が少女の作った血だまりを踏んでパシャンと音がした。
 
 児玉は廃工場で少女が二日半、山口に嬲られた痕跡を消したあと、山口と別れて人魚を積んだハイエースで一人山道を走っていた。ハートコア・ポルノ制作現場の殆どは人里離れた場所にある。逃げ出されないため、大声を出しても周辺住人に気付かれないようにするためだ。今回も例の漏れず、山口が少女を拉致監禁したのが秩父の山中であったため、Nシステムが稼働している幹線道路を通らずに移動することが出来た。
 児玉は山口がなぜあの子を選んだのか、何をされて人魚になったのかには興味がない。吊るされたことにより鬱血してパンパンに膨れ上がった顔からは想像できないが、きっと顧客が求める容姿だったのだろう。しかし、それらは自分の仕事とは関係ない。人魚を無事海に返すことだけ考えて仕事をこなさなくてはならない。
 秩父の廃工場から山道を通り群馬県を抜けて新潟県柏崎市に出る。廃工場で山口と別れてから既に4時間、深夜1時を過ぎている。秩父から海に出るには日本海より東京湾に向かった方が早いが、監視カメラが張り巡らされている都心を走るのは避けたかった。また、東京湾に放流するとなると、たとえ深夜だとしても人に見られる可能性が有る。
 児玉は市街を避け海岸線を北上、柏崎原発手間にある漁港内の堤防にハイエースを横付けした。ペンライトを片手に運転席のドアを開けて外に出ると、湿った潮風の匂いがした。児玉は大きく息を吸い吐き出したあと、ハイエースのスライドドアを開けて座席の下に積んだ死体袋を車外に出した。
 ペンライトの灯りに照らされ、コンクリートの上に横たわるビニール製の死体袋は、上部がつぶれ中ほどから膨らんでいる。大人用の死体袋に少女を入れたためだ。児玉は死体袋を掴み海とコンクリートを隔てた堤防の端まで引きずって移動する。そしてファスナーを広げ少女の顔を露出させてから死体袋の下部を掴んで持ち上げた。少女はするりと死体袋から離れて海に向かって落ちて行く。ザブンと大きな音がしたあと、児玉はペンライトを海面に向ける。飛沫と波紋が収束した海面の下に少女の両足が見えた。そしてゆっくりと海の底に沈んでいく。
 児玉は少女が見えなくなったあともペンライトで海面を照らし続けた。光につられて小魚が寄って来る。小魚を求めて大きな魚も寄って来る。その様子を眺めていると、底の方から黒くひらひらと揺れる黒い塊が海面に向かって浮上してきた。
 海面がせり上がり姿を表したのは人魚だった。人魚は両腕を上げて大きく伸びをしたあと、ほっそりとした顔に張り付いた長い髪の毛を耳にかける。海面から覗くふくらみのない胸には白い貝殻が二つ張り付いている。人魚は堤防に立つ児玉に気が付くと視線をよこし、児玉もまた人魚を見つめ返す。言葉を交わさないまま見つめ合ったのち、人魚は児玉に背を向けて細かい鱗に覆われた緑色の足びれを大きく動かした。パシャンと水面を叩く音と共に水しぶきが児玉に降りかかる。人魚は児玉に振り返り「ふふふ」といたずらっぽく笑った。
 児玉も人魚に笑みを返した。
  
 

(了)

2020年9月13日公開

© 2020 諏訪靖彦

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"リトル・マーメイド"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2020-09-24 19:03

    児玉は「仕事」と言っていますが、何かしらの報酬をもらっているわけでもないようで、また山口に弱みを握られているわけでもなく、頼まれたら断れないというお人よしの性格だとするのもなんだか彼の性格としては合っていないような気もして、彼は何かしらの感情を押し殺している、あるいは単純に何も感じていないのではないかと思いました。靖子に笑みを返した時と、人魚に笑みを返した時とでは、何かしらの違いがあるのかなと思いました。

  • 投稿者 | 2020-09-25 14:32

    ホアンさんの皇室ネタ、諏訪(靖)さんのペドネタが破滅派合評の二大定番になりつつあるので、ぼくも風俗ネタで3本目の柱を狙っていきたいです

  • 投稿者 | 2020-09-25 14:47

    淡々とグロが続いた先の最終段だけ異質で、この落差に読者が何を感じるかというのが肝ですかね。私はドロドロの毒スープの上澄みをすくって一口飲んだような感じがしました。

  • 投稿者 | 2020-09-25 21:42

    児玉の体の動きや車の移動の描写が丁寧で映像のように浮かびました。最後の人魚の笑みには、それまでの犯罪やグロ描写を全部包み込んで蓋をするような印象を受けました。

  • 投稿者 | 2020-09-26 13:00

    「少女」「人魚」「死体袋」が執拗なほど厳密に使い分けされていて、児玉の仕事の中では惨殺死体が本当に人魚であることが分かります。児玉がそれを心から信じているのかどうかに興味をそそられましたが、結局、分からずに終わりました。古戯都十全さんがうまい言い方をしておられますが、人魚のほほ笑みは、感情を見せず正確に淡々と仕事をこなした児玉自身が見た昇華映像なんだろうなと思いました。

  • 編集者 | 2020-09-26 15:59

    赤い蝋燭の話みたいになるのだろうかと思いつつ読んだが、家族と言い撮影風景と言い最後と言い、淡々としているのが、慣れを感じさせる。人魚の笑みが何を意味しているのか、読み手に委ねさせているのだろうか。

  • 投稿者 | 2020-09-26 18:44

    最初は児玉の主観の中だけで死体処理を人魚の放流として倫理的に納得しているのだと思ったが、読み返したら山口のセリフにもちゃんと人魚が出てくる。単なる二人の間の隠語なのか、幼女が本当に人魚に生まれ変わっているのか、読み手に解釈の余地を与えている点がいい。

  • 投稿者 | 2020-09-26 22:53

    「また人魚が上がったんだ。海に返しに行ってくれないか?」のところでいきなり引き込まれた感がありました。
    正直読後感はかなり様々な感情(嫌悪感や、神秘性など)が入り交じっていて、一言で表すのは難しいところです。

  • 投稿者 | 2020-09-27 21:12

    物語の開き方(ニュースを聞いている児玉が携帯を手にとって会話を始める)がとてもスムーズで、かつ世界観の説明にもなっており美しいなと思いました。映画みたい。
    私は物語や登場人物に必然性を求めがちなのですが、そういう意味では児玉が山口と一緒に死体を遺棄する必然性を感じられなかったのがもどかしかったです。

  • 投稿者 | 2020-09-28 12:19

    冒頭のニュースと、吊るされた人魚の残骸、最後上がってきた人魚。全部一緒なのかはたまた違うのか?そわそわしました。

  • 投稿者 | 2020-09-28 18:34

    好きな発想です。「まぼろしの魚」でこれが出てくるのがすごいですね。
    私も確かに、児玉がなぜ死体を海に遺棄してやるのか? それが仕事なのか? 奥さんは理解しているのか? 等疑問が浮かびました。
    最後の美しい人魚は児玉のまぼろしなのか。そこも含めて「まぼろしの魚」というテーマに添えているように思えました。

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