密室バラバラちくわぶ付き死体の問題

短編ノナグラム(第9話)

諏訪靖彦

小説

13,046文字

「ちくわぶアンソロ」参加作品

 
 アパホテル新宿歌舞伎町タワー店の清掃員、榎本芳江えのもとよしえは洗濯物を入れるカーゴを304号室のドアわきに停め、ドアノブに「清掃不要」のタグが掛かっていないことを確認してからカードキーをかざしてドアを開けた。僅かな気圧差により部屋から廊下に流れ出した空気の中に僅かに異臭が混ざっている。それは腐敗した魚と鉄さびが混じり合った臭い、所謂血の匂いに似ていた。芳江は廊下側に顔を向け大きく息を吸うと、嫌な予感を覚えながら部屋の中へと入って行った。バスルームを右手にベッドルームに向かうと、壁に沿って設置されたシングルベッドに目を向ける。ベッドカバーやシーツに乱れはなく、昨日芳江がベッドメイキングしたままの状態に見える。芳江は次にベッドの向かいに設置されたスツール付きデスクに目を向けた。デスクの上には財布やスマホ、カードキーやコンビニ袋が乱雑に置かれている。芳江はその中から臭いの発生源となりそうなコンビニ袋を開いて中を覗き込んだ。茶色のコンビニ袋の中には食べかけのおでんが入ったプラスチック製の容器が入っている。しかし容器に顔を近づけるも出汁の匂いはするが、部屋を覆う不快な臭いとは違う。芳江はおでん容器から顔を上げて辺りを見渡す。キャリーバッグが開いた状態でベッドサイドに転がっていたが、それが部屋全体を覆うひどい臭いの発生源だとは思えない。この耐え難い臭いの発生源がベッドルームにないとするとバスルームしかない。芳江はベッドルームを出てバスルームに向かった。バスルームのドアの前に立つと、ドアの向こうから「サー」といった水が流れる音が聞こえてきた。芳江は高鳴る鼓動を鎮めるために大きく息を吸う。そして、そっとバスルームのドアを開けた。
 
――出題編――
 
「今説明したのが、榎本芳江が死体を発見したときの状況です。トイレの蓋の上に頭部が置かれ、浴槽には胸骨を中心に二つに切断、さらに上部と下部に切断され四等分になった胴体が横たわっていました。胃や腸などの消化器官が傷つけられていたことにより酷い臭いを放っていたようです。四肢は手首、肘、肩、足首、膝、足の付け根、それぞれの関節に沿って切断されており、浴槽の周りに散らばっていました。首の線条痕から死因は絞殺、死後解体されたものと思われます。死亡推定時刻は昨日昼の十二時から深夜十二時の間、解体されていたこと、消化器官の内容物が流れ出していたこと、シャワーの水に当てられていたことから死亡推定時刻に幅があります。死亡推定時刻を分かり難くするために死体を解体したのか、バラバラにして死体をホテルから持ち去ろうとしたのか、他の理由があったのかは不明です」
 山岸健吾やまぎしけんご巡査がホワイトボードに十七分割された被害者の死体写真を貼ると、健吾を取り囲むように立っていた他の刑事からうめき声が漏れた。
「写真はいい。それより被害者の身元を説明しろ」
 立花陽介たちばなようすけ警部補が健吾を睨みつけて言った。捜査一課の刑事はその性質上、他部署に比べて上背があるものが配属されがちだが、立花は他の刑事に比べ二回りほど背が低い。しかし体格は良く威圧感がある。低い位置から発せられた立花の声は人垣の下を這い、タイルカーペットを震わせながら健吾の耳に届いた。健吾は小さく息を吸い込むと、立花に視線を返して口を動かす。
「お言葉ですが主任、死体の下腹部をよく見てください。被害者は男性なので、このピンク色の物体が陰茎に見えるかもしれませんが……」
 健吾は左手に持ったA4サイズの封筒の中から一枚の写真を取り出し、ホワイトボードに貼り付けた。
「これがその部分を拡大した写真です」
 写真には出汁と血液を十分に吸って膨張したちくわぶが、死体の下腹部からだらりと垂れさがっていた。
「ちくわぶか?」
「ええ、ちくわぶです。死体から陰茎が切り取られ、代わりにちくわぶが添えられていました。陰茎はバスルームの中はもちろん、男が泊まっていた部屋から発見されていません」
 そう言って健吾は自分を取り囲む刑事を見渡した。各々、ちくわぶの写真を見つめて思考を巡らせている様子だが、それに対して意見を言うものはいない。暫しの沈黙のあと、雛席から健吾の説明を聞いていた吉田正友よしだまさとも係長が声を上げた。
「この件について意見のあるものがいなければ、被害者の身元説明に移ってください」
 健吾は吉田係長に体を向け大きな声で「はい」と言ったあと、ホワイトボードに向き直って説明を続けた。
「被害者の名前はエメーリャエンコ・モロゾフ、四十二歳。白系ロシア人です。職業は風俗ライターで日本の風俗を世界に紹介するサイトを運営していました。被害者は五日前から日本に滞在し、アパホテル新宿歌舞伎町タワー店を拠点として新宿歌舞伎町の風俗取材を行っていたようです。被害者は昨日朝九時十五分にホテルを出て、ホテルには夜十時には戻っていた模様です。日中何をしていたかは現在……」
 立花が「ちょっと待て」と言って健吾の説明を遮った。
「戻っていた模様ってのはなんだ? ホテルの監視カメラを確認すれば被害者の正確な帰宅時間を確認できるだろ」
「それが、昨日の昼過ぎから夜十二時まで、ホテルの監視システムがシャットダウンしていました」
「なんだと? そんな都合よく監視カメラが壊れるのか?」
「それが都合よく壊れていたんです。ねえ、」
 そう言って健吾は天井に目を向けた。つられて立花も顔を上げる。立花は暫しの間、天井を見つめてからコクリと頷いた。そして健吾に向き直る。
「まあ、そういう事情なら仕方がない。続けろ」
「はい。それで、被害者が夜十時までに部屋に戻っていた根拠ですが、部屋に残された被害者のスマホ通信記録から昨夜十時に箱ヘル兼デリヘル店『どんとすっぷみーらぶ』に被害者が電話をしていることが分かりました。被害者がデリヘルを呼んだのであれば、自ら部屋を開けたことになるので密室ではなくなります。また、監視カメラが復旧した深夜十二時から死体が発見された翌朝九時までに被害者を訪れたものはいないと確認が取れています。現在判明していることは以上です」
 話し終えると健吾は吉田係長を見た。吉田係長は大きく息を吐いてから眼鏡を薬指で押し上げる。
「立花警部補と山岸巡査は『どんとすっぷみーらぶ』への聞き込みを、他の者は手分けして周辺地域の聞き込みと被害者の交友関係を洗ってください」
 健吾を取り囲んでいた刑事全員が吉田係長に体を向け、大きく返事をした。
 

2020年3月5日公開

作品集『短編ノナグラム』最終話 (全9話)

短編ノナグラム

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© 2020 諏訪靖彦

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