精神のなんとか

諏訪靖彦

小説

4,024文字

『精神のなんとか』参加作品。
ジュブナイル・マインド・コア・ホラー・ジャスト・ファクツ・エメーリャエンコ・モロゾフ。

僅かに開いた窓から入って来る秋の風が、窓際の席で本を読んでいる男子の黄金色の髪の毛を撫でる。眉の上でウェーブのかかった毛先が、風に合わせて踊っているように見えた。

阿久津義明あくつよしあきは夏休みに入って直ぐに自転車事故に遭い、夏休みの殆どを病院で過ごした。退院してからも自宅療養が続き、登校できたのは二学期が始まって暫く経ってからだった。左腕をギプスで固定し登校してくると、クラスに知らない男子がいた。

給食が終わり五時間目までの休み時間、四年二組の生徒の殆どはグラウンドに出て遊んでいたが、阿久津はケガをしているため外には出ず、教室で本を読んで時間をつぶしていた。しかし、転校生が気になって本の内容に集中できない。阿久津は本に栞を挟んで閉じると、転校生の席に向かって歩いて行った。

「何を読んでるの?」

阿久津が声を掛けると、金髪の男子は本から目を上げ振り返る。

「えっと……」

「ああ、僕は阿久津、阿久津義明。君の名前は?」

金髪の男子は目じりを下げてニッコリと笑った。

「僕はエメーリャエンコ・モロゾフ。今学期から転校してきたんだ。それで、何を聞かれたんだっけ……、ああ、読んでる本だったね。今読んでるはエンデの『はてしない物語』だよ」

阿久津はエンデの名も『はてしない物語』も知らなかった。ケガをしてから本を読むようになったが、国内作家の子供向け小説ばかり読んでいたので、海外作家と聞くだけで難しい本だと思ってしまう。

「ふーん、難しいのを読んでるんだね。外人だから外国の本を読んでるの?」

「別に難しくないよ。この本は子供向けのファンタジー小説なんだ。それと、外国人というのは関係ない。作者はドイツ人で元々はドイツ語で書かれた本だけど、読んでるのは日本語訳だよ。僕はドイツ語の読み書きなんて出来ないからね」

そう言ってモロゾフは目を細めた。阿久津は何気なく口を突いて出た外人という言葉が、モロゾフを不快にさせてしまったことを悔いたが、直ぐにモロゾフは目じりを下げた。それを見て阿久津も頬を緩める。

「ごめんね。外人なんて言って」

「ううん、別にいいよ、慣れてるから。それより阿久津君は本が好きなの?」

「好きって程じゃないけど、暇つぶしに読んでる感じかな。本当は外で遊びたいけどこんな腕だから暫く運動できないんだ」

そう言って阿久津はギプスで固められた左腕を持ち上げた。

「もしよかったらこの本を読んでみない? 凄く面白い本なんだ。暇つぶしなんかじゃなくて、本を読むのが楽しみになるよ」

阿久津は「ふーん」と言いながら机の上に置かれた本の表紙に目を向ける。乗り気ではなかったが、転校生が進めてくれた本だ。むげに断ることはできない。

「エメ、エメーリャ……」

モロゾフは「フフッ」と鼻から息を吐き出して笑った。

「僕の名前は言いにくいよね。モロゾフでいいよ」

「えっと、じゃあ、モロゾフ君。モロゾフ君はこの本を僕に貸していいの? 読んでる途中じゃない?」

「僕は何度も読んでるからいいんだ。何度も読むくらい面白いよ」

そう言ってモロゾフは『はてしない物語』を阿久津に手渡した。

 

 

翌日の朝、阿久津は教室の扉を開けるなり、そのままモロゾフの席に向かった。ランドセルから『はてしない物語』を取り出してモロゾフの机に置く。モロゾフは窓の外に向けていた目を阿久津が差し出した本に落としてから首を傾け、机のわきに立つ阿久津を見た。

「これ、すごく面白かったよ。昨日家に帰ってから読み始めたんだけど、ご飯とお風呂に入る時以外ずっと読んでたよ。切りの良いところで、ここから先は明日の楽しみに取っておこうなんて思って本を置くんだけど、続きが気になって最後まで読んじゃった。これって下巻もあるよね? モロゾフ君、持ってる?」

興奮気味にしゃべる阿久津を見てモロゾフは微笑む。

「もう全部読んじゃったの? すごいね」

「うん。だってすっごく面白いんだもん。下巻を持ってたら貸してくれないかな?」

モロゾフは「そうだなあ」と呟いてから言葉を続ける。

「だったら今日の放課後うちに遊びに来る? 今は持ってないけど、家にあるから貸してあげるよ。他にも沢山本があるから、気に入ったのがあれば貸してあげる」

阿久津は顔をほころばせた。

「いいの? 行くよ、絶対行く。ありがとう、モロゾフ君」

「いや、僕の方こそありがとう。転校してきてからなかなか友達が出来なくて寂しかったんだ。本が好きな友達が出来て僕も嬉しいよ」

阿久津はモロゾフに「じゃあ、またあとで」と言って自席に戻った。ランドセルから教科書を出して机の中に入れていると、前の席に座る近藤正樹こんどうまさきが小声で話しかけてきた。近藤は噂好きの男子で、真偽を確かめずに面白そうな噂を触れ回る癖がある。

「あんまりモロゾフに近づかない方がいいよ」

「え、なんで?」

近藤の声量に合わせて阿久津も声をかすれさせて言った。

「よっちゃんが来てないだろ? 阿久津は休んでたから知らないだろうけど、よっちゃんはもうずっと学校に来てないんだ。行方不明になったとか、心の病気になったとか、大きなケガをしたとか色々言われてるけど、その原因はモロゾフにあるって噂だよ。モロゾフの家に遊びに行った次の日から学校に来なくなったって」

阿久津はよっちゃんの席に目を向ける。確かによっちゃんの姿はない。しかし、モロゾフの家に遊びに行っただけで、モロゾフが原因とは飛躍すぎではないか。阿久津は近藤に向き直り言った。

「それはモロゾフ君が外人だから?」

近藤は「いや……」と言葉を濁し前に向き直った。阿久津はモロゾフの席に目を向ける。するとモロゾフと目が合った。阿久津が微笑むとモロゾフも微笑んだ。

 

 

学校から歩いて十五分弱、隣町との境にモロゾフの家はあった。家というより屋敷に近い。二階建ての洋館で、くすんだ緑色の屋根から突き出た二つの大きなドーマーが阿久津たちを見下ろしている。学区内にこんな建物があったとは知らなかったが、実際にあるのだから気が付かなかっただけだろう。

鉄製の大きな門扉をくぐり屋敷の正面まで歩いていく。玄関扉の前まで来ると、モロゾフはポケットから鍵を取り出し鍵穴に挿し込んだ。

「誰もいないの?」

「うん。両親とも働いてるからね」

乾いた開錠音のあと、「さあ、どうぞ。入ったら二階に上がってね」と言ってモロゾフが玄関の扉を開ける。阿久津は家の中に足を踏み入れた。玄関ホールは縦三メートル横四メートル程の広さがあり、入口正面に置かれた絨毯を挟んで、二階へと続く階段が伸びている。玄関ホールの両サイドには部屋があり、階段の両脇は通路になってるようだ。

「大きな家だね、モロゾフ君はお金持ちなの?」

阿久津はきょろきょろと辺りを見渡しながら階段を上って行くと、阿久津の後ろからモロゾフが言った。

「お金持ちじゃないよ。たまたまお父さんの親戚がこの家の持ち主で、貸してもらってるだけなんだ。ああ、階段を上ったら階段を回り込むように左に曲がって突き当りが僕の部屋だよ。先に入ってくれていいよ」

二階に上がった阿久津は踊り場に出て向きを変えると、右手にある部屋を抜けて突き当りまで歩いて行く。そしてモロゾフの部屋の扉を開いた。窓から入って来る日差しで部屋の中は明るい。六畳ほどの部屋の左手奥、大きな窓のそばに勉強机が置かれ、勉強机の向かいには壁を覆う大きく背の高い本棚が二つ並んでいる。部屋の中心には木製のローテーブルが置かれていた。

「ランドセルは適当に置いてね」

遅れて部屋に入って来たモロゾフがそう言われ、阿久津は「うん」と言って床にランドセルを置いた。モロゾフは自分のランドセルを勉強机の上に置いてから「座って待ってて。飲み物を取って来るから」と言って部屋を出て行った。

阿久津はテーブルの横に腰を下ろして本棚を眺める。すると作者順に並べられた本棚の中にエンデの名を見つけた。阿久津は立ち上がって本棚に近づく。そしてエンデの著書の中から『はてしない物語』の下巻を抜き取った。

「カサッ……」

本の表紙を捲ろうとしたとき、衣擦れのような音が聞こえた。阿久津は振り返り部屋の中を見渡す。しかし部屋に変化はみられない。部屋の扉に目を向けてもモロゾフが帰ってきた様子はなかった。

「カサッ……」

阿久津は本棚に目を向ける。どうやら音は本棚の隙間から聞こえてくるようだ。阿久津は恐る恐る抜き取った本の隙間に右目を押し当てた。

本棚の先に部屋があった。阿久津がいる部屋と対称構造の部屋が本棚の先に広がっている。その部屋の中央で、ローテーブルの横に腰を下ろして本を読んでいる少年がいた。ページを捲るたびに「カサッ」と音がする。暫しその様子を眺めていると、少年は阿久津の視線に気づいたのか、本に栞を挟み首を回して阿久津に振り向いた。

その少年は阿久津自身だった。左腕にギプスをはめた阿久津が、自分と寸分たがわぬ姿の阿久津自身が、じっと阿久津を見つめている。本棚を間に挟み数秒間見つめ合ったあと、本棚の先の阿久津が口を開いた。

「ここから出してよ……」

阿久津は叫び声を上げた。

 

 

「……ちゃん、大丈夫?」

阿久津が目を開けると、母親が阿久津を見下ろしていた。阿久津は母親に向けた視線の先で、真っ白なカーテンが風に揺れているのを見て、ここが病室であることを理解した。

「大丈夫だよ。身体が痛むとかじゃないから」

「またいつもの夢?」

「うん、すっごく嫌な夢。でも先生は動けるようになったら見なくなるだろうって言ってたから平気だよ」

「ならいいけど……あ、そうそう、今日も友達が遊びに来てくれてるよ。毎日来てくれるなんて、いい友達を見つけたわね」

そう言って阿久津の母親がカーテンを引く。ベッドの横にエメーリャエンコ・モロゾフが立っていた。モロゾフは阿久津を見ると笑顔で言った。

「よっちゃん、『はてしない物語』の下巻を持ってきたよ」

 

(了)

2020年1月20日公開

© 2020 諏訪靖彦

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