アイアムアヒーロー

応募作品

諏訪靖彦

小説

4,549文字

2020年5月合評会参加作品。お題は「不要不急」

 
 四分割されたモニタの中で、顔を赤くさせた男女が酒を片手に笑いあっている。所謂オンライン飲み会だ。
 昨年末、東アジアの地方都市で発生した新型ウィルスは瞬く間に世界へと伝播した。WHOはパンデミックを宣言し、各国の政府は国家非常事態宣言を発令した。
 日本も例外ではない。政府は緊急事態宣言を発令し、国民に不要不急の外出自粛を強いた。経済活動は停滞し、飲食店は夜間の営業を停止した。
 外で飲めなくなった人々は自宅でPCやスマホを使い、オンライン上で飲み合うようになった。オンライン飲み会は、それまで会社の同僚や普段顔を突き合わせて飲んでいた友人だけでなく、SNSだけで繋がっている人々も引き合わせた。
 
 

 
 
――なんか、子供の泣き声がうるさくね?
 モニタの右上で缶ビールを手にした男が言った。俺のイヤホンからも子供の泣き声が聞こえている。
「子供がギャン泣きしてるのが聞こえるな。このメンバーで子持ちの人いたっけ? 誰かわかんないけど、お子さんが泣いてますよ」
 俺は缶チューハイを片手にWebカメラに向かって言った。モニタに映る男女四人の素性や家族構成はよくわからない。飲み会参加メンバーが「彼氏が欲しい」とか「今年こそ童貞を卒業するぞ」とか「出来ることなら旦那の寝首を搔きたい」などとツイートしているのを見ることがあるが、果たしてそれが本当の話なのかわからない。リアルで顔を合わせたことがないのだ。
――健吾けんごのマイクから聞こえてるみたいだよ。イヤホンを外してみなよ。
 左上の女がカメラを見つめて口を動かす。他の分割画面でも女の言葉を聞いてそれぞれ首を縦に動かした。隣の部屋の住人が騒いでいるのかもしれない。俺は缶チューハイをデスクに置きイヤホンを外した。
――もう、あんたって子は何度言えばわかるのよ! おとなしくしなさい! 泣き止みなさい! ねえ、わかる? 私の言ってることわかる? わかるのかって聞いてんのよ! ――
 子供の泣き声とその子供をしかりつける母親らしき女の声が壁を通して聞こえてくる。部屋を仕切るだけの機能しかない安アパートの壁だ。普段から隣の住人の話し声や生活音が聞こえてくることはままある。だが、今聞こえているのは騒音レベルのうるささだ。まるで壁など無いのではないかと錯覚するほど大きな声が隣の部屋から聞こえてくる。子供がギャンギャン泣き叫び、女がキーキーと金切り声を上げている。子供の泣き声もうるさいが、言葉の意味が聞き取れる分、女の声の方が何倍も不快だ。
 俺はモニタに向かって「ちょっとまってな」と言って椅子から立ち上がると、壁まで歩いて行く。そして拳を丸め「ガンガン」と壁を叩いた。すると一瞬女の声が止み、直ぐに女が言葉を返してきた。
――静かに……させます……――
 それを聞いて俺は「子供の泣き声より、お前の声の方がうるさいんだよ」毒づきながら席に戻る。女の金切り声が聞こえなくなったのを確認してから再びイヤホンを付けてモニタ越しの男女に向けて言った。
「隣の親子がうるさかったから、壁ドンしてやったよ」
 モニタの右下で顔の大きさに対して幾分小さいオーバル型の眼鏡をかけ、油分を含んだスカスカな髪の毛を頭皮に撫で付けている太った男が口を開いた。湿った髪の毛が整髪料によるものなのか、皮脂なのかは判別が付かない。
――さすが健吾。健吾は何というか、無頼だよね。たしか半グレとも付き合いがあるんだっけ?
 そんなことはない。俺はそういった奴らとは出来るだけ距離をおく人生を歩んできた。これからもそうするつもりだ。中学校を卒業してすぐにヤクザになった同級生はいたが、そいつは三年間俺をイジメぬいて、卒業してもなお付きまとわれたので、見かねた両親が引越しを決心して難を逃れた。
「ああ、そうだよ。もし、お前が何かしらのトラブルに巻き込まれた言ってくれ」
 どうせネットでしか繋がらない奴らだ。何を言ってもばれはしない。会社では毎日上司に叱られ、同僚からはキモい奴だと思われている。せめてネット上では虚栄を張っていたい。
――何かあったら健吾にお願いするよ。ほんと、健吾と知り合えてよかった……
 その時、「ドン」と大きな音と共に目の前のモニタが僅かに揺れた。
「なに今の? 地震?」
 俺はWebカメラに向かって声を上げるが、モニタ越しの男女の表情に変わりはなく、「気のせいじゃねーの」とか「ドンって音はしたけど揺れてはないよ」とか「健吾はどんな田舎に住んでるんだよ」と返ってくるだけで、揺れを体感した奴はいないようだ。飲み会参加メンバーの詳しい住所は知らない。知らないが、皆のツイートを見る限り、俺と同じ関東に住んでいるのだろうと思っていた。イントネーションも標準語に聞こえる。
「お前らの住んでるところは揺れてないのか?」
――大きな音は健吾のマイクから聞こえて来たよ。また隣の住人がまた騒いでるんじゃね?
 モニタ右上の男はそう言って笑いながら缶ビールのプルタブを押し上げる。俺は「あの女また騒いでんのかよ」と言って左耳からイヤホンを外す。しかし、子供の泣き声も女の声も聞こえてこない。と、思った瞬間、「ガコンガコン」と壁の向こうから此方に向かって何か叩きつけるような音が聞こえてきた。同時に椅子が震える。俺は外したイヤホンをかけ直しながら言った。
「ああ、やっぱ隣の住人だわ」
――凄い音がしてるぞ。仕事から帰ってきた旦那さんが奥さんから隣の住人に壁ドンされたと聞いてキレてるとか? これは直接文句を言いに行くしかないな。
 いや、まて、そんなことはしたくない。顔を突き合わせて文句を言えるほど俺はアクティブな人間ではない。それに壁を叩いているのが旦那だとすると厄介だ。旦那らしき男が隣の部屋から出て来るのを見かけたことがあるが、縦縞の派手なスーツを着て、一緒に部屋から出てきた男に「アニキ」と呼ばれていた。多分その筋の人間だ。そんな奴に向かって文句を言うことができるなら、俺は中学時代にイジメられていなかったし、会社の同僚からキモいなんて言われていない。少し様子を見ることにしよう。そのうち静かになるだろう。
「少し様子を……」
 そこまで言ったところで太った男が言葉を被せてきた。
――ガツンとかましてきなよ、健吾。ガツンと!
 おい、余計なことを言うな。お前は余計なことを言うんじゃない。ハゲデブは俺に尊敬に似た眼差しを向け、他の奴らはハゲデブの言葉を聞いて首を縦に振っている。ハゲデブのせいで様子を見るとは言い出せない雰囲気になってしまった。さて、どうするか。部屋を出て文句を言いに行く振りだけすればいいか。いや、それだと騒音が収まらなかったときに言い訳することができない。隣人と顔を突き合わせるのは嫌だが「先ほどは壁ドンなどといった大変失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした。できたら、できたらでいいので、もう少し静かにしていただけないでしょうか?」と言えば丸く収まる気がする。うん、それがいい。誠意をもって、下手に下手にそう言えば、たとえヤクザであってもわかってくれるはずだ。
「ちょっくらカチコミに行ってくるわ」
 俺は椅子をガーッと引いて勢いよく立ち上がると、部屋のドアを大げさに開けてバタンッと閉めた。こういった行動も自分を大きく見せるために必要だ。必要だが、ガーッとかバタンッとか聞かせるためにマイクをミュートしなかったのはよかったのだろうか。隣人にペコペコする様子を聞かれてはしまわないか。いや、大丈夫だ、別に部屋の中にまで入っていくわけじゃない。玄関先で「先ほどは壁ドンなどといった大変失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした。できたら、できたらでいいので、もう少し静かにしていただけないでしょうか?」と、お願いするだけだ。その声をマイクが拾うはずがない。
 俺は玄関のドアを開けて外に出た。そして隣の部屋のドアの前で深呼吸する。高鳴る鼓動を押さえ呼び鈴を鳴らすと、ドアの奥から「ジリリリリ」と雲ぐった音が聞こえてきた。
 最初に何と言えばいいだろう。いきなり「先ほどは壁ドンなどといった大変失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした」と切り出すのは適切ではない気がする。まずは自分が何者か伝えるが筋じゃないだろうか。最初に「松田ですけど」と名乗るのが礼儀だろう。いや、俺は表札を出してないから苗字を名乗ってもわからないかもしれない。「隣に住んでいる松田ですけど」、うん、これにしよう。いや、まてまて、隣には右隣も左隣もある。右隣の住人の名前も俺と同じ松田だったら混乱させてしまう。ここは正確に「左隣に住んでいる松田ですけど」と伝えるのがいいだろう。そして「先ほどは壁ドンなどといった大変失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした」と繋げればいい、完璧だ。
 足の震えを抑えるため、両手に力を籠め太ももをしっかりと押さえる。すると、玄関のドアがゆっくりと開かれ、髪の長い女がにゅっと顔をのぞかせた。
「あ、あの……、と、となり、隣じゃなくて、ひ、左隣に住んで……ま、まつ……」
 名前を名乗り切る前に、女が手を伸ばし俺の腕を掴んできた。そして勢いよく部屋の中へと引きずり込まれた。俺が「え、いきなり……なに?」と言うも女は言葉を返さない。そればかりか、女は俺を引きずりながら玄関を抜け、キッチン、その先の部屋に向けて歩いて行く。凄い力だ。女の顔を見上げると、額の真ん中で分けられた長い髪の毛の奥で、白く濁った眼が見えた。白目が黒目を覆い、眼球の真ん中が瘡蓋のようにぶよぶよと膨らんでいる。
 女は開け放たれた引き戸まで俺を引きずると、掴んだ手を離し、後ろに回り込んで俺の背中にけりを入れた。俺は勢いよく部屋の中へと転がり、カーテンの張られた窓に身体を打ち付ける。痛みに耐えながら部屋を見渡すと、俺の部屋と繋がる壁に五歳前後の男児がもたれかかっているが見えた。男児の右ひざはあらぬ方向に曲がり、左ひじから先は欠損している。その切断面は刃物で切られたものではなく、まるで引きちぎられたかのように骨や筋肉、血管が露出し、それらを伝い流れ出た血液が、床に血だまりを作っていた。
 これは、いったいなんなんだ……。ああ、もしかして……。
 女が俺に近づいてくる。俺は逃げようとするが腰が砕けて立ち上がることができない。女は俺の前まで来ると大きく口を開いた。
 
 

 ※

 
 
――健吾の叫び声が聞こえてね?
――ギャーとか、ウワーとか、ヤメテクレーとか聞こえるね。
――これって例のやつじゃないの?
――そうだと思うよ。保健所に連絡する?
――いいよ、めんどくさい。実は俺、健吾のことあんまり好きじゃないんだよね。
――俺も。
――私も。
――私も。
――あいつをからかうのは面白いけど、助けたいとかは思わないんだよな。自分を大きく見せようと見栄を張っている姿は滑稽で、それを肴に酒を飲むのは楽しいけど、いなきゃいないでいい奴なんだよ。
――そうそう、いなきゃいないでいい。
――それにあの様子だと既に感染者に噛まれてるだろ? もう助からないよ。
――そうだね。
――そうね。
――そうね。
――それじゃあ、健吾の回線切って飲み会を続けようか。
――そうね。
――そうね。
――そうだね。
 

(了)

2020年5月13日公開

© 2020 諏訪靖彦

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サスペンス ホラー ユーモア

"アイアムアヒーロー"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2020-05-21 23:08

    人物の描き方が上手だ。主人公の虚栄心や臆病さ、オンライン飲み会の人間関係は鮮やかで、読んでいて飽きない。最後に明かされる人間関係の実態が強烈なので、それに比べるとゾンビものの感染症はオチとして若干インパクトに欠ける気がした。やっぱり普通に生きている人間が一番怖い。

  • 投稿者 | 2020-05-22 19:41

    最近ミステリ作家として活躍されているのも頷ける作品でした。
    陳腐なスプラッタにとどまることなく、すでに言及されていますが「実際に生きている人間の怖さ」こそよく描かれていてゾッとしました。
    個人的には作者が「新型ウイルス」を単に「コロナ」とすることなくゾンビ的なものに置き換えたところにもオリジナリティを感じました。

  • 投稿者 | 2020-05-23 00:57

    SNSと現実との間の危いリアルをとても怖いと思いました。
    SNSでの理想の自分に現実の自分が引きずられている葛藤に共感が持てました。

  • 投稿者 | 2020-05-23 14:38

    隣の部屋のドアへ行くまでのグズグズぶり、名乗る名前をどうしようかとああでもないこうでもないと悩む描写が良いですね。現実を生きるってことはこういうことに悩むことなんだよなと身につまされる思い。実物は見えないからと虚勢を張っていても実はうすうすバレているのも、本当にありそうに思えます。
    諏訪さんらしく破滅的ラストを用意されましたが、私個人的にはお化けオチじゃなくてもいいんじゃないかと思いました。ただ、子供が虐待死していたというラストでも後味悪いし。難しいところですね。

  • 投稿者 | 2020-05-23 22:03

    その感染症の正体は……そういえば、ゾンビの世界もウイルス性由来のものが液晶の向うで猛威を振るっていましたね。
    今度の合評会もそうですが、一気に身近になった4分割画面の向こう側、ますますネットとリアルの境がなくなっていきどうなるかと思いましたが、現実の方がなんだかだんだんネットの空気に毒されつつある気もします。

  • 投稿者 | 2020-05-23 23:17

    アイアムアヒーローという題名から「あ、なるほどな」と思いました。新型ウイルス+題名から物語のオチをなんとなくイメージしながら読みましたが、女のゾンビに襲われる場面の描写に迫力があり、読み応えがありました。でもゾンビより怖いのは、実は普通の人間だったりしますよね……

  • 投稿者 | 2020-05-24 00:05

    一回目読んだ時よくわかんなかったんですが、タイトル見直してあ!なるほど!となりました。ゾンビものの面白さが詰まってる

  • 投稿者 | 2020-05-24 03:29

    虚勢を張って後戻りできなくなった滑稽さが如実にあらわれているなあと思いました。終わりの「そうね」の連発には彼・彼女らの無感情さ・無表情さが伝わってきて、薄気味悪さを感じました。

  • 投稿者 | 2020-05-24 22:17

    健吾の人物描写に引き込まれました。女の子どもへの虐待や唐突なゾンビ化も、長期化した自粛下におけるストレスの転移でしょうか。見栄っ張りがばれるようなら、オンライン飲み会すら不要不急と言えそうですね。

  • 投稿者 | 2020-05-25 12:55

    話の面白さはもちろんなのですが、玄関前でビビる主人公の語りやセリフがとてもいい感じでした。「え、いきなり……なに?」とか、すごく素で、良い意味で凡庸なセリフが効いてて良かったです。また、SNSやネットの繋がりの問題は僕も関心があって書いたのですが、僕は「画面の向こう側の人」を描けなかったので、とても勉強になりました。

  • 編集者 | 2020-05-25 14:03

    画面の向こう、壁の向こう、ドアの向こう、人の向こう。コロナによって改めて境界や関係というものを再確認させられることが相次いでるが、その点でよく突いている作品だった。他人への思いやりも不要不急になるのだ。

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