朝が焼ける前に

応募作品

諏訪靖彦

小説

3,899文字

2019年11月合評会参加作品。お題は「銃」。
新宿駅近くで客を取る立ちんぼの話。

 西武新宿駅北口のほど近く「東京都健康プラザハイジア」の周辺では多くの立ちんぼが客を取っている。最近は出稼ぎに来た外国人の立ちんぼが増えたが、深夜一時を過ぎると日本人の立ちんぼが目立つようになる。出稼ぎ外国人は終電前に帰るのだ。残った日本人は風俗店で雇ってもらえない容姿であったり、腕や足に注射器で作った隠しきれないほどのケロイド状の痣のある者で、その殆どが近所のネカフェで寝泊まりしている。外国人のたちんぼが捌けるころには相場も低くなる。一万五千円ではまず客が取れない。一万円ですら客が付かないと、口で三千円や手で二千円とサービス内容を変えていく。綾子はそんな立ちんぼの一人だった。
 街灯の灯りが意味をなさなくなる頃、綾子は最後にハイジアを一周してネカフェに戻ることにした。ハイジア正面入り口から右回りにラブホ街を抜け、左手に大久保公園を望む通りに出ると、公園の敷地と歩道を分けるガードパイプの上に腰を下ろし、一人じっと足元を見つめる男がいた。体躯に対して幾分大きいカーキ色のミリタリージャケットを羽織り、長い髪が顔全体を覆っている。上客には見えないが、プチですら客を取れなかった綾子は男に声を掛けることにした。
 明け方の車通りのない横断歩道を赤信号のまま渡って公園側に出ると、歩道を通って男に近づく。「カツカツ」とヒールの音が響かせながら向かって行くも、男は下を見つめたまま顔を上げない。綾子がすぐ横まで来て男はようやく振り向いた。だらしなく伸びた髪の毛から覗く耳にイヤホンが刺さっている。綾子は手の平を男に顔に向け、二度三度ひらひらと動かしたあと、男の正面に移動した。男はポケットから手を出し耳元に持っていく。そして、イヤホンを外しながら綾子の足先から顔にかけてゆっくりと視線を移動していった。綾子と目が合うと、イヤホンのケーブルを首にかけてまた下を向き、ポケットに手を入れる。
「なに聴いてんの?」
「落語」
「ふうん、そう。それって面白いの?」
「それなりに」
 男はアスファルトを見つめたまま口を動かす。綾子は膝を折ってしゃがみ込み、男を見上げた。油分を含んだ前髪から覗く男の目が、綾子を捉える。
「ホベツイチでどう? ナマチュウならイチゴ、プチならクチワリテンサン、テワリテンニだけど、どうする?」
 返事を待つが、男の口元は動かない。
「私を買ってくれるなら、そこのアパホテルを使って。あそこなら安いしロビーを通さずに部屋に行けるよ。この時間にサービスタイムが使えるラブホはないからね。口や手でいいならネカフェや公園のトイレでもオッケーだよ」
 男の視線が綾子の右頬に移動する。綾子は膝の下で組んでいた手を離し、男の視線を遮るように右手で頬を覆った。
「その顔で売りしてんのか?」
 綾子は男の目を見つめたあと、視線を外した。
「そう、じゃあね」
 地面を擦るピンク色のコートの裾がふわりと持ち上がる。綾子が立ち去ろうとすると、男の手がさっと伸びて綾子の腕を掴んだ。
「待てよ。買うよ、お前を買う。買うけど、行為じゃなくて時間を売ってくれないか? 二時間ばかり俺に付き合ってくれ」
 時間を買う客もいる。その殆どが性行為の撮影が目的だ。動画は間違いなくネットに流出するため、立ちんぼの多くは撮影を断る。が、綾子は拒まない。動画を見られて困る相手はいないし、何より高く買ってもらえる。
「いいよ、二時間ならこれで」
 そう言って綾子は男に向かって指を三本立てた。
 
「その顔は誰にやられた?」
 綾子は吹っ掛けたつもりだったが、男は二時間三万円を受け入れ、公園脇に停めていた車に綾子を乗せた。中央環状線を北上して板橋本町で下道に下りて十数分走ったころ、男が綾子に話しかけてきた。
「別に」
「その痣は殴られて出来たんだろ?」
 綾子は男を見やり、ゆっくりと鼻から息を吐き出した。
「気になるならやめとく? 新宿までのタクシー代を出してくれたらここで降りるよ」
 男はちらりと綾子を見てから道路に視線を戻す。
「いや、俺が殴ったと思われたら嫌だからな」
 男は荒川大橋の手前で左にウィンカーを出した。すぐ先にコンビニが見える。
「セブンに寄るの?」
「いや、練習だ」
 コンビニの駐車場に車を停めて男が車から外に出た。綾子は車の中で待っているつもりだったが、男に助手席の窓を叩かれ、降りるように促された。綾子がドアを開けて外に出ると、寒気が足元から身体を駆け登ってくる。
「欲しいものなんてないんだけど」
「だから練習だ。ついてこい」
 そう言って男がコンビニの外にある灰皿に向かって歩いて行った。綾子は後部座席のドアを開け、誰もいない車内に「タバコぐらい一人で吸えよ」と毒付いてからコートを掴み取る。そして、乱暴にドアを閉めて男についていった。
「ほら、あそこを見ろ」
 喫煙所の前で立ち止まる男に声を掛けようとすると、男が先に、振り返らずに言葉を発した。男はコンビニの店内を見つめている。
「実は雑誌に載るような有名人だったりするわけ?」
 男の視線の先に週刊誌が並んでいる。今は誰もいないが、コンビニで立ち読みしている人の姿は標本のようで、どんな人間であっても間抜けに見える。
「そうじゃない。ガラスに何が映ってる?」
 綾子はガラスの反射に目の焦点を合わせる。
「背が高くてむさくるしい男と、右頬に髪の毛では隠しきれないほどの大きな痣がある女がいるね」
「ああ、だからこうする」
 男は綾子の肩を抱き寄せた。コンビニのガラスに映る綾子の横顔が、男のミリタリージャケットに埋まり、カーキ色の痣と同化する。綾子は男の突然の行動に驚き右手で押しのけようとするが、男は綾子の肩から手を離さない。
「ちょっと、いきなり何すんだよ。頭おかしいんじゃねーの」
「こうすれば目立たない」
 男はガラスに映った綾子を眺め満足げに言った。
「は? 意味がわかんないんだけど。それにポケットに何入れてんの? ビデオカメラ? 腰に当たって痛いっつーの」
 そう言って綾子は男のポケットに手を入れた。ひんやりとした金属の感触が手に伝わる。
「それはお前に関係ない」
 男は綾子の肩から手を離し、その手で綾子の腕を掴んでポケットの中から手を引き抜いた。
「それって拳銃だったりする?」
「だとしたら?」
「別に」
 
 川口駅東口ロータリーを横目に抜け、産業道路に入ってまた北上する。コンビニから戻ると男は「今から人と会う。お前は何もしなくていいし、何も言わなくていい。さっきやったように俺の腕に顔を埋めていればいい」と言って黙った。綾子も「わかったと」言ったきり男に言葉をかけることはなかった。買われた時間はセックスに使うわけではないらしい。エンジンのわずかな振動と、エアコンの排気音を聞きながら車が走る。川口警察署をすぎた先で左折と右折を何度か繰り返して男は路肩に車を停めた。
「ここ?」
 男は頷く。綾子はシトーベルトを外しながらカーナビの液晶画面に目を向けた。五時三十分。人と会うには早すぎる時間だ。
「こんな時間に人と会うの?」
「そうだ。朝早く帰宅する仕事をしている」
「ふうん」
 綾子はコートを持って外に出た。停めた車の向かいに寒椿の花壇に囲まれた五階建ての小綺麗なマンションが建っている。
「このマンション? その人いいところに住んでるんだね」
 男からの返事がない。振り返ると男はまだ車の中にいた。下を向き、かすかに口元を動かしている。綾子は車を回り込み運転席の窓を叩いた。綾子に気付いた男は大きく息を吸って顔を上げる。そして運転席のドアを開けた。
「さあ、行くぞ」
 男は綾子の肩を軽く押して外に出ると、マンションのエントランスに向かって歩いて行った。綾子は手に持ったコートを羽織り、小走り男を追いかける。エントランス入り口の壁から突き出たインターンホンの前で男は立ち止まると、手櫛で髪の毛を整えてからダイヤルボタンをプッシュした。男の指がボタンから離れ、その手が綾子の肩を掴み引き寄せる。
「今なの?」
「今だ」
 綾子は男のジャケットに顔を埋めながら両手で抱えるように男の身体に手を回した。男は一瞬驚いた顔を綾子に向けたが、直ぐにインターホンに向き直る。暫しの間その体勢でいると、インターホンのスピーカーから女の声が聞こえてきた。
――その子は?
 元々そういう声なのか、スピカーによって高音と低音が削がれたからなのか、女の声に刺々しさを感じる。
「見ての通りだ」
 男が一層力を込めて綾子の肩を引き寄せる。男の左ポットに入った固く冷たい塊が、綾子の腰骨にあたる。綾子は声を出すことはせず、男を見上げたままじっと我慢した。
――ふうん、あんたってこんなことする男だっけ?
「さあ、どうだろう。自分の性格は自分じゃわからない」
 女の言葉が続かない。綾子は男のジャケットから顔を上げインターホンに目をやると、通話中のランプが消えていた。男は綾子の肩に回した手を引き、自身の腰に絡みついた綾子の腕を引きはがした。
「離れろ、もう終わりだ」
 
「あんだけのことで三万も貰っていいの?」
 帰りの車の中で金を渡された綾子は、コートから財布を取り出して空の札入れに男から受け取ったピン札を三枚を押し込んだ。男は視線を道路に向けたまま「ああ」と返事をする。綾子は「ふうん、そう」と言いながらコートを後部座席に追いやった。来た道を戻り、荒川大橋を渡ったころ、綾子は思い出したかのように男に言った。
「これからどうするの?」
「お前を新宿に送り返す」
「それはわかってるけど、このまま直で仕事に行ったりするわけ?」
 男はちらりと視線を綾子に向けてから、直ぐに前を向く。そしてハンドルから左手を外し、その手をポケットの中に入れた。
「別に」
 
(了)

2019年11月7日公開

© 2019 諏訪靖彦

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ハードボイルド

"朝が焼ける前に"へのコメント 1

  • 投稿者 | 2019-11-09 10:21

    最後に何が起こるか楽しみに見てたのに、結局オチが分からない終わり方でした。読者の想像に任せる、といういい意味でのオチが分からない終わり方という意味です。
    諏訪作品ならではのサスペンス、ミステリーを感じました。
    あと、綾子って、可愛い女の子のイメージですよね!

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