祭りの終わり

短編ノナグラム(第4話)

応募作品

諏訪靖彦

小説

4,039文字

2019年9月合評会「地元」参加作品。

 
 私は東京の下町、深川で生まれ、小学校に上がるまで母方の親族で出来たビルに住んでいた。「親族で出来たビル」というのは誤りではない。そのビルには親族以外住んでいなかったからだ。戦前、祖父の兄が興した鉄筋業を戦後祖父が継いだ。継いだと言えば聞こえはいいが、祖父の兄のことを良く思っていなかった経営陣が祖父を担ぎ上げ、裁判を起こして経営権を簒奪したのだ。祖父は私が生まれた時には既に他界していたが、経営を引き継いだ叔父の羽振りはよく、会社の隣に親族の住居用ビルを建てたり、社用車がセンチュリーであったり、養護施設から養子を貰ったり、いっぱしの財界人を気取っていた。叔父の口癖は「赤坂御用地の建物の殆どはうちが改修した」であった。調子のいいときは「あの時は大変だったぞ。和歌山の田舎にまで宮内庁の役人が押しかけて出自を調べられたんだ。羽織袴で出迎えて、ここに陛下のご尊顔を飾っていますとか、これがお寺さんで写してきた過去帳です、なんて言ってうちの出自を説明したんだ」などと言っていたが、当時の私はそれが何を意味するのか分からなかった。その後バブル崩壊と共に会社は傾き、没落の一途をたどるのだが、それはまた別の話だ。
 親族ビルには私の家族を含め七世帯が住んでいた。祖母は子供を十人産んだ。その内三人が幼くして亡くなり、成人した男女七人の家族が同じビルに住んでいた。いつ誰から聞いたか忘れてしまったが、祖母は祖父の母親と折り合いが悪く、ほとんど褒めてもらったことがなかったらしい。唯一褒められたことといえば、十人子供を産んで一人も手を叩くような子供が生まれなかったことだけだと。そういった時代を祖母は生きた。話を戻そう。私の父親は祖父の会社とは関係のない一般企業で働いていたが、家賃を払わなくていいとの理由で、埼玉にマンションを買うまで親族ビルに住んでいた。父親は肩身の狭い思いをしていたかもしれないが、私はそれなりに楽しく過ごした。歳の近いいとこが沢山いたため、友達に困らなかったからだ。
 私は年に一回、八月十五日前後に行われる水かけ祭りを楽しみにしていた。小学校にも上がっていない歳だったが、その神社の氏子だったため、大人に混じって神輿を担ぐことが許されていた。神輿を担ぐといっても、遠巻きに担ぎ手を見ながら歩くだけだが、大人に混じって「わっしょい」と大声で叫ぶと、大人の仲間入りをしたように感じて気分がよかった。
 小学校に上がる前の最後の夏、両親がマンションの頭金を貯めて埼玉に引っ越す前の最後の夏、私は水かけ祭りに参加した。青い法被を羽織り、坊主頭にねじり鉢巻きを巻いて意気揚々と家を出ると、階段の上から私を呼び止める声がした。
「やす君ちょっと待って、一緒に行こうよ」
 振り返ると、いとこの加奈子ちゃんが階段から降りてきた。加奈子ちゃんは二つ年上の女の子で、母親の姉の娘だった。そして私の初恋の相手だ。私の両親が家を空けるときは、私は加奈子ちゃんの家に預けられ、加奈子ちゃんの両親が家を空けるときには私の家に加奈子ちゃんが来る。すると決まって一緒に風呂に入ることになる。小学校にすら上がっていない私は、加奈子ちゃんの裸を見ると訪れる胸の高鳴りに意味を見いだせないまま、思い通りにならない身体を湯船に沈め、ぼおっと加奈子ちゃんを見つめていた。
「うん、一緒に行こう。最後まで神輿を担いでアイスキャンディを貰おうね」
 水かけ祭りに参加した子供は、神輿担ぎが終わったあと、アイスキャンディを貰えることになっていた。私は加奈子ちゃんの手を取り神社へ向かった。当然、五歳と七歳の子供が二人で水かけ祭りに参加したわけではない。両親も一緒に行ったはずだが、あの日の記憶に両親は出てこない。
 街を練り歩きながら「わっしょい」と声を上げると、私の後ろで加奈子ちゃんが「わっしょい」と輪唱でこたえてくれる。それがたまらなく嬉しかった。神社を出て東陽町から清澄、白川、新川を通って神社に戻って来る。そのあいだ、至る所で神輿の担ぎ手に向かって町の住人が水をかける。バケツ一杯に溜めた水をかける人、ホースの先をつぶして勢いよく水をかける人、消火栓に消火ホースをつなぎ放水する人、神輿を担ぐ大人たちの熱気と、アスファルトすら溶け出すような真夏の日差しで火照った身体には、それがたまらなく気持ちよかった。
 神社に戻った私たちは当時高校生だった宮司の息子のもとに走って行く。アイスキャンディを貰うためだ。地域の子供たちが列をなし、その最後に私たちがついた。既にアイスキャンディを貰った子供たちを恨めしく眺めながら、私は自分の番が来るのを待った。
「ごめんね、あと一個しかないんだ」
 前に並んでいた子供にアイスキャンディを渡し、私たちの前に来た宮司の息子は顔をしかめて申し訳なさそうに言った。私が「ええっ」と声を上げると加奈子ちゃんが私に向かって言う。
「じゃあ、やす君が貰いなよ。私はいいから」
 加奈子ちゃんの申し出を断りアイスキャンディを譲っていれば、あんなことは起きなかったかもしれない。しかしこの時の私はどうしてもアイスキャンディが欲しかったのだ。
「いいの?」
 私がそう聞くと、加奈子ちゃんはニッコリ笑い頷いた。
「偉いね、さすがお姉ちゃんだ。アイスキャンディはなくなっちゃったけど代わりにいいものを上げるよ。ついておいで」
 宮司の息子は加奈子ちゃんに向かってニッと笑いかける。加奈子ちゃんは私に「ちょっと待っててね」と言うと宮司の息子が差し出した手を取り、二人で本殿裏に向けて歩いて行った。加奈子ちゃんが戻るのを待っている間、私はアイスキャンディを食べながら「アイスキャンディよりいいものを貰うのかな」とか「お菓子だったらあとで分けてもらおう」などと考えていた。
 アイスキャンディを食べ終え、本殿裏に目を向けると宮司の息子か出てきた。加奈子ちゃんと一緒ではない。宮司の息子は本殿横を通り拝殿前にいる巫女の格好をした自身の姉に目で何やら合図を交わして一緒に社務所に向かって歩いて行った。私は加奈子ちゃんが戻ってこないことを不思議に思い、本殿裏に行ってみることにした。
 本殿裏は本殿に沿って玉砂利が敷かれた大人一人が通れる程度の道があり、本殿の向かいは道を跨いで雑草林が広がっている。道の入り口から辺りを見渡すが、加奈子ちゃんの姿はどこにもなかった。
「加奈子ちゃん、どこにいるの!」
 大声で叫ぶも、本殿の前から聞こえてくる祭りの雑踏にかき消される。私は「ジャリ、ジャリ」と玉砂利を踏みしめながら本殿裏を進んで行く。すると道の中ほどで雑草林の奥から「んっんっ」と、うめき声のようなものが聞こえてきた。
「加奈子ちゃん?」
 私は声のする方へ歩いて行く。雑草林を薙いで進んで行くと、地べたに腰を下ろし、目に涙を溜め放心する加奈子ちゃんがいた。加奈子ちゃんは私と目が合うと右腕で涙をぬぐい「何でもないよ」と言って立ち上がった。と、同時に、加奈子ちゃんの足の間から、黒く日焼けした太ももを伝い、真っ赤な血がピンク色のスニーカーに向けて流れ落ちた。
「加奈子ちゃん、ケガしてるよ! 大人を呼んでくる!」
 そう言って駆け出そうとした私の手を取り加奈子ちゃんが言った。
「ううん、大丈夫。それよりバケツに水を入れて持ってきてくれないかな。今日は水かけ祭りでしょ? 水で流せば平気だから。そうすれば誰にも分からないから。お願い、やす君、大人には言わないで……」
 そう言って加奈子ちゃんは私の目をじっと見つめると、目じりを下げてぎこちなく笑った。私は加奈子ちゃんから目をそらし、コクリと頷いた。
 

2019年9月13日公開

作品集『短編ノナグラム』第4話 (全9話)

短編ノナグラム

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© 2019 諏訪靖彦

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ミステリー 私小説

"祭りの終わり"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2019-09-24 20:26

    私はニュースに疎くて事件について知らなかったが、思わずググった。淡い回想風の書き出しから、恐るべき展開、そして実際の事件への着地に至るまで鮮やかで引き込まれた。今回の合評会作品の中で最も優れた作品だと感じる。星五つ!

  • 投稿者 | 2019-09-25 12:33

    ありふれた日常の温かな雰囲気が、気付いたときには日本刀の鋭く冷たい刃の様な空気に変わっていて、その自然な流れがとても綺麗でした。

  • 投稿者 | 2019-09-26 02:40

    展開がどんどん思わぬ方向へ転がっていき、驚愕のラスト。怖くなった。「え、諏訪さん?」って。けれどその怖さはもちろん面白さにもつながり、そこが諏訪さんらしい作りになっていると思った。

  • 投稿者 | 2019-09-26 23:20

    祭りの感じ良いですね。最後の事件はショッキングでしたよね。
    個人的には田中慎弥の共喰いを思い出しました。

  • 投稿者 | 2019-09-27 02:56

    物語の作り方がうまいなと思ったのは、他の方もおっしゃっている通り、多宇さんもおっしゃっている通り思いがけない方向に物語が進んでいって、それが最初と最後で効果的な対比になっているなと思ったので。
    しかしながら、主人公の行動に飛躍があるように感じました。
    友情以上恋未満の淡い気持ちを持っている相手が強姦された。じゃあその犯人を殺人犯に仕立て上げよう、となるのかな、と。そういうことをするんだったらもっと直接的に手を下すこともできるし、法に触れないようにするのであれば、精神的に追い詰めるとか、なんか他にもやり方があるような、というか、「加害者に仕立て上げることによって復讐しよう」という発想にはあまり行きつかない気がしてしまうのです。主人公に他の考えがあってそうした、というのであれば、それは読み取れなかったのですが……。
    そういう納得感って必ずしも必要なわけではないとは思うのですが、事実らしき出生を語った後に実際に起こった事件に繋げていく、という構図にするのであればどうしてもそういうなんというか、メタレベルの納得感みたいなのって不可欠かと思うのです。
    そこに引っ掛かりがなければ、よりよいかなと感じました!
    でも面白かったです!

  • 投稿者 | 2019-09-28 00:55

    終わり方は好みなのですが、今住んでいるところに近い場所なので、八幡さまのまわりには雑木林というほどの林はないですよね…というところがとても気になりました。昔はあったのかな?

  • 投稿者 | 2019-09-28 17:11

    唐突に訪れる現実とのリンクがおそろしかったです。まつりのおわり……

  • 投稿者 | 2019-09-28 21:13

    東京では地価の高いゆえに昔からの家をビルに建て替えて複数家族が住むということがしばしばあって、そこが深川という土地であり、清澄や白河などの地名と相まってすごくリアルで下町の活気を感じさせて、気持ちよく読み進めました。
    その後のおぞましい展開が、アイスキャンディー一本で引き起こされたところ、すごく印象に残りました。七歳の奈子ちゃんの行動はそんなものなのだろうか、七歳の子供が大人同然の男に強姦されたら、出血くらいで済むのだろうか、いつもお姉さんぶっていた役割から抜け出せずにいたのだろうか、幸せな結婚をするまでにどれほどの絶望や苦しみに耐えたのだろうか、などとそっちの方に気持ちが行ってしまって、バカ宮司に復讐する話には入り切れませんでした。

  • 投稿者 | 2019-09-30 00:39

    「え、本当なの?」と思ってしまいました。
    後半の残酷さに目をそむけたくなりましたが、やはり人が生きていくのには辛い真実が付きまとう事を、改めて教えられた気がします。

    心が、えぐられてコメントをこれ以上書けません!!

  • 編集者 | 2019-09-30 01:32

    そうか、あの事件はそんな背景だったのか。いやあ大変だった。みんな、諏訪さんのこのことは秘密だぜ。国家神道に少しでも損害を与えるためにも……本当?

    俺も、幼女が……な小説を以前書いた(&ゲーム化した)し、色々考えさせられる所はある。主人公の気持ちがもう少し露出しても良い気がする。ただ、全体として「祭りの終わり」なる題が全てを表しているのだろう。主人公にとってはあの日以来ずっとお祭りだったのだろうか。宮司たちよりも、主人公…諏訪さんが「終わり」の後にどうなったか気になるが、どうだろうか。ウン。

  • 投稿者 | 2019-09-30 11:05

    え、待って。あれってあれですよね。それってそういう話だったんでじうはっきfkんえkhBbxjajartduhjふじこ

  • 編集長 | 2019-09-30 13:20

    おまわりさん、こいつです!
    実在の事件を題材にした作品はリスキーではあるが、「そうきたか!」と膝を打つ展開。テーマからの飛翔がもっともスムーズだった。

  • 投稿者 | 2019-09-30 19:02

    諏訪さんの強さとズルさに嫉妬しました。ちなみに僕も、その神社の近くに住んでいますが、良い街です。

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