隣にいる君を探して 第3話

隣にいる君を探して(第3話)

中野真

小説

4,759文字

記憶が保存できるとして、本当に覚えていたいものは何だろう。隣にいる君を探して第3話

「あれは素人の犯行じゃないね」

「だとしたらやっぱり何か目的があるんですかね?」

「あると思うよ。目的なしにわざわざアリシアを狙う意味がわかんないもん」

「でも通り魔って基本普通の人には意味わかんない理由だったりしません?」

 あー確かに、と頷きながら大暮さんはカットフルーツにラップを掛け直した。大暮さんというのは掛け持ちのアルバイト先のカフェで最近正社員として雇われた四十過ぎのおじさんで、今年大学生になった娘がいる。ずいぶん昔に日本のベートーベンだと話題になったろう者の作曲家のゴーストライターをしていた人に似ていて、銀縁の眼鏡がいつも少し下にずれている。もともとセキュリティ関連の会社で働いていたエンジニアらしく、外部記憶装置アリシアに関する通り魔事件に僕と同じように関心を持っているみたいで、暇なバイト中はよくそのことについて野次馬的な意見を交しあっていた。

 カフェは閉店間近で店に残っている客は喫煙席に若い男女が一組といつも仕事帰りに編み込みの手提げ籠のようなものをせっせと作りに来る常連のおばさん一人だけだった。

もうすぐラストオーダーを聞いて洗浄機を止めてしまえばさっさと店内をモップがけしてミナの待つアパートへ帰ることができる。

もう注文は入らないだろうということですでにコーヒーマシンには錠剤を入れて自動洗浄ボタンを押してしまったし、フライヤーの油もさっさと落としてしまっていた。

だから今新規の客が来店してきたら非常に困ったことになるし、おそらく僕は「今日はもうラストオーダーが終わってしまったんですよ」とか適当なことを言って帰らせるだろう。

うちの店長は僕以上に適当なので以前も自分がサッカーの代表戦を見たくて早く帰りたい時に「本日は月に一度の店内清掃の日でして二十一時時閉店になります」などと言って閉店時間二時間前に客を追い返していたこともあるしチェーン店のくせに実に自由度が高い。

ちなみにその店長は今日の締め作業は久しぶりに獲得した正社員である大暮さんに任せて十九時には帰ってしまった。ますます緩んでいく経営方針だが居心地は良い。何と言っても平日の夜はほとんど客がこないから。

「アリシアの破壊ってどうやってやるんですか?」

「そこまでは僕もわかんないな。アリシアって今じゃみんな普通に頭に組み込まれてて、もう産まれた時からそこにあるみたいになってるけど、実はほとんどの人がその実態を知らないんだよね。そう考えるとすごく怖い世界だよね」

「いつの間にか全人類が誰かに操られてたり?」

 僕は笑ったが、大暮さんはコーヒーマシンを布巾で拭きながら真顔で頷いた。

「そんな陰謀論みたいなのも笑えないかもしれないよ。情報管理局にいた頃もアリシア関連のデータは触れられなかったから。そういう仕事している人でもほとんど何も知らないまま運用されてるんだよね。それってすごく怖くないか?」

「学校でもアリシアについてはほとんど教えてもらえませんね。もしかすると教授たちもあんまり知らないのかもしれない」

「考えてみれば異常だよねそれって。しかもほとんどの人がそれに違和感を覚えていない。もしかすると僕らはすでになんらかの洗脳を受けているのかもしれないね」

「あはは、じゃあこんなことを考える僕らはどうなるんですか」

「考えたとしても本気にはしてないでしょ?」

 確かに、と思って僕は黙らざるを得なかった。僕らの生活に、というか身体能力にあたりまえのように組み込まれているアリシアに対して本気で不信感を抱くようなことはできなかった。

それはもう完全に僕らの体の一部であったから。だからこの通り魔事件は怪我をしたわけではないと言っても体の一部を一時的にもぎ取られるようなものだ。

例えば一時的であれ視力喪失などを引き起こされたらそれは本人にとって大事件になるだろう。けれど現在の報道では今の所それほど大きく問題にされているわけではない。

バックアップデータからすぐに記憶は回復するし、本人たちもちょっとしたイタズラに運悪く巻き込まれてしまった程度にしか思っていないようなインタビューを聞いた。

 しかし、と僕は洗い物を片付けながら思った。アリシアの保存する記憶が真実であるという保証はどこにあるのだろう。僕らはその記憶を信じきっている。アリシアの機能を疑っていない。

けれど、バックアップデータから戻されたその記憶は本当に正しいものなのだろうか。そんなことを考えていれば今の社会では精神不安でどうにかなってしまいそうだ。

というよりもそんなことを考える人がほとんどいない今の社会がすでに不自然なのかもしれない。やはりなんらかのバイアスがかかっていて僕らはマインドコントロールされているのだろうか。アリシアに不信を抱かないように。

 レジ金が二百円多かったがそれ以外はなんの問題もなく閉店作業は終わった。多かった百円玉二枚はレジの下の缶に入れておいた。最先端シティが聞いて呆れるようなアナログシステムを今もこのカフェは続けている。そんなところが気に入って応募したのだ。

人間味などというものを信仰するのは僕の悪い癖だ。顔認証でタイムレコーダーを切って扉をロックし、大暮さんと裏口から外へ出る。

風のない穏やかな夜だった。それでもコートの外に出ている手はすぐに冷たくなってしまう程度には寒い。

こんな中大暮さんは三十分かけて自転車で帰る。家に一台の軽自動車は大学生の娘が使っているので仕方がないとのことだった。

自動運転車が走り回る中、雨の日も雪の日も自転車でここまで通う彼にはなんとも言えない哀愁があった。生活を担うというのは大変なことだとこの頃ようやく気づいた僕は、とても恵まれていたのかもしれない。

そしてそれを自分で背負う覚悟もできないまま、もうすぐ就職活動が始まる。自分が何をやりたいのか、どう生きていくのか、これまで漠然と考えていたことを現実として突きつけられる。

ただミナと居られればいい。そんなことを考えているだけでは、現実はうまくいかないのだろう。そうは思っても、自分がどうしていけばいいのか、その答えは簡単には見つからない。

今まで時間はいくらでもあるように思えていたが、実はもうあまり残されていないのかもしれなかった。

 

 アパートの扉に手をかけるとロックの解除される音がした。ミナが家にいれば僕が帰ってくるまで鍵は開いているはずなのに。だがこの時僕は特に何も思うことなく扉を押し開けた。

「ミナー?」

 部屋の中は真っ暗で、電気を点けるとやはりミナの姿はなかった。また教育学部の友達の家で飲み会でもしているのだろうか。

工学部と違い教育学部はやたらと仲が良く、誰かの家に集まっていることが多かった。けれどそういう時は事前に連絡があるはずだ。

そこで僕は窓に近づいて空を見上げた。綺麗な満月だった。胸の内で不安がじわりと広がった。

先月の満月の日もミナは連絡もなしに帰宅しなかった。

次の日の朝には僕が気づかないうちに隣で寝息を立てていたのだが、あの日は三時過ぎまで起きてミナを待っていた。連絡を取ろうとしてみるが繋がらない。

この不安はあの老人のせいだ、と僕は思った。彼女から目を離さないように。彼はそう言い残してこのアパートを去った。どうしてそんなことを言いに来たのだろう。ミ

ナの身に何か危険が迫っているのだろうか。通り魔の件もあるし、僕の不安は膨れ上がり、ミナの友達の何人かに連絡を取ってみた。しかしどこもハズレだった。

 置き手紙でも残していないかと部屋を見回ってみるが、そんな古典的なものはなさそうだった。

それから僕は頭を掻きむしって落ち着くためにコンビニに夜飯を買いに行った。サラダとカップラーメンとタバコを一箱買ってコンビニを出た。空を見上げると満月が明るすぎるくらいに輝いていた。

不安と苛立ちは収まらなかった。大学生だ、夜に遊びに行くくらいそんなにおかしなことではない。まだ十一時過ぎだし。

一年も一緒に暮らしてきて、この程度でそんなに不安になってしまう自分に苛立った。ミナを信じていないなんてことはない。

ただ通り魔のニュースがあって、不審な老人の訪問があったから。それだけだ。何も起こりっこない。だから僕は部屋に帰ってカップラーメンを食べながら時間つぶしに通り魔の被害者について紙にまとめたりしてミナの帰りを待っていた。

 最初の被害者は村瀬カエデ、三十歳。福井市内の会社で事務員をする女性で既婚。九月一日、仕事を終えてスーパーで買い物をし帰宅する途中に襲われている。外傷はなし。背後から突然の犯行だったようで復元記憶にも犯人につながるデータはなし。犯行の目撃情報もなし。アリシアの故障で一時意識喪失。発見者はタクシーの運転手で、道で倒れているのを通りがけに発見し通報。運ばれた病院ですぐに意識を取り戻したが、その時に記憶障害が確認され、調べたところアリシアデータの抹消が発覚。病院に常駐しているオブザーバーがすぐさま被害者本人のアカウント認証をしてバックアップデータで記憶を復元したので彼女は次の日には退院している。オブザーバーというのは他人のアリシアデータを観測することができるよう特殊な訓練を受けた技術者で、同時に医者であることが多い。他人の記憶を見ることは訓練を受けていない人間には負荷が大きく、自己と他者の記憶を分離する知識と経験がないと危険なのだ。

 二人目の被害者は九月三十日で、近藤アカネ、二十八歳。同じく福井市内の犯行で、教員をしている女性。状況は一人目とほとんど同じだ。仕事帰りの夜、目撃者はなし。三人目の被害者は須藤ユキ、二十九歳。十月二十九日の犯行。そして昨日の四人目が杉浦カリン三十歳。専業主婦で、通っているジムから帰る途中の犯行だったようだ。同じく目撃者はなし。

 わかることといえば被害者がみな市内に住んでいる女性で年齢が近いことと、犯行がちょうど一ヶ月周期くらいで行われていることだろうか。それに犯人は実に注意深い奴らしく、どの犯行にも目撃情報がない。アリシアのデータ損傷以外に被害者に外傷はなく、盗まれたものがないところも共通している。今の所犯行手口については何も報道されていない。福井市ではそこら中に監視ロボットの目が光っている。それなのに、実際はどうかわからないが、今のところ目撃情報はなしというのは不自然だ。やはり計画的な犯行なのではないか?一体何が目的でこんなことをするのだろう。そういえば以前、記憶社会やアリシアは人間にとって不自然だということを主張する集団をニュースで見た。そういう集団は未だに存在している。そんな人物の過激な思想が原因なのだろうか。単独犯ではなくグループでの周到な犯行だから目撃者が一人もいない状況が作られているのだろうか。そうだとしたら何か犯行声明のようなものや要求を出してきそうだが。それにそういう奴らなら一般人ではなくもっとアリシアに近い人や政府の人間を狙うのではないだろうか。ただの一般人を狙ってどういう意味があるのだろう。

 素人考えでそんなことをメモしているといつの間にか十二時を回っていた。放置され汁を吸って伸び切ったラーメンをすすりながら僕はもう一度ミナに連絡をとってみたがやはり繋がらなかった。メッセージの返信もない。窓の外の満月を意味もなく睨んでみてもなんの甲斐もない。

それから明日の講義で提出する実験レポートのデータを確認し、メモを握りつぶしてゴミ箱に放った。その紙くずはゴミ箱の淵に当たって跳ね返って床に落ちた。

ため息をついて立ち上がると僕はその紙くずを拾ってなんとなくもう一度広げてみた。そしてそこに書かれていることをアリシアのメモフォルダに一応保存してからゴミ箱に落とし、シャワーを浴びた。

2019年8月6日公開

作品集『隣にいる君を探して』第3話 (全13話)

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© 2019 中野真

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