5
通された桐生家の和室で結人は自分の身分の説明に困った。小学校の関係者でもなく、一二三は塾の生徒でもないので、正直に言ってしまうと全く無関係の人間だった。一緒に来てくれている大河だけが唯一の繋がりである。しばらくして、温かいお茶を持って入って来たのは一二三の親ではなく、祖母だった。
「すみませんねえ、わざわざ先生にお越しいただいたのに。あの子は今誰にも会いたくないと言っているんですよ」
桐生楓はどこにでもいそうな優しげなおばあさんだった。結人は彼女が自分を小学校の先生と勘違いしていることに気がついたが、都合がいいのでそのままにしておこうと思った。先生というのは間違いではないのだし、それがどこの、とは言明されていないわけで、わざわざ自分から訂正して混乱を招く必要もなさそうだった。大河が余計なことを言わない限り。
「これ、プリント」
和室で慣れない正座をして緊張している様子の大河から桐生楓はにこやかにプリントを受け取り、代わりにお茶とお茶菓子を勧めた。大河は恐縮し切った状態で静かにお茶菓子を食べていた。
「風邪をひいているわけではないんですね?」
「そうですね、ご飯も食べますし。ただあんなことがあった後ですから、しばらく前から精神的に不安定でしてねえ」
「あんなこと?」
それから桐生楓がゆっくりと語ったのは、一二三のこれまでの生涯の話だった。
一二三の母親は東京の大学を卒業後、横浜の化粧品会社に入社した。容姿が良かった彼女は一年後には五歳上の会社の有望株を捕まえて早々と結婚する。偶然にも彼の苗字も桐生だったことから、二人は運命的な結びつきを感じ、周りから羨まれる理想的な結婚だった。それから半年後、母親は一二三を妊娠する。彼女はピアニストになるという自分の夢を一二三に託すように音楽教室へ連れて行き、発表会はいつも両親揃って見に行った。幸せな家庭だった。夫は優しくユーモアに溢れ、一二三も母親の期待に応える才能を持っていた。しかし、一二三が小学校へ上がる年に、父親が病気になった。すい臓がんだった。それからはあっという間だった、と桐生楓は辛そうに語った。
夫を亡くした一二三の母は、自分一人でなんとか生活を支えようと頑張った。一二三のピアノもやめさせるつもりはなかった。しかしその結果、親子の間には少しずつ溝ができ始めた。仕事で時間がない母親に変わり、一二三は自分でご飯を用意し、母親が帰って来る前に眠った。そんな生活の疲労が溜まっていたのであろう、その喧嘩は一二三の分のプリンを母親が勝手に食べたという、小さなきっかけに端を発した。
「お母さんなんて大っ嫌い!」
そう言って一二三は自室に走り去って鍵を閉めた。それが、一二三が母親に送った最後の言葉となった。
喧嘩の直後、近くのコンビニまでいった母親は、その帰り道に事故にあい、帰らぬ人となった。彼女のそばにはプリンが二つ入ったコンビニ袋が落ちていた。
「私がお母さんが殺したの」
葬式の時、涙も流さない孫娘の手を握り続けていた桐生楓に、彼女はそう言ったそうだ。それが、今年の七月のこと。それから夏休みを機に母親の実家であるこの街に転校してきたわけであった。
桐生家を後にして大河を送り届けた結人は、胸の痛みを感じながら中也に電話して事の詳細を話した。
「そんなことがあったから、自分の言葉には人を殺す力があると思い込んだんだね」
「なあ、これ以上僕らがあの子の心に踏み入れるのはよくないんじゃないかな。だって、僕らに何ができる?お母さんを生き返らせることはできないし、まだ顔も見ていない子の保護者になれるわけでもない」
電話口で中也はしばらく黙っていた。結人は、自分は間違っていたんだと思った。やはり他人に余計なことをするのはよくないことだ。そっとしておくべきこともある。その時中也が「例えば」と話し出した。
「その子が、自分のせいで母親が死んだのではないと思えるようにしてあげられれば、その子のこれからの人生を少しは楽しくできるかもしれない、とかさ」
「そうかも、しれないけど」
「つまり、母親の愛を証明すればいいんだね。母親がその子を恨んでいないと、むしろ強く愛していたと、教えてあげればいいんだ」
「うん。そうかもしれない。けど、僕らに何ができる?」
結人は今度も中也の名案を期待した。しかし、しばらくして口を開いた彼は、少し寂しそうにこう言った。
「俺は、母親を知らないから、わからない」
そうだった、と結人は自分の軽率さを責めた。脳裏には、初めて中也に声をかけた時のことが思い浮かんだ。
「何の本読んでるの?」
クラスの男子ほぼ全員が参加していた、丸めた紙くずと筆箱での教室内野球の最中、結人は教室の端に避難して分厚い本を読んでいる中也に何となく声をかけてみた。彼はしばらく自分が声をかけられたということに気づかないふりをしていたが、目の前の少年が立ち去らないので、面倒臭そうに顔を上げて背表紙を見せた。そこには「シナプスが人格をつくる」と書かれていた。
「シナプスって何?」
「ニューロン間の小さな間隙」
「それが人格をつくるって、どういうこと?」
中也はため息をついて本を閉じた。その時初めて二人はしっかりと目を見交わした。結人は自分が何か異質なものをみつけたような不安と興奮を覚えたような気がした。
「意識に上らない脳内過程が実は人間の行動の基本の大部分を占めている。そして脳のシナプス結合パターンが人をその人たらしめている根源だってこの本は言ってる。つまりシナプス結合を変化させればその人の考えを根本から変えることができる。俺らには魂なんてないし、愛なんて存在しない。俺らが自分だと思っているものなんて、ただの脳機能のシステムに過ぎないってこと」
その頃の結人には半分も話がわからなかったが、それから彼らはたまに話す程度の仲にはなった。そして、中也の父親が作家で、ほとんど家にいることがなく、母親は彼が小さいうちに家を出たので、ほとんど両親を知らないまま祖父母に育てられたのだということを知った。
電話からあの頃の子供らしい不安定な高音が消えた中也の声が聞こえた。
「ごめん、もっかい言って」
「だから、僕はまだ愛の存在を証明できていないんだ。だから、ここからは君が探偵役ってことだね」
それから「はやく戻らないと授業だろ」と指摘し、中也は電話を切った。結人は帰り道を歩きながら、どうすることが正しいのだろう、自分に何ができるのだろう、と考え込んでいた。自転車のベルが聞こえ、無意識に体を右に避ける。愛を証明する。まだ親になったこともない自分に、そんな大層なことができるのだろうか。
「何考えてるの?」
奈緒の部屋で手作りの夕食を食べて、お礼にと食器を洗っていた結人の背中に、彼女は問いかけた。
「んー、愛ってなんだろうなって」
「あら、大層なこと考えてたのね。中也くんの影響?」
「まあ、そうとも言える」
「なんか嫉妬しちゃうなあ。私の趣味には全然興味示さないくせにさ」
結人は思わず苦笑した。彼女にまで嫉妬される友達って何なんだ。母親にも疑われるし。そして彼女の趣味というのはアイドルだった。それも男性アイドルではなく女性アイドルを追っかけるのだから、結人にはよくわからなかった。
「いやあ、子供相手にしてる僕が女の子のおっかけやってるのってどうなの、イメージ的に」
「だからそういう疑似恋愛みたいな感じじゃないんだって、ほんと、一回ライブいったらわかるから!なんかね、今その瞬間を輝いてるっていうか、今を生きてるって感じがするんだよ。ああ、私もああいう風に生きたいなって。頑張らなきゃっていうか、頑張りたいって感じのもっと前向きな気持ちになるの」
「でも彼氏が若い女の子に夢中になるのはどうなの?」
「それはさ、その、結人は私のこと、絶対好きだし」
自信満々に胸を張るが、やはり照れを隠しきれてない奈緒を見て、結人は彼女がとても愛しくて思わず口元が緩んだ。
「まあね」
「まあねじゃありません、ほら、いつもみたいに絶対好きって言いなさい」
「別にいつも言ってないじゃん」
「あーあー文章だとすぐに言ってくれるのになーさみしいなー」
ソファーの上で子供みたいに足をバタバタさせる奈緒に苦笑しながら結人は洗い物を布巾で拭き終えた。奈緒の前に立つと、ん、と両手を広げるので、優しく抱き起こしてそのまま強く抱きしめた。
「絶対好き」
「よくできました」
トントン、と背中を叩き、離れた彼女は嬉しそうな笑顔を見せた。結人はその頬が赤く染まっているのを見逃さなかった。だからなんだかいじわるしたくなって、いつもはそんなことはしないのに、強引にキスをした。唇を離すと、奈緒はどこかいたずらっぽく笑った。
「わお、積極的」
「たまにはね」
そして結人がおもむろにお姫様抱っこすると驚いた奈緒は「きゃっ」と叫んで笑い出した。ベッドに移動して彼女の顔を上から覗き込む。
「奈緒」
「なあに?」
愛してる、と言おうとして、結人は胸に疼痛を覚えた。愛してるとは、いったいどういうことなのだろう。奈緒のことは、誰よりも大切で、誰よりも信じている。幸せにしたい。しかしそれは、とても傲慢な考えではないだろうか。自分視点でしかない、身勝手な。僕らはそれぞれ独りの人間でしかないのだから。それでも、と結人は奈緒の目を見つめた。それでも、繋がることができる。二人の視線の間には、確かに愛があると信じられる。だから、結人は喉のつっかえを取り払わなければならない。
「愛してる」
「私も、愛してるよ」
彼女の笑みは、僕にとってこの世界の何よりも愛しいもので、何よりも守るべきものだ。ずっとそのそばで、君と生きたい、と結人は願った。それから二人は目を閉じて、そこにある愛に身を浸した。
6
水曜日の夕方、今日もプリントを持った大河を引き連れながら、結人は少女の家へ向かっていた。実に美味そうにコーラを飲む大河を見ていると、不意に大学生の頃に付き合っていた同期の女の子を思い出した。その子はお酒が飲めなかったので、飲み会の時はいつも一人だけコーラを飲んでいた。しかし教育実習が終わると、その子は何故か突然お酒を飲むようになり、それが実習先で出会った男の先生の影響だということがわかり、中也がデートの現場を押さえた。その日のやけ酒に付き合ってくれた中也は、愛についてこんな話をしていた。
「愛という言葉が今のような意味で日本に入ってきたのは実は明治時代ごろなんだ」
「でも源氏物語で出てこない?」
「それはたぶんポップな現代語訳でしょ。実際は恋とかになってるんじゃないかな。日本の古語にも愛って字はあるけど、それはかなしと読むよね。相手をいとおしい、かわいいと思う気持ち。意味はまあ似たようなもんだけど、でも形容詞だ。今のように愛するって感じで動詞で使われたりはしなかった。それが外国からloveとかamorとかの言葉が入ってきて、それをどうやって訳すか考えた時に、訳しやすい便利な言葉として愛が使われだしたんだね。つまり、外来語みたいなもんなんだよ」
「ああ思い出した。夏目漱石の月が綺麗ですね、みたいなやつか」
「そうそう。まあ夏目漱石が言ったかどうかは俗説だから信憑性はわかんないんだけど。日本人は愛とか感情を率直に言葉にすることをしない民族だったんだね。赤ちゃんがかわいいと思ったら、まるで玉のような子だとか、紅葉みたいな手だねとか言うでしょ。まあ、今はだいたいヤバイって言うけど」
「たしかに。好きな気持ちもヤバイだし、失恋の痛みもヤバイでいけるわ」
「源氏物語で言うと、家臣たちに春を売る遊女たちを見て、光源氏は自分の子供にこう言っている。恋は決して売るものじゃない、まして買うものではない。大人になったらおまえも恋をするだろう。でも恋は人の心から自然に流れるものだ。造ったりよそおったりするのは恋じゃない。心からいとしいと思い、思ってくれる相手を探すんだ。そうでなければ恋は決して喜びではないし、胸にしみるあわれでもない。つまり、それが愛するなんて動詞形で意志的な行為になるのは、日本人的には違和感があるのかもしれないね」
「心から自然に流れるもの、か。ならこれも仕方ないことだったんだろうな」
「まあ、俺は結構楽しかったからなんでもいいけど」
「おいぶっ飛ばすぞ。まだ癒えてはないんだよ」
そんなことを考えているうちに、桐生一二三の家の前に着いてしまった。さて、と結人は大河を振り返る。
「大河くんには、今日はワトソンくんになってもらうからね、よろしく」
「ワトソンくんって誰?」
「ホームズの相方だよ」
「えー、僕ホームズがいい」
えー、また僕助手側かよ、と苦笑しながら仕方なく結人はホームズ役を大河に譲った。昨日と同じように桐生楓が迎えてくれ、二人はお茶が運ばれてくるのをしばらく待った。
「大河くん、ドレミちゃんのこと好き?」
「えー、言わない」
「じゃあ、仲良くしたい?」
「うーん、それは、うん」
「じゃあ、そうやって言ってあげて欲しいんだ。今ドレミちゃんはとっても寂しいんだと思う。だから、君が助けてあげて欲しい」
「まあ、ホームズだしね!」
「よし、行くか!」
二人はお茶を待つのをやめて、昨日桐生楓が声をかけにいった方の記憶を頼りに勝手に一二三の部屋へ向かった。そしておそらくそこだろうと思われる扉の前で、二人は頷きあった。
「ドレミちゃーん、大河やよー」
返事はなかった。桐生楓がお盆にお茶を乗せて廊下の先でこちらを見ていたので、結人は手を合わせて頭を下げた。彼女は頷いて少し笑った。
「ドーレーミーちゃーん。呪い解けたから大丈夫やよー。怒ってないよー」
返事がないので大河は不安そうに結人を見上げた。結人は信じて頷くしかない。なので大河はそれからもしばらく「ドーレーミーちゃーん」と声をかけ続けた。すると向こうも根負けしたのか「聞こえてるってば」と返事をしてきた。
「元気?ドア開けてくれへん?」
「……怒ってないの?」
「怒ってないよ。あ、学校来てくれへんからちょっと怒ってるかも」
「怒ってるじゃん」
「あ、嘘!でもドア開けてくれたら怒ってない!」
それからしばらくすると鍵の回される音がし、美しい少女が顔を見せた。初めて見る大人が目の前にいたので、彼女はすぐにドアを閉めようとしたが、大河が「よ!」と声をかけたので気がそらされたようだった。
「誰?」
「結人先生!」
「それじゃわかんないだろ大河くん」
「そうか、えっとね、えっとね、友達!」
「そういう認識だったんだ」
まあまあ、と女の子の前でも意外と図々しい大河が一二三の部屋に入って行くので、まだ警戒している少女であったがなんとか結人も彼女の部屋に入ることができた。大河の部屋とは違い、綺麗に片付けられた清潔な部屋だった。ほとんど生活感を感じないほどに。
「なんで学校こないんよー、寂しい」
「怒ってないの?」
「何が?」
相変わらず能天気な大河に一二三は目を細めた。結人も後ろで思わず笑ってしまった。
「ドレミちゃん、ごめんね急に。僕は大河くんの通う塾の先生をやってる、桃田結人って言います。今日は君とお話がしたくて来たんです」
「何の話ですか?」
一二三は勝手に座り込んでいる大河の隣に膝を抱えて体育座りした。見上げられ続けるのもあれだなと思って結人も腰を下ろした。
「君は、自分のことを呪われてると思っているね?」
そういうと、一二三は目を大きく見開いた。それは結人の推論だったが、正解だったようだ。どうして大河にあのようなことをしたのか。きっと彼女自身、自分が呪われていないということを証明したかったのではないかと思ったのだ。自分には何の力もないと確信が欲しかった。しかし単純な大河はまんまと暗示にかかってしまった。それで彼女の呪い、その思い込みもますます強くなってしまったのではないか。
「結人先生は僕の呪いも解いてくれたんだよ。だからドレミちゃんも大丈夫!」
無邪気な大河が笑顔で頷くのを見て、一二三は不安げに結人に向き直った。
「ほんとに、助けてくれるの?」
結人は彼女の震える声からその小さな体にどれだけの苦しみを抱えているのかと想像すると胸が痛かった。けれど彼にできることは、話すことだけなのだ。
「その呪いを解くのは、君自身の力なんだ。だから、少し話をしてくれない?」
そして結人は大河に目配せした。結人がそう言った時、大河には彼女の手を握ってあげて欲しいと言ってあったのだ。大河は赤くなっていたが、力強く頷くと、そっと一二三の手を握った。少女はその手の温もりを感じて視線を落とした。それから、小さく頷いた。結人は目を瞑った。今から自分は、少女の傷をえぐるようなことをしないといけない。それが正しいのかはわからない。けれど、その先に彼女自身が、愛を見つけてくれることを願った。
「君のお母さんのことを教えて欲しいんだ」
大河は一二三が自分の手をぎゅっと握り返すのを感じ、彼女の顔を見た。その表情はとても辛そうで、今にも泣き出しそうに思った。だから結人を振り向いたが、先生が大丈夫と頷くので信じることにして、また強く握り返した。
「お母さんは、私のせいで死んだの」
「本当にそう思う?」
「私が大嫌いなんて言ったから」
「それで本当にお母さんが死んだと思う?」
結人は唇を噛んで俯く少女をじっと見つめていた。その痛みがひしひしと伝わってくる。ごめんね。頑張って。
「君のお母さんは、仲直りしようとプリンを買いに行ったんだよね」
少女の目から涙がこぼれ落ちた。
「お母さんは忙しかった。君は、寂しかったんだよね。お母さんにそばにいて欲しかった」
大河が心配そうに一二三の顔を覗き見る。
「君は、お母さんに愛されていないと思った」
その時、少女は勢いよく顔をあげると、大きく首を降った。
「違う、お母さんは……」
「お母さんは?」
一二三は、絞り出すように震える声で、しかし確かに言葉を紡いだ。
「私はお母さんが大好きだった。お母さんも、私が大好きだった。わかってた。でも、寂しかった」
結人は思わず泣き出しそうになった。中也、愛を証明する必要なんてないんだ、と相棒に心の中で声をかけた。一二三はちゃんと知っている。愛されていたことを、愛していたことを。それを証明する必要なんてない。結人は少女の頭を優しく撫でた。
「お母さんは、君のせいで死んだんじゃないよ」
一二三はしゃくりあげながら結人を見上げた。
「わかるね?」
少女ははっきりと頷いた。
「君のお母さんは、君のことを愛していたよね」
少女はもっと強く頷いた。
「君は、楽しくしていいんだよ。笑っていいんだ。自分を大事にしていいんだよ。お母さんも、そう言うと思わない?」
「思う」
その時、部屋の扉が開いて、涙を流しながら桐生楓が入ってきた。
「ドレミ、ごめんなあ、そんな辛い思いさせてなあ」
「おばあちゃんっ」
一二三は駆け出すと祖母の胸に飛び込んで泣きじゃくった。大河は心配そうに見つめていたが、結人が「よくやった」と頭を撫でると、ほんの少し笑みを浮かべた。その瞬間、大河のお腹が大きくなったので、結人は思わず笑ってしまった。
帰る直前、目を真っ赤にした一二三が駆け寄って来て、大河に「明日学校行くから」と言った。大河は満面の笑みで頷いた。
「それと、ドレミちゃんって呼ぶのやめてくれない?あんまり好きじゃないの」
「えーなんで?ドレミちゃんってかわいいじゃん、僕好きだよ」
無邪気に大河がそう言うと、一二三は白い頬を真っ赤に染めた。
「……ならいいけど」
「ん!また明日ね!」
外に出てから、結人は「やるねえ」と笑って大河を小突いた。
「だって名前はお父さんとお母さんからの最初の贈り物だからね」
笑いながら、結人はやっぱり子供はすごいなと思った。大人になるうちに忘れてしまう大切なこと。それを彼らはちゃんと知っていた。帰り道にもコーラを買ってあげたので、もしかすると野々村香に怒られるかもしれない、なんて思いながら結人は大河を送り届けた。
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