漂泊の日々

中野真

小説

27,346文字

小説を書いていた祖父とその孫の僕。二人の交流はほとんどなかったのに、気がつくと同じところを歩いていたのかもしれない。

 

 僕は何が気に入らなかったのだろう?何がおかしいと感じていたのだろう。もうあまりよく思い出せなくなっていた。この部屋に引きこもって大学へ行かなくなってから数ヶ月が経ったが、僕はあの心底嫌気がさした日々から逃げ出して、どれだけ素敵な時間を送ってきたというのだろうか。実際は、起きて、食べて、寝ての繰り返し。昨日の記憶もあやふやなまま、時が過ぎ去ることをただひたすらに堪え忍んでいただけだ。どうしてそんなことをしなければならなくなったのか、今ではぼんやりとしか思い出せない。

 

 とにかく、気に入らなかったのだ。何も考えていない人たちの中で、意味のないことをしなければならない日々が。ただ与えられたものをこなすという努力がどれだけ崇高なものなのか、あの頃の僕にはわからなかった。いや、与えられるものにしか気付けない自分自身が悪かったのだ。自分次第で、もっと遠くまで行けたはずなのに、目の前に差し出されたものに満足できず、自分はもっと特別なものを待っているようなふりをして、やらなくてはならないことから逃れ続けていただけだ。

 

 僕は何がしたいのだろうか?心底馬鹿らしいと思っていた世界から逃げ出して、この部屋で何を探そうというのか。あの日の僕がいた場所を、とにもかくにも否定したかっただけであり、どこへ行きたかったわけでもなく、何をしたかったわけでもないのだろう。ただそこに居たくない。その思いを遂げただけだ。そして今、僕はこの部屋に居続けることにも限界を感じ始めていた。

 

 僕はどこへ行けばいいのだろうか?どこへ行って、何をすればいい?何も考えずに指示に従うだけの頭のない人たちを散々軽蔑しておいて、今となっては彼らに強い憧れを抱いているのだった。彼らこそ、人間の進化の果てなのかもしれない。考えてみれば、科学の発展はすべての人が等しい能力を持つことを目的としているのではないか?足りない能力を補う装置が次々と発明され、どんな人間でも同じような活動ができるようになり始めている。最近では脳に情報をアップロードすることで、テスト勉強が不要になるというような技術まで発明されるかもしれないという噂だ。

 

 そうなると、僕たちが心底大事にしているように見えて、社会的には害でしかないというように扱われている「個性」というものはどうなってしまうのだろうか?誰が何をやろうが同じ能力を発揮できるのであれば、あとは好みの問題ということになるのだろう。素晴らしい世界だ。みんながみんな好きなことをできるなんて。ただ、どれもこれも自分が考える想定通りの事象ということになり、何もかもがつまらなくなるだろう。みんな同じで、みんな悪い。そのとき僕たちは、どうして生きているのかと考えるだろう。

 

 生きているとはどういうことなのか?ただ呼吸をしていればそれは生きていると言えるのか?脳死と判定され、生命維持装置なしでは命を繋ぎとめておくことすら不可能な人でも?おそらく多くの人はただそれだけで生きているとは感じないだろう。人間にとって生きているとはどういうことなのだろうか。

 

 気がつくと、カーテンの向こう側がもう薄明るくなり始めていた。今日も僕は目を覚ましたまま朝を迎え入れることになったようだ。もう少ししたら目を刺すような強い朝日が現れて、それから逃れるようにようやく僕は眠りに落ちることができる。それはこの世界から逃げ続けるために僕の体が勝手に身につけた方法だった。いつの間にか、太陽が昇っている間ならいつまででも眠れるようになっていたのだ。僕の世界には夜しかない。孤独と自己嫌悪にまみれた自傷行為のような夜しか。

 

 重い体。泥だらけのユニフォーム。僕は中学校のグラウンドにいた。サッカー部の同級生や先輩が走っている。僕もゴールへ向かって走るが、体が重い。思うように走れなくて気持ち悪い。どうして、あの頃は僕が一番足が速かったのに。みんな遠くへ行ってしまう。遠のくゴール。遠くで何度も鳴り続けるホイッスル。リフレイン。

 

 アラームが鳴っていた。十七時。アルバイトへ行かなければならない。今日も一日を失ってしまった。寝起きはいつも最悪だ。自分の何かがどんどんすり減っていくのを実際に感じるのに、それがどこなのかわからない。目に見えなくて、実体のないものなのに、それは確かに存在して、確実に削り取られ続けているんだ。僕はそのことを知っている。そして、僕がこんな生活をやめない限り、それは永遠とすり減り続けていくのだ。なら、最後に残るものはなんなのだろう?いや、現実的にはそんなところまでこんな生活は続けてはいられないのだが。

 

 アルバイトをしていることで、僕の人間性はかろうじて繋ぎとめられているのだと思う。たまに声が出ていないときはあるが、まだなんとか他人とまともな会話ができた。しかし、日中の生活が存在しないので、向こうから何か言われない限り、こちらからは何も話すことがないのだ。

 

 ただ時間をこなしていくこと。それが今僕がやっていることのすべてだ。自分の中からは何も意欲が湧いてこなかった。このまま時間を無駄にし続けることはできないとはわかっているが、だからといって何をすればいい?何をしてももう、逃げているようにしか思えない。それくらい、やらなければならないことから逃げ続けている。

 

 いつからだろう、僕が面倒なことから逃げるようになったのは。学校の勉強や、社会の風習や、この世界のいろんなことが馬鹿らしいなんて思ってしまうようになったのは。なんといっても僕が無能で馬鹿だったのだろう。この世界にも、僕たちが生きていることにも、突き詰めていけば意味なんてない。だから、人間的な幸福とはたぶん、精神的に崇高な話ではなくて、生物的な生きやすさの話になるのだと思う。人間は自分たちで構築し続けてきたこの社会に依存して生きているのだから、その社会により順応し、その流れというものに身を任せ、エネルギー消費を抑えるためにできるだけ思考を放棄し、見せかけの社会の答えを信奉することで幸せを感じるのではないだろうか。同じバイト先で働く学生達を見ていると、特にそのような考えが強くなる。

 

 そう、今の社会はこれまで積み重ねられてきたものの上にあって、そこにはそれまでのいろいろな事象の答えがすでに用意されているから、僕たちは思考を飛躍してその答えをただ実行すればいい。グーグル検索万歳。だから自分の意思なんてものはないし、自分の発言に自信なんて全くない。自分で積み上げてきたものなんて一つもないのだから。

 

「何か意見はありますか?」

「ありません」

 

 以上。あとはよろしく。僕は悪くない。僕に責任はありません。この社会が悪い。全部全部、こんな社会のせいだ。こんな社会を作った大人たちが悪いんだから、僕たちは何もしなくていいはずだ。教えてもらってないぞ、そんなこと。僕は悪くない。僕は悪くない。

 

 社会に出て働いたこともない僕がこんなことを考えても何の真実味もないハリボテな思考でしかないけれど、そんな空気はすでに学校生活でも感じることができるのだから、これから先もたいして変わりはないだろう。

 

 バイト帰り、そんなことを考えながら、なんとなく、橋の上から川を見る。真っ暗な水面が、電灯の強い明かりでぬめぬめと輝いていて、ひどく重たいものを運んでいるように見えた。重油でも流れているのだろうか。いや、そんな考えは心底つまらない。ありえないし、ユーモアもない。ただ、その窒息しそうな色に強く魅入られた。重そうという感覚から引力でも発想したのだろうか。それはほんの一瞬のことだった。音も感じず、呼吸も忘れ、とにかく、その川面に引っ張られたのだ。そしてそれは何の思考も存在しない、ひどく心地良いものだった。

 

 引っ張られていた手を突然離されたように僕は橋の欄干から飛び退いた。何かを見た気がする。しかしその何かは僕の意識に上る前に記憶の渦に飲まれて消えた。

 

 夜が始まる。僕の目は冴えわたっていた。日中眠り続けていたのだから当然だ。この時間に何かをするか?いや、何もしたくない。動きたくない。眠りたい。けれど、眠るのもしんどい。中途半端な吐き気と頭痛を伴った、いつも通りの夜だった。僕は何をしているのだろう。何度こんな日々を繰り返すのだろう。意味がわからない。けれど、僕にはもうどうすることもできない気がする。誰か助けて。そう思っても、メッセージを送るべき相手は一人もいない。誰も僕を救えない。これが僕の人生。今更だが、すべて自分で選んだもののようだ。だから誰の責任でもなく、僕が悪い。

 

 そうだろうか?僕はただ生きたいと願っただけなのに。こんな意味のない生活を送りたくないと、すべてを無価値で無意味なものだと決めつけたのはとんでもなく馬鹿で愚かだったかもしれないが、本当に、ただ、ちゃんと生きたいと願っただけだったのに。

 

 引きこもる前の僕の生活は、ありふれた、どこにでもいるようなしょうもない大学生の日常。意欲も自主性もなく、ただ言われた課題をこなすだけ。流れのままにこなす日々、リアリティーのない時間が過ぎていく。痛みを感じることもそうそうなくて、ほとんどなんの刺激もない。生きているという実感がなかった。

 

 それでどうして引きこもってしまったのだろう?自分が世界を否定すれば何もかもが逆転するとでも思っていたのだろうか?刺激的な何かが向こうから突然やってくるとでも思っているのだろうか?終末世界の妄想は引きこもりの定番だろう。けどそんなもの心の底から信じている人はいない。何をしているのだろう?何を考えている?わからない。何もわからない。何かをしたい。けれど何をすればいい?

 

 本気で生きることが怖いんだ。自分が何も特別ではないただのその他大勢で、特別なことなんて何一つできないという現実を受け入れることができないんだ。そんな子供じみたことを思っているから、いつまでもこんなところから抜け出せないんだ。答えが溢れかえっている世界で、何をやってもたいして意味はないんでしょって言ってみて。車輪の再発明ばかり。なら僕がやるべきことはなんだ?結婚して子供ができて家族のために働くことか?それはきっと立派で幸せなことなんだろう。だけどそんなことみんながやればいいじゃないか、どうして僕まで同じことをしなければならないんだ?人間という動物の一種だからか?種を残してその繁栄に従事することだけが目的か?もっと何かないのだろうか、何かもっと、意味のあることが……。

 

 この不確かな世界に、本質的に意味のあることなんて何一つないのだろう。それはそれぞれの人間がそれぞれの価値判断で決めるものだから。それでいいと思わなければ、どこへも行けない。この部屋からでなければ、何も始まらない。思考を行動へ変えなければ、何も変わらない。けれど、どこへ行けばいい?何をすればいいのだろう。誰か教えて下さい。

 

 今日も意味のないことをしよう。何の結果も生み出さないことだ。それは想像の刃。ゆっくりと、僕はその刃を自分の心臓に突き立てる。大切に抱きかかえるように、深く、深く。目の裏で川面の光が瞬いた。そこはきっと何も考えなくていい、心地の良いところだろう。流れ流され何もわからなくなってしまえる、とっても素敵な場所。それでも僕は、この吐き気のする部屋にすがりつく。狂うこともできない出来損ないの遭難者。きっとまだ、明日の自分を信じているんだ。だから僕は馬鹿だって、自分で思う。そんな、朝。久しぶりに、一つの短編を書き上げることができた。それは「嫌煙」というタイトルの、二千字程度の物語だった。

 

 

 吸い慣れない煙草の煙が目にしみた。夜。運転中。左手から短い煙草が滑り落ちた。「あっ」と声が溢れた。そして男は「ぎゃっ」と叫んだ。煙草を挟んでいた指が、黒い芋虫のように蠢いていた。いや、それは実際芋虫だった。腹から喉に向けてよじるような悪寒がこみ上げ、喉が胃液で熱くなり、嫌な匂いが鼻に抜けた。反射的にブレーキを踏み込み、暗い一本道の真ん中で車は前のめりに停車した。体から遠ざけた左腕を大きく振るも、芋虫はやはりそこから生えていた。男は狂気に駆られ二本の指をダッシュボードに叩きつけた。

「ぐあっ!」

 痛覚は男のものだった。潰れた芋虫は闇の中でテカテカと光る液体を吹き出しながら、より活発に蠢きだした。男は小さい頃、車のドアに指を挟まれたことを思い出した。夏で、バーベキューの帰り道、まだ子供だった男が乗り込もうとした時、ふざけた兄がドアを閉めたのだった。あの時の、体の感覚が一本になり、他の部位がしんと静まり返るような、原始生物的な痛みだった。歯を食いしばり過ぎたのか顎の筋肉が引きつり、歪んだ口が戻らなくなった。それでもまだ右手を伸ばしギアをパーキングに入れてサイドブレーキを引くくらいの冷静さは残っていた。しかしハザードランプをたくほどの余裕はなかった。

 ドアを開け外に出た男は、理由もわからず走りだした。しかし逃れたい芋虫は彼の手の先でいつまでも身をよじっている。闇の中から恐怖が胃の中に忍びこみ、内側から彼を引き裂こうとしているようだった。足が絡まり、男はアスファルトに向けて勢いよく飛び込んだ。右側の頬、肩、肘、大腿部、膝、踝。これは自分の体の痛みだ、と思うと嬉しかった。しかしどうして自分は左側をかばうような転び方をしたのだろう?痛みが分散し、男はわずかに思考を取り戻した。もしかすると、この芋虫は俺を乗っ取ろうというのではないか。そう考えるとゾッとした。

 男は蹲ったまま体の下にある右手をポケットに突っ込んだ。そこにはライターがあった。ナイフはなかった。ナイフを持ち歩いている人間なんていない。それは残念なことだった。しかしライターがあった。焼き殺してやる。

 その時だった。左腕の表面が疼いたような気がしたのだ。音が消え、男の全意識が自分の左腕に注がれた。鼓動が音もなく、振動でその存在を伝えていた。男は見た。体表が膨らみ、よじるのを。

「かまうものか」

 男は歯を食いしばり、蠢く芋虫の指にライターの火を近づけた。彼らは熱を感知しお互いに絡み合いながら身をそらす。己の身を大事にするその姿の滑稽さを男は鼻で笑った。そんな抵抗は無駄だ。しかし無駄だったのはそんな男の決意だった。自分の指を火で焼き切ることなんて不可能だ。男はすぐにライターを投げ捨てた。一瞬の痛みを我慢するために強く噛んだ唇から血が滴り、口の中を鉄くさく染める。そして指を詰めた痛みに、火傷による痛みが波のようにじわりじわりと周期的に加わることになった。

 男は声を上げて笑い出した。そして立ち上がると腰をかがめたまま芋虫をアスファルトに擦り付け走りだした。

「やめてくださいやめてくださいやめてください」

「痛いです痛いです痛いです」

 何故だか男は胸の内から残酷な喜びが込み上げてくることに気がついた。痛みが増し、キーキーうるさい声が大きくなるほどにその喜びは増していった。

「やめてくださいやめてくださいやめてください」

「痛いです痛いです痛いです」

「ハハハハハ」

 息もできないような笑いが腹から込み上げてくる。こんなに愉快なのは久しぶりだった。いや、もしかすると人生で初めてのことかもしれない。そして笑い声に反し男は自分の顔が表情を失っていくことにも気がついていた。顔の筋肉はもうほとんど意識して動かすことができなくなっていた。しかしそんなことはどうでもよかった。男は車に向けて走り続けた。男の走る後には黒い線が二本引かれ続けていた。

 男は息を切らせながら車のエンジンをかけ、サイドブレーキを解除し、ギアをドライブに入れた。車はゆっくりと前進を始める。そして男は右側のタイヤの前に左手を差し出した。危機を察した芋虫が喚き声を上げるのが愉快でならない。

「お前たちは俺のものだ。逃げ出すことはできない」

 そしてついにタイヤが男の小指を踏み潰そうとした時だった。男の左腕は関節ではないところからぐにゃりと曲がり、すんでのところで圧縮を回避したのだった。皮膚が裂け、男の顔に生温い液体が飛び散った。目の前にはこぶし大の芋虫の顔があった。そいつはニヤリと笑うと「ありがとう」と言った。男はその顔を踏みつけようとしたが、そいつは器用に身をよじってかわすと男の首筋に噛み付いた。

 こいつはいいや、と男は思った。俺が死ねばこいつを殺せる。自分で自分の首を絞めてやがる。これだから虫公は。笑えるぜ。だから男はそいつの好きにさせておいた。しかしその時、男はそれでは自分が死ぬということに気がついた。それはいけない!けれどもう遅かった。

 彼の目には、自分の姿が映っていた。その男は嬉しそうに笑うと、車に乗り込んでライトをつけた。彼は眩しい、と思った。そして自分の体がずいぶんと動かしづらいことにも気がついた。目を覆う手がなかった。目の前に煙草の吸い殻が転がっていた。彼の煙草とは違う銘柄だった。ずいぶんと大きいなと思った。黒い壁が目の前に迫っていた。ゴムの焼ける匂いがした。

 

 

 今でも僕と話してくれる数少ない友達にさっそく送りつけてみると、ただひとこと「こわい」と返信が来た。しかし僕はこの物語を希望の話だと解釈していた。車を降りる時、男はライトを消していない。しかし最後の場面で、男はライトを点けている。つまり、男はもともと真っ暗な道を煙草を吸いながらライトも点けずに車を走らせていたのだ。この男は死を望んでいたのだろう。積極的に死のうとは思っていないが、死んでもいいやくらいのことは思っていたに違いない。または、誰かの死を望んでいた。自分が轢き殺すかもしれないその相手に、何らかの癒しを感じていたのではないかと思う。しかし生まれ変わった男は、今までの自分を轢き殺し、ライトを点けて走り去る。生まれ変わり、新たな自分を生きる決意をしたのだろう。それがどうしてなのかはわからない。そんなことができるのならば僕にもぜひ教えて欲しい。しかし人生とはもしかすると筋の通った連続性のあるものではなく、もっと離散的なものなのかもしれない。ある瞬間を境に、突然変わることもあるのかもしれない。ここに生きる自分と、あの時を生きた自分とが同じものだとは誰にも証明できない。自分なんてものは曖昧な記憶と、この牢獄のような肉体が繋ぎ止めているに過ぎないものだ。そう考えると、自分というものは僕らが魂とか精神とか意識とか呼んで大切にしているものよりもむしろ、疎かにされがちなこの肉体にこそ宿るのではないかと思えてきた。つまりこうだ。今後の人間は自分という中身のために入れ物である体を取っ替え引っ替えすると勘違いしているが、本当は中身、つまりソフトウェアの方を更新すべきで、ハードウェアである肉体こそが主人なのだ。そしてその主人をより良い状態に保つため、その場その場に合わせたソフトウェアを導入する。だって生存のために優位な形質であるから獲得されたはずのこの意識とかいう代物が自らの生命を奪う、つまり自殺という現象は明らかにソフトウェアのバグではなかろうか。そして苦しい現実から逃れるために他の人格を作り上げるといったような精神病は、病気というよりもむしろ進化のような気がしてきた。はっはっは、今日はなかなか調子がいいぞ。こうやって世界の信じるものにケチをつけて回るのは、僕の唯一と言っていい楽しみなのだ。

 

 しかしだからといってこの物語が万人に救いの小説であると受け入れられる必要はない。それは必要な人がそう受け取ればいいだけの話だ。だから我が友人のようにこれをただの気味が悪いホラー小説だと読んでもなんら間違いではない。僕は彼を否定するつもりもないし、そもそも僕自身だって初めからこれを救いの小説、希望の小説だと思って書き進めたわけではない。頭に浮かんだものをそのままできる限り素直に文字へと変換してみようと試みた、夜の慰みであったに過ぎない。男が車を降りる時にライトを消していないのは、単純に僕が消し忘れたということが事実かもしれない。しかし事実などどうだっていいのだ。物語に多面性がなければそれはもう死んでいる。一義的なものなど糞食らえだ。作者に意図などない。

 まったく、世の中をきちんと生きようとする人たちはどうしてそれほど強固な意見を求めたがるのだろう。この世にはっきりとしたものなど存在しないというのに。彼らはどうしてこの世界が実際に在ると信じているのだろうか。僕にはさっぱりわからない。そんなこと考えても仕方がないって?かといって放っておけるような問題でもなさそうなものだが。それならば例えば全てのことがこうだと決まっている理想的な水晶宮のような世界になったとして、彼らはいったい何をするのだろう。何をしてもしなくても物事はもうすでに決定している。全てのことはもう記されているのだとしたら、生きる必要などどこにある?世界を一義的に決めてかかろうとする彼らの意見を是非とも聞いてみたい。ああ、そういえば先日見に行ったミュージカルの世界観設定が面白かった。その話では、生まれ変わりは縦軸の話ではなく、横に続いているパラレルワールドに移るようなものだとしていたのだ。これには僕もなるほどとうなずかずにはいられなかった。世界には常に現在しかなく、世界はいつもミルフィーユのように重なり合い、響き合っている。だから本物の世界がどれかなんて考える必要はなく、それぞれがそれぞれの影であり、お互いにお互いのエコーとして、そうやって曖昧に、不安定に、そして奇跡的に存在しているのだ。僕はその考えが心底気に入った。そんな世界ならば、希望を持って生きることができるような気がする。まあ、この世界がそうだとは限らないので僕がそれから意欲的に生きようと心を入れ替えることはなかったのだが。それでもその可能性の示唆はそれなりの救いを僕に与えてくれた。

 

 僕らは未来を生きたがり過ぎている。来るともしれないいつかのために、今を犠牲にしている子供の多いこと。大人になんてなるもんじゃない。子供という、人間が唯一本来的に生きられる期間を、大人になって死んでいくための準備期間として生きなければならないこの社会は、なんとも悲しいものではないか。救いがないと呟きながら、必死に社会生活にしがみつく多くの人間は、きっともう、一人の人間ではないのだ。彼らはすでに人間という種、人間という概念に成り下がっている。個としてその身に宿る人間性は捨て去っているのだ。もちろんまだそれぞれにそれぞれの苦難があり、状況があり、幸せがあるが、それはもういくらも繰り返されたどうでもいいものでしかなかろう。シミュレーション仮説が正しいとすれば、彼らのそのような生はもはや観測対象から外れた惰性的なものでしかない。そしてその中庸さこそ、今を生きる社会人間に対して最も幸福を授けるものであるのだ。この世界はもう終わろうとしているのではないか?人間は増え過ぎた。ほんのわずかのイレギュラー的な人間以外、もう全てデリートキーで消し去ってしまってもいいのではないだろうか。いや、そんなイレギュラーを生み出すためには、これだけの社会人間と社会システムが必要なのだろうか。観測者はいったい何を探し求めているのだろう。この宇宙を記述する大いなる言葉とかいうやつか?そう、僕らはこの宇宙の言葉なのだろう。宇宙規模で見れば人間の命なんて使い捨ての電池のようなものだ。しかしそんな使い捨て電池がこの瞬間を照らし続け、永遠を証明しようとしているのだから、これは大したものだと思う。永遠がないとすれば、数字の最後は何と呼ぶのだろう。それを知ることができれば、いったい僕らは、世界は、何を見出すのだろう。

 

 ある作家が、小説とは、そこにある言葉で、そこにある言葉以上のものを表すものだと言っていた。だから僕は小説に希望を見出したのだろう。ここにある世界で、ここにある以上のものを表すことができれば、僕らは救われるのだと思う。僕らの魂がもしあるとして、多くの神話が示すように、それはこの世界には収まりきらない、この世界の外のものを含むものなのだろう。昔からずっと人間はそのことに気づいていたようだ。グノーシス主義の言う本来的自己は、本当にプレローマからこぼれ落ちたものなのかもしれない。そしてそこまで行けば、僕らを救ってくれる天使たちが待ち受けてくれている。それはとっても素敵なことだろうと思う。ここにある命で、ここにある以上のものを。僕は欲張り過ぎなのだろうか。だから何も得られないのだろうか。いや、僕が何も得られないのは、何も行動しないからだ。行動。それこそ結果の全て。思考など幻想に過ぎない。人間は物理的な存在だ。生きているうちに霊的な存在にはなれっこない。夢が現実を変えるわけないだろう。夢が変えたのは現実の行動であろう。手と足を動かして行動すること。人間にできることはそれだけなのだ。だから僕はいつか、きちんと自分を殺そうと思う。しかしそれは今ではない。ありがたいのか、残念なのか、それはその時の心理状態による。今この文章を書いている時点ではそれなりにありがたいことだ。何故なら僕はこの文章がどこにたどり着くのか知りたいと思っているからだ。未来に希望を持っている。これを書き上げたからといって、僕の生活が変わるかといえば、そんなことはないだろうが、それはその瞬間が今になるまで確定していない。未来は存在しない。どれだけ確実なことでも、それが実際に今になり、過去になるまで、確定された事象ではないのだ。悪魔の不在を証明してみろってなもんだ。証明者さんは大変だ。宇宙は今も広がり続けている。あなたの証明しなければならない世界は今この瞬間にもどんどん増え続けている。その証明が追いつくことはないだろう?いや、信じ続ける限り、あなたが証明できないとも言い切れない。だから僕らはみんな平等の立場に立っているのだ。そう考えると、この世界はそれなりに素敵なのかもしれない。神様がいるならば、あんたはうまくやったよ。

 

 もちろん現在僕はこの文章を誰かが読む可能性のもとに書き記しているのだが、そしてそれを心ならず求めているのかもしれないが、さしあたって誰に向けても公開する予定はない。それならばこのような七面倒な作業をする必要はないと思われるだろうか。勝手に頭の中で思っていればいいと言われそうなことはもちろんこっちだってわかっているのだ。それでも僕が書くのは、やはり書くというその行為自体から僕が癒しを得ているからだろう。そしてなんといっても、夜は長いのだ。はっきり言って、暇だ。書くことはいい。自分の不勉強に苛立ちはするが、それを差し引いても良いものだ。先日久しぶりに会った祖母にもそのことは話した。祖父の死去とともに住み慣れた三重県を離れ、知人もいない京都の長女のところへ引き取られていったかわいそうな祖母。聞いた話では、家での会話はほぼ皆無。娘からの叱責だけがコミュニケーション。日々の生活の鬱憤を話す祖母は思わず涙を浮かべていた。そして孫の僕はといえば、何もしてやることもできず、ただただ話に頷くのみ。申し訳なさはあるにせよ、自分自身のことさえさっぱり面倒のみれないクズにはどうしようもない。

 

 わからないものだ。一昨年の初めまでは全てが順調だったのだ。いや、そうとも言えないが、祖母はそれなりに自分好みの生活をしていたのだ。しかし夏を過ぎてから祖父の認知症が急速に進行し、僕も一度見に行ったのだが、深夜に枕を抱えて家の中を歩き回っては「殺される」と叫び通しだった。なんでも昔悪いことをしたツケが今になって返ってきたらしく、祖父を殺しに当時の仇が狙っているらしいのだ。彼の後ろを一緒になってついて行っては窓の外を双眼鏡で眺める僕に対して祖母は何を思っただろう。実を言うとあの一日きりの体験は、僕にとってそれなりにおもしろいものだったのだ。しかしそれが毎日となると、耐えられる人間などいないだろう。僕は祖母が好きだ。そしてその時、彼女は癌だった。

 

 そもそも祖父の認知症が極度に進行したのは、祖母が癌になったことが原因であった。今まで好き勝手生きてきた祖父は、そんな自分を唯一見放さず、帰る場所として存在してくれていた祖母の病気に動転したのだろう。そして今になって気づいたが、僕はそんな祖父によく似ていた。さらに言うと、生前祖母に心労ばかりかける祖父のことが、僕は心底嫌いだった。

 

 祖父は作家を目指していた。祖母にはよく「大阪のドヤ街に飛び込んで人々の生活を観察したい」と語っていたらしい。突然知らない人を連れ帰ってきたかと思うと、祖母の許可も取らずに寝泊まりさせ、後から聞くと刑務所から出てきたばかりの人だったということも何度かあったらしい。彼が人間の何に興味を持っていたのか、僕には少しわかるような気がする。そして彼は実際にある日突然姿を消したことがある。

 

 祖母はいく日も心配しながら彼の帰りを待ち続けた。彼女には理由がわからなかった。しかし彼は実際にそこから姿を消したのだ。その事実だけが唯一彼女に理解できたことだった。それから半年後、祖父の兄から祖母に連絡が入った。どういうツテで見つけたのかはわからないが、祖父は神戸の港町にある工場で日雇い労働者としてその日暮らしを送っていた。その一報を受けた祖母は仕事を休むとすぐさま駆けつける。

 

 走り書きのメモを手に、祖母は工場の用意する宿舎にたどり着いた。管理人に問い詰めると、彼は今勤務に出ている、帰るのを待つのを許すという話だったので、祖母は宿舎の前で五時間も立ちっぱなしで祖父の帰りを待った。そしてようやく、送迎のバスが宿舎にやってきた。土気色に汚れたよれよれの作業着を着て目の前に降り立った祖父を見て、彼女は何を思ったのだろう。それは僕には計り知れないことだが、彼女は一言こう言った。

 

「さあ、帰りましょう」

 

 なんだかんだと言い訳を並べる祖父だったが、音沙汰がなくとも半年間健気に待ち続け、目の前で怒り出すわけでもなくただ「帰りましょう」と静かに訴える妻を追い返すことは、どんな人間にもできなかったのだろう。最後の抵抗か、祖父は目を泳がせてこう言った。

 

「上着をクリーニング屋に取りに行かないと」

 

 たいしたもんだ、と祖母は思ったらしい。半年の失踪の、なんと滑稽な幕引きだろう。

 

 そんな祖父だが、結局自費出版で本を一冊出した以外に、作家として作品を世に送り出すことはなく人生を終えた。しかし正直に言って、僕は彼のことは嫌いだが、死後引き取った彼の著作のことは好きなのだ。これは非常に悔しいことだが、彼の文章は素直さと哀愁にあふれていて、どういうわけか僕の胸に真摯に届くのであった。原稿用紙に綴られた物語は、その達筆さゆえにそのような文字に慣れていない僕には読みづらいところもあったが、文章自体はとても読みやすく綺麗なものだった。祖母は彼がいつでも肌身離さず辞書を持ち歩き、文机に向かって誰に向けてでもない文章を綴っている姿を半世紀以上見続けていた。そんな祖母が最も胸を痛めたのは、認知症の末期、生涯愛用していたその辞書を、祖父が彼女の目の前で無残に破く姿だったと言う。

 

 おそらく、それは彼の愛ゆえにだったのだろう。自分の消えゆく命を確かに感じ、そしてその死に、愛する言葉を連れて行きたくなかったのだろう。火葬の折、自分の屍の隣にその辞書が添えられるなどということに耐えられなかったのだろう。全ては僕の想像でしかない。僕は祖父とほとんど言葉をかわすことがなかったのだから。けれど、きっと彼は自分の人生をこの世に残すために、その辞書を生きているうちに始末しなければならないと、それが生涯の相棒に対して自分が示すことのできる最後の愛だと思ったのではないだろうか。しかしそれはつまり、彼が祖母よりもその辞書と言葉を愛していたということになってしまうのかもしれない。祖母をより愛していたのなら、その辞書を自分の分身として彼女に残しておくことも考えられたのだから。いや、こんなことを言葉にする必要はない。それは言葉を超えたものだから。頭の狂った老人が最後に何を考えていたのか、それは誰にもわからない。けれど祖母がいたからこそ、祖父がきちんと死ぬことができたのは確かだ。僕は祖母を愛している。

 

 先週から、祖母の抗がん剤治療が再開された。治療の辛いところは食べ物が美味しくなくなることだと彼女は言った。何もすることのない老人にとって食事というのはほとんど唯一の楽しみなのに、と嘆いていた。

 

 僕の小説が祖母の生活を少しでも楽しませることができればとは思ったが、今自分の書いている文章を思い出してみて、それを言葉にすることは控えることにした。だから僕は祖母があまり理解できなかったと言う祖父の小説を読み、彼がどのようなことを考えながらその文章を書いたのか、僕が思うことを話してあげることにした。そうしながら祖母はその時々の出来事を思い出し、涙を流すこともあった。今僕にできることはそれぐらいのことであった。

 

 祖母に「書いてみたら」と言ったのも、実は僕自身が祖父母の物語をもっと知りたいと思ったからだ。そして思うに、書くと言う行為には人を癒す力があり、書かれることが過去であったとしても、それは明日を生きる力になると、僕は信じているのだ。生きているうちに話し合うことができなかった祖父と、僕はどんな会話をするのだろうか。彼は言葉をたくさん知っているから、僕は馬鹿にされて腹を立てるかもしれない。それでもそれはのちの人生にとって、楽しいひと時になるような気がする。生きるというそのことだけで、人は多くのものを生み落とすものだ。それはほとんど塵芥でしかないものかもしれないが、僕のようにそれをかき集めて紙に巻き、煙草をくゆらせるように楽しむおかしな人間もいるかもしれない。

 

 さて、今日も朝が来た。それはとても素敵なことなのかもしれない。奇跡的なことなのかもしれない。今日は珍しく頭がスッキリとしている。どうしてだろう。やはり文章を書いていたからだろうか。それならば、せっかくなので散歩でもして、新しい服を買い、女の子を誘ってみてもいいかもしれない。まずは顔を洗って髭をあたろう。生きて、行動し、何か話をする。そうやって人生は回っていく。意味なんてなくても、僕らは回り続ける。祖父のように、僕の言葉はどこにも届かないかもしれない。しかしそれは、まだ決定されたことではない。それは過去ではなく、未来の話なのだ。いや、もしかすると、もう一つの世界の話になるのかもしれない。しかし僕らはここにいる。

 

 僕らの命はまだどこにも記されていない。今僕らが記している命の言葉を、いつかの誰かが読むことはあるのだろうか。それもわからない。わからないからこそ、それは希望であり続ける。命は回る。祖父の言葉が、彼を嫌う僕にまで届いたように。生まれ落ちたその瞬間から、僕らは回り続けている。ダンス、ダンス、ダンス。そのステップが、僕らの言葉。

 

 

 西成にきたのは昼頃だった。高架上の××駅から下の道に降りると、私は前を行く人の背中について歩いて行った。ガードレール下に出た。そこを抜けると、急に騒がしい場所に出た。手ぬぐいで鉢巻をした男が、道端に雑多な衣料品を積み上げ威勢良く叩き売っており、何人かが品物を手にとって調べていた。そういう光景があちこちでみられ、人も多く出ていた。その叩き売りをやっている前を通って少し行くと、交差している広い通りへ出た。私は、その通りを信号に沿って向こう側へ渡り、それから歩道を右へ歩いて行った。左へ行ってもよかったのだが、私には左へ行く人よりも右へ行く人の方が多いように思えたので。

 

 歩道の左側には、八百屋があり魚屋がありパン屋があった。小さな食堂もあった。車庫のような見物があり、なかには自動洗濯機が並んでいたが、使用している人の姿はなかった。歩道の右側の電柱には<人夫募集>の張り紙があった。一本の電柱に別の募集の張り紙が三昧も四枚も貼ってあるのがあった。どれも寮付きで、雇い主の電話番号だけが大きく書かれていた。

 

 基幹道路に出た。中央分離帯を挟んで車が反対方向へ疾駆していた。道路の向こうには高層ビルが立林し大都会が現出していた。そこは私には縁のない世界だった。私はそこを左へ折れた。やはりこれまでと同じような個人商店が並んでいた。と、前方から異様な風体の二人連れがふらふらしながら歩いてきた。にたりとも灰色の踝まである長い重そうなオーバーを着て、ゴム長靴を履き、垂れ下がったぼさぼさの髪をしていた。ふらついているのは泥酔しているせいらしい。すれちがいにみえた顔はどす黒く、垂れた髪の間に白く細い死んだような目が見えた。私は、そのあとも何人かの薄汚れた泥酔者とすれちがった。

 

 私にとってさしあたりいちばん必要なことは、今夜のねぐらを確保しておくことだった。知らない土地で、それに所持金も少ないとなれば、その日のねぐらの決まっていないことほど不安なことはない。それに、私はひどく疲れを感じていた。どこかからだが悪いのではないかと思うほどだった。そのために、早くどこかでからだを横たえたくて仕方がなかった。

 

 歩いていると、露地への入り口のようなところがあった。私が覗き込むと奥の方に<旅館>書かれた小さな看板が見えた。私はすぐにその露地に入っていき、<旅館>の看板を目当てに歩いていった。旅館はすぐに見つかった。玄関先に宿泊料金の表示があり、最低が一泊三百円で、六百円、八百円、二千円になっていた。

 

 玄関が開いていたので私は黙って中へ入って行ったら奥から若い女が出てきた。

 

「何か用?」

 

 女はいかにも胡散臭そうに私の顔を見詰めた。

 

「部屋を借りたいのだが」

「満員よ」

 

 私は、これ以上何を行っても無駄であることがすぐにわかった。

 私はそこを出たが何も心配することはなかった。その辺りには、よく似た旅館がいくつもあったのだ。私は、またそのうちのひとつに入って行った。こんどは年配の女が出てきて「三時からしかやってないよ」とぶっきらぼうに行った。私は、それなら三時以降にまたくるからそのとき頼みたいと念を押した。女は黙っていた。どうやら、この辺りでは、旅館は昼の三時からしか開かないようだった。初めの旅館で断られたのも、まだ時間が早かっただけのせいかもしれない。若い女が胡散臭そうに私を眺めたのも、こんな早い時間からと思っただけのことで何のこともなかったのかもしれない。とにかく、ねぐらだけは何とかなりそうで、私も少し気分が楽になった。

 

 私は、時間つぶしにその辺りを少しうろついていることにした。何しろ、まだ昼過ぎである。いくら疲れているといっても、三時までそこに立っているわけにもいかない。

 

 歩いていると、賑やかなアーケード街に出た。中へ入っていくと、両側の商店の前の路上にいろんなものを並べてジャンバー姿の男が通行人に売っていた。時計やらバンドやら財布やらそうした類の小物が多いようだった。とにかく雑多な人間がぞろぞろと歩いていたなかでも、ジャンバーにゴム長靴姿という労働者風の男が多かった。パチンコ店も多く、喧騒を道路へ響き渡らせていた。

 

 おでん屋があって労務者が群がっていた。そのおでんのにおいが、私に今朝からこれといったものを口にしていないことを思い出させた。私のふところには一万円札一枚と千円札が一枚と、それに小銭が少ししか残っていなかった。私は、小銭の分だけででもおでんで一杯やりたい誘惑にかられた。私はそこに立ち止まって小銭がいくらあるか数えて見た。そうしたら、しわだらけのお婆さんが私の顔を下から覗き込んできた。そして、目をパチクリとさせてみせた。「五千円でいいよ」

 

 私ははじめ、婆さんは私をそのおでん屋へ誘っているのかと思った。(私の頭のなかはおでんを食いに入るかどうかのことしかなかったので)しかし、それにしては金額の高いことに気がついた。私は「女より泊まるところはないか」と訊いた。「ある」婆さんは私を横道へひっぱっていった。ちょっと不安だったが、婆さんのあとについて行くとすぐに旅館に着いた。婆さんは私を玄関の前に待たすと自分だけなかへ入っていった。なかから婆さんと一緒に旅館の主人らしい割烹着をはおった四十すぎの女の人が出てきた。

 

「千八百円の部屋しか空いてないよ」とその女は私の顔を見ながら言った。「それでいいよ」と言うと、すぐその女の人は私を旅館内に入れ、狭い廊下を二階へ案内していった。いくつかある部屋のひとつ戸を開けると、この部屋だといって私をなかへ入れた。そして、前払いだからと言って千八百円を要求した。女主人が去っていくと、私は、ここまで案内してきてくれた婆さんに礼を言うのを忘れたことに気がついた。すまないことをしたと思い、もう一度下までおりていこうかとも思ったが、多分もう婆さんはいないだろうと考えて諦めた。

 

 部屋は四畳半だった。畳は黒く、ふとんが一組み敷いてあった。どういう意味かまくらだけが二つあった。ふとんを入れるためらしい押入れがあったので開けてみようとしたが、何か閊えているようで開かなかった。とにかく疲れているので寝ることにして(ほかにすることもなかった)上着を脱いだ。そして、思い出して入り口の戸に施錠をしておこうとしたが、錠は壊れていてできなかった。諦めて敷きっぱなしのふとんのなかへ潜り込んだ。湿っぽくてそれに変なにおいがした。

 

 少し眠った。眼が覚め腕時計を見ると三時半だった。眠っているあいだ、旅館の外をザワザワと人の歩き回る音がしていた。夢うつつに、自分は温泉客がゾロゾロと歩き回っているような錯覚がしていた。パトカーのサイレンの音がした。眠っているあいだにも、何回かきいた気がした。

 

 すこしでも眠ったせいか、少し疲れがとれたような気がした。まだ夜まではだいぶ時間があった。私は、それまで外へ出かけてみることにした。所持金も先程ここの宿泊代を払ったいまは、もう一万円を切っていた。このまま、部屋のなかでじっとしている気にはなれなかった。

 

 旅館を出ると、あちこちをあてもなく歩き回った。頭上を効果が走る狭い路を歩いていたら、前方で労務者風の男がふらふらしていた。よほど泥酔しているとみえ、道路を端から端へとふらついているだけなので、向こうへ歩いて行こうとしているのかこちらへ歩いてこようとしているのか分からなかった。私が近づくと、男は突っ立って動かなくなった。頭を垂れ眼をふさいでいるので眠っているふうだった。私がその横を通り抜けようとしたら、男が「オッサン!」と呼び止めた。私がギクッとして立ち止まり男の方を見ると「その新聞、くれ」と、頭を垂れ眼をふさいだまま言った。

 

 私は、道端で拾った古新聞を手にしていた。何かいい求人広告でも出ていないかと思ったのだ。男は、頭を垂れ眼をつむっているくせに、私の手にしている新聞を眼にしていたのだ。私は、求人広告の載っているページを一枚破りとってから、その新聞を男に黙って手渡してやった。男は、うつむいたまま黙ってそれをとると、ズボンのバンドを外しはじめた。私が数歩言ってから振り返ると、男は、道ばたにしゃがみこんでいた。糞をしているらしい。

 

 歩き回っているうちに辺りがうす暗くなってきた。工事現場の塀があって、そこに、前に電柱に貼ってあったと同じ人夫募集の張り紙が何枚もベタベタと貼ってあった。そのなかに<アパートの管理人募集。給与十七万円>というのがあった。私は、その張り紙にある電話番号を、一枚だけの新聞のハシにメモした。その辺は公衆電話がありそうなところではなかったので、少し行って人家のあるところへでてから公衆電話を探し、そこから電話をかけてみた。

 

 おばあさんらしい相手がでた。

 

「……どんなことをするんですか」

「アパートの住人が、部屋代を夕方から夜十二時ぐらいまでに持ってくるから(どうやら部屋代は日払いらしい)それを受け取っておく仕事だよ」

「それで十七万円ならいいな。それたのむよ」

「十七万は夫婦者だよ」

「なんだ。こちらは一人なんだが」

「一人のもいまあるよ。十一万だけど」

「それたのむよ。それで条件は?」

「保証人が一人いるよ」

「それがいないんだが」

「それでは駄目だ」

 

 電話が切られた。私はここで仕事にありつこうと思ったら、少なくとも始めからはまともなものは無理らしいと察した。

 

 あてもなくまた歩き回っていたら、変なところへ出た。その一郭は、どの家も格子戸の同じ造りだった。どの家の玄関も開かれていて、土間の向こうの部屋に着飾った若い女が座布団を敷いて座っていた。私がその玄関の前を通ろうとすると、どの家からも中からおばあさんがとびだしてきた。そして「兄さん、チョット見たってえな」と中の若い女の方へ顎をしゃくった。いくらだと訊いたら六千円だという。「またにするよ」と言って私はその界隈を早足に通り抜けた。なおも歩いているうちに(知らぬうちに日はまったく暮れてしまっていた)飲屋街に入り込んでいた。飲屋街といっても、ビルなどなく一軒家の小さな店ばかりだった。まだ時間が早いせいだろう、店の中に殆ど客の姿がなく、どの店の前にも客引きの女が立っていた。そしてどの女も私を誘った。「千円でいいよ」「一杯だけだよ」と言った。こちらは飲める状態じゃないんだ、と言ったら、女に横を向いて黙殺された。「仕事を捜しているんだ」「仕事ならあるよ、飲みながら話そうよ」「遊んでいってよ、三千円でいいワ」「ダメだ、仕事を見つけてからだ」「仕事なんかしなくても私のうえにのってたら三食昼寝付きさせたげるよ」と肥えた女が媚びた流し眼をして笑った。そのうちに、飲屋街もとぎれ、なおも歩き続けていると、なかで大きな建設工事でもしているらしくパネルで片側をずっと囲った道にでた。そこを歩いていくと、前方の路上に人だかりがしていた。近づくと、一人の労務者風の男がパネルの塀を背にして木箱に腰掛けていた。その男を二十人くらいの労務者が取り囲んで笑っていた。木箱に腰をかけた男も、それを取り囲んでいる労務者の方も殆どがだいぶん酔っ払っているようだった。取り囲んでいるうちの、前列の道路に尻をおろしている連中のうちの一人が、囲いのなかほどに置かれた小さなダンボール箱のなかへ十円玉を放り込んだ。誰かが流行歌の題名を大声で言った。すると、木箱に座った男が片手に持っていたハーモニカをちょっと拝むようなしぐさをしたが(彼はそれで曲を憶いだしているのだと思うが)すぐにその流行歌を吹きだした。男が一曲吹き終わるとまた誰かが十円玉を放り、誰かが曲名を注文して、男が吹いていた。男が背にしているパネルの塀には人夫募集の張り紙が一枚下半分ちぎれたまま張り付いていた。

 

 私は、そこを離れてまた歩き出した。そして、また人家の密集した通りへ出たが、ちょうど一日の仕事が終わった頃の時間だったせいか、どこの酒屋も立ち飲みの労務者でいっぱいだった。私も、そのうちの一軒の酒屋に入っていった。歩き回って少し疲れていたし酒も飲みたかったが、あてもなく歩き回っているより、人の集まっているところの方がまだしも何かきけるかもしれないと考えたのだ。入ってみると、中は思ったより広く、労務者でいっぱいだった。私はカウンターのいちばん隅へいって一杯注文した。L字型になった向こうのカウンターで、坊主頭の若い男がさかんに喋り捲っていた。こういうところでは、どこでも話題の中心になっている者が一人か二人いるものである。私も、きくともなしにその若い男の話をきいていた。

 

「西成へ来るもんは、みな、親不孝をして逃げてきた奴ばかりや」

 

 みな笑った。私は、左隣の若い男に、何か仕事がないか訊いてみたかった。が、となりは私に背を向けたまま、坊主頭の方の話にばかり興がっていて、どうしても話しかけるきっかけがつかめなかった。仕方なくひとりで飲んでいると、隣の若い男が帰っていき、かわりに髭面のおじいさんが割り込んできた。私は、飲み出したじいさんをすこし観察していたが、じいさんは若い坊主頭の話には少しも興味を示さなかった。そちらの方を見ようともしない。「仕事を捜しているんだが……」と、私はじいさんに言ってみた。

 

「そんなことわけねえ、センターへ行け」

「センター?」

「そこへ行けば、労務者をいくらでも集めに来とるよ」

「それが、まだここへきたばかりなんでよく分からないんですよ」

 

 私は、じいさんに一杯奢った。つきあいに私ももう一杯注文した。

 じいさんは私の顔を見直した。それから、私の格好を足元から見上げた。「ここでは何だからこれを飲んだら出よう」と。じいさんは言いながら私のコップ酒を口にもっていった。

 

 コップ酒を飲んでしまうと、じいさんと私は酒屋をでた。外はもう暗くなっていた。二人で歩いて少し行くと、空き地があった。そこへ入っていったが、腰をおろせるような場所はなかったので、二人で地べたへしゃがみこんだ。そこでじいさんが教えてくれたのは次のようなことだった。

 

 センターへ朝早く行って待っておれば、業者がマイクロバスで迎えに来てくれるから、それに乗り込んで行けば現場に運んで行ってくれるそうで、一日仕事をさせてくれる。仕事が終わればその日の日当を現金で支払ってくれ、またもとのセンターまでバスで送って来てくれる。こういう一日労働契約と、もうひとつ、十日契約というのもあるらしい。この方は、十日間働くという約束で、賃金も十日間働いたあとでしか支払ってくれないが、その代わり寮もあって、そのあいだは寝ることも食うことも先方で面倒をみてくれるそうだ。

 

「十日契約の方なら京都と神戸の両方を知っているが、京都の方がいい。京都の方は寒いのだけがかなわんが、神戸はガラが悪い。アンコ(一日契約の方をこういうらしい)では、毎日宿賃がいるし、ときには遅くなったりすると満室で断れれて青カンをせんならん。今時は寒いので、誰でも宿を欲しがりそのためよくあぶれるのだ。寒いときの青カンは身体に堪えるからな」とじいさんが言った。さきほどの酒屋で、坊主頭の若い男がさかんに青カン青カンと言っていたが、そのときは青空のもとで姦することだと思っていたが、じいさんの話のなかでは、ただ外で寝ることだけをいうらしい。

 

「働きたいのなら明日センターへ連れて行ってやろう。ところでいまどこにいるのや」

 

 私がこういうところに宿をとってあるというと、「何!千八百円も!よし、そこへ行って断ってしまおう」とじいさんが怒って言った。「今夜はワシのところへ来い。ワシの部屋へ寝かせてやろう。それから、あしたの朝センターへ連れて行ってやるよ」

 

 じいさんは、その空き地の隅に自分の自転車を置いていた。私は、その自転車をひいて爺さんをうろ覚えの道を通りやっととってある旅館まで案内した。じいさんには入り口の前で待ってもらっていて、ひとりで中へ入って行って、女主人に知り合いのところに泊めてもらうことになったからと言って引き上げたい旨を伝えた。「払い戻しはしないよ」と女主人が言った。私は、それなら明日の朝の十時まで部屋をとっておいてほしい、ひょっとしたら朝方でも戻ってくるかも知れないから、と頼んだ。じいさんが今は自分のところに泊めてやると言っているが、成り行きでどんなことになるか知れたものではなかった。夜中に追い出されでもしたら、せめてここで顔でも洗わせて欲しいと思ったのだ。

 

 旅館を後にする前に、もう一度だけ部屋を見ておこうと思った。何を置いてきたというわけではなかったが、払い戻しもなかったのでなんとなく名残惜しい気持ちになっていたのかもしれない。私が部屋の扉を開くと、そこには何故か着飾った若い女がいて、こちらに向け微笑んで手を差し出した。

 

「お待ちしておりました、さあ」

「持ち合わせがないんだよ」

「お題は結構です。さあ、こちらへ」

 

 女は私がどうしても開けられなかった押入れをいとも簡単に開け、どうやらそこへ招こうとしているのだった。なんとも妙な事態になったと思ったが、私はとりあえず女に従ってみることにした。酒が回っていたのかもしれない。

 

「頭に気をつけてください」

 

 女の心遣いに感謝しながら押入れの中へ踏み入れると、奥からハーモニカの音が聞こえてきた。それは先ほど道端で聞いた流行歌を奏でているようであった。私は無意識にズボンのポケットに手を入れると、そこから十円玉を取り出して前に投げた。闇の中へ飛び込んで行く十円玉が、その軌跡に光を灯すように、辺りは突然明るくなった。そこはどこかの飲み屋のようだった。

 

「こちらへ」

 

 女の案内で私は席に着いた。わけがわからなかった。それに、外にじいさんを待たせている。私はどこかへ行こうとした女を引き止め、自分はこんなところにはいられない、と伝えた。彼女は柔らかく微笑んだだけで、なんの返答もくれなかった。辺りを見回したが、帰り道がどこか見当もつかなかった。仕方がないので私は目の前に運ばれてきた酒を飲んだ。うまかった。

 

「この十円玉を投げたのはあんたかい?」

 

 気がつくと、目の前にハーモニカ男が立っていた。私はそうだと頷いた。男は「リクエストは?」と訊いたが、私は特に考えがなかったので「なんでもいい」と首を振り、酒を飲んだ。

 

「なんでもいい、か。そんな気持ちでこの街へ来たのかい?」

 

 私は酒を飲む手を止め、男を見上げた。

 

「怖い顔するなよ。別に説教しようってわけじゃない。俺も似たようなもんさ。しかし、あんたは特に匂いがしないな」

「匂い?」

「目的の匂い。なんのために生きるのか、自分はどこへ行こうとしているのか。人間というのは多かれ少なかれそんなことを考えて生きているもんだ。しかしあんたからは何も匂わねえ。空っぽだ」

 

 空っぽか、と私は笑った。その通りだと思ったからだ。妻があり、子があり、仕事があったが、私にはよく分からなかった。私はいつも自分の中の空洞が立てる音に耳を塞ごうとしていた。人と関わり、優しさや思いやりを感じるたびに、その空洞が私を苦しませた。私には誰かに返すことのできるものが何もなかった。努力はしたが、虚しさが残るだけだった。白いページがどこまでも続いていく、そんな恐怖と罪悪感に堪えられず、私は家を出る決意をしたのだった。男は私の前の席に腰を下ろした。

 

「ひとつ、いいことを教えてやると」

「それは、十円の対価か?」

 

 男は笑って「そう思ってくれていい」と言った。

 

「お前は、ひどい勘違いをしている。お前が過ごした漂泊の日々に、何も残っていないと思ったら間違いだ。お前がそこから完全に切り離されることはない。お前は何も求めず生きようと思っているかもしれないが、そんなことはできない。そして、何も求められずに生きることもできない。今でさえお前はこの世界に属し、この街に属し、この店に属している。そして、今俺の話を聞いているお前は、俺にも属している。あそこにいる女の視界に属している。足元のゴキブリの意識にも属しているかもしれない」

 

 私は驚いて足を上げた。そんな私を見て男は笑った。そこには何もいなかった。

 

「三千円でいいよ」

 

 私の隣に来た若い女がそう言った。私は「金がないんだ」と言った。

 

「保証人はいるの?」

 

 何のことか分からなかったので私は黙っていた。すると女は突然私の腕を掴み、引っ張り起こした。

 

「帰りな」

「帰り方がわからないんだ」

 

 困惑する私を急き立て、女は私を店の入り口の方へ連れていった。後ろで男がハーモニカを吹いているのが聞こえた。そして背中を押し出され、どうしたもんかと振り返ると、そこは私が借りた旅館の部屋だった。私はもう一度押入れを開けようとしたが、閊えているようで開かなかった。どうでもいいことだったが、私は、酒代を払っていないなと思った。

 

 外で待つじいさんのところへ戻って「断ってきたよ」と言ったら「部屋の払い戻しをしてきたか」と訊かれた。私が「払い戻しは効かなかった」と言ったら、じいさんは、そんなバカなと言って、自分の金が払い戻されなかったように怒り出した。私は、金は戻らなかったかわりに部屋の権利を保留してきたということは黙っておいた。

 

 私は、雨がアパートのどこかへ当たる大きな音で眼が覚めた。もう朝方らしい。雨降りでは仕事に行きたくないなと思ったり、じいさんはこの雨でも仕事に行けというのかなと思ったりしながら眼を開けて寝ていた。そのうちに、じいさんが起き出した。「さあ、出よう」じいさんは、私に先にアパートを出ていって外で待っていろという。「静かに行くんだぞ」

 

 私は、どろぼう猫のように足音を立てずに廊下を渡り、アパートの外の階段を、外はまだ暗く雨で濡れているので、来た時以上に用心をしながら下りた。階段の下の露地を挟んで反対側にも同じような古木造アパートがあった。

 

 じいさんが傘を差して階段を下りてきた。二人でじいさんの傘のなかに入り、雨の中を歩いて行った。傘は私が差していたが、なるべくじいさんの方へ差しかけるようにし、じいさんが濡れないように気を配っていたので、私の外側の方はびっしょりになっていた。じいさんは、センターへ行くのだと言っていたが、歩いていく道は昨夜じいさんと歩いてきた道で、そのうちに昨夜じいさんと初めて会った場所へまた戻ってきただけのことである。ただひとつ驚いたことがあった。それは、この早朝に、どこの酒屋も立ち飲みの客、といっても殆ど労務者だが、で溢れていることだった。大きな一軒の酒屋の前まできたとき、じいさんが「ここは安いからな」と言って私に入るよう促した。広い店内には三十人以上もの客が立ち飲みをしていた。やはりここも殆どが労務者で、二、三人で仲間を組んで飲んでいた。なかには、コートを着た、会社勤めとわかる客もいたが、そういう人は電車に乗る前にちょっと一杯というところか、一、二杯いそいでひっかけるとそそくさと出て行った。どちらにしても、私には、これから一日が始まろうとする早朝の風景とはとても思えなかった。この店にも長いカウンターがあって、なかに店主らしい人がいて自分の近くの客に酒を注いでいた。そのほかにも女の人が三人いて一升瓶をかかえ客に酒を注いでまわっていた。カウンターの向こう隅にガラス戸棚があって、中に行く種類かの肴が皿に盛られていた。客はそのなかから自分の好みのものを選んで取り出してきた。じいさんと私も一皿づつ取ってきた。どれも五十円にしては量も多く、種類も豊富だった。どこの酒屋も客は入っていたがだいたいが小さな店だった。ここはそれらの店と違ってずっと広い店内になっていたがそれでも客が溢れているのはどうやらこの酒の肴のせいのように思えた。じいさんのようなアパート住まいや、その日その日の宿屋暮らしでは朝食もとらずに出てくる連中が多いだろうから、ここの店のこの肴はなんともありがたいことに違いない。じいさんと私はここの店で酒を二杯づつ飲み、割り勘で払ってそこを出た。そしてまた私が傘を差しかけて歩いて行った。かなり大きなコンクリートの建物の前を通ったとき私はじいさんに「ここは区役所か」と訊ねた。

 

「区役所?何でこれが区役所なんや。これは西成警察署やないか。西成でいちばん怖いとこや。とっ捕まってここへひっぱられてこられたら撲り殺されるんやぞ!お前は何も知らんやつやな。そのトシで阿呆と違うんか」と怒って言った。その怒りは、どうやら<警察>という、じいさんの側ではまったく無力でしかない存在に対してのもののようだった。じいさんの信念では、西成警察署は、こちらの道理や言い分がまったく通用しないところ、むこうの考えや都会だけでどんな行為も許されているところなのである。それも、法律的にである。だから、ここは西成でいちばん怖いところなのである。

 

 ところで私たちは、雨のなかをやっとセンターに着いた。センター、これはいったい何なのだろう。私にはよく分からなかった。職を世話してくれるところだとじいさんが言うのだから職安ということなのだろう。センターと言うのだから、正式には<中央職業安定所>とでも言うのかも知れない。どちらにしても、たかが職安のことだから、ちっぽけな木造の建物で、朝から労務者がその建物の前に集まり、それを手配師とやらがやってきて欲しい頭数だけをトラックに載せていく、私はそれぐらいのことをここへくるまでは想像していた。

 

 センター。現実にいま眼にしたそれは、そんな想像したものではなかった。それは、ひと口にいうと、私には大都会の中央駅みたいに思えた。それも特別大きな駅である。私は、東京やそのほかの都会の大きな駅を知っているが、そう言う駅では、朝早くから夜遅くまで大勢の人が集まってくる。この、でっかい駅みたいな建物へも、まだ朝が早いというのに大勢の人が集まってきていた。いや、群がってきていたという方が適切かも知れない。それに彼らは、本当の駅に集まってくる人たちよりも、いささかむさくるしい格好をしていた。

 

 私たちは建物の中へ入っていった。私は何か異様な世界へ入り込んできたような気がした。大げさにいっているのではなく、この早朝に、そして雨降りだというのに、この建物のなかへなんと大勢の労務者が群がってきていることだろう。じいさんの話だと、ここへは一日五万人が集まってくるという。その数にも驚くが、こんな早朝になんだってこんな大勢が集まってくるのだろう。

 

 二人はまず便所へ入った。じいさんの方が先に出て、私は手をよく洗ってからそのあとを追った。しかし、便所の前にじいさんの姿はなかった。私はしばらく捜してみたが、それ以上どうしようもなかった。私の手には、じいさんの傘があった。

 

 私はセンターのなかへ入るときに、作業者を集めに来ているらしいマイクロバスが三、四台停まっているのを見ていた。それで、私は外に出て、眼にしておいたマイクロバスの一台に近づいていった。

 

 そのマイクロバスには誰も乗っていない様子だった。私はバスの前に回ってみた。すると、フロントガラスに紙張りの看板が立てかけてあった。それには<五千五百円。十日間、食い込み>と大きく書かれ、左下に小さく<神戸市××区・信和土木>とあった。

 

「おっさん、どないや?」

 

 いつ寄ってきていたのか、白いネックのセーターに革ジャンバーを着た男が、突っ立って看板をみていた私に声をかけてきた。

 

 男は、革ジャンバーのポケットに両手を突っ込んでいた。

 

「食費を引かれるといくらになるの?」と私が訊いた。

 

「食い込みやから。食い込みで五千五百円や」

「寮はあるの?」

「ありまっせ。一部屋に三人どすけど、きれいな部屋がありまっせ」

 

 今の私には、それで十分だった。私が頷くと、男は私にマイクロバスに乗るように言った。私がバスに乗ろうとすると「コーヒーはどうどす?」と男が言った。私は、コーヒーは飲まない主義だった。それを言うと「では、酒の方?」とまた言った。私は、何のために男がそんなことを訊くのかわからなかったので、そのまま黙って誰もいないバスのなかへ乗り込んだ。窓際に座ると、革ジャンバーの男がセンターのなかへ入って行くのが見えた。男はすぐにセンターから出てきて、こちらへ歩いてきた。男はバスのなかへ入ってくると、私にカップ酒一個と茹で玉子一個をくれた。センターに入っていったのはこれを買いに行ったのだと分かった。私はカップ酒を飲み玉子を食べながら、じいさんの言っていたことを憶いだした。十日間の契約で京都と神戸に行くのがあると言っていた。京都は寒いが神戸はガラが悪いとも言っていた。このバスは、ガラの悪い方だったが、今の私にはそんなことはどうでもよかった。それに、こうして行くところに、まさかガラのよいところがあるとも思えない。そう割り切ると、私にはむしろ寒いことの方がかなわない気がした。

 

 突然、バスの扉が勢いよく開き、顔を真っ赤にし、長い髪をバサバサにした若い男がとびこんできた。男はふらふらしながら最後部の座席までいくとそこへ寝転がった。革ジャンバーがすぐバスを下りていった。そして私のときと同じようにカップ酒と茹で玉子を買って戻ってくると、うしろの座席の若い男の方へ持っていった。革ジャンバーの手慣れた態度からみて、若い男はこのバスの常連のように思えた。私が、ちらっと振り返ってみると、男は起きてカップ酒を飲んでいた。前に垂れた長い髪のあいだから細い眼が覗いており、それが私にはジャック・バランスに似ているように思えた。少ししてまた私が振り返った時は、もう寝転がっており、バスが動き出してからも起きる様子はなかった。そのあと、バスが神戸に着くまで、ジャック・バランスは身動きひとつする気配もなかった。

 

 バスが動き出す直前に、五十過ぎのオーバーを着た男が乗ってきた。男は全財産をそこへ詰め込んでいるような大きな鞄を持っていた。革ジャンバーは、その男のときはちらっと視線を走らせただけでバスを下りていかなかった。私はこの男もバスの常連なのだろうと思った。

 

 マイクロバスは三人だけを載せて走っていた。革ジャンバーは手配師兼運転手らしい。最後に乗ったオーバーの男は、何故かひどく元気がないように見えた。

 

 バスはしばらく走ると大阪を出て神戸へ入った。いつのまにか雨はやんでいた。窓の外の景色がいいので、窓際の私は窓の外ばかり眺めていた。私の手にはまだじいさんの傘が握られていた。

 

 

2019年6月14日公開

© 2019 中野真

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