ノーシーボガール

中野真

小説

29,975文字

ある大雨の日、小学校の教室で大河は意識を失った。それから少年は自分は呪われているという言葉を繰り返し、食べたものは全て吐いてしまう。相談を受けた塾講師の結人は認知心理学者を自称する友人を伴って少年の「呪い」を解くために奮闘する。小説推理新人賞落選。

 

 月曜日の昼過ぎ、頭上には雲ひとつない青空が広がっていた。結人は懐かしい通学路を歩きながら伸びをした。中也にそそのかされた彼はとりあえず昼休憩の間に学校近くまで行ってみることにした。結人の塾には小学生以下の子供達も通っていて、小学生以上の生徒との交代の合間に休憩があった。それが丁度低学年の下校時間と被っていたので、もしかすると噂の少女と出会えるかもしれないと思ったのだ。彼女の話を聞いてみないことには、まだ問題は解決していないような気がした。しかしそこまで歩いてきて、結人は自分がその少女の顔を知らないということにようやく気がついた。だからとりあえず大河の姿を探すことにした。それにしても、たまには散歩もいいもんだな。日差しが強く、歩いているうちに少し汗が滲み出したが、そよ風と小鳥のさえずりが心地よかった。久しぶりに見た小学校の校舎は色が塗り替えられていて、あまり懐かしさは感じなかった。聞き慣れた変わらないチャイムが鳴り、しばらくしてから小さな子供たちが校舎から溢れ出してきた。結人は大河の姿を探しながらそんな子供たちを優しく眺めていた。彼は根っからの子供好きなのだ。歳を重ねるにつれ、この世界に対して、救いがないなと思うことが多くなった。しかし子供たちには希望が光っていた。それを見るだけで少し心が癒された。まだ生きている価値がありそうな気がした。

「すみません」

 突然肩に手をかけられ、振り返るとそこには警官が立っていた。驚いた結人はもう少しで意味もなく逃げ出すところだった。

「え、なんですか」

「この辺りでしばらく学校の方を見つめて立ち止まってる男がいると通報を受けたのですが」

「ああ、たぶん僕ですね」

 応えてから、あ、やばいと思った。

「少し、署までご同行願えますか?」

「え?いや、僕は……」

 動揺すると不審に思われる、とは考えたが不意打ちに結人の視線は泳いだ。警官から外れた視線はその時、偶然にも下校してきた大河を見つけた。結人は思わず叫んだ。

「大河くん!」

「あー結人先生!捕まってんの?」

「いや、大河くんを待ってたんだよ、ちょっと聞きたいことがあって。あの、そういうことですから、僕不審者とかじゃないんで」

「不審者なん?」

「大河くん駆けっこしよ!ほら、よーいどん!」

「あーずるーい!」

 不審そうな視線を背中に感じながら結人は大河と少し走った。服の下はもう汗だくになっていた。用水路にかかる橋まで来ると、二人は足を止めて息をついた。

「あっつ」

「ずるいよ結人先生!」

「いや、大河くん、ほんと助かった。今度コーラおごるよ」

「え?やった、なんでかわからんけど」

「明日茜ちゃんと一緒に来る?その時あげるよ」

 そこでようやく結人は本来の目的を思い出して「あ」と声を漏らした。

「そうだ、大河くん、ドレミちゃんに訊きたいことがあるんだけど、もう帰っちゃったかな?」

 すると大河は悲しそうに俯いた。何かあったのだろうか?カラスが鳴きながら頭上を通り過ぎた。日差しが鬱陶しい。結人は服の襟元を引っ張って風を入れた。用水路に流れる水の音がやけにはっきりと聞こえた。

「ドレミちゃん、あれから学校に来てないんだ」

 そもそも、と結人は思った。火曜日に茜が来るのだから、その時に大河も来てくれる可能性は高かった。おそらく野々村香は礼を言わせるため大河を連れて来ただろう。なのでわざわざ昼ごはんを抜いてまで小学生を待ち伏せする必要などなかったのだ。それを中也がそそのかすから。彼はおそらくこうなるであろうことを想像してほくそ笑んでいたのだろう。実際にああならなかったとしても、その可能性だけで彼は楽しめるのだ。大河と別れ、塾に戻って来てから結人はそのことに気づき文句を言ってやろうと思ったが、そこで小学生の生徒が来始めたので心のうちで毒づくことしかできなかった。だから今の出来事を言ったとしても結局中也を喜ばせるだけだと気持ちを切り替えた。

 次の日、出勤前にコンビニに寄ってコーラとオレンジジュースを買い、袋のまま職員室の冷蔵庫に入れておいた。他の子達に文句を言われないように、日曜日のお詫びも兼ねて野々村香に渡せばいいと思っていた。それから小さな子供たちのための授業準備をしながら、この件に自分がこれ以上関わる権利はあるのだろうかと自問した。大河は生徒であるし、母親の頼みだったのだから助けようと思うのは自然だが、桐生一二三という少女のことは名前以外何も知らないのだ。中也のような面白半分の男まで引き連れてこれ以上事態を引っ掻き回すのはよくないことかもしれない。それに、自分に何かできることがあるのかどうかもわからなかった。それはおそらく家庭の問題で、プライベートという壁で仕切られた向こう側の話なのではないだろうか。

「日曜日は本当にありがとうございました!」

 午後五時の部にやってきた野々村香の勢いに気圧されながら結人は「いえいえそんな」と苦笑を返す。何やら救世主のような扱いになっているようで、これはこれで面倒だ。

「ママ友の間でその話をしたんですけどね、そうしたらもうみんなここに来たいって言い出して。でも突然そんな生徒さん増えたら桃田先生も大変ですよね?でも本当に良かった。前々から思ってたんです、桃田先生は凄いって。子供達もすぐに懐くし、親の私にも言えないような相談までしているみたいですし。それに今まで通わせていた塾に行く前はいつも行きたくないってぐずってたんですけど、ここに来るのは好きみたいで、いつもはやく行きたいって言うんです。もうほんと、私の目に狂いはなかったんだなと思って」

「いやあ、まあ、ありがたいことですけど。生徒の件は塾長に訊かないとなんとも」

「そうですよね、わかってます。それで、いったいどんな魔法を使ったのでしょう?悪魔とか上から聞こえてきてたのでもうどうなることかと思っていたんですけど」

 そこで結人は中也からの受け売りのノーシーボの説明を自分なりにしてやり、あの日何をしたのか詳しく話した。野々村香はまるで聖者でも見るような顔で目を潤ませて話の最中にもにじり寄って来るので、桃田は少しずつ後退しながら話していた。

「そんな、本当に魔法みたいなことを……。あの方はいったい何者なんですか?」

「あいつは、変なやつなんです、昔から。父親が作家だからでしょうか、いろんなことを知ってて」

「小説家の息子さんなんですね!なんて人ですか?」

「それは一応内緒なんですよ。ペンネームでやってますし。まあ調べたら本名も出て来るんですけど」

「そうなんですか。いえ、桃田先生にこれ以上ご迷惑はおかけしません。ただ、もう一度あの方にお礼が言いたくて」

「そんなに畏まらなくてもいいですよ。まあ、成功したから言いますけど、あいつはたいがいのことは遊び半分でやってるだけなんで、そんなに感謝されるようなやつじゃないんです。本当に、僕もどうかしてました。あんなやつをいきなり連れてくるなんて」

「いえいえそんな!あの方がいなかったら大河はどうなってたことか。お医者さんは何もしてくれませんでしたし、精神科に行くなんてことになったら周りからなんと言われるか……」

 とにかくこれを、と渡されたのはなんとベタに虎屋の羊羹だった。

「すみません、お気を使わせてしまって」

「私は本当に命の恩人だと思ってるんですから、こちらこそこんなものですみません。でもどうお礼したらいいかわからなくて。とにかく、ここの評判が上がるように最善を尽くします!」

 そんなに意気込まれても困るんだが、と思いながらも結人は礼を述べておいた。それから茜が今日塾でやったことや気になるところを説明し、携帯ゲームをしている大河のところへ行った。まだ心の中では迷っていたが、機会を逃すのは惜しかった。

「大河くん、あれからどう?」

「んー?全然元気!呪いの後遺症もなし!」

「ドレミちゃんはまだ来ない?」

 そう尋ねると大河はしょげたようにゲーム機に顔を戻した。

「うん、はよ元気になるといいんやけど」

「大河くんは、その、気にしてないの?」

「気にしてない。でも僕のせいでこれんのやったら、なんか嫌やなって」

 そこで大河は「そうだ!」と顔を上げた。

「あの変なお兄さん連れてきてドレミちゃんも助けてあげてよ!」

「えー、役にたつかな?」

「だって僕の呪い解けたじゃん!もしかしたらさ、ドレミちゃんが誰とも話さなかったのも呪いのせいかもしれんし」

 どうなのだろうか。結人はその時、中学の頃の中也を思い出した。今でこそへらへらといろんな人を困惑させる彼だが、あの頃は誰とも関わらずじっと自分の机で本ばかり読んでいた。その人を寄せ付けないオーラが気になったから、結人はその後中也と関わるようになっていったのだ。そう思うと、昔から自分はそんな人間なのだろう。

「とりあえず、その子と話してみたいんだけど、できるかな?」

 うーん、としばらく考えてから、大河はぱっと顔を輝かせた。

「なら明日僕がプリント持ってくことにするから、一緒に行く?」

 ありがと、と大河の頭をくしゃくしゃしてから結人は笑った。

「もしかして、大河くんもドレミちゃんに会いたかった?」

 そう言うと、大河は顔を真っ赤にしてゲーム機に向き直った。

「結人先生のために決まってんじゃん」

「そういうことにしておきますか」

 それから茜たちと今日も恒例のババ抜き真剣勝負に参加し、上手に負けてやった。

「それで、明日の午後の一コマ目を休ませてもらってその子のうちへ行くことになった」

 職質事件で爆笑をかっさらった後、結人は進展を告げた。電話口で中也はまだ笑いの余韻を引きずっていたが、頭は回っているようだった。

「おお、相変わらず優秀な助手だね」

「助手?」

「この事件のさ。探偵役は俺でしょ?」

「いやいや探偵は僕じゃん」

「でもゴキブリの呪いを解いたの俺だよね?」

「まあそれはね?特殊だったし。えー、俺中也の助手かよー、なんか気に食わないな」

「この業界は成果至上主義なのですよ」

「でもさ」

 そこで結人は時計を見た。奈緒との約束までもうあまり時間がなかった。

「ん?」

「いや今更なんだけどね、俺がそこまで踏み込んでいいもんかと思って」

「それが結人じゃん」

「え?」

「困ってそうな人がいたら、自分とは無関係でも放っておけないんでしょ。結人にとっての損得は関係なしにさ。俺の友達はそういうやつだよ、昔っからな。俺が信頼するくらいだから、よっぽどのお人好しだね」

 こいつはこういう恥ずかしいことを平気で言う。だからどれだけ迷惑をかけられてもなんだかんだ許してしまうんだ。天然の人たらしめ。結人はなんだか照れ臭くて無意識に鼻の頭を掻いた。

「まあ、そういうことなんだろうなあ」

「ま、がんばりんしゃい」

「なんだよそれ」

「とりあえず、デートの時間でしょ」

「わ、マジだ行かなきゃ。てかなんで知ってんだよ」

「俺はお前のことならなんだって知ってるんだよ」

「気持ちわりいな」

 笑って電話を切ってから結人は慌てて支度して車を出した。そうだよなあ、僕はそんなやつなんだから、仕方ないや。やれるだけやってみよう。気持ちに勢いが出てきた結人だったが、いつも通り信号は毎回ぎりぎりで黄色から赤に変わるので、約束の時間に五分遅れ、その結果奈緒にデザートをおごらされることになった。

2019年6月16日公開

© 2019 中野真

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