宗田

応募作品

牧野楠葉

小説

3,601文字

2019年5月度合評会『善悪と金』、応募作品。

歌舞伎町のサラダは決まって血色の失せた窒息死状態でやってくる。白い簡素な大皿に可哀想なほどラップをぐるぐる巻かれて……何時間も前に仕込みの段階で冷蔵庫の奥に突っ込まれていたものが、そのまま客席へ登場する。それが歌舞伎町の相場なのだ。だがこの『いかセンター』は違った、赤褐色じみたセピアの壁、天井から注がれるのは目を焼くほどにうるさい煌びやかなライト、それはジョッキに反射しさらにやかましく光る。乾杯を済ませた私たちの宴会用の大広間にまず運ばれてきたのは、まだその葉に瑞々しい水滴のついたグリーンサラダ、もちろん歌舞伎町特有の忌々しい「あのラップ」もなしだ! 素晴らしい、その上には――このいかはさっき捌いたばかりです。レモンをかけると踊ります、まだ生きているので。店員はそう言って厨房に戻った。右隣に座っていた同僚の宗田がまだビール一杯目なのに酔い始め「はい! 俺! 俺やりたい!」とばかみたいにはしゃいで、太い指でいかにレモンを絞った。いかがサラダの上でチック症のような奇妙な屈伸運動をした。他の社員はおおぉ……、と声を上げ盛り上がっていた。私はいかを見てTalking HeadsのDavid Byrneがライブでやる痙攣ダンスみたいだと思った。

いかセンターなのにいかが出てきたのは最初のサラダと刺身だけでそのあとはなぜか生牡蠣の食べ放題コースということが店員によって知らされ、この雑さはおそらく歌舞伎町のどこの店に行っても形を変えて存在するんだろうと私は思った。

牡蠣には一切興味がないので私は煙草を吸いながら「ピザを馬鹿食いしている200kg越えのデブが、とあるダイエットサプリを飲んで一週間後病院の担架で運ばれていくほど激ヤセする」という胸糞悪い広告動画で一発当てて調子に乗っている宗田の様子をひたすら観察していた。宗田は、青いトタンのバケツの中に氷と共に放り込まれた大量の生牡蠣を必死で貪っていた。その彼の姿を見て、今日の会議で共有されたその動画を、私は再び思い出さざるを得なかった。動画の中のデブと宗田は同じアングルで貪り食っていたから。一日で数千万の売上の発端になったあの動画、いい悪い・善悪、いや、それ以前の問題だ、会議室のモニターにそれが流れた瞬間、まだ20代の若い役員たちは馬鹿笑いしていたのだから。単純に、爆笑していたのだ。デブへの嘲りとか、そんなものも含まれていなかった。ただただ無邪気な、子どもの笑いだった。そのとき私は笑ったふりをした。せざるをえなかった。こんなもので笑えるなんてお前たちは病気だ。そして思った、ゲームの中の方がまだ善悪のイデオロギーがきっちりと機能している、毎日私が見ている異常な売上表を見る限り、悔しいがポリコレなんてなんの意味もなしていない、一世代前の価値観で作られた過激なものが金になる。それでも宗田の動画、私の記事経由で絶対に痩せることのない自社のDサプリを買った人数は予想以上の多さで、さすがに驚かざるを得なかったけれど。

元々赤ら顔の宗田の顔が、さらにアルコールによって火照っていく。金曜日ということもあり店内は異様なまでにごった返していた。社長のいる席からは「この店のシャンパン全部持ってこい」といういつもの流れが聞こえてきたので、とりあえずそれを避けるように私は宗田と喋るほかなかった。
「宗田さん、そういえば借金減りました? 役員報酬で給料上がったじゃないですか、額面六十でしょ」
「いや、増えたんですよ。今三百万越えですね」
「なんで増えてるんですか?」さすがに私は声をあげて笑った。
「この間喫煙所で百五十って言ってたじゃないですか」
「いやあ、もう酒とギャンブル。ギャンブルだけやめらんないんすよ。前計算してみたんですけど、俺がこのままのペースでギャンブルやり続けるなら月六百万ないと無理なんですよ、冷静に考えても」
「……じゃあ一生彼女なんてできないですね、もっと金かかりますよ」

私はウイスキーのロックを頼んだ。宗田はレモン汁をかけられ強制的に踊らされそして笑われるいかそのものだ。
「でも前の飲み会で話した通り、俺は伴侶的なものは欲しいんだよね。俺の好きなのはさあ、自分のこと可愛いってわかってるあざとい性悪女なの」

宗田が私の目や体を見ながら言う、私はその視線の意味をわかっている。死ね、と思う。
「じゃあその女が仮にエルメスのバーキン欲しいっつったらさらに借金してでも買うんですか?」
「買いますね」宗田はしっかりと言った。

私は宗田のこの愚かさがこのまま持続してくれ、と切実に思う。彼の良いところは唯一それしかないのだから。この愚かさが続く限り彼は一生、この地獄のような資本主義の中で人間性を棄損せずに幸福に死んでゆけるだろう。私はもう駄目だ。
「でもあざとい性悪女はきっと金で動くでしょ。その金はどんな金であったっていいと思うけど、会社に名義貸しして十四憶の借金作ってる男なんて選びませんよ、しかもおまけにギャンブル狂いなんて。キャッシュないじゃん」
「十四億は実質俺の借金じゃないじゃん、会社の借金じゃん。でもまあそれも俺をちょっと苦しめてんだよね。十憶越えるとさすがになんかキツい。さらに酒飲んじゃうよ。広告費回収できるまでにあと半年ぐらいかかるからさ。で、自社商品のサジェストで俺の名前出てきたからさあ、」
「え、マジすか」私は喜んだ。もっと出ろ、もっとバレろ。盛大に。
「そうなんだよ、なんで木下さんがそんな嬉しそうなのか、俺はちょっとむかついてるけどね、同じ会社の人間なのに」
「ごめん」私はさらに笑った。宗田も笑っていた。
「宗田さんかわいそうですね!」そして私は店員にロック、いや、テキーラ下さい、と叫んだ。
「だから親と地元の友達にバレる可能性あるんだよね、さすがにそれは避けたい。アドワーズの佐藤さんに逆SEOやってもらわなきゃ」宗田が生牡蠣をずるりと吸いながらまくしたてる、
「でも俺はこの仕事社会貢献だと思ってるからね。毎日金回してんじゃん。こんな不景気の中でも経済回してんじゃん。あと、サプリで痩せるわけない、ってことを皆に教えてやってんだよ」何言ってんだただの詐欺だよ、こいつ正気で言ってんのか、私は宗田を今すぐ満員の観客が入った舞台の真ん中に引きずりだして何か一発芸やってみろよ、何でもいいから、と言いたくなった。こんな奴はピエロになったほうがはるかに皆の心を潤すことができる。劇団四季の舞台に宗田がいきなり一人で立たされる妄想をして私は心底愉快な気持ちになった。
「トヨタが潰れるとかじゃないと日本の経済には一切関係ないと思いますけど」
「ほんと木下さんドライだよね。もっと優しくしてよ」優しさは強制的に生み出されるものではない。
「……じゃあこのあと皆でマンポ行きましょうよ、あれ? 場所変わったんでしたっけ、この前摘発されましたよね」
「うん、でも先週行ったけど新しいとこ良い感じだよ、でも、え!? マジ!? 木下さん来てくれんの!? 多分皆喜ぶなあ」
「行きますよ、給料日後だし、しばらく行ってないし、いいですよ」

四月末の決算飲み会は予定通り二時間半で終了した。そのあと役員たちはそぞろに集まって雑居ビルに歩き出した。居酒屋のキャッチ同士が交わす声が脳裏に薄く響いてくる、ねえあんたのとこもう一人いたじゃん? 何、バックレ? 辞めちゃったんだ、外国人なんだよあいつ、コンビニの方が断然給料良いってさ。

あの後テキーラを五、六杯煽ったのでかろうじて歩きながらも私の視覚は揺れに揺れていた、都会の手垢がこびりついたビルの薄暗いエレベーターに揺られ、私たちはそこに到着した。私は目の前の煤けた緑のポーカー台を見つめた。その瞬間、自分の何かが覚醒するのがわかった、私はわざと宗田の肩に寄りかかり、甘い声を出し無理な金額を賭けさせた。宗田のやり方はわかっている。こんなに泥酔していても宗田をカモにすることぐらいはできる。毎回同じやり口だ。芸のない一辺倒だ。……

さて、ここまでお読みいただいた読者にお詫びをしなければならない。私は自分の広告の中で数々のデブをあらゆる手練手管で痩せさせたり三日でほうれい線をピーンと伸ばしたりと酷い嘘ばかりついてきて、その過酷さに最近すっかり気が狂ってしまい、自分の作り出した人物の愚かさを愛でるしか趣味がなくなってしまった。このテキストを書いている時間でさえも時給換算してしまうほどに資本主義に人間性を棄損させられた、というなら『コンビニ人間』ぐらいあざといものを書ければよかったのだが。もちろん宗田なる人物も、木下なる人物も、佐藤なる人物も全て架空のものだ。だからこれは机上の空論で、存在しないものを自由気ままに書いているのだから、いわば天国の詩というわけだ。今、私の目の前にロイヤルフラッシュがあるが、きっとこれも何かの間違いだろう。

2019年5月18日公開

© 2019 牧野楠葉

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"宗田"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2019-05-23 13:58

    たとえ架空の人物による作り話だったとしても、思考シミュレーションは緻密にしてリアル、人物の台詞もいつかどこかで必ず誰かが言っているだろうと思わされる。パワーのある筆致に今回も舌を巻かされた。そしてたぶん歌舞伎町にはこういう店があるのだろう。俺はゴールデン街しか行かないので知らんけど。SS合評でお会いしましょう。

  • 投稿者 | 2019-05-26 14:12

    最後のメタ展開、良いと思います。相変わらず例えが独創的で素晴らしいです。いかをデヴィット・バーンに例える人は僕の知る限り、いませんでした。業界を知るだけあって会話もリアリティがあります。

  • 投稿者 | 2019-05-26 16:09

    いきなり描写・切り取り方のバランスがいいな、と読み進めた。何が起こるかわからないけれど何かが起こる、という気にさせられながらも、リアリティのある会話が見事だと思いました(そういう業界の方だと後で知りましたが、余計にこれを書けるのはすごいと思いました)。ラストも含めて短編映画を見せられているみたいでした。良い作品だと思います。

  • 投稿者 | 2019-05-26 16:52

    迫力のある文章で、ざわざわしながら読みました。「一日で数千万の売上の発端になったあの動画、いい悪い・善悪、いや、それ以前の問題だ、会議室のモニターにそれが流れた瞬間、まだ20代の若い役員たちは馬鹿笑いしていたのだから。単純に、爆笑していたのだ。デブへの嘲りとか、そんなものも含まれていなかった。ただただ無邪気な、子どもの笑いだった。そのとき私は笑ったふりをした。せざるをえなかった。こんなもので笑えるなんてお前たちは病気だ。」と言いながら、宗田を愚かだピエロだカモだと嘲り罵る主人公の選民意識の強さみたいなものに、胸がざわざわしました。

  • 投稿者 | 2019-05-26 17:41

    おそらく宗田さんは周りの人々にとっては愛すべきピエロなのだろうけども、鋭敏な感覚を持つ主人公にとっては愚かしい滑稽なピエロなんだろうな、と思いながら読みました。
    愚かしい、滑稽な、と思うからには彼女の心の中にも何かしらの暗い淀みがあるんだろうなと。一人称で書かれてるからこそ「他人は自分を映す鏡」というか同族嫌悪というか、そういうのがよく表れていて、やり場のない主人公の心情に引き込まれました。
    内容的には、これまで牧野さんの作品を読んでるからこそ、ちょっと新鮮味がないかな、と思ってしまいました。
    核心として語られるのは広告業界のおそろしい欺瞞。でもそれは牧野さんご自身が苦しみながらも一生懸命に生きてるからこそかもしれないな、とも思いました。それを裏付けるような、迸るような筆致もいいですね。
    「その瞬間、自分の何かが覚醒するのがわかった、私はわざと宗田の肩に寄りかかり、甘い声を出し無理な金額を賭けさせた。宗田のやり方はわかっている。こんなに泥酔していても宗田をカモにすることぐらいはできる。毎回同じやり口だ。芸のない一辺倒だ。……」ここおそろしく魅惑的です!私もこんな危険な女になってみたい(笑)!

  • 投稿者 | 2019-05-26 23:40

    きらびやかな文章で歌舞伎町と言う街と捌きたての新鮮なイカと生牡蠣食べ放題を描写し、宗田という男は生牡蠣食べ放題の愚劣さ生臭さを象徴しつつ、語り手の女の胸やけするほどの自己嫌悪を映しているとさらけ出す。宗田の醜さは女の内面の醜さとイコールであり、違うのはそれに自覚的であるかどうかだけ。最後の告白は全部をおじゃんにしたように見えて実は作者の新境地が見えていると思った。そう、自分の弱さを認めること、穴が開くまで見つめること、そうしないと書けないことがあると私は信じる。新生マキノが生まれつつあるのかもしれない。要経過観察である。

  • 投稿者 | 2019-05-27 05:59

    だます/だまされるの関係や倫理性がどんどん曖昧になっていく過程を面白く読んだ。宗田は木下が「自分のこと可愛いってわかってるあざとい性悪女」であると理解した上で、そしておそらく木下が宗田を軽蔑しているのと同程度に彼女を軽蔑した上で、「わざと宗田の肩に寄りかかり、甘い声を出し無理な金額を賭けさせ」る木下の「芸のない一辺倒」にだまされてやっている。カモにしているようで、カモにされているのは木下のほうである。仕事で人を欺く彼と彼女にとって、欺かれることやギャンブルでカモにされることは贖罪なのか? そして酒もまた自己欺瞞の手段なのだろうか? 善悪に関しても、本作ではだますことが必ずしも悪だとは言いきれない。木下は宗田を欺くことで、宗田が求める慰めや肌のぬくもりを与えている。また「ほうれい線ピーン!」の宣伝文句が消費者に売っているのは、単なる効果のないクリームのみならず、「ほうれい線さえなくなれば自分は美しい」という肯定的な自己イメージである。消費者は夢や神話を買うために金を出しているのだ。ひょっとすると、これはマザー・テレサの慈善事業にも劣らぬ善なのかもしれない。

    ちなみに「Taking Heads」では首狩り族になってしまうので、つづり字が違うはず。

  • 投稿者 | 2019-05-27 22:29

    人物の書き方がすごい。
    きっと頭の中で考えて人物を書いているというよりは、実感から生み出しているんだろうなと感じます。
    イカも歌舞伎町も、恐らく敏感に色々と感じながらそれを実感として描き出してるから迫力が出る。
    意表を突くメタ、からの脱メタの部分は意外と物語作りのセオリーとしてあって、でもそれを効果的に使えてるのでのせられてしまう、という嬉しい感覚を味わえました。

  • 投稿者 | 2019-05-27 23:56

    てっきりラストは牡蠣に当たって担架で病院に運ばれるんだろうなどと思って読んでいたら、予想外の方向で物語が収束してゆき裏切られました。あ
    ただ少し、戸惑いました。僕もよくメタっぽい文章を入れがちなので全くもって人のことは言えないのですが、メタ視点の文章は基本的に物語の世界を良くも悪くも壊すもので、場合によってはそれまでの流れやテンションを白けさせてしまう、劇薬のようなものだと思っています。今回はあまり良い方向に働かなかったように、個人的には感じました。と言いつつ、他の方々のコメを読み僕の感覚がいかにズレているかがよくわかったのでこのコメは流してください。
    悪に怒る側もまた同じ悪である、という構造はこれまでの作品でも一貫しており、とても好きなテーマです。このテーマがどのように深められてゆくのか、今後も目が離せません。

  • 編集者 | 2019-05-28 02:15

    タコと来たら、次はやはりイカだ!
    以前ダイエットサプリについて著者に突っ込まれたが、こう言うことだったのか…!
    色々な事を身をもって教えてくれる、慈善小説である。良く分からない部分もあるが、勢いで収束していくのは嫌いではない。善悪の境界とか結果を示すのでなく限りなく曖昧にしていくのも、題に対するいい応答だと思った。

  • 投稿者 | 2019-05-28 14:34

    情景描写の豊かさには牧野さんも持ってる感性に由来するものなんだろうとうらやましく思います。バブル時代を生きたものとして、最近は当時と通ずる経営者理念が復古の兆し見せているように感きます。それについて意見はありませんが。最後のメタ展開はちょっと蛇足かしら。

  • 投稿者 | 2019-05-28 15:49

    生きたイカは食われて死ぬ。まさに宗田(と主人公)の会社のやっていることそのものだなと思いました。騙されてDサプリを飲んでも死にはしないだろうけども。。
    自分が詐欺している仕事そのものもギャンブルだろうに、宗田はそれでも飽き足らずギャンブルをする。それと同様に会社の14億円の借金と月600万円の希望収入が上手い具合に対比表現されているのが上手い表現だなと思います。主人公の会社の人間は皆善悪のタガが外れていて、主人公は違うのかなと思いきや、宗田が不幸(本人は思っていないと思うが)になっていく様を喜んでいるあたり、同じ穴の狢だなと思いました。

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