サイドB

合評会2019年01月応募作品

高橋文樹

小説

3,081文字

ノベルジャムのインタビュー企画の裏側を本がいっぱいある犬小屋を書斎にする人間として私小説風に綴りました。

いずれはなくなる言い回しなのだろうがB面という言葉がある。ヴィニール・レコードは表裏でかかる曲が違うので、A面/B面の区別があった。私が幼い頃にコンパクト・ディスク、つまりCDというもので音楽が流通するようになった。CDに曲が収録されているのは裏面だけなのでA面/B面の区別はなかったのだが、まだ「カップリング曲」という言い方が普及していなかったためだろう、そのまま「B面」という名でメインではない何曲かが収録されていた。私が初めて自分のお金で買ったのは小学校五年生の時分、たまというバンドの「夕暮れ時のさびしさに」というCDシングルだった。B面の一曲は「待ち合わせ」で、神保町にある顔のワイシャツという奇妙な名前の店の前で待ち合わせをする歌だった。私は長いあいだその店名が架空のものだと思っていたが、後年になって神田を訪れたとき、実際に顔のワイシャツを発見した。たまのパーカッショニスト石川にそっくりな坊主頭の男の巨大な看板がある店舗だった。

 

とりあえず、事実だけを記そう。

 

去年の秋、連休明けの火曜日だった。私は書斎にしているアパートの一室に年若い三名の友人——もっとも、向こうはそう思っていないのかもしれないが——を招き入れる準備をしていた。ノヴェルジャムという小説競作のイベントに参加した破滅派同人のインタビューを私の書斎で行おうという企画が持ち上がっていたのだ。これまでそうした周辺情報をすくい上げる補佐的な仕事はほとんど私が行っていたのだが、同人たちがその役を買って出るというので、私はなにも手伝わないことに決めていた。とはいえ、ノヴェルジャムに参加していたFが宿代を節約するために書斎に泊まらせて欲しいといっていたので、せめて掃除ぐらいはしておこうと午前の一時間ぐらいをかけてはいた。ほとんど使うことのない布団を干し、連れ立って出勤する愛犬の毛を絨毯から掃除機で吸い上げ、便器にこびりついた橙色のしみをこすり落とした。

時計の針が中天を打つという段になってもまだ連絡はつかなかった。私は昼食をとるために出かけてもよいのかどうか逡巡しつつも、何度かチャットツールにメッセージを送った。なぜかFからの返信はなく、代わりにJからの返事だけがあった。もう面倒だから直接電話をしてくれないかと思ったものだが、「Fさんは携帯を持っていない」という刺激的な情報がもたらされた。総務省の調査によればモバイル端末の保有率は95%だから、Fは誇り高き5%なのだろう。私が中学生ぐらいのときにテレビのアンケートで見た「タモリを知らない人」と同じぐらいの数だ。村上春樹の小説に登場するヒロインなら「あなたって変わってるわね」と抱かれでもしただろうが、このときの私は端的にめんどくさいと感じた。

連絡があったので、新検見川の駅に到着したFと付き添い二名を含んだ一行を迎えに行った。駅にあるチェーンのコーヒー屋で待ち合わせたのだが、Fは巨大なスーツケースを抱えていた。ノベルジャムは二泊三日ではあるのだが、それにしても大きすぎやしないだろうか。抱き枕でも入っているのか? 駅から書斎までは歩いて十五分といったところだが、このスーツケースでは移動も大変だろう、バスに乗って一つ目の停留所で降りるようアドバイスしたのだが、なぜかバスに乗る乗らないの一悶着があった。私としてははっきりいってどうでもよかったのだが、その地に住む人間が「バスに乗れ、しかも一つ目の停留所は割引で百円」と告げても、こんにゃく問答を続ける理由がよくわからない。バスに乗ると死ぬのか?

書斎にたどり着いた私は、布団はこれを使っていい、トイレは残念ながら和式、ガスは使わないのでカセットコンロしかない、レンジはこれ、風呂は物置になっているので駅近くの銭湯に行け、鍵は帰るとき洗濯機の中に入れておけ、自転車は自由に使っていいがBMXなのでライトがついてない……などなど。私が説明しているうちにFの表情はみるみる曇っていった。

「私、ここには泊まらないかもしれません……」

Fはどうやら不潔な環境が好きではないようだった。とりわけ、和式便所を開けて見せたとき、私がトイレ掃除の仕上げに使ったトイレットペーパーが封水に浮いていたのだが、それが気に入らなかったようで「ひゃっ、流れてない!」と高度成長期時代の生娘のように叫んでいた。誤解を解こうと思ったのだが、わめき立てて聞き耳持たずなのでもういいやと諦めた。銭湯もお気に召さなかったようで、他人と一緒に風呂に入れないそうだ。コンビニまで歩くと十分ぐらいかかるので自転車を勧めたのだが、「私、自転車に乗れないので……」とにべもなかった。逆に何になら乗れるのだ? また、「犬臭い」ということもお気に召さなかったようだ。他人の犬はあくまで獣、誰かが愛情を注いで飼っているかもしれないということには思い至らないのだろう、嫌悪感を隠そうともしなかった。私の愛犬が書斎に入ってきたFを見るなり吠えまくったのは、正しい動物の勘だったという他ない。ちなみに、Jも私の愛犬を撫でたあと、その手のひらをじっと眺め、台所で狂ったように手を洗い始めた。あのときの彼の表情を私は忘れることがないだろう。まるで黒人奴隷を打擲ちょうちゃくする南部の農園領主のような暗い顔だった。

そもそもFが私の書斎に泊まりたいと言ったのは、山谷感人という破滅派同人が長崎から上京してきたときに千葉にある私の書斎に長逗留することを真似したかったらしい。

「私には破滅度が足りませんでした……」

そういうと、Fはそそくさとビジネスホテルを探しはじめた。何軒かの候補からオススメを聞かれたのだが、地元民である私が二駅先のビジネスホテルに泊まるはずがないし、そもそも泊まりたいと言うから掃除やら布団干しやらに割いていた時間を無下にされた私はどうでもよくなっていた。結局、Fは幕張本郷にあるビジネスホテルを見つけ、そこに滞在する手筈となった。ここで撤退するのか、という驚きのようなものがあった。山谷感人と同じことをやりたいという目的自体はまったく共感しないが、なんらかの困難があったとしても、普通は最後までやりきるものではないだろうか。山谷も自転車には乗れなかったが、アパートに一週間ぐらい滞在していた。

書斎の庭でインタビューを収録したあと、私はFとJにゲンロン9号をあげた。インタビューを後日まとめることを約束し、彼らは帰っていった。私は誰もいなくなった書斎で、クッションの上に丸まって眠っている愛犬をそっと抱きしめた。私は今後、彼らが虐げられた者や弱き者について声高に語っても、一切信じないだろう。

後日、Fから私の貸していた上着が届いた。ノベルジャム会場は八王子の山奥、11月にもなるとそうとう冷え込むのだが、Fは長袖Tシャツしか着ていなかったの壮行会で貸してやったのだ。絵葉書のお礼状が添えられていた。古英語だとは思うが、筆記体で読みづらかったので内容は定かではない。しかし、処刑のシーンであることはわかった。王冠をかぶった身分の高そうな者が、斧を持った処刑人に全身をバラバラにされて、生首を横たえている。彼の四肢は大きな海鳥に加えられ、持ち去られようとしている。処刑人の他に、教会権力が王侯貴族を処刑したといったところだろうか、身分の高そうな人間が三人。ちょうど、私の書斎を訪れた若者たちと同じ数だ。別によい意味は込められていないのだろう。

言いたいことは特にない。物事にはいくつかの側面があり、たとえばこれがそのサイドBだ。

2019年1月22日公開

© 2019 高橋文樹

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"サイドB"へのコメント 9

  • 編集者 | 2019-01-22 22:18

    最高に面白かったです。風景が目に浮かぶようでした。
    ゲンロン9の『ラゴス生体都市』は大傑作でしたね。

  • 投稿者 | 2019-01-24 22:06

    小説家ほど信用ならない人間はいない。私小説を標榜し、真実らしさを演出している場合ほど、作家は平然と大嘘をつくものだ。その点に関しては、本作も例に漏れない。語り手の主観を通した視点により、無辜なる若者たちの姿は小市民的価値観に毒された滑稽な闖入者のそれに歪められている。作者の虚飾と誇張の手法は実に巧妙であり、面白く読めてしまうところがまた小憎らしい。

    逆に「本作はフィクションであり、実在する場所や人物とは一切関係ありません」などといった言葉で虚構性を強調している作品ほど、案外、事の真実や核心を突いていたりするものである。そこに読書の楽しさがあるとも言ってもいいだろう。読者諸君、本作のリアリズム風手練手管に騙されてはいけない。

    破滅派の健全化に際して私は今回からネガティヴなことは一切言わず、星は必ず三つ以上付ける方針にしているが、本作に限っては相変わらず誤字や表記ゆれが多いのが気になった。推敲や校正といった言葉は作者の辞書にはないようだ。今回は誤字にわざわざルビまで振っちゃってまあ恥ずかしい、と思ったが、あの便器に虫がわいていた可能性は十分あるので「紙魚」は必ずしも誤字とは断定できない。

  • 投稿者 | 2019-01-24 22:33

    冒頭はA面B面の話をひとまず置いて、続きを予感させ、さて話に入りましょうというのは前口上のある海外古典文学の手法っぽくていいなと思った。
    「紙魚」は昆虫の名前なので、トイレのしみは「染み」でいいのではないか?それとも「本がたくさんある」と掛け合わせてあえてそう表記したのか(まさか)
    起こっていることが面白いのか、書き方が面白いのか、両方面白いのだけれど、騙されているような作者の術中にはめられているような気がしてけっきょく面白かった。
    なにげないやりとりから、しだいに不信感に陥り虐げられていくような「私」を描くというのは、やはり古典的でもありこれは正統派文学でもあるのでは。
    3人目の若者、Kが出てこないのが気になった。

  • 投稿者 | 2019-01-26 14:52

    「三人」が訪問しているにもかかわらず、FとJしか名が登場していないことに引っかかりました。これはミスでしょうか。もしかして途中で死んだのでしょうか。特に役割のない人物であるならば、最初から二人の設定でよかったのかなと思いました。
    というのは冗談で、僕も「何か」残してくれば良かったなあと悔やまれました。

  • 投稿者 | 2019-01-27 15:13

    ああ、そうか。こんな説明が必要ということはA面、B面はもはや存在しないのだな。45回転とか30回転を知る人は死に絶えて行くのか…と物悲しい気持ちで本編に入ったら笑いっぱなしになりました。
    高橋さんの筆力にかかったら事実とか関係者の名誉とかはどうでもよくなって、なるほど、歴史はこうやって上書きされるものか、と納得したことでした。
    それにしてもKさんと犬との関係はどうだったのか興味があります。犬に唸られたFさんが描写したのが痩せて汚い不気味な野良犬だったのにも納得がゆきました。

  • ゲスト | 2019-01-27 16:47

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  • 投稿者 | 2019-01-28 14:44

    やはり細部のいちいちがうまいです。
    顔の『ワイシャツ』、タモリを知らない人、ムカつく村上春樹のヒロイン…。
    そしてFの人間的な面白さがこの4000字弱の掌編の密度の濃さに拍車をかけていて、
    電車の中で普通に大爆笑してしまった。
    「私には破滅度が足りませんでした……」
    は私の脳内で合評会のたびにリフレインされることでしょう…。

    まさに『サイドB』すぎて、「スゴ!!」となりました。

  • 投稿者 | 2019-01-28 23:04

    高橋さんの悪いところは急に本気を出すところで、良いところは本気になるとパねえってところです。

  • 編集者 | 2019-01-29 03:12

    素晴らしい幻想小説だった。完全なファンタジーではなく、日常に異世界の人々がやってきて去っていく、そんな風味である。爽やかだなあ。ちなみに俺も11月下旬にこれとほぼ95%類似したことを経験している。違いは、Jに相当する人物が犬とそこそこ仲良くしたことである。あと、イニシャルすらほとんど現れないK氏に相当する人物は非常に紳士的だったので、この小説にF氏やJ氏と並んで登場するには扱いが残酷過ぎるのだろう。

    更に言うと、この登場人物を並べ変えるとJ・F・K。あの暗殺された大統領ジョン・F・ケネディである。Kの影が薄いのは、重大な陰謀を感じさせる。作品中、Kに相当する存在が僅かに感じられるのは、人数が複数で描写される三か所。「三名の友人」「Fと付き添い二名」「彼らは帰っていった」。Kが三回、KKK。人種差別主義団体クー・クラックス・クランだ。作中でJが人種差別主義的に描写されているのはこの隠喩だろう。JFKとKKK……。JFK暗殺犯のリー・ハーヴェイ・オズワルドは逮捕後すぐにジャック・ルビーに殺害され、ジャックも陰謀を匂わせたまま死去した。だが真相情報の公開はウォーレン委員会により2039年まで封印されている。そして公開される情報が本当に「真相」かどうかも分からないのだ……。9/11 Was an Inside Job.

    https://twitter.com/GreatJuanism/status/1087590799586422784

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