最後の経験者(2)

最後の経験者(第2話)

竹之内温

小説

9,767文字

病院で出会った男との結婚をすることに決めた千代。無口な夫は過去を語らず、狭い団地の部屋で母親は怨念を吐き出す。

私はもう働きに出るのが正直、億劫でした。外出する事が苦痛だったのです。歩いている最中に何の前触れもなく立ちくらみがしたり、人の多い場所に行くと軽い呼吸困難に襲われたりするのです。お医者には、「もう少し家で療養すれば元に戻るし、精のつく食べ物を食べていれば大丈夫だ」と言われていました。今だったら病名を与えられ薬も貰えるんでしょうが、当時は大らかというか適当と言うか大凡の病気は寝れば治ると信じられていたんです。ですので不謹慎だとは思いますが、身籠った事が仕事になるのなら悪くないと思いました。相手が裕福な家庭だと聞き、母は私の堕落した行為には一切の口出しをしてきませんでした。私は「おめでとう」と言った時に嫌らしい笑みを浮かべた母を、心の底から軽蔑したのを覚えています。どうせなら打ってくれた方がよっぽどいいのにと。母は打った勢いで、私が新しく買った電気釜やミキサーが壊れるのを恐れていたのかもしれません。この時つくづく貧乏は嫌だなと思いました。当時、精神病は遺伝するものだと考えられておりました。ですから誰もが自分の血縁に精神病の遺伝子が入り込むのを大変に嫌がっていたのです。母はその事については特に何も言いませんでした。別に心が広かった訳ではありません。私や私の幸福に関心がなかっただけです。母は期待も恐れもない中で生きていたのだと思います。

「ちよちゃん、何も言いなさんな」

「はい。何も言いません。誰にも決して言いません」

「それがいい。知っているのは私達女だけでいいからね」

「ねぇ、母さんは私を身籠った時、嬉しかった?」

「忘れたよ、全部。ちよちゃんにもそのうちきっと分かるよ」

母は日陰でじっとしている女でした。いつからでしょうか、私が高校を卒業した辺りからずっと、老後と呼んでも差し障りない生活を送っておりました。私が直接母に聞いた訳ではありませんでしたが、母は以前の私のようにオフィスレディとして働いていた時期もあったらしいのです。団地の十一号棟に住んでいるおさよさんが話をしてくれました。若い頃の母は団地の中でのちょっとした憧れだったらしいのです。

「ちよちゃんのお母さんも昔はなかなかだったのよ」

「どんな風に?」

「雑誌に載ってるような洋服を着こなしていたしね。髪型なんかもモダンでね。薄荷味の煙草を呑んでいたもんだよ」

「私には昔の事は教えてくれないから」

「『秘すれば花』なんて言うけどさ」

おさよさんは椅子にもなる買い物用のキャリーバッグを開いて、それに腰を掛けて言いました。

「私達は秘すれば花なんかじゃないね。秘すれば最後は枯葉だよ。みっともなくこんな歳になっちまった」

「おさよさんはいいじゃない。旦那さんもいるし、孫だっているんだから」

「旦那なんて何の役にも立たないよ。私は種無し男に食わせてもらってる石女(うまずめ)だよ。娼婦の方がよっぽどいいよ」

「娼婦だなんて……」

「ちよちゃん、学びなさい。こんなに不幸な女ばかりが集まってる場所を探そうたって、他にはないよ。世界中できっとここが一番だよ」

おさよさんはカートの脇に掛けてあるポーチからゴールデンバットを取り出して、火を付けました。私は今まで煙草を吸った事がありません。煙草は自分を不幸な女だと認めてしまうものに思えたからです。団地から一歩でも外に出たら、不幸を纏わずに道を歩きたかったのです。人並みの幸せを私も確かめたかったのでしょうね。単純な話です。流行の洋服を着たり、スキーに行ったり、ディスコで踊ったり、そういう事です。当時赤坂のムゲンというディスコは評判がよかったですね。会社の同僚達は週末になると足を運んでいたみたいです。結局私は一度も行かずじまいでしたが、ミラーボールの中で踊るのに憧れたものです。しかし身の程知らずだったと認めなくてはなりません。

話が少し逸れてしまいました。どこまでお話したでしょうか。ああ、夫との出会いまででしたね。そして私は娘を身籠っていたと。ああっ、娘とはまだ言ってませんでしたか。そう、子供は娘だったのです。それもとんだ神経衰弱男のね。私が病院に入院していたのは一時的な、生活の疲れとでもいうもののせいでした。しかし私の夫は本物の精神病でした。結婚した後に聞くと、本当は五年も入院していたと言ったんです。五年もあんな隔離施設にいては健常な人間だって仕舞いにはおかしくなってしまいます。毎日たっぷりと与えられるのは薬と睡眠だけでした。病院では文化的なものが一切抜け落ちた生活を余儀なくされました。新聞も雑誌も、テレビも映画も、お菓子もありません。母は私のお見舞いに来ても、「テレビが見たい」と言って、座ったと思ったら帰り支度をしていた位です。

夫は病院を退院したその足で東京の私と母の住む団地にやってきました。フルーツの入ったバスケットの中に、夫の欄は記入済みの婚姻届が一緒に入っていました。夫と私は再会を喜ぶ訳でもなく、最初から長年連れ添った夫婦のように淡々とお互いの存在を受け入れました。母はお礼も言わぬうちから婚姻届には目もくれず、早速林檎を一つ取り出して包丁で切り、お皿に綺麗に盛りつけてちゃぶ台に載せました。夫は殆ど口を開きませんでした。私も母も喋りませんでしたので、大人が三人いたにも関わらず、無言のまま時間だけが過ぎました。母が林檎を食べる音と電車の通過する音だけが無言の中にあって、シャキシャキ、ガタンと響きました。結局夫や私が手を伸ばす前に、お皿の上の林檎は一つ残らず母の口に運ばれました。どれ位の時間三人でいたのでしょうか。夫と私は正座で座り続けていましたが、母は最初から立て膝で夫と対面しておりました。対面と言いましても母はテレビばかり見て、夫に質問もしなければ、静岡から上京した事に対しての労いの言葉もありません。私は自分の家庭が恥ずかしくて、終始顔の火照りが引きませんでした。夫が婚姻届を持ち帰り、なかった事にしてくれと言ってきたとしても仕方ないと諦めてその時間を過ごしていたのを覚えてます。母は夫と話をする前から、男だという理由だけで見下していたのでしょう。

夫との完全な二人きりの生活は病院以降訪れませんでした。私の隣には必ず母がいます。夫が二人きりを望めばその機会は訪れたのでしょうが、私からは望めませんでした。連れ去ってくれなければ、私はどこにも行けなかったのです。しかし身重の私が一体どこに行けたというのでしょうか。分かりません。

夫が静岡の実家に荷物なんかを取りに帰る為に部屋を出ると、母は早速「あんな洒落たバスケットに入ったフルーツなんて持ってきて。果物じゃお腹が一杯にならないのも知らんかね」と小声で愚痴をこぼしました。先程も申しましたが、林檎を丸ごと一つ食べたのは母でした。私はその言葉を無視し、商店街で買ったつっかけを履いて、夫の後を追いました。その頃には服装も構わなくなっていたので、何ヶ月か前までは軽蔑していた商店街で買った安物ばかりを身につけていました。

私と夫は駅までの道をゆっくりと歩きました。団地のちょうど後ろを電車が通っているのですが、駅に行くには商店街を通り、ずいぶん回り道をしないと辿り着けません。女達は「どうせ線路が通っているんだから『団地前』という駅を作ってくれないのはおかしい」と騒いでおりました。毎日うるさいのを我慢しているのだから、当然の権利だと思っていたみたいです。電車に乗る機会なんて年に数回しかないのに、何にでも文句を言わないといられないのでしょう。夫はまだ両親に結婚の事を伝えていない様子でした。私も夫の実家について行くと言いましたが、夫は「とりあえず僕が一人で行くよ。そっちの方がいいだろう。それにちよさんは今が大切な身体だ。列車にあまり長い時間揺られているのはよくないだろう」というような事を言いました。夫の実家には何か問題があるな、とその時感じましたが、婚姻届を置いたまま夫が姿を晦ます事はないだろうと理解しました。それに夫の実家に問題があろうとも、私の現実を考えたらとても文句など言えませんし、却って問題がある位の方が負い目を感じずに一緒にいられて丁度いいでしょう。夫にも秘密があり、私にも秘密がある、これで対当です。

「無理をしないでゆっくり過ごすんだよ。君と僕の大切な未来だ」そう言った夫の言葉に優しさは感じませんでした。何故か私の身体を気遣ってくれているとは思えなかったのです。新婚の上愛情があればいくら大切な身体だろうと一緒にいたいはずですが、夫から私に対しての艶かしい関心は感じられませんでした。無関心という苦い言葉が(よぎ)りました。今では夫の名前を思い出すのに、何分間か頭を悩ませなくてはなりません。最初から名前など条件反射で言っていただけなのでしょうね。夫は駅で見送る私の手に十何枚かのお札を握らせてくれました。手渡しするにはあまりにも多い金額だったので、一瞬ですが冷や汗が流れ出しました。私が夫からお金を受け取った場面を誰も見ていない事を確認してから、ポケットの中に裸のお札を仕舞いました。

「東京の物価は高いらしいが、このお金で一週間は生活できるかい?」

「いいえ、多い位です」

「余ったら、好きに使ったらいいさ。結婚式も挙げないんだから、君も少しは贅沢をするといいよ」

「ありがとうございます……」

「僕は行くよ。すぐに戻るから、婚姻届はその時一緒に区役所に持って行こう」

「はい。ねぇ、あなた。あの団地に三人で住むつもりですか?」

「君は嫌なのかい?」

「いいえ。聞いてみただけです……」

お金は私と母が一ヶ月の間飢えずに暮らせる金額でした。私は恭しく夫に頭を下げました。夫が改札に向かって歩き始めると、次第に自分の顔が綻んでゆくのが分かりました、もう働かなくていいし、減り続ける貯金残高を気にしなくてもいいのです。帰りに商店街で新しい布巾と夫のスリッパを買いました。部屋に戻り夫に貰ったお金を見せると母は歓喜のあまりちゃぶ台を掌で叩きました。私はそりゃびっくりしました。母が感情を身体で表わす所などそれまでに見た事がありませんでしたから。私は母に見せる前に二枚程お札を抜いておきました。その二枚で美容院に行き、新しい洋服を買って、綺麗な姿で夫を向かえたいと思ったからです。けれど何日か後になって美容院に行こうと引き出しに閉まっておいたお金を探しましたが、見つからなかったのです。うちには私と母しかいませんでしたし、お客さんが来るような家庭でもありません。『ない時の辛抱、ある時の倹約』と母は誇張ではなく毎日、私に言って聞かせました。結局私は普段と変わらぬ恰好で夫を待ち、部屋に導き入れたのです。

母と私はその日の夕飯に、久しく口に入れていない牛肉ですき焼きを作りました。

「身籠った時に牛肉をたくさん食べると男の子が産まれるそうな」

「初めて聞きました。でもきっと嘘よ。科学的な証拠でもあるのかしら」

「科学的な証拠も何も、この団地の中を見てみなされ。男の子が産まれた家なんて殆どないじゃないか。それが何よりの証拠ですよ」

「じゃあうちもきっと女の子です。牛肉なんて毎日食べれません」

「いいんだよ。女の子で。牛肉ばかり食べて男が産まれたら、申し訳なくて近所に子供を見せられたもんじゃない」

 

私は男の子を産みたかったのです。自分と同じ生き物が産まれる、母や団地の女達や私のような不幸な女がまた一人増えるだけです。その子が子を産めば不幸な未来は続き、新しい家族諸共(しがらみ)に蝕まれてしまうでしょう。私は女の子が欲しくありませんでした。自分が娘を愛せないだろうという予感が、その頃から確かに心の中にありました。そして身籠っている間中、母には黙って牛肉を食べていました。母が井戸端会議をしに部屋を出ると、隠しておいた牛肉を取り出して急いで焼いて、慌てて口に運びました。味わっている暇などなく、黙々と味もしっかりついていない肉を頬張りました。毎日買いに行けば必ず見つかってしまいますから、母の嫌いなキムチの瓶にお肉を詰めて冷蔵庫の中に隠していたんです。私は母に黙っていましたが、母は全て知っていました。ある時母が買い物に行くと「今日も牛肉かい? 羨ましいもんだね」と肉屋のおかみさんに言われたらしいのです。そしてその日には肉屋に頼んで、私が買い物に来た時には牛肉に似た豚肉を買わせるように仕向けたのです。私は殆ど食べる事のなくなっていた牛肉と豚肉の違いなどよく分からなかったので、牛肉の代わりに豚肉を買わされても気が付きませんでした。最近は牛肉も豚肉みたいに安いんだなぁと思った位でした。私がしっかりしていたらきちんと買ったお肉の値段を計算して違いに気付いたんでしょうが、昔から利用していたお店でしたのでつい相手に任せっきりにしていたんです。全く暢気なものです。しかし何度か、「今日も牛肉かい?」と言った肉屋のおかみさんの顔に浮かんだ詮索好きな人間のする奇妙な笑顔に疑問を感じた事があったのを、母に事実を言われた後に思い出しました。私はその時の名残か、今でも牛肉を食べていると豚肉の味がしてなりません。最近ではお肉自体をあまり食べなくなりました。お肉は脂っこすぎるので、お魚ばかり食べています。所詮人間の舌など、言葉には敵わないのです。騙す方が滑稽か、騙される方が滑稽か、それは誰にも分かりませんね。あなたも騙された経験が一度位おありでしょ?

 

夫は実家のある静岡から両親の手紙を携えて東京に戻ってきました。新調したのでしょう、光沢のある上等なスーツを着て、小さなボストンバッグを一つ下げていました。夫と一緒にお金も東京にきました。しかし金額は言えませんが、夫はあまりに莫大なお金を持って帰ってきたのです。そして最初に「僕は働かないので、この金で当分は生きていかなきゃならない。だから管理は君に頼んだよ」と確か言いました。夫の両親の手紙はここにあります。

 

『 謹啓 今は訳があってお会いしたいが、会えません。どうぞ息子をよろしくお願いします。私達夫婦には残り僅かなお金が残るのみです。どうか、息子に渡したお金を大切に使ってください。そして、催促はしないで頂きたいのです。元々ないものはどうしたって出てきません。私達夫婦の老い先はきっと長くはないでしょう。何年後かには、私達夫婦の死んだら残るであろう遺産を御送り致します。しかし、それもたいした金額ではありません。あまり期待はせずに堅実に生きて下さい。

それでは、息子の母となり妻となり、東京で幸せな家庭を築いてください。私達夫婦は遠くからそれを願っております。御身体を大切に、丈夫なよき子を産んで下さい。

追伸

私達夫婦は天にいると思っておいて下さい。息子が会いに行こうなどと言い出したら、お願いですので東京に引き止めて下さい。私達夫婦と息子を繋ぐものはお金だけです。もう会ってはならないのです。

ご多幸を、お祈り申し上げます。 敬具』

 

綺麗な字で書かれている割には、乱暴な文面なので驚いたのではないでしょうか? 私はお金目当てで夫と結婚したのではありませんでした。結婚は不慮の出来事だったのです。手紙を読み終えるととても不思議な心持ちになりました。夫の両親の誠実さと言いますか、律儀さみたいなものは伝わってきましたが、やはり夫の時と同様に優しさは感じませんでした。私は上等なゴミを拾った気分になりました。私は結局義理の両親には一度も会いませんでした。息子を手放して安心したのか、夫の両親は手紙を書いた三年後に二人そろって死んだのです。牡蠣にあたった食中毒死だったらしいです。夫の両親は私と母と夫と娘の四人が三十年間は生きられる分のお金を残してくれました。私はお金だけもらっておいて、義理の両親には一度もお礼をしませんでした。相手方の名前も住所も知らなかったのです。せめてお葬式には行きたいと思い、義理の両親が亡くなった時に家に電話をかけてきた弁護士に相談しました。「申し訳ありませんが、お葬式の日時、お墓の場所などはお教えできません。一切の事情に触れないというのが、御遺産を受け取る時の唯一の条件でありまして……」と弁護士は電話口で言いました。私はもちろんお金を受け取りました。静岡県は私にとって忌まわしい場所です。できる事ならば、一生あの海を見たくはありません。私は愛なくありがたいと何度も心の中で思いました。夫の両親は葬式に実の息子の参列すら拒んだのです。病気でもない夫を精神病院に入院させていた事、夫が豪邸であろう実家ではなく団地に引っ越してきた事もですが双方にはかなり深い確執があったのではないでしょうか。けれど夫の家族に一体どんな問題があったのかは、今となっては何も分かりません。そもそも夫の実家が本当に静岡県にあったのかどうかさえ……。繋がりを絶ちたい息子を、近くの病院に入院させるとは思えませんものね。

 

私と夫がいわゆる行為に及んだのは、たったの一度きりでした。お恥ずかしい話ですが、私は僅かでも愛撫されただけで、声が出てしまいました。堪えきれなかったのです。私と母の住居は何度も申しましたように、大変狭苦しいでしょう。言葉にするまでもないですね、あなたが今、座っているこの場所ですから。ですので新婚当時から一部屋に、母と私と夫の三人で寝ていました。荷物を片付ければ母とは別に寝る事も可能でしたが、どうせ仕切りは襖一枚です。これじゃあ別々に寝ても一緒に寝ても同じ事です。生活が始まると夫は母に気兼ねしてか、私に指一本触れてきませんでした。母は母なりに私と夫に気を使ったらしく、最初の頃は週に一度、四号の未亡人川崎さんの部屋に泊まりに行きました。私は露骨な母のやり方が嫌でしたが、心の半分では喜んでもいたのです。私はあれが嫌いではない予感がしていたのです。たったの一回ではあれがどんなものなのか、何となくでしか分かりませんがね。たった一回でも快楽の切れ端を掴んでいた私は、なかなか筋がよかったのかもしれません。しかし夫は部屋の中、私と二人きりになってもいつもと変わりなくただ寝るだけでした。私は夫の身体をマッサージしてやったりしてコミュニケーションを図りましたが、全くの無駄でした。マッサージから行為ヘは移行しませんでした。新婚の頃は朝夜関係なく相手の身体を貪り合うって聞いていましたので、当初は自分の性的魅力の不足や膨らみ始めたお腹の存在を疑ったものです。ですから多少過激な下着を身に着けたりも致しましたが、無意味でした。風呂上がりに着けた過激な下着は夫に見られぬまま、夜のうちに普段と同じ綿のものに取り替えられる運命でした。みっともない話ですが、夫を家に迎えてからの三ヶ月間は通信販売の請求が一ヶ月五、六千円にも及んでいたんです。そんな下着は商店街には売っていませんでしたからね。新婚一年目の大掃除の時に、それらの下着は全て捨ててしまいましたよ。その時には何でこんなものをと思うような変な場所に穴が開いていたり、透けていたり、仰々しくリボンで飾り立てた下着を見て思わず失笑してしまいました。若い男と女が遠くもなく、近くもない距離感を保つのは案外難しい事だと思います。多分ですが夫は勃起不全というやつだったのでしょう。

 

私と夫があれをしたのは精神病院の消灯後、たったの五分間でした。六人部屋の私を夫は自分の個室に導き入れたのです。私以外の患者は強い睡眠薬を飲まされていたので、ぐっすり眠っていました。夫は水色の柔らかい素材のパジャマを着ていました。私のはあずき色のパジャマです。部屋の中は暗く、窓から差し込む月明かりでぼんやりと相手の輪郭が見える程度でした。けれど病院の中で個室は一つしかありませんでしたので、私には相手が夫だと分かりましたが、果たして夫には私だと分かっていたものか。夫は部屋に入った私をあっという間に抱きすくめ、胸を掌で撫で回しました。口づけをされる前に、パジャマもショーツも脱がされていました。私は生娘でしたのであれに対しての知識がありませんでしたが、口づけをされる前に裸になるのが、不自然である事はなんとなく分かりました。愛している女を相手にする時には、男は前戯と呼ばれているやつを念入りにすると何かの雑誌に書いてありました。しかし仕方ありません。私と夫はそれまで言葉を交わした事も僅かしかなかったのです。病室も違いますし、食事の時間と散歩の時間だけ顔を合わせる程度の関わり合いが全てだったのです。そもそも愛し合うには、あの場所は特殊過ぎました。夫は自分のズボンとブリーフを下ろしました。そして私の部分に指で触れたのです。私は思わず上ずった声を立ててしまいました。今まで味わった事のない感覚でした。無邪気な虫が這いずっている感じです。しかし夫は私の上ずった声を聞くと、私の身体から指を離してしまいました。そして私を後ろ向きにして性器を入れてきたのです。私は夫の手に導かれるまま腰を下げ、尻を突き出した格好をしていました。夫は私の腰を両手で持って、前後に身体を動かしました。私は夫が身体を深く沈める度に立ったままの両足が震え、喉の奥から声が絞り出されました。看護人に見つかるのを恐れ、私は自分の口を自分の掌で押さえました。夫はあっという間に果て、病室に変な匂いが漂っていたのを覚えています。その間、たった一度の口づけも私と夫はしませんでした。私は夫にされるがままに、その五分を過ごしたのです。女の私自ら動くなど考えもしませんでした。前に雑誌で見た事があるのですが、正常位というのがあれをする時の一番一般的な体位らしいですね。夫が私にさせた体位は仏壇返しというもので、外でする時などに用いられると書いてありました。あれを外でする人もいるんですか? それに女が上になる騎乗位なんて。恥じらいが全くないというのも困ったものですね。

最初にあれをする時はとても痛くて血が出ると聞いていましたが、私は痛みを感じませんでした。夫と私は言葉を交わしませんでしたが、もしも「気持ちいいかい?」と聞かれていたら、「ずっとこれをしていて下さい」と答えていたでしょう。今でも私はあれ以上に気持ちのいい事を知りません。私の年齢をご存知でしょう? 人生とは過酷で悲哀に満ちています。私はたった五分間の快楽を知ってしまった為に、それからの時間に再び奮い立たない夫の性器をどれだけ恨んだ事か。今の女性だったらば浮気を考えるのかもしれませんが、当時の私は夫以外の男の性器を望んだりはしませんでした。望んでいないと言えば間違いになります。私は夫のお金を必要としていましたし、その為には我慢が必要だと感じていたのです。性器を我慢して、労働を退けました。今考えてみますと夫は、私が堕落した行為に突き進んだとしても何も言わなかったでしょう。何も言わず、いつもと同じ惚けた笑みが生活の中から絶える事はなかったはずです。

若い頃にはあれはもしかしたら夫とは別の男だったのではないかとよく考えたものです。結局それは真実にも理由にもならずに、最後まで疑問のままで終わりました。あの五分間の奇跡は再び訪れませんでした。

 

私は女の悦びを感じる間もなく身籠り、無意識の中でしか女でいられませんでした。くさくさ生活をしているうちに子供が生まれました。女の子でした。私は娘の誕生を喜ぶ前に、やはりなぜ女の子が産まれてしまったのかとがっかり致しました。しかしよくよく考えてみると、男が嫌いな私が息子だったら可愛がれたでしょうか。きっと息子も愛したりはしなかったでしょう。私は子供を欲していませんでした。『子は三界(さんがい)の首枷』って言いますでしょ。母にしても同じでした。初孫だというのに母は喜びもせず、関心のない目でたまにじっと孫を見つめるだけでした。

2009年6月21日公開

作品集『最後の経験者』第2話 (全7話)

最後の経験者

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© 2009 竹之内温

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