最後の経験者(4)

最後の経験者(第4話)

竹之内温

小説

7,057文字

このみは母と祖母への軽蔑の思いを心に秘めつつ、新しい出会いを求め続ける。

 

 

「送ってくれてありがとう」

「このみさ、俺の部屋に住めば?」

「うん……。それ嬉しいんだけどね、ママがきっと許してくれないよ」

「このみは何をするにもまずはママなんだな。まあいいわ、またね」

「うん」

私はその男の手をぎゅっと握る。男がキスをしようと顔を近づけてきたので、私は握っていた手を離し、微笑んだ。

「ここでキスしたらご近所に噂を立てられちゃうから。駄目だよ」

男は拗ねた顔で一瞬こちらを見たが手を振る私の姿を見て諦めたのか、車を発車させた。男の車が見えなくなったのを確認し、私は歩き始める。いつも決まって団地から三百メートル位駅寄りの住宅街の前で車を止めてもらう。高校生の頃、先輩に車で送ってもらった時だった。その先輩は運転しながら横目で団地を見て、「よくこんな場所に住む奴いるよな。すげー暗い感じじゃない?」と言ったのだ。私は「ここで」と言いそうになった口を慌てて閉じて、「ここから三百メートル位先にある住宅街に私の実家あるんです」と話していた。仲良しの先輩だったけど本当のことは何となく言い出せなかった。その時、私の住んでいる場所は私の負い目なんだと思った。若かった私は暗い場所に住んでいると暗い人間になっちゃうのかななんて考え込んだりしていたけれど、今では悩んだりはしない。他人には嘘をつけばいいし、自分にはあと何年間かの辛抱だと言い聞かせればいい。

 

「ただいま」

「お帰りなさい」

ママは朝帰りをした私に何の注意もしない。ばあさんは「このみちゃん、お帰り」とだけ言って、テレビに視線を戻す。

「ご飯まだ食べてないでしょ?」

「うん。まだよ」

「私お団子買ってきたの。二人で食べて」

「ありがとう」

ママはのっそりと部屋の中を歩き、埃を拭ったりしている。私はリビングに立ったままだ。こんな部屋の中ではゆっくりと身体を落ち着けるのもままならない。どうせ掃除をしたって人を招く訳でもあるまいし、必要ないのにといつも思う。前に「そんなに一日中掃除しなくってもよくない?」とママに言うと、「だって掃除ってタダじゃない。その上部屋も綺麗になって。いい趣味ですねって褒めて欲しい位よ」と言っていた。

「ちょっと座ったら?」

「でももう少しで終わるから」

ばあさんは小さいし、五畳の部屋にいても端っこに座っているだけなのであまり気にもならない。ただたまにじっと私のことを見ているのを視界の隅で感じる。そういう時にばあさんの方を見ると、ばあさんは慌てて視線を逸らす。ばあさんの謙虚さに腹が立つ。ばあさんの謙虚、その中には卑屈さや猜疑心ってやつが含まれている気がする。

「ねぇ、このみちゃん?」

「何?」

「母さんの好きなやつ?」

2009年12月22日公開

作品集『最後の経験者』第4話 (全7話)

最後の経験者

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© 2009 竹之内温

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