(6章の2)
その頃わたしは、病院から退院を迫られていた。身内のいないわたしを長く置けば、いずれ病院はやっかいを抱え込むことになる。まだ多少は動くことができるここらがチャンスと見ていたのかもしれない。病院はことあるごとに退院をほのめかし、結局わたしはその要請にしたがった。
これを聞けば、人は、よくもあっさりとなどと思うに違いない。もっときちんと自分の病気を見つめて、言うべきところは言わないとダメだと。実際そのようなごもっともな意見を、同じ入院患者から言われたのだ。
その人の、易々と従うなというご高説はよく分かる。しかしそれなら一度でいいから、余命いくばくもない状態になって、それから言ってもらいたいものだ。徹底抗戦しながら、その相手に診てもらう。そんな複雑な立場になってから正当論をぶってもらいたい。とても神経をすり減らす行為で、実はこのとき、わたしは神経のすり減らす部分がとっくに失われていた。あなた重病人なのだからとアドバイスをするときは、重病人の置かれる立場、考える都合、そしてこれが大事なのだが、残り僅かとなった気力というものを考慮に入れてからにしてもらいたいものだ。
一人になって、なにかあった場合どうすればいいのか。そう心細くさせるわたしに、『業者A』の沢田という存在が大きくなった。わたしは自分から、ホスピスへの転院を願った。
もう、『業者A』に頼る以外に選択肢がなくなったのだ。家に戻ればすぐに体調を崩すことは目に見えている。金などいくらかかってもいいからと、転院を願った。
それからすぐ、ホスピスに移ることになった。わたしは病院から匙を投げられた身なので、医療器具が豊富なところであれば、たとえどんな悪徳業者だろうと頼らざるを得ないというものだ。
『業者A』の用意した搬送用の車は、救急車以上に大きいものだった。外から見ると分からないが、中に入ると外の光が入らないようにできていた。いわばトラックの箱の中に入れられて運ばれているような感じだ。重篤の患者を運ぶのでそれなりの設備が必要だから、ということだろう。しかし悪徳業者であれば、どこに向かっているのか分からせない防衛策とも取れる。ともかくわたしはだいぶ長いこと揺られ、夜中に車のエンジンが止められて建物に運ばれた。潮の香りがかすかに感じられるが、暗闇の中で厳重に目隠しされていることで、周囲は分からなかった。実際は山の中で、わざと潮の香りを漂わせてカモフラージュしていることだって考えられた。
建物内を運ばれているときは、顔にタオルをかけられ、そのうえ覆いのようなものまで置かれた。なんだか実験室にでも運ばれ、好き勝手に体を切り刻まれるようだった。そんな想像をしても、恐怖はわいてこない。なるようになればいいさと、人ごとのように思っていただけだ。
思考能力も鈍っていたので、ぼんやりとしか考えられない。しかしわたしは、とてつもないものに巻き込まれたのかもしれないと思った。しかしそれがどうだということもない。なにしろもう終わりまでのカウントダウンが開始されているのだ。失うもののない強さとよく言うが、このことなのかとわたしは気付いた。ロシアンルーレットを渡されたって、なんのためらいもなく引鉄を引けそうだった。
このホスピスに移り、わたしは多少、状態を持ち直した。以前沢田にもらったドリンクのような、味のある食べ物が出されたからというのが大きい。もしかしたらさまざまな研究の行き届いた、優良施設なのではないか。わたしは働くようになった頭で、そう考えた。
そしてある日、沢田から話があった。『業者A』の行う、特別なサービスについてだ。
ほら来たな、営業が。わたしは思ったが、しかし猜疑心は最初だけで、沢田の話に引き込まれていった。とにかく、雰囲気を作ることがとてもうまい男なのだ。
それに、だるさに支配された体のこと、突っぱねる気持ちも薄かった。沢田が話すのであれば聞いていよう。ぼんやりと、そんな気持ちになっていた。
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