でぶでよろよろの太陽(6章 の1)

でぶでよろよろの太陽(第16話)

勒野宇流

小説

2,034文字

   (6章の1)
 
 
 そこに、一人の男が現れた。
 
 男は、元々関係の薄い、そして今ではほとんど付き合いの切れている友人の名を出した。その紹介で訪ねて来たのだという。
 
 あいつか。わたしはぼんやりと、紹介者の顔形を思い出した。友情で結ばれた仲ではない。むしろ関係を面倒に感じていたくらいだ。あの友人の知り合いというだけでも十分に胡散くさい。しかしわたしは男を手招きし、椅子に座らせた。なにぶんひまなのだ。人と交わらない人生をすごしてきて、それに不満など感じていなかったのだが、さすがに死の手前の孤独にはちょっとばかり堪えていた。隙といえば隙と言えなくもない。しかし末期がんの患者に隙があってなんだというのだ。どのみち数ヵ月後には、この世から消えてなくなっているのだ。
 
 なにかの営業だろうかと疑ったが、それらしい話を持ち出すことはない。その男はお愛想を並べるわけでもなく、また表情も緩めなかった。そういった、人に取り付くような行為が、死の迫る人間には反感を買うだけだと知り尽くしているのかもしれない。男の口数は少ないが、その口調と話題は不思議と受け容れやすいものだった。
 
 男は水が浸透してくるように、わたしの気持ちの中に入ってきた。二回目に男がきて、その背中を見送ったあと、わたしはぼんやりと、また来るかなと思った。
 
 それが、また来ないかな、に変わり、また来てくれるかな、になる。他になにも変化がないのだからそうなりやすいということもあったが、しかし男は、死を目前にした人間に面する能力というものが、備わっているようにも思えた。男がなにかを売りつけるのであれば買ってあげてもいいかなと、ぼんやり思った。冥土に持っていけない金が、たんまりとあるのだ。
 
「あんた、チャプレンか?」
 
 ある日わたしは、男の正体を自分から問うた。チャプレンとは主にキリスト教関連の、心のケアをする人間だ。死の迫る者に対する世話も多い。スッと近付いてきた男を考えてみるに、宗教的な勧誘というのが妥当ではないかと思ったからだ。
 
 男は首を振り、
 
「でも、そういう役目にもなっているのかも知れませんね、しぜんと」
 
 と、ゆっくり部屋の壁を見まわしながら言った。目線をはずすことでその言葉はわたしの心に染み入り、男の繊細な動きに巧みさを感じた。
 
 その次の訪問で、男はみやげを持ってきた。
 
 ちょっとした栄養ドリンクです。男はそう説明した。もう何も受け付けないでしょうから、せめて口に入れやすい液体のものをということだった。
 
 害がないことを見せ付けるかのように、男は自分でも飲んだ。お持たせですみませんと言いながら。その、男が美味そうに飲む様を見て、わたしも口を付けた。おそらく飲食を見せ付ける技術も兼ね備えていたのだろう。
 
 わたしは、およそ久し振りに味覚を味わった。甘く、適度な酸味でとてもいい口当たりだった。小瓶ではあったが、わたしは一本飲み干してしまった。
 
「あんた、仕事はなにをしてるの?」
 
 わたしはゆっくりと、男に聞く。
 
「ホスピスで働いています」
 
「ホスピス、か。じゃあやっぱり、営業に来ていたんだな」
 
「いえ。勤めて日が浅いものですから、少しでも経験や知識を積み重ねたく、それで失礼ながら、あなた様の元へと通わせていただいているのです。営業であれば、もっと上の者がやって来ることでしょう」
 
 男は薄く笑う。たしかにそうだと、わたしは頷く。営業にしては、一ヶ所に手間と時間をかけすぎる。
 
「そうか。でもあんた、この業界で大成するよ、きっと」
 
 男は礼を言うわけでもなく、本当に小さく、口を引き締めただけだった。
 
 男は勤める業者の名を言ったが、聞く先から忘れてしまった。仮に『業者A』としておこう。ナントカ研究所だか開発だかの重々しい名称だったが、どうでもいいことで、男の名が沢田優だということは頭に残った。
 
 『業者A』が沢田を営業として送り込んだのであれば、それは成功したといってよかった。沢田の話術や動作は見事なもので、すぐに沢田を待ちかねるようになったからだ。
 
 時間を持て余しているわたしに対し、最初は単なる話し相手から入り、そして取っている距離をジリッ、ジリッと徐々に詰めていった。まるで子供の頃に遊んだ「だるまさんがころんだ」という遊びのように。鬼となった者が顔を伏せて「だるまさんがころんだ」と言う間に近付いていく。少しずつ、少しずつ、鬼に動きを見せず。
 
 言い終えた鬼が振り向き、動きが見つかった者は失格で、鬼の捕虜となる。鬼が顔を伏せている間に進み、捕虜の手を鬼から断ち切ることができれば成功という遊びなのだ。
 
 沢田はするすると近付き、わたしの心にタッチできるところまで辿り着いてしまった。焦らず、「だるまさんが」のところまでで必ず動きを止め、けっして強引には近付いて来なかった。わからわたしは、じわじわと距離が詰まってきていることこそ分かったが、動きはまったく見えなかった。訪問回数は多かったが、正確な数は分からない。気付いたときには懐に入り込まれてしまった。
 
 

2017年12月11日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第16話 (全30話)

© 2017 勒野宇流

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