(5章の2)
告知を受け、わたしはすぐさま会社を辞めた。働いている意味がまったくないからだ。一人暮らしで家族はいない。どうして余命が半年なのに働かなくてはならないのか。成し遂げたい仕事であれば別だが、わたしの場合は惰性そのもののサラリーマンで、情熱などさらさら持ちあわせていない。総務に伝え、たいした引継ぎもなく、送別会も行われなかった。無職となり、退職金が振り込まれると、なにをやりたいか考えてみた。
死ぬまでに、世界一周、美女をはべらす、書籍を刊行する、その他諸々。こんなときに人が考えそうなものをいろいろ頭に浮かべてみたが、どれもまったく食指が動かなかった。やってなんになるんだという気持ちだった。
元々の性格なのかも知れない。あるいはがんが進行して気力というものが衰えていたのかもしれない。わたしは家の中でぼうっとしていた。いくつか趣味は持っていた。しかしわたしにとって趣味はただの趣味で、生きている間の暇つぶしでしかない。まもなく死ぬと決定しているのに、強く打ち込むだけの情熱などわくわけがない。死の怖さから酒浸りになる者もいるかもしれないが、わたしに関しては、元々そんなに酒が好きでなかったのだろう、飲んだくれる気持ちもわかなかった。
わたしはテレビをつけ、部屋の中にビールの缶だけ置いて、時おりそれに口をつける。ダイエットの必要はなくなったので、健康にはよくないが口当たりはいいというものを好んで食べた。もっとも食欲が落ちていたので、それで充分に楽しめたわけではない。こんなことなら健康なうちに不摂生しておくのだったと悔やんだ。
わたしの日常はたったのそれだけで、あとは半分寝たような状態で過ごした。
そうしているうちにも、病気は進行していく。日を追うごとに痩せていく。彼女も親友もいないわたしには、誰一人見舞いに来る者がない。わたしは部屋の中で孤独死するのだと思い、むしろそれでいいのだと思った。しかしせっかく気持ちの折り合いが付いているというのに、そうもいかなかった。食えないだけならいいが、痛みが日に日に増していったからだ。
ある日、強い痛みとともに目が覚めた。布団の上で唸っていたが、痛みは増すばかり。腹の中に火を入れられたように熱かった。
どうにも耐え切れなくなったところで、自分で救急車を呼んだ。状態を伝えながら、こうやって自分で連絡を取って的確に伝えるのでは、もしかしたら来てくれないのではないかと怖れた。重篤には思えないから自分で病院に向かってください、と。しかしありがたいことに救急車は駆けつけてくれ、自分で担架に乗り込んで、かかりつけを指示して病院に向かった。すぐに入院となり点滴が打たれ、その中に痛み止めのモルヒネが入っていたのだろう、とりあえず激痛からは解放され、安堵のため息をついた。
しかし食欲は戻らない。完全になくなってしまった。検査の結果、小腸の一部が癒着して閉塞を起こし、食べた物が通っていかない状態だと教えられた。体の中にバイパスを作る手術が必要だと付け加えられた。
手術をしたって食べられるようになるだけで、がんが治るわけではない。手術というからには苦しい思いをするだろうし、そんな思いをしたって寿命が延びるわけではない。なんで治りもしないのに苦しまなくてはならないのか。わたしは医者に、手術の必要はないと突っぱねた。
しかしそれは一日も持たなかった。深夜に血糖値が急激に下がり、意識が途切れて緊急手術となってしまったからだ。苦しさから手術を望む言葉を発し、あまつさえしっかりした筆さばきで同意のサインもしたらしい。まだ臓器の不全というわけではないので、死に至るまでにはない。しかし働きは正常でなくなり、周囲に悪影響を及ぼしていた。
もう死ぬ人間だからか、医者はたいした検査もせずに手術を行った。いや、そんな言いようは医者に失礼だろう。それほど急を要したということだ。「的確な検査を、たいした時間もかけずに」と言ってあげるべきだ。
わたしは麻酔で眠るまでの間、救急車を呼んでよかったなぁと考えていた。あの時我慢し続けていたら、意識を失ってそのままあの世行きだったかもしれない。しかしこうも思った。その方が死への恐怖を味わうことなく、幸せに命を終えたかもしれない、と。
小腸のバイパス手術はうまくいき、目が覚めたわたしに、成功しましたと執刀医が言った。その目を見ないで、わたしは呟くように礼を言った。これから半年の、死への苦しみが始まった目覚めだった。
重湯が出て、少しだけ食べた。味がしない重湯だった。手術直後でしょうがないと思っていたが、どういうわけか、一週間経っても一〇日経っても味のしない食事だった。午前中の回診時に、どのみち寿命も尽きるのだから味のある物を食わせてほしいと頼んだ。医者は悲しそうな顔で、あなたに出しているものにはかなり味がついていると言った。すい臓がんが進行すると、味覚にも障害が出るということだった。
味覚を感じることができないのなら、やはり手術なんか受けなければよかったと思った。しかし受けてしまった後ではしょうがない。まさか戻してくれとも言えない。その後わたしは味覚のないものを黙々と口に入れた。味はなくとも、栄養だけは取れる。
がんは小康状態を保ち、半年がすぎた。余命宣言された期間をすぎたということだ。わたしは宣告をされてから、この日、最もよろこんだ。生き抜いたということに高揚したのだ。もしかしたら医者は見立て違いをしたのではないだろうか。もしくは自分だけはがんに打ち克ったのではないだろうか。そういう気持ちに、少しだけ浸れた。おそらくがん患者の多くが、闘病中に幾度か思うことだろう。こう思うこと自体、わたしもまた一般的ながん患者だったのだ。
しかしそれからすぐ、わたしは倒れた。意識を朦朧とさせ、外出時だったので誰かが救急車を呼び、また病院に担ぎ込まれた。
"でぶでよろよろの太陽 (5章 の2)"へのコメント 0件