でぶでよろよろの太陽  (4章 の3)

でぶでよろよろの太陽(第12話)

勒野宇流

小説

2,780文字

   (4章の3)
 
 
 しかし人間の体というものは、耐用年数がくれば勝手に壊れてしまうらしい。わたしの場合は元々すい臓という部位の耐用年数が短かったというだけのことなのだろう。
 
 これは実にツイていない。すい臓は他の臓器の影になっていて、通常の検査では異常が見つかりづらい「眠れる臓器」だからだ。胃、肺、腸。その辺りの耐用年数が短いのであれば、イカれる兆候があったときに健康診断で見つかる可能性が高い。腎臓だって肝臓だってそうだ。なにかしら、異常を示す数値が出てくる。壊れるまでに何ひとつヒントがない、という薄情なことはない。しかし体の裏側に付いているすい臓はなにも兆候を出さず、一般的な健康診断では異常が発見できないのだ。
 
 よほど、なにか他のところが故障したときに精密検査を受け、そのとき幸運にもすい臓に影が見つかったというような場合でないと、初期での異常を見つけられない。そして症状が少しでも進んでいれば、すでに手遅れときている。また、場所が奥まっているだけならともかく、形が明確でない臓器でもある。取替えや除去が不可という、困った臓器なのだ。
 
 わたしはいきなりすい臓が悪いと伝えられた。食欲がなくなって具合の悪さを意識してからでさえ、まったく疑ってもみなかった場所だ。十中八九、胃だろう、もしかしたら肝臓や腎臓ということもあり得るかな、と、そこまでは考えていた。しかしそれがすい臓で、しかもがんときている。わたしはまず、具合の悪くなった部分に、意表を突かれた。
 
 さらに皮肉が続くことになるが、医者から告げられたときのわたしの気持ちは、これまた滑稽なものだった。「なに、すい臓だって。とりあえずはよかったぁ」と安堵したのだから。すい臓ならたいしたことでもないかと、胸をなでおろしたのだから笑ってしまう。
 
 しかしそれまでの人生、すい臓というものを認識したことがないのだから当然とも言える。肝臓であれば脂肪肝、腎臓であれば透析など、歳を取るにつれて気を付けたり覚悟したりということもある。胃腸を痛めないように暴飲暴食は控えよう、腹八分目にしよう、などと。すい臓でよかった。じゃあたいしたことないだろうと思った。そう思ったところに、医者の深刻な顔。とりあえず入院は継続ということになり、その時点でもわたしは状況を深刻には受け止めていなかった。
 
 それが現実世界での、病を突きつけられたばかりの、たった一年ほど前の頃のことだった。さて、夢の中でのわたしはというと、飽くことなく、夕日のもとで歩きまわっていた。
 
 いいものだ。歩いても歩いても疲れない。いや、疲れはするのだが、それを一瞬で吹き飛ばすことができる。たった三日分しかいられないことがなんとももったいない。
 
 わたしは上着を脱ぎ、左手にかけた。そして周囲を見回しながら、ゆっくりと歩く。
 
 美容院のすすけた看板。そのとなりが床屋。店がくっついているところを見ると、夫婦がやっているのかもしれない。くもりガラスで中が見えなかったが、そうだとするとうらやましいものだ。
 
 現実世界でのわたしは、ずっと独身だった。所帯を持てば、もちろん煩わしいことも多いだろう。しかし独り身のわたしにとっては、うらやましさが先に立つ。
 
 電光の看板などない時代で、店の造りは他の住宅とさして変わりがない。弱々しくサインポールが回るだけ。網戸のところから店内を覗くと、代金を払った坊主頭の少年が店主からガムをもらっていた。
 
 わたしは数軒先のラーメン屋に入った。
 
「らっしゃい」
 
 ねじり鉢巻の、中年の店主が無愛想に言う。わたしはそれに答えることなく、席に着く。
 
 ガガッと、パイプイスの足とコンクリの床が擦れる硬質の音。脂っぽいカウンターに片肘を乗せて、わたしは壁のメニューを見た。醤油、味噌、塩、それにギョーザとライスとビール。たったそれだけの、いたってシンプルな品書き。反対側の壁にも貼ってあるが、内容はまったく同じ。専門店を気取ってメニューをしぼっているわけではない。この時代の田舎のラーメン屋は、どこもこんな程度の品数だった。夏定番の冷やし中華だって、この時代は一般的ではなかった。
 
 わたしはシンプルに醤油ラーメンとビールを頼む。あいよ、と応えた店主はすぐに保冷器からビンビールを取り出す。
 
 栓抜きでコンコンと王冠を叩き、開ける。この時代の、こういった店の、当たり前の動作。やり慣れているからだろう、その動作にけれん味がない。店主はカウンター越しにビンビールと水滴のついたコップを差し出し、冷蔵庫から麺を一玉出した。
 
 わたしは手に納まる小さなコップに手酌をし、クッとひと息で干した。心地好い、苦味ある冷たい感触が喉を流れる。これが本当に夢なのかと、この夕暮れの世界に来てから何度も思ったことを、ここでも再び思う。
 
 わたしは背中を丸め、カウンターに両肘を付いて舐めるように飲む。袖は汚れるがどうということはない。脂が沁みて不快なら「元通りに」と念じればいいだけのことだ。魔法が無尽蔵に使えるのであれば、使わないだけ損というものだ。
 
 コップの白い文字と星のマークを、指の腹でさする。この感触もまた、夢とは思えない。ラーメンがカウンターの上の台に出され、わたしは中腰になって両手で持ち上げて手前に置いた。現実世界のわたしはもう物を持てなくなっているので、この、持ち上げるという感覚すら懐かしい。
 
 割り箸を取って口にくわえ、割れた先のもう一方を指でつまんでプチンと割る。ビーンという感触が歯を通して頭に響く。この感触もなぁと、また感心する。
 
 ラーメンをすするごとに汗が落ちてくる。口の中が熱くなるたびにビールを流し込む。久しぶりに味わうラーメンはたいして美味くなく、その凡庸な味が、この時代の田舎のラーメン屋という設定にちょうどよく、それが逆に美味く感じさせた。現実の時間に直してあと何日と何時間、この世界での生活が残っているのか分からない。もしかしたらもう一回くらいビールは飲むかもしれないが、おそらくラーメンは最後となるだろう。わたしの人生での、最後のラーメンだ。
 
 もうあとはないと意識しても、わたしは別段悲しくはならない。気持ちに、そういう作用が施されているのだ。この夢を設定した業者から、そのような説明を受けた。
 
 だからこの世界で、暢気に過ごせるのだろう。すぐさま現実へ戻るということが強く意識されないよう、施されている。そうでなければ、せっかくの三日間がまったく楽しめなくなってしまう。
 
 勘定を済ませたわたしはラーメン屋を出て、楊枝を道端に投げ捨てて砂利道を歩き出した。
 
 
 

2017年12月8日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第12話 (全19話)

© 2017 勒野宇流

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