「−ずの、水野。」
「なつみせんぱーい。」
ふわふわ漂っていた意識が急にぎゅんっと一点に集まる音がした。
「珍しいですね、夏美さんが途中で寝ちゃうなんて。」
机、と認識するのにしばらくかかったが、つっぷしていたその机から顔を上げると、向かい側に杉山が座っていた。声のした方を振り返ると、悠里が傍に立っていた。
「…最近夜更かししすぎてるせいかな…」
「もう終わっちゃいましたよ、映画。」
悠里はクスッと笑って向こうの椅子に戻っていった。
夏休みに入って1週間、家で映画やテレビを見る以外はほぼなにもせずに生活している。それなのに毎晩寝るのが遅い。その上ソファで寝るから深く眠れてないらしく、眠気がたまっていた。食事も食べたり食べなかったりで、元から軽めな体重が、また1キロくらい減っていた。まぁデブになるよりは痩せてる方がいい。
こみ上げてきた欠伸を頭から押し出して、部室を見回した。テレビは、乾いた音で映画のエンドロールを流している。みんなめいめい机やパイプ椅子に座ってそれを眺めていた。みんないつも通りに制服を着ているのに、なぜかいつもより似合っていないような気がした。夏休みだからかな。冷房がため息のような音をさせながら、冷めた空気を垂れ流していた。
私は、向かい側の席で頬杖をついてテレビを眺めている杉山に話しかけた。
「なんの映画観てたんだっけ。」
「何って、水野が持ってきたやつ。アヒルと鴨のコインロッカー。いつから寝てたの?」
「…瑛太が出てきたとこくらいかな…。」
「それ、かなり序盤。」
苦笑いする杉山から視界を回して、またみんなのほうを見た。エンドロールが終わって、悠里が伸びをしていた。隣には玲ちゃんが座っていて、眠そうな悠里にすごかったねーと話している。一年生は女子3人と男子2人が、それぞれ近くに集まって座っていた。
「山下ー。」
杉山が呼びかけると、悠里が伸びをしたままはーいと振り返った。
「ディスク出してしまっといて。」
「えー面倒臭い。」
そう言いながらも悠里は席を立って、テレビの前で屈んだ。
「他のやつと一緒に置いとけばいいですよね。」
悠里が顔を上げて言ったので、杉山はうんうんとうなずいた。
私はまたぬるいあくびをして、ぼうっと机の上を眺めた。
夏休み前からずっと感じているモヤモヤしたもの。これは、きっと虚無感とかいうものなんだろう。夏休みになればその瞬間からパッと、気分が明るくなるような気がしていた。でも休みに入って1週間もたったのに、そのモヤモヤは消えることはなく、それどころか寄り集まって、もっと重くてでこぼこした物体に変わってしまったようだった。
焦り、ってことかな。
私は、なんというか、自分の気持ちを認識するのが苦手だ。はっきり「うれしい」とか「腹がたつ」みたいに出てくることがなく、なんとなく肋骨の内側で、もやもやした煙みたいなものがいろいろに反応を起こして、それを外から眺めているような感じ。映画好きはそういう所からも来ていて、私の好きな映画は、私の中にあるそういうものをはっきりとした形にで私の前に出してくれるような気がして、だから私は映画を観るのが好きだ。だからその分、そういう深くえぐりとるような表現のない映画はあまり好きじゃない、というか、嫌いだ。
その映画を観ている最中に寝落ちするなんて。
なんかなぁ。
なんにもしてないな、私。
「なにかしないとなぁ…」
杉山がこっちを見てきたので、ひとりごと、と慌てて言い訳した。
「どうしたの、急に。」
杉山が斜めな視線を向けながら聞いてきた。私はあきらめて言葉を続けた。
「いや、なんかせっかく夏休みなのに、何もできてなくて。」
これじゃわかんないな。あわてて付け加える。
「なんにもしてないのに、やたら疲れるっていうか。何かしたいような気がするんだけど、なにがしたいのかわかんない?みたいな。」
「よくわかんないこと言うね。」
うまく説明できなくて、だんだんイライラしてきた。言葉に出そうとすると、うまく表せない。私はもう一度落ち着いて頭の中で言葉を並べ直してから、言った。
「映画部もそんなに活動しないし、バイトとかもしてないから、私すごい暇なのね。でもなんか、暇でいることに飽きちゃったっていうか、なにかこう、思いっきりなにか、やってみたい、ような気がする。」
「あー、それはちょっと分かる気がするかも。」
「うん。どうすればいいんだろう。」
「それはちょっと分かんない。」
杉山がふわふわと答えたので、私は言い返した。
「まじめに悩んでるんだから、なんか考えてよ。」
杉山はちょっと私の方を見ると、うーん、と息混じりに言った。
「アルバイトでもまたやれば?」
「それもなんか…なんかこう、純粋に打ち込んでみたくて。」
杉山はまたうーんと考え始めた。
「そんなこと言われてもな…。映画好きなんだし、映画部でなにかやる?夏休み長いし。」
「あー、それもありかなぁ。」
「って言っても、映画部でなにができるかっていう。」
こんどは私がうなる番だった。
映画観るだけだもんなぁ、映画部…。
高校の部活の思い出が映画を観ただけなんていうのも、すこし寂しいような気がする。美術部よりも活動が少ないのだ。あの部も最近は結構絵のうまい子が多くて、「サブカル部」の汚名を返上し始めているらしい。
少し前、放課後に美術室の前を通った時、美術部の2年の女の子が、絵の具で汚れたしわくちゃのスモッグを着て物凄く鋭い目でキャンバスを見つめているのが見えて、すこし胸がひきしまった。映画部で、そうやってまっすぐに打ち込めるものって、何かあるんだろうか。ああいう目つきで何かを見ることはあるんだろうか。じっと手元を見つめる、猫のようにギラッと光る目をした誰かの顔が一瞬頭に浮かんで、消えた。
ふと、1週間前に見た寄せ書きが頭の中に映し出された。それはだんだんズームアウトして、一冊の台本になった。
映画の脚本。
5年前の映画部は、自主制作で映画を撮っていたのだ。
部活で映画作り。青春っぽい響きのする言葉だ。いかにも『文系の青春』な感じだ。そういうコテコテな青春を、少し体験してみたいなと思った。そういう事を考えてる時点で、もしかしたらもう私の青春は終わっているのかも知れないけれど。
私は杉山に向かって言ってみた。
「…作る、とか?」
杉山がこちらを見た。
「何を?」
「映画を。」
さすがに無理かな、と思った。でも最後のページの寄せ書きがなんとなく記憶に貼り付いていた。きっと、5年前の映画部の人たちは、あの人みたいな鋭い目で台本をにらみつけて、映画を作っていたのかもしれない。ぼんやりとそう思った。
「いいかもね、それ。」
杉山が頷きながら言った。
「え、本当に?」
「うん。ちょっと面白そう。やってみる?」
「でもみんな、嫌じゃないかな。」
杉山が思ったよりも乗り気で、逆に腰が引けてしまう。
「何がですか?」
頭の上で声がしたのでばっと顔を上げて振り返ると、いつの間にか悠里が玲ちゃんと一緒に私の後ろに立っていた。杉山に顔を戻すと、頷いて説明を促してきたので、私はおそるおそる言いだした。
「あのね、映画部のみんなで映画を撮ってみたら、面白いかなぁって話になったんだけど。」
「そんなことできるんですか?」
悠里は元から大きな目をさらに丸くした。
「いや、分からないけど。」
「いいですね、それ。」
悠里のうしろから玲ちゃんが顔を出して、水色の声で言った。
「本当?」
玲ちゃんは耳元までのまっすぐな髪を揺らして頷いた。かわいいなぁ。
「やってみたいです、せっかく、夏休みなんだし。」
玲ちゃんと悠里も思ったより乗り気だった。私は視線を浮かせた。
正直、少し怠かった。やってみたくない訳ではないけど、結局中途半端なまま終わってしまいそうな気がして、ちょっと気が遠くなる。
ここしばらく、ずっとこうだ。何をするにも、私の周りを覆っている厚ぼったい空気が邪魔をして、何もかもが遠く、ぼんやりして見えている。そう言う事を考える度に、怠惰な自分に腹が立つ。自分でいいだした事なのに。
「本格的なのはさすがに無理かもしれないけどさ。」
杉山がスマホを見ながら言った。
「でも多分、ストーリー考えて、脚本書いて、ビデオカメラかなんかで撮るみたいな感じだったら、俺らでも作れるんじゃないかな。短めのやつだったら。」
私は杉山の顔を見た。
「ほら、これ見てよ。」
そういって杉山はスマホを机の上に置いた。私たちが上から覗き込むと、画面には自分でショートムービーを撮った人のブログが表示されていた。
「『映画 自作』でググっただけなんだけど、結構いろいろ出てきた。」
「意外とやってる人いるんですねぇー。」
悠里の言葉に、玲ちゃんはうんうんとうなずきながら画面をじっと見つめていた。
杉山が顔を上げて、私を見た。
「どう、水野。やってみない?」
私が言い出したのに、杉山に聞き返されるのはちょっと変な感じだった。でも杉山や悠里や玲ちゃんの反応を見ると、何となく出来そうな気がしてきた。
私は細く息を吸って、胸の中で漂っている紫の感情を冷ますと、無理やり勢いづけて首を縦に振ってみせた。
「よし、じゃあ、決定。」
杉山が言った。
なんか、すごいあっさり決まるんだ。
すると杉山は楽しそうに笑って、言った。
「でも結構人数が要るよね。俺らが二人、2年も二人でしょ。それで1年生が…」
杉山は5人の一年生の方を見た。1年生同士は打ち解けてきたようで、5人はにこやかにおしゃべりをしていた。
「おーい、1年生。」
杉山が声をかけると、5人はおしゃべりの笑顔のなごりを残したままこっちを向いた。
「映画部でさ、映画作らない?夏休み2ヶ月近くあるし、何もやんないの、つまんないと思って。」
一年生たちはちょっと控えめに、はい、とか、やりたいです、とか言いながら頷いていた。無理矢理頷かせたみたいな気がしかけたけれど、植山さんが明るい笑顔を私の方に向けてきたので私はちょっと安心した。
部室のホワイトボードが使われるのを初めて見た。というか、ホワイトボードがあった事さえ忘れかけていた。奥の方にうっちゃられていたのを悠里が見つけて引っ張り出してきたのだ。みんなホワイトボードの前に机をくっつけて座った。私はちょっとそわそわしながらその中にいた。杉山はボードの前に立って、ペンを手でもてあそびながら言った。
「全員あわせて9人か。けっこういろいろできそうだけど。」
杉山はキャップを引き抜いた。
「まずは分担を決めないと。」
そう言うと杉山はホワイトボードに勢いよく「監督、脚本、カメラマン…」と箇条書きで書き始めた。
さっきスマホで調べて、だいたいどういう役割が必要か、決めてあった。
音声、音楽、出演者…
「けっこうギリギリですね、人数。」
悠里が杉山に向かって言った。
「うん。でもまぁカメラマンとか以外は掛け持ちできそうじゃん。」
そう言って杉山はペンにキャップをはめ、私たちの方に向き直った。
「とりあえず、どれかやってみたい人いる?」
私がちょっと迷っていると、一年生の男子が軽く手を挙げた。
「あの、俺ビデオカメラ持ってるので、カメラやってみたいです。」
えーっと、何くんだっけ。なんとか西。
私はこっそり隣の玲ちゃんに聞いた。
「あの子、名前なんだっけ。」
「川西くんです。」
あー、そうだ、川西くん。玲ちゃんはくすくすっと笑った。
「おっけー。じゃあ川西がカメラね。」
杉山は赤のペンで書き足し始めた。
川西くんと周りに座っている一年生たちが、すげぇなとか、カメラがなんとかとか、面白そうに話していた。
「ほかは?」
誰も手を挙げる気配がなかった。
私は思い切って、とは言っても少し遠慮がちに見えるように、のろのろと低めに手を挙げた。杉山がこっちを見た。
「できるかわかんないだけど、脚本、やってみたいかも。」
「えー、お前監督じゃないの?」
監督、というどっしりした響きにびっくりしてしまって、私は慌てて言い返した。
「え、そんな監督なんて、できないできない。」
「でも言い出しっぺじゃん。」
「そうだけど、監督なんて大それた事…」
玲ちゃんが隣から楽しそうに笑いながら口を挟んだ。
「杉山先輩がやってくださいよ、部長なんですから。」
「そうだそうだー。」
悠里も便乗した。杉山は苦笑して、
「こうなる気はしてたけど。」
というと、監督にところに平仮名で「す」を書いて丸をつけ、脚本に「水野」と書き入れた。
「そういえば、音声って、何するんですか?」
気が付いたように玲ちゃんが言った。
「なんだっけ?」
聞かれた杉山は私に疑問符を跳ね返してきた。私はあわてて隣の玲ちゃんを向いて、口を開いた。
「あのね、カメラのマイクだとちゃんとセリフを拾えないから、ちゃんとしたマイクをつないで、それを演者に近づけて録るの。それが音声の仕事、のはず。」
さっき杉山に見せられたスマホの画面を頭の中で読み上げた。
「へぇー、そんな役割もあるんですね。」
玲ちゃんは感心したみたいだった。すると奥側から控えめな細い声がした。
「あの…音声、やってみたいです。」
見ると、植山さんが細い腕をそろそろと挙げていた。私と目が合うと、少し恥ずかしそうに微笑んだので、私も微笑み返した。肋骨の中の煙は少し色が淡くなって、温度が上がった。
「はい、音声が植山。」
杉山がさらさらと書き入れた。
「その下の音楽っていうのは?」
悠里がホワイトボードを指差した。
杉山少しボードの上で視線を迷わせてから、音楽の文字を見つけて、説明しだした。
「あぁ、これはBGM作ったりする人。まぁこれは、俺が。」
杉山はまた赤のペンで丸に「す」を書いた。
「あとは役者だな…」
杉山はこっちへ向き直った。
「主演、やりたい人。」
目に見えていたけど、誰も手を挙げない。
私は杉山にひっそり聞いてみた。
「…演劇部から連れてくる、とか?」
「仲悪いんだよ、演劇部。そもそも映画部って、演劇部を見限って出てきた人たちが作ったらしくて。それがずっと続いてんの。」
そういえば、前に誰かに聞いたことがある話だった。たしかに私もあまり仲の良い演劇部員は、周りにはいない。
「自分からやりたい人がいないなら、他推にしません?」
悠里が少しにやつきながら言った。
「ねぇ私は無理だよ。」
玲ちゃんが顔を低くしながら悠里にすがるように言った。悠里は口を尖らせて言った。
「だって本当に玲ちゃんがいいんだもん。」
玲ちゃんは少し頬を赤くして困ったように笑った。
悠里が玲ちゃんを推す理由は私から見ても明らかだった。確かに、玲ちゃんは可愛い。普通、クラスに数人はそれなりに可愛い女子はいるけど、玲ちゃんは、とびきり可愛い。肌は透き通るようで、朝日で光る湖みたいに白くて、髪はまっすぐで真っ黒でつやつやしていて、目は嫌味無くパッチリと開いていて、なんというかもう、神々しいのだ。毎朝鏡の自分に向かってまぁまぁ可愛いと呼びかけている自分が恥ずかしくなる。
それに、声もすごく綺麗だ。去年入学した時、演劇部や合唱部から散々声をかけられていて、『すごい1女がいる』と噂に聞いた。玲ちゃんは結局たくさんの部からの熱い誘いを、人付き合いが苦手だから、体が弱いからと言ってすべて断って、この映画部に途中入部で突然入ってきた。最初に玲ちゃんが部室に来た時を思い出す。確か六月くらいだったけれど、その日は部室には私しかいなかった。部室の固いドアが一気にがらがらっと蹴り開けられて、「こんちわー」と言って仁王立ちしている悠里と、その後ろで申し訳なさそうに立っている玲ちゃんが現れた時、私はそっちを見たまま口をポカンと開けて固まってしまった。その日いなかった3年生や杉山に代わって、ガチガチに緊張しながら部活紹介をしたのを覚えている。たしかそのあと、私がDVDを持って来ていた『リンダリンダリンダ』を3人で観たのだった。
クラスでも、メインの女子グループや男子とは絡まずに、ずっと悠里と一緒にいるか、それ以外の時は1人でいるらしい。それも相まって、クラスや学年では幻のような存在になっている。超絶美形なのに人と話さない美少女。ほとんどフィクションだ。それで時々、噂をきいたらしい男子が映画部の部室を覗き込みに来る。こっそり見ようとしていても、部室のドアは古くて開きにくいから、隙間を開けて覗こうとするとガタガタと音が鳴って、すぐに気付く。玲ちゃんの防衛体制は完璧だった。
うん、確かに主演にぴったりなのは、どう考えても玲ちゃんだ。
杉山もそう思ったらしく、玲ちゃんに向かって言った。
「俺も早川がいいと思うなぁ。画的にめちゃくちゃ映えそうだし。」
よくそういうことをさらっと言えるよなぁと思った。同じ女子の私でさえ、玲ちゃんに対してはちょっと萎縮してしまってなかなか言い出せない。
玲ちゃんはちょっと困った様子だった。しばらく黒目をきょろきょろ泳がせたあと、玲ちゃんは私に向かって、言った。
「あの…夏美先輩がやって欲しいなら、やります。」
「私?」
思わず目を見開いた。玲ちゃんは少し俯いてまま、うなずいた。なぜ私に聞くんだろう。分からなかったが、でも玲ちゃんにはぜひ主役をやってほしかった。頭の中できちんと言葉を並べ直してから、私は言った。
「玲ちゃんがやってくれるなら、私は嬉しいけど。」
それを聞いて、玲ちゃんは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、淡くピンクに滲んだ頰で微笑んだ。
「じゃあ、決まりで。」
杉山が主演の欄に「早川」と、ペンをボードに滑らせた。
「その他演者」のところに「山下、鈴原、佐々木、関」まで書き入れたところで、杉山が手を止めた。腕を組んで、しばらくホワイトボードをしげしげと眺めてから杉山が言った。
「男子、少ないね。」
確かにそうだった。もともと杉山と川西くんと鈴原くんの3人しかいないのに、杉山が監督をやって、川西くんがカメラマンをやったら、演じる男子は鈴原くんの1人になってしまう。
「祐希さんが出ればいいんじゃないですか?」
悠里が目をきょろっと開いて言った。杉山が大げさに振り向いた。
「え、俺が?」
「嫌なんですか?」
「いや、嫌ではないけど、監督と音楽もやるからなぁ。」
「あーそうか。困りましたなー。」
悠里はあまり困っていない様子で腕を組んだ。左の手首にはめたいつもの淡いピンクのシュシュを、右手でくるくると弄んでいる。私はそれをなんとなく眺めながら考えた。
確かに、監督と音楽に加えて、セリフを覚えて演じるのまでやったら杉山は相当忙しくなる。かと言ってカメラマンと演者はどうやったって兼任できないしなぁ。でも男役が1人じゃどんな話にすればいいか、見当もつかない。
杉山もどちらかというと「画的にめちゃくちゃ映えそう」な人間だ。あと、私の作ったセリフを杉山に言わせてみたいという気持ちもちょっとあるし、出演して欲しくはある。
音楽は、さすがに杉山にしかできないよなぁ。鈴原くんと川西くんは確か吹奏楽部出身で、鈴原くんは今も続けているらしいけど、さすがに映画のBGMを作曲するなんて、難しいだろう。
代わるなら、監督しかないのかな、やっぱり。
いや、私に監督なんて、できるのか。
でも杉山を出すにはそれしかない。それに脚本は、撮影が始まってからはそんなにすることもないかもしれないし。でもこなしきれるだろうか、私なんかに。
映画って言ったって、ビデオカメラで撮る30分の自主制作だし、そんなに大変じゃない。なんとかなる。
いや、でもできる気がしない。遠すぎる。私には遠すぎる。ゴールが見えない。
そうだ。結局私は、何もできない。何も完成させられないし、中途半端だ。怠惰だ。ずっとそうだ。この何ヶ月もの間、ずっと。映画を作ろうって言い出したのも、全然本気じゃないのに。無理だ。
いいのかよ、それで。
今の私は、ただのクズだ。夏休みと憂鬱を言い訳に美化しようとしているけど、本当に堕落してる。こんなままじゃ、顔向けができない。
鋭い目つきで手元を見つめる猫みたいな目が、また頭に浮かんだ。
気付いたら浅い息を細かくついていた。私は恐る恐る顔を上げて、おずおずと杉山に聞いた。
「…ねぇ、監督って、どんな仕事をするの。」
「うん?今回は、大体のストーリーとか考えて、撮るときに色々言って、って感じかなぁ。」
ほとんど内容は頭に入ってこない。杉山が説明している間に呼吸を整えて、頭の中で勢いをつける。
私は2回、深く呼吸をしてから、思い切って右手を挙げた。
「あの…」
みんなの視線がさっと音を立てて私に集まった。
急に脈が重くなる。私はさらにもう2回呼吸して、慎重に言った。
「あの…もしあれだったら、私、監督やろうか…?」
杉山が少し驚いたように目を見開いた。隣に座っている玲ちゃんが私と杉山を交互に見るのが、視界の端に映った。
さあ、もう後戻りできない。胸の中で何かがごうんごうんと思い音を立てて回転し始めている。
杉山が言った。
「いいの?」
「うん。…脚本と同じだった方が、監督もやりやすいかもだし。」
「そうだね。ありがとう、助かるわ。」
杉山は頷きながら言うとホワイトボードに向き直った。
「それじゃあ監督と脚本が水野で、俺はBGMと演者、と。」
ホワイトボードの文字が拭き取られて、書き換えられていった。監督の欄の「す」に濁点がつけられ、「み」と「の」が両脇に書き加えられた。
監督、みずの。
ごうん、ごうん。胸が鳴る。決まってしまった。もうやるしかない。
監督かぁ。
「すごいですね、夏美先輩。」
隣から玲ちゃんの声がした。びくっとして振り向くと、玲ちゃんはにこにこしながら言った。
「大仕事ですね、監督と脚本なんて。」
「本当にね。やる気出さなきゃ。」
私は今更湧いてきた緊張を紛らわしたくて、伸びをした。あくびと一緒に、疑問が一つ湧き上がってきた。私は玲ちゃんに聞いた。
「ねぇ、そういえばさ。」
玲ちゃんはくりくりした目を私にまっすぐ向けた。
「どうしてさっき主役やるかどうか、私に聞いたの?」
玲ちゃんは、ああ、と言って少し顔を傾けた。
「私も、よく分かんないです。なんか、緊張しちゃって。」
玲ちゃんはそう言って、綺麗な顔で少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「頑張りましょうね。」
私はぼーっとしていた。
「夏美さん?」
「あ、うん。頑張ろうね。」
「ただいま。」
誰もいない家の中に向かってわざと大きな声で言った。乾いた壁に細かく響く。何かいい気分だ。蒸し暑いローファーから足を引き抜き、自分の部屋に向かう。
鞄を置いて、制服を脱ぎ捨て、ジャージのズボンとトレーナーに体を突っ込んで、私はパソコンの前に座った。
次の部活までに、作る映画のあらすじを考えないといけない。みんなで案を持ち寄ったほうが私の負担が少なくて済む、とも言われたけど、一度私にやらせて欲しいと言って帰ってきた。結局、私が大まかなあらすじを考えて、みんなでそれに肉付けしていって撮影をしよう、という結論を杉山がホワイトボードに書き付けた。そのために夏休み中、4回しかやる予定のなかった部活を、映画作りのために2日に1度のペースで、それから撮影し始めてからはほぼ毎日、する事に決まった。一気に夏休みの方向性が変わったなぁ。パソコンの画面の読み込みバーがどくどくと満ちていく様子が、胸の中を表してるような気がした。
青いWのアイコンをクリックして、ワードを立ち上げる。読み込んでいる間に、机の奥に突っ伏していたレポート用紙のパッドを引き寄せて、筆箱からボールペンを出した。
何から始めたもんかな。
引き受けてはみたものの、監督なんてもちろんやってみたこともない。六月の演劇祭では毎年脚本をやってはいるけど、元からある小説や映画を短縮するだけなので、オリジナルの話を作るのは初めてだ。大変そうではあるけど、私の中で何かが熱くなり始めていた。
とりあえず、主演をやることになった玲ちゃんの姿を頭の中で映してみた。玲ちゃんに、どんな役をやらせるか。
あんまり派手な効果の必要なSFやファンタジーはやりにくいからドラマ系で行こう、というのだけがさっきの部活で決まったことだった。
うーん。
あんまり、玲ちゃんが他人の役を演じているところが、想像できない。なるべく、玲ちゃん本人の、そのままに近い役にしたい。
そうすると主人公は女子高生っていうことになるよな、やっぱり。女子高生が主人公の映画となると普通は恋愛ものだけど、そっちに走るのは何か安直な感じがして気が進まない。というか、そもそもそういうのの脚本を書ける気が全くしない。恋愛、全然してないもんな、私。それに、最近よくやってる少女漫画系の映画みたいに安直な話になってしまうのも嫌だった。恋愛ものは無し、か。
だとしたら、何にすればいいんだろう。
というかまず、女子高生が主人公の映画ってどんなのがあったっけ。
私は一度勉強机から立ち上がって、部屋の床に散らばったパンフレットやチラシを踏まないようにしながら、大股で部屋を出た。リビングのテレビの前に座り、この1週間で散々漁りまくったDVD類のラックを見る。お母さんはいつも五十音順に並べ直しているけど、今は私のせいで完全にシャッフルされていた。このくらいごちゃごちゃしてる方が見てて楽しい。
『耳をすませば』。恋愛ものだ。最近観てないから暇な時観よう。
東京ソナタ、ハリーポッター、アフタースクール、ハッピーフライト…『リンダリンダリンダ』。バンドものはキツイかな、さすがに。電車男、トトロ。小さいときに繰り返し観たな、懐かしい。魔女の宅急便。うーん、惜しい。松ヶ根乱射事件。無理だなさすがに。女子高生、女子高生。『リリィ・シュシュのすべて』が出てきた。好きだけど、映画部でやるにはキツ過ぎる。アバター、ピンポン、20世紀少年…あ。
真ん中より少し右くらいにあったのは、『時をかける少女』だった。
タイムリープものは、もしかしたらありかもなぁ。朝起きたらタイムリープしてる、みたいにすれば変にエフェクトとかもいらないだろうし。
DVDケースを元の場所に挿しこもうとして、隣にあったケースが目に付いた。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』
取り出そうと思って伸ばした手を、私はやっぱり引っ込めた。
はやくストーリーを考えてしまおう。
私は部屋に戻って再びパソコンの前に座った。とりあえず今まで思いついたことをワードに書いておくことにした。
頭の中でかき回してるよりも、文字にした方が結構すっきり見える。キーボードのすちゃすちゃという音が耳に心地良い。ローマ字の一文字ずつが平仮名になっていく。それが少しずつ漢字交じりになっていく。だんだん伸びていって、文になっていく。自分の頭の中のものが抽出されていくみたいだった。
『演者:玲ちゃん、悠里、杉山、佐々木さん、関さん、鈴原くん
・ノスタルジックな感じがいい
・主人公は女子高生
・タイムリープもの? 恋愛系△』
うーん。
これで本当に映画が作れるんだろうか。やっぱり少し不安になってきた。
パソコン画面の右上の端を見ると、0:07と表示されていた。もう、明日か。
私は一度大きく伸びをした。今はもう思いつきそうにない。最近寝不足だし、今日はもう寝ようと思った。ワードのファイルを、「映画.docx」の名前に変えてから保存して、パソコンを閉じる。まだ晩ご飯を食べていないことに今更気がついた。まぁいいや、お風呂入って寝よう。
何か久々に、一日が長かったような気がした。生暖かいあくびが頭の方まで昇ってきたので、口と鼻から吐き出した。ベッドに貼り付いていたスウェットの上下を取り上げて、開けっ放しの引き出しから下着を拾い出す。そのまま部屋を出ようとして、ちょっと迷ってからやっぱり部屋の中に戻った。引き出しをちゃんと押し込んでからもう一度ドアを 抜けて、後ろ手で電気のスイッチを押した。
"ナツキ C"へのコメント 0件