あなたがこの文章を読んでいる時、私は既に死んでいる。まだ私の死体は見つかっていないだろう。そして、よりちゃんの死体も。
よりちゃんは離婚に伴って引っ越してきて、私の学校にやってきた。
よりちゃんは小さい頃にお父さんを亡くして、お母さんは何年かしてから再婚後したけどまた離婚したり、親戚の家に預けられたり、結局お母さんと一緒に住んだり、なんか波乱万丈そうだったけど、よりちゃんはあっけらかんとしてそれを語る。よりちゃんは親友で、ライバルだった。
よりちゃんが転校してきた時、小学校のテストで毎回満点を取っているのは私だけで、私は天才とか博士とか、クラスで呼ばれていた。でも、よりちゃんが来てしばらくすると、私ほどの頻度ではないものの、一緒に満点をとるようになった。私は、急に自分と並ぶ子が出てきてちょっと拗ねていた。でも、私に一点差で負けた時、よりちゃんは「早川さんってすごいね! どうやって勉強してるの」と聞いてきた。面食らいながらも、私は「普通に家帰って勉強してるだけ」と素っ気なく答えたけれど、よりちゃんは「一緒に勉強して教えあおうよ。良い考えじゃない?」と攻めの姿勢のコミュニケーションをとってきた。そこから私たちは一緒に過ごすことが増えていった。満点常連といえば、私とよりちゃんの二人になった。
「私たち、すごく良い感じじゃない? なんか高めあってるっていうか」
いつだったか、よりちゃんがはにかみながらそう言っていたのを私は今も覚えている。私はそれが嬉しかった。二人でいることで、二人とも物凄くレベルアップできている気がした。
よりちゃんはすごく前向きな子だった。とにかく負けず嫌い。私よりも負けず嫌いだった。それから、人に当たり散らしたりしない。それがよりちゃんのすごいところ。仲良くなってからは、よりちゃんが怒っているのは分かるようになってきたけれど、あまりそれをさらけ出さないようにしていた。私なんかは結構イライラを出してしまうから、昔からずっとよりちゃんはすごいなーと思っていた。それに結構すぐ泣く。何かに負けると悔しがって泣く。私の方がよりちゃんより怒りっぽかったけど、よりちゃんは私よりも泣き虫だった。よりちゃんは何でも全力。別によりちゃんは自頭も良くないし、運動神経だって良くない。教科書を読ませたら初見の時なんて簡単な漢字でも読み間違えるし、逆上がりもできなかった。でも、だんだんできるようになる。天性の才能があるからじゃない。毎日死ぬ気で勉強、練習するから。毎日、朝、学校に来る前も、夜家に帰ってからも寝る間を惜しんで猛特訓。いつも何かしらの猛特訓をしている。なんであんなにいつも全力になれるんだろうって不思議で。一回聞いてみたら、よりちゃんは言った。
「むしろ手抜きができないの。やるなら100%出し切るしかできないだけ」って。そうやってとにかく何が何でも前を向いて全力のよりちゃんはキラキラしていた。「だりー」って言って斜に構えるのが流行している中学生時代、よりちゃんは結構浮いていた。でも先生には気に入られていたし、クラスの中心のギャルからも勉強教えてって慕われたりしていて、さすがよりちゃんって感じだった。私はよりちゃんのことが大好きでよりちゃんが誇らしかった。よりちゃんのことを「暑苦しい」とか「ウザい」とか言う子も少なくなかったけど、私はよりちゃんの暑苦しいウザさに元気づけられていた。よりちゃんのことを悪く言う子にも「でも、それがよりちゃんなんだよ」なんて口を挟んでウザがられたりしたっけ。
同じテニス部に入って、推薦でよりちゃんと同じ高校に行った。部活では、よりちゃんは自主参加の朝練や日曜練習にも欠かさず参加していた。よく体がもつと思う。私も参加率はかなり良い方だったけど、天気が悪いと諦めた。よりちゃんは「中止」とアナウンスされるまで這ってでも行っていた。それでも運動音痴のよりちゃんは部内で真ん中くらいの成績だった。何であんなに頑張れるんだろう。今でもまだ、よりちゃんほどの努力家は見つけられない。
高校に入ってからは、家が貧乏だから、と部活には入らずアルバイトをしながらめちゃくちゃ勉強していた。私と時間が合わないことも増えた。学校に来ても寝てるし。でも、よりちゃんは成績を落とさなかった。家に帰ってから死ぬ気で自習しているのは明らかだった。よりちゃんのことだから想像がつく。私はむしろよりちゃんのことを可哀相だと思っていた。それなのに、よりちゃんは特待生で大学入学が決まった。
「私は欲張りで、諦めが悪いだけだよ」
なんだっけ。これも、いつか、よりちゃんが言っていた。よりちゃんと同じ志望大に私は落ちた。よりちゃんが特待生で入った学校に、私は通うことすらできず、滑り止めで受けた地元で名の知れた私立大学に入学した。落ちたと知った時は、呼吸が上手くできなかった。とりあえず一日部屋で引きこもって自分の気持ちを落ち着けてから、よりちゃんに落ちたことを報告した。よりちゃんは何か優しい言葉をかけてくれたけれど、全然頭に入って来なかった。思い出せない。
ここで私とよりちゃんの人生は違えた。よりちゃんと距離が生まれた。よりちゃんが遠くなってしまった。私の隣から消えた。いや、私が、私の方が、よりちゃんの隣から脱落したのだ。
私は努力した。努力していたと思う。努力したつもりだった。でも、よりちゃんほどじゃなかった。まだもっと努力できたはずだった。なのに努力しなかった。あのテレビを見ていた時間にもっと勉強できたじゃないか。毎日七時間は寝すぎだった。よりちゃんはもっと必死だった。もっと寝ていなかった。
同じ大学じゃなくたって、私とよりちゃんは親友で、メールもしょっちゅうしたし、月に一回は私の一人暮らし先に遊びに来てくれたり、お互いの学校の文化祭とかのイベントに行ったりして、繋がりが途絶えることはなかった。
大学に入って、気を取り直して努力しようとした。でも、私は知ってしまった。気付いてしまった。私はよりちゃんに負けていることに。私はもうよりちゃんと肩を並べてなんていないのだと。よりちゃんは私よりもはるか高みに行ってしまった。お酒を飲んだのも、彼氏ができたのも、処女を捨てたのも、就職先が決まったのも、よりちゃんの方が先で、よりちゃんの方が私よりも良い彼氏、良い会社を見つけていた、ように見えた。良さ、なんてものは相対的なので私の方が良いと言う人も世界中を探したらいるかもしれないけれど、少なくとも私にとってはよりちゃんが手に入れたものの方が「良」かったのだ。全て。学内での成績の話はしなかった。明確な負けを見たくなかった。私がその話題を避けているのは、よりちゃんも気付いていたのだろう。よりちゃんは気が利くので。それだって、よりちゃんは元々気が利いたわけじゃない。誰かが気を利かせると「すごい気遣いだね! すごい! 私もそんな風にできるようになりたい!」と乗っかってきて本当にマネして自分のモノにしてしまうのだ。同窓会に行った時にその姿を見て、よりちゃんはずっとそれをやってきたんだな、と思った。どうせ会社に入ってからもずっとそうし続けてきたのだろう。身に付けた空気を読む能力で、何も言わずに観察して、勝手に真似して勝手に習得し続けてきたのだろう。一度負けを認めてしまえば、差はどんどん開いていく。よりちゃんはどんどん上り詰めていく。私はどんどん落ちぶれていく。大学生活は楽しかったし、友達にも恋人にもバイト先にも恵まれていた。でも、心のどこかにずっとあった。私はよりちゃんに負けている。
だんだん、よりちゃんと連絡を取る頻度が減った。大学を卒業して、会社で働き始めて、もうずいぶん経つ。よりちゃんと私の差は広がるばかりだった。負けを認めた私は努力をやめてしまった。よりちゃんだけでなく、いろんな人が私を置いて高みに上っていく。売れっ子の芸能人も、歌手も、作家も、漫画家も、イラストレーターもみんな私より年下だ。会社では後輩が次々と出世して私の上司になっていく。まったく努力してないわけじゃない。でも、そんな小手先の努力で通用する天賦の才能があったらこうはなっていないわけで、皆私の隣を通り過ぎていく。
よりちゃんは今も熱意に満ち溢れている。こんなに私とよりちゃんには雲泥の差があるのに、それでも、よりちゃんとは交流があった。よりちゃんから声をかけてくることも、私から声をかけることもあった。絶やすことができなかった。年に一回になっても、二年に一回になってしまっても、私とよりちゃんは会い続けた。今や、よりちゃんには優しい旦那さんと、愛くるしい子供が2人。あと、犬も2匹いる。お母さんにも、子供の面倒を手伝ってもらったりして、良好な関係で過ごしているらしい。旦那さんのことは付き合っている頃から紹介してくれたし、結婚式にも呼ばれた。子供たちは生まれて数か月の時から会わせてもらって、抱っこさせてもらったこともあるし、家に泊まりに行った時は犬ともども一緒に遊んだりもした。大学時代、実家暮らしのよりちゃんは一人暮らしの私の家に遊びに来るばかりだったけれど、今は何もない私の一人暮らしの家よりも、よりちゃんの家に行くばかりだ。
私とは住んでいる世界が違う。共通の話題も減った。せいぜい合う話は、上司や同僚の愚痴くらいだ。私はグチグチうじうじ言っているだけの末端社員だが、よりちゃんがそうでないことは嫌でもわかっていた。よりちゃんが行きたがるお店は私からすると少し高すぎたし、気を遣って奢られるのも嫌だった。だから、よりちゃんの家でご馳走になることが多くなった。だから、というのもおかしな話だが。でも、私には到底作れないお洒落で美味しいよりちゃんの手料理でも、外食よりかはいくらか気が楽だった。値段が見えないから。見えないだけなのに。ずるいよね。
ふと、よりちゃんの会社のホームページを見ていたら「活躍する社員たち」の紹介が載っていて、その中によりちゃんが参加していた。よりちゃんは会社初の女性フレックスタイム管理職らしい。きっと、よりちゃんを恵まれていると言う奴もいるだろう。違う。よりちゃんは自分の努力で全てを手に入れた。誰かに恵んでもらえるのを待っているような奴とは違う。
次に一緒にランチに行った時、私はよりちゃんに「会社のサイトに載ってたね。おめでとう」と声をかけた。
「ああ、あれね。あんなの大したことないよ」
よりちゃんがぽりぽりと頭を掻く。ちょっと罰が悪そうだ。大学時代に成績の話を避けていた時のように、きっと避けていた話題だったのだろう。私に気を遣って。
「よりちゃん、そんなに頑張ってしんどくないの」
これを聞くのは何度目だろう。努力を重ねるよりちゃんに。どうせわかっている。わかっているのに。
「うーん。確かに昔ほど無理はきかないよね。でも、毎日わくわくしてる。しんどいし、辛いこともあるけど、子供はかわいいし、仕事もトライアンドエラーでいろんなことが試せて楽しい」
ああ、やっぱりよりちゃんらしい。殺しそうだった。殺してやろうかと思った。殺してやろうと思った。殺そうと思った。よりちゃんは今も血の滲むような努力をしているのだろう。よりちゃんの苦しみを私は分からない。でも、私の苦しみもよりちゃんは分からない。よりちゃんが羨ましかった。よりちゃんは少年漫画の主人公みたいだ。努力が実を結び、苦難や挫折を乗り越える、決して諦めない、頑張ることをやめない、主人公。私は名前もないモブキャラ。でも人生がある。モブキャラにはモブキャラが主人公の人生があるのだ。私はよりちゃんになりたい。よりちゃんの皮を剥いで被ればよりちゃんになれますか。帰りに私はスーパーでピーラーを買った。ピーラーでは人間の皮が剥けない。でもピーラーを買った。私はよりちゃんになりたかった。違う。よりちゃんになっても、私はよりちゃんの人生をあんなに輝かせることはできない。私はあんなに努力を続けることができない。私はよりちゃんになっても、よりちゃんが持っている物を手に入れることすらできない。
よりちゃんが生きている限り、私はよりちゃんの存在を無視できない。負けを認めながら生き続けなければならない。どうしても気になってしまう。私にはよりちゃんが付きまとっている。私がよりちゃんに付きまとっている。電話番号を削除したって、私はよりちゃんを探してしまう。かかってきた電話がよりちゃんからじゃないかって、そわそわしてしまう。でも、もう、よりちゃんと比べて傷付くのをやめたい。
Q.どうしてみんなができていることができないんですか。
A.がんばっていないからです。
そう言いたいから、そう言うために努力するのをやめたんだ。自分もよりちゃんみたいに努力すれば、よりちゃんみたいになれるって可能性を残しておきたくて。できっこないのに。努力も才能のうちだ。あそこまでの努力を重ねられることが才能なのだ。でも、自分だってもっと努力すれば、もう少しくらいは上手くできたはずだ。あの時TIKTOKで2時間無駄にしなければ、あの時12時間も眠らなければ、あの時残業してでもやっておけば。そういう後悔を残しておくことで、それが希望になるから。そういう後悔に縋り付いて生きている。
私は私を救うためによりちゃんを殺すしかない。よりちゃんを殺すような人間は死んだ方が良い。だからよりちゃんを殺して自殺するべきだ。「小学生 戻り方」でGoogle検索しても、ネットは何も教えてくれない。私は相変わらずよりちゃんをのことも、自分の事も殺していない。殺せない。そんな度胸もない。そんなことに努力なんかできない。痛いのも苦しいのも怖いのも嫌い。大嫌い。私はよりちゃんのことが大好きでよりちゃんが誇らしい。だから自分が嫌いで自分がみっともない。だからよりちゃんを殺したい。思っているだけ。こうやって遺書を書き残しておこうと思っても、最後まで書くことすらできない。遺書すら満足に書けない。遺書すら皆やよりちゃんへの感謝じゃなくて、ただの自分語りで、生きて、この遺書を書いている。あなたがこれを読んでいる時も私はまだ生きている。ずるずると。遺書だけ書いて、いや、書ききってすらなくて、死ぬこともできず、殺すこともできず、ただねちねち一人で書いて、これを読んだあなたも傷付けば良いと思って、だって、私は、もう頑張れない。
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