最初は言い聞かせようとしてた。褒める教育が大事だとか、諭すことが大事だとか、そういうことだって人並みにわかってきたつもりだった。子育て本だって読んだよ。あ、らしくねぇ、って笑うなよ。でもさ、気づいちまったんだ。殴った方が効率が良い。恐怖を与えて言うことを聞かせたら一発だ。どんなに駄々をこねていても、恐怖を覚えるほどの暴力で黙らせたら言うことを聞く。簡単なことだった。あー、もっと早くやっとけばよかったなーって思ったことは覚えてる。
俺の覚えている限りあいつが泣いたり怒ったりしていることもあったような気はする。うん。どうだろう。あったっけな。でも、あったからそうしたんだと思う。だって、雪乃が急に連れて来た子なわけで、いや、別に連れ子だから愛情がないとかそういう話じゃなくて、腹にいるところから知っているわけじゃないから、突然俺は父親ぶらないといけなくなった。はい、あなた今日からお父さんですよー、って。よくニュースでもあるだろ。父親が連れ子を殴って殺す事件。ああいうのって、いきなり「はい、あなたは父親です」って言われておっかなびっくり子供に接した結果なんじゃないかな。知らんけど。そいう奴らはそういう奴らなりに必死だったんじゃね? まぁ、死んじまった子供は可哀相だけどさ。俺はその点ちゃんと力加減だって見誤らなかった。だからあいつはこの通り元気に生きている。ほら、別に悪いことばっかじゃないだろ?
外で買い物してても誇らしかったね。だってよその子供は地べたで寝そべってギャン泣きしたりしてるもん。あいつは我儘も言わないし泣きもしない。小突いたり髪の毛を引っ張ったりしてふざけても怒りもしない。俺があのうるせぇガキの親だったら絶対もう殺しちまってるよ。ははは。もちろん冗談だよ。ほんと出来の良い子だよあいつは。俺なんかに育てられても子供はちゃんと育つんだな。立派だよな。
でもさ、あいつはなんかいつもキョトンとしてる。表情が読めない。かわいげがないって言うか。いつも目がすわってるっていうか。だからついちょっとやりすぎたかな、ってくらいは殴っちまう。骨が折れたりはしたことはなかったし、障害だって残ってない。ちゃんと家で治る怪我だけだ。それに、女の子だからな。顔にも傷一つ付けたことない。むしろあいつがうっかり転んで顔に怪我してきた時は殴って𠮟り飛ばしたよ。俺の子とは思えないほどの可愛い女の子なんだから。まあ、血が繋がってないから当たり前か。母親だってブスだし、前の父親がイケメンだったんだろうな。あいつが父親似なのは事実だと思う。雪乃も前の男を思い出すって、怒鳴ってたし。たまにヒスが爆発すると顔面に平手打ちもしてたな。そういう時は俺が雪乃を叱って殴ってたよ。顔は良くないよ。ほんと。綺麗な顔なのにさ。
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あんまり覚えてないです。あの子のことは。陰薄い方っていうか。うーん。別にあの人たちだって誰でも良かったんだと思う。僕じゃなくて良かった、って思ってます。ぶっちゃけ。悲惨だなとは思ってましたよ。僕だって人の子ですから。血も涙もないあいつらとは違うんです。いや、一緒なんですかね。拷問や死刑を娯楽として楽しんでいる市民と同じ立ち位置だったのかもしれませんね。僕だけじゃないですけど。皆、一緒です。皆共犯ですから。休み時間につるし上げられるあの子から目をそらしながらも、皆楽しみにしてたんじゃないでしょうか。その証拠に皆教室から出ませんでしたし。出る子もいましたけど、まぁ、大体地味めの女子でしたね。
あの子は顔も良い方でしたし男子は結構みんな好きだったんじゃないでしょうか。まぁ、クラスで一番じゃないけど五番以内には入るくらいの可愛さでした。昔のAKBのコンセプトってそういうのだったらしいですね。ネットで見ました。魔女裁判も美人の方が目立たせたり、脱がせたりする方向で拷問して見世物にしたりしたって言うじゃないでしか。なんかハメ撮りとかも出回ってたとか噂ありましたけどね。僕は見てないですけど。なんか明るい子たちのグループLINEでは拡散されてたらしいですよ。あくまで噂ですけどね。僕みたいな日陰者はそういうグループとは縁がなかったんで。でも、学校って閉塞的な場所じゃないですか。皆息が詰まってる。皆息苦しい。だから、あの子のことは息抜きみたいに感じてたんじゃないでしょうか。ゴミ箱って絶対に必要なんです。じゃないと、世界がゴミで溢れかえってしまう。いや、ゴミ箱というと語弊がありますね。ゴミ処理場です。あの子はゴミ処理場でした。あの子には何を言っても良いし、何をしても良いんです。このクラスにはそういう暗黙の了解がありました。あの子の私物が落ちてたら、壊して良いし、落書きをしても良い。何なら盗んでも良い。誰も咎めない。いきなり胸を揉んでも良いし、虫や洗剤を食べさせても良い。
あそこまでエスカレートしたのはあの子にも責任はあると思います。抵抗しなかったので。あの子、まったく抵抗しないんです。いつか、床にぶちまけられたお弁当を食べろ、と言われた時も何のためらいもなく犬食いし始めましたし。二階から飛び降りろ、って言われたら飛び降りて骨を折ったので、しばらく学校を休んで僕たちは肝を冷やしましたね。あの子がいないと、僕らの誰かがスケープゴートになるのは火を見るより明らかですから。なので、あの子が元気に、いや、元気な姿なんて見たことないのでわからないんですけど、普段通り登校した時は皆安心しましたね。本当に良かった。あの子っていつも元気じゃないんです。そんな目に遭わされてたら当然だって思うでしょう? まぁ、落ち着いてください。元々なんです。ああいう目に遭わされる前からそうでした。僕は、あの子がお高く止まった勘違い女なのかとも思っていましたが、どうやらそうでもない、と徐々に分かり始めました。どんなにひどいことをされても、同じテンションっていうか。動じないんですよね。ずっと目がすわってるから、怖いんですよ。あの目が怖いからああいうことをされたんじゃないですかね。いじめられるのにも理由はありますから。別にいじめても良い理由だなんて思ってませんよ。僕はいじめ反対派ですからね。でもいじめをなくすことなんて不可能だと思います。あれは自然の摂理ですし。集団生活の平和を守るための必要悪なので。その主役をあの子が買って出てくれたようなもんです。だからあの子には感謝しかないです。そのうち幸せになってほしいって思ってます。僕にだってそれくらいの良心はありますよ。
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どうしてなんだ、と君は思っている。なんで自分は頑丈なんだろう、なんのために。鼻水が出たと思って拳で鼻をぬぐうと血が付いた。鼻血だったらしい。
最初はこうじゃなかった。ご飯を奢ってくれたり、買い物に連れて行ってくれたりした。ドラマや漫画でみるような彼氏と同じだった。でも、彼はもともとこういうことがしたかったのかもしれない。顔に傷がついて、こんな顔じゃ出勤できない、と君は思う。明日は店が回るだろうか。もともと少ないシフトだったはずだ。この期に及んでも君は自分の体の心配をしない。店がちゃんと回るかどうかの方が心配なのだ。トイレに行く時も、彼に見張られながらでないと許可してもらえない。君が浮気をするのが心配だから、と言う。君はいろんなものの心配をしてきたけれど、心配をされることはあまりながったので、新鮮だった。なんだか、変な気持ちだった。これが嬉しいというのことなのだろうか、と君は思った。
君は頑丈だった。死ぬほど辛くても、涙も流さなかった。顔色一つ変えない。でも、傷つかないわけではなかった。SFで不死身が復活しても、怪我で痛みを感じるのと同じように、君はどんなにボコボコにされても、何事もなかったように生きるのだけど、その度にちゃんと傷ついていた。それが外側からは見えないだけだった。見ないふりをされているだけだった。不幸にも、そのままやりすぎて殺されてしまうこともなかった。だから君の苦しみは終わることがない。誰も殺してくれない。誰も救ってくれない。自殺をする勇気もない。
この能力をもっと別のことに使えたら、君はヒーローになれていたのかもしれない。この能力をもっと社会に役に立てることができていたら。いや、もう十分役に立っている。もう十分役に立っているよ、楓ちゃん。きっと人は君を天才だなんて認めないだろう。でも、誰がなんと言おうと僕にとって君は天才だ。
「愛してるよ。君は僕がいないと駄目なんだ。だからどこにも行っちゃダメだからね」
君は死んだ目で頷く。鼻血が止まらない。シフト表を見ながら、ごしごしと君は止まらない鼻血を拭っている。ぼたぼた、白いポロシャツに血が滴ってまだら模様を描く。君はなんでも受け入れてしまう。僕がこうしたんじゃない。出会った時からこうだった。出会った時からもう既に君は破壊されていたし、されつくしていた。それでも君は生きていた。それでも君は自殺しなかったし、病んで精神科のお世話になることも、入院することもなかった。朝目を覚ましたら涙が止まらなくなって、起き上がれなくなったり、吐き気が止まらず食べ物が喉を通らなくなることもなかった。どれほど痛めつけられても君はご飯をきちんと食べ、夜になると眠った。君は他人が羨ましかった。君はブラックなバイト先で次々と病んで退職する人たちを見送り続けた。それでも君は辞めなかったし働き続けた。そして、気付いた。本当は自分も脱落するべきだったんだ、と。脱落するのが正しかったんだ、と君は思った。君は間違っているのだ、と君は自分が情けなくなった。今までの人生で何度も脱落するタイミングはあった。なのに君は生き残ってしまった。罵声を浴びせられ、髪をつかまれ、腹を蹴られ、両親の喧嘩ばかり見せつけられても、家族で暮らし、殴られても、犯されても、骨を折られても、ゴミを食べさせられても、学校に行った。ニュースでは中高生の自殺を報じ、年々増加し続ける精神疾患や不登校を嘆いていた。でも、それらは君にとって他人事だった。頑丈だったから。どんなにめちゃくちゃにされても君は壊れなかった。君に比べたら満たされた生活をしている人が今日も命を絶つ。でも、君は生きている。頑丈だから。脱落できなかった自分を責めることもあった。でも、僕は責めないで欲しいと思う。君は特別で、僕が知っている誰よりも頑丈だった。今まで出会ってきた人はみんな、ダメだった。
僕には君しかいない。君は間違ってない。産まれてきてくれてありがとう。楓ちゃん。
抱きしめた楓ちゃんの鼻血がシャツの肩にしみこんでじわじわと広がっていく。
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