脇道から逸れ和やかな場所へふと帰り着く。そんな、ひとたびのこと。
どうにもならない物をよく人は嫌うのですね。例えばもうどうにもならない現実やら、自分の才能やら。そんな物は誰でも嫌いでしょ?
しょうじのあな
雨が降ってしまえば、全てが消える。そんな事を思ってしまう事がある。
炎が奔走する少しの熱が 本能にそそぐように、囲炉裏での 祈り願っている詩だと想うことにして
この嫋やかな手
こんなこと書いておいてあれですが、実は関ヶ原自体は見てません
今ここで綱で繋がっている全ての人へ。幸あらん事を。
可視化された幸福がそこらじゅうで、線香花火の化碑を撒き散らしていた
猛烈にしんどくなって書き上げました。
喚きはじめた銀の鸚鵡の あの幼女の、死が黒猫に擬態したものに近く 雨漏りを眺める
ふりだした賽の目は黒で、いつまでも朔に満たない
まあこれは酒に酔って気持ち良い感じに吐瀉物と創作+詩を価値観にダダ漏れさせたもの
終わりを嘆いた。漂着した小さなひとみだ/ちいさく震えたけれど背負い切れるわけでもない/砂の器だ
しじまそのものだった
私が死んだら、 貴方は泣いてくれますか?
土にかえり礎とかす――雨、私の名を呼ばないで
ですからその器が何を示しているとしても器自身はひとつであり、茶器であり、空のモノで、ヒトとありました。まあようはツチクレのはなしというわけです。