若者へ。お前達にクソの始末をさせる気は無い

破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品

諏訪真

エセー

10,382文字

十代前半の読書は一生を左右するというが、それが大川隆法だった。

ゴブリンどもは自分たちが弱者であり、被害者なのだと都合よく考える。それでいて自分たちこそが世の中で最も偉いと思っているのだから質が悪い。
蝸牛くも『ゴブリンスレイヤー外伝 イヤーワン』より

 

2022年、元総理大臣の安倍晋三が暗殺された。総理の暗殺は1936年の齋藤實以来86年ぶりという。下手人の山上は筆者と同級生であり、同じ氷河期世代であり、そしてもう一つ共通しているのは新興宗教の二世信者という点である。そして翌年3月に幸福の科学の創始者の大川隆法が死去した。

山上の信仰していた統一教会というと、大体記憶に残っているのが90年代の合同結婚式のイメージであり、脱会の騒動である。90年代というと、まさにバブルの崩壊、そして就職氷河期の始まりであり、そして新興宗教が巷を騒がせた時期でもあった。筆者はそんな時代を小中高と過ごし、幸福の科学という新興宗教におよそ十年弱の信者生活を費やした。

 

新居に引っ越して間がない頃だったと思う。学校から帰ると、母が何かビデオを熱心に観ていることがたまにあった。政治家のような人が、何か講演を行なっているビデオだった。筆者は当初、消費税を導入した竹下元総理かあるいは政治家の誰かだと思っていたが、当時小学生だった筆者は政治には全く疎かった。母は普段筆者に見せないほどに真剣に見入っていて、何か異様な雰囲気を感じていた。

それからある日、夕食の後に母から唐突に生まれ変わりの話をされた。生まれ変わりとは何ぞ? というくらい当時の筆者は宗教に疎かった。輪廻という概念すら知らなかったのだ。言い換えると、人は死んだ後にどうなるのかという思想そのものに疎かった。ぼんやりと死後に審判があり、天国かあるいは地獄行きが決まるということは様々な宗教で訴えていることは知っていた。しかしその後どうなるのかは知らなかった。天国にいる住人はずっと天国にいるというような、曖昧模糊としたものだった。

興味を引いたのは、歴史上の人物の転生の話だった。その頃辺りから、学研の歴史漫画を頭から通読していて、歴史に興味を持ち始めていたからだ。初めは戦国時代の巻からで、以降日本史を中心に鎌倉や室町などの巻を読みつつ、定番所の織田信長や西郷南州の伝記など読み始めていた頃だ。

諸々話を聞いて興味を持ち、この人が全てを知っている、と示されたのが大川隆法だった。あの政治家かと思っていた甲高い声で喋る人は、実は宗教家だったのだ。筆者はそれから大川隆法の本を読み始めた。人生で最初に読んだ文庫本は小学四年生の時のガンダムのF91の小説版だったが、それは挫折していたので、文庫本には苦手意識があった。(余談だが、富野御大の文章は読みやすい方ではないので、小学生の時の自分には難しくて当然だった)

大川の本はとても読みやすい。一応弁護しておくと、明らかに内容がスカスカになるのは2000年代の中盤を過ぎる頃からであって、90年代はまだ内容があるほうだ。大川隆法の初期三部作として扱われている「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」は小学生のうちに読了し、後は月刊誌のバックナンバーなどを読みあさっていた。

とりわけ興味を引かれたのは、実は「黄金の法」だった。「太陽の法」は幸福の科学の基本教義を説明したもので、「永遠の法」は死後の世界の話(こちらの方を実在界と呼んでいる)に対し、「黄金の法」は大川隆法による歴史観を表している。上述の通り、その頃から歴史に興味を持ち始め、人物伝から歴史に入り始めた筆者にとって、歴史を俯瞰的に見る視点というのが、非常に興味を惹かれた。

 

中二の時は野良バスケ、野良サッカー、釣りに明け暮れるというぱっと見リア充の生活だった。中間考査の前日に釣りに行くような真似をしても別に成績は悪くなかった。ここだけ見たら所謂厨二病の正反対に見えて、その実将来の夢は出家(幸福の科学の本部講師になること)だった。

「私は将来光の天使になり、主の元で仏国土建設に邁進することです」と、支部で朗々と唱えていた。今思えばそこらの中途半端な厨二病では無く、極まった真の厨二ではなかったかと思う。丁度地上波で旧エヴァンゲリオン(以下旧エヴァ)が放映されていた。偶然にも、登場人物と同じく、当時は14歳だった。旧エヴァは新エヴァ(後になってリビルドされた方をこう呼ぶ)よりも遥かに宗教(主にキリスト教、ユダヤ教)的なモチーフが強かった。SFであると同時にオカルティズム的な色彩が当時の自分には非常によく馴染んだ。

なお、同じ年代に酒鬼薔薇聖斗がいた。小学生を惨殺し、学校の校門に殺害した少年の首を置くという猟奇的犯罪を行なった男である。これから暫く数年間は「キレる十代」というワードがそこかしこに溢れかえっていた。思えば1994年から95年というと、酒鬼薔薇事件や阪神大震災、オウム事件と、世紀末的を予兆させることが続発した。振り返ってみると、阪神大震災以外は世紀末だから起こったというより、世紀末に合わせて人間の方が勝手に狂って事件を起こしたという方が妥当かもしれない。

 

阪神大震災から一年ほど先立って、幸福の科学が初の映画を撮った。それが「ノストラダムス戦慄の啓示」である。その中で阪神大震災の直後の神戸の破壊された街を想起させるシーンがあったが、映画内ではカタストロフィすら超克するという希望を描いていた。

思えばそれが幸福の科学の強さで、世紀末に合わせて勝手に発狂して暴れるオウムと、後になってより強いコントラストになっていたように思う。その意味で、同世代がどう思っていたのかは知らないが、世紀末思想についてはほぼ毒されなかったと思う。寧ろ21世紀が黄金時代になると素朴に信じていた。未来が明るいと素朴に信じていられたのは、10代としてはとても幸せだったと思う。今の10代20代で未来は明るいと信じられる人は、どのくらいいるのだろう。我々ロスジェネのうらぶれた姿が、若者の描く未来像に濃い影を落としていないと、どうしていえるだろうか。

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2023年10月14日公開

© 2023 諏訪真

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