モーパッサンに就いて。

山谷感人

エセー

1,229文字

 最近、ハマっただけである。

 明治末期から昭和中期までの日本文学は、たいてい読んでいると自負している。例えば最近はアルコール依存症での記憶力低下が有るが、九州なら三本の指に入っている詳しさ、と自惚れている。実際、一ヶ月くらい前。再開発しているナガサキは出島付近にて酔って歩いていたら、ちよっと識っている某大学の文学教授とバッタリ。勿論、呑んでいる故、絡んだ訳だ。
 「おう、先生! こないだ地元新聞に掲載されていた『遠藤周作論』拝見しました。だが、あれは違うな」彼も返す。無論、紳士的に。「おみそれしました。ですが、私が、あの論評で書いた遠藤周作の本質は〜」と語るので「長くなりそうだから、そこの公園でチープトークしようぜ」で座らせた。酔漢の、市井なる方に対する所謂、無理じい。
 遠藤周作のテーマである、人としての強さ、弱さ、主に語っていたのだが逆に、その某教授がトバす。
 「カトリックは置いて、彼は海外文学に精通している。私もだ。君はソレをを読んでないだろ?」に、なった。
 確かに。ロシア文学は、或る程度は読んだが、後はカフカやカミュなどの所謂、有名ドコロしか拝読していない。完全にグウの音もでなかった。再開発中の、出島付近の公園には黒板が設置されてた。ナガサキを盛り上げよう! なる陳腐な企画である。
 「お前は、その黒板に何か和歌でも書いとけ。私は、おフランス文学に就いての学会も控えているから、帰る」で散会。やられたナァと感じた。
 そこから、未だ未知だった海外文学を読み漁った。中でも印象に残るのは、モーパッサン、短編集であった。
 モーパッサンが凄いトコロは、喜劇を悲劇だと描きつつ、その流れを読ませた上、結句は悲劇を喜劇だとで完結する、トコロだと思う。確かに、海外文学オンチには、それは斬新であった。日本文学には『金色夜叉』から流れる、脈々とした恨みか哀しみを述べる、なる私小説的なワンパターンとは違った。無論、テーマも短編集には駄目人間、アルコール依存症、ルンペンが多く、現在の自身にフィットしたのもある。全く例えが違うが、肉じゃがを美味と思ってビーフシチューは食わず嫌い、だったのだなあ、痛感。細部の文学論は、各々、違うだろうから、省く。
 逸話で纏める。
 モーパッサンの長編『女の一生』は、未だ読んでいない。ただ奇しくも、遠藤周作が同じ題名で、二部作をだしている。傑作だ。日本文学の良さや西洋文学のモノホンさ、を、知識として吸収したいと結構、本気に思う。再度、云う。それは、あくまでも知識としてで、何かに還元しようとは思わない。ギターが上手くなろうとしたヤツラが全部、ロックスターを目指すか? と同じハナシに、似ている。
 再開発の出島付近。黒板に書いた文字は基本、一日で消さられる訳であるが昨日、某教授からハナで叱られ僕が書いた句は、未だに残っていた。今後も残る事を祈り、それを矢張り、何かしらの贖罪だと鑑みる。
 山谷感人、と泥酔してサインを入れているが是非、ナガサキに観光に来る人は、視て欲しい。
 以上だ。  
 

2022年11月17日公開

© 2022 山谷感人

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