広島の空の下は

合評会2022年07月応募作品、合評会優勝作品

諏訪靖彦

エセー

3,948文字

2022年7月合評会参加作品。お題は「世界遺産」。

 

「明日、広島に行くぞ」

終戦記念日の特別番組を家族で観ていると、唐突に親父が言った。当時私は小学四年生で、日本がアメリカと戦争をしたことは知ってはいたが、原爆が落とされた広島や長崎について殆ど知らなかった。原爆投下よって日本が降伏した程度の認識しか持っていなかった。親父は何十万人もの被害者を出した原爆の悲惨さを息子に教える頃合いだと思ったのだろう。突然の広島行きにお袋も直ぐに承諾した。一緒にスーパーに行って高々五〇円程度のアイスクリームをねだっても決して買ってくれない倹約家のお袋が広島行きを即断したのを見て、これから広島で知ることは大人になるうえで知っておかなければならないことなのだろうと身構えたのを憶えている。

翌日、当時住んでいた大阪市平野区から電車を乗り継ぎ新大阪へ、新大阪から新幹線に乗り込み家族四人で広島に向かった。私には四歳下の弟がいる。弟は家族でピクニックに行くのかと思っていたようで、随分とはしゃいでいた。

新幹線の中で戦争の話はしなかった。私から聞くこともなかった。かといって重苦しい雰囲気だったわけではない。いたって普通の家族旅行と言った感じで、お袋が作ってくれた弁当を食べながら広島までの道程を過ごした。私は弟がはしゃぐ横で流れていく景色を見ながら去年の学校で出された夏休みの宿題を思い出していた。「おじいちゃんおばあちゃんに戦争の話を聞いてみよう」といった課題である。母方の祖父は既に他界しており、祖母からは「戦争が終わり、当時住んでいた朝鮮から無事日本に帰って来られて、今はあなたたちが遊びに来た時に、お小遣いをやれるくらいには年金を貰えているから不満なんてないよ」としか聞けなかった。戦前戦中、祖父祖母が日本を離れ朝鮮で暮らしていたのは新鮮に感じたが、貧困にあえいでいたわけではなく、それなりの暮らしをしていたらしい。私はこの話は戦争体験として弱いと考え、父方の祖父に話を聞くことにした。しかし、父方の祖父の話も担任の先生が求めるようなものではなかった。甲信地方の農家の長男だった祖父は前線には行かなかった。跡取りは前線に行かなくてよかったそうだ。中国戦線に従軍はしたが、ゲリラ戦を経験したことも、飢えに苦しむことも無かった。心臓を悪くしてから創価学会に付け入られ、先祖代々曹洞宗に帰依していた家族に見放され、学会の口車にのせられて買った何百万もする仏像に囲まれ、一人離れで暮らしていた祖父が戦争体験として私に語ったのは「現地の若い女性は姑娘クーニャンと言うんだけど、それがまた可愛くてね、言葉が通じなくてもいつもニコッと笑ってくれた。何をするにも嫌な顔せず笑ってくれたんだ。戦争で思い出すのはそれだけかな。姑娘が可愛かったってこと以外はあまり憶えてないよ」である。戦時中の悲惨な体験を聞きに来た孫に対して祖父は「姑娘は可愛かった」とだけ言ったのである。現地女性とのロマンスなどではなく、いかがわしい場所でお相手してくれた中国人女性に対しての感想だろうことは薄々感じていて、そんな話を夏休みの課題として提出したら職員室に呼び出しされて糾弾されるだろうと思った私は、社会科の教科書に載っていた「欲しがりません勝つまでは」のスローガンを下書きに、戦時中、祖母が貧困にあえいだストーリーを創作して提出した。今思うと、それが私の創作の原点だったのかもしれない。

話を戻そう。空調の効いた車内から広島駅のプラットホームに降りると、うだるような暑さに襲われた。広島の気温は大阪とそう変わらないはずだが、一層熱く感じられたのは、アスファルトから立ち上る熱気によるものなのか、終戦記念日の翌日に広島を訪れる人の多さからなのか、他の理由なのかは分からなかった。

広島駅からバスに乗って原爆ドーム前のバス停で降りた。教科書に載っていたのは全体を小さく切り取った外観だけだったが、間近で見る原爆ドームは想像していたより遥かに大きかった。首を目一杯上げて網目状のドームを眺めたあと視線をゆっくりと降ろしていき、吹き抜けになった二階の窓の中を見る。瓦礫が散乱していた。二階だけではない。一階の内部も原爆ドーム周辺にも沢山の瓦礫が散乱していた。爆風のすさまじさを伝えるためにあえて当時のまま残しているのだろう。そんなことを考えながら両親に目を向けると、二人は原爆ドームを囲む柵から少し離れた位置で目を閉じて手を合わせていた。私も二人に近づいて見様見真似で目を瞑って手を合わせる。すると、お袋が大きな声で弟の名前を呼ぶのが聞こえてきた。何事かと思いお袋の視線の先に目を向けると、弟が柵の中に手を伸ばして瓦礫に触れようとしている。お袋は柵の前まで行って弟を柵から引き離した。

「そんなことしちゃだめでしょ! そんなことしたら……」

最後の言葉は聞き取れなかったが、お袋が弟を叱るのは分かる。小学四年生の私には、原爆ドームを囲む柵の中に手を入れて、保存されている瓦礫に手を触れるという行為が、とても不謹慎で、してはいけないことだと分かるが、弟はまだ小学校に上がったばかりだ。原爆ドームが遊園地のアトラクションだとでも思っていたのかもしれない。

私たちは原爆ドームを後にして、歩いて平和記念公園に向かった。暑さは一向に引かず、公園に着くまでの間、お袋は水筒に入れた麦茶を弟に飲ませたり、私の額を流れる汗を拭いてくれた。

平和記念公園の中心に原爆犠牲者の慰霊碑がある。沢山の千羽鶴が供えられた慰霊碑の前で、私と両親は原爆ドームの前でしたように黙祷して手を合わせた。弟は、なぜ両親や私が目を瞑って両手を合わせているのか分かっていない様子で、公園を取り囲むように並んでいる、かき氷の屋台を恨めしそうに眺めていた。

次に私たちは公園内にある広島平和記念資料館に向かった。広島行きの目玉らしいことは事前に親父から聞いていたため、身を引き締めて資料館入り口の自動ドアを開けて中に入ると、火照った身体を冷気が包んだ。そして直ぐに肌寒を感じた。空調のせいだけではない。入り口から少し進んだところに展示された、原爆投下直後に広島で撮影された写真が目に飛び込んできたからだ。

大きなフロアに中心に原爆が投下される前の街並みと、原爆によって破壊されつくされた町並みの対比写真が展示されている。フロアの壁には原爆の熱線によってケロイド状の火傷を負った人々の写真が展示されている。病院らしき場所では生きているのか死んでいるのか分からない人々が並び置かれた写真が展示されている。被爆して髪の毛の抜け落ちた女性の写真が展示されている。その他、原爆の恐ろしさを直感的に感じることが出来る写真が数多く展示されていた。その一つ一つの写真パネルの前で親父は今まで見たことのないほど険しい顔をしながら、小学生の私でも分かるように丁寧に写真の解説をしてくれた。弟はあまりにもむごい写真を見て声を失い、お袋は目に涙を溜めていた。

親父の説明を聞きながら進んで行くと、被爆者について展示しているフロアに出た。外傷以外にも放射能の影響でがんや白血病に罹り何年も苦しみながら亡くなった人、被爆したことによって結婚を諦めなくてはならなかった人など、病気や差別に苦しむ人などの声が紹介されていた。

「なあ靖彦やすひこ、人は何のために生まれてきたと思う?」

敗戦から現在に至るまで、被爆者たちが差別や偏見と向き合った軌跡を年表にした大きなパネルの前で、親父が神妙な面持ちで私に言った。唐突な質問に親父の真意を測りかねて私は言葉を返せなかった。私が黙っていると親父は話を続ける。

「人は幸せになるために生まれてきたんだ。人は愛されるために生まれてきたんだ。人は誰かを幸せにするために生まれ、誰かを愛するために生まれてきたんだ。決して誰かを殺めるために生まれてきたんじゃない。戦争なんてあってはならないんだ。人が人を殺していい理由なんてないんだよ。どんな理由があっても絶対に戦争なんてしてはいけないんだ」

そこで親父の言葉が止まる。そして、親父の言葉を引き継ぐようにお袋が言った。

「それとね靖彦、差別も絶対にしてはいけないことなのよ。戦争は人を殺して、差別は人の心を殺すの」

二人は大きな声で言ったわけではない。資料館という施設の中での会話だ。きっと小さな声だっただろう。だが私の心の中で二人の言葉は大きく反響した。

それから幾つかの展示フロアを回り、私たちは資料館を後にした。既に日は落ち始めていたが、うだるような暑さは一向に引かず、どっと汗が噴き出してくる。額の汗を拭いながら公園を横切り公園前のバス停に向かう。バス停に向かうときも、バス停に着いて広島駅行きの列に並んでからも、私は一言も発さずに資料館で観た原爆の被害、被爆者への差別と偏見の歴史、そして両親の言葉を思い返していた。原爆について学校で教わることは表層でしかなく、教科書に載っている数ページの解説と数枚の写真だけで説明できるものではない。広島に来てよかった。現地でしか分からないことを沢山学ぶことが出来た。そんなことを考えていると、弟がバス待ちの列から離れ、バス停近くのかき氷屋の露店に向かって歩いて行くのが見えた。弟は店の前まで行くと、列に並ぶお袋に向かって声を上げる。

「ねえ、お母さん! かき氷買って!」

お袋は小さくため息をついた。そして列に並んだまま弟に向かって大きな声で言った。

「ダメに決まってるでしょ! このあたりのお店のかき氷には放射能・・・が入っているのよ! 原爆ドームの瓦礫のように放射能で汚染されてるんだから!」

弟はお袋に叱られ、泣きそうな顔をこちらに向ける。私は涙がこぼれ落ちないように広島の空を見上げた。

 

——了

2022年7月16日公開

© 2022 諏訪靖彦

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3.6 (18件の評価)

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"広島の空の下は"へのコメント 21

  • 投稿者 | 2022-07-18 23:35

    ラスト三行のやるせなさに心が砕けそうになります。
    私はこの告白にある種の勇気を感じました。

  • 投稿者 | 2022-07-20 07:53

    最後の一文、主人公はどんな気持ちで空を見上げたのか考えさせられますね。偏見が無くなってくれるといいのですが・・・

    宣伝で申し訳ないですが、僕も広島が題材の小説をこの合評会に出してるので、是非読んでください。

  • 投稿者 | 2022-07-20 16:45

    弟さんの感じが、私の子供の頃と一緒というか、ああいうの。幼い子供って。ああいうのあるというかしちゃうというか、そういうのを思い出して胸が締め付けられました。あああーってなりました。蓋してる自身の子供の頃の馬鹿みたいな記憶が、出てきそうで、ぎゃああああってなりました。

  • 投稿者 | 2022-07-20 16:55

    原爆ドームは時代性もあって、メッセージを持って世界遺産になれたけれど、フクシマはどう語り継がれていくのだろう、、と思ってしまいました。
    きっと、自分たちがまだ過去の遺産として、どんなメッセージを残せばいいのか処理が終わっていないからなのかもしれないですし、果たしてそんな日が訪れるのかどうか、、、

  • 投稿者 | 2022-07-21 11:22

     視点の主を固定し、短時間の出来事を平易な文章で上手くまとめている(前夜から始める必要はないと思う)。ラストにうっちゃりを食らわす手法自体はいいと思うのだが、被爆者やその家族、広島の人たちが読んだらどんな気分になるか、ちょっと心配。

  • 投稿者 | 2022-07-21 23:02

    自分の小学校でもやはり作文の時間、みんな先生の求める感じのものを書いてましたね。こういう事を書けばほめてもらえる的な。思った事を素直に書けみたいに言われますけども。
    それで作文じゃないんですが、環境問題をテーマにしたポスターを描かされた事がありまして、先生への嫌がらせのつもりで和式便器から思い切りウンチがはみ出た絵を描いて「クソは便器に(流せよな)」って付けて提出したら、クラスの人気投票で一位になって先生にも絶賛されて貼り出されることになりまして、よくわかんねえなあと思った記憶があります。

  • 投稿者 | 2022-07-22 19:58

    太平洋戦争のことを初めて知ったとき、「だから(戦前生まれの)祖父母とおれたちはあんなに違うのか!」と妙に納得した記憶があります。
    しかし、田舎の人間のほとんどは苛烈な戦争体験をしてないのだと気づくまでそれから十年以上かかりました。戦前が良い時代だと思っている人たちが、戦前を知らない右翼だけではないことを知りました。
    厳しい経験をした人たちは、そうでない人たちの無理解に、戦後もどれだけ苦しんだのか、とても想像できません。

  • 読者 | 2022-07-23 11:56

    確かな文体、完成度が高いと思われました。

    • 読者 | 2022-07-23 11:58

      コメントみすしました。削除願います

  • 投稿者 | 2022-07-23 12:01

    非常に完成度が高く、また文体も巧みでうまいと思った。
    一点だけ父親の「人が人を殺しいい理由」は、”て”が抜けているミスタイプではないかと思った。
    しかしそれが本作の完成度を毀損することにはならない。

    • 投稿者 | 2022-07-23 21:47

      ありがとうございます。脱字を修正しました。

      著者
  • 投稿者 | 2022-07-23 14:36

    質の良いルポルタージュだなと読み進めて、最後にパンチを食らいました。さすがは靖彦さん、感じの良い読み物では終わらせませんね。弟さんが可愛かったです。

  • 投稿者 | 2022-07-24 05:58

    こんなにも無邪気にアナーキーを発揮している弟が将来国家権力の手先になってしまうなんて、と作品外の部分でしみじみ感じ入ってしまった。毒のあるオチがすばらしい。

  • 編集者 | 2022-07-24 14:35

    冒頭で長崎という地名が出ただけでも喝采ものです。戦時に朝鮮にいた日本人がなぜそれなりに暮らせたのか、今の年金制度がどういう仕組みなのか、構造主義的な悪がその内部の断絶を見てほくそ笑む姿が目に見えます。その中で戦争を悲惨なものとして創作した語り手、大東亜共栄圏のイデオロギーを受け継ぐ建築物を案内して平和を説く父、最後のオチ、欲望に忠実な弟だけが無邪気に映る……現実の不条理がよく描けていると思いました。

  • 投稿者 | 2022-07-24 21:12

    たた三行でここまでの話を全て台無しにしてしまうお袋のセリフで一気に思い出話が文学に様変わりした瞬間……というより文学の髄を見た気がしました。
    満洲で暮らしていた私の祖母もそうでしたが(意図してそういう記憶しか残さないよう努めたのか)、実際の戦禍に生きる人々はわかりやすく悲劇でコーティングされた世界でなく、もっとその中でも喜怒哀楽のある延長上に巣食う不条理だからこそ、なところを改めて感じました。
    「禍」でいえば、今まさにもそうなんですものね。

  • 投稿者 | 2022-07-24 22:51

    原爆ドームのお話、美しい思い出かと思ったら、ラストに驚きました。
    構成が上手く完成度が高いです。
    文章もお上手ですごいなと思いました。

  • 投稿者 | 2022-07-24 22:53

    ラスト三行もそうですが、私には「今思うと、それが私の創作の原点だったのかもしれない」の方が衝撃的だったかも知れません。

  • 投稿者 | 2022-07-25 00:36

    ブラックなラストですが、これも一つの現実かな、としみじみ感じてしまいました。頭ではわかっていてもなかなか抜けきらないの偏見の根深さがうまく表現されていると思います。

  • 投稿者 | 2022-07-25 06:29

    厳格な鎮魂歌で終わるかと思いきや一気に人の業の深みに叩き込まれて思わずスタンディングオベーションしてました。諏訪靖彦史上最強四天王の一人としてキープしておきます。もちろん星は5

  • 編集者 | 2022-07-25 18:54

    オカンパワー!しかしこれも広島にまつわる貴重な市民史の一つだと思う。美しい情景なんか言葉ひとつでどうにでもなる、と言うことを体感。

  • 投稿者 | 2022-07-25 21:21

    オチでずっこけましたが、世の中のお母さんってこんな感じだよなぁと思いました。そんなに世のお母さんを知り尽くしたわけでもないですが……。お母さんじゃなくてもそうかもしれません。
    ブラックユーモアだけどリアル。

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