ボルヘスにおける文学の不可能性について(年譜付き)

岩田レスキオ

エセー

230,349文字

ボルヘス・エッセイ第2段(表紙のアラベスク文様は“バベルの図書館”の水平断面想像図です)。ボルヘスが、文学の不可能性に乗り上げどん底にあった年と、小説創作の黄金期十年をスタートさせた年とは、全く同じ年だった。その時、何があったのか? 本エッセイは二十世紀文学史上最大の謎の“その時”を、彼の生活史を詳細に追うことで明らかにしようとしたものです。

ボルヘスにおける文学の不可能性について(年譜付き)

 

 

文学忌避リスト

 

ここに、一つのリストがあります。――ボルヘスとその仲間達が、文学を書く上での禁忌とした事柄の数々を、列挙したものです。

ところで、一つのリストと書きましたが、実は訳されたものが二つあり、両者大分書きっぷりが違うので、二つとも掲載しておきます(原文はいずれも、ボルヘスの盟友アドルフォ・ビオイ=カサーレスによる報告)。

前者は、『ボルヘスの世界』(2000年 国書刊行会)内の『書物と友情』(アドルフォ・ビオイ=カサーレス P100-102)中のもの。後者は、『メモリアス』(アドルフォ・ビオイ=カサーレス 2010年 現代企画室 P82-85)中のもの。なお、『メモリアス』の原注に、「「書物と友情」(『もうひとつの冒険』ブエノスアイレス、1968年)より。」とありますから、どうやら後者はビオイ本人により前者を再編したものらしい。

 

「良いものを書くにあたって避けなければならないこととは。
――心理的、逆説的異常事件:良心的殺人、幸福すぎる人の自殺。心理学的にいかなることも可能であることを知らない人間が果たしているのだろうか?
――本や人物についての驚くような解釈。ドン・フアンは女嫌いである等。
――奇抜なもの、複雑なもの、脇役やたまにしか現れない登場人物の秘められた役割。ドン・キホーテにおける小間使いの哲学。文学における登場人物は単なる言葉の集まりでしかないことを忘れるな(スティーヴンソン)。
――明かに異質な登場人物の組み合わせ:キホーテとサンチョ、ホームズとワトソン、ローレルとハーディー。
――主人公が複数いる小説:一方の登場人物ともうー方の登場人物との間を行き来させるような言及は、はた迷惑である。こうした小説手法は問題を引き起こすともいえる:作家が敢えて一方の登場人物だけを観察したとしても、似ても似つかぬような違いやずさんな偶然の一致を避けて、もう一方の登場人物についての観察もすべきである:避けがたい状況:ブーヴァールとペキュシェ(岩田注:フローベールの最後の長編小説、未完)。
――会話の妙技、服装等による登場人物の特徴付け。ディッケンズ参照。
――単なる斬新さ、不意な驚かせ方:トリックのある物語。それまで語られていなかったことは教養のある作家には価値がない:教養のある読者はぶしつけな、不意な驚かせ方に余り喜びを示さないだろう。
――物語を語るにあたって時間と空間を使った自己満足のトリック。フォークナー、プリーストリー(岩田注:イングランドの著作家)、ボルヘス、ビオイ等。
――芸術作品における真の主人公はパンパ、原生林、海、雨、孤独、恐怖、剰余価値であることの発見。上記のことが述べられている本を読んだり書いたりすること。
――読者が共感しうる詩、状況、そして登場人物。
――引用句や紋切り型になりうる危険性をはらんでいる、一般的に色々なものに適用できそうな文章(これらはdiscours coherent〔首尾一貫した論説〕と矛盾する)。
――伝説的になりうる登場人物。
――計画的にたった一つの時間と場所の登場人物、場面、文章とすること。地域色。
――特定の言葉、特定のテーマに対する心酔。セックス、死に対するこだわり、天使、銅像、古い家具や装飾品。
――混乱を招く列挙。
――豊富な語彙。同義語として使用されるすべての単語。その逆がle mot juste〔的確なことば〕。的確さを求めようとするすべてのこと。
――鮮明な描写。非常に現実味のある世界。フォークナー参照。
――背景、雰囲気、ムード。熱帯、酩酊状態による混乱、ラジオ、繰り返されるフレーズ。
――天気で幕を開けること、幕を閉じること。平行する天候と人間の感情。ラスキンの救いようのない詭弁。ヴァレリーの「風立ちぬ、いざ生きめやも」。
――メタファー全般。特に視覚的なもの:さらに絞るならば農業的、軍事的、あるいは銀行的。プルースト参照。
――あらゆる神人同形説。
――他の人物の行動と平行して追って行くプロットの作品。ジョイスの『ユリシーズ』、『オデュッセイア』。
――献立表、アルバム、旅行日程、コンサートの形をよそおった本。
――写真を暗示するすべてのもの。映画を暗示するすべてのもの。
――批評における非難か賞賛全て(メナール(岩田注:ボルヘスの短編『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』の主人公)がしいた規則に基づく*(原註:「我々は、アメリカで(そしてヨーロッパとアルゼンチン共和国で)、論文を書くような大学教授や作家が、これをどれだけ文字通りに適用するかは考えだにしなかった。」))。文学的効果に気づくことだけで十分である。ホメロス、セルバンテス、ミルトン、モリエールの場違いのユーモアを指摘する、見えすいたことをやる奴らほど幼いものはない。
――批評における全ての歴史的、あるいは伝記的言及。作家の気質。心理分析。
――探偵小説における家庭生活やエロチックなシーンの描写。哲学的な会話におけるドラマチックなシーン。
――サスペンス。恋愛小説における感情的な、あるいはエロチックな要素:探偵小説における謎と死:幽霊物語における幽霊。
――虚栄、謙遜、男色、男色の欠如、自殺。」(『ボルヘスの世界』中『書物と友情』(アドルフォ・ビオイ=カサーレス) P100-102)

 

「文字において避けなければいけないこと
――心理学的な珍奇さ、および矛盾。慈悲による殺人、満足感ゆえの自殺。心理学の常識ではすべてが可能であることを知らない者がはたしているだろうか。
――登場人物の行動や性格に関する鬼面人を驚かす解釈。ドン・フアンの女嫌い、等々。
――ごくまれに姿を現すだけの脇役たちが見せる隠れた才能、複雑さ、特異性。マリトルネス(岩田注:ドン・キホーテ中の人物)が開陳する哲学。小説のなかの登場人物がもっぱら彼らを描写する言葉に依存していることを忘れてはならない(スティーヴンソン)。
――明らかに異質な登場人物の組み合わせ。キホーテとサンチョ、シャーロック・ホームズとワトソン。
――対になる二人の人物を主人公とする小説。この場合、作者が直面する困難とはおよそ以下のようなものである。すなわち、一方の人物について何らかの解釈を試みる場合、それとシンメトリーをなすもうひとつの解釈を他方の人物に適用することになり、対称性の法則、あるいは新鮮味に欠ける一致の法則の濫用につながる。『ブバールとぺキュシェ』(岩田注:フローベールの最後の長編小説、未完)。
――奇癖による人物の描き分け。ディケンズ参照。
――新奇さや意外性に頼る手法。トリック・ストーリー。まだ誰も筆にしたことのない事柄のみを追い求めるのは、洗練された社会に生きる詩人にふさわしくない所行のように思われる。教養ある読者は、意外性という不躾な仕打ちをけっして喜ばないものだ。
――物語の展開における時間と空間の恣意的な操作。フォークナー、プリーストリー(岩田注:イングランドの著作家)、ボルヘス、ビオイ、等々。
――ある種の作品においてはパンパや人跡未踏の密林、海、雨、地価の高騰などが真の主役を演じていることの発見。こうしたことが多少なりとも当てはまるような作品を書いたり読んだりすること。
――読者が容易に同化することのできる詩や場面、状況、登場人物。
――汎用性の高い言い回し、俚諺になりやすい言葉、あるいは通俗に堕する危険性のある表現(それらは一貫性のある言説un discours coherentとは相容れないものである)。
――神話的存在たりうる登場人物。
――特定の場所や時代に限定された登場人物や舞台背景、言い回し。地方色。
――言葉やオブジェへの偏愛。性と死の誘惑、天使、像、ごた混ぜ(ブリカブラク)。
――無秩序な羅列。
――語彙の豊富さ。同義語として使われる言葉。あるいはその反対。正確な言葉Le mot juste。的確さへの願望。
――描写における生彩。どこまでも物質的な世界。フォークナー参照。
――環境、気候。熱帯的酷暑、酪酎、ラジオ、繰り返されるフレーズ。
――天候にまつわる書き出しと結末。気象学的、アニミズム的な一致、照応。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。
――メタファー全般。とりわけ視覚的なもの。さらにいえば農業や航海、金融にかかわるもの。プルースト参照。
――あらゆる擬人化。
――作品の構造が他の作品のそれと並行関係にあるような小説。ジョイスの『ユリシーズ』。
――献立表やアルバム、旅程表、協奏曲などの体裁を装う本。
――図版を示唆するもの。あるいは映画をほのめかすもの。
――批評における非難や称賛(メナール(岩田注:ボルヘスの短編『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』の主人公)の規則による)。文学的効果を論じるだけで十分である。ホメロスやセルバンテス、ミルトン、モリエールの無能を高らかに宣言する類の売文の徒ほど無邪気な連中はこの世にいない。
――批評における、あらゆる歴史的、伝記的事実への言及。作者の人間性。精神分析。
――推理小説における家庭生活や官能的な場面の描写。哲学的な対話における劇的な展開。
――期待。恋愛小説における悲壮、およびエロティシズム。推理小説における謎と死。幻想小説における亡霊。
――虚栄心、慎み深さ、少年愛、少年愛の欠如、自殺。」(『メモリアス』 P82-85)

 

これらリストの各項目を読むと、その都度あれやこれやの既存の文学作品が脳裏に浮かんでくることと思います。世の中に出回っている諸作品は、大概これら項目のどれかに該当してしまう(勿論、ボルヘス自身の作品も含めて)。ここまで禁止されてしまっては、もはや小説を書くことなど絶望的に不可能だ。

リストの諸項目は、原理的に、あるいは道義的に、文学の不可能性を規定したものではなく、むしろ“感覚的”に、駄目な文学、書くことが不快になる文学(多くの場合、マンネリだからとか、(物語理論などから来る)機械的な繰り返しになるからとか、恣意的に過ぎるからとか、時流に乗っているからとか、すぐ底が見えるからとか、により)、を列挙したもののように思われる。つまり、ボルヘスの気持ちとしては、文学自体はアリだが、書くべきものはもはやナシ、といった所でしょうか。――一方世界は、当時(そして多分今も)、原理的道義的に文学の不可能性が強く主張され、そして嘆かれる趨勢にありました。

――ところでこのリスト(以下『文学忌避リスト』と呼びます)、どういう経緯で書き出された(この世に出現した)のでしょうか。その辺の事情は、リストの前文に詳しく書かれています。また、忌避リストに対しての仲間の反応も、リストの後文に書かれておりますので、両者を引用しておきます。これらはビオイによる、大変重要な証言です。(『メモリアス』の方が後にまとめられたものなので、こちらから引用します。)

 

(前文)
「一九三九年のある日、ボルヘスとシルビナと私の三人は、サン・イシドロの丘で、ある短篇小説の構想を練っていた(結局それは書かれることのない作品のひとつとなった)。フランスを舞台としたその小説の主人公は、田舎町に住むひとりの若き文学研究者である。彼は数年前にこの世を去ったある有名作家――洗練された趣味の持ち主である文芸愛好家たちのあいだに限られた名声だったが、主人公は鋭い直観によってそのことを探り出す――に関心を抱いていた。さまざまな困難に直面しながらも、主人公はその作家の足跡を丹念にたどり、生前の作品を入手することに成功する。ひとつは、薄い豪華本に掲載された講演の記録で、そつのない正確な言葉遣いや一連の常套句を用いて、剣を身にまとったフランス学士院会員の業績を顕彰するものだった。ほかにも、故ニザールに捧げられた、ヴァッロの『ラテン語提要』の断章に関する短いモノグラフや、内容と形式の両面において冷ややかな印象を与える『ソネットの栄冠』などがあった。これら飾り気のない、堅苦しい内容の作品を、著者の生前の名声に結びつけて考えることがどうしてもできなかった主人公は、さらに綿密な調査が必要だと判断した。作家が生前に住んでいた居城を訪れ、遺稿を念入りに吟味することを許された彼は、すぐれた着想がちりばめられた草稿を何点か発見したが、それらは未完のまま投げ出されていた。主人公は最後に、さまざまな禁忌が列記された一覧表を発見する。あの日の午後、ボルヘスとシルビナ、私の三人が、J・W・ダンの『時間との実験』の擦り切れた表紙の裏や何も印刷されていないぺージに書き記したものである。その内容は以下の通りである。」(『メモリアス』 P81-82)

 

(リスト本文)

 

(後文)
「われわれがこのリストを読み聞かせたごく少数の友人たちは、一様に不快の表情を浮かべた。おそらく彼らは、われわれが不遜にも文学の立法者をもって任じていると考えたのかもしれないし、ひょっとすると遅かれ早かれ、自由にものを書く権利を彼らから奪い去ってしまうのではないかという危倶を抱いたのかもしれない。あるいはただ単に、内容が理解できなかっただけのことかもしれない。この点については彼らにも一理あると思う。というのも、この一覧表には明確な統一的基準というものが存在しないからである。そこには、しごく妥当な文学上の手法や手段などが記されている一方、反論の余地のある実践的な助言も少なからず含まれている。われわれ三人が構想を練ったこの短篇小説がもし完成していたならば、読者はおそらく、先の禁忌を書き連ねた人物、まとまった作品を書き残すことなく世を去った文学者の運命のなかに、完全なる明晰さを保ったまま筆を走らせることが不可能であることの十分な理由とその根拠を見出したことであろう。

ところで、一覧表に登場するメナールは、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」の主人公と同一の人物である。かたや出版され、かたや未完に終わったこれら二つの作品は、同じ年のほぼ同じ時期に構想が練られた。私の記憶が正しければ、先の一覧を書き記した同じ日の午後に、ボルへスは「ピエール・メナール」の構想を私たちに打ち明けてくれたのである。」(『メモリアス』 P85-86)

 

ここで問題なのは、大問題なのは、このリストの書かれた1939年という年が、後年世界文学に大転換をもたらしたボルヘス文学の、10年に渡る黄金期のスタートを切ったまさにその年だったということです。ビオイの報告中にあるリストと同時期に構想された『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』とは、まさにこの黄金の10年のスタートを飾る第一作目でした。

一体、どうしたことでしょうか。――一方で『文学忌避リスト』を書いておきながら、他方ボルヘス文学創造の黄金期をスタートさせるとは。――ボルヘスに一体何が起きたのか。

書くべきものはもはやナシ、の気分のボルヘスが、何故突然書き出し、『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』から『アレフ』に至る黄金の10年を一気に駆け抜けたのか。本エッセイは、ボルヘスにおける“文学の不可能性”をキーワードに、不可能を可能に転じ、そして数々の傑作・快作(怪作?)を生み出すに至ったボルヘス最大の謎を、無謀にも解き明かそうと七転八倒紆余曲折しつつ試みようというものです。

なお、前エッセイ『本当はSF作家になりたかった巨匠・ボルヘス』でもそうでしたが、ボルヘスの作品がどういうものなのかから一々説明していったのでは、あまりに内容が膨大になり過ぎ紙面が幾らあっても足りませんから、これらボルヘスについてのエッセイは、あくまでボルヘスが何者であるか、その作品はどういうものであるかを、“ある程度”知っているだろう人に読まれることを前提にして書いています。そこまでの予備知識のない人達には、もろもろの解説なしでいきなり書き始めますのでいかにも不親切ですが、そういう次第ですのでご了承ください。(なお、スペイン語の特殊文字(チルダとかアクセントとかの符号の付く奴)は、表示しづらいので(文字化けするかもしれないし)、すべて符号抜きで表記してありますので、ご承知おきを。)(また、引用した参考文献は文末にまとめて一覧掲載しておきますので、どうか参考になさってください。)

 

 

〔ここに、『目次』を入れておきます。大変長ったらしい(六百枚越えの)エッセイ(?)になってしまいましたんで。(ページナンバーは示せませんが、検索すれば飛べるでしょう。)全体の大まかな流れがつかめ、理解の一助になるかと思います。御用とお急ぎの方は、興味のある項目から飛ばし読みしていってください。

 

(目次)
文学忌避リスト
“バートルビーと仲間たち”の仲間達
19世紀中頃から今日にまで至る、文学の不可能性という呪縛
・(紋切型辞典――ふたつに引き裂かれた作家・フローベール)
・(唯一の書物――詐欺師の時代19世紀が生んだ・巨匠マラルメ)
・(雨後のたけのこ)
・(ボルヘスの場合)
・(……そして、現在)
年譜
生活史
運命の年
仲間としての、読者(論)
・(“誤読”の問題)
・(“読者”としての立場から)
・(“読書空間”中での、マラルメ的書物(世界)の占める位置)
・(猫にはない、第三の目)
・(実作者の決意・前振り)
・(『バベルの図書館』ムダ話)
・(実作者の決意)
それにしても何故、ボルヘスはあんなにも面白いのか?
・(アルゼンチンとボルヘスの、アヤフヤな立ち位置)
・(前衛小説、実験小説なのに、なぜか面白い)
・(イメージの迷宮が醸し出す香気に酔い痴れる)
・(詩からのアプローチ)
・・((ちょっと、私的詩論))
・・((何故か、逍遥に脱線))
・・((詩論・続き))
・・((極々簡単な、まとめ))
ボルヘスへの批判と反論
・(スタニスワフ・レムのボルヘス批判)
・(エルネスト・サバトのボルヘス批判)
・・((人間文学))
・・((基準を変える))
・・((“文学”の私的定義))
・・((基準を変える・続き))
・・((人間文学・続き))
・・((非・人間文学))
・・((非・人間文学・続き))
・・((非・人間文学・さらに続き 名付け得ぬネタ物))
・・((サバト批判・もう一つの切り口 文学至上・思想軽視の問題))
・・((最後にトドメ “読者論”からのサバト批判))
・・((最後の最後に、極々簡単にまとめ))
・(蓮實重彦さんの場合)
そして再び、新生SF作家ボルヘス
・(本腰を入れて、“普遍性”の問題)
・(希望の文学)
・(実作者としての、三角測量)
・(ハイパー・ボルヘス)
おまけ 文化人類学者・今福龍太さんの新作『ボルヘス 伝奇集 迷宮の夢見る虎』を読んで

 

ざっと解説すると、『文学忌避リスト』が問題提起で、『“バートルビーと仲間たち”の仲間達』は前振り。次いで『19世紀中頃から今日にまで至る、文学の不可能性という呪縛』で(ボルヘスも含めた)近現代の“文学の不可能性”の有り様をザックリ眺望します。

ボルヘスの『年譜』に、それを概説した『生活史』と続いて、そのあとの『運命の年』と『仲間としての、読者(論)』の二つが、いわば本エッセイのキモ、核心部分です。ボルヘスが何故“文学の不可能性”を突破し、珠玉の作品群を造り得たのか、その秘密を解き明かさんと意図した私なりの“謎解き”が書かれてあります。

『それにしても何故、ボルヘスはあんなにも面白いのか?』から以降は、本エッセイの趣旨からすると“おまけ”っぽいです。思いのたけをダラダラと書き綴ってしまったの感があります。『それにしても何故、ボルヘスはあんなにも面白いのか?』でボルヘスの魅力(創作)の秘密に何とか迫ろうと四苦八苦し、『ボルヘスへの批判と反論』ではボルヘスに仇なす不埒者どもをバッタバッタとなぎ倒し、『そして再び、新生SF作家ボルヘス』では前エッセイ『本当はSF作家になりたかった巨匠・ボルヘス』を引き継ぎ、本当はあり得たかもしれないもう一人の新生ボルヘスの幻、その姿に託したまだ見ぬ新たな実作者の誕生を夢見る……。ボルヘスの理解と分析から、実作者としての何者か(自分も含めて)の創作の決意、スタンスの決め方、不可能性の破り方、読者との付き合い方、へと話はなだれ込んでいく……。興味がおありでしたら、是非お気軽に御一読ください(そして、何を愚かな戯れ言をと、御笑殺ください)。(なお、話の都合で、『詩論』(マラルメにかこつけた)と『人間文学批判』(サバトにかこつけた)の部分が大ボリュームになってしまいました。ご容赦のほどを。(特にサバトへの反論の箇所は、彼がボルヘスの“天敵”ということもあり、力が入ってしまいました。やたらと長くなり、とりとめのないものとなりました。ですからわずらわしいと思われる方は、まとめてパスして下さって結構です。ただその分、“ボルヘスvsサバト”を離れ、“文学の価値”を巡り文学全般を考察したものとはなっています。))(最後の最後に、ついこないだ読んだ文化人類学者・今福龍太さんの新作『ボルヘス 伝奇集 迷宮の夢見る虎』読後感想文を、リアルタイムで付けときます。)〕

 

 

“バートルビーと仲間たち”の仲間達

 

エンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』(エンリーケ・ビラ=マタス 2008年 新潮社)といえば、“文学の不可能性”を文学にした快作(怪作?)ですが、ここで彼は、各人それぞれの文学の不可能性の壁にぶち当たってしまった作家達の、生態とその理由付けのカタログを作ろうとしています。彼等の生き方を、ビラ=マタスは“バートルビー症候群”と名付けました。“バートルビー”は、「せずに済めば有難いのですが」が口癖の、ハーマン・メルヴィルの名作『代書人バートルビー』の主人公バートルビーから取られています。

書けなくなった、(それどころかしばしば最初から)書かなかった作家達の、そしてさらに何故彼等が書けなかったのか、書かなかったのかの、各人それぞれの理由付けの、楽しげな一覧表。“書く人”でありながら、しばしば“一生書かない”(“書く人”故に)などというのは、何やらオクシモロン(撞着語法)的表現ですが、ビラ=マタスは(あるいは『バートルビーと仲間たち』の主人公は)「失書症に陥った作家たちもまた逆説的な形ではあるが文学を作り上げている。」「それらの本(書かれなかった本)は世界文学の中で宙づりの状態になっている」(『バートルビーと仲間たち』 P21)(後者はマルセル・ベナブーからの引用)と語り、彼等の行為と世界文学史をうまいこと穴埋めしています。書かなかったこともまた“創造”(創作史中の“余白”)、といったところでしょうか。

この目論見に至った経緯を以下のように説明し、彼はバートルビー作家達の隠れ住む深く暗い森へと分け入っていきます。
「以前から、わたしは文学の世界においてバートルビー症候群におかされた数多くの亡霊たちを跡づけてきた。以前から、現代文学がかかっている病気、慢性的な悪弊、つまり一切を衝動的に否定したり、虚無に引きつけられる傾向を跡づけてきた。この病におかされたために、何人もの作家が厳格な文学的意識を持っているにもかかわらず(というか、おそらくはそれ故に)何も書けなくなってしまう。一、二冊本を書くのだが、やがて執筆から遠ざかったり、何の問題もなく書きはじめたのに、ある日突然文学的な意味で金縛りにあったようになって永遠にペンを捨ててしまうのだ。」(『バートルビーと仲間たち』 P4)。
「作家の中には書くことを放棄した人たちがいるが、そうした作家の中からもっとも注目に値する例を取り上げて、それぞれに異なった最終的な秘密について書こうと考えた。

そこで、現代文学に見られる否定の迷宮の中を、人を困惑させると同時にもっとも魅力に富んだ傾向が作り上げた複雑な小道を散歩してみようと心に決めた。その中に入ってゆけば、真の文学的創造に通じる唯一の道が見つかるかもしれない。そうすることで、書くというのがどういう行為なのか、それはどこにあるのかと自らに問いかけ、また書くという行為の不可能性について探り、世紀末の文学が置かれた予断を許さない――それだけにまたきわめて刺激的な――状況に関する真実を明らかにすることができるかもしれない。

来るべきエクリチュールは、否定的な衝動から、否定の迷宮からしか生まれてこないだろう。」(『バートルビーと仲間たち』 P5)。

森の住人のまずはメジャーな所をざっと挙げてみると、

ランボー。言わずもがな。

サリンジャー。書かなくとも、アメリカの作家は食っていける。

ローベルト・ヴァルザー(カフカの師とも言われる)。自分を無用の人だと思い詰めて書かなくなったらしい。

ホーフマンスタール。『チャンドス卿の手紙』(『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』 ホーフマンスタール 2018年 光文社古典新訳文庫)で文学の不可能性を吐露し、筆を折ったが、のち劇的にカムバックした。

ジョゼフ・ジューベール。準備している間に、一生を終えた。

トマス・ド・クインシー。アヘンのせいで、長期断筆。

エンリーケ・バンクス。ボルヘスに最高の詩人として紹介されるも、五十七年間沈黙。ボルヘスいわく、「おそらくあまりにもうまく詩が書けるので、逆に文学という遊びが簡単過ぎるように思えて興味が持てなくなったのだろう」

フアン・ラモン・ヒメーネス。妻の死により、書かなくなったばかりか、それまでの作品を全否定した(1956年ノーベル文学賞受賞作家)。

ジュリアン・グラック。そっとしておいて欲しい。無視してもらいたい。

ボビ・バズレン。もう一人のボルヘスだったかもしれない人。

フアン・ルルフォ。嘘つきおじさん(ネタ元)が死んでしまったそうだ。

フェリーペ・アルファウ。英語でバイリンガルになったら、頭が混乱した。

ぺピン・ベーリョ。ダリ、ブニュエル、ロルカらのグループの傑出した存在で、教科書や辞書に名前が載っていたが、自分は何者でもないと言い張った。

(小説家じゃないが)ウィトゲンシュタイン。沈黙の王。

そしてメルヴィル自身。海の男の話で有名になったが、その後の(今となれば大傑作の)作品達で不評を買い、バートルビーを書いた本人がバートルビー症候群のまま死んだ。

症候群の亜種だったり、断筆期間の短い人々。

ヘルダーリン。狂気で書き続けた。だから作品にはなっていないが、書くのをやめた訳ではない。

カルロ・エミリオ・ガッダ。ロベルト・ムージル。書き始めた本が無限に続くように思えたため、放棄せざるを得なくなった。

ソクラテス。この人の断筆は、信念でしょう。

カフカ。創作の不可能性は、天才でも凡人でも同じですね。

オスカー・ワイルド。人生最後の二年間だが、書くことを放棄し、何もしないという最高に知的な喜びを満喫した。

モーパッサン。自分は不死だと思い込んで、ペンを捨てた。

トルストイ。達観した(すべての文学はそれ自体の否定である)。

マイナー(? 失礼。私が知らないだけで)な人、あるいは架空(? 失礼。これも私が知らないだけで)の人。

J.V.フォシュ。詩にピリオドを打ち、ケーキ屋になった。

フェレール・レリン。彼も、すべてを投げ捨てて、ハゲワシの研究者になった。

エミリオ・アドルフォ・ウエストファーレン。単に書く気にならない。

マリアンネ・ユング。恩寵が過ぎれば、詩もまた消滅する。

クレマン・カドゥ。フェリシアン・マルブーフ。偉大な作家に当てられて(前者はヴィトルド・ゴンブローヴィッチに、後者はフローベールに)失書症になった。

マリーア・リマ・メンデス(主人公の片想いの相手)。大変な才女だったが、一時荒れ狂って多くの前途有望な若者達を難破させたヌーボーロマン詐欺の犠牲となった。

ルイス・フェリーペ・ピネーダ(主人公の旧友)。『放棄した詩のファイル』を放棄し、俗人になった。よくある話。

そして、自殺した作家達の、かなりの部分。

等々々。ざっとこんな調子で、リストは続いてゆきます。

さてボルヘスはと申しますと、作者やっぱりスペイン語圏の作家ということもあるんでしょう、ボルヘスが大好きなようで、本の随所にボルヘスの至言をはさみ論を引き締めつつも、当人を症候群罹患者リストに加えることはしていない。さもありなん、ボルヘスは一応、それなりの数作品を残しましたから。

しかし、『文学忌避リスト』を書いた当時のボルヘスが、“バートルビー症候群”に罹患していたという推理は、充分に的を射ていると思います。――『文学忌避リスト』を組み込む構想だった作品の主人公は、まさに『バートルビー症候群』のど真ん中の重症患者、それ以外の何者でもない人物ですから(ビラ=マタスはビオイのこの記事を読んで作品の想を得たのでは、と思えるほどだ)。『文学忌避リスト』の後文の中にも、「われわれ三人が構想を練ったこの短篇小説がもし完成していたならば、読者はおそらく、先の禁忌を書き連ねた人物、まとまった作品を書き残すことなく世を去った文学者の運命のなかに、完全なる明晰さを保ったまま筆を走らせることが不可能であることの十分な理由とその根拠を見出したことであろう。」とある。『バートルビーと仲間たち』の言いたいこと、そのままです。

これらバートルビーな人々の症例は、書けないこと書かないことが、ボルヘスはじめ特定の人々のまれな症状ではなく、“書く人”にとって普遍的な、しばしば一生捕らわれる“宿業”であることを示しています。“書けない書く人”とは、まさしくオクシモロン的言い回しですが、そういや私(岩田レスキオ)自身、三十代半ばから還暦近くまで、四半世紀ほど断筆していました(バートルビーの話に加えてもらいたいところですが、長くなるから話しません)。ですからこれら症状の機微は、骨の髄、脊椎の神経にまで染み渡って、痛感している所です。ボルヘスとて一歩間違えれば(あるいは間違わなければ)、バートルビー側の一員、詩と評論は書いたが、世界を震撼させたあのフィクション群は一編も書かなかった、バートルビーの仲間の一人になっていたかもしれない。

ここで“間違わなければ”と書きましたが、それはフィクションを書いたことがボルヘスにとってむしろ間違った人生であり、本来ならそれらのものを書かずに済ませる筈であった(詩と評論と、わずかのガウチョ物語のみを書いて一生を終えていた)という意味です。40才頃までの彼には(ということは、相当にとうが立つまで)、フィクションを書くという志向はまるで欠落していた。――それが何故、あれら異様な、特異なフィクションを、突然書き始めたのか、――その謎解きは後述『運命の年』を中心に詳しく自説を開陳したいと思っておりますので、それまでしばしご辛抱を。

 

 

19世紀中頃から今日にまで至る、文学の不可能性という呪縛

 

「文学の終焉」とか「文学は死んだ」とか「小説の落日」とか「小説は袋小路に入っている」とか「危機の小説」とか「あらゆる形式は試み尽くされた」とか、散々に言われております。

バースは、『涸渇蕩尽の文学』(『ボルヘスの世界』 P23-37)中で、「「可能性の涸渇した文学」――あるいは少し洒落て、ここに「涸渇蕩尽の文学」と呼ぶ問題」(同P23)(ただし、「「涸渇蕩尽」という言葉によってぼくの意図するところは、(中略)ある種の形式(フォーム)は使い尽されるということ。」(同)とことわっている)を挙げている。

さらに「主要な芸術形式の一つとしての小説にも時間がきたのかもしれない。」(同P31)、「ある種の小説家にとっては危機であるのかもしれないが。つまり、小説の時代は終った、と感じるのであれば、そうした感じそのものを小説に仕立てあげるということも、一つには考えられるのである。」(同)、「小説の行く末について終末意識を抱いている小説家や批評家がたくさんいるとしても、それは、西洋文明というもの、ないしは世界というものが、比較的すみやかに終焉をとげるだろうという感じに似ていて、そのように感じること自体が重要な文化現象なのである。」(同)、「芸術家とは、彼の敵と覚しいものを逆説的に超越するもの」(同)、「文学が終焉してすでに久しいのである。これが図書館員(多分ボルヘス・岩田注)の見解だ!」(同P34)などと続けている。

筒井先生は、『小説のゆくえ』(筒井康隆 2006年 中公文庫)で、「もはや文学的想像力によって埋められることが期待される空白枠はないのではないか」(同P20)(ただし、文学が何よりも形式であるとする理論の中では)。「革新的と言われる新形式の文学が生まれることはほとんど不可能である。」(同P21)、「この時代は文学にとって、ミシェル・フーコーが言うところの、「大いなる閉じ込め」の新たなる時代である。」(同)(ただし、「「資本主義経済の流通経路に乗った」作品群の中から」(同)は)。「構造主義が分析して以来、新たな物語類型を探求するのは無意味に近くなった。」(同P22)(ただし、「同じ物語類型であっても、語りによってその無限の発展は常に可能である。」(同))。「多くの評論家が、それにつられるようにして多くの文学関係者が、中には作家までが「文学の終焉」を唱え出した」(同P44)、「一般的に「文学は終った」と言われる理由、特に「ポスト・モダン以降、文学は死滅した」と言われている理由を考察したい。」(同)(筒井先生が考察したところ、これらはジャン=フランソワ・リオタールの『ポスト・モダンの条件』の内容の“誤解”が一人歩きしたもののようだ)。「しかし文芸評論の専門家たちが何をもって「文学の死滅」を声高に叫ぶのか」(同P45)、「終ることのない新たな文学的感動は常に蘇生から生じている。」(同P46)というのに。などと書いている。

バルトは、『エクリチュールの零度』(ロラン・バルト 1999年 ちくま学芸文庫)の中で、「一八五〇年の周辺に位置している年代」(同P83)(二月革命あたり)が境目となり、「それまでは、ブルジョワ的なイデオロギーが、普遍的なものを異議なく満たして、みずから普遍的なものの尺度となっていた。」(同)ものが、「もはや、他の可能的な諸イデオロギーのなかの一つとしてしか現われなくなる。普遍的なものは、そこから逃げ去るのである。そのイデオロギーは、おのれを断罪することによってしか、おのれを乗り越えることができない。」(同P84)。「エクリチュールが多数化し始めるのは、まさに、そのときである。」(同)。結果「この百年来、フローベールやマラルメやランボーやゴンクール兄弟やシュルレアリストたちやクノーやサルトルやブランショやカミュなどが、文学的な言語の統合や破裂や同化へのいくつかの途を描き出した――なお描き出している――のである。」(同)。しかし「著作家が語の複合体を書きつけるたびごとに、<文学>の存在性そのものが疑問のなかに投じられるのである。現代が自分のエクリチュールの複数性のなかに読み取らせてくれるものは、自分自身の<歴史>の袋小路にほかならない。」(同P85)。かくして、「エクリチュールは、こんにち、最終的な変身たる非在に到達している」(同P14)、「《エクリチュールの零(ゼロ)度》と呼ばれるこのような中性的なエクリチュール」(同)、と書いた。

ブランショも、『来るべき書物』(モーリス・ブランショ 2013年 ちくま学芸文庫)の中で、「われわれは、一八五〇年という日付を選んだが、これは一八四八年の革命こそヨーロッパが、おのれを作りあげているさまざまな力の成熟期に身を委ね始めている時期だからである。」(同P410)と、バルトと同じ年を分岐点に上げた。彼はさらに『文学の消滅』の項において「文学は、それ自身に向かうのだ、消滅というその本質に向かうのだ。」(同P403)とし、「究極的には文学を逃れ去り文学を無視するような運動を通して、非人称的な中性しか語っていないような地点にまで降ってゆく」(同P414)、「文学の本質とは、いっさいの本質的限定を、文学を安定させそればかりかそれを現実化するようないっさいの確立作用をのがれ去る点にある。」(同P415)と書いた。『最後の作家の死』の項では、「誰も知らぬうちに文章表現というこのささやかな神秘が姿を消すこととなるような、最後の作家を夢みる」(同P451)、「たとえばあのランボオが、それも本物のランボオよりもさらに神話的なランボオが、おのれのなかで、おのれとともに死ぬあの言葉を沈黙させようとするというようなことを想像することも出来る。」(同)、「作家とは、この言葉に沈黙を課する人間」(同P455)、「すべての文学が語ることを止めた場合、欠けることとなるのは沈黙なのであって、この沈黙の欠如こそ、おそらく文学の言葉の消滅を明らかに示すこととなるだろう。」(同)と書いている。――ちなみに、『最後の人/期待 忘却』(モーリス・ブランショ 1979年 白水社)の訳者豊崎光一さんによると、ミシェル・フーコーはブランショを「最後の作家」と呼んでいた(雑誌「文藝」1970年12月号において)そうです(同P289)。

エルネスト・サバトは、『作家とその亡霊たち』(エルネスト・サバト 2009年 現代企画室)において、その冒頭「思想家たちの予告する小説ジャンルの落日」(同P11)と書き始めている。しかし、小説とは、何かと分からぬほど不純故、そんな予告など出来ない、と明確に否定している。また『危機の小説』の項では、「三十年も前にT・S・エリオットは、フロベールとヘンリー・ジェイムズとともに小説は終わったと断言した。これまで言葉を変えて多くの評論家が同様の死亡宣告を繰り返している。」(同P99)と書きつつも、「変質と堕落を取り違えるのはよくあることで、古いものをはかる物差しで新しいものを評価するところに誤解が生じる。」(同)、「小説の場合、その唯一の特徴はあらゆる特徴を持ち、あらゆるルール違反に耐えてきたということにある」(同)とし、「今日の小説は、危機に瀕した人間の小説」(同P100)であり、小説が危機に瀕しているわけではないと、これまたはっきり死亡宣告を全否定している。

また柄谷行人さんの報告によると、「滞米中(70年代半ば)、私はひとが現代の小説について話すのを聞いたことがなかった。例外的に話題になったのはボルヘスである。」(『批評とポスト・モダン』 柄谷行人 1985年 福武書店 P193)とのこと。そして同書の「あとがき」では、「「近代文学」は、あらゆるジャンル、あらゆる様式を混ぜあわし組みかえ、それが異化効果を与えるように、たえず変容して行くことを強いる、一つのパラダイムである。その内部でどんな変容があろうと、このパラダイムが変わったわけではない。今日では、たんにその加速度が増しただけである。それが根本的に変形されたと考えることは、救いがたい誤謬である。」(同P278)、「どんな新奇な試みをやろうと、「近代文学」の〝動力″の下にそうしているのだということを忘れてはならない。浮かれる必要もなければ、うろたえる必要もない。」(同P279)と書いている。――ウーム。バースも筒井先生もサバトも(バルトとブランショもか?)、それぞれの形で革新は可能、革新すべしと説いているのに、それらもまた同じパラダイム下のワンパターンだと喝破した。救いがあるような、ないような……。

東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』(東浩紀 2007年 講談社現代新書)では、「ポストモダンでは物語の力が社会的にも文化的にも衰える。」(同P16-17)、「ポストモダン化は、社会の構成員が共有する価値観やイデオロギー、すなわち「大きな物語」の衰退で特徴づけられる。」(同P17)としている。また「ポストモダンにおいては、すべての「大きな」物語は、ほかの多様な物語のひとつとして、すなわち「小さな物語」としてのみ流通することが許されている」(同P20)としている。

ボルヘス自身、『ボルヘス、文学を語る』(2002年 岩波書店)では、「言うまでもなく、それはわれわれが皆、小説が行き詰まっているという印象を持っているからです。」(同P74)、「私の考えでは、小説は完全に袋小路に入っています。小説に関連した、きわめて大胆かつ興味深い実験のすべての――例えば、時間軸の移動というアイデアや、異なる人物たちによる語りというアイデアの――行き着くところは、小説はもはや存在しないとわれわれが感じるような時代でしょう。」(同P74-75)と語り、『論議』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 2000年 国書刊行会)では、「音楽が音楽に、また大理石が大理石に絶望することができるのかどうか私には分からない、しかし文学は、みずからが沈黙することになるであろう時代を予知し、みずからの美徳を蹂躙し、みずからの消滅に心を惹かれ、その死を微笑みをもって迎えることのできる芸術である。」(同P79)と書き(1930年とあるから、彼はまだ30才の頃)、さらに『『ブヴァールとペキュシェ』の弁護』の項では、「チェスタトンが「小説がわれわれと共に死滅する可能性は大いにある」と、書いていた。実際、小説の滅亡はすでに起こりつつあるのだが――あの地図と時間表を備えた精緻きわまる『ユリシーズ』は、このジャンルの輝かしい断末魔ではなかろうか?――、フロベールは本能的にそれを予感し、」(同P216)と指摘し、『伝奇集』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1993年 岩波文庫)でも、「究極的に無益なものでない知的営為は存在しない。ある学説も(中略)歳月がたつうちに、(中略)堕してしまう。文学の場合、この衰退はいっそう著しい。」(『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』 同P66-67)、「いっさいがすでに書かれているという確信は、われわれを無に、あるいは幻に化してしまう。」(『バベルの図書館』 同P115)、などと書いている。

まあ、挙げていったら切りがありません。

それにしても1850年からはや170年、随分長い危機です。その間膨大な量の文芸作品が、あるものは危機突破を意図し、あるものはそんな意図とは無縁で、書き続けられ、世に送り出され続けてきた。まるで危機と戯れることを、創作の活力源としているかのように(『閉店セール』的な趣がある)。――死んだ、とか、死につつある、とか、お前はすでに死んでいる、とか、数々の死亡宣告をされておきながら、いまだ命脈を保っている。

“公的死亡宣告”は、ただ「19世紀的なつまらない(しかしこれが小説の完成形だと一時期思われていた)小説は死んだ」という、それだけの意味だとの主張があります。19世紀のブルジョアの文学は一旦は確立され文学世界を統一したかに見えましたが、その刹那、確立した張本人フローベールの頃からすでに、さまざまな困難に乗り上げ各方面へバラバラになりながら拡散していった。まるで、室町幕府ですね。文学者は、そのバラバラの破片の流れ着いたアチコチで、それぞれの困難なりに自らも暗礁に乗り上げバートルビーと化し、それぞれのバラバラなりにその暗礁を乗り越えるべくさまざまな工夫を凝らして書こうとした。20世紀になる前後文学世界で起こった事件はおおよそそうした事で、ボルヘスもその破片の一つを抱え込み、バートルビー化しつつもバートルビーの動かぬ手を動かし何かを書こうとした。――公的な扱いなど、個々の作家にとってどうでもよろしい。ただ個々人の創作に、個々人の文学の生死があるだけで。(つまるところ、既にあるマンネリの創作はしたくありませんから。それだけです。どういうものをマンネリと感じ、どういうものを面白いと感じるか(個々人が)、ただそれだけです。ボルヘスの『文学忌避リスト』のごとく。)

文学を終わらせないためには、その事について言及(自己言及)したものを書けばいいと言ったのは、バースでしたっけ。以下、自己言及した作品について、さらに自己言及する。それを繰り返す。さすれば作業(もはや創作とは呼べませんね)は無限に続く。――まあ、一種のメタ・テクストによる支配、でしょうか。しかし、「疑いはたえず新たな超=虚構の創出によって晴らされてきた」(『物語批判序説』 蓮實重彦 1990年 中公文庫 P309)にもかかわらず、「あらゆる超=虚構的な言説、すなわちここで「メタ言語的陳述」と呼ばれているものは、支配の論理にほかならぬ」(同P308)、そして「超=虚構による虚構の記述は、そのまま虚構の終りを前提とせざるをえない。」(同)、「あらゆる支配の論理は、だから終りの物語の単調な変奏にすぎない」(同)となる。実際、文学は自らの在り様を自覚した途端に、自らを否定しますから(その自覚が文学理論という形をとろうが単なる気分であろうが)、ボルヘスの『文学忌避リスト』のごとく。

以下、一旦統一された文学がバラバラになり、不可能性の沼に沈み行くさまについて、フローベール、マラルメ等々、幾つかのケースを順を追って書いてみようかと思いますが、かなりのボリュームになると思われますので、御用とお急ぎの方はそこら辺すっ飛ばして、先へ(ボルヘスの年譜のあたりへ)お進みください。

 

(紋切型辞典――ふたつに引き裂かれた作家・フローベール)

 

ふたつに引き裂かれたなどと言うと、何やらカルヴィーノの『まっぷたつの子爵』みたいですが、実際にフローベールは二つに引き裂かれて脳の血管が破けて死んでしまいました。フローベールといえば、リアリズム文学の金字塔『ボヴァリー夫人』を書き、近代小説の祖とも言われる人物ですが、彼は一方で写実主義小説を完成させながら、同時進行で(つまり同時期、19世紀中頃)、他方でその写実主義小説を破壊する着想に囚われ始めていた、――だから、二つに引き裂かれていた、という訳です。(ボルヘスも書いています。「晩年のフロベールに見られるぞんざいさ、あるいは無頓着、あるいは放縦ぶりは、批評家たちを当惑させた。私はそこにひとつの象徴を見ることができるのではないかと思う。『ボヴァリー夫人』によって写実主義小説を確立した男はまた、それをうち壊した最初の人間でもあったのだ。」(『論議』所収『『ブヴァールとペキュシェ』の弁護』 P215-216))

その着想というのが、他でもない、小見出しに挙げた『紋切型辞典』です。――彼はこれを、最晩年の未完の遺作『ブヴァールとペキュシェ』に、組み込むつもりでした。――19世紀中葉、二月革命(1848年)辺りが分岐点になった、という見方が多いとはすでに書いた通りです。この頃、ブルジョアの理想には、早くもガタがきつつありました。自身大のブルジョア嫌いでありながら皮肉にもブルジョア社会での文学の最高傑作を書いてしまったフローベールは、頂点を極めつつあるという意識があったればこそか、それを否定せんとする衝動もまた起こり始めていた。

『紋切型辞典』とは、蓮實重彦さんによれば、「物語から物語を奪う」もの、「物語的な欲望を意気沮喪させる」もの、とのことです(『物語批判序説』 P17)。フローベール自身、書簡の中で「ひとたびこれを読んでしまうや、ここにある文句をうっかり洩らしてしまいはせぬかと恐ろしくなり、誰ももう口がきけなくなるようにしなければなりません。」(同)と書いている。

何やら、ボルヘスの『文学忌避リスト』を彷彿とさせます。似たような機能、目的を持っている(一方は辞典の項目を喋れなくなる、他方はリストの項目を書けなくなる)。――まあ実際の中身は、同じくフローベールの手紙の中に「この本には、アルファベット順に、可能なかぎりすべての主題について、人前でこれさえ言えばよい、それだけで礼儀をわきまえた感じのよい人間になれる、といった文句が並んでいます。」(『紋切型辞典』 フローベール 2000年 岩波文庫 P277)とある通り、もっぱらありきたりの、それこそ紋切り型の通例ばかりが並べてある、――と言いたい所ですが、本当はアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(1964年 岩波書店)や、筒井先生の『乱調文学大辞典』(1972年 講談社)に近い印象がある。二、三例を挙げると、……。
「正義〔justice〕 けっして気にかけるべからず。」(『紋切型辞典』 P146)
「正義(Justice)[名詞] 忠誠、税金、個人的な奉仕にたいする報酬として、一国の政府が市民に売りつける、程度の差こそあれ、品質のおちている商品。」(『悪魔の辞典』 P61)
「快楽〔joie〕 楽しみの母。しかしその「娘」(「快楽の娘」とは娼婦のこと)については語るべからず。」(『紋切型辞典』 P55)
「快楽(Pleasure)[名詞] 同じ憂鬱の中でも、忌々しさの最も少ない種類のもの。」(『悪魔の辞典』 P99)
「女〔femme〕 むしろ女性と言うべし。

何が女にふさわしいか。

現代の女がしめる重要性。

「女房」と言わずに、「妻」とか「家内」と言ったほうがよい。

アダムの肋骨の一本。」(『紋切型辞典』 P50)
「おんな(Woman)[名詞] 通常、「おとこ」の近くに住み、家畜として飼い馴らされ易かった祖先の性質が、いまなお痕跡をとどめている動物。長老格の動物学者の多くは、かつて他から隔離されていた状態にあったあいだに獲得した、ある種の従順な性質の痕跡を「おんな」に認めているが、スーザンアントニー期(アメリカの婦人参政権論者スーザン・アントニー(一八二〇-一九〇六)にかけて言う)以後の博物学者は、そうした状態があったことを知らないところから、そのような美点のあることを否定して、天地創造の暁が見しごとく、「おんな」はいまなお咆哮す(バイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』の中に出てくる詩句「天地創造の暁の見しごとく、汝はいまなお逆まきつづけてあり」を参照)と断定している。この種属は、あらゆる猛獣の中で分布範囲が最も広く、グリーンランドの匂い香しい山中から、インドの身持ちの正しい浜辺に至るまで、地球上、棲息可能な地域到る所に出没している。俗称の「狼男(wolfman)」というのは正しくない。元来、猫族に属しているからである。「おんな」なる動物は、ことにアメリカに見出される変種(Felis pugnans(ケンカッパヤイネコ))は、動作が柔順で品があるが、雑食動物で、訓練次第では、口をきかないようにすることも可能である――バルサザー・ポーバー。」(『悪魔の辞典』 P153)
「ダーウィン〔Darwin〕 人間は猿の子孫だと言っている男。」(『紋切型辞典』 P159)
「ダーウィン 「宇宙船ビーグル号の冒険」を読め。」(『乱調文学大辞典』 P56)
「ヒステリー〔hysterie〕 ヒステリーについてのさまざまな考え方。

ヒステリー女は堕落した男たちの理想である。

色情狂と同一視すべし。」(『紋切型辞典』 P204)
「ヒステリー テレビのモーニング・ショー、アフタヌーン・ショーを見よ。」(『乱調文学大辞典』 P80)
といった具合。――ちなみに、
「日本〔Japon〕 この国ではすべてが瀬戸物でできている。」(『紋切型辞典』 P186)
「文学〔litterature〕 閑人(ひまじん)のすること。」(『紋切型辞典』 P221)
とのこと。各コメントとも、いかにも“時代”を感じさせられますな。

蓮實さんの説によれば、19世紀中頃のフランスでは、産業革命と大衆の教化により、物語を、特権的な者のみが語り得る(例えば啓蒙主義のように)時代から、皆が語る(浅知恵のついた大量のブルジョアジーが思い付いた事を喋りたがる)時代へと、変わっていった。結果、芸術は国民的な関心事となり、その定義が揺らぎつつも、誰もがそれについて口にする“説話論的な磁場”が発生した。芸術品の工業的模造品が氾濫し、それの気軽さが追及されると同時に質の低下を招いた。誰もが語りたがり(ボルヘスの『ハーバート・クエインの作品の検討』のように。そして今の(人の作品は読まぬが自分の作品は書きたがる)日本の現状のように)、他者に安易に理解されるよう紋切り型の共通項を目指し、そして(ある種の、一時代を画した)物語に終焉を迎えた。

またロラン・バルトは、『エクリチュールの零度』の序の中で、この時代について以下のようにまとめている(同P11-13、抜粋)。「ブルジョワジーのイデオロギー的な単一性が単一的なエクリチュールを生み出したのであって、ブルジョワジーの時代(すなわち古典主義とロマン主義の時代)には、意識が引き裂かれていなかったために、形式が引き裂かれることもありえなかった(中略)その反対に、著作家が普遍的なものの証人であることをやめて、不幸な意識となった瞬間(一八五〇年ごろ)から、著作家の第一の所作は、自分の過去のエクリチュールを引き受けるなり、それとも拒否するなりすることによって、自分の形式のアンガージュマンを選択することであった(中略)古典主義的なエクリチュールは破砕したのであり、<文学>全体は、フローベールから今日まで、言語の問題性となっているのだ。(中略)古典主義的な芸術は、みずからを言語として感得することができなかった。それは、言語であったのだ。すなわち、透明性であり、(中略)一八世紀の末ごろに、この透明性が濁るに至る。(中略)それは、眩惑し、途方に暮れさせ、魅惑し、重圧を加える。<文学>は、もはや社会的に特権づけられた流通様式として感得されるのではなくて、夢としてと同時に脅威として与えられる、秘密に満ちた堅固で深い言語として感得されるのだ。

その重大な結果として、文学形式は(中略)あらゆる客体の空洞に結合される実存的感情を触発することができる。(中略)一九世紀全体は、このような劇的な凝結現象が進行するのを見た。」

(ところで、誰もが語りたがるって、もしかすると古今東西普遍の現象なんじゃないでしょうか。人というのはある程度知恵が付くと、他人の話を鵜呑みにするのではなく、自ら話を語りたくなるものらしい。ヨーロッパで異端事件が続発するのは中世中頃からですが、この頃それまでの農村社会に対し経済都市が勃興し始めた(日本の中世でいえば、鎌倉時代から室町時代への移行期)。経済都市には教会が建ち、教会には学校(スコラ(スクール)・スコラ哲学の語源)が併設された(これが後の、ヨーロッパの大学に成長する)。で、町人達は知恵を付け始めた。それまでは神父様の説教するありがたい話をただ丸呑みしていたものが、知恵が付くと、キリスト教に関するさまざまな知識を自らの中で再解釈再編集し、自説を開陳し出す。その多くがチャチな我流の珍説ですが(つまりは生かじりの“ハンパ”な神学)、中には賛同者を集め農村部にまで流布され一大勢力となるものが出てくる。それがカトリックの教義に合致してバチカンの支配下に収まっていればいいんですが(この時期、多くの運動が起こり、多くの修道僧の新会派が結成された)、さもないと、バチカンの逆鱗に触れる。珍説、邪説に溺れた人達は、片端から火焙りで浄化されてしまいました。(この頃の諸々の出来事、『薔薇の名前』あたりによく描写されていますよね。そういやこの作品には、“盲目のホルヘ”という修道僧も出てきます。)

日本においても、江戸時代の庶民が、源氏物語のパロディーまで楽しむようになりました。古典古代の貴族文化とは縁もゆかりもないと思われる江戸時代の町人ですが、読み書きそろばんで知恵が付き黄表紙本に日頃から親しむようになると(江戸時代日本を訪れた欧米人は、日本の庶民が熱心に本を読んでいる姿を見てびっくりしたそうです。本に読み耽る庶民なんて、世界の他のどこを探してもいませんでしたから)、源氏物語についても語らずにはおられなくなったのでしょう。)

近代文学をスタートさせながら、同時に近代文学の“最初期”の“不可能性”にぶつかってしまったフローベールは、その困惑を一冊の本に凝縮させようとします。“江戸の仇は江戸で”ですかね、“株で損したら、株で取り返せ”ですかね。本の恨みは本で晴らせ、です。

その作品『ブヴァールとペキュシェ』は、蓮實さんに言わすと「常軌を逸した構造」(『物語批判序説』 P43)を持つ作品とのこと。まさに“最初の現代文学”の名に相応しいでしょうか(ただし、未完ですが)。私自身は読んだことがないので他の人の解説からの援用になりますが、ほぼ完成に近い第一巻においては主人公らは我流の科学知識に溺れ愚行をやらかす。つまりは付け焼刃な科学万能主義に対する批判になっているんでしょうが(ただし、こうした批判はいわば“正統派”の解釈であって、蓮實さんは『物語批判序説』P43-45で、主人公らの一見平凡な失敗を実は逸脱の物語(という作者の主題)と見るフーコーの姿勢に全面同意しているが、私もまたそんな蓮實さんに全面同意します)、この付け焼刃の知識を得るために、フローベールは千五百巻以上の書物を読んだとのこと。ウーム、“付け焼刃”も、ここまでくるとスゴイ。徹底して裏を取るいかにもフローベールらしい創作姿勢ですが、作者の並々ならぬ(死を賭した)信念を感じる(実際、途上で死んじゃうんですから)。『紋切型辞典』もまたそんな信念の表れで、フローベールは作中作があると、その架空の作品を自らあらかじめ作っておいて、そこから本編へ引用するのです。何という用意周到さ、粘着質! その点、作中作は要約で済ましてしまう(無駄な遠回りとばかり)ボルヘスとは好対照です(もっともボルヘスは、文章で表現だの伝達だのすることは出来ず、ただ“暗示”することのみが可能なのだと嘯いていますから、“暗示的な”要約のみで充分なのでしょう)。

さらに草稿のみ残された第二巻となると、いよいよ常軌を逸してくる。第二巻は、引用また引用、筆写に次ぐ筆写、のみで構成されている。主人公達が以前に読んだ書物、その他たまたま手に入ったすべてのものから書き写す。さらに、それを分類再構成し、またまた書き写す。遂には、自分達のやっている事が周囲の住民から危険視され彼等のことが県知事宛に報告されるのだが、その報告書を偶然手に入れ、その文章(つまり主人公達がそれまでやってきた事そのまま)を、丸写しで筆写し出す(そうした周囲の反応に対する善悪判断は、“下手の考え休むに似たり”とばかりに棚上げにし、ただ機械的に丸写ししていく)。(以上の顛末は、『物語批判序説』のP46-49に詳しく書かれています。)

その分類の中の一つに、『紋切型辞典』が入っている。他にも色々な分類項目が入っていて(『美挙・名句』とか『比較対照句集』とか『各種文体』とか)、多分フローベールはそれらを全てあらかじめ作る気満々でいたんでしょう(彼本人が筆写狂としか思えない)。分類自体は主人公達がその場その場の思い付きで考え出したという設定なんでしょうが、何とも場当たり式で、全体の見晴らしのない、つまりはチグハグで反体系的で滑稽な、――そう、ボルヘスのあの有名な『シナの百科事典』(『異端審問』中『ジョン・ウィルキンズの分析言語』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1982年 晶文社 P156。例のミシェル・フーコーの『言葉と物』の執筆動機になったという(『言葉と物』(ミシェル・フーコー 1974年 新潮社)「序」の書き出し(同P13)「この書物の出生地はボルヘスのあるテクストのなかにある。」)あの“動物”の分類法)を彷彿とさせる。――『論議』中に『『ブヴァールとペキュシェ』の弁護』という評論がありますし、あの『文学忌避リスト』の中にも『ブヴァールとペキュシェ』という題名が見えますから、ボルヘスがこの作品の事をよく知っていたことは間違いない。あるいはフローベールの死後整理され出版された草稿の中でこの分類項目を読み、それに触発されてシナの百科事典は思い付かれた? なんて空想もできなくもない。

(ところで表題の“ジョン・ウィルキンズの分析言語”とは、17世紀中頃に考案されたいわば全人類のための共通言語(エスペラントのような?)ですが、丁度コンピューターのディレクトリ(フォルダ)のような分類の仕方をベースにして言語を作ろうという試みです。今でもフランス語とかに女性名詞男性名詞中性名詞とかいう区分がありますが、未開の言語ほどそうした分類の名残が残っているらしい。例えばある未開の部族では、男女どころか名詞の区分がもっとある。そこでは“飛行機”は、“木”の性に分類されるそうです。何故なら、“木”の性は“加工物”を表し、飛行機は加工物だから。漢字のヘンも、同じようなものかもしれません。なるほど、生活がほとんど変化しなかった未開の時代ならば、名詞に最初からそういう分類法を適用しておけば、言語活動上便がよかったかもしれません。しかし現代となっては、どうでしょう? 科学が進歩し人の世界認識が変われば、カテゴリーもガラリと変わる。フォルダは、“新規”のものだらけで、分類上は『その他』ばかりが氾濫する。旧来の分類法もあまりに偏りが激しくて、改定しなければ不便で仕方がない。ブヴァールらのように個人的恣意的な分類なら、我々がいつもデスクトップ上でやっていることと同様、多少は面倒だがさしたる混乱はない。だが、もしこれが、社会共通、人類共通の言語の根本改定、なんて事になったら、もうシッチャカメッチャカなことになる。――だからまあ、これを実行する人も国も、ありませんでした。

これを実践的に取り入れているのは、図書館の“図書十進分類法”においてでしょう。ただしこちらは、言語ではなく数字をベースにしているわけですが。そして使用開始以来、すでに何度となく改定されているらしい。――このウィルキンズの分析言語についてもし興味がおありなら、ウンベルト・エーコの『完全言語の探求』(2011年 平凡社 P352-381)にかなり詳しく書かれていますので、参考になさるとよろしいでしょう。)

(ちなみに、アンジェラ・カーター(英国作家)が1989年10月18日英国学士院で行った講演『分類学者ボルヘス』(『ボルヘスの世界』 P158-166)において、女史は『シナの百科事典』と同種のものとして清少納言の『枕草子』(「こころときめきするもの……」とかいうやつ)を挙げていますが、私にはどうもそうは思えない。というのは、「こころときめきするもの……」は、リスト(羅列)であって、分類(体系)ではないからです(同様に、『文学忌避リスト』も羅列。ボルヘスは作品中でもしばしば好んでこの手の羅列を挿入しますよね)。対して『シナの百科事典』は、分類(体系)だ。「動物は次のように分類されている」とか「(l)その他のもの、」とかあるし(『異端審問』 P156)。つまり、余す所なく、網羅されている(つまり、総てを見晴らし、体系化されている)(実際には余りがあろうと、「余さぬ」と意図されている)。当然“ジョン・ウィルキンズの分析言語”も“図書十進分類法”も、こちらに入る。――すなわち、ただのリスト(羅列)と、分類(体系化(の意志)・思考方法そのもの)とは違う、という訳です。)

ブヴァールらの筆写は、余計な価値判断を入れずただ丸写しに書き写す。まるで、現代のビッグデータです。そして引用に引用を重ね再構成再生産され情報が溢れかえる、百年以上先取りした現代情報社会のカリカチュアのようだ。さらに書き写す内、いつしか自らの(書き写すという)行為そのものが書き写される対象となり、行為の円環は閉じられ永遠にループし出す。自己言及的筋立て、一種のメタ・フィクションでしょうか。自己言及的円環の閉じられ方(一種の“入れ子構造”)は、『失われた時を求めて』や『百年の孤独』のラストとも似ている。そして科学(知性)万能(崇拝)文明の破壊に始まり、遂には書くことの堂々巡りの末、物語自体を破壊し去る。あたかもウロボロスが自分の尻尾を飲み込み続け、遂には全てを飲み尽くしておのれが消えて無くなってしまうような、そんな破壊的(“無”的?)な話を、フローベールは着々準備していた。大嫌いなブルジョアジーどもを仰天させ、おのれの世に出した完成作達を破壊し尽くすために。

(ボルヘスによるこの作品に関する書評は前述の『『ブヴァールとペキュシェ』の弁護』の中にありますが、私が特に強い印象を受けたのは以下の言葉、「この小説は過去に向かっては、ヴォルテールやスウィフトや東方の寓話に目を注ぎ、未来に向かってはカフカのそれを見つめているのである。」(同P216)、「『ブヴァールとペキュシェ』の時間は永遠に向けられている。」(同)、そして「もし世界の歴史がブヴァールとペキュシェの歴史であるとするなら、それを形成しているものがすべて滑稽にして脆いものであることは明らかである。」(同)。)

 

(唯一の書物――詐欺師の時代19世紀が生んだ・巨匠マラルメ)

 

19世紀は巨大な詐欺事件の横行した時代でした。物理学では、このままニュートン力学や電磁気学等の研究を重ねていけば、いずれ物理的現象はすべて説明し尽くせると言われていた。ヒルベルトの(夢の)プログラムは、“算術の無矛盾性”を証明出来ると喧伝されていた。そして、マルクス主義。――そんな詐欺師の系譜の中の一つに、マラルメの“唯一の本”もあった。

だが、光の速さの矛盾や最小エネルギーの分割不可能性から、それまでの物理学は相対論や量子論にその夢を打ち砕かれた。カントールの開発した“対角線論法”により、ゲーデルの不完全性定理は、ヒルベルトのプログラムを推進するつもりが、逆にそれが単なる夢でしかなかったことを証明してしまった(対角線論法って、前述したバースの“自己言及文学”にどこか似ていますよね。もっともマラルメやブランショなら、数学的正確さと違って、文学は“自己言及”というパターンも織り込み済み、と言うかもしれませんが)。そしてマルクス主義は、まるっきりスチーム・パンクだ(ある種の幼稚さを楽しむのが、スチーム・パンク)。あの、エネルギッシュで、細部にはまるで頓着しない傍若無人ぶりが(そんな所がこれまた、アシモフの『ファウンデーション・シリーズ』を思い起こさせます。彼が2、30代の頃(4、50年代)書いた初期三部作は、いかにも19世紀的スチーム・パンク風味付けだった。対して老齢の60代の頃(80年代)仕上げた続編は、20世紀のサイバネティクスと情報科学のしなやかさときめの細かさを持っている(宇宙船のデザインからして、まるで違う)(その分骨太でなくなり、単なる凡作に堕したとも言えようが))。

真理だの完全だの神だのというやからは、路上の陽炎のごとく、近付けばその分だけ逃げおおせていく、ということでしょう。

『フランス文学史』(鈴木力衛 1971年 明治書院)によると、マラルメは「象徴詩の最高峰を登りつめた」(同P200)、そして「フランス象徴主義の、また言語芸術の一つの極点」(同P202)を示した。「詩人にとりついた「青空」の理想」(同P201)は「詩からいっさいの不純なもの、偶然なものを取り除き、ことばによって対象の真を喚起し、魂の状態を暗示するという方法で、宇宙にも比べられる絶対詩の世界を築き上げること。」(同)だった。しかし、「厳密をめざすあまり制作がはかどらない」(同)、「いくつかの作品には、その書けない苦しさ、いわゆる「白のなやみ」そのものがテーマとしてうたわれている。」(同)。つまり、バートルビーに落ちた。

ボルヘスもまた『異端審問』中で、「マラルメによれば、世界は一冊の書物のために存在する。」(同P179)、「この世界は一冊の書物に書きあげられるために存在するというマラルメの言葉」(同P173)、「その端正な信仰告白「この世の全ては一冊の本に帰すべく存在する」はいかにも彼に似つかわしいものである」(同P106)などと書いている。――だがまた、マラルメのこうした長年の活動は、一方の人々にとっては「愚にもつかぬ作品についてもったいぶったお喋りをし、無意味な紙きれを神秘めかした様子でふりまわして、三十年のあいだ世間をだましてきた人物」(『来るべき書物』 P478)とも見られていた。

そのマラルメの構想し主張した“唯一の書物”とは(以下主にブランショから引用して書かせていただきますが)、具体的にはどのようなものか。――「書物は、最初から、文学におけるもっとも肝要な存在たる書物そのものと見なされているが、それはまた、「ただ単に」、或るひとつの書物でもある。」(『マラルメ論』 モーリス・ブランショ 1977年 筑摩書房 P118)そして「この唯一の書物は、何巻かで出来ている。」(同)。それは「「建築的で計画的な、たとえ不可思議なものにせよ何か偶然の霊感を集めたものではない」(一八八五年、ヴェルレーヌ宛書簡)、ような書物」(同P119)であり、「唯一のものの持つこの複数性が、創造的空間をさまざまな段階に応じて並べ重ねる必要から生じていることは明らか」(同P118)であるという。さらにそれは「作者が、そこから何ひとつ取り去ることが出来ず、(中略)あらかじめ除き去ることも出来ぬほど」(同P119)、「「完全に境界を定められている」」(同)。結果、「もし彼が、その後、この作品から離れて何か書こうとしても、「つまらぬ十四行詩」しか書きえないであろう」(同)とのこと。――またそれは「厳密に考えきわめられた方法で書」(同P120)かれ、「偶然を排除する」(同)、結果「現実の事物を排除し感覚的な現実に対して詩によって示される権利を拒否する」(同P121)。(ブランショによると、「詩的意味作用の第一の特質は、それが、可能なるいかなる変化も与えられることなしに、それを表わす言語に結びつけられているということだ。」(同P22-23)、「ここで理解すべき重要な点は、詩的作品が、根源的で他に還元出来ぬ構造を持った意味作用をそなえており、この意味作用は、実際的な理解を支える意味とくらべることは出来ぬという点である。また、このような構造を無視してこの意味作用をとらえようとするいっさいの試みは、星座の犬座を知るために、わんわん吠える動物である犬を研究することが馬鹿馬鹿しいのと同じくらい馬鹿馬鹿しいという点である。」(同P22)。マラルメ自身、「一方は本質的であり、いま一方はなまで直接的なものである、二種類の言語の実在を信じて」(同P49)いた。彼は「日常語を通貨に比較している」(同)、「「何も言わずに、他人の手のなかに貨幣を置いたり取ったり」(『詩の危機』)するだけで充分」(同)と。蓮實重彦さんによると(『「赤」の誘惑 フィクション論序説』 蓮實重彦 2007年 新潮社)、「詩的言語を記号の恣意性に対する補償ないし挑戦と見なすこの考え方は、我々の文学「理論」の基本条項の一つとなっている。(『ミモロジック』(ジェラール・ジュネット)P450-451)」(『「赤」の誘惑 フィクション論序説』 P175)とのこと。サルトルも、「詩においては「語を記号ではなく事物と見なす」という言葉で散文との違いを強調」(同P173)し、「画家にとっての色、音楽家にとっての音にあたるものとして詩人が語をもっていると」(同)し、またヤコブソンも「言語活動の六つの機能の一つに「詩的機能」を挙げた」(同)そうです。)――さらに唯一の書物とは、すなわち「偶然を持たぬ書物とは、作者を持たぬ書物である。つまり非人称的な書物である。」(『マラルメ論』 P123)。これの指し示すものは二つあるようで、一つは「われわれのなかに先在し自然のなかに書きこまれてすでに現実に存在しているかのごと」(同)き本。もう一つは「「詩人の語りながらの消失」」(同P127)を招くような本。前者はプラトンのイデア的で、後者はヘーゲルの弁証法的です(マラルメはヘーゲルの影響を強く受けていたようで、訳注によれば、「彼はヘーゲルを「おどろくべき天才」「比類ない生産者」「宇宙の再構成者」と呼び、その存在と非存在の弁証法的止揚に深い印象を受けている。」(同P204)。またブランショも「ヘーゲルの哲学にその首尾一貫性をあたえることによって、それを書物として抱懐し、そうやって書物を絶対知の究極性として抱懐するのは、だれか現代の解釈者ではない。すでに十九世紀の末からマラルメがそれを行なっている。」(同P179)と書いている)。イデアと弁証法、弁証法がイデアの存在を証明し、イデアが弁証法の成立を裏付ける。似て非なるもの、非で似たもの、なんですかね。――さらにさらに「書物は、それを読む人間の固有の感覚から自由であると同様、それを書いたと覚しい誰かの名前にけがされておらずその存在から自由であって、そういう誰かに帰するものでない場合に、書物なのである。」(同P128)。つまり「非人称化された書物から、人々は作者として引き離されるのだが、この書物は、読者の接近も求めはしない。書物は、(中略)単独に生れ出る。つまり、作られ、存在する」(同P128-129)。――以上をまとめると、マラルメの目指した唯一の書物とは、現実から隔絶された詩的言語(現実の意味に支えてもらえないから、言語同士のイメージのネットワークで互いに支え合う(“類推の魔”? 何だか最近のAIによる“関連性の網図”を連想しますな))で、作者の建築的で計画的な(偶然を排した)創作により、弁証法的に昇華し尽くされた(ということはすでにその存在が予感されてもいた(言語にすら先立ち))、昇華の過程で作者を消費し尽くし、読者の接近をも拒む、ただ存在するだけの数巻の書物、ということになるんでしょうか。

マラルメの“唯一の書物”へ至る道は、まるで『アル・ムターシムを求めて』さながらだ。その本は、ムターシムその人のようだ!――ボルヘスは『異端審問』中で、「「過去・現在・未来のすべての詩篇は、この世のすべての詩人によって書かれた一篇の無限詩の挿話ないし断片である」(シェレー『詩の弁護』1821年)。」(同P21)、「文学の実作者は、時に途方もない野心――プラトンの原型のように全ての他者を包含する本の本、時とともにその価値を減じることがない言わば絶対書物を作ろうという野心――にとり憑かれる。」(同P105)、「『コーラン』十三章には、その原本である《書物の母》が天国に預託されていると書かれている。ムハマッド・アル・ガザーリ――西洋スコラ学者たちのアルガゼル――は断言する、「『コーラン』は書物に筆写され、舌先で朗唱され、心中に記憶されるが、にもかかわらず、それは神の中心にあって生きつづけ、筆録と人間の理解を経てなお変ることがない。」ジョージ・セイルは、この形を持たない『コーラン』は『コーラン』のイデア、すなわちプラトン的原型に他ならないと述べている。アル・ガザーリは《書物の母》なる観念を正当化するため、すでに《清純兄弟会》の百科全書やアヴィケンナによってイスラム世界に伝えられていた原型観念を利用したのかもしれない。」(同P176-177)、「六世紀ごろ、シリアまたはパレスチナで書かれた『セフェル・イェツィラー』(創造の書、の意)の明かすところによれば、万軍のエホバ、イスラエルの神にして万能の神は一から十までの基数と二十二のヘブライ文字を使って宇宙を創造したと言う。」(同P177)(このネタ、拙作『続・不死の人』でも使わせてもらいましたが)、などと書いていますが、“唯一の書物”がバベルの図書館や砂の本の如き書かれたものの総体か、あるいは抽出されたエッセンス(イデア)か、はたまた“本=世界”そのものか、などという違いはありますが、ただ一つのものにまとめる、到達されるというアイデアは同じです。

では、マラルメをこうした無謀な詐欺行為に走らせた動機は、一体何だったのか(ボルヘスは、“唯一の本”や“無限の本”を観念として弄ぶことはあっても、決して自ら実現させようなどとは思いませんから。ムターシムやアレフを書いても、それらを本気で探そうなどとはしませんから)。「マラルメは、彼の時代に文学がよぎっていた重大な危機に対しても注意を怠らなかった。」(『来るべき書物』 P480)とある。そう、彼の時代は、“文学の不可能性”の揺籃期と重なっていた。「「書くことは存在する余地があるか」」(同)、「文芸のごとき何ものかが実在するであろうか」(同)、「自分が夢中になって語ろうとしているものに関する突然の疑惑にとらえられながらも、この謎を考えている」(同)と、彼は悩んだ。そしてそれへの回答として、“唯一の書物”の創作を決意した。すなわち、「書物の計画とその成就は、明らかに、この根本的な問題提起と結びついている。」(同P481)。

勿論マラルメとて、ヒルベルトやマルクスがそうであったように、別に人々を騙すつもりで一生を捧げた仕事を遂行したわけではないでしょう。19世紀は、“完全”は達成出来るという、“妙な確信”が知的世界を支配していた“おめでたい”時代だったのです(20世紀から振り返ってみると、なんとも荒唐無稽な時代です)。だから失敗して、一番ショックを受けたのは、当人達でしょう。まさに「万国の労働者よ。私を許してくれ」です(ただし、生きてる間に本当にショックを受けたのは、ヒルベルト一人でしたが)。

そしてマラルメも、ご多分に漏れず、失敗した(と、断定していいでしょう)。何しろ、成功を検証しようにも、肝心の“唯一の本”が残っていないから、出来ない。理念のみはあっても、後継者らしき者もろくにいないから、追跡調査も不可能。それどころか、詩作品そのものに引導を渡す役割すら演じ、先細りにさせた張本人のようにも思える。

だからといって、マラルメの目論見が雲散霧消したからといって、文学の営みは続く。丁度ヒルベルトのプログラムが雲散霧消したからといって、数学の探求が止まぬように。完全なテクストに到達することなど不可能と分かっていても、テクスト捜索の営みは人にその能力がある限り続いていくことでしょう。――マラルメの考えによると、「もし彼が、その後、この作品から離れて何か書こうとしても、「つまらぬ十四行詩」しか書きえないであろう」(『マラルメ論』 P119)とのこと。つまり絶対の書物が出来れば、その後現れる書物は、それから遠ざかるだけより“劣化”した書物となるだろう、ということ。マラルメの本さえあれば、後は詩作りの“職人”が、元本からその一部を抜き出してくればいい。プルーストもジョイスもベケットもボルヘスも、その他大勢の20世紀の作家が、マラルメから離れるほど、後世であればあるほど、より劣化した文学しか書けなくなる、まるで“末法思想”のように。だったら、絶対の書物だけ残し、もう誰も書かない方がましだ(そして、絶対の書物は誰にも読めない。つまりは、文学の終焉)。――しかし、プルーストやジョイスやベケットが面白いか詰まらないかはここでは即決しないが、少なくともボルヘスはすこぶる面白い(マラルメ本人よりも遥か彼方に)。この一点の例外だけを取ってみても、マラルメの計画は挫折した、崩壊したと断ぜざるを得ない(それとも、ボルヘスの作品って、マラルメの未完の大作(唯一の本)の一部なのだろうか?)

晩年のマラルメは『骰子一擲』という本を出しました。いつまでも理論や理屈ばかり並べていると、本物の詐欺師だと思われやしまいかと心配し、エイヤッと彼の理論や理想からすると“六合目”あたりの本を世に現出させたのかもしれません(現出自体、彼の理論には反することだったでしょうに)。六合目だから、題名の通り、偶然と反偶然がせめぎ合った緊張関係にあります。六合目だから、作者もいるし、読者も複数コンタクト出来、各人各様の読み方が可能です。決して昇華され切った、アンタッチャブルの(読まれることを拒否した)イデアではない。六合目だから、未完の元本からそれだけ離れ、劣化している。

書けない作家は、わずかに六合目にその到達点の足跡を残し、残りは「焼いてしまって欲しいのです。文学上の遺産はなにもないのです。」(『マラルメ論』 P198)と遺稿の廃棄を依頼して世を去った。しかし、墓は無残にも暴かれた(カフカといい、こういうケースちょくちょくあります)。死ぬことにより彼のバートルビーの呪縛は解かれ、死後旺盛な創作意欲の作家に生まれ変わったそうである。

 

(雨後のたけのこ)

 

こうした19世紀後半の苦悩と模索の後、世紀の変わり目を挟んで、雨後のたけのこの如く諸々の前衛運動や前衛作家達が、ニョキニョキとその頭をもたげてきました。あたかも、主流文学の打倒こそ今の文学の主流である、とでも言いたげに。プルースト、ジョイス、カフカ、ベケット、ナボコフ、等々。未来派、ダダイズム、ウルトライスモ、シュルレアリスム、ヌーボー・ロマン、等々。

これらメジャー所の事はそれぞれよそで調べていただくとして(説明し出すときりがないので)、ここでは“バートルビー”でも取り上げられていた『チャンドス卿の手紙』のホーフマンスタールについてだけ、チョコッと書いておきます。

既に記した通り、ホーフマンスタールは、『チャンドス卿の手紙』で文学の不可能性を吐露し、筆を折ったが、のち劇的にカムバックした。――十代の頃から、彼は早熟な(そして能天気な)神童として知られていました。だが、その能天気さに逆襲され、文学の(というか言葉の)壁にぶち当たり、28才で『チャンドス卿の手紙』を発表して自らの文学的危機を告白するに至った。その後の彼は、視覚効果を加味した演劇の方面へと転進した。そうすれば、言葉の壁を多少なりとも迂回出来るだろうから。

そうした彼の直面した文学の不可能性とは、どんなものだったのでしょうか。『バートルビーと仲間たち』では、「『チャンドス卿の手紙』の中には、われわれがその一部になっている無限の宇宙全体は言葉で語り得ない、それ故書くという行為はとるに足らないほどささやかな(あまりにもささやかなので、われわれは言葉さえ失ってしまうほどだ)間違いであるという意味のことが書かれている。」(同P31-32)(マラルメとは、真逆だ!)、「言葉で名付けることも統御することもできない事物の痙攣的で無差別的な奔流の中で、言葉が息絶え、自我が難破することを語ったのが『手紙』である。」(同P108)、「どのような言葉も客観的な現実を表現するように思えない」(同P109)などとあります。つまりそれまでの能天気なホーフマンスタールは「当時の私は、一種の持続した陶酔状態にあって、存在全体が大いなる統一のように見えていたのです。」(『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』 P14)という状態にあった。それが、その絶頂で、「ふくれ上がった傲慢」(同P15)が一気にはぜ飛ぶ。統一が維持出来なくなる。言葉と世界が、精神と身体とが、分離する。言葉で構成された「私は……という人間である」ということが言えなくなる。結果、『バートルビー』に記されたような事態となりました。世界にただあるだけの存在の偉大さ(それも、「如雨露(じょうろ)であり、畑に置き去りにされた馬鍬(まぐわ)であり、日向ぼっこをしている犬であり、みすぼらしい教会墓地であり、からだの不自由な人であり、小さな農家」(同P20)といったもの)に既存の言葉が抗し得なくなり、彼は(勿論ホーフマンスタールではなくチャンドス卿なわけですが)それら存在が「高次の生を満たす器」(同P20)として満潮を迎えるさまに溺れつつ、失語症患者のように言葉を失う(サルトルの『嘔吐』だったら、こうした存在はウネウネと動き出しそうなものどもですね)。

ちょっと躁鬱病を思い起こさせます。神童時代「自分が、つぎつぎに被造物の核心をつかんでは、それによってほかの数多くの被造物を、解明できるかぎり解明することができる者なのだ」(同P151)とまで思わせていた、自然と自分、世界と言語との統一性が、膨れ上がり過ぎた統一性(関連性のネットワーク)故に、膨張に耐え切れず(バブルが弾けて)“論理的に?”空中分解した。関連性の過剰が言葉に先立ち過ぎ、言葉が追い付かなくなったのでしょう。――どこかフネスも連想させます。“物自体”が突出してき、概念による抽象化やそれらのメタファーの網ではカバーし切れなくなり、事物の関連性どころか事物の同一性すら維持出来なくなる。

こうしたチャンドス卿の個人的病は、ムージル始め「二十世紀の文学作品にさまざまなバートルビー的な影を落としている。」(『バートルビーと仲間たち』 P110)。そして「『チャンドス卿の手紙』によって文学はみずからの欠陥と不可能性を余すところなく露呈することになった。」(同P111)と『バートルビー』の作者ビラ=マタスは結んでいます。

 

(ボルヘスの場合)

 

ボルヘスもまた、そうした“雨後のたけのこ”の一本でした、それもかなり典型的な(何せ、この時代の申し子ど真ん中ですから)。

二十代の頃は、気恥ずかしいかぎりですが、たけのこの群生地の一つ、“ウルトライスモ”に身を投じる。多感な年齢だから、こうしたものにすぐ染まってしまう。――そしてすぐ醒めてしまった、若気の至りと気付き。(これ以降ボルヘスがイギリスの作家風に群れることを嫌うようになったのは、ウルトライスモ運動への反動でしょう。後のスル誌の仲間も緩やかな集まりで、運動と呼ぶには程遠い。)醒めるといよいよ書けなくなった。“文学の不可能性”の暗礁に乗り上げてしまった。元々“不可能性”にはすこぶる敏感ですから。他人の事を書けばいい評論と、その時の気持ちを一時的に吐き出せばいい詩は、何とか書ける。しかし文学全体を見晴らして書かねばならない小説を無から生み出すことは、原理的に不可能である。それでも、他人の物語を失敬してきてそれをアレンジした話(『汚辱の世界史』「それらは、自ら物語を書く勇気がないために、他人の物語を(何ら美学上の正当な理由もなく)偽造し歪曲して楽しんでいた、小心な若者の無責任な手すさびである。」(『世界の文学9 ボルヘス』 1978年 集英社 P254))や、評論めかした話(『アル・ムターシムを求めて』『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』等)は、どうにか書けた。問題は、純粋な小説、無からの創造(の第一作目)『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』に、いかにたどり着くかだった。(40才というかなりとうの立った年齢で、ようやく彼はそれにたどり着いた。それが如何にして可能となったか、詳細は後程――。)

この時期のボルヘスの暗礁への乗り上げっぷり(バートルビー振り)を示しているのは、例の『文学忌避リスト』ばかりじゃあありません。――ボルヘスが偏執的に取り憑かれている観念、「あらゆる作品はただ一人の著者(スウェーデンボルグ的な文学のグランドマン?)の作品」(『伝奇集』中『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』 P30)、「すべての作品がひとりの人物によって書かれたのではないかと思える(エマソン)」(『異端審問』  P20)、「「過去・現在・未来のすべての詩篇は、この世のすべての詩人によって書かれた一篇の無限詩(マラルメ的唯一の本?)の挿話ないし断片である(シェレー『詩の弁護』1821年)」」(同P21)、「プラトンの原型のように全ての他者を包含する本の本」(同P105)、つまりただ一人の作家により唯一の本がすでに書かれているのだから、自分がそれ以上書く必要はない。

「「もし空間が無限であるなら、われわれは、空間のいかなる地点にも存在する。もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する。」」(『砂の本』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1980年 集英社 P155)つまり時空間が無限なら全てのものは既に存在するのだから、自分がわざわざ書き直す必要はない。

『バベルの図書館』には、端的に、「いっさいがすでに書かれているという確信は、われわれを無に、あるいは幻に化してしまう。」(『伝奇集』 P115)と書かれている。

『自伝風エッセー』(『ボルヘスとわたし』所収 ホルヘ・ルイス・ボルヘス 2003年 ちくま文庫)によれば、「一九二一年から一九三〇年までのこの期間(つまり、20代)は、わたしの最も活動的な時期であるが、活動の成果の大部分は性急な、そして無意味とさえいえるものであった。」(同P250)、「この時期の作品のなかに、わたしの本当の血をひくものが、あまり認められない」(同P251)、「この時期の著作において、わたしは大きな文学的罪悪の大半を犯してしまった」(同P253)。ウルトライスモに始まり、多産だが無駄な季節を終え、ボルヘスは自分の文学に一区切りをつける。『ボルヘスとの対話』(ジョルジュ・シャルボニエ 1978年 国書刊行会 P122-123)には、「彼(メナール)にあるのは過剰な知識、文学の無効性の意識です。また、この世には書物が氾濫しており、図書館を新たな本で埋めるのは、礼節ないし教養を欠いた行為だという考えです。同時に、彼には結局のところ一種の諦念がある。」とある。また『ボルヘスとの対話』(リチャード・バーギン 1973年 晶文社 P51)には、「あの物語(『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』)のなかには倦怠と懐疑が感じられると思います。メナールは、ある非常に長い文学期が終わるときにやってきた人間だと思われるからです。そして彼は、これ以上本を書いて、この世を煩わせるつもりのないことを自覚する瞬間に到達します。しかも彼の宿命は、文学者になることであるにもかかわらず、名声を得ようとはしません。彼は自分自身のために書いています。」とある。いずれもメナールは、ボルヘス自身でしょう。そして『自伝風エッセー』の続き(P258)「この時期は多くの友情に恵まれ、わたしはとても幸福だった。」、「結局われわれのなし得たことはまったく拙いことであったが、そこに生まれた友情、連帯感は永続的なものであった」。

ようやく足踏みを抜け出し小説を書き始められるようになってからも、“文学の不可能性”の問題は絶えず彼の念頭にあった。――『アヴェロエスの探求』では、「彼(アヴェロエス)はターバンをほどき、金属製の鏡に映った自分の婆を見た。彼の顔の形を描写した歴史家はいないので、彼の目がそこに何を見たか、わたしは知らない。わたしが知っているのは、彼が突然、あたかも目に見えない火によって爆発したかのように消散してしまい、(中略。作中の他のすべてのものも)消散してしまったということである。」(『不死の人』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1996年 白水社 P146)として、いきなり話を中断させてしまう。書くことの不可能性を、頑として読者に突き付けるように。中断の理由を、ボルヘスは「わたしはこの作品がわたしを嘲笑しているように感じた。」(同P147)、ことと書いている。すなわち「前記の物語において、わたしはある敗北の過程を物語ろうと努力した。」(同P146)なのに「劇場とは何かを推測したことがないのに劇とは何かを想像しようとしたアヴェロエスが、ルナンとレインとアシン・パラシオスの断片的な言及以外になんの典拠もなくアヴェロエスという人物を想像しようというこのわたしより非合理だということはない、とわたしは感じた。最後のページにきて、わたしの物語はわたしがそれを書いていたときのわたしという人間の象徴であり、その物語を書くためにはわたしがその人物でなければならず、その人物となるためにはわたしがその物語を書かなければならなかった、というふうに無限に続いてゆくのを感じた。(わたしが彼を信じることをやめるとき、《アヴェロエス》は消散する。)」(同P147-148)。メタ・フィクション的終わりが、フィクションそのものを蝕み、なし崩し的に終了させた(まあ一応、言いたい物語は言い終えている、そしてうまいこと丸め込んで終わらせた、とも言える)。――『ハーバート・クエインの作品の検討』では、数編の奇異な着想(多分ボルヘス本人が得たものなんでしょう)の物語を、ハーバート・クエインの作品として紹介している。その内の一本は、物語が幾枝にも分岐する(コンピューター・ゲームのように)。ただし、物語の流れに沿って分岐するのではなく、流れを遡って分岐する(すなわち、一つの結果に対し、複数の原因が提示され、結果・原因の順に読み進められる。以下、これを繰り返す)(このアイデアも、コンピューター・ゲームに使えそうです。あるいはもう既にあるか)。――そして『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』。『文学忌避リスト』と同時に構想された、『文学忌避リスト』を打ち破る作品。作中でも、「究極的に無益なものでない知的営為は存在しない。」(『伝奇集』 P66)、「文学の場合、この衰退はいっそう著しい。」(同P67)としつつ、メナールに「虚無の先を越そうと決心」(同)させている。ラストでは、“作者の差し替え(読者が故意に想定する)による読書”を提案している。後述の『読者論』中の、“作者-作品-読者”の空間(三者がそれぞれ自由な組み合わせでネットワークを作る)を、自在に再構築(ディコンストラクション)する試み、とでも申せましょうか。――かようにボルヘスは、物語を書くことをためらい、しかる後決意して書き始め、しかし同時に作品中に書くことの、作品の存在そのものの“反省”を書き込むことを忘れなかった。『ボルヘス伝』(ジェイムズ・ウッダル 2002年 白水社)のP192に「「およそ知性の営みで、究極的に無用でないものは存在しない。」自分にはおそらく語るに足る物語があるだろうとわかっていたボルヘスは、以後、自らの執筆行為の重要性を示すさいには必ず、このショーペンハウアー的な暗澹たる格言を持ち出すことになる。」とありますが、私も全面的に同感です。

後年(1967年)のビオイとの共著『ブストス=ドメックのクロニクル』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス+アドルフォ・ビオイ=カサーレス 1977年 国書刊行会)においても、こうした現代文学(というか芸術一般)の“不可能性”と切り結ぶ情熱は旺盛で、文学も含め各種各流派の芸術一般の前衛運動をパロディー化し茶化しています。文学関連では、メナールの拡張版のような人々、パラディオン、ボナベーナ、ニーレンシュタイン、ラムキン、ウルバス、ローミス、ギンスベルク、エレーラ、ビラセーコ等を登場させ、様々な形で極端化した文学を陳列してみせた。(残念ながら、どれも他の誰かでも思い付きそうなものばかりで、メナールほどの切れ味は感じさせないが。)――ボルヘスは、自らが前衛でありながら、自らを“古典主義”文学者と自覚していたフシがあって、他の“前衛”をしばしば槍玉に挙げている。ウルトライスモの若気の至りに懲りたボルヘスにとって、“前衛”は強烈なパロディー(風刺、ユーモア)の対象だったのでしょう。

 

(……そして、現在)

 

そして、現在。フローベールの時代から数えると、はや150年の歳月が経ちました。――現代の諸社会における文学を巡る状況は、一々説明するまでもなく皆さん日々目に留めておられる通りですが、たまたま東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』という本を読みましたので、これに沿って少し話してみようかと思います。

東さんによれば、現代、すなわちポストモダン時代には、「物語の力が社会的にも文化的にも衰える。」(同P16-17)、「ポストモダン化は、社会の構成員が共有する価値観やイデオロギー、すなわち「大きな物語」の衰退で特徴づけられる。」(同P17)、「ポストモダンにおいては、すべての「大きな」物語は、ほかの多様な物語のひとつとして、すなわち「小さな物語」としてのみ流通することが許されている」(同P20)とのこと。――これまで見てきた通り、一世紀ほども前には、物語の“核”の部分の衰えは既に始まっていますが、それが一世紀後社会自体の物語の衰えとしてついに体全体にまで回ってしまった、というところでしょうか。――そして東さんは、この本では、「「データベース消費」のもとにある「小さな物語」」(同)としてオタク達の物語を取り上げている(一方、フローベール以来の伝統的な(意識的知的に伝統を打ち壊す)いわゆる『ポストモダン文学』は、『ポストモダニズム(という思潮)』として別個にくくっている(同P51-53))。従って、オタク達の“データベース物語”は、現代文学の状況にもこれまで150年ほどに渡って積み上げられてきたポストモダニズムの流れにもほぼ無自覚で、現代文学の状況下に生じた一つの現象である、という訳です。

何故データベースかというと、オタク達の物語創作が“キャラクター”等の同じデータベースを使い回して成り立っているからです(最近ではこのデータベースが、“異世界”方面に若干シフトしているように思われます)。――で、思い付いたんですが、データベース文学って昔にもあったよな、――すなわち、平安貴族達の“花鳥風月”というデータベースを元にした、文学の一塊が(てことは、オタク達のデータベースは、“花鳥風月”への先祖返りか?)。

そういう目線で考えてみると、データベース文学って古今東西結構あったように思われます。ヨーロッパ中世騎士物語とか(日本の戯作ものもそうか)、各文化圏お決まりの精霊・妖怪等の出てくる怪奇譚とか、趣向が似たり寄ったりの本格推理ものとか、――データベースの大小、集約度の強さ・緩さ等はマチマチですが、見ようによってはジャンル小説と呼ばれるもののかなりの部分がここに入ってしまいそうな気もします。

そして一方、正岡子規の「写生」。――こうしたデータベース化、“花鳥風月”化が進み、文学界の支配が重苦しくなると、それを打ち破るように「自然に帰れ!」という運動が湧き立ってくる。――頭の中の、凝り固まったデータベースに封じられた“文学”を開放すべく、物事を、世界をありのままに見よ、という訳です。

だが、『ゲーム的リアリズムの誕生』のP84でも指摘されている柄谷行人さんの『日本近代文学の起源』(柄谷行人 1980年 講談社)中にもある通り、また後に取り上げるエルネスト・サバトの『作家とその亡霊たち』でも再三指摘されている通り、人間は“物自体”に直接コンタクトを取ることなどもちろん出来ません。各人各作品各時代各潮流各様の色眼鏡を通してしか、世界に接し表現することは出来ないわけです。

それでも人間は、無駄だと分かっていても、自然に帰るべく努力する。特定のデータベースに囚われていることに嫌気がさして。――だが、最初の内は“自然”の新鮮な空気が吸えるんですが(吸った気になれるんですが)、――すぐ、自分達のやっている事が、自分達の目指している自然が、とてつもなく“不毛”であることに気付く。

リアリズムの味気なさですね。それでも前述のポストモダニズムの思潮は、“物自体”(というか“文学自体”)に近付こうとする志向を持ち続けておりますから、さらにそれを掘り進みます。結果、“文学の不可能性”が金太郎飴のように次々顔を出し、瀕死のまま文学は延々生き延びることとなる。

そこでまた、息苦しいリアリズムやポストモダニズムを離れ、和気あいあいと楽しめる(つまるところは集団お遊戯の)データベース文学に戻る。――データベースの充実はある意味“深化”ですが、データベースしか参照先(参照すべき世界(自然))が無い構造ですから、すぐまた“夢”のマンネリ消費に堕する。そしてその深みから腐敗した毒が生じ、中毒症状を呈する(結局はどのデータベース文学も)。

するとまた「自然に帰れ!」のシュプレヒコールが各地から起こり、“リセット”が図られる、それがあくまでも“努力目標”だとは分かっていても。そしてそれもまたすぐ、“自然”の不毛に落ちる。

夢のマンネリに落ちるか、自然の不毛に落ちるか。この揺り返し、揺り戻しが、延々回り続ける。――宿命ですね、文学の。――この永劫回帰、輪廻転生が嫌になって、文学から飛び出すか、あるいは文学の不可能性という“宿業”と対峙しつつ文学と関わり続けるか。――最後にそれを決意するのは、あなた自身です。

 

 

年譜

 

以上のような時代の激しい潮流に押し流されつつ、ボルヘスはいかに百年近いその人生を送ったか。彼の生れたのは1899年(19世紀の末年(正確にはその前年))、亡くなったのが1986年(20世紀の末期)、彼はまさしく死にゆく文学の断末魔の、その咆哮と身もだえの只中を生きた訳です。

ボルヘスというといかにも出てきそうな(論じられそうな)、ありきたりの“書物”とか“迷宮”とか“鏡”とか“円環”とか“同一性(他者性)”とか“カバラ等ヘブライ神秘主義”とか“ヒューム等の哲学・形而上学”とか“東西の古典古代やイスラムや神学”とかといった方面からボルヘスに迫る評論はそれこそこの広い世間に掃いて捨てる程ありますのでそれらはそちらに任せるとして、ここでは別の視点から、彼のいわば“生活史”という切り口から、さらには実作者としての内的実情(創作に関わる時の、意欲とか、迷いとか、踏ん切りとか、不安とか、陶酔とか、等々)から攻め登り、前に掲げた“不可能を可能に転じ、それを契機に数々の傑作・快作(怪作?)を生み出したボルヘスの謎”を、解き明かしていきたいと思います。

そのための最大の武器『年譜』を、以下にご用意いたしました。――本年譜は、目黒聰子さん編の『ボルヘス年譜』(『ボルヘスの世界』 P38-42)をベースに使わせていただき、本エッセイのテーマに直接関わる項目(黄金期の個々の作品の創作年とか文芸誌掲載年月とか)を特に詳細に表記し、逆にあまり関わりのない項目(子供時代、若い頃の家族の話とか、名を成した後の世界各地での講演旅行や諸々の賞の受賞暦など)はゴッソリと省いて、独自にアレンジし作成したものです(あと、ボルヘスの運命に大きく影を落とした、ペロンやエビータやカイヨワなどの動向も併記しました)。

なお、年譜は非常に長いものとなりましたので、もしPCのディスプレーのような大画面をご利用なら、本文と左右に二つ並べて参照しつつ本文を読み進めると、より分かり易いかと思います(拙作『続・不死の人』も、同じ時の流れ(ボルヘス一代記)の中で事件が進行しますので、同様に本年譜を参照しながら読まれると、理解の助けになるように思われます)。

 

(年譜)

1899.8.24: アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれる。
1914(15歳): 一家でスイスに渡る。
1919(20歳): 家族とスペインに移る。
|       前衛的な文学運動「ウルトライスモ」に参加。
1921(22歳): 一家でブエノスアイレスに帰る。
|       壁雑誌「プリスマ」を発行、ウルトライスモ宣言を載せる。
1922(23歳): 雑誌「プロア」を創刊。
1923(24歳): 処女詩集『ブエノスアイレスの熱狂』を発表。
1925(26歳): 詩集『正面の月』、評論集『審問』を刊行。
1926(27歳): 評論集『わが希望の大きさ』を刊行。
1928(29歳): 評論集『アルゼンチン人の言語』を刊行。
1929(30歳): 詩集『サン・マルティンの手帖』を刊行。
1930(31歳): 伝記『エバリスト・カリエゴ』を刊行。
|       ビクトリア・オカンポにビオイ・カサーレスを紹介される。
1931(32歳): ビクトリア・オカンポが創刊した「スル」誌(女王ビクトリアの編集方針で、ヨーロッパに顔を向けた雑誌)に参加。
1932(33歳): 評論集『論議』を刊行。
1933(34歳): 8月、『バラ色の街角の男』を「クリティカ」紙に掲載。
|       8月~翌年1月、『汚辱の世界史』に収められる6編を「クリティカ」紙に掲載。
1935(36歳): 『汚辱の世界史』を刊行。
|       『アル・ムターシムを求めて』を執筆。
1936(37歳): 評論集『永遠の歴史』を刊行。
1937(38歳): ブエノスアイレス市立図書館分館の職に就く。
|       [単調で退屈なこの図書館勤めから後に数々の名作が生まれた。]
1938(39歳): 父親が亡くなる(64歳)。
|       クリスマス・イヴの事故で敗血症になり、生死の境をさまよう。
1939(40歳): 療養中に『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』を執筆。
|       文芸創作忌避リストを作成。
|       その後『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を執筆。
|       [ボルヘスの作品がネストル・イバッラの仏訳で「ムスレ」(フランスの雑誌か?)に掲載される。]
|       5月、『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』を「スル」誌に掲載。
|       6月、『ふたりの王とふたつの迷宮』を執筆。
1940(41歳): ビオイ夫妻との共編『幻想文学撰集』を刊行。
|       4月、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を「スル」誌に掲載。
|       12月、『円環の廃墟』を「スル」誌に掲載。
1941(42歳): 1月、『バビロニアのくじ』を「スル」誌に掲載。
|       4月、『ハーバート・クエインの作品の検討』を「スル」誌に掲載。
|       『バベルの図書館』を執筆。
|       『八岐の園』を執筆。
|       短編集『八岐の園』を刊行。
1942(43歳): ビオイ・カサーレスとの共著『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』を刊行。
|       5月、『死とコンパス』を「スル」誌に掲載。
|       6月、『記憶の人、フネス』を「ラ・ナシオン」紙に掲載。
|       7月、『刀の形』を「ラ・ナシオン」紙に掲載。
1943(44歳): [ファシズムを支持する軍部、支配権を掌握。フアン・ペロンの台頭。]
|       2月、『隠れた奇跡』を「スル」誌に掲載。
1944(45歳): 2月、『裏切り者と英雄のテーマ』を「スル」誌に掲載。
|       8月、『ユダについての三つの解釈』を「スル」誌に掲載。
|       短編集『伝奇集』(『八岐の園』を含む)を刊行。
|       12月、『タデオ・イシドロ・クルスの生涯』を「スル」誌に掲載。
1945(46歳): [ロジェ・カイヨワ、ヨーロッパでボルヘスの紹介を始める。]
|       9月、『アレフ』を「スル」誌に掲載。
1946(47歳): [フアン・ペロン、大統領に就任(6月)。]
|       ボルヘス、公務員を辞職する(8月)。
|       2月、『ドイツ鎮魂曲』を「スル」誌に掲載。
|       11月、『死んだ男』を「スル」誌に掲載。
1947(48歳): 2月、『不死の人』を発表。
|       4月、『神学者たち』を発表。
|       5月、『アステリオーンの家』を発表。
|       『アヴェロエスの探求』を「スル」誌に掲載。
|       7月、『ザーヒル』を「アナレス・デ・ブエノスアイレス」誌に掲載。
1948(49歳): 9月、『エンマ・ツンツ』を「スル」誌に掲載。
|       『もうひとつの死』を執筆。
1949(50歳): 2月、『神の書跡』を「スル」誌に掲載。
|       『戦士と囚われの女の物語』を「スル」誌に掲載。
|       『アベンハカーン・エル・ボハリーおのれの迷宮にて死す』を執筆。
|       短編集『アレフ』を刊行。
1950(51歳): アルゼンチン作家協会会長に選出される。
|       『期待』を執筆。
1952(53歳): 評論集『続審問』(1937-52間の評論を集めたもの)を刊行。
|       [エバ・ペロン(エビータ)、病死(7月)。]
|       『フェニックス宗』を「スル」誌に掲載。
|       『敷居の上の男』を執筆。
1953(54歳): 『結末』を「ラ・ナシオン」紙に掲載。
|       『南部』を「ラ・ナシオン」紙に掲載。
|       [エルネスト・ゲバラ、アルゼンチンを出国(7月)。]
1955(56歳): [ペロン政権崩壊。]
|       新政権がボルヘスを国立国会図書館長に任命。
|       この頃には、失明の度合いが致命的となる。
|       ビオイ・カサーレスとの共編『怪奇譚集』を刊行。
1957(58歳): マルガリータ・グレーロとの共著『幻獣辞典』を刊行。
1960(61歳): ビオイ・カサーレスとの共編『天国・地獄百科』を刊行。
|       詩文集『創造者』を刊行。
1961(62歳): 第一回国際出版社賞(フォルメントール賞)をサミュエル・ベケットと共に受賞。
|       [ボルヘスの名が西欧で急速に知られる。]
1964(65歳): 詩集『他者と自身』を刊行。
1965(66歳): 詩集『六つの弦のために』を刊行。
1967(68歳): ビオイ・カサーレスとの共著『ブストス・ドメックのクロニクル』を刊行。
1969(70歳): 詩文集『幽冥礼讃』を刊行。
1970(71歳): 短編集『ブロディーの報告書』を刊行。
1972(73歳): 詩文集『群虎黄金』を刊行。
1975(76歳): 短編集『砂の本』、詩集『永遠の蓄薇』、『序文集』を刊行。
|       母レオノール・アセベドが九十九歳で死去。
1976(77歳): アンソロジー『夢の本』、詩文集『鉄の貨幣』、アリシア・フラードとの共著『仏教の手引き』を刊行。
1977(78歳): 詩文集『夜の歴史』、短編集『薔薇と青』を刊行。
1981(82歳): 詩集『定数』を刊行。
1982(83歳): エッセイ『ダンテをめぐる九つの随想』を刊行。
1983(84歳): 短編集『1983年8月25日・その他の短篇』を刊行。
1984(85歳): 旅行記『アトラス』を刊行。
1985(86歳): 詩文集『共謀者たち』を刊行。
1986.6.14(86歳): スイスのジュネーヴで永遠の眠りについた。

 

 

生活史

 

ボルヘスの生涯は、大まかに三期に分けられると思います。若書き期、豊穣期、名声期、の三期です。年譜に当たってみますと、36歳で『汚辱の世界史』発行とありますが、この辺りまでが若書き期、そしてここからが豊穣期、となります。また、56歳で国立国会図書館長に任命されますが、この辺りまでが豊穣期、ここからが名声期、とします。

さらに若書き期を三つに分け、15歳スイスに渡るまでを幼少期、20歳スペインに移るまでを少年期、それ以降を青年期とします。豊穣期は36歳から40歳を前豊穣期、40歳から50歳を豊穣期中の豊穣期(黄金期)、50歳から56歳までを後豊穣期、と3つに分けます。そして名声期は、62歳フォルメントール賞受賞までを前名声期、それ以降を名声期中の名声期、と呼びます。

 

ボルヘスは、1899年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれました。そして幼少期のほとんどを、当時ブエノスアイレスの北部に当たったパレルモ地区ですごしました。パレルモ地区は、シチリア島のパレルモ出身のドミンゲスという者がパレルモという姓を名乗り、17世紀初頭町のはずれで“パレルモの農場”を経営していたことに由来するそうです。そのパレルモは、ボルヘスの住んでいた当時、コンパードレ(ガウチョ崩れの与太者)の闊歩する荒くれの町でした。ですがボルヘス少年は、そんな町からは完全に隔離され、もっぱら邸宅の中庭と父の書庫とでその幼少期を送っています。父方の祖母が英国人だったので家の中では英語とスペイン語が半々に話され、ボルヘスは“ホルヘ”をイギリス読みした“ジョージー”の愛称で呼ばれていました。父の書庫にある本は英書が多かったようで、ボルヘスはまずはイギリス文学に親しみ、この好みは死の床につくまで変わらなかった。『ボルヘスとわたし(ちくま文庫)』中の『自伝風エッセー』に、「後になって『ドン・キホーテ』を原書で読んだが、わたしにはそれが何かまずい翻訳のように響いた。」(同P219)とまであります。もしかするとこの幼児期の体験が、後の『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』に通じているのかもしれませんね。

15歳の時、父の目の治療の都合で、一家はスイスに渡ります。この地で、ジョージー少年と妹のノラは、ジュネーブの学校に通った。多くの知識(特にヨーロッパ文化の)を吸収し、多感な少年時代をすごしたわけです。

予期せず勃発した第一次世界大戦を挟んでスイスに四、五年留まった後、アルゼンチンに帰ることになりますが、その前に一年程スペインで暮らすことになります。この遥かな祖先の地で、それまでほとんど文学の果実を受け取る側だったボルヘス青年は、それを世に送り出す側に転じた。スペインで起こっていたウルトライスモ運動に合流したのです。――二十世紀初頭のダダイズム、未来派などの跡を受け、スペイン・南米などを中心に起こった前衛文学運動ですが、ボルヘスはアルゼンチンに帰ってからもウルトライスモ宣言を載せた雑誌を刊行するなどしてこの運動に沿った詩作活動を続けます。

だが、これが、ボルヘスの最初の“苦い後悔”となった。こうした運動は、ダダイズム、ウルトライスモ、シュールレアリズム、ヌーボーロマン等々、いずれも熱病のように、一時発熱し、宿命のように冷めてゆく。そして快癒すると、すべてが忘れ去られる。――ボルヘスが師と認めるスペインの文学者ラファエル・カンシーノス=アセンスは、このウルトライスモを始めた張本人だったが、彼自身はこの運動に対し超然としていた。だが若い連中は、頭からドップリとそれにのめり込んでしまっていた。後の半分詐欺まがいのヌーボー・ロマンもそうですが、こうしたハヤリモノに首まで浸かると、後で狸に騙されて肥溜めの中で温泉気分に浸っている自分を見出すことになる。

ボルヘスは、敬愛するイギリス文学者達と同様、“独立峰”です(すぐ徒党を組みたがるフランス文学者達と対照的に)。この若気の至りの経験が、苦い薬になったのでしょう。後に台頭するラテン・アメリカ文学の先駆でありながら、その趣は相当に異質で、似ても似つかない。いかにもっぽいマジック・リアリズムの、いかにもっぽいラテン・アメリカ文学を一括りにしても、ボルヘスの作品はそこからはみ出てしまう。――ボルヘスは“潮流”を警戒し、嫌う。それに流されることも、自らが生み出すことも。軽薄で人目を引きたがる文学の党派活動を敬遠する。あるいは後輩達のいわゆるラテン・アメリカ文学にも、彼は警戒の目を向けていたのではないか。

以降十年程、彼のいわば“創作修行時代”が続きます。彼はまず詩を書き、次いで評論を書いた。散文は、試作的なものを、若干書いたに留まった。『ボルヘスの世界』の『書物と友情』中にある「過ちは早目に犯すべし」(同P100)との発言も、この若気の至りを受けてのものであり、この経験が彼をますます『書けない作家』、書こうとするとそれ(創作活動そのもの)に疑念が生じて筆にブレーキの掛かる作家に、してしまったことでしょう。前述の『自伝風エッセー』にも、「一九二一年から一九三〇年までのこの期間は、わたしの最も活動的な時期であるが、活動の成果の大部分は性急な、そして無意味とさえいえるものであった。」(同P250)とあり、実際彼はこの時期の駄作の多くを、自腹を切ってまで回収し、この世から抹殺しようとしています。――しかしこれらの試行錯誤は、無駄じゃなかった。作品は残らなかったが、技量と心構えはスキルアップした。そして、後に『スル誌』の友となる、多くの文学仲間を得た。

 

もう一つ、この時期で特筆すべきことがある。それは、ボルヘスによる、“ブエノスアイレス再発見”です。

すでに書いた通り、子供時代、ボルヘスは“本当の”ブエノスアイレスを知らなかった。そしてそのまま、多感な少年期、ヨーロッパの文化に浸り切った。ボルヘスにとってのブエノスアイレスとは、他者により“刻印”された、本当は存在しない“故郷”でしかなかったのです。

それが、22歳での帰国により、再発見(本当は発見)された。いわば、根っこは別の地にあると洗脳された生粋のヨーロッパ人が、その“約束の地”に初めて降り立ったようなものです。つまりボルヘスとは、書庫と中庭以外の故郷を持たない、本当は“根無し草(デラシネ)”の作家なんじゃないかと、思う次第です。この特異な立ち位置、しかもその地が南米中のヨーロッパといわれるアルゼンチン・ブエノスアイレスであること、にもかかわらずそこはヨーロッパから遠く離れている。このことがボルヘス文学の奇跡を生んだ要因の一つとも思われますが、詳しくは後程詳述します。(当時(20世紀初頭)のアルゼンチンは、その後のどこかの国と同じく、いわば似非先進国でした。広大なパンパ(大草原)を拠り所とする農業生産で、経済は活況を呈した。『自伝風エッセー』にも「そのころのヨーロッパはブエノスアイレスよりも生活費が安く、アルゼンチンのお金はちょっとしたものだった。」(同P225)とあります。しかし第二次大戦後軍事政権の下で経済は急速に悪化し、名誉先進国の称号は剥奪されてしまいました。)

ボルヘスは帰国した時、しばらく留守にした故郷が、とてつもない「大都市になっているのを目のあたりにして、仰天してしまった。」(『自伝風エッセー』 P240)そうです。それは「新たな発見」(同)であり、「長い間離れていたがゆえに、この都市を鋭く熱い意識で眺めることができた」(同)。根無し草ほど、根を下ろすべき故郷を求めるものです。この“熱い意識”のまま、ボルヘスは処女出版となった詩集『ブエノスアイレスの熱狂』を上梓しました。ボルヘスの“根”の発見は、ヨーロッパでの(異邦人としての)違和感の反動としての、いわば捏造された虚構でしょう。だから、心の中で純粋結晶したもので、本来の土着民なら持つであろう反発もなく幻影に固執する(時たま、後進的なアルゼンチン気質に猛烈に反発を見せますが。そういう分裂したところがある。最後、ジュネーブで客死したのも、そんなことが関係しているんでしょうか)。

そこから、『ばら色の街角の男』に代表される、ガウチョやコンパードレの出てくる、19世紀アルゼンチンを舞台にしたもう一方の系統の小説群が生み出された。何しろ、子供の頃その只中にずっと住んでいたパレルモの本当の姿を、あとで知らされた訳ですから。身近にあったのに気付きもしなかったものが、今は知ってしまったが既に無い。そんな“運命的な無いものねだり”こそ、人間を捉えて離さぬものでしょう。ですが、正直言って私自身にとっては、これらコンパードレ文学はさして面白いネタでもありませんので、ほとんど無視します。――ただ、ボルヘスがアルゼンチン・ブエノスアイレスという特異な場所に固執したデラシネであったという点は、彼の創作の秘密に深く関わってくると思いますので、後程再考します。

 

そしてついに豊穣期が到来します。後に20世紀文学を震撼させるに至る、あの数々の名作・快作(怪作?)を、湯水のごとく生み出していった奇跡の季節です。特にその中心部分、40歳から50歳までの10年間、彼の創作の中核たる『Ficciones』(和名、『伝奇集』)『El Aleph』(和名、『エル・アレフ』『不死の人』)『Otras inquisiciones』(和名、『異端審問』『続審問』)の三冊が続々書かれ刊行されていった(『Otras inquisiciones』の刊行は1952年ですが、その中身の評論群は37~52年の間に書かれたものです)。この三冊がボルヘス文学の中核であろうことは、私も強くそう思いますし、また世界的な通説でもあるようです。

しかし当初前豊穣期においては、その小説創作はおずおずと始められた。34歳の時書かれた『汚辱の世界史』の「1954年版 序」で、ボルヘスは「それらは、自ら物語を書く勇気がないために、他人の物語を(何ら美学上の正当な理由もなく)偽造し歪曲して楽しんでいた、小心な若者の無責任な手すさびである。」と語っている(『世界の文学9 ボルヘス』 P254)。一方同時期に、ガウチョ・コンパードレ系の小説『ばら色の街角の男』も書かれた。

そしていよいよ本格的な小説の執筆が始まる。36歳の時、その後の中核作品群の予兆とも言える『アル・ムターシムを求めて』を執筆。さらに40歳で、中核作品群の記念すべき第一作『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』を執筆(この間が、結構開いている。いろいろ不幸があって)。ボルヘスの創作履歴は、詩、評論、小説の順に進行しますから、この二作は評論と小説の中間のような形態をしています。その前の『汚辱の世界史』もそうだった。突然小説らしい小説を書くのは、恥ずかしかったのかもしれません。だから評論の体裁をとって、ごまかしたのでしょう。

そしてついに、純粋の小説、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』が書かれます。『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』執筆のすぐ後の事(40歳時)です。ある異常な事件が起こって、それで吹っ切れたんでしょう、書くことに(このある事件こそが、ボルヘス文学の運命的スターターとなったと私は考えますが、これは後の『運命の年』のところで詳しく考えます)。――ここからが、スゴイ!――『Ficciones』と『El Aleph』の二つの短編集に収録される三十編程の作品を、およそ十年の間に次々創出させていく。まさに人類の文学史を、いや人類史そのものを書き換えてしまった、とてつもない怒涛の十年間でした。やがて50歳の時、短編集『El Aleph』の出版をもって、この怒涛の時代は一区切りつきます。

しかし後豊穣期に入っても、その余韻はまだ残っていました。さらに数編を仕上げ、そしてこの豊穣期を総括するような(私はそう考える)作品『南部』が書かれ(54歳時)、豊穣期は厳かなフィナーレを迎えます。(何故『南部』を、豊穣期を総括するような作品と考えるのか、その理由もやはり後述の『運命の年』で詳しく述べます。)

このような人類史に燦然と輝く大輪の花のような疾風怒濤の20年間、特にその中核たる豊穣期中の黄金期とも言うべき10年間ですが、しかしボルヘス本人はものすごく不幸でした。大輪の花と書きましたが、そんなもの現実にはどこにも無く、誰の目にも留まりません。彼の名を知る者はほとんどなく、ただ『スル』誌の仲間内だけの有名人でした。そして、すこぶる貧乏だった。加えて、身内を不幸が襲い、さらにボルヘス自身も生死の間をさまようような大事故に遭遇しました。

実際、豊穣期中の豊穣期たる10年間は、彼の全生涯中最悪の日々でした。頼みの父親が失明しその上心疾患を患い、収入が途絶えた。なのに三十路にもなるその息子は、売れない文学に関わるばかりで、雑文だの臨時の編集の仕事だので若干の収入はあるものの、定職に就いてすらいない。ですから家族は、それまでの暮らしに比べ、かなりの貧窮状態に落ちた。そこで知人の紹介でようやく薄給の図書館勤めの職に就くのですが、そこは図書館という外観とは真反対の反知性の支配する職場でした。何しろ話されるのは猥談やサッカーや賭け事のことばかり、既に百科事典にその名の載っていたボルヘス当人にも誰も気付きません。この不遇な図書館勤めで、彼は黄金の10年間、38歳から47歳までを過ごします。黄金期と不遇な図書館勤めとは、ほぼピッタリ重なり合います。隠れて小説でも書いて気を紛らわせないと(実際、書く時間はタップリあったようです)、やっていけなかったのでしょう。皮肉なものです、あの20世紀を代表する世界文学が、こんな最悪の環境の中から次々量産されようとは。哲学者には悪妻がいいように、作家には不遇な職場がいいようです(皆さんにも、いろいろ心当たりがあるでしょう?)。

図書館に勤め始めた翌年、人生最初の師であった敬愛する父親が、長い闘病生活の末亡くなります。文学や哲学を愛した父親の遺志を継ぐのは、子供の頃からの自然な感情であったと(失明が父親からそのチャンスを奪ってしまったからなおさら)、ボルヘスは自伝中で語っています(『自伝風エッセー』 P221)。さらにその同じ年のクリスマス・イヴ、彼は大きな(というか、きっかけそのものは気付きもしないようなほんの些細なことでしたが)事故に合い、敗血症で一ヶ月間にわたり生死の境をさ迷います。医者が見離しかけたほど重篤だった。もしかすると本当に、ボルヘスはここで一度死んでいたのかもしれません。

ところが、この死んだも同然の状態から、ラザロの如き奇跡でボルヘスは蘇ります。そして彼のこれまた奇跡のような10年間はここから始まる(不遇な図書館勤めの方は、奇跡の対象とはならなかったようで、相変わらず続いていましたが)。一体、何があったのでしょう? 以前から再三登場している後述の『運命の年』の項は、まさにこの出来事の前後の事情を解明しようとしたものです。このエッセーの根幹部分となる箇所かもしれません。ここまで読んでまだ飽きが来てなかったら、ついでに読んでやって下さい。

さて、不遇で貧乏でしかし黄金の10年間に書かれた作品の多くは、仲間がやっている文芸誌『スル』誌に発表されました。『スル』誌は、時のアルゼンチン文化人界の女王、ビクトリア・オカンポが創刊した文芸誌で、1931年から1970年まで続きました。ボルヘス等の寄稿により、ラテンアメリカ全体の文壇に大きな影響を与えることとなります。といって、『スル』誌に載せたからといって、雑誌の創刊当時それで名声が裏書されて本が飛ぶように売れた、なんてことはありませんでした。あくまで仲間内の、文学エリートだけの集まる小さな世界で、ささやかに売り買いされただけでした。実際豊穣期初期(37歳時)の評論集『永遠の歴史』は、刊行されてからその年の年末までに売れた部数が、わずかに37部だったそうです。きっと『スル』誌の仲間が買ってくれたんでしょうね。

ですが、だからこそ逆に、冒頭から問題にしている“文学の不可能性”を突破して、彼は書き得たのだとも思われます。すなわちその事の、大きな要因の一つとなった。何故って、仲間を相手に書くのならば、気心が知れていますから。読者一人一人の顔が浮かぶ。彼等文学エリート達の関心事が、好みが、ツーカーで分かる。逆に、政治的批判だとか、個人的苦悩だとか、そんなものは取り上げない。何故って、そうしたものは既に共有されているから、いまさら書き表すに値しない。濃密なスル誌の仲間達の中でなら、人見知りで寂しがりやで、そのくせ上辺だけは社交的なジョージーも、遠慮なく好きなものを書くことが出来た。

ところが、読ます相手が顔の分からぬ有象無象、大人数の世間一般となると、そうはいかなくなる。得体の知れない者を相手にする時、例の『文学忌避リスト』がものを言ってくる。あの中の忌避事項に抵触しないように、避けて、避けて、書かねばならない。つまりは、書くことが、出来なくなる。――だがどうせ自分の書くものなど世間一般の人の目には触れないんだから、そんなことは気にする必要もない。

というわけでこの事こそ、前述の通り、ボルヘスが何故彼の“文学の不可能性”を打ち破って執筆出来たのか、その謎を解く鍵の一つになると思われます。そしてこの点は、後の『仲間としての読者(論)』の中で、より深く探求してみたいと思います。

その後、ヨーロッパでその人気に火が点いて名声期が始まるまで、アルゼンチン国内ではボルヘスの有り様はずっと変わらずそんな塩梅でした。一つ変わったことといえば、因縁の図書館勤めを辞めたことです。宿敵フアン・ペロンが大統領に就任し、ボルヘスへの嫌がらせに彼を図書館から食肉の公共市場に“栄転”させたことが原因、とボルヘスは妄想していたようですが、実際にはそれを仕掛けたのはペロンの下の下の方の木っ端であり(ご機嫌取りに)、ペロン本人は無学ですから図書館員同様当時ボルヘスの名前すら知らなかったろうと言われています。だがこの辞職は、彼にとってむしろラッキーだった。というのは暇が出来て各地を講演して回るようになり、公務員を続けているよりかえって経済的に裕福になったからです。

スル誌以外にも、彼の名とその作品は徐々に広まっていった。そして51歳の時アルゼンチン作家協会会長に選出される。

 

名声期の到来が告げられたのは、意外にも国外、それもヨーロッパに上がった火の手によってでした。それもまたまた皮肉なことに、イギリス文学好みのボルヘス本人もその周囲も、あまり興味を持たず、話題にもせず、多分好意もあまり持っていなかっただろうフランスから、人気の火の手は激しく燃え上がり、そして世界へと広がっていきました。すでに1933年(若書き期の最末期)にはピエール・ドリュ=ラ=ロシェルが「ボルヘスは旅に値する」という有名な一文を書き、39年(豊穣期中の豊穣期の始まりの年)にはネストル・イバッラがボルヘス作品の幾つかを仏訳し発表していますが、45年になるとロジェ・カイヨワがヨーロッパでボルヘスを紹介し始め、ボルヘス人気に本格的に火が点いた(カイヨワは第二次大戦中ブエノスアイレスに疎開していた。そして若くてハンサムだったのでビクトリアのお気に入りだった)。

アルゼンチン国内ではペロンが失脚し、ボルヘスは公共市場栄転とは逆の嫌がらせのように国立国会図書館長に任命されました。地区図書館の三等館員から一足飛びに国立国会図書館長だから、無限階級特進のとんでもない大出世です。

さらに61年(62歳時)、ベケットと共に第一回国際出版社賞(フォルメントール賞)を受賞して、名声期中の名声期が始まる。世界にあまねく、しかも強烈にその名が轟き渡り、泣く子も黙るボルヘスの時代が始まる。――が、その間、そしてその後もしばらく、ボルヘス自身は何も書けずにいた。長い沈黙期間に入っていた。54歳の時豊穣期に清算をつけるようにして書いた『南部』の後、すべて出し切って消し炭のみ残ったかのように、何も書かない日々が続いた。

その間も、共著作品や、共編作品はある。また『創造者』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1975年 国書刊行会)のような、雑多に書き散らしてあったものをかき集めた詩集や詩文集はあった。しかし、彼独自のもので、最初から独立して編集されたものは、詩では64年の詩集『他者と自身』、小説では70年の『ブロディーの報告書』まで、ない。『南部』から、前者は11年、後者は17年も開いている。

何があったんでしょう? 豊穣期が終わって、書くものがなくなって燃え尽きた? 55年(56歳)の国立国会図書館長就任頃、失明の度合いが致命的になった(父親から受け継いだ遺伝性のものといわれている)といいますから、これが原因? それともいよいよ、『文学忌避リスト』が強烈にブレーキをかけ始めた? 『ブロディーの報告書』辺り以降最晩年まで、また結構旺盛な創作意欲を見せていますから、“年のせい”ということはないでしょう。

十年で書き尽くした、という所はあるでしょう。リチャード・バーギンとの『ボルヘスとの対話』でも、自分がそうした物語を量産する「一種の工場」(同P200)になってしまったと嘆いています。だから方向を変えたいと。

失明が原因、とする主張もはなはだ有力。失明以降、ボルヘスはまた詩作に戻り、そして散文も豊穣期のように凝ったものは書かなくなった。やはりバーギンとの対話で「短い作品に自分を制限しなくてはならない。そう、私は自分の書くものを読み返したいからです。自分の書くものが非常に心もとないのです。だから以前は、下ごしらえの草稿をいくらでも書いたものですが、いまではそれができないので、草稿を心に描かなくてはなりません。そこで街を行き来したり、国立図書館を歩きまわったりしながら、自分の書きたいものを考える、しかしもちろん短い作品にしなくてはならない、そうしないと、それを全部一度に見ようとするとき――長い本文(テクスト)ではそれができないからです。私はできるだけそれを短くしようとします、だからソネットや、まあ一、二ページの短編を書くのです。」(同P92)と言っている。『ブストス=ドメックのクロニクル』の訳者、斎藤博士さんの報告にも「ボルヘスの創作過程は、肉眼の見える間は、厖大なる量のメモや下書き類の蒸溜から成っていたことは周知の事実である。」(同P195)とある(出所は不明)。『自伝風エッセー』の中にも「失明に付随して現われた顕著な結果の一つは、わたしがしだいに自由詩を捨て、古典詩の韻律法に向ったということである。わたしは失明したために、再び詩作に意を致すようになった。もはや草稿に手を入れるなどという操作は許されなかったので、記憶に頼らざるを得なかった。散文よりも韻文の方が、そして自由詩よりもー定の韻律を持った定型詩の方が記憶し易いのは明らかである。」(同P280~281)とある。やはりあの豊穣期に書かれたような短編、緻密で込み入ったそれを書くのは、失明した今となってはすこぶる難しいのでしょう。

そして『文学忌避リスト』の十戒石板の如き再浮上により、書けなくなったり書くものが変わったり、この影響も見逃すわけにはいかない。

よく知られるように、ボルヘスは『ブロディーの報告書』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1984年 白水社)の「前書き」で、「作者は鬼面ひとを脅すようなバロック的なスタイルは捨てた。また予期しない結末によって読者を驚かすこともやめた。」(同P12)と宣言し、かつての豊穣を支えたスタイルを捨て去りました。が、はっきり言って、名声期の作品は似た趣向のものでも、豊穣期のそれの劣化したコピー、としか思えない。どうにも精彩を欠く、凡庸な印象を与える。鬼面を脱ぎ捨てたそれは、(それなりに楽しめもするが)いずれも薄味である。豊穣期の嫌という程コッテリとした、濃厚な、舌に絡み付いて終生離れない、しつこくて癖になるお味がない。正直、興醒めである。多分「鬼面を取ったら」と、多くの人から忠告されたんでしょう。こういう要らぬお節介をしたがる輩は、いつの時代にもいます。スル誌の仲間相手には、そして自分自身にとっても、楽しめた鬼面だったのに。鬼面も衒学趣味も、ひっくるめてのボルヘスの魅力であり、魔力であったのに。

10年以上の長きの沈黙の後、ボルヘスが再度筆を取る時には、スル誌の仲間ではなく、今度は世界中の人々に向けて(読まれるように)、作品を作らねばならなかった。当然、『文学忌避リスト』の各項目も利いてくる。得体の知れない人々が読み、そして批判してくるのだ、滅多なことは書けない。

ボルヘスは、身も蓋もなく言ってしまえば、アルゼンチン(ブエノスアイレスという地方都市)出身の、ポッと出の“田舎者”な訳です。それが、大都会のヨーロッパに引っ張り出されて、すっかりテンパッてしまった。持ち前のあがり性もあり、おのぼりさんはすっかりのぼせてしまって、創作する上で身動きが取れなくなり、ぎこちない動作しか出来なくなる。自分の作品の世界文学中での位地を考え、その位地にふさわしい作品を書こうと努める。本来スル誌の仲間に高く評価されるために書いていた作品を、今度は全世界の人間に高く評価されるために書こうとする。――そんなこと、もちろん不可能です。――そうなると、かつての奇跡の光は朧となり、読みのスペシャリストもその他大勢の読み手も首を傾げるような、あるいは「まあまあ」とか「どうだろ」とかいう程度の感想しか持てないような、作品ばかりとなる。晩年期の作品から何か一作挙げろと言われても、その一作が思い付かないのです(無理して挙げれば、せいぜい『砂の本』ぐらいでしょうか)。――ボルヘスが晩年日本に愛着を持ったのも、最後の伴侶のせいばかりではなく、地球の反対側の“別の田舎”(別の似非先進国)である日本が、アルゼンチンと似た空気で居心地がよかったからでしょう。(故郷のアルゼンチンは、長期の軍事政権下で、別の意味で居心地悪かったですから。)

 

 

運命の年

 

運命の年と書きましたが、実際には2年間にまたがっています。1938年(39歳時)と1939年(40歳時)です。年譜を作っていて、まさにこの前後に、ボルヘスの運命を劇的に変えてしまった事件が集中していることに気付きました。

既に書いた通り、その前年不遇な図書館の職にありつきます。そして39年の2月24日、人生最初の師であり、ボルヘスのベースを築いたといっていい敬愛すべき父を亡くします。さらにその年のクリスマス・イブ、これも既に書いたことですが大事故に遭遇し、生死の淵を彷徨います。いわばここまでが、急な下り坂の、どん底。

そこから、奇跡的な蘇生を遂げた後は(クリスマスを機に、“死”と“再生”を経験した、と言っても過言ではない)、まるで人が変わったかのように(本当に変わったのかもしれません)、それまで小説を書くことをためらっていた作家が、突然それを精力的に書き始める。中核作品の第一弾『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』を書く。次いで本格小説の第一作『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を書く。黄金の10年間の、スタートです。と同時に、実はくだんの『文学忌避リスト』が、まさにこの時、『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』や『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』と同時期に作られているのです(リストの後の文章にも「かたや出版され、かたや未完に終わったこれら二つの作品は、同じ年のほぼ同じ時期に構想が練られた。私の記憶が正しければ、先の一覧を書き記した同じ日の午後に、ボルヘスは「ピエール・メナール」の構想を私たちに打ち明けてくれたのである。」(『メモリアス』 P86)とあります)。あたかも、アクセルを目一杯に踏み込むと同時に、ブレーキも思わず知らず踏み続けていた、といった塩梅に。(創作する上での覚え書き、といった意味もあったのでしょう。まるで予防線を張るかのごとく。)

 

この大事故前後の経緯、非常に劇的な事件だったので、『自伝風エッセー』から長文を引用させてもらいます。
「一九三八年――父が死んだ年――のクリスマス・イヴに、わたしは大変な事故にあった。階段をかけ上がっていた。突然、何かがわたしの頭皮に触れた、と思った時にはすでにペンキを塗ったばかりの、あけ放たれた開き窓で頭を傷つけてしまっていた。応急手当にもかかわらず傷は化膿し、わたしは一週間ばかり、高熱にうなされ幻覚に悩まされて、眠ることもできずに横たわっていた。ある晩、ついに言語能力を失ってしまい、大急ぎで病院にかつぎこまれ、ただちに手術を受けた。敗血症に冒されていたのだ。そして一ヶ月余り、まったく意識不明のまま生死の境をさ迷った。(後になってこの体験を『南部』El Surの中に書くことになる。)快方に向い始めた時、わたしは精神が完全に復元するかどうか、元の自分に完全に戻れるかどうか不安だった。その時の気持はいまでもはっきり覚えている。母が、届いたばかりのC・S・ルイス(イギリスの作家、1898-1963)著『沈黙の惑星を離れて』を読んで聞かせようとしたが、わたしは二晩も三晩も、読まないでくれと頼んだ。しかし、ついに母に押しきられた。一、二ページ聞いたところで、わたしは思わず泣き出してしまった。母は涙の理由を尋ねた。「それが理解できるから泣いているのです」と答えた。すこしすると今度は、以前のようにものを書くことができるかという不安にかられた。わたしはそれまでに、かなりの数の詩と何十篇もの短い評論を書いていた。だからもしここで評論を試みて失敗したら、知的には駄目になってしまったということになる、しかし、これまで本腰を入れてやったことのないものなら、仮に失敗しても、そんなに悲観しなくてすむし、むしろ最終的な成功のための一つの準備になるだろう、と考えた。そこで短篇小説を書いてみようと決心した。その結果が『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』Pierre Menard, autor del Quijoteであった。『ピエール・メナール』はその先駆ともいうべき『アル・ムターシムを求めて』と同様、まだエッセーと物語の中間に位置するものだった。しかし、これが書けたことで、わたしは元気づいた。次いでもっと野心的なもの――われわれの住むこの現在の世界に、いずれ取って代ることになる新しい世界の発見を扱った、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』Tlon, Uqbar, Orbis Tertius――を試みた。これらはいずれも友人のビクトリア・オカンポが編集していた雑誌「南」Surに発表された。」(『ボルヘスとわたし(ちくま文庫)』 P268~270)

私事になりますが、確か小学校3年生の時、朝起きたら“異常に”気分の良いことがありました。あまり気分が良かったので、普段恥ずかしくて教室では挙手もしなかった私が、先生の出す質問に片っ端から答えまくった。多分寝ている間に、何らかの脳内物質でも過剰分泌されたんでしょうね。しかしこの“躁状態”は、徐々に薄まり、一週間ですっかり元に戻ってしまいました。

23歳の時、群像新人賞を取った小説を読んでいたら、同じようなことが書いてあったんで思わずニヤリとしてしまった。村上春樹さんの『風の歌を聴け』です。――「14歳になった春、信じられないことだが、まるで堰を切ったように僕は突然しゃべり始めた。何をしゃべったのかまるで覚えてはいないが、14年間のブランクを埋め合わせるかのように僕は3カ月かけてしゃべりまくり、7月の半ばにしゃべり終えると40度の熱を出して3日間学校を休んだ。熱が引いた後、僕は結局のところ無口でもおしゃべりでもなくなっていた。」(『群像』1979年六月特大号 P18 講談社)

プルーストの『失われた時を求めて』にも、似たようなシーンがありましたね。有名な、第七篇『見出された時』の中頃の、敷石に蹴躓くシーンです。「一つの敷石の上に片足を置いた瞬間に、私のすべての失望は幸福感のまえに消えうせた、その幸福感は、私の人生のさまざまな時期に私にあたえられたそれとおなじもので、(中略)マドレーヌを味わっていたときのように、将来についてのあらゆる不安、知的なあらゆる疑念は、吹きはらわれていた。たったいま私を襲っていた疑念、私の文学的才能の実在にかかわる疑念、さらには文学そのものの実在にもかかわる疑念は、魔法にかかったようにとりさられていた。たったいま、どうしても解けなかった難問は、どんな新しい推理を私がしたのでもなく、どんな決定的な論証を私が見出したのでもないのに、すっかり重要さを失ってしまった。」(『プルースト全集10 失われた時を求めて 第七篇 見出された時』 1989年 筑摩書房 P261)。この瞬時に呼び出された“無意志的記憶”のもたらす幸福感によって、それまで文学や自分の才能に疑問を持ち創作をためらっていた主人公が、作品を書く意を固める契機を得る(別に、文学や自分の才能にまつわる疑念が、論理的に解決された訳でもないのに)。そんな話です。

ボルヘスの蘇生・復活は、これらの事例を遥かに上回る歓喜・高揚感をもたらしたことでしょう。生理的にも、人生の意義と希望に向けられた前向きな眼差しにとっても。『南部』にも、「夏のむし暑さのあとで迎える初秋の爽やかさが、死と熱から救われた彼の運命の自然の象徴のようだった。(中略)ダールマンは幸福感と軽い目まいを覚えながら大都会を眺めた。目で確認するその数秒前に、街角や広告塔、ささやかながらブエノスアイレスらしい風物が脳裡に浮かんだ。朝の黄色っぼい光のなかで、あらゆるものが彼のもとへ戻ってきた。」(『伝奇集』 P238)とあります。何せ、一ヶ月余りの冥府放浪から、帰還したんですから(その一ヶ月の間、どういう夢を見ていたんでしょうね。ボルヘスはその間のことについて語っていませんが、すべて忘れてしまったのか、あるいは秘密にしておいて作品の中で小出しに使っているのか)。その後の躁状態も、私の一週間や春樹さんの三ヶ月どころか、10年間も続いたんですから。ボルヘス自身は、「しかし、これまで本腰を入れてやったことのないものなら、仮に失敗しても、そんなに悲観しなくてすむし、むしろ最終的な成功のための一つの準備になるだろう、と考えた。そこで短篇小説を書いてみようと決心した。」などと控え目に、遠慮がちに書いていますが、とてもそのまま信じる気にはなれない。生死の境を彷徨うような高熱のせいでストッパーが外れ、それまで高まっていた内圧が、文学の抑制のタガが緩んだ途端、中に詰まっていたものを一気に噴き出させた。書こうとして書き出せないでいたものが、“文学の不可能性”の壁を、「エイヤッ!」とばかりに突き破った。私にはそう思えてならない。――というのも、本格小説第一作の『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を巡って、ある推理が働くからです。

復活後第一作の『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』は、ある意味前作『アル・ムターシムを求めて』の形式を踏襲したものです。共に、批評の体裁をとりつつ、巧妙に文芸作品として成り立たせている。そして『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』は、前掲のビオイの思い出話の通り、『文学忌避リスト』と表裏をなして構想された。つまり、忌避リストを含む形で構想され結局書かれなかった短編に代わって、選ばれたのが(書かれなかった前作を乗り越えられたのが)『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』ということになる。はなから、文学の不可能性の苦さを存分にまとった、それを表出させるための作品だったのでしょう。文学の不可能性への挑戦であると同時に、文学の不可能性そのものを表している(告発している)。――まあ早い話が、デュシャンの『泉』ですからね。作者や創作の状況が“聖別”されれば、作品なんてレディメイドの便器で充分。世のあまたの素人がすなる『写経』とやらも、ピエール・メナールが『ドン・キホーテ』を書く如く行われたら、毎週日本に何万人という仏陀が生まれることでしょう。

そして、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』です。純粋に本格的な小説群の劈頭を飾る(最初の本格短編集『Ficciones』の劈頭でもある)、それまでボルヘスの書くもののどこにも現れなかった、まったく経歴に無かった、異質過ぎて予期し得ぬ、突拍子も無く飛躍した、一番SFチックな作品。未知の天体・トレーン。何故、どうして、――こんなものが突然現れたのか。

「トレーン」は架空の天体。「ウクバール」はイラクか小アジアの架空の一地方。「オルビス」はラテン語で“円環”の意(『オルビス テラエ(大地)』は、地球とか大地の意)。「オルビス・テルティウス」(ラテン語)で「第三の球体」を意味し、つまりは地球の事のよう。そして架空の世界「トレーン」を扱った最初の百科事典の仮の名でもある。ウクバールもトレーンも、百科事典の記述のみで、その世界が構築されている。そしてそれら百科事典は、とある秘密結社の者どもが密かに作成し、今も書き足し続けているという。――百科事典の巻数が増えるにつれ、その中の世界が現実世界に徐々に浸潤してくる。そしてついに、40年発表の作品に47年の追記(つまり未来の年表)が付いてくるのですが、俄然SF的なとどめの一撃で物語は終わっている。その記述によると、サイコロほどに小振りで、なのにベラボウに重い(つまりあり得ない程に質量のある)金属製の円錐(トレーンの祭具の類らしい)が、この地球上に現れたという。――この円錐、何で出来ているんでしょう。中性子星の物質か何かか。いずれにせよ、もはや百科事典内の記述に留まる、架空の話のレベルではない。

という次第の『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』なのですが、これ程に毛色の違う突飛な話、どうして突然出現したのか。――で、実は、前々から頭に引っかかっていたある文章に、今回スポットライトを当てることにしたのです。その文章とは、先ほど引用した『自伝風エッセー』中の、「母が、届いたばかりのC・S・ルイス(イギリスの作家、1898-1963)著『沈黙の惑星を離れて』を読んで聞かせようとしたが、わたしは二晩も三晩も、読まないでくれと頼んだ。しかし、ついに母に押しきられた。一、二ページ聞いたところで、わたしは思わず泣き出してしまった。母は涙の理由を尋ねた。「それが理解できるから泣いているのです」と答えた。」という部分です。

ん? 『沈黙の惑星を離れて』? 題名からしてSFっぽいし、どこかで聴いた覚えのあるような。――で、早速調べてみました。作者のC・S・ルイスは、『ナルニア国』で有名なイギリスの作家。アマゾンあたりによると、神学的SFとやらある。さらに、主人公の言語学者が火星に行く、とか書いてある。そういや『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』でも、トレーンで使われている言語の話が出てくる。何か臭うぞ。

で、早速『沈黙の惑星を離れて』(C・S・ルイス 2001年 原書房)を買って、読んでみました(実は、子供の頃、50年近くも前に買った『世界SF全集6 『沈黙の惑星より』(C・S・リュイス)』(1970年 早川書房)が既に手許にあることに、しばらくして気付きました。後の祭り)。――内容はというと、正直素人が書いたようなSF、という印象です。特に最初の火星に主人公が拉致されるあたりは、今なら中学生でも書かないような書きっぷりです。――宇宙から見た地球は、巨大な月のようだと書いてあるし(当時はまだ、地球が青いだなんて誰も知りませんでした。ガガーリンが報告するまでは)、宇宙船内の物理法則もどうにも奇妙だし。いかがなものか。

無理して読めば、見るべきところもある。――たとえば、エルディル(天使っぽいもの)は、光より速い世界で生きている(タキオンか?)。従って全ての空間に同時に存在し世界を満たしている(汎神論的?)(相対論で見れば、時間的にも全ての時代に同時に存在していることになりますね)。――地球は例外的に唯一の種の知性生物が支配している。だが他の天体ではそれらは複数いる。そのため地球人は、他者への共感の幅が狭く、思想まで偏狭になる。――まあ、こんなところでしょうか。

しかし、――ウーム、似ている。他の天体の状況について、いろいろ報告し、考察するところ。偶然の一致で済まされるだろうか。――別に、天下のボルヘスが、パクッたなどとは言いません。だって、作品として『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』の方が、『沈黙の惑星を離れて』よりも格段に上です。『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』は、ボルヘスの押しも押されもせぬ、『アレフ』『バベルの図書館』『不死の人』級の代表作の一つです。

実は私は自作の中で、このボルヘスの復活劇を重要な出来事として描写しています、それも二度も。『続・不死の人』と、『時鏡・連作』中の第4話『図書館の鏡』、の二作においてです。その『続・不死の人』の中では、こんな風な一文を綴った。「誰かの呼ぶ声で、私は長い長い夢から覚めた。声は、遥か高い天空から、慈愛に富んだ雨のように私に降り注いだ。声の主は、母親だった。付きっきりで看病してくれていたのだ」。現実でも、冥府から彼を呼び戻す枕元の声は、天から降ってくる天使のそれのように聞こえたんではないでしょうか。まどろみの中で復活への契機となった慈愛の雨垂れの如き最初の雫。そしてさらに『自伝風エッセー』には、「一、二ページ聞いたところで、わたしは思わず泣き出してしまった。母は涙の理由を尋ねた。「それが理解できるから泣いているのです」と答えた。」とある。本当に、ただ“理解出来るから”、泣き出したんでしょうか。それだけで終わる“涙”でしょうか。すなわち、“理解出来るから”の内、“出来る”の部分よりも、むしろ“理解”の部分の質がもたらした涙なんじゃないか。つまり、ただの“理解”ではなく、生まれて初めて“理解”するような(実際生まれ変わったんですから)、心に沁み込み沁み渡っていく、混濁から覚めた巨匠の知性に沁み渡るあたかも天から降ってきたマナの如き滋味溢れる恵みとして、ボルヘスには受け取られたんじゃないか。だとすれば、たとえそれがどんな“駄作”であろうと、心の奥底まで沁み込んで住み付き、その滋味の印象が一生色褪せずに残る、そういう事になったとしても不思議じゃあない。

ましてや『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』が書かれたのは、そのマナ(本当は駄菓子程度の味でも)を、荒涼として不毛なシナイ半島の砂漠の如き、飢餓状態の脳細胞に沁み渡らせた直後でした。その抜き去り難い印象が、記念すべき本格小説第一作に強く反映された可能性は、充分考えられると思います。

という次第で、ボルヘス文学の中核をなす作品群のスターター役を果たしたのが、もしSF(たとえ駄作であろうと)だったとするなら、その後の黄金期のボルヘス作品が多少SFチックな印象を与えることになるのも、無理からぬことです。そして、SF人間だった私がスルリとボルヘスに引き付けられていった経緯も、素直に頷けます。

 

ところで、前掲『バートルビーと仲間たち』の中に、ボビ・バズレンという人物の事が書かれています(同P28~31)。ボルヘスとほぼ同世代のイタリアの文学者・批評家だったそうですが、典型的な“書けない作家”だったようです。バズレンは「あらゆる言語で書かれたすべての本を読んでおり、きわめて厳格な文学意識を持っていた」そして「今でこそ忘れられた存在だが、当時のバズレンはイタリアの出版界においては大変な有名人で、畏敬の念を持って見られていた。」にもかかわらず、あるいはであるが故に、バズレンはものを書き残さなかった、たった一つの『テキストのないメモ』を例外として。――ここまでは、ボルヘスとまるで同じです。ただ大西洋を挟んで、点対称に反対側に住んでいるだけで。

ところが、そこから先が違った。ボルヘスは、書いてはならぬ、書けぬ筈の小説を書いた。バズレンは、相変わらず何も書かずに一生を終えた。結果、何も残さなかったバズレンは、この世から忘れ去られた。

神は、ボルヘスには災厄と栄光を与え、バズレンには半端で平凡な人生を与えた、という訳です。もしボルヘスの身に災厄が襲い掛からなければ、彼もまた書けず、平凡な一生を送ったことでしょう。そして今頃は、アルゼンチン国内も含め世の全てから、忘れ去られていたことでしょう。没後三十年以上を隔て、地球の裏側の一愛読者に、エッセーを書かれるなんて事にもならなかったでしょう。

 

さて、黄金期のスタート(1939年、40歳)から十年が過ぎ(締めの短編集『アレフ』を出版し終え)、さらに余韻の数年を経て、ボルヘスは豊穣期最後の、そして長い沈黙に入る直前の作品『南部(El Sur)』を発表します。本作は、私見ですが、40歳から始まった黄金期を振り返り、総括する、いわば反省するために書かれたもののように思われます。

すでに『自伝風エッセー』にあった通り、この話はかの復活劇の体験を扱ったものです。主人公ダールマンは致死的な運命から奇跡の復活を果たし、あまりの幸福に浮かれまくって、それまで危険な無法地帯として敬遠していた『南部』に、つい足を踏み入れてしまいます。そしてその南部から、当然の報いを受ける。理不尽な決闘沙汰に引き擦り込まれ、せっかく奇跡的に助かった命を、そこでむざむざ、そして易々、再度落とすこととなる。――メタファーの構造は、単純でしょう。むしろ寓意的であるとすら言える。危険で敬遠していた“南部”とは、“文学”そのもの(『スル(南)』誌! 何とも象徴的!)(加えて、“アルゼンチン的なもの”の喩えともなっているでしょうか。北部が“ヨーロッパ”なら、南部が“アルゼンチン”)。そこに、復活の歓喜に浮き立ち、つい足を踏み込んでしまった。そして、深入りし過ぎ、南部の本質(すなわち文学の本質)から、当然の報いを受けた。結果、敗血症で病死していた筈だった振り出しに戻った。

さらに妄想をたくましくするなら、この十年の黄金期は、実は熱に浮かされて病床で見ていた夢だったんじゃないか、そして今、夢から覚め、自分は死の時を迎えようとしている。

十年で熱が冷めてしまった、ボルヘス風を繰り返すことに(ボルヘス風を作り出す工場であり続けることに)。復活による高揚感と、その後の思いもかけぬ破格の成功と、もう一つ忘れてならないのは、『アレフ』を捧げた女性、エステラ・カントーへの恋。これらがブースターとなり祝祭の日々は続いたが、それにしても十年は余りに長過ぎた。今、『文学忌避リスト』の十戒石板が蘇り、彼がこれ以上創作者として文学の地に留まることを認めないと、厳かに宣告した。(このことは、“ボルヘス風”が、あのリストに新項目として加わったと言ってもいい。以後、書くことがあるとしても、“ボルヘス風”のリメイクは避けなければいけない。)

しかし『南部』の最後で、ダールマンは思います。「ナイフの決闘で、野外で、相手を攻めながら死ぬのも、針を刺された病院の最初の夜だったら、彼にとっては救い、喜び、祝いごとになっただろうな、と敷居をまたぎながら思った。あのとき自分の死をえらぶか夢みることが可能だったら、これこそ自分がえらぶか夢みた死だったにちがいない、と思った。」(『伝奇集』 P246)。つまり、書かずに終わるぐらいなら、書いて、(文学に)反撃されて、そして死んでいく方を、死に瀕していた自分は選ぶだろうと。――また『伝奇集――第二部 工匠集――プロローグ』中でボルヘスは、『南部』について以下のように言っています。「おそらくわたしの最上の物語である『南部』については、小説的な出来事をそのまま語ったものと読まれてもよし、また別の読み方をされてもよいと暗示するに止めよう。」(『世界の文学9 ボルヘス』 P77)。

 

 

仲間としての、読者(論)

 

文学作品の価値・意味とは、作品と読者が出会った時、つまり読書された時、に生まれる。書物が本屋や図書館の棚に並んでいるだけでは、それは単なる物体(原子の固まり)に過ぎず、誰かの手に取られ目を向けられた時初めて息を吹き返す、魂が宿るとは、多くの識者の書き記しているところです。

そして書物の一生を考えるなら、その作品にとっての第一番目の読者は、作者自身に他ならない。作品は、完結されずとも、構想の浮かんだ段階で既に存在している。以下、構想を練り、推敲を重ねるたび、第二、第三、第四……の読者たる作者と出会うが、(それを言い出せば一般の読者だって、読むたび、あるいは再読するたび、あるいはその作品のことを思い返すたび、読者X-1、読者X-2、読者X-3……となるから、)あくまで一人一読者としてカウントすることにしましょう。

もし作品を発表する気がないのなら、「だったら、日記でいいじゃん」ということになる。「いや、そもそも、ラフな構想を思い付いたら、後は脳内であれこれいじくり回しているだけで充分ではないか。書く必要すらない」と、ボルヘスなら言うかもしれません(『円環の廃墟』内で、一人の人間の誕生を散々いじくり回したがごとくに)。――第二、第三の読者と続くことを希望しない、想定していないのならば、話はこれでおしまい。(昔モンティーパイソン(この番組の、前座ではなく“後座”で、タモリさんがデビューしたと記憶しています)でやっていたあるネタを思い出します。――人を笑い死にさせるほど強力なジョークが、イギリスで作られる。それが殺人兵器として、対戦中のドイツ軍に対し使われる。イギリス兵が戦場でそのジョークを読み上げると、ドイツ兵達はバタバタと死んでいく(読み上げられるのがドイツ語だから、イギリス兵はその意味が分からない)。ドイツ軍は対抗し、やはり殺人ジョークをイギリスのラジオに流す。ジョーク好きのイギリス人はそれを心待ちしてラジオのチューナーを合わせるが、ドイツ人の作ったジョークはちっとも面白くなかった、というオチ。――聴けば絶対死んでしまうという、ある種の怪談も同類でしょう。でも何故その怪談の話者は、さらには最初に思い付いた人や最初にそれを体験した人は、その瞬間に死んでしまわなかったんでしょう。モンティーパイソンのジョークも同様に、何故ジョークの作者は、それを思い付いた途端に笑い死にしてしまわなかったんでしょう(強力過ぎる病原性ウイルスは、取り付いた途端その宿主を殺してしまい、ウイルス自体はそれ以上世界に広まることはない)。――この世界には、もしかすると、これと同種の思い付きや構想がゴマンとあって、思い付いた人は、そのあまりの恐ろしさに、あるいは面白さに、あるいは他のあまりの何かに、あるいはそれを表現することがあまりに困難で、そこから先へ進むことが出来ない、あるいは本当に死んでしまった(恐怖で、あるいは笑い死んで。死亡診断書的には、これらは単なる突然死として扱われることでしょう)なんてことがあったのかもしれません。埋もれてしまって、第二の読者を持つことの出来なかったネタ・作品。世界の大地の下に、地雷のごとく大量に埋まっているのかもしれませんね。)

第二の読者は、あなたがプロ作家なら編集者となるんでしょうが、彼が最良の研磨師、メンターとなってくれれば嬉しいんですが、しばしばむしろ“厄介者”となる。枝葉末節を刈り込んだり、変な文学観を押し付けてきたりする内は可愛いが、売らんかなの商業主義が幅を利かすともう始末に悪い。オレはネットで無料公開するからいいよ、あんたとはもう縁切りだ、などと開き直ることになる。第二番目の読者で早くも暗礁に乗り上げる、しばしば存在そのものが否定され掻き消され挫折する、悲しい作品の運命です。――編集者でなくても、二番目の読者が極身近にいる人で(例えば狭いサークルの仲間とか)、作者に対し極めて強い影響力や権力を持っていて作品を変に捩じ曲げてしまう場合、これもヤバい。――作品にとってあるべき第二の読者とは、“広範な他者”が理想なのかもしれません。その時、作品と読者との、極めて多様な出会いが生じますから。

と、“理想の読者”について書きたいところですが、話はそう単純には済みません。何故なら、読者から作者への“フィードバック”ということを考えなければならないからです。

 

フィードバックといって、何も読者から作者へ、直接『批評』や『読書感想文』の類が送り付けられる、と言っている訳ではありません(そういう場合もあるでしょうが。また、特定の読者、例えば新聞とかに“書評”の類を書くいわゆる批評家と呼ばれる類の人は、現にそれをやっている訳ですが)。ここでいうフィードバックのメインは、作者が(しばしば書き始めるより前に)空想し、想定する、自分以外の読者(他者)の読書体験、作品への評価、感想等のことです。この作品を公開すれば、人々にこう読まれるんではないか、と作者があらかじめ抱く予感です。――広範な顔の見えない他者からのフィードバックをすべて受け止めようなどとしたら、作者は金縛りにかからずにはいられない。この作品は書くに値するのかと自問する。作品とすべての読者の組み合わせを考えたら、必ず「否」という答えの可能性があり、従って書かないこととなる。少しでも書くに値しないと思えるものを書くなど、時間の無駄だ。特にボルヘスのように、文学の不可能性を抱える者はなおさらです。広範で無尽蔵な読者による読書は、『文学忌避リスト』のいずれかの項目に抵触してしまうでしょうから。

こうして考えてみると、読書を巡る構図は、『作者=作品=読者』となり、それらは互いに影響し合う(作品の流れる方向とは逆方向へフィードバックし、それが作品の書かれる前に既に作者を拘束する)こととなるようです。さらに多くの作品同士が間テクスト的に影響し合い、作者や読者もそれぞれ他者とネットワークを作って繋がっている。『読書空間』とは、そうしたものなんでしょう。

作者は意識して、あるいは無意識の内、読者による読まれ方を想定する。それがまたフィードバックされて、作者を変え、作品そのものを変える。読者がしばしば作品の向こうに作者を見ているように(だから、作者がセルバンテスか、メナールか、あるいはAIが書いたのか、に意味がある)、作者もまた作品の向こうに読者を見ている。第二の読者は、商業出版社の編集者か、公募文学賞の選考者(一次の? それとも最終の?)か、権威筋の批評家の誰かか、顔見知りの読み手の一人(気心の知れた? うるさい自称文学通の? いつも素直に感動してくれる素人丸出しの?)か、それともまるで見知らぬ匿名の読者か、あるいはどこか違う文化圏の(しばしば外国の)想像もつかない人間か。

それでは一体、作者が夢想する理想の読者とは、どういう人達なんでしょう。作品と理想的な出会い(読書)をしてくれる、すなわち作品や自分(作者)を正しく理解出来る、つまりは擬似作者(自分自身、第一読者、作者のクローン)のような読者達、ということになりましょうか。――幸か不幸か、図書館勤めの当時、ボルヘスの置かれた状況は、まさしくこんな読者(つまりはスル誌の仲間と購読者)しか許容しませんでした。何しろ、ボルヘスなんて誰も知らない(図書館の同僚ですら)、そして彼の本など誰も買わない(購買部数が、三桁にも達しない)。となれば、顔も知らない未知の(普遍的)読者ではなく、スル誌の仲間だけ念頭において書けば、それで事足りるわけです。彼等の好みそうな、そして自分の好みでもあるものを。それなら、肩の力を抜いて、気楽に書けます。(ボルヘスはスル誌内にメンターを求めず、むしろ彼こそ周囲の仲間にメンターとして見上げられていたでしょうから。)――こうした、狭い世界の、井の中の蛙の創作のような、独りよがりの、仲間内オチのネタで皆が満足するような、そんな作品群が、――実は井戸の底が抜けて、世界に繋がっていたのです。独りよがりの仲間内ネタが、実は世界文学の普遍性の最先端と連結していた! そういう奇跡の巡り合わせが起きた!

ボルヘスはこうして、文学の不可能性を乗り越えて、小説の創作を決行出来ました。しかも十年以上、継続し得た。それは、前述の“運命の年”の出来事と、ここに書いた“スル誌の仲間を読者として想定すること”の二点によって、“不可能性”の呪縛を突破出来たからでしょう。

 

(“誤読”の問題)

 

ですが、読者とはそれほどに恐ろしい、“創作の敵”なんでしょうか。創作の筆を思い留まらせ、断念させてしまう程の、“作者にとっての脅威”なんでしょうか。

読者を恐れることはない。いやむしろ、味方として招き入れよ、と私は言いたい。

作品の価値は、読書の瞬間に生まれる。ならば、読者とは、作品完成のための協力者です。それも、作者本人を大きく凌駕する、強力な相棒です。何しろ作者は、確かに第一の読者には違いないが、あくまでただ一人の読者です。それに対して二番手以降の読者は、無尽蔵にいる。どのような多様な(作者の思いもよらぬ)読み方も可能です。そして作者は作者以上の作品を書くことは出来ないが、読者はしばしば作者以上の作品の読み方をする。すなわち、“誤読”です。

読者は、しばしば作者の思いもよらないような、トンチンカンな、突拍子もない読み方、解釈をしてくれるものです。他人の感想を聞いて、びっくりさせられることって、ままあるでしょう? そんな理解の仕方もあったのか、とんでもない所と関連付けられた、そこまで飛躍するものなのかと、呆気に取られてしまう。そうした事こそが、作品を公開することの、醍醐味の一つなのかもしれません。

読者との出会いで、作品は“再創造”される。読書ごと、それぞれ独自のユニークな生態で“復活”を遂げる。そうして、作者を殺してくれる(復活させてくれる)。

史上最も“誤読”されたのは、多分『イエス』でしょう。――死んだ直後から、誤読が始まった。以後、誤読されるたび、復活を遂げ続けた。誤読されまくったから、今日のキリスト教の豊かさ、繁栄はある。多分本当のイエスよりも、二千年の誤読により培われたイエスの方が、人類にとって遥かに優れている可能性は極めて高い。

カトリックというのは、実に特異な宗派ですね。“カトリック”とは、“普遍”という意味らしい。――本来宗教というものは、どんどん分派していって、多様な形態・解釈に分かれていくのが普通ですが、カトリックはそれを極度に恐れる。だからカトリック(普遍)なわけです。だから宗教としては、最も(宗教の)普遍性から遠い、特異な宗派な訳です。――普遍性を維持するため、カトリックは多くの考えを寛容に妥協的に取り込もうとする。“三位一体”や“マリア信仰”も、そうした妥協の産物らしい。新大陸での地元宗教との混血を許容したのも、日本等東アジアで土着の文化におもねったのも、普遍性を維持するための方便です。ところが、そうした取り込みに失敗すると、途端に手の平を返したように、今度は分派した相手を抹殺しにかかる。いわゆる“異端狩り”です。歴史上他の宗派は、自分以外の宗派の存在に(カトリックに比べれば)比較的寛容でしたが、“普遍性”をモットーとするカトリックにはそれは許されなかった(現在は大分『普遍性』の看板を下ろして、不寛容なのはむしろ他の宗派、例えばイスラム教とかになってしまいましたが)。聖フランチェスコなんか、あと百年遅く生まれていたら、多分異端派の頭目として火焙りの刑にされていたことでしょう。

言葉は嘘をつく。作者が故意に書かずとも、言葉は嘘を吐き続ける。嘘に毒された読者は、錯乱し、とんでもない妄想に囚われる。――あまりにトンチンカンな返答をしてくる読者がいると、つい手取り足取り、いろいろ説明したり釈明したり、サービスしてやりたくなります。こちらの創作の意図に沿った解釈に何とか導いてやろうと。あたかも、異端審問のごとく。迷った子羊を、真っ当な信仰に立ち戻らせてやろうとするかのごとく。何せ、学校教育では、作者の創作意図に沿った解釈こそ“正しい”のであり、満点が取れるのですから。――それでもやはり、そうした努力もむなしく、読者は脱線しまくる。異端は、宿命として増殖し、文化の大樹を鮮やかな花々で満開にする。

だから、誤読の矯正など、余計なお世話である。それどころか、第一の読者の思い上がった誤読で作品の存在そのものを封殺してしまうのは、致命的な間違いであり大きな罪であるとさえいえる。――それでは作品が、あまりに痩せてしまって可哀想です。作者と作品と読者の“ズレ”が、新しいものを生む、マラルメ的“唯一の本”の“絶対”から見下ろした不動無謬のテクストではなく、そのズレを埋めるべくナメクジのように這いずり回り這い登ろうとするテクスト。多くの誤読を呑み込んで、その差異を成長の糧とするテクスト。やがて作品を取り巻く読書の膨らみは、作者のそれの小さな池から溢れ出し、無制限の意味を湛える見晴らすような湖となる。こんな膨らみ全体を、その作品の“読書圏”とでも呼びましょうか。“読書圏”に幸あれ! ですな。

とすれば、“読書圏の大きさ”ということを考えれば、大きな振り幅の誤読を生む作品ほど名作である、と言えるのかもしれませんね、逆説的に。(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』のラストでも、両者は以下のように語り合い、対話を閉めています。
「G・C――あなたの作品には常にいくつかの平面が見られますが、これは作品の成立を知る上で重要なことです。
J・L・B――いつまでも残ることを願う書物は、さまざまな読み方ができるものでなければならない。いずれにせよ、変化しうる読み方、変化していく読み方を可能にするものでなければなりません。それぞれの世代の人間が偉大な書物を違った風に読むものなのです。
G・C――聖書を例に持ち出すまでもないでしょう。
J・L・B――それは明らかです。
G・C――明らかであり確かな事実です。
J・L・B――その両方ですね。」(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』 P145-146))

さらにうがった見方をするならば、『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』は、ボルヘスの「これからフィクションを書いていくが、読者諸兄は、メナールが再創作したごとく、私のフィクションを読んで(再創作して)いってくれ!」という、“冒頭の挨拶”とも思えてくる(何しろ『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』は、黄金期の冒頭の作品ですから)。まあボルヘス本人は、多分気付いてないでしょうけれど。

ボルヘスの作品群もまた、多種多様な誤読を可能とする。それも、他の作家の文学作品達とは、全く別個の切り口、別個の思考の働き方、別個の思想の辿り方貫き方において、誤読されるよう仕組まれた(ボルヘスの意図に反して?)楽しいフィクション達なんですから。

 

(“読者”としての立場から)

 

以上作者の側から見た“読書空間”の話でしたが、今度は裏返して読者の側からそれを見てみたいと思います。何故なら我々は、作者であると同時に読者でもあり、作者の側から見た時の有象無象の読者の内の一人ではなく、一個人として自立する読者である訳ですから。

“読む”という行為、そうした人の欲求について考える時、よくその究極として、アウシュビッツ等絶滅収容所での出来事に思い至ります。そこでは極僅かな例外を除き、“読む”という行為を始めほぼ総ての人間的な行為が禁じられていた。看守に見付かれば読み物は即没収される。だから看守の目を盗んで持ち込まれた本は、小さく分冊され、一握りの紙束として隠し場所から隠し場所へと手渡しされ、廻し読みされたといいます。また、そうした本とも言えない本すら無い時は、あたかも『華氏451度』の生きた本のごとくある作品を暗記している人が、例えば『神曲』の一節を朗誦し、するとその周囲に黒山の人だかりが出来て聞き耳を立てた。生きた本の言葉を一言も聞き漏らすまいとするように、また看守との間に人垣を作り生きた本を隠すために。――人は肉体の糧のみにて生きるにあらず、魂もまた糧を必要としている、という訳です。

ところが、これが70年代のアメリカとなると、人は(ボルヘスの作品を除いて)現代の小説について話題にすらしなくなった。この落差は、一体何なんでしょう。魂は、手を伸ばせばいつでも届く範囲に本があると分かっていれば、安心し切って、それで満腹してしまうんでしょうか。それとも、周囲が人間的な日常で満たされていれば、もう文芸なんか必要としない、わざわざ本を読むのもわずらわしい、という訳なんでしょうか。

鍵はやはり、この『人間的な――』という所にあると思います。絶滅収容所では、そんなものカケラも見付からなかった。だから、極僅かでも一点の蜜があれば、人はそこに群がり集まった。ところが、社会が、生活が、蜜で満たされていれば、文芸の如き雑穀扱いのもの、遥か彼方の選択肢に追い遣られてしまう。余程のピンポイントの必要でもなければ、特に読みたいとも思わない。

私の日頃の習慣の一つに、“新聞の出版物広告欄を読む”というのがあります。朝日新聞の一ページから四ページまでの一番下段に印刷されている広告欄を切り取り、病院の待合室とか電車の席とかで、スマホを操作している人の隣でこれに赤ボールペンで『○』とか『×』とかを付けていく。『書評』欄を読むのと同じで、要は気になる本はないかとチェックしている訳です。――そして、大概は『×』が付き、『○』が付けられることは滅多に無い。

学術書にはそれなりに食指が動くのですが、文芸書は大概素通りされてしまう。別にプロの文士やっている訳じゃないから、義理で読む必要もないし。内容紹介を眺めただけで、もう読んだ気になって満腹してしまう。ああ、そういった話か、と想像がついてしまって、もうそれ以上読む気になれない。――“美食”に似ています。若い頃は、世界中の珍しい料理を食いまくった。だがこの年になると、料理の解説を見ただけで、過去の知識に照らして大体の味の想像がついてしまう。――文芸でも、同じことをやっている。だから、どれもこれもマンネリに見えて、あえて手に取ろうとは思わない(時間が惜しくて)(凡作(あくまで私にとっての)を察知する臭覚は、ほぼ100%の的中率です)。そしてたまに(広告の文章に騙されて)期待を抱いて手に取ると、――がっかりさせられて先頭付近に栞を挟んだまま本棚の奥へと押し込めることとなる(もっと悪いと、すぐ古本屋行きか“自炊”行き。何せ本棚の空きスペースが、何より貴重だから)。実作者と同様、読者の側の模索も、獣道の如き隘路だ。

だが、時たま、本当に時たま、この年になっても“読んで良かった”と思う文芸に出くわすことがある。例えば天童荒太さんの『悼む人』(2008年 文藝春秋)。死者に共感する主人公に共感出来る。そうやって共感出来る準備が、私に整っていたからでしょう。例えばロン・カリー・ジュニアの『神は死んだ』(2013年 白水社)。哀れで超常的な神と、共に歩きたくなる。例えば飛浩隆さんの諸作品。大学以降長いこと、私はSFを離れ世界文学で遊んでいた。だからいわゆる日本SFの『冬の時代』というものを知らない。その間ずっと海外遊学していたようなものですから。久し振りにSFに戻ってみると、春を通り越してもう初夏といった辺りか。そして私の知らない期間に世に出た日本のSF作家の中でも、飛さんは飛び抜けてズンズン私に迫ってきた。例えば国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』(1939年 岩波文庫)。40年前に買ってツンドクしといたものを最近読んだのだが、「不思議なる宇宙を驚きたい」という言葉の意味に私も打ちのめされた。例えば近本洋一さんの『愛の徴』(2013年 講談社)。長~い本ですが、久し振り一気読みした。――等々と、挙げれば幾人幾作品と挙がりますが、それでも全文芸作品から見れば微々たるものだ。大概は、“他人の興味も無い生活を覗き見る趣味などない”し(芥川賞)、“面白おかしさを追求したつもりがすぐ底が割れてマンネリの露頭があらわとなる”(直木賞)、ということになる。

つまるところ、こちらの“準備”が出来たものと合致する作品と出会った時、それを傑作と感じるのでしょう。名作とは、読書の準備が出来た者と、その準備に合致した作品とが出会った時、生じる“読書現象(体験)”であるようです。そして読書の準備とは、その人の人生で、基本的に“ランダムウォーク”で積み上がっていくものです(学校教育や流行とかで、半強制された時を除いて)。となればその人その人の準備状況は、人生がそうであるように、てんでばらばら。――ただし、これはある程度傾向として言えると思いますが、年を取れば取るほど、読書家であればあるほど、好みが辛くなる、名作との出会いが難しくなっていく。

まだこちらに準備の出来ていない作品は青くて堅くて食べられないし、マンネリのものは腐臭ふんぷんでとても食えたものではない(歳をとるほど、前者が急速に減少し、後者が急速に増殖していく)。そして丁度いい具合に熟れた果実(微妙な境目の状態)と出会う機会はどんどん少なくなっていく(丁度、70年代のアメリカのように。つまりは、生理的にボルヘスしか受け付けなくなっていく)。

フランスのSFで、こんな作品の話を聴いたことがあります。遠未来、人類の子孫が太古の本達を掘り当てる。すでに身体的機械的に超人となり森羅万象の英知を修めた彼等は何を読んでも感動しないが、ただ二十世紀のだらしない男の俗っぽい欲と苦悩にまみれた三文小説だけが、彼等の心を激しく打った。

この作品は、“読書空間”が、全世界に(三次元的に)広がっているばかりでなく、全時代を通じて(四次元的にも)広がっていることを、端的に示したものであるともいえます。カフカやボルヘスの作品、あるいはSF作品が数世紀前の人々に読まれれば、「何だこれは」のチンプンカンプンな変な話としか思われないでしょう。あるいは怪奇譚か風刺小説か、別の意図のものとして読まれるかも。未来人の読書については、このフランス小説が書き表した通りです。すなわち作者も作品も読者も、時間軸方向にも、間作者的間テクスト的間読者的に連なり、ネットワークを形成している(時代を遡っての間作者的関連について、ボルヘスが『異端審問』中の『カフカとその先駆者たち』でうまいことを言っています。すなわち、「おのおのの作家は自らの先駆者を創り出すのである。彼の作品は、未来を修正すると同じく、われわれの過去の観念をも修正するのだ。」(同P162)と)。

そして、『バートルビーと仲間たち』で取り上げたホーフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』は、16、7世紀の人間の話を19、20世紀の者が書いたわけですが、ある作品がその時代の限界を突破するには、丁度読書と同じ、熟れ頃、タイミングといったものがある。前述の通りカフカの作品を中世の人が読んでも、それはまだ青く、中世を突破する力にはならない、ただ奇異な理解不能な作品と貶されるだけで。すなわち、同時代の読書に“準備関係”があるように、間時代においても“準備関係”がある。文学のネットワークに、スペースワープもタイムワープもあり得ない、ということでしょう。

ひるがえって実作する側に戻ると、受け取り方の準備に対し、どう応じたらいいか(すなわち読者側からのフィードバックに、どう対処すべく想定したものか)。――佐藤友哉さんの『1000の小説とバックベアード』(2007年 新潮社)という作品に、『片説』(小説に対して、個人個人のための文芸)という主張があり、私の準備とピタリ符合し引き寄せ合いました。ただし、後半ダレましたが。――相手が顔の見える個人や仲間達なら、あるいは自分自身なら、この『片説』を書いているんだと開き直ればいい訳です。しかし、予測を超えた“誤読”の幅、不特定多数の読者を期待するなら、“間口が広くて”“オリジナリティーがある”という、本来反比例する二つの要求を高水準で満たすべく大志を抱かなければなりません。こうした作品が社会的には“名作”と呼ばれるもので、また商業出版社が出したがる本なわけです。しかし、“名作”は往々にして名作じゃない、金銭が絡めばどうしても“間口の広さ”の方にすり寄ってしまう。アマチュアの作家たるもの、第一の読者たる自分を基準に据えて推し量る姿勢は是非とも貫きたい(たとえ、お前の書いているものは『片説』だ、と陰口を叩かれても)。自分にとって丁度熟した果実だけを食べ続けたい(読書が創作であるように、創作もまた読書であるわけですから(第一番目の、そして最もその作品の読書を楽しめる立場の読者として))。売れると分かっていても、そして“社会的に必要”でも、児童文学とか(私は子供がいませんので)、(ルポライターはだしの)ドキュメンタリー文学とか、(売れ筋の)ミステリーとか時代小説とか、書こうとは思いません。――ただ、作者としては、熟れた作品と熟れ過ぎた作品は書けるが、まだ未熟な青いものは書きようがない。作者は自分以上の作品は書けませんから(そういう狙いで書いたつもりでも、それは既に熟れかかっている。また本当に作者にとって未熟な作品なら、それは“邪道”であり作品になっていない)。少々青くて堅い果実を無理してむさぼれるのは、読者の特権です。そしてその青臭さの香りゆえ、“誤読”の妄想を膨らまし得るのも(いくら作者が第一番目でそして最良の読者であるとはいっても、さすがに自分の考え書いたものを“誤読”は出来ませんからね)。

 

(“読書空間”中での、マラルメ的書物(世界)の占める位置)

 

ところで、マラルメ風“唯一の本”というのは、この“読書空間”の構図の中で考えた時、どういう存在なんでしょうか。

それは作者と読者の存在しない、唯一それとして独立して存在している本です(すなわちこの時点で、既に読書空間の構図が解体している)。それはヘーゲルの弁証法的に追及され上り詰められて到達された本です(従って、到達される前から(イデア的に?)既に存在していたとも言える)。――ですが、こんな本て、“読書空間”から切り離されて他者と関係を持たない本なんて、あり得るんでしょうか。

早い話が、『ドラエモン』です。――『ドラエモン』は永遠です。準備の整った幼児達がこの作品を楽しみ、そしてすぐに卒業して(マンネリとなって)この作品から離れていく。だがすぐまた、新しく準備の整った幼児達が、下の世代から次々読者の段階に這い上がって(ハイハイして登って)来る。だから、読者そのものは短期間で入れ替わるが、決して途絶えることはない、人類が滅びぬ限り。児童文学がいつの時代も望まれる所以です。――ですが、どうひいき目に見ても、『ドラエモン』が弁証法的に昇華され切った、究極の唯一の本とは思えない。――他方、『ドラエモン』始め児童文学が、絶対に望まれ続けることも真理。

つまり、前述の通り作品の価値は、“準備”の整った読者と、それに合致する作品が出会った時(読書した時)、生まれる。だから、本毎に、読まれるべき“限定された”読者がおり(最低でも、第一読者たる作者が)、読者毎に、読むべき“限定された”作品がある(もし一冊も無かったら、とてつもない悲劇だ。だから“文盲”の人は、文字を獲得することを激しく渇望する)。――そしてマラルメ風唯一の本とは、少なくとも万人向けの本ではない(幼児は絶対読めないでしょう)。それどころか、多分、誰にも読めない本だと思います(マラルメ本人にすら)。――マラルメの詩、弁証法の途上の、六合目辺りの詩を私が読んでも、チンプンカンプンで歯が立たない。だからブランショ辺りを足掛かりにして、理解を試みる。

ボルヘス好きの寺山修司の文中に、「書物というのは、あらかじめ在ったのではなく、読者の読む行為によって〈成らしめられる〉無名の形態であってもいいのではないのか?

至高の書物、無限の天地を封じこめた一冊の宇宙誌といった「書かれたもの」への絶対的特権は、私たち読者の行為を疎外することになる。」という一文があります(『ボルヘスの世界』 P116)。書を捨て町へ出たがったほどの寺山にとっては、文芸作品とは、“現に読書し行動する”もので、決して作品そのものとして崇めるようなものではなかった、ということでしょうか。(『ブストス=ドメックのクロニクル』の中に、『世界劇場』という小編があります。その中に、「この大胆不敵なる秘密結社は、その旗印として確か「街へ出よう!」なる号令を選んでいた」(同P90)「演劇なるものに最後の致命的なる打撃を与えた」(同P91)「ここに新しい演劇が誕生したのだ。全然覚悟のともなっていない、全く無知といってよい貴方自身が俳優となったのである。そして人生そのものが台本となったのだ。」(同)とある。つまり、街へ出て、市民生活そのものを演劇と化す集団の話です。『ブストス=ドメックのクロニクル』の出版されたのは1967年。当然寺山もその内容を知っていたと思いますが(補足すると、同じ67年に寺山の評論集『書を捨てよ、町へ出よう』が出版され、また同年劇団『天井桟敷』が結成されてその後“市街劇”やら“観客参加型劇”を散々やらかしました)、――さあて、街へ出たのは、ボルヘスが先か、寺山が先か。)

また同ページで寺山は、「もし、全世界が一冊の書物か、一つの図書館であるなら、その中ではページはわれわれの足でめくらねばならないし、一行ずつは巡礼の歩みのごとく読まれねばならない。」というパラケルススの言葉を引用していますが、これはつまり全世界を一冊の本とする見方でしょう。すなわち作者を神とし、作品を世界とする(『トーラー(モーセ五書)』や『コーラン』を唯一の聖典と見做す思想は古くからあります(『コーラン』は、アラビア語で書かれた原文のみが『コーラン』で、他言語に翻訳されたそれはあくまで『コーランの翻訳』であって、『コーラン』そのものではない。そこが、翻訳されたものも『聖書』とするキリスト教と違う)。ボルヘスの『異端審問』中の『書物崇拝について』にも書かれてあり、私も拙作『続・不死の人』で利用しましたが、カバラ書『セフェル・イェツィラー(創造の書)』に至り、聖典と世界とは同一のものと見做されるようになりました。世界はまさに一冊の書物という訳です。(VRの世界と現実世界は結局同じものであり、VRはコードで成り立っているんですから、当然といえば当然ですね。)それも、中世神学的なアナロジーで言うなら、ヘーゲルの弁証法的に下から積み上げていくマラルメ風唯一の本とは真逆に、神が創って上から人間に与える被造物です(つまり人間の妄想ではなく、神によりその存在が裏打ちされている。もっともその神の存在そのものが、人間の妄想なんでしょうが)。人はその中で読者として、一文字一文字一行一行を読書しながら、生きていく)。

神が一人で世界が一つでも、人は万人万様にその中で生きることになる。世界は唯一で全体であるが、その内部は錯綜し各要素が影響し合い躍動し続けている。ただ一人の作者(神)がいて、唯一の本(世界)があって、これもただ一人の絶対的読者がいる、という“読書空間”ではない。書物の全てを一望できるのは神(第一の読者)のみです(絶対の読者になるには、『アレフ』(神の目)を持つしかないでしょう)。神にあらざる身の人間は、その中の断片断片しか見ることが出来ず、それらと向かい合っていく(各人各様に生きる)しかない。神や唯一の本の存否はともかく、読者たる人だけは複数おり、各人それぞれの準備の整った部分(人生で出会った生き方)のみを読んでいく。――こうして人は世界の襞を見ることでしか神とコンタクトが取れず、神は死んだとか生きているとか勝手に言い合っている。神は全能の創造者と想定されていたが、こうして襞から覗く神は本当は人間の個々人とあまり変わらないのかも知れない。

としたらマラルメの志向した本も、万歩譲って(イデア的に)ただ一冊独立して屹然として実在したとしても、それが丸ごと(全体として)読まれることはない(不可能)。読まれるのは、その細部、断片断片、あるいはそこから解釈され読み下された一文、それも読者の側の読む準備の整った箇所の拾い読み、という事になりましょう。(唯一の書物であろうと、)万人が読めば、万の読書があり、万の価値が生じる(唯一の絶対的価値ではない)。――マラルメの意図に反して(?)、作者からも読者からも自由な書物とは、永遠に読まれず、価値を持たず、存在しないに等しい書物でしょう。身も蓋もなく言ってしまえば、夢想の中だけにある霧のイデア。――目を覚ましてとことん現実に立ち返るなら、言葉とは、所詮人間精神というフォーマットに与えられた文化的意味を伝える従属物に過ぎない。だからこそ、フロイト流の言葉を超えた精神の掘り下げには価値がある。詩の言葉とは、マラルメがいくら音楽性だ隠喩のネットワークだと頑張ってみても、所詮言葉からフロイト流への反響音に過ぎません。ましてや文字など、インターネット(50年)、印刷技術(500年)と同じ、たかだか最近(5000年)の人類の発明品の一つに過ぎないのです。

 

(猫にはない、第三の目)

 

(前にテレビで見たのですが、猫の前に猫そっくりの置物を置いた時の、猫の反応が面白かった。猫は最初置物を本物の猫と思い、激しく攻撃する、自分のテリトリーに侵入して来た得体の知れないライバルとして。ところがしばらく攻撃してそれが本物じゃないと分かると、途端に無視して素通りする、そこらの石や木と同じように。――猫には、“本物の猫”と“そうじゃないもの”の二つはあるが、“猫に似た何か”というのがないのです。

ところが人間には、それがある。置物(彫刻)としての猫、絵の猫、言葉として発音される“ネコ”、文字としての(絵文字のような記号としての)“猫”、一時的に誰かがアドリブとして指し示した猫の代用物の何か(コンピューターのポインターや脳のワーキング・メモリーが一時的にストックするものも、これでしょうか?)等々々(ソシュール風に言うと、これらはシニフィアンで、本物はシニフィエかレフェラン、という事になりましょうか。)(以前ボノボに絵文字を教えて人間と会話させるテレビ番組を見たことがあります。とするとこの能力、あながち人間の独占物という訳でもないらしい)。

この第三のもの(ものの代用物。ものを指し示すもの)、これを縦横に操作することで、人間精神は成り立っている。すなわち人間精神のフォーマットの根幹を成す部品だ。逆にあまりにそれを縦横に使い倒したものだから、人間精神はそれにがんじがらめに囚われることとなった(それがさらに外部に漏れ出ると、多数の人間達の“代用物”が地球規模で錯綜し絡まり合い、シッチャカメッチャカなことになる。それが、“人類文化”というものでしょう)。それをマッサージし揉みほぐし、“現物”により近い根っこのイメージとの流通を円滑にしようというのが、フロイト流精神療法のキモでしょうか。

ところで代用物は、もちろん物理的現物の代用物に限る必要はない。数字や人の感情、抽象的なものや包括的なもの、もちろん空想上のものや思想上理念上の概念でも、それどころか代用物の代用物(のそのまた代用物)(ここで、メタファーの網が、執拗に絡まり合う)でもいい、許される。そしてこれらをゴッチャにして考えると、本来違う類の代用物だったものを、例えば言葉という同一平面上の等しく扱える存在だとして勝手気ままにいじると、妙ちくりんな論理的パラドックスが随所から噴き出すこととなる。考える葦の上にチョコンと乗った小さな脳(情報処理装置)が妙な切り取り方で宇宙を写すと、こうした(現実世界ではない)“言葉の”パラドックスが横行する。幸いにもいまだ人間のフォーマットを埋め込まれていないAIは、人間の引く補助線(空間中に散布されたICタグとかプログラム上の恣意的アルゴリズムとか)無しには、物どころか、概念どころか、時空間すら把握出来ず、ついにはスタートすら切れない。沈黙し続けるしかない。語り得ぬものについては、沈黙せねばならないのですから。

この代用物(大まかに言って、一番ポピュラーなのはもちろん“言葉”でしょう)を複数綴って(統語法文法的に)、人は言語意味的に生きるための文章を作る。それは自分や社会の意味付けのベースを円滑に均すための一種のOS(オペレーティング・システム)で、これこそが『物語』というものでしょう。一連の“物語化”で、社会生活や生きることそのものを、理解し易く、扱い易く、伝達し易いものとする。例えば私が病気になり医者にかかる時には、その前に自分の症状について時系列的に物語を作っておく。そうすれば、医者との間の意味の交換がスムーズになるから。つまり、医者と私と、両者の間に物語という共通のOSがあって、それが意味の伝達を円滑にしている。(言葉のレベルの話ですが、怪しげな未知のものが、名前を付けられた途端怖くなくなり安心してしまうという、あの話に一脈通じるものがありますね。)人のフロイト的ドロドロイメージと、社会的文化との間には、この“物語”というOSが縦横に掛け渡され働いていて、いかにも人間ぽい(良い意味でも悪い意味でも)生き方を支えているのでしょう。)

 

(実作者の決意・前振り)

 

ひと頃のマラルメは、この唯一の書物を、有限の数巻の書物として実現出来ると本気で考えていたようですが、それはあまりに絵空事の論外としても、ただ霧の如きイデアとして、例えばボルヘスの“砂の本”のようなものとしてそれを捉えるなら、(少なくとも空想上は)それがあっても一応支障はない。さらに、この思い付きを拡張して、あらゆる可能性の本を包含した“バベルの図書館”にまで(インフレーション理論的に)それを急拡張の増築工事させるとしたら、――現実感は薄れるが、その分理論上の可能性は100%の域に達する。――唯一の書物、唯一の図書館は、意味のエッセンス(最小要約文)としてではなく、究極の全体集合(世界そのもの)としてあることになります。

そして、マラルメ風唯一の本でも、砂の本でも、バベルの図書館でも同じですが、こうしたもの(世界そのもの)を前にした時我々は、唯一の本の妄想の前で立ち尽くすか、砂の本を手にしたボルヘスのごとく錯乱するか(『砂の本』のラストは、まるでインディー・ジョーンズの『失われたアーク』のラストそっくりですよね)、バベルの図書館の司書達のように無意味な放浪と思索を永遠に続けるか、――いずれにせよ、実作者としては、既に存在するテクストを再創造することの無意味、無価値に、とことん打ちのめされる(これから創作しようとしている作品(テクスト)が、既に確実に、バベルの図書館のどこかの棚に静かに収まっているか、あるいは砂の本のいずれかのページに抜かりなく綴られているか、する訳ですから)。ボルヘス自身、創作とは、「それまでに読んだものの忘却と記憶とがひとつにまざり合ったものでしかない。」(『ボルヘス、オラル』 1987年 水声社 P31)と認めている。これは、拡大解釈すれば、全ての創作は唯一の本からの無意識の内の“剽窃”、という意味とも取れる(古代ギリシャの想起説的に見れば)。だとすれば、こうした宿命的強迫観念を前にした時、我々は(実作者は)、どうしたらいいのか。――ありゃ、そういえばそれって、既にあるものを再創造するって、あのメナールがやっていたこと(それも故意に)と、同じ営為じゃないか?

 

(『バベルの図書館』ムダ話)

 

ここで、少し脱線。余談。

唯一の本、究極の本を打破するには、それについて言及した本(対角線法的に)を書けばいいという指摘(バースの)は、すでに書いた通りですが、そうやって言及し続けていくと、本はどんどん長くなってしまう、理論上無限に。そこまで長くなくとも、『失われた時を求めて』とか『大菩薩峠』とか、やたらと長い本は幾らでもある。一方バベルの図書館の本は、一冊一冊は有限です。80文字×40行×410ページとあるから、(元はアルファベットですが日本の文字として)400字詰めで3280枚(アルファベット2文字で日本の1文字とすると、1640枚)。今手元にある『プルースト全集 10 失われた時を求めて 第七篇 見出された時 筑摩書房 1989』というかなり分厚く大きな本を同じ方法で計算してみますと、1315枚となりますから、これよりさらに大きな本、となりましょうか。それでも、有限ではあるし、第一『失われた時を求めて』が一冊では収まり切らない(勿論、活字の大きさの問題はあります。筑摩の本は49文字×20行×537ページですが、今流行の老人向けでしょうか、活字は大きく行間も広め)。

数冊の特定の本を順番に並べて読めば、この問題は一応解決します。あらゆる順列文字の本が図書館内にはあるのですから、同一の本を重複させることをいとわなければどんな本でも(無限の長さのものでも)選択・作成は可能だ。

ですが、となれば(同一の本を無限に反復させることが許されるならば)、何も現在測定可能な宇宙の10のおおよそ61万乗倍の大きさの図書館(前エッセーで書きましたが)なんて、いらないことになる。もしアルファベット26文字(スペースや各種記号も含めて)で綴りたいなら、正26面体のサイコロがあればいい(無論そんなものありはしないが)。文字数が5千個の文字体系なら、正5千面体のサイコロを使う(多分そんなものもありはしないが)(それとも、三次元以外ならあるのかな?)。それらを、ただ無限回振り続ければ事足りる。サイコロ一個で、全ての本が作り出せる。

神の書跡(『セフェル・イェツィラー』の)も、然り。神の図書館のそれは、一冊一冊が一つの世界に対応し、結果神の図書館の全蔵書は、“全可能世界”を形作っている(その内の一冊が『トーラー』(『モーセ五書』)であり、我々の世界はそれに対応しているとされる)(以上は、拙作『続・不死の人』で使わせていただいたネタ)。神は、それらを前に、忙しく書き換え、書き加え、日々世界を作り手を加えていく、とされています。これすなわち、神の内的な天地創造の比喩なんでしょうが、これとて書物は要らない。ただサイコロさえあれば。後はただ神がそれを無限に振り続けるだけで。(実は神は、サイコロを振るのが大好きだった。)

ところで先程10のおおよそ61万乗倍と書きましたが、入沢康夫さんの計算によると、図書館の大きさは現宇宙の10のおおよそ183万4千乗倍になるそうです(『ボルヘスの世界』中『ボルヘスむだばなし』 P124)。世の中には、同じようなことをやっている暇人がいるものだ。私の計算は、もう何十年も前の若い頃やったものなので、どういう想定でやったものか忘れてしまいましたが、こういうものは前提を変えると大きく結果が変わってくる。といって、宇宙の10のおおよそ61万乗倍とおおよそ183万4千乗倍、大して違いはない、(これも前エッセーにて書きましたが)私が当初考えていた「恒星間空間ぐらいで収まるだろう」という予想や、プランク定数がたかだか10のマイナス34乗倍しかない事に較べたら。

プランク定数って、つまりは量子の最小単位って、“これ以上小さいものはない”という単位ですよ。――温度に下限(絶対零度)があるように、大きさにも下限がある。それもたかだか、10のマイナス34乗倍!(量子カオス系ではより小さいスケールの構造があるとか、そうした異説も色々あるようですが、ここでは“最小”ということで話を進めます。)――ということは、空間はアトム状であり(ゼノンのパラドックスのごとく無限に分割出来るものではなく)、デジタルとしてカウントされる。

勘違いしちゃいけませんよ。そもそも空間というスペースに、空間というアトムが詰まっているんじゃありません(その勘違いから逃れられないとしたら、カントの言うアプリオリな空間把握に毒されています)。空間そのものがアトムなんです。ですから、我々が直感するようなアナログ式の空間はないんです。アトム状の何かのデジタル式の(ネットワーク状の)関わりを、我々は空間の広がりと錯覚しているだけなんです。方向とか次元とか長さとかも、その最小単位の何か(私は便宜上プランク・ホールと呼んでいますが)の相互の関わり方とデジタル的繰り返し数によって決まる。さらに時間も、プランク・ホール同士の振る舞い(私は仮に対生成対消滅を想定していますが。そして対称性の破れにより、消滅し残りがわずかに勝る)による“因果律”の結果であり、従って時間も空間もガリレオ的慣性系間で歪む(プランク・ホール間の機序数と我々が認知するマクロな物理現象を支える時間経過とが比例関係にあるという保証は全くありませんから)。

ということは、時空間とは、その中で住まい、そのルールにのっとり生きている我々の、“便宜上の錯覚”、ということになります。カントといえばアプリオリな時空感覚ですが、人間にとって幾らアプリオリでもさらに掘り下げることが要求される(それを言ったら、時空間に歪みがなかったり、大地より天の動いている事の方が、アプリオリでしょうから)。柄谷行人さんの一文に「十八世紀の知(リンネ・カント)は、まだ奥行の遠近法に属しており、彼らはいわば「成層」としての歴史を知らない。ルソーにしても、「かつて存在したこともなくこれからも存在することはない」ような「自然状態」という仮説にもとづいている。十九世紀において生じたのは、いわば水平的な奥行の遠近法からの、垂直的な深さの遠近法への変容である。「歴史」が歴史学的にとらえられるようになるのは、そのような配置によってである。」(『日本近代文学の起源』 P182)とあります。カントが18世紀でダーウィンが19世紀、カントは進化論の登場する百年前の人でした。またカントから百年近く遡った17世紀末には『新旧論争』というのがあったそうです。古代人と近代人とでいずれが優れているか、真剣に論争したらしいんです(『フランス文学史』 P94)。まだそんな時代だった。カントはその両者に挟まれた、丁度中間の時代の人でした。

そしてこの問題は、ボルヘスにもとばっちりが及ぶ。ボルヘスの好む発想に、無限の時間・空間の前提に立つならば、同一人、同一物、同一事象が、空間のあちこちにあり、時間上何度でも繰り返される(永劫回帰)という観念があります。『砂の本』中の次の一文は、それを端的に表している。「「もし空間が無限であるなら、われわれは、空間のいかなる地点にも存在する。もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する。」」(『砂の本』 P155)。だが時空間が人間の錯覚であり、プランクホールの単なる付随物であるとするなら、時空間は有限となり、ボルヘスの大好きな観念は単なる世迷い事として否定されてしまう(現代物理学も、否定する方を支持しているでしょう)。――ただし、より大きな、遥かに大きな救いもある。もしボルヘスが、現代に生き、現代の物理学を吸収するなら(それが、前エッセーのテーマでした)、――そして現代で小説を書き続けているならば。――彼は、無限の時間、空間に取って代わって、可能世界、多世界解釈、といったモチーフを使えた筈です(現に彼は『八岐の園』(1941年)『もうひとつの死』(1948年)といった作品で、こうしたテーマの先駆となる作品をものしている)。――たとえボルヘスとはいえ、そしてカントとはいえ、同時代の精神から逃れられないのは、この世に生きる者の宿命ではありますが。

 

(実作者の決意)

 

閑話休題。

話を戻して、一つ飛んで前のブロックで書いた通り、我々は(実作者は)、唯一の本や砂の本を前にし、バベルの図書館であらゆる可能性の本達に囲まれながら、その上さらに、何をすればいいのか。――そこで、あえて寸分たがわぬテクストを、シラッと自分の署名を附して世に出したメナールの蛮勇が、俄然脚光を浴びてくる。

ビオイの報告に、以下のようにあります。「かたや出版され、かたや未完に終わったこれら二つの作品は、同じ年のほぼ同じ時期に構想が練られた。私の記憶が正しければ、先の一覧を書き記した同じ日の午後に、ボルヘスは「ピエール・メナール」の構想を私たちに打ち明けてくれたのである。」(『メモリアス』 P86)――ここ(生死の境から奇跡的に舞い戻った直後の時点)におけるボルヘスの選択、極めて意味深です。何故なら、ここで選択された作品こそ、この後10年続くボルヘス黄金期(世界文学の軌道を大きく変えてしまった)の、第一作目なんですから。いわばこの作品で、今後の創作姿勢を宣言した、ともとれる。

ボルヘスは、例の『文学忌避リスト』を取り込んだ書けない作家の話を封印し、文学史上不朽の名作を一字一句たがわず再創造した作家の話の方を世に送り出した。『文学忌避リスト』で金縛りにあうバートルビー作家ではなく、実に険しく厳しい道無き道を踏破してでも、文学的価値を創造するぞと、立場表明したのでしょう。その彼の決意が、その後の10年間の黄金期という奇跡を、文学史上に誕生させたのです(ところでこの二つの物語、どちらも主人公がフランス人であることにお気付きでしょうか。シャルボニエ(この人もフランス人)との対話の中でボルヘスはこんなことを語っています。「この物語(『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』)の主人公はフランス人であることが必要だと考えました。というのは、それはフランス文化のようなもののなかでのみ真実性を持つ物語だったからです。」(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』 P121)。つまりフランスこそ文学的冒険の起こる地(許される土地)という認識が、ボルヘスにはあったわけですね。――これはちょっと面白い事実です。ボルヘスは概してフランス小説や実験的小説(他人の書く、お世辞にも面白いとは言えない)に冷たい。なのにここで、自ら実験的小説を書こうとし、かつまたそれの名産地がフランスであると認めている。このボルヘスの、文学的好みと創作方針との乖離は、分裂は、何を意味するんでしょう?――まあ、結果だけ先取りして言ってしまえば、ボルヘスの作品は前衛的実験的“なのに”すこぶる面白い。つまり乖離どころか、合体している。となるんですが、詳しくはこれまた後ほど詳述します。)。

限定された作者・作品と限定された読者の出会いこそ、文学的価値を生む。それも、時として奇跡的な価値を。(限定されない作者・作品と限定されない読者との出会いなど、神の領域だ。)『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』の中で、ボルヘスも次のように語っている。「一種の悪夢を表わしている短篇、「バベルの図書館」にはさまざまなジョークが含まれていると思います。それは恐らく、少々秘密めいたジョークでしょう。多分、わたしと友人たちだけが理解しうるジョークだと思います。」(同P24)「当時の作家は著書を売ることなど夢想もしませんでした。あらゆる本に些か秘密めいたところがありました。これは恐らく、文学にとってよいことだったようです。大衆に文学を鬻(ひさ)ぐことや、ベストセラーなどというものは後になって始まったことです。わたしの時代には身を売ることなどできなかった。つまりそれに対して金を払ってくれる者はいなかったのです。しかし、そのほうが良かった。書くのは小さなサークルのため、少数の友人のため、自分自身のためでした。文学にとっては、そのほうが良かったように思います。」(同P115)極少数の目明きの先にこそ普遍性への道は開かれている。極少数(一万人中に数人)としても、世界全体でなら百万人以上はいる事になる(百万人から振り向かれる)。(だからあるいは、ボルヘスが名声を得てからもこの創作スタイル(極顔見知りの数十人のために書く。図書館の地下室あたりにこもって、仕事の合間を盗み盗み書いたならば、なお良い)を貫いていたら、晩年に至るもその創造の泉は枯れなかったかもしれない。)

もし砂の本の中にすべてのテクストがありバベルの図書館にすべての本が揃っているというなら、我々は(実作者は)、砂の本からその一ページを切り取ってくればよい、バベルの図書館の棚からその一冊を抜き取ってくればよい、メナールのように。そしてそれを、それに見合うと作者が想定する読者と妻合わせれば、そこに文学的価値は生まれる。――だからこそ我々は、砂の本や図書館の探索を止め、“創作”する。効率の問題です。砂の本やバベルの図書館の中で、該当するテクストを見つけ出すより、自分で新たに書いてしまった方が、遥かに手っ取り早いだろうから。――かくしなければ、もはや文学的出会いというものは、成立しない。蛮勇を奮って、一ページを切り出し、一冊を抜き取り、あるいは再創造して、読者に提示する者がいなければ。(思えば“翻訳”という行為も、この“再創造”に似ていますな。砂の本やバベルの図書館は、もし存在するとしても、存在しているだけでは何の意味もない。同様に外国語の名著も、それが存在するからもうそれだけで充分、とはならない。日本語に翻訳されて(再創造されて)、日本人に示されて初めて意味を持つ(日本人という限定された読者にとって)。あらゆる創作が(砂の本やバベルの図書館からの)翻訳であるというなら、作者達は気軽に(文学の不可能性など気にせずに)翻訳しまくればいい。)

この時、創作する時、限定された部分を切り出すためには、それを読むべき限定された読者をその前段として想定する必要がある。読者にとって、作者・作品がワンセットであるように、作者にとっても、作品・読者はワンセットですから。

即読んでくれるだろう顔の知れた仲間がいれば手っ取り早いが、なにも“具体的な誰か”である必要はない。“こんな志向性を持った読者が読んでくれたらいいな”、ぐらいでいい。多分、すでに書いた通り、想定される読者はどうしても第一の読者のクローンっぽくなってしまうんでしょうが。(この時プロの作家だと、どこぞの出版社の編集者との共同作業ということになり、想定の読者にも編集者の目を通したバイアスが掛かってしまうんでしょうね。)

ボルヘスの場合、何しろ世間の人はボルヘスなんて誰も知らないし、そんな人の本買わないし、見向きすらしないから、スル誌の仲間を相手にするしかなかった。これが、幸いした。

全くの偶然、神の采配ともいうべきものですが、スル誌に集まる者達は、アルゼンチンという人類文化中の特殊な立ち位置の国の(この点についても後程詳述します)、最先端の文化エリート達だった。ただしあくまで、極少数のこじんまりとした集まりですが。――この、ボルヘスの才能と、それを受け止めるスル誌の仲間の取り合わせがあったればこそ、この奇跡のような“文学革命”は起こった。仲間落ちの、仲間受けする、趣味や、ネタや、趣向や、そうした身近な少数者を驚かすために書かれたものが、実は世界に通用する普遍性を持っていた。それも世界を魅了する(今も魅了し続ける)“本物の力”を(何しろ地球の反対側に住む私が、今も魅了され続けているんですから)。いやむしろ、そうした極めて特異な創作姿勢、極少数の気心知れたエリートにしか理解されないと腹をくくって、取捨選択しマイナー趣味なものを書く、だったればこそ、ウロボロスがおのが尻尾を咥えるように正反対の場所で通じて、高度な普遍性を備えた、世界が唸る作品となったのでしょう。――そういえば『文学忌避リスト』を書いた架空の作家も、「洗練された趣味の持ち主である文芸愛好家たちのあいだに限られた名声」(『メモリアス』 P81)の持ち主でした。ボルヘスと同じだ。ただし、彼は書かずに終わり、ボルヘスは書き始めた訳ですが。

本来他の人(同人とか)の顔色を伺って書くというのは、井の中の蛙の創作姿勢であり、あまり良い意味のものではありません。すぐタコツボにはまる(一応“破滅派”も念頭において書いています)。だがスル誌のような、奇跡的なウロボロス的反転に繋がることもある。カエルかタコかヘビか、他山の石とすべきところでしょう。――ボルヘス文学の最大の魅力の一つに、“文学の不可能性を逆手に取る(バロック的パロディーとして)”という奴がありますが、スル誌の読者相手だからこそ、それも実現出来たのでしょう。後の名声期には、逆手に取る技はほとんど封印されてしまった。なるたけ(古今東西に通じるような)普遍的な(実はこれが、錯覚なのですが)フィクションを書き、そして失敗した。

 

“創作”という営為は、読書のそれを遥かに超える、強烈な“快楽”を我々にもたらす。実作者はその誘惑に抗し得ない。読者論の側面だけから考えても、創作という過程は、作者に自作(まだ書かれてもいない)を、深く読み込ませ、何度も読み直させ、読書の快楽を存分に味わい尽くさせる。――結果、作者は舞い上がってしまい、自作がいとおしくて仕方なくなる。とてつもない名作だと信じることになる(事実、作者の経験した読書体験において、それは紛れもなく名作としての価値を生んだのです)。――しかし、まああくまで、夫婦の欲目。小説(100%一般読者のために書かれた娯楽小説を除く)とはその誕生段階において、ことごとく『片説』なのですから。

人の書いたものは読まないが、自分では書きたい。今の日本によく見られる現象です。ボルヘスも、『ハーバート・クエインの作品の検討』の中で、こんなことを言っています(『伝奇集』 P100)。「読者はすでに絶滅した種である、(中略)潜在的に、あるいは現実に、作家でない者はいない。(中略)文学が提供することのできるさまざまな楽しみのなかで、もっとも大きなものは創作である、(中略)すべての人間がその楽しみをえられるものではないから、多くの者はまがいもので満足しなければならないだろう。」この話の舞台は、1940年頃の欧米です。最大の快楽の元は“創作”であり、自ら創作し得ない者は、“仕方なく”他人の書いたもので満足する。この話の中では、その「まがいもの」としてクエインは、前に書いた通りの筋分岐型の物語を提供している。そして「読者は虚栄心にまどわされて、それらを自分の創作だと信じてしまう。」(同P101)と言っている。これって、1941年に書かれた小説ですが、まるっきり今の筋分岐型のコンピューターゲーム(小説)を予言しています。(ただし、ボルヘスの仕掛けはもっと凝っていて、話が逆行して、つまり原因の方に遡って筋が分岐するわけですが。)コンピューターゲームって、妙な臨場感がありますよね。私も初めてやった時、物語(人生)を自分の自由意志で決めているような錯覚に陥りました。考えても御覧なさい。我々が小説を読む時、その一人称の主人公は“作者”です。ところがコンピューターゲームでは、その一人称主人公は“プレーヤー”なのです。――他方、他人の作品の(『片説』振りの)価値など、ピンとこない。読みのプロでもない一般読者が、そんな他人の片説振りに共感してやる義理などない(たまに天童さんや国木田さんのように、その片説振りとピタリピントの合うこともある訳ですが)。誰か権威者に押し付けられて、無理して努力して共感を持つなど、マッピラだ。それじゃあまるで、社会を通しての洗脳じゃあないか。(再び書きますが、各人の読書準備とは、あくまでランダムウォークなのですから。)

ですが最低条件としても、第一の読者たる作者と作品との出会いは、幸福であって欲しいものです。セレンディピティとでも言うんでしょうか、その頭に浮かんだ作品の“片説”振りがピンときたればこそ、その出会い(読書)に価値を見出したればこそ、作者はそれを書こうと思い立つのでしょう(創作はものすごく労力と時間がかかり苦行の如き苦痛だが、それを遥かに上回る快楽を伴うから)。自らお気に召さない、満ち足りない小説など、書かないことだ。

 

いまだ人間のフォーマットを組み込まれていないAIが通り一遍のアルゴリズムに従って書く“小説”は、第一の読者を持たない。いきなり第二の読者から始まる。第二の読者以降が、作品との間に文学的価値を結ぶ。まあアルゴリズムの性能いかんではバベルの図書館にランダムに並んだ書物よりは文学的出会いの確率は高いでしょうが、しかし読者から見た作品は、作者・作品のセットではなく、作品単体となる。同一の作品(テクスト)でも、その先にセルバンテスもメナールもいない作者無しの作品(“作品”と呼ぶよりは、純粋に“テクスト”と呼びたいもの)、何とも文学的深みに欠け味気無いようにも思えるが、しかしこういう作者のいない、作者から自由な作品というのも、有りかもしれない。こうした作品=読者のみの構図の読書空間も。――それはつまり、読者もまた、作者(の思惑)から自由になり、その分読者の自由度が増すからです。深みは減るが、広がりは増す。作者のことを気にしなくてもいいから、読書の妄想を自由に膨らますことが出来る。――こういう読書も、アリかも。

(テレビを見ていたら、落語の話をしていました。古典落語と新作落語の比較がテーマでした。その違いの一つに、古典落語の作者は不詳だが、新作は作者がはっきりしている、という点が挙げられていました。話者は、新作をやる時、その原作者(多くは先輩の落語家)が存命中なら勿論その使用を断らなければならないが、それ以上に新作には最初の話者(大抵作者)のイメージが拭い難く付き纏う。それに対して古典には作者の影がないから、気楽に話せる。作者の存在を考える必要がなく、自由に作品のみに向き合える。といった現役若手落語家達の報告でした。――なるほど、話者にとっても、聞き手にとっても、作者・作品込みのものなのか、作品単独のものなのか、その差は思った以上に大きい。AI小説だろうが落語だろうがその他の何かだろうが、作品とその受け取り手は絶えずいる訳ですが、作者の存否、そしてその作者が誰であるかは、ケースバイケースだ(セルバンテスかメナールか、ホメロスは本当にいたのか、いたとしたら盲目だったのか、etc.)。読書空間における作者という存在、読者側から見て実に重いですね。(だから、読者が作者から自由になりたいと強く願っても、少しも不思議じゃあない。)(それともう一つ、落語や音楽演奏とかには、聞き手から見て、作品・話者や、作品・演奏者(指揮者)といった別のセットも、重要なファクターになってきますよね。))(また、フーコーも、「作者によるフィクションの拘束」(『「赤」の誘惑』 P278)を問題視していたようです(いわゆる“誤読”大歓迎)。バルトとかも作者を殺しているし、マラルメに至っては作者も読者もその存在を抹殺している。作者を消したり、読者を消したり、(作品ばかりは、さすがに消せないようですが、)いろいろな読み方、主張があるものです。)

 

まあAIが読むに足る文学作品を作り出すようになるのは、(俳句や短歌(読者の側が勝手に詩情豊かに読んでくれる)、単発アイデア勝負のショートショートならともかく)まだ数十年、数百年先のことになるでしょうから、今はまだ実作者と“片説”的アイデアとの最初のセレンディピティ的出会いをもって、文学作品の一生は始まる、としていいでしょう。作者は何度も自作を読み込み読み直し鍛え上げていくが、この時(日記を書いているつもりでないのなら)その作品を読むであろう第二番目以降の読者の読み方も、作品と込みで想定することとなる(嫌でも。無意識にでも)。こうした立場に立たされ迷った時、肝に銘じたいのが、ボルヘスの身の上に起こったことです。――ボルヘスには、スル誌の仲間とスル誌の読者がいた。彼等に読んでもらうために、ボルヘスは書いた。だからこそ、書けた、バートルビーの作家ではなく、メナールのように。我々も、ボルヘスにおけるスル誌の仲間のような読者を想定して、作品を書きたい。彼等に読ませたい。彼等に読ませるためなら、あらゆる文学の不可能性を乗り越えて、書くことが、書き上げることが、書き続けることが、出来る。――対して、功成り名遂げたボルヘスの身に起こった事態は、いかがなものか。既に世界にその名が轟き、彼の作品の読者はスル誌の仲間とその購読者に限定されなくなった。彼は、全世界の読者に(地球の反対側の日本の読者にまで)、彼等向けの作品を書かねばならなくなった。彼はまず、書けなくなった、十数年に渡り。そして最晩年、タガが外れたのか、再度一気に豊穣に書き出した。しかしそれら作品は、真昼の陽光の黄金色ではなく、夕暮れ時の薄闇を帯びたオレンジ色だった。まあ、最晩年のボルヘスに四十代の脂の乗り切った当時と同価値の作品を書けと迫っても、それは酷というものでしょうが。――ここで反面教師ボルヘスから肝に刻みたい教訓は、得体の知れない有象無象の目など気にするな、彼等の読書など相手にするな、ということです。少なくとも創作の段階では、彼等の存在など想定しない。単純に読者数だけを増やそうとしたり、特定の誰かにおもねったり、そんな出会いの価値を貶めるようなことは……。――一方、想定読者を絞り込まねば、的を大きく外した凡作しか書けないことも事実。そも、書き始めることすら出来ない。

そして、エイヤッと書いてしまって公開してしまったら、……あとは野となれ……です。――読者に向かって作品を放り投げること、これは一種の“投機”でしょう。

投機の結果は、その語句の意味する通り、予測がつかない。まあ大概は、“なしのつぶて”でしょうか。あるいは反応があったとして、酷評か、褒め殺しか、大方は両極間の当たり障りのない世辞。広範な読者との多様な出会いの中には、悪意ある負のノイズも含まれていることでしょうが、こうしたものはなるたけフィルターに掛けて削除してしまいたい。しかし一方メンター的指導には(疑いつつ、かつ耳を痛くしつつも)耳を傾けたいもの。有用なのは、作者と似通った嗜好で、しかしもろもろの差異を持った人々からのそれ、となりましょうか。それらこそ、作者とその作品にとり、そして次回作にとり、最も肥えた土壌となり得る。そしてこういう人達の中に、出会いたかったメンター(レビュアーか、同人仲間か、編集者か、等)がいるかもしれない。

さらには、無定形な読者の範囲が拡散すれば、いよいよ“誤読”が展開される。“最高の作品解釈”は、しばしば、他の誤読者により、あるいはマスたる読者達の議論により、形作られる。優れた作品ほど、作者の意図を離れて勝手に成長していくものです。だが逆に、誤読の中から、あるいはマスたる読者達の議論(特にネット)の中から、“炎上の火種”が投げ込まれるなんていう事態があるかもしれません。そうなったら、モグラ叩きになり、一々反論しても収まらないことになる。が、まあ基本的に作品と読者間には相互に好意の持てる相手を選び合うという、恋愛にも似たオートマチックな浄化作用が働く筈ですから、それに期待しましょう。

 

以上長々書いてきましたが、読者論(作者論、作品論)というとまた泥沼にはまりそうなので、この辺にしておきます。シャルボニエとの対話の中で、ボルヘスはこんなことも言っている。「書くことは考えることと少々対立するものでしょう。それは、いわば方向づけられた思考の方法です。書くときに完全には考えません。なぜなら他人の裡に生じる結果を考えるからです。このことは多少思考を妨げるに違いない。つまりこの目論見には何かを産み出すという見栄が多少あるのです。」(同P100)。考え出すとすぐ頭をもたげてくる“文学の不可能性”などという幻の壁。こいつを打ち破るためには、読者との共同作業による文学的価値の創造を念頭に、その読者への不信を棚上げにして、結果はどうなろうと構わず書くこと。――以上のような心構えでやっていくことが、肝要かと思います。

ただし、あくまでも“投機”ですから、自分のやっちまった事には責任が問われます。その時はすべてを受け入れることです。

 

 

それにしても何故、ボルヘスはあんなにも面白いのか?

 

柄谷行人さんが1978年に書かれた『唐十郎の劇と小説』(『批評とポスト・モダン』 P193-201)の冒頭近くに、「滞米中、私はひとが現代の小説について話すのを聞いたことがなかった。例外的に話題になったのはボルヘスである。しかし、ボルヘスが話題になることと、小説が話題にならないこととは同じことである。小説とは、描写であり、風景であり、内部であり、つまるところ認識論的な遠近法であるが、ボルヘスにはそれが一切欠けている。」という一文があります。柄谷さんは、75年から77年にかけて一年半程、エール大学東アジア学科の客員教授をされていたようです。彼のもたらした米国事情の通り、当時のアメリカではみんな小説に辟易して、ボルヘス以外は読む気も起こらなかったんでしょうね(柄谷さんは彼等の辟易しているものを、“「小説」という布置”と呼んでおりますが)。

マリオ・バルガス=ジョサも、78年の一文『現実に背くもう一つの現実』(『カイエ』 1978年11月号 冬樹社 P168-173)の冒頭で、「私はかつて「小説家ボルヘス」というエッセイを書こうかと思ったことがある。しかし、よく知られていることであるが、ボルヘスは小説(ノヴェル)など書いたことはないし、アンドレ・ブルトンがかつてそうしたように、彼が小説のことに触れる時はきまって軽蔑的な態度を見せるのである。ボルヘスとブルトンが反小説論を唱えた理由は似かよっている。小説の使命が広範囲にわたるとともに現実主義を旨とする点が気に入らなかったのであった。」と言っている。

ボルヘス自身、「わたしはこれまでの人生のほとんどを、書物との係わりにおいて過ごしてきたが、長篇小説はたいして読んでいない。しかも、長篇を最後まで読み通したのは、大抵の場合、義務感にかられてである。こんな訳で、わたしが常に読み、読み返していたのは短篇であった。(中略)『ドン・キホーテ』や『ハックルベリ・フィンの冒険』のような長い小説には事実上形式が欠如しているという意識が、その不可欠の要素として言葉の節約と明快な起承転結をもっている短篇小説に対する愛好を、一層強めることになった。」(『ボルヘスとわたし(ちくま文庫)』中『自伝風エッセー』 P261-262)、「私の考えでは、小説は完全に袋小路に入っています。小説に関連した、きわめて大胆かつ興味深い実験のすべての――例えば、時間軸の移動というアイデアや、異なる人物たちによる語りというアイデアの――行き着くところは、小説はもはや存在しないとわれわれが感じるような時代でしょう。

しかし、短篇や物語となると話は別です。これらは永遠に生きながらえるはずです。人間たちが物語を語ったり聞いたりすることに飽きるとは、私も考えていません。」(『ボルヘス、文学を語る』 P74-75)、「今の私は、表現なるものを自分はもはや信じていないという結論――これが結論では惨めな気もしますが――に達しました。私が信じているのは暗示だけです。」(同P162)、「これまでにも私は、なぜ長篇小説を書かないのか、とよく訊かれました。もちろん、怠惰が第一の理由です。しかし、他にも理由はあります。私は小説を読んでいると必ず、退屈のようなものを感じるのです。小説には埋め草が含まれています。埋め草こそ小説の本質的な一部かもしれない、とさえ考えます。」(同P163)、「わたしは描写というものを信じていません。描写は一般にまやかしだと思っています。描写に力を入れる必要はない。むしろ何かを暗示すべきです。」(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』 P139)などと、盛んに繰り返しています。つまり『ノベル』と『フィクション』を、頑として区分けしている。自分の短編集にわざわざ『Ficciones』と銘打つぐらいですから。ダラダラした書きっぷりに辟易している向きにはまさに一服の清涼剤ともいうべき彼の作品ですが、ただ長さの問題だけじゃないでしょう。ジョサの言う通り、現実が書きたくなかったんでしょう。「小説」という布置を持ちたくなかったんでしょう。描写することは止めて、暗示で示したかったんでしょう。

ボルヘスは文学というものを信頼している。子供時代父親の書庫に入り浸っていた時から。たかが文学、されど文学、です(サルトルの、“アフリカの子供達を前にした時の文学”、の反語ですかね)。――ボルヘスの文学論(?)は、一読書好きの文学経験、文学遍歴、文学観の吐露であって、決して“論”とまで言えるものではなかった。彼は、作品一つ一つの、作家一人一人の、あるいは複数の作品や作家を貫く評論は書いたが、人類文学史全体をまとめる、あるいはその最先端を描く、ような“論”は展開しなかった(例外的なのは、アルゼンチンの文学や、古代英・北欧文学のような、一地方一時代のローカルな文学を貫く“論”です。しかしこれらはあくまで、ローカルなそれだった)。ボルヘスは書くことよりも、(物語を抱き続ける)読者であることをずっと大事にしていた。文学革命が目標ではなく、一図書館員、そして何より一読者であり続けた。

ここまで、ボルヘスが時代の、そして個人の“文学の不可能性”を乗り越え得た理由、「冥府から復活したという高揚感が創作のブースターとなった」「仲間内を読者として想定したが故、忌避リストの呪縛を回避出来た」の二つを解明してきました。しかしこれだけでは、単に創作のスタートが切れたというだけで、何故ボルヘス作品が他の“小説(ノベル)”をぶっちぎって一人勝ちで読まれるようになったかの秘密には、辿り着けていません。

最早ノベルに辟易していた世界が、同じくノベルに拒絶反応のあったボルヘスの、しかし一方で生涯を通しての信頼の許に磨き込まれた珠玉のフィクション群に共鳴した(つまりはボルヘスが時代を先取りした)、ということは充分にあるでしょう。ではその、世界を共鳴させた“磨き込み方”とは一体どういうものであったのか、をさらに一歩踏み込んで解き明かしたい。

ここでもやはり、従来からある、巷に溢れ返ったボルヘス論的アプローチ、――すなわち、“書物”“迷宮”“鏡”“円環”“同一性(他者性)”“カバラ等ヘブライ神秘主義”“ヒューム等の哲学・形而上学”“東西の古典古代やイスラムや神学”等々といった手垢の付いたモチーフは他の人に譲るとして、別の切り口から迫りたいと思っています。メニューは以下の通りです。

@アルゼンチンとボルヘスの、アヤフヤな立ち位置

@前衛小説・実験小説なのに、なぜか面白い

@イメージの迷宮が醸し出す香気に酔い痴れる

@詩からのアプローチ

ある食い物を味わう時、それをまず食って堪能して、その食い物がどういう食材(の組み合わせ)でどういう調理をされているのかに思いを巡らすのはその後でしょう。堪能した時、そして分析に思いを巡らした時、と二度美味しい。文芸作品も似たものでしょう。まず読み、味わい、その後分析的に(各種文学理論なんかに照らし合わせて)読む。こうして二重に、あるいは何度も、楽しむ。食い物も文芸作品も、先に分析的に食いかつ読んでは、台無しです。(これは、作者が第一の読者として第一の読書をする時も、同じでしょう。)

未知なる大陸の探索においては、自らの嗅覚を信じるのみです。

 

(アルゼンチンとボルヘスの、アヤフヤな立ち位置)

 

アルゼンチンといえば、牛肉にパンパにガウチョにタンゴ、軍事政権に過去八度のデフォルト(債務不履行)、パタゴニアにブエノスアイレスにサッカー、ボルヘスにエビータにペロンにゲバラ、といったところでしょうが、南米のヨーロッパ、ラテンアメリカの合衆国と言われるほどに、ヨーロッパ色が濃く、土着の色が薄い。

そこには、中米・アマゾンのような密林もなく、アンデス・ロッキーのような大山脈もなく、カナダ・アラスカのような氷原もなかった。そしてとりわけ、征服前史の大文明(インカ・アステカ)がなく、先住民の存在も(他地域に比べ)目立たなかった(といって、勿論諸々インディオとの揉め事はあったんですが)。そこにあるのは、(合衆国の大平原と同じく)(草しかなく、自然の重圧が無に等しい)パンパのみだった(北方の密林、チリと国境を接する山脈、南方の氷河、の存在を無視している訳ではありませんよ。ただ中央部のパンパに比べ、影が薄いと言っているだけです)。(それにしても、北米でも南米でも、大平原に文明の痕跡があまり見られないというのはどういうことでしょう。やはり大規模農耕文明には、相応の水の手当てが必要、ということなんでしょうか。ただ、ブエノスアイレスにはラプラタ川、合衆国にもミシシッピ川が流れているし、北米平原部にはそれなりの文明地域はあった。)

従って、何もない北米の合衆国と南米のアルゼンチンは、ヨーロッパを映す鏡となることで、自己を満たすしかなかった。ただし、何もないということは、丁度旧大陸の大砂漠が形而上学的神を生み出したように、生身のヨーロッパというよりは、形而上学的ヨーロッパを映し出す。

ヨーロッパに距離的により近い北米(合衆国)では、それは政治的形而上学だった(従って、啓蒙主義の理想を追求した)。南米(アルゼンチン)においては、(少なくともボルヘスは)哲学神学文学的形而上学を追及した。――だが、ブエノスアイレスにおけるヨーロッパの似姿は、赤道を挟んで遥か遠方の、似て非なる、異質で独自な、歪んだ鏡像だった。

ブエノスアイレスは、ヨーロッパと南米奥地を結ぶ商取引の中継地であり(『ボルヘスの世界』中『時間の偶有性』(カルロス・フエンテス) P172)、繁栄と虚妄の両面のもとヨーロッパを模倣することでしか自己を維持できなかった。パンパと大西洋、広大な二つの“無”に引き裂かれ、都市らしさを最も意識して自己を保つしかない人工の都市だった(アマゾン只中の、マナウスと似てますな)。他のアメリカの都市群とは決定的に違う周囲から孤立した大都市で、人口は僅か数十年の間に数十倍に膨れ上がり、一千万に近い規模となった。

二十世紀の初頭には、アルゼンチンはまがりなりにも先進国の仲間入りを果たしたと言われた(その後また転落しますが)。そんな時代を背景に、ブエノスアイレスに住む文化エリート達は洗練された都市文明を堪能し、一時代を謳歌した。――そうした人々の中にボルヘスはいた。アルゼンチン国家と自己のデラシネと、二重の“無”を抱えるボルヘスは、その無を(ラテンアメリカ文学の土俗とは真逆の土地ゆえ)歪んだ鏡に映ったヨーロッパという純粋な人工物のみで満たす必要があった。

何ともはや絶妙な距離感ですな、アルゼンチンとヨーロッパとは、ボルヘスと世界とは。――(ボルヘスに限らずアルゼンチンの知識層全般に言えることなんでしょうが、)ヨーロッパにどっぷり浸かって憧れ(指を咥え)つつも、本当に底まで浸かって身動き取れなくなる(ヨーロッパ的に苦悩する)ということはない(本来、アルゼンチンにはそうした“底”がない)。むしろヨーロッパを(憧れとは真逆の)冷静さを持って遠くから見詰め、それに手を突っ込んで操作する事すら可能とする。そんな、距離感です。そうした、外から、それもかなりの距離からヨーロッパの文明を“冷徹に眺める目”を、評価したい。これは、西ヨーロッパ人本人は勿論、近過ぎる北米人にも、関係性に別の濁りの入り過ぎた他のラテンアメリカ人にも、無理でしょう。ましてや、完全にヨーロッパと血縁のない日本人のような(中国人、インド人、アフリカ人、中央アジア人、中東アジア人(彼等は少し文化的血縁があるか))人々には、とてもそのように見ることは不可能。むしろ、東ヨーロッパやロシアの人々の方が、(ニュアンスは異なりますが、)半西ヨーロッパ人という意味で見方が近いようにも思える。(ニュアンスの違いとは、その半西ヨーロッパ振りが、東欧・ロシアの人が遠い血縁(数千年隔絶された血縁)(しかし地理的には近い)なのに対し、ラテン・アメリカの人は近い血縁(数百年離れた血縁)(しかし地理的には遠い)という意味です。)

そうした遠いような近いような、偶然であり必然であるような、特殊で微妙な立ち位置が、ボルヘス文学という奇妙な(魅力的であり魔力的な)果実を生んだ。つまりボルヘスが、他国、(日本はおろか)たとえブラジルやウルグアイや合衆国の人間であったとしても、ボルヘス文学はあり得なかったろう、アルゼンチンの、それもブエノスアイレスでなければならなかった、ということです。さらに、たとえアルゼンチンの生まれ育ちでも、ボルヘス以外の誰かであったなら、それでも駄目だったろう、ということです。というのはボルヘスには、二重の無(デラシネ)があるからです。

デラシネに引き裂かれたボルヘスは、二つの系統の文学を産み落とした。前衛的文学とガウチョ文学。確かにそれはありそうです。そしてその事が、ボルヘス自身の二つに引き裂かれた人間性の露頭を垣間見せている(彼の書いた『ボルヘスと私』(『創造者』所収 P114-117)の二人とは、また違う二人ですが)。だが私としては、二つの文学の存在することや、それを生み出すボルヘスの人間性には、あまり重きを置いていません。むしろ、それらのさらに先、帰結としての、先程書いたヨーロッパをかなりの遠方から“冷徹に眺める目”、そっちに及ぼす影響、展開にこそ注目している。

デラシネであることは、バイオリンの空洞のボディーの如き、分裂のための増幅装置とはなったことでしょう。生粋のアルゼンチン人にも増して、アルゼンチン性を強調する。恋焦がれ、見出し、しかし実は存在しなかった“根っこ”故。だが、それだけではない、その反動で、不安な、しかし誇り高き、世界市民という自覚を持つに至る。ボルヘスのデラシネは、アルゼンチンの虚無の“根っこ”を見出し、ヨーロッパ文明を外から冷徹に見詰める知識人を生み出し、“そこから演繹し”、誇り高き世界市民(コスモポリタン)を、世界の概念、観念を操作する大作家を、さらには文学的アイドルを、盲目の偶像を、静かに古英語、古北欧語を呟く文学教授を、等々、(元の根っこが無い故、易々と)次々生み出していった。これら増幅した自己を、分裂と同時に共存させ、一人の中の(二人どころか)多重多様な他者達としてはっきりと自覚し、彼等の間に優劣をつけなかった。すなわち普通の人間がやるような、愛国者であるとか文学者であるとか等々の自分を優先させることはない。どの一人かであることにより重きを置いたり、どの一人として演技することにより時間を割いたり、はしなかった、デラシネの基準の無さ故に。これが“彼流のデラシネ”の特徴であると思われ、彼の文学の可能性を大きく押し広げた原動力として私が注目するところのものです。

やがて、ヨーロッパを映していたアルゼンチンを、そして中南米を、数十年後、ヨーロッパが映し返すようになった。すなわち、ボルヘス本人と、それに続くラテンアメリカ文学の後輩達の働きにより、ヨーロッパに向けられていた顔が、今度はヨーロッパから振り返られた。――あたかも、“合わせ鏡”です。特にヨーロッパから見た、アルゼンチンに映る自ら(ヨーロッパ)の鏡像は、理想的に歪み、盛られ、それがすなわちボルヘス文学の価値となった。

サルトル、カミュ、バルト、ブランショ、ヌーボーロマン等々と、ごく身近でひしめくように見詰め合えば、嫌なアラも見え足の引っ張り合いがこだまし合う。遠過ぎれば、これは文化人類学の対象にしかならない(川端文学のように)。遠過ぎず近過ぎず、あたかも電池の両極が電解液(質)と絶縁膜、セパレーターで適度に仲を取り持たれ、効率最優先で働くように、ボルヘス(ラテンアメリカ)とフランス(ヨーロッパ)が通電し合った。

 

(前衛小説、実験小説なのに、なぜか面白い)

 

「私の考えでは、その時代全体を弁護するのがジョイスの二つの作品です……『フィネガンズ・ウェイク』はどうにも読み通せない。もともと、ジョイスは論争のために、名誉のために、文学史のために、それを書いた。読者を喜ばせるために、楽しませるために書いたのではないのでしょうが。」(『ボルヘス、文学を語る』 P192)これはある対談でボルヘスが語った、ジョイス評のようです。とすれば、何とも身も蓋もない。

実験のための実験では、一部の“実験科学者”を除いて、部外者には面白くも何ともない。当然です。プルーストも、ジョイスも、ベケットも、その作品は(評論の対象として)存在することに意義があるのであって、一般人がそんなお勉強に付き合わされる義理はない。研究対象の希少鉱物は、分析されることはあっても、人を飾り立てることはない。(“技法”を楽しむ特権を持つのは、本来一部の専門家集団でしょう。科学でも、芸術でも、勿論文学でも。文学理論を捏ねた捻ったで楽しむのは、本来本末転倒だ(ヌーボー・ロマン詐欺の二の舞になる危険がある)。科学に真理を知り(実験方法ではなく)、音楽に音色を聞き(演奏技巧ではなく)、文学に物語を読む(腑分けされたそれと睨めっこするのではなく)。勿論技法にまで深く首を突っ込めばそれなりに楽しめもするが、そいつに真っ先にしゃしゃり出られては、シラケる。)

対してボルヘスの作品は、身に飾りたい人工物鉱石である。文学の“型”に革新をもたらした前衛作家は幾人もいるが、作品そのものが面白いのは、ボルヘスとカフカぐらいでしょうか(ナボコフは私にはいまいちピンときません)。ボルヘスの作品は、実験・前衛小説と気付かずに、ついスルリと読んでしまう。いや、実験自体が、面白いのか。実験的で、前衛的で、衒学的で、メタ・フィクション的で、バロック的で、間テクスト的で、……色々な要素が組み合わさり、……にもかかわらず、面白い。いや、だからこそ、面白い。

ハードSFなんかも、ハードさを誇っている内は駄目ですね。その鼻につくハードさのひけらかしを感じさせない、にもかかわらずそのハードさ故に魅力がある、それが本物でしょう。谷甲州さんの“土木SF”なんかその見本だ。ハードさが物語と渾然一体に溶け合って滋味となっている。実験小説も同様で、実験を誇っている内は駄目で、実験を感じさせない、しかし一歩踏み込んでその実験こその魅力が作品を貫いている。それがボルヘス作品だ。谷さんにしてもボルヘスにしても、この手のものをやる時は、ここまでいかなくちゃいかん。

ボルヘスもまた、『小説に関連した、極めて大胆かつ興味深い実験』を行っていることでは、バースの言う「知性と文学の歴史はバロックであった、つまり知性と文学の歴史は、新しいものを生みだす可能性をつぎつぎに蕩尽し涸渇させてきた」(『ボルヘスの世界』 P34)者どもと同じ穴のムジナなわけですが、では何故あまたある前衛(実験)小説のムジナの中で、ボルヘスとカフカだけ面白くて(私見)、あとは程度の差こそあれつまらなかったり退屈だったりするのでしょうか。

プルーストもジョイスもベケットも、作品自体が長いということはあります。あの程度の実験なら、それこそ試験管並みの十分の一程の長さで充分だ。(昔の人は、長いものを平気で読んだ。それは家で出来る事が、長篇小説を読むことぐらいしかなかったからでしょう。今の私達は、テレビにビデオにネットにと方々に気が散り、とても長いものなんぞジックリ読んでいられない、耐えられない。一日が24時間なのは、いつの時代も変わらないのに。)――『ブヴァールとペキュシェ』も長過ぎる。もっと要約に要約を重ね、縮めてしまえばよかったのに。野放図にダラダラ引き延ばしたから、未完のまま作者は死んでしまった。――マルケスは面白いんだが、途中でダレる。この、出だしは面白いんだが、途中からマンネリの匂いが漂い出してダレてしまって、終わりまで読み切れないというケースは、長い小説にはままある。ボルヘスの言じゃないが、義務感が伴わないと読み終えられない。余計な詰め草が多過ぎる。――カフカにしても、長いものはやはり退屈しますよね。同じ場所の堂々巡りを知っているから。(ボルヘスもこう言ったそうです。「『審判』を二、三章読み終えると、彼がけっして判決を受けないだろうということがわかる、手法を見抜いてしまう。『城』でも同じことです、多かれ少なかれ読めるしろものではない。」(『ボルヘスとの対話(リチャード・バーギン)』 P16))――ベケット(“ゴドー”で有名な。そしてボルヘスと共にフォルメントール賞を受賞した)の『名づけられぬもの』(新集世界の文学43 サミュエル・ベケット 1970年 中央公論社)なんぞ、死後何者にもなれずのたうつさまが、まるで『転生したらスライムだった件』(アニメしか見ていませんが)を思い起こさせて、そういう切り口で読むと少しは退屈もまぎれるが、こちらは何者にも転生しません。そして『転スラ』なら冒険が始まるところだが、ここではこの状態が永遠に続く……。(名づけえぬが語り続ける、この存在とも言えぬ存在が、もし作者ベケットの変身ならば、すなわちおのれを止め得ぬもの(書き続けること(表現の不可能性があり、それを打ち消し、の繰り返し))の呪詛となるか。)『転スラ』では主人公自らも含め魔物への“名付け”が一つのセールスポイントになっているが、“名付けえぬもの”へのカリカチュアか?――ところでボルヘス自身の作品だとて、ボルヘス作品の魅力(魔力)を以ってしても、やはりダラダラと長く書かれたら(余計な詰め草を詰め込まれたら)、興醒めしてしまうように思われる。ボルヘス作品には、あのコンパクトなテンポがピッタリです。そしてつらつら自分を省みるに、かく言う私の書くものが、また長い。人の長い作品は読み切れないくせに、自分が書くと長いものでも書き切れてしまう。困ったものです。

ボルヘスを読んでいると、シュールな落語を聴いているような錯覚にとらわれることが、時たまあります。ボルヘスは基本、コントを書くユーモア作家であるように思う。ボルヘスを読む時は絶えず含み笑いし続け、そしてしばしば含んでいられず吹き出すこととなる。さらに空気の漏れた口元も維持できず、口角が裂けて哄笑にまで至る(フーコーの如く、それが哲学書の創作動機にすらなる)。もしかして、これらは“翻案”出来、本当に寄席に掛けられるんじゃないか?(新作落語として、誰かやらないかな。)演劇(小説)を見飽きたアメリカの文化人達は、ボルヘス落語にハマってたんじゃないだろうか。

コンパクトでテンポのいい、落語のような展開のコントであればこそ、SF的奇想あり、衒学的バロック的な迷宮あり、アンチ文学的文学あり、彼流に不思議な味にひねられたミステリーあり、歴史的地理的往還の横溢あり、論理の戯れ過ぎの戯れあり、聖なる深淵の裂け目ありと、まるでチョコレートトリュフの詰め合わせのように、色々な味わいの、それも飛び切り濃厚な味の作品達を摘み食いできる。他の作家なら是非とも欲しい(それで済ませたい)要約版(ダイジェスト版)も、ボルヘスには適用されない。彼のコンパクトでテンポのいい作品は、要約のしようがない。要約したものを読むならば、原文を読んだ方が早いくらいだ。

ただこのコントのネタが、知性の領野をとことん突き詰めた果てに搾り出される避け難い悲劇的喜劇(客観的に見れば、単なる事象)、であるという所に特徴があります。「あらゆる可能な手法を意識的に使い尽くし(あるいは使い尽くそうとし)、そのあげく、それ自体がパロディーと紙一重になる文体を、バロックとわたしは呼びたい。」(『世界の文学9 ボルヘス』 P254)「わたしに言わせれば、自らの手法を誇示し濫費する時、あらゆる芸術の最終段階はバロックとなるのである。バロックは知的な様式である。そしてバーナード・ショウは、あらゆる知的労働はユーモラスなものだと断定した。」(同)と、ボルヘス自身語っている(ちなみに“バロック”とは、“歪んだ真珠”の意)。形而上学、神学、カバラ、論理学、物理学、等々、これらを究極まで突き詰めると、そこに思いがけぬ“ズレ”が生じ、それが人の知性をあざけるように振り返って笑い返してくる。その“あざけり”を、楽しみたい。人の知性のパロディーの極みを。知の残滓の濃い酒に酔い、その滑稽さに思いがけず陽気になり大笑いしてしまう。(ただ「永劫回帰」や「モナド」や「観念論」で留まってしまってそこで完結しては、せっかくのボルヘスが台無しです。)――実例を挙げるなら、天体トレーンにおける“唯物論”を巡る議論、フネスの否定した抽象性、アレフに映ったアレフから見返す全ての目、等々……挙げたら切りが無い。前述の『シナの百科事典』の分類中にも、突飛な項目に混ざって、“この分類に含まれるもの”とか“無数のもの”とか“その他のもの”とかいう記述がさりげなく含まれていますが、これらは現代論理学に対する悪戯でしょうか(これが書かれたのは、評論の中でです。評論だろうがお構いなし。フィクションでも評論めいたものが多いし。評論とフィクション、まさに虚実皮膜です)。(ところで荻野アンナさんが『ボルヘスとわたし(日本の作家が語る)』(2011年 岩波書店 P175-193)の中でラブレーとボルヘスを関連付けたがっているのですが、これにはかなり無理があるでしょう。ここまで書いた通り、ボルヘスのユーモアは知性をとことん突き詰めた所に生まれる。対してラブレーは突き詰めないのが原則。両者は似て対極に位置する(“羅列”と“哄笑”は似てるんですけどね)。両者のユーモアが交わることは、まずないでしょう(ラブクラフトに対する反応、評価と似ています)(ついでに言うと、ボルヘスはラブレーをあまり好まなかったと、確かどこかで読んだ記憶があるのですが……)。)

そして勿論文学自身、これもとことん突き詰められるボルヘス最大の関心事だ。バース風に言えば、ボルヘスのパロディー精神によりとことん涸渇蕩尽され尽くした文学(『ボルヘスの世界』 P23)、とでもなりましょうか。一方であらゆる文学的可能性を封じた『文学忌避リスト』を掲げながら、他方『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』や『ハーバート・クエインの作品の検討』のような紙一重の作品を書いて“不可能性”そのものを笑いのネタにする。バースは、「知性の袋小路に直面したボルヘスは、この袋小路自体を、新たな人間的事業の完成に利用したのだ。そしてこの袋小路を脱した。」(同P29)とも書いている。以前指摘した通り、既に『ブストス=ドメックのクロニクル』でボルヘスは現代文学の各流派を笑い飛ばした(かつて自分がドップリ浸かったウルトライスモへの皮肉な反省、強烈な自己否定の表れだったのかもしれません)。彼の手にかかったら、“意識の流れ”がどう料理されたか、真面目くさったヌーボー・ロマンがそっくりそのまま逆立ちさせられどんな滑稽な姿をさらすこととなったか、想像に難くない。

このパロディーが、前エッセー『本当はSF作家になりたかった巨匠・ボルヘス』で掲げた『長射程の奇想』と、相性がいい(というより、“長射程の奇想”こそが、知性の領野がとことん突き詰められた結果生じた予期せぬズレ、そのものです)。両者は実にうまいこと、絡まり合う。

ボルヘスをボルヘスたらしめているのは、この親密に絡まり合った長射程の奇想とパロディーが、そこから互いに転がり合いながら広がっていく様でしょう。ボルヘスにおけるプロットとは、この広がっていく様を筋立てるものであり、世間一般の意味でのプロットとは違う(逆に、ボルヘスが世間一般と同じ意味でプロットを使う時(『死とコンパス』とか『エンマ・ツンツ』とか)、そのプロットは世間一般と同じように退屈なものとなる)。そうした意味では、ボルヘスの長所は、映画(映像等)にはなりにくい、と思う。彼のシナリオ(ビオイとの合作)の映画『はみだした男』など、どこかボルヘスっぽくない(彼の世界は、やはり映画のそれではなく、落語のそれなのだ)。詩にも、なりそうでなり難い(詩的アプローチについては、後述)。やはり、小説(フィクション)ならではのものだと思います。

ジル・ドゥルーズの哲学大著『差異と反復』(ジル・ドゥルーズ 1992年 河出書房新社)の『はじめに』の部分に、「哲学の書物は、一方では、一種独特な推理小説でなければならず、他方では、サイエンス・フィクション〔知の虚構〕のたぐいでなければならない。」(同P15)とあり、さらに続けて「この書物は、別の意味でもまた、やはり弱点の目につくサイエンス・フィクションである。」(同P16)とあります(「別の意味」とは、その前文に「そこにこそ、あのエレホン(バトラーの小説『エレホン』)から必然的に派生するサイエンス・フィクションというアスペクトがある。」(同)とありますから、これを指しているのでしょう)。

本文はここから、以下のように続いています。

「この書物は、別の意味でもまた、やはり弱点の目につくサイエンス・フィクションである。自分が知らないこと、あるいは適切には知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか。まさに知らないことにおいてこそ、かならずや言うべきことがあると思える。ひとは、おのれの知の尖端でしか書かない、すなわち、わたしたちの知とわたしたちの無知とを分かちながら、しかもその知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書かないのだ。そのような仕方ではじめて、ひとは決然として書こうとするのである。無知を埋め合わせてしまえば、それは書くことを明日に延ばすことになる。いやむしろ、それは書くことを不可能にすることだ。おそらく、そこには、書くことが死とのあいだに、沈黙とのあいだに維持していると言われている関係よりも、はるかに威嚇的な関係がある。だからわたしたちは、あいにく、このサイエンス〔知〕はサイエンス的〔学問的、科学的〕ではないということをしみじみ感じているがままに、サイエンスと言ったのである。」(同P16~17)。

さらに続けて、

「ひとは哲学の書物をかくも長いあいだ書いてきたが、しかし、哲学の書物を昔からのやり方で書くことは、ほとんど不可能になろうとしている時代が間近に迫っている。(中略)今日では、その追究を、たとえば演劇や映画のような、或るいくつかの芸術の刷新に見合ったかたちで遂行しなければならない。(中略)哲学史とは、まさにその哲学の再生産である。哲学史における報告は、正真正銘の分身として作用しなければならず、その分身本来の最高度の変容を包含しなければならないだろう。(口髭をはやしたモナ・リザ(デュシャンの作品のこと)と同じ意味で、哲学的に髭をはやしたヘーゲル、哲学的に髭をそったマルクスを想像してみよう。)実在する過去の哲学の書物を、まるで見せかけだけの想像上の書物であるかのようにまんまと語ってしまうことが必要になるだろう。周知のように、ボルヘスは、想像上の本を報告することにかけては卓越した力量をもっている。しかしボルヘスがもっと徹底してことにあたるのは、彼が、たとえば『ドン・キホーテ』のような実在する書物を、想像上の著者ピエール・メナール自身によって再生産された想像上の書物であるかのようにみなしておきながら、しかもこのピエール・メナールを今度は実在的な人物であるかのようにみなすときである。そのとき、もっとも厳密な反復が、最高度の差異を相関項としているのである(「セルヴァンテスのテクストとメナールのテクストは、言葉のうえでは同一であるが、しかし後者のほうが、ほとんど無限に豊かである……」(この部分、『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』からの引用です))。(以下略)」(同P17)で、『はじめに』を終えています。

「いやむしろ、それは書くことを不可能にすることだ。」ウーム、無知を埋め合わせて(知って)しまえば、人は書けなくなる(『文学忌避リスト』)、あるいは“紋切り型”の物語をやたらに書きまくろうとする。「このサイエンス〔知〕はサイエンス的〔学問的、科学的〕ではない」。とことん突き詰められた知は、歪んでズレる。だから、「その知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書かない」のか。知と無知故、パロディーと奇想の絡まり合ったローリングストーンとして、永遠に転がり続けるのか。その「もっとも厳密な反復」例が、「最高度の差異」の例が、『メナール』というわけです。(ドゥルーズはご丁寧なことに、『はじめに』の少し前へ戻ったP13で、「現代小説という芸術が、そのもっとも抽象的な省察ばかりでなくその実際的な技法においても、差異と反復をめぐって動いていること。」とわざわざ書いています。これが“時代の雰囲気の印”であると断って。)

ここまで考察してきたボルヘス文学の特性(魅力)を、ドゥルーズの言う文脈で読み直すと、――なんて書く必要もありませんか。……そっくりそのまんま、ですから。――つまるところ、プルースト、ジョイス、ベケットのように、最高峰、頂点を目指すのではなく、(知の究極はしっかり押さえつつも、それを)パロッてパロッて差異化し反復し続け、ズラしズラし横滑りさせていく……。

哲学書ですらこうなんですから(文学の、とりわけボルヘス文学の真似をして哲学書を書こうというんですから)、ましてや文学(フィクション)は嘘をつくことこそが信条。わけても知的で普遍性の高い嘘(とまでは言わないが、奇想)を書きまくるのは、SFとボルヘスの真骨頂。形而上学とは幻想文学である、とまでうそぶくくらいですから(多分、先端科学も、数学・論理学も、情報科学も、言語学も、民俗学も、その他その他、無論やらずもがなの神学も、例外ではない)、一見“先端”を目指している風を装いながら、その実(ジョイスやベケットのような探求の徒とは違う)完成を拒否するへそ曲がりで嘘つきの落語の師匠なんでしょう。だが、いつの間にか、気付いたら彼はその“先端”に立っていた。

 

(イメージの迷宮が醸し出す香気に酔い痴れる)

 

ボルヘスを読んでいると、『ヒカルの碁』を思い出すことが時々あります。ボルヘス作品には、神憑った作品と、どうでもいいような駄作(あるいは、駄作と見せかけてとんでもない快作だったりする、油断のならない作品)が、しばしば混在している。それで、ヒカル君にサイが取り憑いているように、ボルヘスにも文学の神様的霊が取り憑いたんじゃないか(もしかすると、あの冥府巡りの時に……)。そして、ヒカル君の打つ碁に、本当はサイの打った名局とヒカル君本人の打った駄局があるように、ボルヘスの作品にも、文学の神の書いた名作と、ボルヘス本人の書いた駄作とが混在しているのでは、そんな風に変な想像の風が吹いた訳です。

実際ボルヘスには、B級C級作品への妙なこだわりがあった。またガウチョ文学的国民文学にも執拗に執着した。――文学的には一段低く見られていた、しかし自分が愛してやまないミステリーやSFや物語に存在価値を付与しようという意欲が彼には強くあった。B級C級作品をおのが力でA級S級に仕立て上げてやろうという野心に燃えていた。だから、ラブクラフトを一方でこき下ろしながら、他方ラブクラフト的なものを書こうと試みる、ラブクラフトを遥かに超える完成度で(『人智の思い及ばぬこと』(『砂の本』所収)や『ブロディーの報告書』(『ブロディーの報告書』所収)がその例。前者が失敗作で、後者がまあまあ、といったところか)。SFにしても、『不死の人々』(『ブストス=ドメックのクロニクル』所収)のようなどうだろという駄作があるかと思えば、『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』(『伝奇集』所収)(百科事典と秘密結社を結合させて地球に取って代わるべき天体を作り上げてしまう)や『もうひとつの死』(『不死の人』所収)(人知れず歴史がすり替わる、神学的に)といったとんでもないS級作品がある。ガウチョ系に至っては、盛んに自画自賛している『じゃま者』(『ブロディーの報告書』所収)なんていう作品がありますが、私にはどこかのテレビ作家にでも書けそうなものにしか思えてならない。

独立峰たるボルヘスは、文学の“主流”なんぞあまり気にしていなかったんでしょう(というより、気にしてない素振りを貫いた)。B級グルメにこだわったり、あらずもがなのガウチョ文学に執着したり。BC級の中に身を隠した、セルバンテスやウェルズのような、いわば“天才的俗人”を目指していたのかもしれません。だから彼自身が選ぶ“自選集”と、マニアが選ぶ“他選集”とでは、大分レパートリーが異なることになるようです。でもそれでこそ、ボルヘスにとっては素直にすんなりと受け入れられる現実だったのかもしれません、何しろ彼は自分の文学を信じている、あくまでも独立峰なのですから。

それともやっぱりボルヘスは二人いて、本当のボルヘスは凡庸で、文学の神はヒカル君に取り憑いたサイのように期間限定で、あの黄金の十年間だけボルヘスに取り憑き神憑って書かせ続けた。そして短編集『アレフ』を出版し終えたところで、文学的に満足して成仏して消えた。だから、これもヒカル君と似ているんですが、サイの取り憑いている間のヒカル君は超名局か駄局を打ったが、並みの名局が無かった。しかしサイが成仏した後、それなりに上達して並みの名局を打つようになった。同様にボルヘスも、黄金期、S級か超S級か、そんな作品と、BC級が混在していて、半端なA級と呼べるような作品(佳作、秀作)があまり見当たらない。ところが晩年、上滑り気味であまり光るところは見出せないが、それなりの佳作、秀作、つまりはA級に近い作品が多くなった。文学の神が抜けた後、それなりに腕を上げて並みの作家になった、などと勘ぐってしまう。そんな晩年の、例外的なA級作品を一作上げるなら、『砂の本』がいい(この作品、悪く言えばボルヘス以外の誰かでも、書けると思うから)。

これに対するS級作品は、勿論(黄金期の)『バベルの図書館』です。こちらは、それこそボルヘス全開で、この作品が世に出るまでは、他の誰もこんな風には書けなかったと思うから(といって勿論、“こんな風に”というのは、“バベルの図書館”の基本アイデア(あらゆる文字列の全ての書物)の事を言っているのではありませんよ。この基本アイデアは、19世紀ドイツの哲学者クルト・ラースヴィッツによる世界図書館というアイデアが、既にあったらしい(『異端審問』中『バーナード・ショーに関する(に向けての)覚書』 P237)。私の言う“こんな風に”は、この基本アイデアからボルヘスが膨らました、ボルヘス風の部分の事です)。――この両者(『砂の本』と『バベルの図書館』)を、対比させてみたい。

もしこの二作が、入れ替わっていたとしたらどうでしょう。つまり、『砂の本』が、42歳の黄金期に書かれ『伝奇集』の中に入り、『バベルの図書館』が76歳の名声期に書かれ『砂の本』(この短編集名にはならなかった訳ですが)の中に入っていると、想像してみてください。――どうですか。すごい違和感を、背筋がゾワゾワと硬い毛ブラシで逆撫でされたような違和感を、感じませんか?

あの奔放なイメージが飛び交う作品と、枯淡で落ち着き払って仕上げられた作品。砂の本は無限のページを持つが、図書館はそのページの数だけの本を並べてある。一方はうまく丸められ収まっているという印象だが、他方はどうにもアチコチで突き抜けている。『失われたアーク』のような『砂の本』のラストにより、そのたった一冊を持ち込まれた図書館は、“バベルの図書館”と化すかもしれない。にもかかわらず、宇宙の10のおおよそ61万乗倍の大きさの図書館では、司書達が本を繰り、比較し、推理し、論争し、旅立ち、疲れ果て、朽ちていく。つまり、仕事をし続ける(仕事以外のことは、何も知らずに)(そも、本の内容も知らず、図書館の構造も知らないで、果たして司書と言えるのか?)つまり砂の本は世界の中にあるが、その世界はバベルの図書館の中にある。両者とも“世界”そのものと同義なのだろうが、砂の本がただその断片をパラパラとめくってみせるだけなのに対し、図書館ではその中で人々が世界の謎(本)と対峙しうごめいている(無益だと分かっていつつ)。

『砂の本』はじめ晩年の諸作は、どこかイメージの広がりに乏しいのです。はっきり言ってしまえば、“陳腐”に思える。食い足りない。対して『バベルの図書館』や『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』や『アレフ』などは、イメージの無限の広がりを感じさせる。というか、イメージが、広がりを感じさせた所から、さらに広がっていくような予感を抱かせる。その辺りがボルヘス流の、ボルヘス・オリジナルの魅力であるように思われる。(そも、司書達ははたしてどんな相貌なのか? 地球人タイプか? タコタイプか? 彼等の飲食は、身体・衣服の洗浄は、子作りは、どのように行われているのか?(死して、換気孔の中で朽ちていく以上、後継者を増やさねば司書はすぐ絶えてしまう)。そんな余計な事は一切抽象され、彼等はただ折り目正しい司書であり続ける。ほぼ意味を持たない文字の羅列された本しかない世界と、そこの唯一の住人である折り目正しい司書達の取り合わせから展開されるイメージは、思いがけぬ方向に無限に膨らんでいく。)

ボルヘス・オリジナルのイメージの広がりが(黄金期の)ボルヘスにしか書けないのに対し、ただページをパラパラとめくれば世界がそこから零れ落ちてくる一冊の本の怪異は、別に他の誰かでも(誰でも、とまでは申しませんが)思い付き、書けそうな気がします。ゾラン・ジフコヴィッチの『不思議な物語』(2010年 黒田藩プレス)の裏表紙には、ニューヨークタイムズの書評で“新世代のボルヘス”云々という表現が使われていますが、確かに彼は優れた書き手ですが(正直、名声期のボルヘスの作品より、優れていると思う)、やはり凡百の幻想作家の一人、という域を出ない。他の“ボルヘス○世”“○○○のボルヘス”の類も、みな同類でしょう。しかし彼等にも、『砂の本』ならば書ける。ゾランが『砂の本』を書いたと聞いても「フーン、そうなの」と思うだけだが、『バベルの図書館』を書いたと聞いたら「本当かよ!」と思ってしまう。

真にボルヘスの後継を感じさせる者は、(私の知る限り)まだいない(勿論、私自身も含めて……)。――無論、モロに真似ることは、(かなり難しいが)出来るかもしれません。すなわち、“ボルヘスの未発表の原稿が見付かった”、と思わせるような作品を書くことは。――だがそれでは、真の後継ではない。単なるパクリだ(いかに模写の才能があろうと、パクリは嫌われる)。真似たいのはボルヘスの魅力であって、作風丸ごとではない(丸ごと真似たら、すぐそれと分かるでしょう)。やはりボルヘスは、一代限りの独立峰なのです。その個性があまりに抜きん出ていて、真似すれば悪臭紛々たるマガイモノの屍の山を築くことになる。――それでもやっぱり、ボルヘスの魅力の秘密を何とかして知りたい。

(ちなみに『バベルの図書館』の『原注四』には、「レティシア・アルバレス=デ=トレードは、広大な図書館は無用の長物であるといった。厳密には、普通の判型で、九ポイントもしくは十ポイントの活字で印刷され、無限に薄いページの無限数からなる「一巻の書物」で充分なはずである。」(『伝奇集』 P117)と書かれている。つまりこの時点(『バベルの図書館』の創作時)には、“砂の本”は既に存在していた。だからこの時書かれていてもおかしくなかったのだが、ボルヘスはあえてそうはしなかった。)

 

ボルヘスはバーギンとの対話の中で、「そういった種類の物語を書いている人は世界中にかなりいるわけで、私がそれをつづけていく理由はないということです。とくに、なかには私よりもはるかにうまくやっている人がいますからね。」(『ボルヘスとの対話(リチャード・バーギン)』 P200)と、本気かどうか分かりませんが語っています。同種の作品は一杯あり、自分のものより優れたそれもかなりの数出回っていると。まあ大方の人は(エルネスト・サバトや蓮實さん等を除いて)、この発言を真に受けないでしょう。こうしたジャンルにおいて、いや広く文学世界を渉猟しても、ボルヘスこそ他の追随を許さず一頭地を抜いている(いや、遥かに抜きん出ている)という確信を持っているから。

すでに書いた通り、奇想とパロディーの絡まり合いが無限ローリングする(差異を埋めては新たに作り無限反復する)。それが間テクスト的(他者からの引用と、自らの独創、あるいは捏造したものとの)空間中にイメージの迷宮を築き上げる。――ここまではまあ、ウンウン唸って、時間と知的労力を惜しげもなく投入すれば、ボルヘス王国の辺縁にまでは迫れなくもない。他の作家も、手を替え品を替え試みている。――問題は、ここからです。その先の風景を見せてくれなければ、ボルヘスじゃあない。『バベルの図書館』と『砂の本』の間に厳然と境界線を引いている、黄金期ボルヘス流イメージの膨らみ。バースが『涸渇蕩尽の文学』(『ボルヘスの世界』 P23-37)の中で「そのような人物こそ、選ばれたる生還者(芸術が涸渇する迷宮からの)、巨匠、テセウス(古代アテネの英雄王。ミノタウロスの迷宮から生還した)的英雄にほかならぬ。」(同P36)と言う時の、英雄王テセウスの偉業。イメージの迷宮が醸す揮発成分の充満による、香気の膨らみとしばしの酔い。――ここまでいくともう、“文体”とでも名付けるしかない(何とも広義の文体ですが)。

岡本かの子の、古井由吉の、石川淳の、セリーヌの、ブラッドベリの、ピンチョンの、ルイス・キャロルの、宮沢賢治の、深沢七郎の、筒井康隆の、村上春樹の、……一読、その人の顔と筆を持つ手が浮かぶ(ピンチョンの顔は無理ですが)。――揮発成分の出ぬ作家と、香気で酔わす作家。ボルヘスと文体なんて、一番似合わなそうな取り合わせですが、理性を極限まで研ぎ澄まし知的迷宮を探索しているつもりが、何時しか方向感覚を失い無味無臭の芳香にやられて醒めたまま酔い痴れている。ボルヘスの蜘蛛の糸にまんまと絡め取られている。――そして身も心も自由でありながら身動き取れなくなり、追究を放棄せざるを得なくなる。お前はそんな所で責務を放棄するのかと非難されても、今はこのまま惚けたままでいたい。

 

(詩からのアプローチ)

 

「バビロニアのくじ

 

バビロニアのすべての男のように、わたしはかつて地方総督だった。
皆とおなじように、奴隷だった。
また、全能の力や汚名、牢獄などを知った。
見るがいい。
わたしの右手には人差し指が欠けている。
見るがいい。
このマントのほころびから、鳩尾(みぞおち)あたりの朱色の刺青(いれずみ)が見えるだろう。
これこそ第二の記号、「べス」である。
この文字は満月の夜に、「ギメル」のしるしを持つ男たちを支配する力をわたしに与えるが、
しかし月のない夜には「ギメル」の男たちに服従しなければならぬ、「アレフ」の男たちにわたしをしたがわせる。
薄暗い夜明けの地下室の黒い石の前で、わたしは聖なる牡牛たちの首を刎ねた。
陰暦の一年のあいだ、姿の見えぬ者と宣告された。
絶叫したが応える者はなかった。
パンを盗んだが首を落とされなかった。
ギリシア人の知らぬもの、すなわち不安を知った。
青銅の部屋のなかで絞首役人の物いわぬスカーフの前に立っても、希望はわたしの忠実なしもべだった。
愉楽の流れのなかで、恐れがそうであるように。
ポントゥスのへラクリデスは、ピタゴラスがかつてピロであり、その前はエウフォルブスで、その前はまたべつの人間だったことを記憶していた、と感嘆しながら語っている。
おなじような浮沈を思いだすのに、わたしは偶然にたよることも、ましてやいかさまを使う必要もない。(以下略)」(『伝奇集』 P81-82)

 

詩ですね、まるで。叙事詩の冒頭のようだ。ちなみに『オデュッセイア』の冒頭は、こんな感じ。

 

「あの武士(さむらい)のことを話してくれ、詩の女神(ムーサ)よ、術策にゆたかで、トロイアの聖い城市を攻め陥してから、とてもたくさんな国々を彷徨って来た男のことを。たくさんなやからうからの住む町々や気質を、それでともかく識りわけ、海上でもさまざまな苦悩を、自分の胸にかみしめもした、自分自身の命も救い、仲間の者らの帰国の途もとりつけようとつとめるあいだに。

しかし、それにもかかわらず、ずいぶん努力もしたのだったが、部下たちを救うことはできなかった、というのも、彼らは自業自得の、非道な所業のため身を滅ぼしたものだったから。愚かな奴らだ、天上をゆく太陽神の所有物である牛どもを食料にしていたとは。それで太陽神が、彼らから帰国の日を奪い取ったのであった。そうした次第の物語を、どこからなりと、私たちにも、ゼウスの御娘の女神ムーサよ、お話しください。(以下略)」(『集英社版 世界文学全集1 オデュッセイア ホメーロス』 1979年 P7)

 

ところで本物の『バビロニアのくじ』は、改行していません。全て繋がっている(スペイン語の原本でも)。ただ、詩っぽく見せるために、改行したまでです。こうするだけで、ボルヘスの多くの詩と同じように、俄然詩っぽくなる。詩集『他者と自身』中の『錬金術師』は、こんな具合。

 

「錬金術師

 

長時間の思索と貪婪な徹宵に
疲れ果てた若者は、夜の
ひき明けに、不眠の櫨とランビキに
なおも静かに思いを凝らす。

 

彼は知っている、黄金は、あのプローテウスは、
運命と同じように、偶然の中に潜んでいることを。
彼は知っている、それは路傍のあくたと、弓と、
腕と、矢の中に潜んでいることを。(以下略)」(『ボルヘス詩集』 1998年 思潮社 P65-66)

 

ボルヘスは、自分がまずは詩人であると自覚していた(詩人であることを一番に優先していた)作家でした。『ボルヘス、文学を語る』は、ハーバード大学でのノートン講義(1967-68)の全記録ですが(ノートン講義は、他にT.S.エリオット、ウンベルト・エーコ、オクタビオ・パス、イタロ・カルヴィーノ(本人の急逝で講義草稿のみ残った)など作家等の登壇した由緒ある講義です)、行われた六回の講義の内五回が詩を題材としていました(残りの一回は物語がテーマ)。

講義でボルヘスは、隠喩、詩の一回性(読まれるたび、新しい経験として立ち現れる)、他者性(精霊や、潜在的な自我や、別の作者(間テクスト的)からの贈り物)、音楽性(マラルメにもありましたね。「あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる(ウォルター・ペイター)、(中略)音楽においては形式と内容が分けられない」故(『ボルヘス、文学を語る』 P107))、言葉の魔術性(意味から離れ、感じるもの。考えるな、感じろ!)、叙事詩の復活(物語と歌の混合物として)、などを取り上げていますが、私が特に注目したいのは、“暗示”という問題です。

講義『詩人の信条』の中でボルヘスは、「今の私は、表現なるものを自分はもはや信じていないという結論――これが結論では惨めな気もしますが――に達しました。私が信じているのは暗示だけです。(中略)われわれは暗示することしかできない、つまり、読み手に想像させるよう努めることしかできない。頭の回転が速ければ読み手は、われわれのちょっとしたヒントで満足するのです。

これは大変に効率的な遣り口です。」(『ボルヘス、文学を語る』 P162-163)と語っている。講義『隠喩』中にも、「私の理解によれば、はっきりした物言いより、暗示の方が遥かにその効果が大きいのです。人間の心理にはどうやら、断定に対してはそれを否定しようとする傾きがある。(中略)しかし、ある事柄が単に語られるか、あるいは――この方が遥かに効果的です――仄めかすかされたときには、われわれの想像力に好意めいたものが生まれ、喜んでそれを受け入れます。」(同P45)とある。さらにシャルボニエとの対話においても、「わたしは描写というものを信じていません。描写は一般にまやかしだと思っています。描写にカを入れる必要はない。むしろ何かを暗示すべきです。」(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』 P139)と、同じ趣旨の事を語っています。

つまり、意味を直接伝えるのではなく、表現を跳躍させ、暗示させるものとして提示する。――いかにも詩人のやり口ですね。そうした詩的手法で、彼は小説(物語)も書いた(まさに、物語と歌の合体、彼の目指した叙事詩の復活です)。

『ボルヘスとわたし(日本の作家が語る 岩波書店)』に掲載された講演『ボルヘスとナボコフの間に』(同P153)(ボルヘス会主催 2002年9月21日 於・立教大学)で、高橋源一郎さんがうまいことを言っている。「詩人が書いたものが詩なのだ(中略)その逆に、小説家が書いたものが小説だということはありません。小説を書いた人間が事後的に小説家になるのです。(中略)詩人とは、その存在があらかじめ詩人であるもののことをいうのです。ある感受性を、ある感覚を持って世界と対峙している人間。そこに、何かが入ってくれば、自動的に言葉を探し出せる人間、それが詩人です。」(同P162)。つまり世の中にはあらかじめ詩人体質の人がいて、ボルヘスもその一人であるという訳です。論理の筋立てを超えて、根っこから詩が噴き出してくる。ボルヘスと丁度同時代人の宮沢賢治(1896-1933)も、そんな一人でしょう。彼の場合はアニミズム的に言葉が内側から湧いて出てくる。いかにも詩心の入り混じった文体だ。この、根っから詩人の書く文章という奴は、前の項で扱った“文体”の問題とも通底していそうです。

かようにボルヘスは、言葉を魔術的に変容させ(言葉の魔術性)、意味や論理をイメージとして跳躍させ、膨らませ(隠喩のネットワーク)、ある時はカタログ式に畳み掛けた(この場合は、むしろ換喩や提喩と言うべきか)。高橋さんに言わすと、ボルヘスの詩人的要素(内部の世界。賢治のアニミズムに当たるもの)は、ズバリ“迷宮”ということです(同P166)。すなわち、小説とは入り口と出口があるもの。だがボルヘスの作品にはそれがなく、出たつもりがいつの間にか入り口に戻っている。そして“迷宮”という構造は、ある意味小説のそれとは正反対のものである、と。

また高橋さんは、詩人とは自足していて、読者を必要としないもの、とも言っています(同P167)。確かに詩が詩人の内部から噴き出す時、それは自動的に起こる。聞く人間など想定していない(つまり、独り言、一人朗誦でよい)。ボルヘス自身『詩人の信条』の中で、「私は作品を書くとき、読者のことは考えません(読者は架空の存在だからです)。また、私自身のことも考えません(恐らく、私もまた架空の存在であるのでしょう)。」(『ボルヘス、文学を語る』 P162)と言っています。つまり、読者を必要としていないばかりか、作者自らも要らない。“全自動”ならば、当然のことです。

そこで、ふと思い出すことがあります。あれほど詩を書いていた、そして自らも詩人であることを第一としていたボルヘスが、黄金期を挟む実に35年間、あまり詩を書いていないのです(詩文集『創造者』に後から拾われたものとか、雑多に書き散らした詩を定期的に編纂した“詩集”とかを除いて。すなわち、独立した詩集としては、29年の詩集『サン・マルティンの手帖』から64年の詩集『他者と自身』まで、実に35年間ブランクがある)。そして晩年に至り、また詩を書き出す(と同時に、小説も精力的に書いている)。――そこで、思うのです。黄金期・豊穣期の諸作品は、後に目指す叙事詩の復活(物語と詩の合体)を、(それと自覚せずに)先取りしていたのではないか。それが晩年に至り、再度詩と物語に分裂したのではないか。

ならば、いろいろと合点がいきます。黄金期・豊穣期の作品は、詩的魅力も込められた作品だった。フィクションと評論の区別を付けなかったくらいですから、詩と物語が相互乗り入れするぐらい朝飯前でしょう。そして詩は読者を必要としない。すなわち肌合いの合ったスル誌に掲載するだけなら、詩を一人朗誦する時のように聞き手を想定しなくていい。――ところが晩年、世界を相手に書くこととなった。嫌でも読者を意識せざるを得ない。そのため、詩的に小説が書けなくなり、詩と小説が再度分離した(前掲の読者論とも合致しますね)。

 

((ちょっと、私的詩論))

 

詩は、敷居が高い。同じ事を(同じ作品を。例えば『バビロニアのくじ』を)読むのに、小説として書かれているとスンナリと読み始められるのに、詩だと言われると、身構えてしまって、なかなか読み出す決意がつかない。――何故なんでしょう?

詩というと、映画館の暗がりを連想します。――家でビデオを見ている分には、一般のテレビ番組を見る時と変わらず、映画を見ることが出来る(どんな大画面ででも)。ところが映画館では、館内を暗くされることでモードが切り替わる。“これから見るぞ”と、身構えることを強要される。そして、襟を正し、正座し直して、見ることとなる。――家でも身構えたくて、わざわざ部屋を暗くしたり、スマホの周りをボックスで囲って擬似暗がりを作ったり、する人がいるくらいですから。

ボルヘス自身「わたしはいつか、詩と散文の根本的な違いはそれを読む者の期待がたいへん異なっていることに由来するのではないかと思ったことがある。詩は散文の許容しえない緊張を前提にしているものだ。」(『永遠の歴史』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1986年 筑摩書房 P121-122)と言っている。

身構えると、その分かえって詩の効果が減ぜられることもある。“小説だ”と断られて(別に改行の有無にかかわらず。改行の無い詩も一杯ありますから、ボルヘスにも)、スルリと読み下してしまって、あとから油断を突かれ不意打ち的に詩的効果にダイレクトに打ちのめされることとなる。ボルヘスの作品はその典型ですね、気付かずに飲み込んでしまった詩的効果が、詩の種が発芽し内側からこちらを食い破ってくる。

詩とは、誰かの独り言を、横で立ち聞きしているようなものです。(たとえ一般聴者相手に伝えたいというパッションを持って朗誦されたものであっても。詩人本人はそのつもりでもやはり自己満足の独り言だ)。それを聞くには、心して耳をそばだてなければいけない。――対して物語は、近くの誰かに(あなたに)語り掛けてくる(たとえ日記風のものでも。作家にその気がなくとも、小説、物語という体裁になった途端、そこに読者はいる)。

いかに作品が間テクスト的で隠喩のネットワークの中に存しようと、詩人というのはやはり一人一人が文芸広野中の独立峰なのです。他者に伝えたいというパッションも、所詮は独りよがりのもの、聞くための心構えを聴者に強いることとなる。――まるで、星取りシェフの料理です。B級グルメは、料理を食材単位で分解したり、何かを好みで足したり引いたり、食い手が自由にアレンジ出来ますが、星取りシェフの高級料理は“シェフの注文通り”に食わなければいけない(万一注文を外れて食って結果まずかったとしても、それはシェフの責任ではない)。――だから詩は、その形式を崩せない、翻訳されると遥かに劣化する(ほとんど別物だ)(アルファベットで書かれた俳句って、やっぱりものすごく変ですよね。おそらく向こうの人も、日本語に翻訳された自分達の詩を見て、同じように思っているんでしょう)。ところが小説なら、そんな劣化はさほど気にならない。物語なんぞ、人手を渡り、練られれば練られる程、むしろ高級品になる(『ブストス=ドメックのクロニクル』中の『絶対の探求』は、そんな話です)。――詩が、高揚感と共に、あるいは高揚感が先に立って、生まれてくるものだとしたら、小説では高揚感は読んだ後にやってくる(あるいはやってこない)。そして詩人は自分とほぼ同じ高揚感を、読者も持つよう期待する、あるいは“強要”する、“共感せよ”、と。まさに、映画館の暗がりだ。あれは、高揚感を生じさせて待機(スタンバイ)なさいという、観客に対するシグナルである。詩が廃れて小説に取って代わられたのは、その形式(文章的な形式(韻だとか文字数行数だとか)という意味ではない)に因る。つまり、こっちの読み方を限定する、その狭さに絞り込む、形式故に詩は廃れた(逆に、絞り込まれたい、共感したい読者には、蜜の味である)。読者に作者に共感する義理などない、それも何で読む前から共感バイアスを掛けねばいけないのだ、と煙たがられた。小説には、基本それがない(ある人々は、それでも身構えるようだが)。――詩人は自足している。思うに彼の脳内は不可侵領域、ブラックボックスであり、彼の詩はその脳内以外では生息出来ない。ひとたび脳内から出れば、たちまち突然変異し、小説を遥かに凌ぐ“誤読”の毒を撒き散らす。強いるそれは疑問を差し挟むことを許さぬ新興宗教の教義のようで、(素直な聴衆たる古代人と違い)疑り深い現代人はそれを押し付けがましいと感じ敬遠する。

――ボルヘスは、うまい方法を開発したものです。評論の中身は論証として提示されるから、(まずは疑われ)論証として納得されない。詩の中身は(共感を求める)詩心として提示されるから、(ハードルを上げられ頑なに拒まれ)詩心としてピンと来ない。――しかしボルヘス(少なくとも黄金期の)は、あえて小説(物語)の形を取った。詩も、評論も、物語の中に塗り込め、渾然一体のものとした。そのため、思いもかけない(多分、本人も思っていなかったでしょう。詩人体質は天性のもので、自然と出ちゃうんですから)効果を生んだ。物語のオブラートにくるまれたそれらを、我々は疑ったり拒んだりするどころか、むしろ自らの想像力の内に好意めいたものすら芽生えさせ、喜んで飲み下し受け入れてしまうのです。

 

まず、歌が生まれた。そこから、詩と音楽が分離した。(全ての文学で、詩は散文に先行する。)詩は長く、文学の王者だった。

散文は元々、会計事務や法律のための文章だった。紀行文や伝記、歴史ものに転用されたが、まだ文学にまではなり得ていなかった。それが文学の仲間入りを果たしたのは、演劇や物語に利用され始めてからでしょうか。

実用文と違い、文学は“情”を表す故、歌から出たのでしょう(そして歌から出た故、韻や定型などが残ったのでしょう)。だがしかし、文明が進行し、複雑怪奇となった新たな“情”を伝えるには、韻文では手に余るようになった。何故なら“新たな情”は、入り組んだ文明や深遠な知性の産物と絡み合うことにより、初めて誕生したからです。そこでより間口の広い、新規の事象(入り組んだ文明や深遠な知性の産物等)を取り扱うに適した、散文の文学が主流となった。――詩は小説に、文学の玉座を明け渡した。

それにしても何故、韻文では手に余るのか。それは、詩が作者(の高揚感、世界観の発露)と絶えず一緒に存在するため、新たな情を生み出す入り組んだ文明や深遠な知性の産物の、“入り組んだ”さまや“深遠”さを、説明し切れないからです。説明文として機能させようとすると、それは散文になってしまう、作者を極力排した散文に。フローベールが『ボヴァリー夫人』でやろうとした事は、まさしくそれでした(彼は、反詩的なものを書きながら、それが人の心を打つと証明したかったのでしょう。つまり作者を介さぬ事実のみの文学です。といって無論完全に作者を殺すことは到底出来ませんが。ですから、“ボヴァリー夫人は私です”となる)。

――それでも詩が、この“入り組んだ”さまや“深遠”さを取り込もうとするなら、その方法は以下の三つぐらいでしょうか。一つは、韻文の中に散文を紛れ込ますことです(紀行散文の中に韻文を組み込んだ『奥の細道』も、このタイプに近いでしょうか)。いわば、変形詩です。しかしこれは、詩の形が崩れ過ぎて、素直に詩とは呼び難い。二つ目は、ボルヘスのように、詩と散文を渾然一体と溶け合わすことです。いわゆる“文体”を持った作家には、これを無意識に実行している人が多いように思われる。そして三つ目は、これが一番多く使われていると思われますが、“本歌取り”です。すなわち、間テクスト的に他の知識から、“入り組んだ”さまや“深遠”さの説明の結果だけを、暗示的言葉を用いることで拝借してくる。谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』で、作者は“二十億光年”(この詩が作られた当時観測されていた宇宙の大きさらしい)とはどういう意味か説明しません。それが何を意味するかを、読者は他の知識から拝借することが出来るからです。こうした間テクスト・本歌取りの手法を用いれば、詩も入り組んで深遠なものに立脚した現代の情を表現することが出来ます(勿論、間テクスト・本歌取りに支えられているのは、詩に限らず、文学全般に当てはまることですが)。しかしそれでも、散文を入れられず、現代を説明するのに他人のテクストに頼らざるを得ない詩は、現代の情への“訴求力”がどうしても弱くなる(訴求力が弱い故、逆説的に、訴求し切った時には、現代において見事な花を咲かせますが)。従って、王の座を小説に明け渡した。そして、その出来事と丁度軌を一にして、詩と入れ替わるように『SF』なる新規の文学ジャンルが出現した。何だか象徴的な事件です(が、あながち偶然とは言い難い、ちゃんとした理由があるように思われます)。

 

((何故か、逍遥に脱線))

 

坪内逍遥の『小説神髄』といえば、日本のSFを駄目にした諸悪の根源として槍玉に挙げられているとかいないとか(そんな“恨み節”のようなものを、随分昔読んだ記憶があります)。明治の初期には、ヨーロッパの新潮流としてSFも結構紹介されていたらしい。ですが、『小説神髄』の後、SFは廃れ(せいぜい子供向けのもののみ残り)、代わって私小説が台頭してきた。

ところが、そんな逍遥が『小説神髄』の中で、“文明が進行し、入り組んだ文明や深遠な知性の産物の結果、複雑怪奇となった新たな情”について、言及しているのです(私がここで指摘する、百数十年も前に)。それ故、その“新たな情”にかなった新たな小説を書かねばいけない、それこそ“小説の神髄”であると。もしかするとこの言及は、日本で最初のものかもしれません。

だが、その後がいけない。逍遥はこの“新たな情”と“古い情”の対比を、西洋の(複雑な)詩と(日本はじめ)東洋の(単純素朴な)詩との間に見た。そして、あろうことか、西洋詩と西洋小説をほとんど同一視して、これが文明開化された小説だとした。既にそれ以前ヨーロッパでは、『ボヴァリー夫人』により詩と小説が完全に分離されていたにもかかわらず(『ボヴァリー夫人』(1856年)、『小説神髄』(1885-86年))。

逍遥は“文明の進行”を、開化前と開化後には置いたが、文明というものはその後も進行し続けるのだというごく当たり前のことを見落としたのです(若干、さらにその先を匂わす記述もありますが)。進行し続ければ、“入り組み方”や“深遠さ”も更新され、結果“新たな情”も更新され続ける。文学が“情”を描くものであるなら(「小説の主脳は人情なり」(『小説神髄』 現代文学大系1 坪内逍遥 1967年 筑摩書房 P118))、これまた“新たな情”にかなった新たな小説に更新され続けねばならない。ところがここで逍遥は、致命的なミスを犯した。

実は“恨み節”の文脈を、『小説神髄』の中に探したのですが、見当たりませんでした。あまりに昔に読んだので、その出所も思い出せず、内容も朧なのですが、こんな流れです。――逍遥がSFを否定したのは(本当に否定したのか、どこで否定したのか、その辺の事実関係はよく分かりません)、人情(人の心理)は感情により形作られるもので理性によるものではない。人が未来のことを予測する時、それは理性によって行われる。従って未来の事を書く小説はあり得ない(事実、『小説神髄』中でも、小説を現在を描く「世話物」と過去を描く「時代物」の二種に分け、未来を描くことは考えていません(同P126)。まあ、明治初中期の人にそこまで望むのは、さすがに無理でしょう。もっとも小説と並べて奇異譚(ローマンス)という物語を立てていますから、SFはそちらに入るのでしょうが)。よってSFは小説ではない。

逍遥が本当に言ったのかどうか定かではありませんが、人の情は本当に理性(というか知性)を介在しないんでしょうか。――我々は、地球環境が壊れるんじゃないか、パンデミックが起こるんじゃないか、どっかの国の核が降ってくるんじゃないかと、将来を予測し不安を抱く。子供や社会の在り方の行く末に、期待や不安を抱く。人生の進路予想に一喜一憂する。複雑な世界情勢に接し、義憤を抱く。高度な諸学のパズルを紐解きその深淵を覗き見、感動で震える。

獣じゃあるまいし、寝る、飲食する、セックスするだけの情で生きている人間の方がまれでしょう。程度の差こそあれ、人の情とは知性の積み上がった造形の表面を、塗装のように包み込むものです。ニュートンがプリズムで太陽光をスペクトルに分けたりアポロが月に降り立ったりといったエポックのたびに現れる、“ロマンがなくなった”とか言い出す幼稚園児並の大人は、さすがに絶滅危惧種でしょう(ドーキンスに言われるまでもなく)。人の知性の探求が進むほど、ロマンは増える(丁度、風船の体積と、その表面積との関係です)。人は思考の過程に、知の働きに、絶えず寄り添って感情が動く。数学を証明する過程においてすら、人の情は揺れ動いている。余程ボンクラな“獣”的な人を除いて、“知”と“情”は共にある。近代以降、そして時代が進むほど、知の体積が増え、情が更新されていった(その更新された情こそ小説で書かれるべきものであると、多分日本で初めて指摘した人こそ、逍遥だったのに)。そして現代では、より知的な人ほど未来に生きている。知性による未来予測と情の絡み合いこそ、現代において書かれるべき小説の主脳となった。文明の結果のみに当てられ(予測することなく)右往左往するのは、獣に近い情のみで生きる(現在と過去しか眼中にない)凡夫だけでしょう。

まあ逍遥の主張を好意的に敷衍するならば、知の使用は充分に認めて、未来の予想も充分に認めて、その結果である情のみを、現在の小説として書けばいい、ということになりましょうか。例えば漱石の小説ならば、それが出来るでしょう(漱石の作中人物ならば、未来予想に基づいて、充分リアルに苦悩可能でしょう。そして漱石の小説をSFと呼ぶ者はいない)。『小説神髄』から『三四郎』までたかだか23年。当初は混迷し難航するかと見えた『小説神髄』の主張に即した日本小説の作新も、ほんの20年余りで成就され軌道に乗った、めでたしめでたし。

が、無論、事はそうおめでたくは納まらない。というのは、すでに書いた通り、文明はその後もますます進行し、知性で切り分けるべき領域もますます膨れ上がり、その結果の情もますます捩じくり返ったものになっていくからです。これもすでに書いた通り、その知性の領域を切り分けるべき散文は、(本歌取りが出来なければ)これまたますますそのボリュームを増していく。漱石は作中人物を苦悩させるための設定を、作内に書き込み得たでしょう。が、未来の漱石は、その設定説明が過剰になり過ぎ、あるいは『カラマーゾフの兄弟』中の“大審問官”の話のように、作中の作として独立させねばならなくなるかもしれない。さらには作中作では納まり切らず、別個に独立した作品として書き、体系立ったシリーズものとしてひと括りにする必要に迫られるかもしれない。この時、膨大な未来予想や知の遊戯で成り立っている散文の固まりがあるならば、作中人物の妄想としてボソボソ言わすよりも、独立した本歌として成立させた方がいい。この時、“現在”だの作中人物の“空想”だのという狭い領域に、そのますます膨れ上がる知性の領域を押し込めようとすると、文学は致命的に歪み、萎える。旧来の慣習的枠組み(現代小説に限るとか、人情に限るとか)など取っ払って、思いっきり体を伸ばせるだけ伸ばさせた方が、完成された、座りのいい文学となるのです(未来の事は未来に、知性の事は知性に、です)。

皮肉なことに、逍遥が日本小説の作新を掲げた頃には、本家ヨーロッパの小説は終わりを遂げ始めていた(まあ、ヨーロッパでマルクスが活躍していた頃、ようやくナポレオンを称賛するような遅れた国ですから、文学もまた一周遅れなんでしょう)。『小説神髄』の冒頭には、人々は荒唐無稽な物語に飽き真実味のある(写実的な)ノベルに移ったとありますが、人々は真実味のあるノベルには“もっと速やかに”飽きてしまいました。将来的には、こんな区分けが基準になるかもしれません。すなわち、単純な情緒小説(旧来のノベル、古い詩の情と似たレベルの)と、知性を駆使した小説(SFをはじめ、現代性をストレートに押し出した)と。先に書いた19世紀末期における詩とSFの入れ替わり(詩が廃れ、SFが隆盛した)は、これに対応しているように思われます。すなわち、詩の衰退とSFの勃興は、独立した現象として起こったのではなく、“知的なものをより多く説明・表現する必要”という文脈に沿って、(その同じ理由により)連続して起こった出来事、という訳です。

 

((詩論・続き))

 

今日において、詩は非常に特殊な文学ジャンルであり、従って成功した作品も人も極めて限られるように思われます。詩は、本歌取りの隘路を縫うように進み、訴求力の乏しさを逆手に取って訴求し尽くした時、とてつもない傑作を生む。だがそれは、極めて稀です。多くの場合本歌取りの隘路でうまく舵取りが出来ず、暗礁に乗り上げ、聴者との連絡が絶たれる。つまり、作者本人と極少数の聴者のみを聞き手とする、一人朗誦(独り言)となってしまう(他の聴者は置き去りにされる)。

 

マラルメの一生をかけた営為は(人によっては、30年間人を(多分本人も含めて)騙し通した詐欺師、と呼んでいますが)、“詩の最後の悪あがき”にしか思えないことが、私にはしばしばあります(前述の『絶対の探求』中でボルヘスは、「あれほど絶対の探求に憑かれていたマラルメが、最も不確かで移ろいやすい言語にそれを求めたのは奇妙なことだ。その含意は変化するし、いかに歴然たる言葉であっても明日はつまらぬ壊れやすい言葉となってしまうのだ。こんなことは誰もが承知していることなのに。」と作中人物に言わしています(『ブストス=ドメックのクロニクル』 P42-43))。マラルメあたり以降で光るのは、ランボーのように、本歌取りの中でも特に時代精神の隘路ととことん折り合いを付け踏破し切った“個性”、のみのように思われます。

マラルメは、言語はそれ自身として存在している、それを表現する人や理解する人も前提とせず、自立独立している、と主張している。自立した“詩の言語”は、何物も示さず、何事も語らず、“詩の世界”の中にのみ存在している。やがてその究極の姿は、薄らぼんやりした意識下を映すだけとなる、という。(作品は作者の署名を持たぬという。確かに“唯一の本”ならば、署名は必要ないでしょう。イデアとして既にあるのだし(『来るべき書物』 P470)、誰の著作かは明らかだ。署名過多のメナールとは真逆ですが。)

詩の言語は、音や抑揚や調和の総体として(『マラルメ論』 P25)、音楽のごとくある(詩の純粋音楽化は、歌への回帰でしょうか。進化とは言い難い。古代、ほぼ同時代の人と思われる孔子(BC552-BC479)とピタゴラス(BC582-BC496)は、共に音楽を高く持ち上げた。何故なんでしょう? それの、“秩序性・調和性”故でしょうか?)。音楽のごとくあるが、何も示さず、何も語らない、という。つまり極端に言えば、シニフィアンはあるがシニフィエがない、あるいは指し示す記号はあるが指し示される実物がない。あたかもボルヘスの『円盤』(『砂の本』所収 P145)に出てくる“オーディンの円盤”のごとく、“片面”しかない。あるいはネコには認識出来ぬ“第三の存在”のみで成り立っている世界、となるか。(再度書きますが、「詩的言語を記号の恣意性に対する補償ないし挑戦と見なすこの考え方は、我々の文学「理論」の基本条項の一つとなっている。(『ミモロジック』(ジェラール・ジュネット)P450-451)」(『「赤」の誘惑 フィクション論序説』 P175))

片面だけのコインのような、現物を持たぬ音楽のような言語って、シニフィアン・シニフィエの役割を越したところにある、ありふれた喩えですが“言霊(ことだま)”のような存在でしょうか。詩と銘打たれた時、それは言霊を呼び覚ますのでしょうか。我々は詩を言霊を呼び覚ます装置として捉え、身構えるのでしょうか。

だが“唯一の本”と断る以上、それは全き“普遍性”を持つと思われるのですが。ネコはともかく、第三の存在の分かる知性(例えば異星人とか)なら誰でも判読可能なような。――が、多分異星人には読めないでしょう。どう頑張っても、現生地球人類種の精神フォーマット依存、同文化依存の代物なんですから。――それどころか、多分地球人にも読めないでしょう、マラルメ本人も含めて。

またマラルメは、“唯一の本”は、“全体性”の“鋳型”であり、“不在”であり“無”である。存在と不在、現実と無を倒置し続ける故、全体を映し出し、全てに取って代わる(『ブストス=ドメックのクロニクル』中『選択する眼』に出てくる、“凹面彫刻”に何だか似ています)、とも言う。――ネコもびっくりの第三の立ち位置による、シニフィアン・シニフィエ・レフェランの約束事を経ぬ、あるいは経尽くした、人間のフォーマットも文化も蕩尽し尽くした故現物を消失した、記号から来るイメージのみが膨らみメタファーや類推や照応で他のイメージと連結し世界を覆う、そんなネットワークに至る、といったところでしょうか。

――ますます“秘教”めいてきました。30年間の詐欺師の頭の中の不可侵領域はさすがにチンプンカンプンなので、ブランショあたりを理解の手掛かりとしているところですが、このブランショのマラルメ論の書きっぷりがまた何とも錯綜しているようにしか思えない(フランスの評論が得意の、それ自体“詩的”な評論の故ですが。フランスの(メナールや、シャルボニエや、『文学忌避リスト』を残した書けない作家の故郷の)思想表現は、例によって“詩的”で、イメージが膨らむのはよいが、その分論理的整合性や関係性が曖昧模糊となる。――彼等は、迷路で迷うことが好きなのでしょう。その迷路を楽しみ、僅かに解明された抜け道に潜り込むことを楽しみ、迷路が知的にその有り様を変えて新たな迷路が形成されることをまた楽しむ(だからフランス人は(ブランショやバルトやカイヨワや、その信奉者達は)、ボルヘス好きなんですかね。ボルヘスはそれほどフランス文学好きじゃないから、片想いという事になる)。他方、迷路の上に跨道橋を掛け、一気に突破することを楽しむ人々もいる。まあ突破した先も、やはり迷路になっているのですが。私はどちらかというと、後者の人間です。前者の楽しみも理解出来、捨て難いですが)。――小説の方では“死んだ”とまで言われ死亡宣告された“神”が、詩においてはいまだ神で、しかも“生きて”いるとしたら、それを不完全にしか享受出来ない我々一般読者はどうすればいいのか。それ自体が完全で不可侵で分析を拒む、なのに我々は不完全にしか享受出来ない、としたらあとは神への絶対帰依、信仰しか残らない。その教義は不完全にしか理解出来ないのに、神は完全に崇める。ブランショの説く“詩”は、遥か以前の悪しき宗教そのもの、ということになってしまう。こうなったら、もう興醒めだ。

――“主人公が虫に変わる話”、あるいは、“貧乏学生が老婆を殺して、その行為を正当化する理屈をこね、その後その理屈に反する心理に打ちのめされる話”などを、現実世界を指し示さぬイメージの連なりだけで、どう表現したらいいのでしょう? 「きょう、ママンがしんだ」ことをあまり頓着せぬ主人公を、詩的イメージを膨らませて書いたら、作者の意図を外れて作品の方向性は散弾銃のごとく飛散・拡散してしまうでしょう。

“詩”で書くとは、全ての語がメタファーの網の中に位置することを、宣言して書くようなものです。この“メタファーの網”を、(読者が)意識するかしないか(散文でも勿論、自動的に我々のメタファー連想能力は働きますが、それ以上に能力を拡張することに心を囚われつつ読むことはない。詩を読む時にはこの“拡張”を強いられる、それが疲れるのだ)(ちなみに、この“メタファーの網”の、究極まで純粋に取り尽くされたものが、マラルメの“唯一の本”なんでしょうね)。――要は散弾銃とライフルの違いでしょう。イメージの膨らみ、メタファーの広がりは、焦点の絞り込みを妨害する。世界を覆うそれは、全体を包む聖なるテクストではあるが、神ならぬ身が、全てを悟ってしまって、つまりは全体を一遍に把握して個々の問題なんぞには見向きもしなくなる、なんてことにもなりかねない。現代社会で欲しいのは、むしろライフル銃の方です。複雑な事情、深遠な知的構築物、それら近代以降の大問題について、読者に分からせたい時、そこに照準を合わせる必要がある。作者の情念という余計な濁りも邪魔だし、散文による長々とした説明は必要だが(それにしてもドストエフスキーは長い! いくら原稿料を稼ぎたいとはいえ。もっとボルヘスを見習え!)、不必要なイメージの膨らみやメタファーの連なりもわずらわしく絡み付く蜘蛛の巣のようなものですな。それらを取っ払って、対象に焦点を絞り込み、狙い打つ。さすれば問題をより的確に捉え得る。この方法が現代の文学には要求される。実存、不条理、不安、ホロコースト、マイノリティー、ポストコロニアリズム、そして勿論SF。これらの問題を浮き彫りにするには、詩の薄らぼんやりしたイメージ戦略ではあまりに無力だ。だから、詩は小説に、文学の王の座を譲り渡した。

 

現代ではむしろ逆に、詩人の側が、小説の意味を伝える機能を詩の中に盛り込もうとしているように思われます。勿論前述した“本歌取り”の機能を縦横に駆使してです。当然ながら、現代社会の中に現代詩はある。だから現代社会から、資源を無尽蔵に汲み上げる。すなわち、「ラスコーリニコフが」とか、「ラスコーリニコフ的に」とかいった具合に。だがそれは、誰かが「ラスコーリニコフ」を最初に書いたから、です。本歌がなければ本歌取りは出来ず、本歌取りの間テクスト的ネットワークも出来ない。

『ツァラトウストラ』は、ドゥルーズも『差異と反復』の「はじめに」で「哲学的表現の新しい手段の追究は、ニーチェによって開始されたのだが、」(同P17)と言っているように、哲学の偉大な成果ですが、形態としてはいわば“叙事詩”ですね(それとも、“寓話詩”か?)。近代の哲学的問題を扱った叙事詩ですから、やはり本歌取りの方法を取ることになる。近世・近代のヨーロッパ哲学の体系に支えられ、かつ後世の者達の付した膨大な注釈(すなわち解釈)により、哲学書として成り立っている。しかしそれら(本歌取りのベラボウなハンモックの支え)を取っ払われたら(それ単独で提示されたら)、何の意味もなさない一編のファンタジー詩として読まれるしかない。

クラークの『幼年期の終わり』(『地球幼年期の終わり』 アーサー・C・クラーク 1969年 創元推理文庫)の魅力が、マラルメの詩に、本歌取りも使わず散文も使わず、表現出来るとは到底思えない。“唯一の本”と称しながら、マラルメのそれの表現可能な世界はあまりに狭い。言葉そのもののイメージの膨らみなんぞよりも、極単純な意味が連なり連なり、その結果深化した巨大な観念から生まれ出るイメージの方が、遥かに強大で現代世界を打つ、ということでしょう。イメージのあり方が、単純な言葉や音律や形式のもたらすそれより、遥かに作新されている。つまるところマラルメの営為は、“やらずもがなの詩作”という結論に落ち着いてしまう(ただし、一種の辞典(メタファーの類語・ネットワーク辞典)として使うのなら、マラルメの“唯一の本”も使い道があるかもしれません。詩や小説を書く時、これを座右に置いてちょくちょく参照すると重宝するような(“意味”を一般の辞書で引くように、“メタファー”をこれで引く)。しかしまた辞典という以上、時代と言語の変遷に即応して、日々更新され続けなければいけません。日々作新される本歌を、次々取り込む必要があるのですから)。

ヘッドホンを付け続け音楽に浸り切っているのは、大抵子供です(こういう格好をしている大人はあまり見掛けません)。大人は現実世界のもっと大きな問題に対処する時、音楽に浸ってはいられない。――まあマラルメにとっては(そしてあの時代の芸術家一般にとっては)美こそ至上であり、従ってそれで構成された世界こそ世界の全体なのでしょうが。ならば、自律する美たる音楽に詩との合一を見、詩(言語)もまた自律させ、それすなわち唯一の本(世界)という流れとなるんでしょう。

ただ我々は、美を世界とは見ない。削り捨てられるものが、あまりに致命的だから。虫とか、ママンとか、老婆とか、主上心とか。複雑な現代を、そして無論未来を写し取れない、まどろむ幼児並の“神”など、(あまりに不完全過ぎて)“唯一の本”などと呼ぶのはおこがましい限りですので。

(ところがここでまたブランショが、とんでもない事を言い出した。小説もまた、マラルメ的覚醒による詩的文章で書かれるべき、というのです(『マラルメ論』 P30)。こうした表現に完璧に従属した純粋なものとして、完成されねばならない、いわば“純粋小説”です。つまりは、現代詩人がやっている事と、真逆の方向の事を、現代小説家はやるべき、という訳です。少数の冒険者がそれをやる分には、「ああまた、向こう見ずが出てきたね」とほほえましく見てられますが、虫やママンや老婆や主上心を指し示すことを小説芸術の不純と見る、小説のための小説、その小説のための小説を目指すあまたの神が文芸の広野に降臨しそれぞれの世界観の発露で幾重にも広野を塗り込めたら、文芸世界は意味伝達不能の、視界ゼロで身動き取れぬ超深海のような領域と化すでしょう。正直、理論にもなっていない理論家の夢想は、狂気の沙汰ですね。)

 

((極々簡単な、まとめ))

 

――以上のような詩の衰退と本歌取りの力関係から見ても、ボルヘスの詩を小説に取り込んだ方法は見事に的を射ていたと思います。その逆ではオリジナリティーが希薄になり、分離では魅力を窒息させる。黄金期の彼の研ぎ澄まされた感覚が、それを選択させ、可能としたのでしょう。

 

 

ボルヘスへの批判と反論

 

一方にボルヘスの作品をこの上なく高く評価する(楽しめる、溺愛する)私のような読者がいると同時に、また一方にボルヘスなんぞ気取っただけの子供だましで文学の名にも値しないとする読者もいる。――これで、いいのです。――それを、子供だましを止めて、世界の大人達にも通用するような作品を書こうとした途端、彼の作品は凡となり、大人も子供も読者を失うこととなる。

鬼面だ衒学趣味だといったレッテル貼りはどうでもいい。それらもひっくるめて、トータルの“本物の力”なのだから。子供だましの奇想やパロディーからイメージを膨らましていくボルヘス節が、私のような者にとってはとことんツボにはまり、またある人々にとっては胡散臭い知的詭弁を弄んでいるように映り何とも不快になるのでしょう。好みの分かれるところです。

そうした後者の代表として、エルネスト・サバトと(あと若干蓮實重彦さんと)、それに批判の方向性は少し違いますが、スタニスワフ・レムに登場してもらいましょう。まず彼等のボルヘス批判(の中身)を取り上げ、次いでそれに対抗する論を考察してみたいと思います。それではまず最初は、比較的短い文章で済みそうなレムから。

 

(スタニスワフ・レムのボルヘス批判)

 

レムのエッセイ『対立物の統一――ホルヘ・ルイス・ボルヘスの散文』(『ボルヘスの世界』 P183-190)をベースにして考えますと、レムのボルヘス批判は、以下の二点に絞られると思います。レムは「ボルヘスは何らかの文化の体系の堅固に確立した部分を、その体系自体の専門用語によって変形させている」(同P184)と分析します。さらに「そういった短篇の前提がいかに気違いじみたものに響こうとも、それを論理的に反駁することは不可能である。」(同P185)、「彼は人類の文化史によって与えられた最初の公理の枠の中に、厳密に自分の位置を限定」(同)、「新しい、自由な考案による思考の枠組(パラダイム)を決して作らない」(同)と続け、「ボルヘスの最もすぐれた短篇の中には大変な知力の閃きが認められるので、何度読み返しても強烈な印象の失われることはない。」(同P186)と認めています(レムはその分析の逆説的恒例として注にうまい空想の話を挙げています。すなわち「注3-もしもショーペンハウエルが存在したことがなく、そして、もしもボルヘスが〝意志としての世界″という存在論的教義を読者に提示したならば、読者はそれを真面目に考えるべき哲学体系としては決して受けとめないだろう。読者はそれを、〝幻想的哲学″の一例と見なすことだろう。だれも賛同するものがいなくなれば、ただちに一つの哲学体系は自動的に幻想文学になるのである。」(同P188))。

しかし以上のように評価しつつ、レムはボルヘスのこの方法が、ワンパターンに陥っていると批判します。すなわち“対立物の一致”(「つねに別々にしておかねばならないとされるもの(相容れないと見なされているもの)が読者の目の前で、しかも論理を曲げることなく結び合わされてしまう」(同P186))というパターンに。そしてそれを自己反復していると(第一の批判)。――さらにレムはボルヘスのこの「〝機械的″な病」(同P187)の原因を、“ボルヘスが「自由で豊かな想像力が欠如していた」(同)から”と考察しています。

続いてレムは考えます。しかしボルヘスは、自由で豊かな想像力は足りないが、最も優れた図書館員だった。だから「霊感の源泉を求めて、あちこちの図書館をたずね歩かねばならなかった。そして、彼はその探索を全面的に、文化的・神話的な源泉に限定したのである。それは深く、多種多様で豊かな源泉だった。そこには、人類の神話的思考の一大宝庫が含まれているのだから。」(同)。さらに考えます。「しかし現代ではその神話的源泉は衰退しており、次々と新たな変化をとげている世界を解釈し、説明する力に関する限り、それは死に絶えつつあると言える。」(同)。結果、「このような閉塞状態はまさに彼のたわむれの限界」(同)、「われわれの宿命の方向とは反対側の極に全面的に位置している。」(同P188)、「われわれの世界の宿命と自分自身の作品を混ぜて〝合金″を作ることはできない。」(同)と結論を下します(第二の批判)。――以上が、レムのボルヘス批判の骨子と思われます。

ボルヘスを何かとライバル視している(周囲からもそう言われ焚き付けられている)所以でしょうか、なかなか辛口ですね。偉大な先達を称え自らの目標と掲げつつも、その欠点を冷静に析出しそれを乗り越えんとする。正当な評論です。それでは私も、彼等のさらにまた未熟な後輩として、そんな批評をさらに乗り越えんと努力してみましょうか。

ボルヘスが本当に「自由で豊かな想像力が欠如していた」単なる図書館員だったのか、それは判断がつきかねます。それにしてはレムも認めているように「大変な知力の閃きが認められる」し、ボルヘスの常套句の通り、神ならぬ身に出来る創造は、単に先行するテクストを思い出し、忘却し、切り貼りして再編するだけ、なのですから。(『汚辱の世界史 1954年版 序』に、「自ら物語を書く勇気がないために、他人の物語を(何ら美学上の正当な理由もなく)偽造し歪曲して楽しんでいた」(『世界の文学9 ボルヘス』 P254)とある通り、臆病なのか、それとも心底からは物語を信じていない故か、出所の明らかな借り物から創作をスタートした姿勢は、むしろ潔いとすら言える。)そしてそんな人間の創造力(再編力)には、おのずと限界(身体的(脳も身体の一部)、生活時間的(時間は誰にでも平等に、絶えることなく進む)、精神の慣性的(精神は連続的に変化する。すなわち慣性というか惰性))がある。――黄金の十年を猛スピードで突っ走って、結果ガス欠をきたした。浮かれたように突っ走ってきたから、あまり立ち止まって考え直すこともなかった。ガス欠が、考え直すいい機会だ。だから筆が止まった、バートルビーに落ちた。

ボルヘス自身、「~とかいった物語を生産する一種の工場」(『ボルヘスとの対話(リチャード・バーギン)』 P200)であることが嫌になった、と言っています。つまりワンパターンの様式(レムの言うそれとは、ニュアンスはある程度違いますが)の量産を自覚していた、1950年頃、レムに“機械的”と言われるまでもなく、それより20年も前に(レムのエッセイは1971年の作)。――多くの作家がワンパターンを脱しようとしてバートルビーに落ちるのだし、それがボルヘスの限界だったと言われればレムの言う通りですが、少なくとも他人に指摘されるまでもなくボルヘス本人がとうにそれを自覚していた。

というわけで反論は、反論にもならぬ内に(レムの主張を認める形で)終わってしまいました。ただレムの言う“対立物の一致”というパターンは、私が前々から掲げているボルヘスの魅力“長射程の奇想”の内の一パターンでしかないわけです。ですからボルヘスが、自らの機械化・工場化を乗り越え、新たなバリエーションを開拓する余地は充分あったと思います。そのための契機となり得たのは、レムの第二の批判、“源泉”の問題にあったとも思われるのです。

ボルヘスがビオイと共にそのシナリオを書いた映画『はみだした男』(監督 ユーゴ・サンチャゴ)を特集した『夜想 16号』(1985年 ペヨトル工房)のP30に、「わたしは今の本は読まない。ある本が良いものかそうでないかを知るには、少なくとも五十年の歳月が流れるのを待たねばならない。それだけの時を経てなおも口の端に掛かるとすれば、それが良い本だからだ。(『ボルヘスのすべて』)」とあります。(この『ボルヘスのすべて』というのが、出所がよく分からない。同じ箇所の他の引用が、「牛島信明訳『自伝風エッセー』」とか、「R・バーギン『ボルヘスとの対話』柳瀬尚紀訳」とかなっているのに対し、これには何も付加されていない。多分「訳・編」の野谷文昭さんが、原著(多分スペイン語)から直接訳したものと推測します。)――それにしても、“50年”は長い! 勿論、古典として評価の定まったもの、という意味でしょう。なるほどそれなら、確実、堅実ではある、偽物を掴まされる心配はない。ですが、レムの批判通り、これでは「われわれの宿命の方向とは反対側の極に全面的に位置」(『ボルヘスの世界』 P188)せざるを得ず、致命的だ(“50年”の前後の文脈は、元の文章が不明なのでよく分かりませんが)。玉石混交とはいえこの五十年間のものを捨て去るのはあまりに惜しい。――勿論ボルヘスとて、新しい本を読まないわけではないでしょう。現に前述した『沈黙の惑星を離れて』は、1938年に刊行され(その年のクリスマス・イブに大怪我をした)、翌39年に読んでいます。歳をとり盲目となり、古典に回帰したということなんでしょうが、もしかしたらあり得たかも知れない新作群のことを思い、憂えた次第です、彼がかつての図書館員のエネルギーで新しい“源泉”を探し当て創作技法を作新していたら、と。

ボルヘスならばそれが出来たと期待したかった。玉石混交から玉を見つけ出し、石すらその錬金術で玉に変えると。まだ見ぬ本のために、“投機”すべきであったと。レムもまた前文の続きで、「われわれの世界の宿命と自分自身の作品を混ぜて〝合金″を作ることはできない。」(同)と書いていますが、その“合金”を作ることが出来た筈だと。

そのためには、その研ぎ澄まされた嗅覚にものをいわせ、新たな“長射程の奇想”を生み出すための源泉を掘り当てる必要があった。が、盲目となった彼には、やはり荷が重過ぎたんでしょうか。レムの批判の中身は、そのまま私のボルヘスへの希望、エールでもありました。しかし今となっては、ただ死者へ送る、こだまするだけで返事の返ってこない虚しいエール……。

だがそうすると、レムと私は、同じ方向性のことを言っていたのか。ただレムのそれが批判で、私のそれがエールであったというだけで。思えば前エッセイ『本当はSF作家になりたかった巨匠・ボルヘス』で書いたことは、そうしたエールそのものでした。ボルヘスが新しい知識を取り込み、SF作家として新生してくれていたなら、と。彼独特の方法論とその姿勢はそのまま生かし、しかし新しいエネルギー源を取り込むことにより抗い難く方法そのものがその相貌を変え、レムの言う“合金”を生み出すに至り世の人々を再度仰天させる。――無論、死者に鞭打つような期待をいくら唱えても仕方ありませんから、これはこれから生まれてくるだろう新生ボルヘスへのエールです。本当の意味での、ボルヘス○世への。勿論、私自身そうありたいと望んでいるところの(しかし、私はそれが至難の技であることを重々承知していますし、それに残り時間があまりに少ない)。

――ところで、さっきの50年じゃありませんが、レムがこのエッセイを書いてからそろそろ50年経ちます。で、今振り返ってみると、「我々の宿命」の“その先”を目指した筈のレムの作品の多くがあまり成功していず(やはり、『ソラリス』ぐらいでしょうか、人々の記憶に根を下ろしているのは。それも、映画の力が大きい)、対して「反対側の極に全面的に位置」している筈のボルヘスの作品が、(その源泉の衰退にもかかわらず)いまだ人々の話題にのぼり新鮮な刺激を与え続けている。本の取捨の現実は厳しい。“50年”のくびきの重みは冷酷だ。レムの言うボルヘスの「自由で豊かな想像力の欠如」。言ってる端から、逆にボルヘスの想像力の独創性を際立たせ、レム本人のそれの凡庸さを暴いてしまうように思えてならない。レムは、「次々と新たな変化をとげている世界を解釈し、説明する力」(同P187)を求めたのに。その志や良し! だったのに。

その源泉の古さ、展開のワン・パターンにもかかわらず、人々は自分達を魅了してきた“ボルヘス流”に、新たな“創造”を予感し期待しているのではないか。長射程の奇想は幾らでも新規のものを開拓出来るし、知の源泉も新しいものが無尽蔵に口を開けて待っている。ボルヘス死すとも、ボルヘス流は滅びず。バースや、レムや、ジョイスや、ベケットや、アンチ・ロマンや、メタ・フィクションや、ヌーボー・ロマンや、……ワッパどもの書くお粗末で詰まらないものなどボルヘス流の足元にも及ばない。――が、いまだ、ボルヘス流を再現した者はおらず(無論ただの模倣じゃ再現とはいわない)、もしかすると“ボルヘス流”とは、ただ“予感”と“期待”だけを漂わせる、永遠に手の届かないカゲロウなのかもしれない。

(また、レムの『完全な真空』(スタニスワフ・レム 1989年 国書刊行会)を読んでいて、ふと蓮實重彦さんの『「赤」の誘惑 フィクション論序説』の冒頭あたりに書かれていたことが頭に浮かびました。『完全な真空』は“実在しない本の書評集”で、レムが何かとポスト・ボルヘス的に言われる理由の一端となっている本です。また蓮實さんの『「赤」の誘惑』の方の冒頭には、はしょって言えば、“フィクション”というのが、まるで天然もののウナギよろしく、定義の両手の平をヌルリヌルリとどこまでもすり抜ける、とそんなことが書かれています。

で、ボルヘスの最高傑作短編集は、まさにそのものズバリ『フィクションズ』と銘打たれている。定義で捉え得ない、掴みどころのないウナギです。

対して『完全な真空』の方は、書評集の冒頭に『完全な真空』自体の書評を置いているという具合に、入れ子構造のメタ・フィクション的仕掛けを施すなどしているにもかかわらず、(それも含めて)整然とし過ぎている。整い過ぎているのです。――このきれいに並んだ(書評の体裁をとった)フィクション集と比べた時、ボルヘスの『フィクションズ』は、『「赤」の誘惑』の“定義崩れ”のごとく、フィクションが破綻している(いや、一つ一つのフィクションはちゃんと完結しているんですよ。“集”として見た時、(定義的に)統一の取れたまとまりがない、と言っているのです)。私は、アモルファス(固体内の配列に結晶等の規則性のない状態)という言葉を、連想してしまいました。ウナギで、アモルファスです。ボルヘスはこんなレベル(作品“集”のレベル)でもまた、迷宮を作り出している。ボルヘスが故意にそうしたのか、無意識の内そうなってしまったのか(多分こっちでしょう。だから、タクラミ臭がない)分かりませんが、『フィクションズ』は、作品の形式も内容も、プロローグや注や献辞に至るまで、ぐぢゃぐぢゃの“フィクションの破綻”を演出しているように思われてなりません。)

 

(エルネスト・サバトのボルヘス批判)

 

次、サバト。エルネスト・サバトとは、どういう人物か。本エッセイでは、『作家とその亡霊たち』をベースとして参照しつつ、同時に『ユリイカ 1989年3月号 特集ボルヘス』(青土社)のP224-225、「ボルヘス図書館」(関連書籍を紹介したもの)中の『対話』(エルネスト・サバト 1976)の記事も参考にします(これは本邦未訳の対談集らしい)。

エルネスト・サバトは、1911年アルゼンチンの生まれ、ボルヘスより12歳年下。若い頃共産主義に歩み寄るが後失望し科学に没頭した。その後科学と文学二足のわらじを履いていたが、40年代(30代)から本格的に文学活動を始めた(『作家とその亡霊たち』を読むと、科学に対する批判めいた調子が目立つ)。この頃ボルヘス、ビオイ等のグループに属していたが、政治的対立がもとでボルヘスから離反した。その後は多方面を幅広く論じたエッセイの執筆で活躍した。対して小説の創作は、『トンネル』(1948)『英雄たちと墓』(1961)『根絶者アバドン』(1974)と、国際的にも高評価を受けたが、四半世紀の間にたった三本だけのようだ(このバートルビー状態、後の考察に深く関わる)。その後も文学に依拠しながら、現代政治・社会と深く関わり続けた。

こうしてみると、サバトの精神の成長軌跡に、特徴的な傾向のあることが見て取れると思います。若い頃共産主義(政治)に近寄ったがこれに幻滅した。次いで科学に没頭したがこれにも幻滅した。次いでボルヘスのグループに属したがこれにも幻滅した。つまり、何かに没頭しそれに幻滅するを繰り返す。こういう精神活動パターンの人、時々いますよね。誰の人生でもこういう事はありますが(ボルヘスも、若い頃ウルトライスモに熱を上げ、後離れた)、サバトはその回数が多い。慎重な人なら、入る前にまず周囲をよく見回し、出る前にもよく見回すものですが、あまり考えずに何度も出入りする人もいる(全然結婚しない人と、何度も結婚離婚を繰り返す人の違いでしょうか。情熱家なんですね)。サバトがあまり考えないタイプとは思えませんが(“君子豹変す”と言いますし)、写真を見ると情熱家タイプではあるように見受けられます(『カイエ 1978年11月号』(冬樹社)のP187に、晩年の二人(サバトとボルヘス)が並んで収まった写真(同国人だから、こんなケースも多いでしょう)が掲載されていますが、二人とも“微妙”な表情をしています)。

そんなサバトの文学観を一言で言うなら、ズバリ“人間主義”です。――ウーム、古い。逍遥の“小説の主脳は人情なり”とあまり変わっていない。無論装いは、大分現代風に改まっていますが(すなわち二十世紀文学の王道の人間主義(カフカとかカミュとか)に)。――それにしてもここで面白いのは、レムとサバトが、人生の前半ではすこぶる似通っていたのが(共に科学に没頭した)、後半に入ってまるで逆の道を選んでしまったということです(レムは“その先”を目指した。サバトは道を戻ってしまった。といってサバト本人は、別に“戻った”とは思っていないでしょうが。ただ、“駄目な”科学に見切りをつけ、“人間”に転進することで“その先”へ到達しようとした(その点、革命に失望し、ロシア正教に戻ってしまったドストエフスキーとは、戻り方の考え方がまるで違います))。

代表三作は、当時流行の、暗い実存主義的内容、らしいです。まあ、大体想像がつき、退屈しそうなので、今となってはあまり読む気は起こりませんが。――ただ、19世紀風“人の情”と違う点として、“統合的”“具体的”(つまりは、実存主義的)を特に強調しているように思われます。

逍遥が言った(かどうか本当のところは定かではありませんが)理性や思想と乖離した人の感情(逍遥時代の流行だったんでしょうが、心理学をやけに取り上げる。文学における情が心理学の従属物であるかの如くに)。マラルメの唯一の本的イデアの如き文学。そしてこれも芸術の業病だろう耽美主義、芸術至上主義、芸術のための芸術。これらのものは悉く否定する。――純粋に単離された小説など、ない。「小説について、純粋などという言葉を持ち出すと結局不毛な議論に終始してしまう」(『作家とその亡霊たち』 P12)、「小説というわかりにくいジャンルの「原型」なるものがどこかに存在しているなどと幼稚なことを想定してしまう。」(同)、「一点の曇りもない純粋とは結局「無」でしかない。」(同P31)、「概して芸術の分野で「純粋」という言葉が現れると、ほとんど確実に頽廃の時期が始まる。」(同)。――純粋に単離された情も知も、ない。「複雑に絡み合った混合物から思想だけを排除して感情だけを(致命的なことだが)抽出するなど病的な試みとしか思えない。思想は哲学や科学に固有のものであると聞いて、自らのフィクションから思想を排そうとするあまり、多くの作家が摩訶不思議な非現実性に陥っている。善かれ悪しかれ人間は考える生き物であり、それが作中人物になった瞬間から思考停止する必要はどこにもない。」(同P210-211)(だから日本の古い私小説は、“浅く”見えるんでしょうか)。「作品は多少なりとも哲学・思想の形を取らずにはいられない。」(同P210)、「思想と決して分離して考えることのできない感情の探究」(同)、「分かちがたく感情的・知的な実体である人間社会の現実を描き出そう」(同P211)、「人間には知的情動というものもあることを忘れてはならない。」(同)。――精神と肉、情と思想、現代と古さ等々が、具体的に統合される。これらが、やはり総合的な状況(現実世界)との兼ね合いで、具体的な事例として丸ごと(実存的に)表現される。――そしてサバトは、文学をその雑種性(統合的具体的)故に、哲学等の思想の上位に掲げている。「哲学自体が分裂した人間を統合することはできない。」(同P23)、「実存主義ですら逆説的な合理主義に陥らざるをえない。真の反抗と本当の統合は、分けられないものを分けようとしない精神活動、すなわち小説からしか導き出されない。その雑種性から感情と思想の中間に位置する小説というジャンルは、少なくともその複雑で広範な作品世界の中でならば、分裂した人間が真に統合した姿を回復することができる。」(同)。(その一方で彼は、フィクションに先行する思想の重要性は認めている。「フィクションに先行する思想が、何らかの形で作品を刺激してそこに入り込み、哲学的下地と人間的意味合いを与える。」(同P210)というように(スタンダールに先行するルソー思想、ダンテに先行するトマス・アクイナス哲学、プルーストに先行するベルグソン、といった形で)。そのくせ科学思想に関してはろくすっぽ出て来もしない。彼にとって科学は、「科学技術文明は音をたてて崩れ、科学の秩序が我々にもたらすのは安定した基盤ではなく、人間を奴隷化する血も涙もない機械だけだったことが明らかになった。」(同P189)といった代物だった。この評論集(1963年刊)を書いた頃のサバトの世代は、第二次大戦とその後の冷戦(核の二重の脅威)下の、科学に絶望した世代だった。正真正銘核の申し子、核時代の子止まりだったと申せましょう。そして実存主義あたりに強く共鳴した世代だった。この評論集中での彼の価値基準は、そのあたり(そうした時代精神)にある。)――ところで、ラテンアメリカ文学といえばマジックリアリズムですが、サバトはこうした表現法やあるいはSFといった毛色の違う作風についてはどう思っていたんでしょうか。彼自身ラテンアメリカ文学のハシリとも言うべき作家の一人で、自分に続く後輩達の活躍はつぶさに見ていた筈です(何しろ彼は、2011年(99歳)まで長寿を全うしましたから)。ラテンアメリカ文学研究者、翻訳家の安藤哲行(てつゆき)さんによると、『英雄たちと墓』の中でサバトは、「おかしなことだが、この国では幻想文学は極めて重要なものであり、その質も高い」と作中人物に語らせ、「いったい、何のせいなんだろうか?」と続けるが、その答は提示していない、とのことです(安藤さんのホームページから)。つまり、認めつつも、「おかしなことだが」と首を傾げている(この“幻想文学”が、ボルヘス等のそれを指すのか、それとも広くマジックリアリズム的作風全般を指すのかは、分かりません)。また『魔術的リアリズム――二〇世紀のラテンアメリカ小説』(寺尾隆吉 2012年 水声文庫)では、最後の『結びにかえて』に、「フランツ・ローの理論も踏まえて現代小説における「魔術的」要素の回復を声高に擁護したエルネスト・サバトは、『百年の孤独』が発表される以前からこのような言葉で「フィクションの矛盾」を提起していた。

良い小説の特徴は、読者を作品世界に引きずりこんで現実から切り離し、まわりを忘れるほど夢中にさせてしまうところにある。にもかかわらず、それが身の周りの現実をしっかりと暴き出していることに変わりはないのだ。」(同P221)とある。どうやらサバトはマジックリアリズム擁護を打ち出していたらしい。ただし文中の「フィクションの矛盾」という文章は、『作家とその亡霊たち』P186の「『フィクションの逆説』 良い小説は読者を架空の世界に引きずり込み、現実を忘れるほど周囲から切り離された読者はその世界にどっぷりと浸ることができる。それでいて小説は実は周りの現実を照らし出しているのだ!」と同じもので、これを書いた当時(1963年刊)この文章がマジックリアリズム的なものを念頭に置いて書かれたかは微妙です。マジックリアリズムブームは60年代のことですし、サバトはその後50年近くも生きていたんですから。(そして少なくとも63年当時は、サバトにはこうした現象が「逆説」とか「矛盾」とか思われていた。)――いわんやSFをや。私の記憶の範囲では、SFをまともに取り上げた箇所はなかったかと思います。あれだけ科学に入れ込んでいたくせに、そこから得られたものも感じられたものも、何もなかったんでしょうか(何もなかったんだとしたら、未開人と同じです。未開人は科学に対し、憧れるか、恐怖を抱くか、その二つの感情しか持たない。サバトは、世の科学への憧れを批判し、恐怖において科学を弾劾した、それ以外のものがなかった。未開人と同じだ(ただし、これも1963年のエッセイ集においては。何しろ彼は2011年(99歳)まで生きていますから、それ以降どう変わったかは分かりません)。科学など、所詮人間が現代において到達した一事象であるに過ぎない。丁度政治や経済が良いものでもあり悪いものでもありその他諸々複雑なものの集合体であるように、科学もそうした複雑な集合体だ。決して一断面で切り落とせるものでも、見ずに済ませられるものでもない。知性の対象となる領域全体がそうだし、(サバト風に言うなら)具体的実存的人間の対象となる領域全体がそうだ。政治・経済、哲学、言語等々と接する時と同じように、複雑な思いを持ってしかるべきだ)。

上記のような文学観のもと、サバトは文学を問題提起の文学(探究し発見する文学)と何も提起しない文学(娯楽文学)とに分けます(これまた何とも陳腐な図式!)。レムの『完全な真空』の最後『「完全な真空」日本語版』の末尾に「作家はいつも人間について書くべきだなんて、一体誰が決めたのだ?」(同P307)とありますが、多分逍遥とサバトが決めたのでしょう。サバトはロブ・グリエを全体主義的理論家とこき下ろしていますが(『作家とその亡霊たち』 P108。ロブ・グリエに関しては私も同感ですが)、同じ項目の中で「際限無いジレンマをいったん棚上げして健全な思考停止を実施し、小説という現象そのものを記述する」(同)、「小説ジャンルのありのまま、その変遷を検証する」(同)、そして「小説の属性は、以下のようにまとめることができよう。」(同)として五項目を挙げているのですが、その中に「登場人物の感覚や情念」「「登場人物」と呼ばれる人間が現れる。」「人間の生きるドラマ」「人間の小説があるだけ」といった具合に、「小説ジャンルのありのまま」「小説という現象そのものを記述する」と言った口の端から、既に“人間ありき”が大前提として顔を覗かせている。つまりロブ・グリエほど極端ではないにせよ、サバトも同類、という訳です。無論サバトが、非人間小説を全否定するような愚行を犯すとは思えませんが、そしてサバトの言わんとしていることは重々御もっともなのですが、それにしても彼の主張は、――狭い、片手落ちだ。大事なものが大きく欠落している(人間としての関心が、そっちの方面には向かないのでしょう)。そんな彼の欠落部分(すなわち“人間が書かれていない”が常套句の人々の感性の欠落部分)については、おいおい書いていこうと思っている次第です。

 

さて、そんなサバトの色眼鏡を通して見たボルヘス批判とは、一体どういったものでしょうか。――ボルヘスは、「知性を詭弁家のようにしか使わない。」(『作家とその亡霊たち』 P75)、「胡散臭い詭弁を知的かつウィットに富む形で玩ぶ」(同)、「特異なもの、愉快なもの、驚くべきものばかりに目をつけていた」(同P74)、「すべてが遊び、まやかし、子供じみた逃避に見えてしまう。」(同P85)、「彼自身も、これを読む我々もそこに書いてあることを信じてはいないのだが、そこに展開された形而上学的可能性は読者を魅了せずにはおかない。」(同P76)。――P74では、ボルヘスとカフカを比較し、ボルヘスをドンファンに、カフカをトリスタンに喩えている(すなわち両者の恋愛を巡る態度に、文学を巡る態度を対峙させて)。ボルヘスの文学はドンファンの情事であり、カフカの文学はトリスタンの悲劇である。ボルヘスの文学は心地よい遊びを志向する多様な冒険であり、カフカの文学は人間の真実を探究する恐ろしい冒険である。――つまるところボルヘスの文学は、幻想文学としていかに質が高く読者を魅了しようとも、何も提起しない文学、娯楽文学でしかない。――以上、批評終わり。
(ボルヘスは自らを“不可知論者”だと認めているようです。『パラケルススの薔薇 バベルの図書館22』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1990年 国書刊行会)のP131には、以下のようにある。「あなたにとって、世界とはいったいどのようなものなのでしょう。」と、インタヴュー(1973年)でマリア・エステル・バスケスに訊かれて、「私にとって世界とは、驚きや、困惑や、不幸や、時には――何もごまかすことはないと思いますが――幸福などの絶えず湧く泉です。ですが私は、世界について理論めいたものは持っていません。私が文学のためにさまざまな形而上学や神学の体系を利用してきたので、おおむね読者は、私がそれらの体系を信奉している、と思ってきました。ところが実際には、私はただ文学のために利用しただけなのです。もし今、私が自分を定義しなければならないとすれば、不可知論者、つまり、認識は可能であると信じない人間、ということになるでしょう。いずれにせよ、しばしば言われてきたように、二十世紀の、あるいは次の世紀の教養ある人間によってこの世界が理解され得ると考える、いかなる理由もない。ま、そういうことです。」と答えている。つまり、可能な似非真実しか書かない(さもなくば、サバト流に“具体的”になるが、これは願い下げだ)。)

これだけで終わらせたのでは、同郷の高名な先輩に対しあまりに申し訳ないと思ったのか、サバトはあらずもがなの事を付け足している。すなわち「貧相ではかないが極めて人間的なことを詠った詩人、」(同P85)、「輝きには欠けるが確かなこの世界、誰もが生まれ、苦しみ、愛し、死ぬこの世界へと戻ってくるボルヘス」(同P85-86)、「我々が生きて苦しむ愛憎にまみれた町、薄汚れてくすんだ、この本物のブエノス・アイレスに生きるボルヘス」(同P86)、それこそが「真に作家の名に値するボルヘス」(同P85)であり「これが(予言してもいい)後世に残るボルヘス」(同)であるという。――冗談じゃない! そんなボルヘスなんぞ、願い下げだ!――「現実世界の粗野な実存を恐れるボルヘス」(同P75)、「自分に欠けた二つの要素、すなわち生と力に対してボルヘスがひそかに寄せる憧れ」(同P83)、「遊戯は、ボルヘスの苦悩、ノスタルジー、最も深い悲しみ、最も人間的な恨みを先送りするだけで解消してはくれない。」(同P82)。そんなことは百も承知だ。少し気の利いた人間なら、誰でも即気付くことだ。だから、どうした。

誰もボルヘスに、真剣さなど求めやしない(求める時は、別の作家に求める)。ボルヘスが柄にもなくその深層の人間性なんぞ剥き出しにしたら、世の三文作家にも劣る駄作者に堕するだろう。有象無象に埋没して(地球の裏側の)我々の眼にその作品の届くことなど決してない至極ありふれたアルゼンチンの一作家に終わっていただろう(ボルヘス自身の作品の中にこういう作家は出てきそうだ、戯画の対象として)。だから、私もまた予言してもいい、“後世に残るボルヘス”とはサバトの否定した方のボルヘスであり、サバトの言う“ふと人間性を垣間見せるボルヘス”や“アルゼンチンやブエノスアイレスへのノスタルジーに溶け込むボルヘス”は、前者“後世に残るボルヘス”の付属部分、その影としてのみ後世に残ることを許されるだけだろう、と。(ボルヘスの傑作達といわゆる“ガウチョ系”作品達との間の分裂(引き裂かれ)を、ボルヘス自身の分裂(引き裂かれ)の現われと報告し、鬼の首でも取ったように“発見”と称する人もいますが、片腹痛し、この“発見”自体あまりに凡です。――ボルヘスの文学史に残る真骨頂が“ガウチョ系”である可能性など、まずないでしょう(これまた“影”としては残るかもしれませんが)。ガウチョ系との分裂や故郷へのノスタルジーに意味を探るなら、前項『アルゼンチンとボルヘスの、アヤフヤな立ち位置』で私の書いた、“どっちつかずのアルゼンチン”と“どっちつかずのボルヘス”の共振効果、が創作的優位性を生んだといった方向で探るべきでしょう。)

サバトにしてみれば、自分の目指すものとは正反対と見えるボルヘスが高く評価される(同国内でも世界でも)ことが、どうにも納得出来ず、耐え難かったんでしょう。にもかかわらず、サバトはさっぱり読まれず、ボルヘスは世界中で読まれているという事実があった(それどころか70年代アメリカでは、ボルヘス以外の現代文学が軒並み読まれていなかったという事実があった)。――そうした結果のみ見れば、ボルヘス文学がサバト文学より遥かに優れていたという現実は明らかだ。では、その結果を生み出した、原因は何か?

 

((人間文学))

 

それは確かに、“人の情”を描くことは、文学的に“強烈”です。

ましてや、作中人物に演じさせ、シミュレートさせ、彼の経験を読者に追体験させ(つまりは作者の敷いたレール上をまんまと進ませ)、作中人物(多くは主人公。ドストエフスキーとかだと“多声”)の抱いた“情”に避け難くシンクロさせる(多くは共感だが、反感等もあり)。そして読み終えた時には、読者は読み始めとは別の人間に変わっている。まさに高橋源一郎さんの指摘した、『小説』の“装置”そのものです。読者はうまうまその仕掛けにはめられてしまう(しかも大金まで払って。――まあ、テーマパークのアトラクションと同じですから、大金を払ってでも自らはまりたいのでしょう)。

文化の華ともいうべき近代の“小説”芸術は、精密に組み立てられた“装置”であり、“最高の蜜の味”を享受者に提供する。サバトの書き振りも、こうしたルールに則り“王道”をいっている。少年ジャンプの“友情・努力・勝利”のようなものです。人の情を動かす最大のものの一つは、他者への共感ですから。いわば強烈にスパイシーな料理のようなものです。ボヴァリーは私であり、ラスコーリニコフは私であり、スヴィドリガイロフは私であり、ザムザは私であり、ムルソーは私であり、静人は私であり、……。作中人物は、受身にであれ積極的にであれ、状況に翻弄されまた問題を追究していく。彼は悩み、悲しみ、喜び、困惑し、怒り、不安となり、ショックを受け、安心し、錯乱し、希望を抱き、絶望し、失神したり、死んだりする。読者は作者の術中にまんまとはまってその心情を右往左往させられる。“人間”文学にハマってそこから出られない人は、いわばスパイシーな料理が病みつきになっている人のようです。

というわけで、サバトの書いていることはいちいちごもっともで、“人間”文学にとてつもない価値のあることは私も大いに肯定するところなのですが、――問題は、――それだけ?――というわけです。

文学とは、それだけなのか。人は、それで終わりなのか。スパイシーな料理ばかり食い続けることに、耐えられるのか。そんな疑問が、サバトの書いていることを読みつつ、絶えず同時に湧き立ってくる。――スパイシーなばかりではない、旨みを生かした料理、濃厚な料理、淡白な料理、不思議な食感の料理、色々と食べたくなる。フレンチの三ツ星ばかりではない(確かに三ツ星フレンチは最高においしいですが)、世界中を見渡し中華料理もインド料理も日本料理も、星付き料理から場末の店や屋台料理まで悉く食い尽くしたくなる。少なくとも、三ツ星フレンチだけで、他の料理は目にも口にも入れないというのは、絶対にあり得ない。

 

((基準を変える))

 

そこで、基準を変えることを提案したい。すなわち、『何を(例えば“人”を、とか)』『どう(例えば“リアリズム”で、とか)』書くのが文学(あるいは良い文学)なのか、と考えるのではなく、『どういうもの』が文学(あるいは良い文学)なのか、と考えるのです。

“文学”自体は、『嘘』(というか、現実の報告以外のもの)が書かれたテクスト、とでもしておけばいいでしょうが、問題は“良い文学”の方です。――私の提案したいのは、多くの人々も言っていることですが、「(読む前と読んだ後とで)読んだ人を変える文学」を“良い文学”とする、というものです(実はこれは、サバト自身も指摘しています。「作者にも読者にも変化を与えない小説には何の価値もない。」(『作家とその亡霊たち』 P29)。ただし、彼の言う小説とは、「人間の書かれたもの」に限定されるわけですが)。

ところで、既にお気付きの方も多くおられるでしょうが、この新基準は“良い文学”とは『何を』書くか、『どう』書くかを、直接的には指しません。つまり、あくまで“モノサシ”に過ぎません。それどころか、“書かれるもの”や“書く方法”に対して、徹底して“相対的”です。

例えば、ドラエモンです。ドラエモンは、私にとっては駄作です、私をさっぱり変えませんから。しかし五歳児にとっては、すでに読者論で書いた通り、傑作です。児童文学の存在意義です。同様にどんな未熟者の書いた作品でも、その作者が真剣に書いているならば、少なくともその作者にとっては本人を変える“良い文学”です。かように、何が良い文学かは、読者それぞれによる。従って、“何を”“どう”書くべきかの議論は、もはや“議論”ではなく、“主張のし合い”です。客観的基準が存在しないのだから、あとはそれぞれが自分の押す文学の魅力をプレゼンし合うだけです。どっちが正しい正しくないではなく、どっちが魅力的か、です。

ところでこの“人を変える”とは、具体的にはどういうことを言うんでしょうか。――極意は、“小説の主脳は人情なり”、これです。またまた逍遥が出てきました。ただし、私の言いたい“人情”は、作中人物の人情ではなく、読者の人情です。読書によって読者の人情が変わる、これこそ“小説の主脳”であると言いたい訳です。

人の情は、小説の描くべき対象ではなく、作用すべき対象であると考える。サバトの言う問題提起は、読者の中で起こればいい。何も作中人物の中で起こし、それに読者が共感するように仕向ける必要はない。読者が読書で掘り進めるべき人間性とは、作中人物の人間性ではなく(無論それもアリだが)、読者自身の人間性です。つまりは、構図を、ガラリと組み替える。

文学は、“人を書く”ばかりにあらず。それは、充分条件ではあるが、必要条件ではない。単なる一手段に過ぎない。ひとつの手段にばかり固執すれば、他の可能性が全てスッポリ抜け落ちることになる。

文学の長い歴史をたどると、“人の情”を描く手法は確かに始原から文学と共にありましたが、特にこれが声高に主張されたのは近代(ブルジョワ時代)の極短い期間の出来事、たかだか100年程度の文学的潮流に過ぎなかったと思われます。――その日本におけるハシリとも言うべき逍遥にとっては、『小説神髄』にあるごとく、それ以前の“戯作”(ローマンス)に比べ、いかにも新鮮に映ったことでしょう。――この潮流の初期においては、ガチガチの(科学レポートを模した)リアリズムが幅を利かせ、のちカフカやプルーストやジョイスやとあらゆる変化球が試された。今でも、そして今後も勿論、この手法がすこぶる有効であることは疑いの余地もないでしょう。時代を超えて、傑作が生まれ続けるでしょう。逍遥の言うごとく、時代が作新されるごとに。シュールレアリズムやヌーボーロマンといった手法がほんの数十年で立ち枯れたのに対し、この手法は多分人があり続ける限りあり続けるでしょう。

にもかかわらず、無辺とも見える“文学の器”の中では、“人の情を書く文学”などケシ粒も恥ずかしがって消え入るほどに小さく見える。それは、“嘘”(人間の自由な精神・想像力)を素材とした、人の情に訴える(それの在り様を変える)あらゆるテクストを入れられる“器”である。我々は自由で新鮮な空気を吸うように文学を楽しみたい。決して、人間だの、作中人物だの、レールだの、共感だの、不安だの、苦悩だの、探求だのに限定され、それに甘んじることを強いられたくはない。そうではなく、自由に全てを楽しみたい。全てに苦悩したい。全てを感じたい。全てを考え尽くしたい。全てに到達したい。

となれば、カントールやゲーデルのごとく、“文学の器”の無辺性を計測不能と見事に計測してみせたボルヘスである。サバトはボルヘスを、「特異なもの、愉快なもの、驚くべきものばかりに目をつけていた」(『作家とその亡霊たち』 P74)と言って非難した。しかしその非難されたものが、ボルヘスの一編一編が、きらめく様に記憶に残っている。あれだけ面白くて、あれだけ退屈させないのだから、我々を変えない訳がない。事実、フーコーは変えられてしまった。ドゥルーズまたしかり。サバトの非難した単なる遊戯の娯楽が、彼等の哲学を創造する契機の一翼を担った。ボルヘス文学はやはり、作中で人間を掘っていくものではなく、直接読者の人間性を変えていく文学なのでしょう。それは姑息な入り口と出口のあるレールなど必要とせず、むしろ錯綜した迷宮で永遠に人の心を捉え、人を変え(続け)る。アトラクションの如き入り口と出口の決まった安全なレールなんぞより、遥かに危険で蠱惑的なあらゆる予見の利かぬ放浪空間なのだ。――いたずらに読者を変えよう(感動させよう)とするが、そのあまりの詰まらなさにさっぱり変われない(記憶にすら残らない)安っぽい小説と違い、作者に変える意図がなくとも、高級な小説は確実に読者を変える。少なくとも記憶に巣くってしまったという事実だけで、もう変えられてしまったことは証明されている。カフカとか、カミュとか、ボルヘスとかには、記憶に深く刻まれる一編一編がある。他方その他の多くの作品は、朧に残る程度で、人情変換の効果の程は極めて曖昧である。またマルケスや中上健次のように、状況依存的(普遍性に欠ける)故、カタチンバな残り方をする作品もある(作中人物の境遇が自分から遠いので、興味本位の覗き見となってしまい、身につまされないのだ。マルケスや他のラテンアメリカ文学の作家達は、別の意味で面白いわけだが)。

――という次第で、文学の分類法もおのずと変わってくる。サバト流の“問題提起の文学:娯楽文学”という分類は無効となり、替わって“人(の情)を変える文学:変えない文学”という区分となる(重ねて言いますが、これは文学的価値の効用(結果)からの区分であって、文学的価値そのものにより区分しているわけではありません。だから論の進め方が逆転している。しかし、重要な指標とはなるでしょう。すなわちこのモノサシに沿って考えを進めれば、文学の価値とはいかなるものかが炙り出しのように見えてくるものと思われますから)。

さらにこの分類に交差させる“別の次元”の分類として、『面白い:詰まらない』『マンネリ:新鮮』等々考えられますが、その前に必要な定義をある程度固めておきます。

 

((“文学”の私的定義))

 

本エッセイ中ではこれまで、『文学』『小説』『フィクション』等の言葉を、かなりいい加減に曖昧にまぜこぜに使ってきましたが、今後もそのまま使い続けます。ただ大雑把に言って、『文学』が一番範疇が広い。これには、『小説』『詩』『戯曲』等々を含みます。定義するなら、前述の通り、『嘘』(現実の報告以外のもの)が書かれた(少なくとも一部は)テクスト、となりましょうか。『フィクション』は、“より作り物っぽい”程度のニュアンスです。小説の下位概念に収めたくもありますが、“フィクション性”は詩や戯曲等(その他のジャンル、世界にも)に横断的でしょう。『小説』は、旧来の狭義の『小説』ではなく、最大の範疇で使っています。狭義の場合は、“人を書く小説”とか、限定条件を付しています。

――しかしそうすると、もし「『文学』=嘘」なら、自分の心情を匿名とせず素直に歌った詩や小説は、もはや文学(抒情詩)ではなく単なるレポート、日記の類となるんでしょうか。戦場の真実をありのまま歌った詩や小説は、もはや文学(叙事詩)ではなく、単なる戦争ノンフィクションの類となるんでしょうか。反対に、嘘八百を並べた公文書やマニフェストや陳述書やスキャンダル記事なんかも、“これは文学だ”と宣言すれば許されるんでしょうか。あるいはやはり、“文学”であるか否かを指示する、別のテクスト(メタ・テクスト)の添付、が必要なのでしょうか(このメタ・テクストをもフィクションと化してしまうのが、ボルヘスの常套手段なわけですが)。

思うに、詩、あるいは詩っぽい小説とは、作者のパッションにより発信されるものです。ボルヘスも、「詩人は物語を語る、そして同時にそれを歌う。」(『ボルヘス、文学を語る』 P75)と言っている。心情をダイレクトに発する抒情詩はもとよりですが、出来事を語る叙事詩でも、語る者のパッションがいやおうなくにじみ出てくる(だから、語るだけではなく、歌うこととなる)。同じ『イーリアス』のテクストでも、戦争ノンフィクションライターが語ればノンフィクションとなり、ホメーロスが歌えば叙事詩となる。ホメーロスが歌ったという時点で、それはホメーロスの精神(パッション、というフィルター)を通して表現された“作り物”となる。(かように、“作者の存在=作品の存在”という二重構造が色濃く出るという意味で、“詩的なもの”は常に“メタ・フィクション的”である。

ボルヘスは「わたしはいつか、詩と散文の根本的な違いはそれを読む者の期待がたいへん異なっていることに由来するのではないかと思ったことがある。詩は散文の許容しえない緊張を前提にしているものだ。」(『永遠の歴史』 P121-122)とも言っている。“緊張”、すなわち“映画館の暗がり”であり、作者のパッションが読者に強いる身構えだ。読者は作品が作者のパッション・詩心(客観的真実を伝えようとは決して思っていない表現意図(それはある種の真実ではあるのだが)というフィルター)を通して伝えられたと判断した時(すなわち身構えさせられた時)、その表現内容を“作り物”、“嘘”と判断する。

――その対極に位置するのが、フローベールの“客観”でしょうか。フローベールは「「散文は、つい最近生まれたばかりのものである」」(『「赤」の誘惑』 P179)と言ったそうですが(すなわち、規範(美学的、修辞学的)がなく、意味のみを伝える、それまでの文学っぽいものが何も盛られていない文。まさに実務のための文)、バルトによると、「フローベールは、(中略)<文学>を終局的に客体へと構成した。」(『エクリチュールの零度』 P13)。(そんなフローベールと詩の完成者たらんとしたマラルメがほぼ同時代に活躍したというのは、ある意味偶然で必然ですかね。バルトは前述の文章に続き、「最後に、マラルメが、あらゆる客体化の窮極的行為たる殺戮によって、このような<文学=客体>の構築に絶頂を極めさせた。」(同)と言っています(すなわち、作者も読者もいない、独立してある書物)。たすき掛けのバトン・タッチ、といった所でしょうか)。

勿論100%混じり気無しの客観的表現なんて、幻想に過ぎません。現実を文章に移し替えた時点で、“作り物”です。私が医者に症状を伝える時の“物語”のごとく、“人・間・人”で意味を伝える時には便利な物語(フォーマット化)ですが、いずれにせよその時点で“真実”からは離れる、ズレる。たとえ『会計帳簿』の類であろうとも。そんなことはフローベール自身百も承知で、だから“客観”の完成直後からそれを打ち壊しにかかった。

ポイントは、表現されているものが客観的か否かではなく、表現者が客観的に(いわゆるドキュメンタリー的に、作者をなるたけ不在にして)書こうと意図していると、読者が受け取るか否か、なのです。散文の作者だって、本当は伝えたいパッションがあるのに、あたかもそれが無いかのごとく“空っとぼけて”伝えることを建前とするのが散文であり、読者の側もそれ(パッション)が無いという建前の上で“気付かぬ振りをして”それを読むのが散文です。作者の意図(少なくとも、建前上の)を、読者が汲み取る。真実をなるたけそのまま伝えようとしているか、表現したいというパッションの赴くまま伝えているか、それとも悪意ある嘘をつこうとしているか、等々。これにより、文学か(詩か、小説か、それ以外のものか)、真実のレポートか、ただの悪意ある嘘か、等々の区分を読者の側がつける。(やっぱりこれらの区分も、読者論の通り、最終的には読者の受け取り方次第、という所で落ち着いてしまうんですね。)

ホメーロスがまるで見てきたように歌った『イーリアス』や『オデュッセイア』ですが、『オデュッセイア』という同じテクストがあったとして、散文はAIにだって打ち出せるが、詩は人にしか書けない、歌えない(受け手が、AIに初音ミクを感じ、人を超匿名の無機物と感じるなら、話は別ですが)。同じテクストでも、読者が作者をいかに想定するかで、詩にも散文にもなり、文学にもドキュメンタリーにもなり、嘘八百の捏造文書やスキャンダル記事にもなる。――ボルヘスは、叙事詩の復活を提唱しています。『ボルヘス、文学を語る』P72-73では、「ある意味で、人びとは叙事詩を渇望しています。」「ある物語を語るということと詩で歌うということが仮にふたたび一つのものになったとしたら、きわめて重大なことが起こる可能性があるのです。」「叙事詩まで戻ることができたとすれば、非常に素晴らしいことが実現したことになるでしょう。」などと言っている。だが、どうも私にはボルヘス得意のパロディーのように思えてならないのですが、――真面目には受け止められない。――詩では内容がフィクションだろうがノンフィクションだろうが詩となり、英雄譚だろうが場末の物語だろうが叙事することに作者のパッションが感じ取れれば叙事詩となる。散文ではそうはいかない。しかし、昔の人風の詩人のパッションをそのまま出せる作者が、今どれだけいるものか。そして、そうしたメタ・テクストの単純な重ね焼きが、現代社会に果たして居場所を確保出来るものかどうか。

――何故こんな定義を長々書くかというと、世にある“書かれたもの”の中には、『文学』以外の“人を変えるもの”が沢山あるからです。――図書館の分類法を見れば分かる通り、『文学』など全図書中のほんの一部に過ぎません。経済・政治・法律等の実務的なもの、学術、技術、芸術一般、等々。これらの多くが読者の心を打ちます、しばしば文学以上に。『文学』を語る以上、これらとの境界をはっきりさせねばならない。諸科学の探究した真理などは人の心を遥かに強く揺り動かし人を根底から変えてしまいますが、まだ真理と確定されるに至らぬ学術論文なんぞ、果たしてどっちなのでしょう。スタップ細胞論文なんか限りなく“文学”に近いSFだったのかもしれませんね。

また、“人を変える”“人の情に訴える”“人の記憶に残る”等をゴッチャに扱っているのではないか、との批判には、以下のように考えるとお答えしておきます。人の記憶のメカニズムから考えて、どんなに論理的な思考(例えば数学の証明とか)でも、それが記憶に残るということは人の情を刺激したからである。よって三者はほぼ重なり合う、と。――ただし、これらはあくまで人間(の様なもの)が読者であると想定しての話、ですよ。別にほかの存在が人類の書いたものを読んだって一向に構わないのですが、人間のメンタル・パターンから遠く逸脱した存在が人間のフォーマットに準拠して書かれたこれらのテクストを解釈しても、――それらは既に多分無効か、別のもの・あり方に化しているでしょうから。サバトも言っていますが、「神は小説を書きはしない。」(『作家とその亡霊たち』 P223)ですから。

 

((基準を変える・続き))

 

で、舞い戻って、他の次元の分類法ですが、まずは『面白い:詰まらない』から。『人を変える:変えない』と『面白い:詰まらない』の二次元のクロスで四つのケースが考えられるわけですが、本当に詰まらないとしたら記憶にも残りませんから、人を変えようもない、あり得ないケースということになる。それでもあり得るのは学校教育などで無理やり読書させられた場合でしょうが、これとて読んでいる内多少は面白くなって心に残った場合でしょう。でなければ、純粋に詰まらないのに心に残ったとしたら、それは“トラウマ”です。確かに“人を変えた”には違いありませんが。という訳で、学校教育のような異常事態を除いて、人は詰まらなければ本など読まない。残りは二つのケースです。その内「面白くて読んでいる内、その本に影響されて本人も変わった」というケースは、いわば王道です。問題は、「面白く読んだが、さっぱり変わらなかった(本の内容もすぐ忘れた)」というケースでしょう。

『マンネリ』と『詰まらない』は大方合致していると思われますが、世の中にはマンネリを好む人というのが結構います。枝豆にビールで巨人のナイターを見続けたり、印籠が登場するシーンをワクワクして期待しつつ水戸黄門を見続けたり、歌手やアイドルのコンサートや格闘試合で同じ応援をし続けたり。多分本人達もマンネリだと頭では分かっているんでしょうが、面白いんだから、本当の意味でマンネリとは感じていないんでしょうね。――読んだ時だけ楽しい読書、というのも広く行われている習慣です。これぞ、生粋の娯楽文学でしょう(ただ、生粋の娯楽文学のつもりが、読み終えた後いつまでも心に残っていて、いつしか読んだ人を変えてしまっている、こんなケースがかなり多くあると思います。こいつが油断のならない時限爆弾なのです。潜在的(文学の)重要ファクターなのです。こいつについては、後にまた詳述します)。――この“読んだ時だけ楽しい読書”というのが、まるで人工甘味料のような、一方の“蜜の味”なんですよね。うまい“謎掛け-謎解き”の連鎖とか、“興味を引くネタの布石や餌蒔き”とか、プロの職人作家のテクニックが見事で、ついついハマってしまう。恩田陸さんの『ネクロポリス』とか周木律さんの『アールダーの方舟』とか、同時に固い本を読んでいたのだが、固い方は一向にはかどらず、ついつい目の前にぶら下げられた人工甘味料の方に手が伸びて先へ先へと読み進んでしまった。そうして読み終えて、残念ながらその内容は雪解けの雪のようにスーッと消え去る、即自炊かBookOff送りとなり、後に時間を無駄に使ったことへの後悔が残る(本当には後悔していませんよ、こういうゆとりも人生には必要です)。

というわけで、『面白くてためになる(人を変える)文学』こそ最良、ということになるんでしょうか。「面白くなければ読まれない。役に立たなければ(読者を変えなければ)読まれる資格が無い」という訳です。――純文かエンタメかなどという区分け、無意味ですね。純文でも(あるいは純文ほど)すこぶる面白いし(大方は覗き趣味文学だが)、面白くないエンタメは掃いて捨てても捨ててもなお溢れてくるが、その中にとてつもなくためになるものがしばしば紛れている。

ところでこの区分、無論例外もあります。いくら人を変えても、不快なもの(例えば犯罪とか、廃退とか、テロとか、病とか)を読む気は、なかなか起きないでしょう。それでも知らねばならない事が、世の中には一杯ある。人間、目を瞑り続けて生きるわけにはいきませんが、膨満の度を越して摂取すれば前述のトラウマを致命的に背負い込むことになる。どのようにバランスを取るか。その知恵もまた、読書から得られ、あなたを変える可能性大です。

だが基本、快適なものを読んで、おのれを変えたい。多くの場合、変わる事そのものが快ですから。少なくとも、私にとっては。

 

((人間文学・続き))

 

重ねて言いますが、“人の情”の書かれた文学は、“最高の蜜の味”です。人は他者の情と共感した時、最も強く心を打たれる故。――しかし、“ハニー・ハンター”が、あまりに多過ぎる!

“最高”であることと、“豊富”であることは、必ずしも一致しない。いやむしろ、“最高”であるほど、“希少”である。

そりゃ、ラスコーリニコフやザムザやムルソーといった飛び抜けた精鋭達なら、書くに値する。いやむしろ逆に、こんな人物達のことを、人は書かずにはいられず、またひとたび書かれたら、人は彼等を振り返らずにはいられない。――だが彼等は、あまりに稀な存在だ。その登場自体がひとつの奇跡だと言ってよい。そんな奇跡しか文学として認められないとするなら、文学とは何と狭くて実現不可能な幻の道だろうか。

それがいかに困難な道であるかを、誰よりも身をもって証明したのが、他ならぬサバト自身でした。サバトは、一生首をウンウンひねりながら考え抜いた挙句、あまり売れも知られもしなかった作品をたった三本しか残せなかった。そしてバートルビーに落ちた。――何という悲劇だろう。人の情を書かねばならないという、強迫観念に取り憑かれた末路がこうである。サバトの、そして多くの才ある者の人生を食い潰す、この呪縛。

にもかかわらず、ハニー・ハンターが多過ぎる!――余程特別なものでなければ、他人の恐怖や不安や錯乱なんぞに興味は無いのだ。閉塞されてのたうつ人間なんぞ見るのは、うんざりしているのだ。人間を鋭くえぐったものなんぞには、辟易なのだ。それらは、大方ありふれているし、二番煎じ三番煎じに過ぎないし、読む前から予想がつく(その“予想”を突破し“発見”をもたらすような作品こそ読みたいのだ。そういう作品(例えば『悼む人』のような)ならば、無論人間主義文学でも大歓迎だ)。――芥川賞なんぞ五年に一本、ノーベル文学賞でも十年に一本、受賞作を出せればそれで充分、それ以外は全て“該当作無し”の連発で済ませればいい、と思うほどだ。(2019年10月7日付けの朝日朝刊の記事によると、ノーベル文学賞で15年から初の女性事務局長を務めたサラ・ダニウスさんが辞任するらしい(その後10月12日乳がんで死去したとのこと。ご冥福を祈る)。ここ数年の奇抜な選考傾向は女史の手によるものらしく、今後賞はまたシリアス路線に戻るだろうとのこと。またソルジェニーツィンなんぞ選ばれたら、ゲンナリだ。期待薄だが。)

無論、人間に興味があってあって仕方が無い、抑えようが無い、という人々がいることは、私もよく承知しています。ある種の意味で“感受性が強い”とか言われる作者とか読者とか。家庭内の葛藤だ、社会からの軋轢だ、母娘の対立だとかを面白く思い、さらに踏み込んだ細かい人間模様の機微に涎を垂らす、――私にはワイドショーネタか単なる覗き趣味にしか思えないものでも、彼等にとっては高級な文学的素材になり得る。別に単なる趣味の問題だから、とやかくは申しません。ただ粗製濫造の背比べするドングリの山に頭を突っ込んでよく窒息もせず嬉々としていられるなと、感心するやら呆れるやら、するばかりで。サバトがあれだけ頑張っても、一生の間にたった三本、それも暗くて狭くて古臭い実存主義小説しか書けなかったのに。

立花隆さんの言葉で「文学は若者のものだ(社会人になった以降、あまり読まなくなる)」というのを、どこかで読んだ記憶があります。手持ちの本を調べると、「それ(文学を読む)は学生時代だけでして、それ以後は、ほとんど小説というものを読んでいません。」「私はまさしく文学離れを起した読者の典型」「要するに文学を読むことが面白くなくなったというにつきます。若いときは本当に面白いと思って文学書に熱中していたんですが、いまは文学書を読んでも面白いと感じることがほとんどないのです。」(『ぼくはこんな本を読んできた』中『私の読書論』 立花隆 1995年 文芸春秋 P39)、「文学者の想像力というのは、生きた現実に比して、いかに貧困か」(同P40)、「ナマの事件を演じている人たちに直接話を聞く面白さに比べたら、活字にされたノンフィクションの面白さもものの数ではないくらい面白いわけです。ましてや貧困な想像力の産物たるフィクションなぞ、全くものの数ではない。」(同P40-41)、「いまも時々文学書を買うことは買うわけですが、読んでみると大体期待はずれ」(同P41)、「ノンフィクションを読んで、小説よりもっと面白い世界がある」(『ぼくはこんな本を読んできた』中『ぼくはこんな本を読んできた』 P122)などとある。ただし、「文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがち」(同P121)、「表面だけでは見えないものを見ていくのが文学だもの。」(同)、「それによってつちかわれるイマジネーション」(同P122)とも言っている。――立花さんの気持ち、大いに分かる。

文学(文芸)は、子供や若者の社会化のためのシミュレーション素材として、大いに役立つ。多くの他人の人生を、演じずして経験出来るわけですから。これを経験しなかった人は、確かに「物の見方が浅」くなりがちだ。が、大人になって社会化を済ませてしまうと、もうシミュレーションの必要も無くなる。他人の人生も、「ああ、なるほど。こんな感じか」と、大体想像がついてしまう(グルメもおんなじですな。若い頃はよく美味いものを食い歩いたものですが、歳食うとどの料理も写真を見ただけで大体味の予想がつく。そして実際に食ってみると、ほぼ100%予想が当たる)。――私もバートルビー時代の四半世紀、文芸書にはあまり興味が向かず、もっぱら学術書(それも理数系の)ばかり読んでいました(そして今も、これはという文学になかなか出会えない事情も、立花さんと同じ)。

自分に子供がいないというのも理由でしょうが、歳を取るとクソガキどもの心情の発露なんぞ受け止めるのはマッピラだ。こっちはセラピストでもなければプロの読み手でもない。ガキの“俺を見ろ”“私を見て”の愚痴や自慢話に付き合う義理は全く無い。ガキはガキ同士で共感し合って慰め合っていればよい。――歳を重ね甲羅を経た大人達は、鼻白み、顔をしかめる。彼等の欲しいのは、「見るべきものはすべて見た」という諦念を、さらに突破してくれる“発見”である。その時、その発見が“人の情”に関係するか否かなど、まるで頓着しない(というか、そういう発見は大概“人の情”とは何の関わりもない)。

「小説の主脳は人情なり」と書いた頃の逍遥は、西洋文芸にかぶれたばかりの26才の小僧でした。なぜこんな百年以上も前の未熟な小僧の妄言に、百年以上も甲羅を経た大の大人が、いまだにヘイコラ従わねばならぬのか。――それは確かに逍遥の若かりし頃、それはとんでもなく新鮮な驚きに満ちた“発見”だったでしょう。伝統の積み上がってきたヨーロッパより、突然“発見”させられた日本の文学者の方が、遥かに驚いたことでしょう。“人間”こそが最高の食材であることを“発見”した19世紀は、三ツ星フレンチの洋食文化を洋の東西を問わず花開かせた。が、いくら美味しい“人間”も、百年も食い続ければ“飽き”がくる。胸焼けするし胃にもたれる。いい加減他のものが食いたくなる。いくら人間は健康にいいからと勧められても(サバト等の実存主義文学の勧め)、過剰に摂取すれば不健康の元(精神的にも)。多様な食材をバランス良く取ってこそ、健康は維持出来ます(人間は、人間ばかりで出来ているにあらず。食い過ぎると、人間中毒になる。ボルヘスなんか、その格好の解毒薬だ)。――さしものフレンチ系人間料理も、その“形式”にも“中身”にも、百年来のアクが溜まり、世界に広まるにつれ店舗数ばかり増え食うに耐えないフレンチもどきが乱立した。19世紀の頃はコッテリマッタリのリアリズムが全盛だったが、20世紀になると前衛(ヌーベル・キュイジーヌ)の名シェフ、プルーストやジョイスが流行った。一方その技法を輸入した筈の日本では、いかにも日本らしく日本化され、私小説と呼ばれるどうにも変てこな淡白な人間料理がもてはやされて、これも百年ほど独自の伝統を守った。

食われぬまま不法投棄された人間料理の残飯の山の上に、新たな文学が奇跡のごとく花咲けばいいが、この悪臭紛々たる残飯の山は、腐り果て、汚染源となり、しばしば文学全体を蝕む。あまりに近視眼的で(現実世界に近く、身辺的で、感情移入しやすい代理人で、人の存在の在り様に関わる問題で、強烈で、不安や恐怖で、直接的で、等々)、固有名詞さえ替えれば世界共通の“悩めるインテリの日記”のようで、人間のことを掘り下げているつもりが実は自分の落ちるマンネリ墓のタコツボを掘っていた、という結果に終わるようで。――人間はこういうやり方で掘り下げられる以外、その存在の掘り下げ方は無いのかとウンザリしながら思う。もしそれが無いのなら、それこそ絶望して、人間の方を辞めたくなる。それを、辞めなくても、まだ突破口はありますよと囁いてくれるのが、ボルヘスから始まる文学の系譜だと私には思える。期待せずにはおられない。文学(と、それを選び出す直感)を、信頼しているからこそ。

とはいえ、体にまとわりついてくるこのうざったい人間文学を、私はサバトの逆の立場から全否定している訳では無論ありませんよ。作中人物の情が作者の敷いたレールに乗って変化していき、それに読者が強烈に感情移入するという“古い型”の小説、使い古されたとはいえやはり非常に強力な優れたツールです。第一私の書いたものを振り返ってみると、悉くに作中人物(多分主人公)がいるし、ほぼレールが敷かれている。つまり、古い型の小説は書けても、ボルヘスの志を継ぐものが書けていない。(しかし、“作中人物の情”以外のものも、書いているつもりではありますが。あるいは“作中人物の情”など、中心の伝えるべきものを表現するための、単なる一手段として利用しているに過ぎないと、心掛けているつもりではありますが。)――またサバトが「人間主義文学こそ文学である」と定義したと言っては、アンフェアでしょう。この手の発言は必ず後から論理的にひっくり返され、言った本人はグウの音も出なくなる。サバトのそれは、やはり定義というよりは、単なるアピール、ひとつの主張なのだと、(本人のため)解釈すべきなのでしょう。

 

((非・人間文学))

 

では逆に、人の情を描かずに人を変える、小説でしか書き得ぬ文学とは、どういうものなのか。

人は、人の事(他人の情)が知りたいだけじゃあない。文学という器の可能性は、そんなに狭くはない。そして人を変えるために、小説(フィクション、嘘)として描かれねばならないものがある。

格好の例として、星新一賞の第一回グランプリを受賞した遠藤慎一さんの『「恐怖の谷」から「恍惚の峰」へ ~ その政策的応用』という作品を紹介しておきましょう。この作品の体裁は、丸っきりの科学論文です。人も出てこなければ筋もない。そして嘘っぱち(スタップ細胞と同じ? といって“科学的真実”として証明されていないだけで、“真性の嘘”という訳ではない)ですから、限りなくフィクションです。なのに、人に感動を与え、読者を変えた。少なくとも私や、これを絶賛しグランプリに選んだ人々を。――サバトの定義で言えば、この作品は小説ではないし、真実の書かれた学術論文の類でもない、なのに人を感動させ変えている。一体どのフォルダに、区分けすればいいんでしょう? 『その他』フォルダでしょうか? だとしたら、『その他』フォルダが、あまりにパンパンに膨らみ過ぎることになる!(私の作品(『墓石』(第二回の準グランプリ))は、人の情(というかアンドロイドの)が出てきますから、まあ遠藤さんのよりは大分サバト寄りのフレンチの出来損ないといったところでしょうか。お恥ずかしい。(それでも、ワイドショーネタよりは大分マシだとは思いますが。))

変えられたい読者は、“発見”を求めて読書をする。良質な“作中人物の情”(カフカとか、カミュとか)とは、そうした“発見”のごく一部に過ぎない(一方で、確かに読者の情に訴えるが、人を変えない(発見のない)“作中人物の情”もある。安直な“恋愛”や“死”や“絆”や“癒し”などが与える感動は、“良い文学は人を変える”という定義からするなら、質の劣る“作中人物の情”であり、それこそ娯楽文学の範疇に属するでしょう)。そうした“発見”のためには、作中人物の情など(それどころか“人”そのものや“筋”すら)しばしばいらないし、むしろ邪魔な場合さえある。――“作中人物の情”は、人を振り回す。その文学に“作中人物の情”以外に何か表現したいものがある時、前者は後者を意図せずマスキングしてしまう可能性すらある(逆に、相乗効果が生じるケースもあるが)。人という存在は、あからさまに潜り込まねば書けぬ程、チャチなものではない。むしろ距離を取った方が、人の奥底まで描けている事がしばしばだ。人の事など書かずとも、どうしても人との関わりでそれを読んでしまう、それほど人の人に対する関心は強い。「人間が描けていない」と批評される時、しばしば人間のそれまで描かれなかったとんでもない所が、描き出されているものである。――つまり、揺り動かされるのは、そして前後で変えられるのは、作者であり、それと共鳴した読者であり、しかし作中人物の必要はない。それどころか、作中人物との“アザトい”距離の縮め方をすれば、作品そのものが台無しになりかねない。例えばボルヘスの『トレーン』の中に揺り動かされる作中人物を配しては、物語が台無しになる。『フネス』や『ザーヒル』ですら、一見作中人物達は揺り動かされているように見えて、その実古い小説技法的には(ラスコーリニコフ的には)揺り動かされてはいない人物達である(そういう所がサバトは気に入らないのでしょう)。ボルヘスに限らず、こうした“作中人物と距離を取った”傑作は幾らでも念頭に浮かぶ。マルケスでもカルヴィーノでも、そうした所が目に付く。前述の『その他』フォルダに分類される傑作、思った以上に数が多そうです。あるいは、(“発見”の名に値する)“人の情”文学よりも、遥かに多いかも(サバトの言う“小説”より、私の言う(ボルヘスも含めた)“小説”の方が、圧倒的多数派かもしれません)。

ここで、ボルヘスも「それらは人類の種の記憶のなかに組みこまれ、それらを書いた造り主の名声やそれらを書くために使われた言語の消滅を超越して生きのびるだろう」(『異端審問』 P136)とまで絶賛している、ウェルズの作品について考えてみましょう。ウェルズの初期作品『タイムマシン』(1895)とか『宇宙戦争』(1898)とか『透明人間』(1897)とかは、本人は19世紀的“人の情”文学を意図したかもしれませんが、そうした意味では明らかに失敗作で、今となってはあくまでも“子供文学”です。だがボルヘスの言葉通り「人類の種の記憶のなかに組みこまれ」「超越して生きのびる」でしょう。何故か?

もはやさして読まれなくなった『ボヴァリー夫人』や『赤と黒』や『人間喜劇』やなんぞとは比べようもなく、これらは遥かに遥かに遥かに、現代人類の思考世界を規定している(読まれていないことは、同じですが)。まさに「人類の種の記憶のなかに組みこまれ」たと言っていいでしょう。“時間移動”も“宇宙人”も、世界中にその子孫達が蔓延していることは、皆さん周知の通りです。ウェルズにとどまらず、『フランケンシュタイン』『ジキル博士とハイド氏』『ユートピア』、それらが人類の思考の領域に“新しい座標軸”を次々打ち立て、それらの思考の枠に沿って21世紀人は考え、生きている。小説の中ばかりではない、思考世界を規定し、それがまた新たな現実世界を創る。(“宇宙人”などという架空なくせして強圧的な概念、フィクション以外でどう提示し得ようか。“ユートピア”は、過去存在せず未来にも存在し得ないだろうが、“ディストピア”と対置されて強烈に我々を圧し続けている(とすると、『神の国』も、フィクション上の創作か?)。“時間移動”なんて、物理学的には絶対に不可能だろうが、なのに我々の想像世界ではごく日常の風景である。)――狭い定義小説なんぞには縛られない自由なフィクションなくしては、これらは誕生し得なかった。考えてみれば、恐ろしいことだ。もし自由なフィクションが(肉食禁止令のごとく)禁じられていたら(それらは、真実に反するか、いまだ真実と証明されていない故)、人は“時間移動”も“宇宙人”も“ユートピア”も念頭に浮かぶことなく、21世紀を生きていたことになる、――ゾッとする話だ!!!

例えば19世紀の人間から見て、我々はとてつもなくSFチックな世界で、とてつもなくSFチックな物の見方考え方をしながら生きている。そういう生き方をし出したのには、宇宙人やら時間旅行やらクローン人間やら、前記したようなものの認識が欠かせない(いまだ真実であるとは証明されず、あるいは真実に多分反する空想上の産物であるにもかかわらず)。それらを自覚して今を生きている我々こそ、今掘り出すべき“人の情”の持ち主である。

AIの創りそうな世界、攻殻機動隊の活躍してそうな世界、マシンとネットと人間が融合して境界が定かでない世界、人々は、それらが杞憂ではなく、天気予報の台風進路情報のように現実になりそうな可能性が高いから、考え、恐怖し、不安な気分に浸っている。これすなわち、人の情だ。

台風情報があっても、洪水警報が出ても、“明日のことは明日にならねば分からん”と、逍遥の時代のように嘯く人がいまだにいる。現実に直面しなければ人の情は生じない(理性的に先を見越しての感情は幻だ)、というわけだ。こういう者達を、現代社会では“気取った奴”とは言わず、ただの“愚か者”とそしる。

ユートピアや核兵器がいい例かもしれない。当初空想話の内は、子供騙しと相手にしない。それが社会化し痛みを伴うようになって、ようやく現実として扱う。感度がいかにも鈍い、昔の人はかように頑迷だった。月着陸や宇宙探査の段階では関心も示さず、むしろ批判的で、それが実社会上の(良かれ悪しかれ)問題となってから始めて問題にする。いかにもイマジネーションの働きが、鈍く、遅い。

フランケンシュタインもその一つ。これは、科学と哲学、倫理その他を融合させた作品で、しかも“人の情”も描かれている。サバトなら、このネタを、科学のもたらす脅威とか何とかモヤッとした概念でひっくるめて処理するだけだろうが、実際は、そして多くの人々が感じるこのネタについての観念は、もっと具体的な、現に部品により人間が再生されるという生物医学的、再生医療的、バイオ的恐怖のネタだろう。もしサバトのような人がこんな妄想現実味がなさ過ぎるから文学のネタにもならないと言ったら、彼の感覚の方がお粗末過ぎるのだ。現に彼の書き物の中には、この手のもの、タイムマシンとか宇宙人とか、が出てこない。眼中にないのだろう。かろうじて、ユートピアは出てきたか(前述の通り、ユートピアや核兵器は既に現実の脅威となってしまったから)。人の心を圧迫する架空のものの影の認識が、すこぶる甘い。そんな圧迫など子供騙しであると、本気で思っていたのだろうか。ユートピアや核兵器や温暖化のように、圧迫を通り越して本当に痛くなってようやく、文学のネタに昇格させるという姿勢のようである。

あれほど科学に入れ込んでいたのに、サバトにとって科学は、単に逃げ込む先だったり、批判する対象だったり、に過ぎなかったんだろうか。あるいはトコトン思考した果て、そんな程度で丸めてまとめてしまうような、単純明快な人類の営為でしかなかったのだろうか。人文学的に、文学的に、フィクション的に、SF経由で、モヤモヤするものは何も感じなかったんだろうか。彼には、科学に関わる全てのもの、純粋知性が、子供っぽく思えたのだろうか。マルクスやフロイトは、片足を人に乗せている故、つまりは半知性故、大人っぽく見えたのか。としたらサバトの(文学観もひっくるめて)世界観は、硬直していて、狭い。――が、一概にそうとは決め付けられない記録も、幾つか残っている。すでに書いた通り、サバトはアルゼンチンでの幻想文学の隆盛を不思議がっている。また反現実の小説ほど現実を照らし出すと、逆説の不思議を持ち出している。つまり彼のモヤモヤは、無意識の内、彼の文学観の先を掴み掛けていたのではないか。ただ意識しては掴み得ず、だから不思議がり戸惑うだけに留まった。

かように宇宙人や時間移動や人工生命やユートピアや宇宙旅行や多重人格やロボットや人工世界やの発明が人間存在の在り様を大きく広げたように、『アレフ』や『ザーヒル』や『フネス』や『バベルの図書館』や『メナール』や『もうひとつの死』(時間ループもの)や『八岐の園』(可能世界もの)やも人間存在の在り様を広げる。広げられた人達(私も幾人かの哲学者も含めて)がしばしば引用するこれらが、果たしてただの“娯楽の文学”で本当に終わってしまうものだろうか。

――以上は主に、“科学”から抽出された空想・フィクションの産物でしたが、無論(レムの指摘のように)“源泉”は他に幾らでもある。哲学、宗教、伝承、神話等々々(ボルヘスの好んで扱う、カバラとか、観念論とか、永遠・無限の話とか。「形而上学とは幻想文学の一形態だ」と公言してはばからない所以でしょう)(あるいはさらに吸血鬼とか、天使とか、妖怪とか、我々の思考体系に食い込んでいる諸々)。また現実世界で現に起こったこと(歴史上、あるいは現在進行形の)も、元ネタになる(現実ではあるが、フィクションでしか描けない、という意味)。戦争・原爆のこと、ホロコーストのこと、コロニアリズムのこと、マイノリティーのこと、原発のこと、水俣のこと、オームのこと、それらからフィクションのネタが抽出される。

 

((非・人間文学・続き))

 

推理小説といえば、その場限りのお楽しみとして、娯楽小説の要素が強い。私が子供の頃から、SFばかりに御執心で、推理小説にあまり興味が向かなかったのも、これが理由でした。SFは人を(その思想を)バンバン変えるが、推理小説はその時だけのパズルのような(思考の)お楽しみで、人を変えることはほとんどない(松本清張あたりはそれが嫌で“社会派”推理を書いたんでしょうが、あれらは社会派小説と推理小説を無理やり合体させただけで、その合体に必然性があるとは到底思えませんね)。

だが、確かに我々はホームズの、あるいはポワロの、明智の、金田一の解いたトリックから抽出されたものに、思考の枠組みを規定されることはまずなかろうが、実のところ彼等の思考法(トリックの解き方)の方にはすこぶる慣らされ、ホームズ的それにドップリ浸かって生きている。思考のネタではなく、思考法そのものが、推理小説により規定されてしまっているのが、(小説やらテレビやらで散々浴びるほどにミステリーを見させられた)現代人のサガだ。もし数百年後フーコーのような人間が、“知の考古学”的視点から20、21世紀を探索する事があったなら、彼は20、21世紀人の知のあり方を『推理小説的思考形式の時代』とでも呼ぶかもしれません。

(思うに、例えばプルーストにしてもジョイスにしても、作品自体はちっとも、あるいはさして面白くないし、サバトは人間性掘り下げ文学の傑作にカウントしているが、大して掘り下げられているとも思えない。だが、これらの作品の、芸術(文学)改変力はものすごい。“無意志的記憶”やら“意識の流れ”やらといった方法論は、文学を変え、一見縁遠い我々の日常まで巡り巡って変えることとなるだろう。つまり、“推理小説的思考形式”と類似のものだ。――『失われた時を求めて』や『ユリシーズ』を読み通した者など滅多にいないでしょう。(私も含め)これらの方法論について聞きかじったり、あるいはサワリの部分だけ読んだり、その程度の人がほとんどだと思います(ボルヘスの言う通り、これらの作品は要約して提示されるだけで充分で、長々書くなど狂気の沙汰だ)。つまり、サバトの言う作中の“人の情”などに直接接さずとも(それらにグサッと刺されずとも)、これらの作品の存在はただ存在するだけで、読んでいない者達までいつの間にかやんわり取り巻きゆるりと撫で回す。そして我々を変えている。)

ことさらかように、あだや娯楽小説とて、人を変えることにかけては油断ならない。娯楽小説とて、一過性のものとは限らない。前述した通り、潜在的ファクター、時限爆弾となり得る。

ただのマンネリな娯楽ものなら、退屈で読む気もしなくなるでしょう。それを、飽かずに読ませるものとは何か?――タイムマシンでも宇宙人襲来でも、本格推理でも、ボルヘスですら、あからさまな二番煎じ、三番煎じは嫌気を催させる。“ボルヘス○世”、“○○○のボルヘス”が現れない所以でしょう。本当のボルヘス後継者は、あからさまでない形で、人知れず登場しているのかもしれない。――二番煎じ三番煎じを、○番煎じと感じさせず、その“系統”の文学としてまとめ上げる力がある。その時、いわば“新ジャンル”が誕生する(手塚漫画が現れた時、田河水泡は“彼の漫画を真似する者は現れないで欲しい”とか言ったらしいが、その後の歴史は皆さん知っての通り)。その新しい力もまた、人を変えてしまう“大ネタ”たり得ましょう。

――さらに、人を変えてしまうネタを、現前せしめるための、“ボリューム”の問題がある。――一体、膨大な説明(それもフィクションの)を要さずして、『幼年期の終わり』の感動を、どう味わえばよいのか?

“詩”の所でも書きましたが、複雑高度な現代社会では、本歌取りの“本歌”に当たる元ネタそのものを現出させるためには、膨大な散文を要する(一旦“本歌”として成立してしまえば、後は「地球幼年期の」とか「2001年のモノリスの」とか、名指すだけで本歌取り可能となりますが)。幼年期の宇宙人は、ウェルズのただ襲ってくるだけの分かりやすい火星人と違い、複雑で深い奥行きがある。それを理解するためには、長い散文を読み尽くさねばならない。現代人が現代の複雑高度な世界を理解しさらに未来のより複雑で高度なそれをも視野に入れて自らを変えるためには、SFに限らず、思想上の、学問上の、あるいは現実から抽出された、とてつもないボリュームのフィクションを読まねばならない。「作品は多少なりとも哲学・思想の形を取らずにはいられない。」(『作家とその亡霊たち』 P210)とは、サバトも認めている所ですが、問題は“哲学・思想”あるいはその他の要素の肥大化(現代社会における、そして我々の精神における)である。そして本歌(元ネタ)であればある程ボリュームは大きく、かつオリジナリティーがある(その作品が世界で初めてその問題を取り上げた)。結果相対的に、作中人物の情の占めるボリュームが小さくなる。こうなるとますます作中人物そのものが“添え物”的となり不用となる。読者が作中人物に取って代わり、“直接に”元ネタから問題を汲み取り、悩み、“人の情”(自らの)を変える当事者となることとなる。

 

((非・人間文学・さらに続き 名付け得ぬネタ物))

 

以上は、比較的明確に名付けられるもの(文学的ネタ)(人の心に巣くって止まないもの)でしたが、さらに加えて、文学が文学であるが故に、そもそもネタの正体がはっきりとは分からぬもの、これと名付け得ぬもの、ただ“モヤモヤと感じさせるもの”としか呼べないネタが、文学の世界の至る所に遍在している。

作者や作品の名は名指せても、そのモヤモヤ自体を何かと名付ける事が出来ない(“時間移動”とか“ユートピア”とか“吸血鬼”とか名付けられず、ただ「誰それの何々」としか呼べない)モノ。――すぐ頭に浮かぶ作家としては、笙野頼子や円城塔や多和田葉子や山尾悠子や吉田知子やと大勢いますが(気のせいか女性作家が多いように思う)、こうして作家の名を挙げその作品を思い出してみると、モヤモヤ文学はドストエフスキーやサバトや実存主義文学とは対極をなす文学のもう一方の王道であるようにさえ思えます。

例えば“苦悩”とか“困惑”とかいった心の動きに限定するなら、一方にドストエフスキーを典型とする自明的に苦悩する文学があり、対極に正体不明のモヤモヤした苦悩(?)があって、文学全般はその中間の幅の中に位置している。現代人は“マトモに”(ドストエフスキー式に)悩む事が可能な対象を越えて、得体の知れない悩ましいもの、どう悩んでいいか検討も付かないがその悩ましさが頭から離れないもの、を遥かに多く抱え込んでいる(これらは、一時期なら“実存的不安”とか何とか呼ばれていたかもしれませんが、別に“実存”にも“不安”にも限定されたものではなく、ただなんとなく人間の精神にとって“モヤモヤしたもの”であり続ける)。――実際、ボルヘスの“奇想”とサバトが描かねばならないとした“状況”とは、読者が“マトモに”悩み得るか否かに、その分別の指針が掛かっているようにも思えます。作者が悩んで、結果書かねばならない熱があるのだとすれば、ボルヘスはそんなもの書かなくていい。彼は、悩んでいないか、というよりなんとなく得体が知れず悩ましいが、どう悩ましいのか、悩んでいいのかすら分からない。文学として“マトモに”悩んでいる作中人物を表現出来ないぐらい悩み方が分からない、なのに表現しなければならない程に悩ましい、のだ。――悩み方を委ねられて読者も、やはり分からず、悩ましいままだろう。――それはカフカとて同じで、どう悩んでいいか分からず、書いてて常に半信半疑だったことだろう。そして悩ましいが悩み方が分からないまま、とにかく書いた。文学とはそういうものだ。悩み方があるように一見見えるのは、後世の“読み”の蓄積の故だろう。

そして、モヤモヤに作中人物は似合わない。モヤモヤネタの場合、作中人物をそのモヤモヤネタの故モヤモヤさせて、そのモヤモヤを読者に感染させる方法は、共感というワンクッションを置く故、モヤモヤの効果を減衰させてしまうように思える。作中人物と読者と、複数の犠牲者を作るため、モヤモヤ効果が半減してしまうのだ(被害者同士の仲間意識が出来、読者は心強くなる)。モヤモヤは、読者に直接作用させるに限る。――こうして作中人物を介さず読者を直接悩ます方式は、“悩み方”にある程度の型を導入する旧来のやり方に対し、自由度が高い。何故そうした違いが出るのか(違いが要求されるのか)。虫に変身したケースと、“アレフ”に接したケースとで、その違いを考えてみましょう。

前者の場合、人間の反応が、その悩み方が、比較的容易に想像つく。つまり作中人物にその悩み方をさせても、読者が簡単に納得する(ザムザ自身は、「仕事に行かなくちゃ」などと、空っとぼけていますが)。しかし後者の場合(アレフに接した時。トレーンでもフネスでもザーヒルでもバベルの図書館でも、同じでしょう)、人は戸惑うだろうが、その反応、悩み方は、容易には想像つかない。だから、作中人物を真剣に悩ます事が出来ず、せいぜい紋切り型に単純に悩ます(悩んでいるフリをさせる)ことくらいしか出来ない。真剣に、各人各様に悩むのは、考え込むのは、読者に委ねられるのだ。

こうした悩み方が容易に想像つかないモヤモヤを、現実離れ、現実逃避した、人間の生き方と縁遠い、絵空事の子供騙しの、ただの手慰みとして文学の対象に相応しくないというのが、サバトの基本的な立場なのでしょうが(ただし100%そうとは言い切れないから、彼自身戸惑っているのですが)、――果たして我々は何の疑問も持たず、この考えに素直に賛成出来るものでしょうか。(そういやサバトの文学観では、“しばしば肉的にまで感じる感性の痛み”といったものは頻繁に出てくるが、空想(力)、妄想、自由な感性、といった言葉は、ほとんど見られない、言及がない。つまり、社会的思想的ネタから受けた痛みの報告(レポート)として、小説を位置付けている。空想力が仮のネタ的状況を作るためだけに使われ、それ以上に広がることがない。――ある意味、受身の芸術である。自分から新しいもの(受身の感覚以外の)を作る気がないように思える。それでは、フィクションの持ち腐れだ。やはりサバトのモヤモヤは、狭い。だからフーコーやドゥルーズの域に達し得なかった。“モヤモヤの狭さ”は、現代において二級市民(石原慎太郎のような(彼の文芸作品は、結構良いものもあるんですがね。あの落差は、一体何なんだろう))の証明である。)

読者をモヤモヤさせられるかどうかは、その読み手の感受性の高低、個性の在り様、に因るところ大です。人が虫に変わる話を単なる童話としてしか読めない凡人は多いし、サバトがボルヘスを「胡散臭い詭弁を知的かつウィットに富む形で玩ぶ」と評するのに対して、それらの玩びにこそモヤモヤを感じて人間達のつまらぬ繰り言に嫌気がさしている私のような人間も結構多い。奇想が過ぎて悩み方すら分からないのならいっそ考えるなというのは、精神の自由を抑圧する、いかにも“古い倫理”ではないか。現にボルヘスの生み出した思想、観念、多くの奇想は、人々(特に私)の心に根深く住み着き、長年に渡り幾たびもその思索を根元から揺さぶってき、実際現代の著名な思想家哲学者達の考えに大きな影響を与えてきた。対して、よく分かる悩みの方は、カフカ、カミュ、サルトルその他、これまた影響を与えてもきたが、あいにくサバトのそれはあまり聞かない。つまるところ、悩み方が安直に分かる思想と、よく分からない思想の、現代思想に与えた影響度は、五分五分といったところか。なのに、よく分からない分の思想を文学に適さないと決め付けて否定してしまっては、人類は重大な片肺を失い、残りの半分のみで暗闇の中片肺飛行することになる(ドゥルーズの表現すらもっとフィクション化しなければ、彼の思想の核心は表現し得ないんだから、(ボルヘスに見られるように)これはもうモヤモヤのフィクションで表現するしかない)。

 

――こうした、“フィクションでしか生み出せないもの”で、しかも“人の情を描かないもの”は、作中で“人の情”を介して直接読者の情を突かない故、その効能(人を変える)も鋭利ではなくやんわりと、即効ではなくゆっくりと、効き目を現してくる傾向があるようです。読んでいる時ではなく、その残滓、記憶の中から芽を吹き出してくる。――無論読んでいる時は読んでいる時で、ボルヘスもSF作品も存分に楽しめる。しかし読んだ後も、その楽しみは長く尾を引く。二度美味しい。――文学には色々な魅力・楽しみ方がある。読んでいる途上で酔わせるもの(ハードボイルド等の文体で、岡本かの子等の個性のきらめきで、推理小説等の謎解きで、めくるめくイメージの炸裂でetc.etc.)、あるいは読後に膨らむ妄想が反芻され続けるもの、さらに遠く広く社会資産として生き続けるもの、等々。その中でも“人を変える”働きをひときわ高くそびえる価値とするなら、そうした働きはそののちさらに社会までも大きく変え、ボディーブローのように長く大きく芯まで効いてくる。作中の人の情のようにアッパーカットの切れ味はないが、文化の遠い所を巡り巡って我々の体をさらりと撫でる、あるいは体中を撫で回す。

 

((サバト批判・もう一つの切り口 文学至上・思想軽視の問題))

 

ところでサバトは「フィクションに先行する思想が、何らかの形で作品を刺激してそこに入り込み、哲学的下地と人間的意味合いを与える。」(『作家とその亡霊たち』 P210)と書いていますが、その逆に『思想に先行するフィクション』もあると思います。文学の生み出す強い感情や、妄想・奇想や、得体の知れないモヤモヤから、思想が抽出される。すなわち、フィクションでなければ表せない思想です(宇宙人やタイムマシンが出てくる話なんて、フィクションでなきゃ書けませんからね)。状況依存的な“人の情”文学に対し、そうでない文学はその“状況”の方を創造することを多くの場合主眼としているのだから、オリジナリティーのある思想を作り出す力はより大きいとも言えます。つまり前の話と合わせると、“非・人の情”文学は、より広範に社会を包み込む思想形成力が強い。

フィクションと思想と、これらは互いが互いの後を追い駆け運動し続け、文化全体のダイナミズムを創る。この時、このダイナミズムの中に妙な“偏重”を持ち込むと、ダイナミズムが乱れることになる。サバトの“文学”偏重、“人間”絶対の考えもそれに当たると思います。

「真の登場人物と、純粋思想を繰り返すだけの操り人形との違いは、(病気や癖、肉体的脆さと感情を備えた)人間カントと、『純粋理性批判』に打ち出された思想との違いに等しい。」(『作家とその亡霊たち』 P161)とサバトは書いている。つまり文学で表現される総合的具体的な“人間カント”の方に軍配を上げている。――だが、文学表現で、『純粋理性批判』まで包含した“人間カント”が、本当に表現可能でしょうか(“人間カント”が、病気や癖、肉体的脆さや感情を見せたり、時計代わりになったとか、何を好んで飲んでいたとか、実生活上思想上どんな悩みを持っていたとか、そんなことしか表現出来ないのならば、そんなものは願い下げだ)(何度も言いますが、すでにあらかじめ『純粋理性批判』があって、それを“本歌取り”する形で文学に取り込むなら、話は別ですよ)。――文学表現で『純粋理性批判』を包含するなど、とても無理でしょう。まず第一に、『純粋理性批判』のボリュームの問題がある。第二に、『純粋理性批判』を包含しようとしてあまり成功したとは言えない先例、すなわち埴谷雄高氏の『死霊』が、我が国にはある。――従って私が選ぶならば、時計代わりのカントよりも、『純粋理性批判』の方を取るだろう。

このカントの例で、サバトは墓穴を掘ってしまったように思います。“文学”も“思想”もその他のものも、影響し合いながらもそれぞれ独自の働きで文化のダイナミズムを廻していく。文学偏重・人間絶対は一つの主張ではあっても、真理には程遠い(特定のものに固執すると、視野が歪み、見当違いの事を言い出す)。――サバトは「二〇世紀文学のスタイルとでもよべるものが、ダヌンツィオよりはアウグスティヌスに近い」(『作家とその亡霊たち』 P93)と、アウグスティヌスの『告白』の例も挙げていますが、『告白』は告白であって文学ではありませんが(カフカは「「告白と嘘とは、おなじものである」」(『「赤」の誘惑』 P203)と書いているそうです(「「存在」と「言語」の本質的な乖離」(同)という意味において)。)、確かに文学に近い(キリスト教かマニ教かと選択に悩むさまが、空海の『三教指帰』を思い起こさせます。両者とも人生若かりし頃の問題の追究を読者に追体験させる、立派な文学(私小説)とも読めますね)。サバトはさらに「「『聖書』もキケロの文章が備える傑出した威厳には比肩すべくもないように私には思われた。膨れ上がった私の虚栄心は、『聖書』のあの簡潔な文体にはどうしてもそぐわないからだ。」」(『作家とその亡霊たち』 P93)と『告白』から一部を引用し、『聖書』はキケロよりは脱美学的・形式的であって上、としていますが、『聖書』を『告白』というフィクションに先行する思想とした点では、本歌取りされた『聖書』よりも本歌取りした『告白』の方が上ということになる(同様の理屈で、『三教指帰』の方が儒教や道教や仏教より上。すなわち、核とした思想よりも、それを本歌取りして悩む人間(文学)の方が上)。ウーム、いかがなものか。もっとも『聖書』は、イエスが十字架に至るルート設定があったり、三人称ではあるが人間だか神だか分からぬ存在が、先行する思想(旧約の、そして自らの)に対し悩んだり怒ったりするさまを描くなど、大分に“文学的”ではありますが。

カント、イエスのみならず、サルトルにおいても、同様のことをサバトは書いている(同P150)。哲学は“具体的全体性”を口では言っても、現実に表現することが出来ない、だから哲学の後に文学を書く必要があった(同様の必要を、プラトンもヘーゲルも満たした)。ドゥルーズがニーチェを引き合いに出し哲学と文学の融合めいた表現を主張したのも、似たような趣旨によってのことでしょう(無論ニーチェの“誤読”の中には、ヒトラーのそれのようなとんでもない毒も含まれるわけですが)。文学と思想とその他のものと、どちらが先でどちらが後か、どちらが本歌でどちらが本歌取りか、はたまたそれらを融合させ渾然一体の表現を目指すか。――ウーム。――しかしまあ、それらの成分の内の特定のどれかが目立ち過ぎては、渾然一体の滑らかさが失われ、口当たりの悪いものとなってしまうとは思うのですが。

 

((最後にトドメ “読者論”からのサバト批判))

 

ミスター・マリックがデビューしたての頃、彼は“超能力的魔術の使い手(つまりは、本物)”という設定で、人々の注目と人気を集めました。それからしばらくして、自分は種も仕掛けもあるマジシャンであると、種明かししました。そんなことは誰にだって見え透いて分かり切ったことだし、いわば騙された振りをして楽しむのが大人の作法というものなんでしょうが、現実には彼の人気は種明かしの途端一時期急落した。“あり得ない”と分かっていても、人々は期待しちゃうんですね、サンタクロースの実在を(セント・ニコラウスではなく)、ネッシーや雪男の出現を。――佐村河内何某という、失聴の作曲家モドキもいましたね。実際には、失聴でもなければ、作曲もしていなかった。

かように人々が求めるものは、現に目の前にある音楽でもマジックでも文芸作品でもなく、それに付随した物語、ドキュメンタリーの方だ(特に作者自身の)。――文芸でも読者は、作中人物どころか、作者にまで遡って、共感したがる(距離を縮めたがる)。作者と作中人物とは寸分たがわず、作中で書かれている通りのことを作者も経験している、つまりは作品は自らのすべてをさらけ出している、いわば告白だ、と思いたがる。

誰だったか有名文芸誌の編集長が、以前“最高の文芸作品とは限りなくドキュメンタリーに近いものだ”とか何とか嘯いていました。――だったら、立花さんのように、ドキュメンタリーを読めばいいじゃないか、何も文芸だのフィクションだのに無理してこだわらなくとも。――私なんぞ、フィクションでしか読めないものにこそ、価値を置いている、そして熱烈に読み且つ書きたいと思っている。つまりは真逆のことを考えている。(昔『美味しんぼ』で、食材そのものの味(たしか、“かぶら”だったか)を主張する山岡士郎に対し、海原雄山がかぶらとマッシュルームのピューレ(だったか?)を調和させて見事に一本取った話がありました(この調和させることこそが、すなわち“料理”)。ドキュメンタリーとフィクションの関係を考える時、いつもアナロジックにこの話を連想してしまいます。)

ドキュメンタリーとドキュメンタリーに限りなく近いフィクションと、その差は前者には“現実に起こった”という裏付けがあるのに対し後者にはそれがない、それだけだ。試しに、ドキュメンタリーだと思われていたものが、実は作り話だったとバレた時のことを想像してみればいい(マリックや佐村河内に起こった事のように)。途端に人々は醒め、シラケ、それから離れていってしまう。作品も、化けの皮がはがれて、凡作に過ぎなかったことが知れてしまう(ただ現実の裏付けがあるかなしか違うだけで)。

ですがよい文芸作品とは、本当に作者がとんでもないことを経験したとか、逃れられない宿命にあるとか、ドラッグをやっていたとか、犯罪を犯したとか、そんなバックボーンを(ある程度は)必要とするものなのでしょうか。(もう三、四十年も昔、とある新人の作品(ドラッグ話)をある評論家が評しているのを読んだことがありますが、「この作者は本当にドラッグの経験があるのか?」とあたかも経験無しにドラッグ話を書くのは邪道だとでも言いたげな趣旨の事を書いておりました。プロの評論家ですら、こうしたこだわりから逃れられないようです。)――こうした現象(というか“茶番”)は、いわば“作者神話”とでも呼ぶべきものでしょう。作品に大きな影を落とす、作者の現実世界における存在です。そしてこの“作者神話”を、見事逆転させ暴いてみせたのが、他ならぬ『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』ということになる。

 

“読書空間”において読者は“作者神話”に惹き付けられ、“コスい作家”はこれを利用しようとする(読者の“悪癖”に対する、まさに“迎合”)。既に作中人物と読者との距離を縮めようとする“アザトさ”については指摘しましたが、作者と作中人物の距離まで縮めようとすれば、二重に“アザトい”。――やはり四十年の昔、第三回すばる文学賞に当選された『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』(『昴』1979年12月号 集英社 P6-87)という作品を読んだことがありますが(作者の松原好之さんは、今は学習塾だかを経営しておられるらしい)、学生活動家の書いた学生活動家の話でした。題名の通りパッション全開の作風で、実に心地よく読了しました。だが、その後がいけなかった。丁度読了したのが午後5時ごろで、何気なくテレビのスイッチを入れたら、『巨人の星』の再放送をやっていたのです。星飛雄馬が大リーグボール2号を打たれ、“この世の終わりだ”とでも言わんばかりに悲嘆しているシーンが、目に飛び込んできました。――途端に、醒めてしまった。さっきまで酔っていた学生活動家のパッションとその凋落って、今目の前に見ている飛雄馬の意気盛んな所からの落胆振り程度のものなんじゃあないのか。それを、まるでこの世の終わりかのごとくに、嘆く。数歩退いて冷静に眺めると、両者ともその視野の狭さぶりが、何とも滑稽で哀れです。酔わすパッションの力で作中人物と読者の距離を強引に縮めた力作ですが、読了後数十分で“アザトい”作品という印象が拭い難くなってしまった。(これのもっと出来の悪いバージョンが、いわゆる“お涙頂戴もの”な訳ですね。)

マイノリティーものとかポストコロニアリズムものも、散々読まされいい加減鼻に付いてきた。我が国の伝統芸、在日ものとか沖縄ものとか外国人に嫁いだ妻ものとかも、私の若い頃読んだようなものがいまだに手を替え品を替え幅を利かせ続けている。伝統芸だから、仕方ないのか。――ヒューマニズムの倫理観で迫られると、グウの音も出なくなる。お前には赤い血は流れていないのか、切ったら血の出る小説を読め、マイノリティーや第三世界のことを知るのが倫理に照らしてお前の務めだ、だから読み続けろ、と説教されると、俯いて黙ってしまうしかない。――別に“ヒューマニズムが悪い”と言っている訳ではありませんよ。ただ余りに強調されたり通奏低音式に流されると、“ウザい”と言っているだけで。『「赤」の誘惑 フィクション論序説』のP280にも「サイードがいささか時代錯誤的に顕揚する「奥深い人文主義精神」さえが、フィクションを論じるにふさわしい精神ではなかろう」とありますが、現在・未来のフィクションのために賛同します。ヒューマニズムを基軸にする(かの強迫観念に囚われる(サバトなら大喜びしそうですが))など、何ともウザッたい(それに本音を言えば、何だか胡散臭い)。

これらドキュメンタリーとフィクションの狭間にあるような作品達は、作者がジャーナリストを兼ねているような印象を与えます。『来るべき書物』のP408に、「日々の生活に役立つ仕事を持ったジャーナリストを詩人のかわりにする。」とありますが、これらジャーナリスティックでドキュメンタリーに近い作品の作家達は、まさしくジャーナリストだ。彼等はジャーナリストであり、スター作家であり、芸能人だ。“作者神話”の、真性の申し子達だと言えるでしょう。ジャーナリズムだから世界に視野は広がっていくが、深く掘り下げる方の志向性は薄い。

 

サバトは、「(岩田注・文芸創作を)楽しむボルヘス自身が苦悩するわけではない。」(『作家とその亡霊たち』 P76)と書いている。あたかも、作者の苦悩が、名作の必須条件であるかのような口ぶりだ。一方で、ボルヘスは「特異なもの、愉快なもの、驚くべきものばかりに目をつけていた」(同P74)、しかし「すべてが遊び、まやかし、子供じみた逃避に見えてしまう。」(同P85)とし、「遊戯は、ボルヘスの苦悩、ノスタルジー、最も深い悲しみ、最も人間的な恨みを先送りするだけで解消してはくれない。」(同P82)と、先輩への気遣いをみせている(無論、皮肉だが)。つまりは、「心地よい遊びを志向する文学と、人間という種属の(とてつもない)真実を探究する文学との相違」(同P74)ということになる。

作者が苦悩し、作中人物を苦悩させ、読者も共感して苦悩する。サバトの唱える“人間性”は、“三者揃い踏み”の、まるで“三つ子”だ。――伝統小説では、多くの場合“三者揃い踏み”する。何とも分かり易い。そして、気持ち悪い(三者が互いに冷静に見詰め合い、批判し合う関係にない)。

ボルヘスにおいては、作者は自身の人間性を表に出さない、作中人物にもしばしば人間性らしきものが見当たらない、ただ読者の人間性のみ、その作品により揺さぶられる。

切ったら血の出るボルヘスなんて、まるでゾンビだ。――サバトは、「現実世界の粗野な実存を恐れるボルヘス」(同P75)、「遊戯は、ボルヘスの苦悩、ノスタルジー、最も深い悲しみ、最も人間的な恨みを先送りするだけで解消してはくれない。」(同P82)、「自分に欠けた二つの要素、すなわち生と力に対してボルヘスがひそかに寄せる憧れ」(同P83)、などと書くが、――切ったら血の出るボルヘスなんぞ、血みどろの死体のようで台無しである、こっちの方から(読者の方から)願い下げだ。

ボルヘスは、自己を掘り下げることを嫌う(『ボルヘスとわたし』(『創造者』所収 P114-117)のような例外もあるが)。だから、実存主義やフロイトが嫌い、心理小説が嫌い、自己を声高に叫んだり主張したりするのも嫌い、政治活動も嫌い。――外部から責められることも嫌う。だから、外界は自分が傷付けられぬよう、ヤンワリとした幻想世界で包み込む(だから、すべての思想・哲学は、ファンタジーとなる)。つまりは自分をジョージーのまま守っておきたい、変わりたくない(だから保守で、穏やかなアナキストとなる)(そのくせそういう自分を嫌悪し、(変われないのだから)変わらないまま消えたいと思っている)。――他者を掘り下げることも嫌う(そんな差し出がましいこと)。アレフやフネスやザーヒルは、それに遭遇した人間を掘り下げているのではなく、その事象自体を書いているのである。(だったら何故、こともあろうに“生活史”からボルヘスを探求するのか(これこそ本エッセイの基本路線でしたね)、生活史なんぞワイドショー・ネタそのものじゃないか、との声も聞こえてきそうですが、――本エッセイのそもそもの目的は、ボルヘスがいかに自らの文学の不可能性を乗り越えたかの探求であり、“生活史”からの追究はそのための手段です。ですからこれが(こうした生活史的騒動が)ボルヘス文学の価値の源であるなどと書くつもりは毛頭ありません。)

散々に切り尽くされて、もはや一滴の血も出ない“切ったら血の出る人間”を、さらに血の出ることを期待し切り刻み続ける“出血信仰”なんぞがいつまでもはびこるから、残念なことになる(“サバト(悪魔崇拝の集会)”“出血信仰”、何だかおあつらえ向きで、当を得ている)(今日において“出血信仰”は、マイノリティー文学やポストコロニアリズム文学等において、命脈を保っているんでしょうが)。――みんな悩んで大きくなることくらい、大人なら誰でも承知の上で生きている。いまさら苦悩しもがく人間なんぞ見たくもないし、マゾじゃあるまいし共感なんぞしたくもない。苦悩して、のたうち回って、ドラッグ漬けになって、自殺してしまわねば、読むに値する文学は書けないのか。(さらに言えば、どの作品も、苦悩の原因が違うだけで、ごく似通ったワンパターンのものに見えてしまうのだが。苦悩とそれへの共感が強烈である故なおさら、「交合のめくるめく瞬間にあるすべての男は、おなじ男である」(『伝奇集』 P40)ごとく。)

またサバトは、「(岩田注・読者は)単なる知的遊戯にすぎないものを深い不安感の表れとして称賛する。」(『作家とその亡霊たち』 P75)という。フネスやザーヒルやアレフのモヤモヤした不安は、単なる“驚異”に驚き喜ぶ子供、としかサバトには映らなかったんでしょう(一般読者にも、これまで主流だった“人の描かれた”小説に慣れ親しみ過ぎた人々の中には、作中人物に共感することなしには、問題を問題として捉え得ない人が大勢いますよね。さすがにサバトはそこまで低レベルじゃないと思いますが。ただボルヘスの創作姿勢を厳しく問うているだけで)。

ですが、よしんば百歩譲って、そうした創作がボルヘス本人には単なる“お遊戯”であったとしても、一向に構わないのです。読者論で散々書いた通り、ただこちら(読者)が揺さぶられたという事実さえ残れば(現に私ばかりか、世界の愛書家、フーコーやドゥルーズといった哲学者までが揺さぶられた)。

――つまりはサバトは、“作者神話”に毒されている(作者を殺すことに、マラルメやバルトやフーコーがあれだけ頑張っているというのに)。――“読者論”から見れば、作品は、作者が遊びで書こうが真剣に書こうが、お気楽に書こうが重苦しく書こうが、驚異に胸弾ませて書こうが苦悩で胸を掻きむしって書こうが、それどころか作者なんて存在すらしなくても(完全な匿名でも)、一向に構わない。読者は、各人勝手に、自立して読書していく。そして各人独自の、“読書空間”を形成していく。読者は、作者の想定し得ないような、極めて多様な読み方をする。それは、読者の自由だ(決して、学校の国語の授業のような、“正答”はない)。三者揃い踏みでしか読めない読者もいるし、自在に間作者・テクスト的に組み替えつつ読む者もいるし、妄想の赴くまま誤読に突っ走る者もいる。読者に、作者に強いシンパシーを感じつつ読む義理など、ない。誤読同様、作者についてとんでもない勘違いをしつつ読んでも、一向に構わないのだ(ボルヘスなんか、晩年の陰影タップリな盲目の老人の写真のせいで、多くの初心者達に老獪な“大魔王”的カリスマとして受け取られているようだ。もしボルヘスの視力が僅かでも残っていたら、ああいった写真を使うのはやめてくれと、訴えたんじゃなかろうか)。『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』の最後では、作者を丸ごととっ代えひっ代え同じテクストを読む方法論すら、推奨されているぐらいなのだから。

さらにサバトは、「ボルヘスの文学には様々な解釈が可能」(『作家とその亡霊たち』 P74)、「真実などありえないし」(同P76)、「世界のすべては証明可能」(同)と非難する。「彼(岩田注・ボルヘス)自身も、これ(岩田注・『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』)を読む我々もそこに書いてあることを信じてはいないのだが、そこに展開された形而上学的可能性は読者を魅了せずにはおかない。」(同)と、サバト本人の言う“真実”を求めない作者も、そして読者も非難する。――だが、「これを読む我々も」「魅了せずにはおかない」と、読者がそれらに魅了されるという事実を認めている。しかも、「我々も」という以上、サバト自身も含まれている理屈で、つまりは自身も魅了されたと認めたことになる。――ところが、魅了されたにもかかわらず、“可能性”は現実でないから“真実”の名に値せず、従って書くに値しない、作者が“真実”を求めていないから、書くに値しない、とまで断ずる。

“現実”=“真実”なんだろうか。“可能性”は現実でなかったから、幾ら魅了されようと、考慮に値しないのか。“真実”の範疇には、入らないのか。そも、可能性を否定して、文学たり得るのか。これは既に“フィクション”の全否定じゃないか!(サバト自身“直感的”には、カフカや『星の王子様』の存在意義を認めているのだが。作者に苦悩の影が差さないと、その作品は本物とは思えないらしい(その作品にまでとばっちりがくる(作品単体としては存在し得ない))。ボルヘスも、カフカやニーチェやショーペンハウエルのごとく形而上学的に苦悩する風を見せたら(ボルヘスのダンディズムがそれを許さなかっただろうが)、サバトも納得してくれたんだろうか)。

一方ボルヘスは、「いつまでも残ることを願う書物は、さまざまな読み方ができるものでなければならない。いずれにせよ、変化しうる読み方、変化していく読み方を可能にするものでなければなりません。それぞれの世代の人間が偉大な書物を違った風に読むものなのです。」(『ボルヘスとの対話(ジョルジュ・シャルボニエ)』 P145-146)と語っている。「様々な解釈が可能」で「真実などあり得ないくせにすべては証明可能」な、現実などより遥かに広大な、それこそ“文学的(器の)真実”とでも呼ぶべきものでしょう(そういや、バルガス=ジョサも、“ボルヘスは現実が嫌い”と言っていたな)。遠くから近くからそして多方面から見返すことにこそ、フィクションの存在する意味も価値もある。極至近距離からの単調な振り返りのみを望むなら、それこそドキュメンタリーでも読み且つ書けばいい。立花さんが文学者のイマジネーションの貧困を嘆いたからといってそれでドキュメンタリーに戻ってしまっては、文学を書く意味がないのだ。立花さんの嘆きのさらにその先を行くイマジネーションを切り開かねば。――(ところで、極めて稀なケースですが、作品に作者ではなく読者が取り込まれてしまうと、つまりあまりに作品と読者が接近してしまうと(“作者神話”の読者版)、“読者論”の中に“特異点”ともいうべき特殊形態が生じるような気がします。私自身の経験なのですが、三上延さんの『ビブリア古書堂の事件手帖』を読んだ時のことです。作中の舞台と私の生活圏が余りに重なり過ぎていて、作中の描写が手に取るようにというより先回りして頭に浮かんでしまう。ご町内の話が度を越して身近過ぎると、ドキュメンタリーの域を超えて現実に溶け込んでくる、奇妙な感覚でした。読書では、こんな事も起こるんですね。(詳しくは、拙作ホームページ『岩田レスキオのホームページ』中の、『エッセイのコーナー』に掲載した『『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上延さん作)と北鎌倉・大船の事情(通?)』を参照ください。))

切っても血の出ない肉体から(幽体離脱式に)離れた“目一杯翼を広げた空想”の領域のもたらすモヤモヤは、作者の作品に差すラスコーリニコフ的影は薄くするが、それが作品の価値を増すことはあっても決して減じやしない。作者の存在(創作姿勢)は曖昧にするが、モヤモヤ好きの(“三つ子”やドキュメンタリー好きとは真逆の)読者にとってはそんなことはどうでもいいことだ。例えば『アレフ』を読んで、サバトなら「だから、何だというんだ!」と反応するんだろうが、その「何だ」は読者各人で考えろ、ということだ。ボルヘスが『アレフ』を書いた動機は? その時の彼の心情は? “万華鏡”がモデルだというが、そこから深読みすれば……、などと考える必要はまるでない(したらしたで、ワイドショー的面白みはあるが)。『アレフ』は現にそこにあるのだし、ボルヘスは多分それが面白そうだから書いたまでだろう。ただ我々(読者)が、その“アレフ”のもたらすモヤモヤを受け止め、変わり続ければいい(多分ボルヘスも、そうしたモヤモヤを感じ取り、それで面白そうだと思ったんだろうし)。『フネス』も『ザーヒル』も『バベルの図書館』も『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』もその他その他も、また同様だ。その作品達が在り続け、人類(的なもの?)が滅びないならば、固定し得ない読者は無尽蔵に増え続け、未来永劫文学の意味・価値は変化し続ける。あの不変の“聖典”『コーラン』ですら、作者(神)とテクストは変わらないのに、後世の信者達により永遠に解釈され続けているのだから。ましてやモヤモヤしていて捉え難いことが本領の“モヤモヤ文学”は、作者などという存在からはとうに離れて(ということは、作者が“真実”を求めていたか、真剣だったか、苦悩していたか、あるいは楽しんでお気楽に書いたか、ワンダーに嬉々として書いたか、などにはお構いなく)、一人どっちとも行く先を決めず浮遊し続ける(ボルヘスの『絶対の探求』(『ブストス=ドメックのクロニクル』所収)に出てくるニーレンシュタインの“物語”の如く、成長し続ける)。丁度人類文化の宝であり素材である“タイムマシン”や“宇宙人”や“透明人間”等と同じように、ボルヘスがウェルズについて書いた如く「それらは人類の種の記憶のなかに組みこまれ、それらを書いた造り主の名声やそれらを書くために使われた言語の消滅を超越して生きのびるだろう」(『異端審問』 P136)。“アレフ”や“ザーヒル”や“フネス”や“バベルの図書館”や“トレーン”達は、……人々にモヤモヤをもたらす文化のタネとして生き続ける(現にここ百年近く、人々をモヤモヤさせ揺さぶり続けてきた)。――タイムマシンや宇宙人やアレフやバベルの図書館で、本気になって悩んだり身につまされたりする者はいない。しかしそれらは作者なんぞとうに忘れ去られた未来においても、人類をモヤモヤさせ続けていることだろう(そして多くの知者達の心に脳に深く食い込んだままとなり、しばしば新たな哲学や文学を生み出す動因となろう)。(従って、ボルヘス本人が「深い不安感」(『作家とその亡霊たち』 P75)を表明していようがいまいが、それらの作品により「苦悩」(同P82)「悲しみ」(同)等々を「解消」(同)出来ていようがいまいが、どうでもいいことなのだ(読む当方も、ボルヘスの“チンケ”な苦悩が解消されるか否かなんぞには、何の興味もない(ワイドショー的興味を除いて)(だから、そんなこと書いても何の足しにもならないと、ボルヘス本人も判断しているんだろう)))。

文学の大きな器は、誰かがその一側面(飲み口)からの価値、効用を主張すれば、必ず別の誰かが別の一側面(飲み口)から文学を溢れ出さす。レムの言うごとくカラクリ(小説とは、“レール”が敷かれていて、“三つ子”で、作者は苦悩しつつ“真実”を求めるものだ、などというサバト的主張)が分かってしまうと、(タネのバレた手品のごとくシラけてしまって、)「そうじゃないものもあるだろう」と反論する者が必ず出てくる。人はいつまでも同じ型にギュウギュウにはめ込まれていることに耐えられるものではない。それを乗り越えたくなる。そうしないと、別の方角に開かれた窓から、別の風景が眺められないから(無論今更、サバトがどうしたボルヘスがこうしたなどと言わずとも、現代文学は既に遥か先へ行ってしまっていて、“例外”の方が主流ではありますが)。――現実の世界だけに、目の前の人間だけに拘泥しようとしても、土台無理な話です、人の精神活動を満足させるのは。人間の自由な精神を満足させられないなど、そんなもの文学と呼ぶに値しない、むしろ自由な精神を引っ張っていって、より自由な天地を開いてやることこそ文学の役割だというのに。未来へ向かって生きてゆく実存である人間は、苦悩する中にも“指針”を持つ。指針はどうしても、理性的、知性的純粋さを持つ。指針のない苦悩(あるいは“人の情”一般)では、逍遥に逆戻りだ。この時知性の探針は、あらゆる方角を指す。――探針の狂った読者の“誤読”を止めるすべはない。狂った誤読は、よりポテンシャルの高い(誤読の余地の大きい)獲物を、捜し求める。狂った読者は、隙あらば獲物を改作しようと(ひねくり回し魔改造を加えようと)し、読書空間の中で他の作家・作品と引き比べ自らの妄想の毒液に漬け込み、もう作者の存在などどこ吹く風である。このような作業(創作)を進める内、作者(狂った読者から見た)もまた変えられていく、変態を遂げていく。当の作者が死んでも、この変化は収まりそうもない(評価が確定することはない)。作者の死をも乗り越え、受け手達により、作者は遡って解釈が変更され、その姿は変えられ続ける。改造され乗り越えられ、ついには忘れ去られる“客体物”と化すだろう。――“本当の作者”を求めて止まぬ“作者神話”など、短命な乙女のあかき唇の如き虚しい遊び、妄想だ(シェイクスピアがどんな人間だったか考えるのは楽しいが、彼がどんな人間だろうがシェイクスピア文学が色褪せることはない。同様に、ボルヘスの創作姿勢が、ボルヘス文学を色褪せさせることもない。他方、太宰や三島のような“作者神話”とワンセットになったような者達の作品は、長期間の評価に耐え得るかどうか、危惧するところ大である)。

 

サバトは“実作者”であり過ぎたのでしょう。そして私が参考にしたエッセイ集『作家とその亡霊たち』は、その「序文」で「この世のものではないが、それでいて奇妙なメカニズムによって同時代の現実を最も忠実に写し出す人物や挿話を題材にした物語」(同P1)について「作家たる自分の運命をめぐって執拗に思いを巡らし続けた結果」(同)の「誠実な記録」(同)であると謳っている(この「序文」の宣言内容からして、既におかしい。散々書いた通り、文学とは、「同時代の現実」というテーマにも、「忠実に写し出す」という手法にも、「人物や挿話」という題材にも、限定されるものではない!)。つまり“実作者”という立場からのメモなので、どうしても視点や主張に偏りがある。だが、それにしても、やはりサバトは“作者神話”に毒され、読者(の自由)を無視しているというきらいがある。“読書空間”“読者論”という視点を加味して見る時、特にボルヘスを絡めて考えるとそういう思いが一層強くしてならない(つまりサバトのボルヘス批判は、彼の文学観の狭さや読書空間の認識の偏り(作者偏重、読者無視)から来る妄言、ということ)。

パッションの強い小説家というのは、詩人と同じで、やっぱり“思わず書いてしまう”のでしょう、それを読む読者の事など考えずに。ある種の病理だから、これはこれで仕方がない。だが読者は、ただ作品という窓を通して作者を覗き見するばかりの覗き魔でも、共感して鵜呑みにするばかりのコピー機でもない。それぞれ一人一人が、自立して読み、考え、再創造する人間だ。パッションの垂れ流しで済む問題ではない。いわんや垂れ流されるパッションの有無で作品を評価する(作者神話)などもってのほかと言うしかない。だから世界の大賢者達をも魅了し変えてしまった作品群を、ただ作者が軽薄な態度で創作したという理由で(サバト的に見れば、確かにボルヘスは軽薄でしょう)貶めることになる。だが、小説は楽しんで書いちゃいけないのか。苦悩して、のたうって、自暴自棄の果てに書かなければいけないのか。無論そうやって書きたい者は書けばいいが、だからといって楽しく書いて驚いて書いて、後ろ指を差される筋合いのものじゃあない。しかも作品の価値は、作者というシッポがどのようなものであろうとなかろうと、読者において減ずるどころかむしろ増大するのだから。私も実作者として、“後ろ指”なんぞ気にせず、後ろめたさなんぞバッサリと返り討ちにして、自分の書きたいものを、自由に、楽しんで(無論苦悩しつつでも構わないが)、書きたいものである。

 

((最後の最後に、極々簡単にまとめ))

 

以上長々と書いてきましたが、サバトへの反論を短くまとめるなら、文学には“人の情”を書くもの以外にもさまざまなものがあるし、“人を変える事”を文学の中心的価値とするなら、後者の方が前者よりしばしば有効である。“文学”偏重“人間”偏重の考えは、ものの見方世界の見方をしばしば歪ませ、文化のダイナミズムのバランスを乱す原因となる。そしてサバトは“作者神話”に毒され過ぎ、といったあたりにでもなりましょうか。

 

(蓮實重彦さんの場合)

 

蓮實重彦さんといえば、「「ボルヘスの短編ていどなら自分でも同じぐらいかもしかしたらもっとうまく書ける様な気がする」」(『ユリイカ 1989年3月号 特集ボルヘス』 P126)などと言ったとか言わなかったとか。蓮實さんがボルヘスを直接批判していたかどうかは知りませんが、少なくとも高く評価していなかったことは確かでしょう。

蓮實さんのことは、元東大総長であるとか、上記の発言のこととか、阿部和重がお気に入りだとか、その程度しか知りません。読んだ著作も、最近読んだ『物語批判序説』と『「赤」の誘惑』の二冊のみです。ですがこの二冊に通底するところと前記の“発言”との兼ね合いで少々引っかかるところがありましたので、それについて書こうかと思います。たった二冊の本のみが元ネタの考察ですから、いかにも乱暴な論の展開になるかと思いますが、まあお許しください。

『物語批判序説』の元本は1985年に中央公論社から出ているらしいです。『「赤」の誘惑』の方は、2003年から2006年にかけて『考える人』等に掲載された論考を、2007年にまとめて出版したもの。両者の間には、20年の開きがある。

『「赤」の誘惑』においては、さまざまに“フィクション論”を展開しながら、その中を何故か貫く“赤”という共通要素について、蠱惑的に読者を誘い、謎掛けをしている(しかし、ついに謎の解かれることはない)。「「赤」と「フィクション」とは、驚くべきことに、曖昧でも偶然でもなく、まったくもって必然としかいいようのない厳密な関係へとおさまっていった」(『「赤」の誘惑』 P12)、「「赤」と「フィクション」との本来であれば正当化されがたい関係がいきなり自己正当化への道をたどり始め、その運動が嘘としか思えぬなめらかさで推移してゆく」(同)、「ごく曖昧な関係がまぎれもない厳密さへと姿を変え、たんなる偶然でしかなかった関係が否定しがたく必然的なものへとゆきつくまでの変容」(同)、「そこ(フィクション論の混乱)に、ふらりと迷いこんできたのが「赤」である。どこから舞い降りたのか知るよしもないその「赤」は、みずからのおさまるべき文脈などいっさい記憶にないといいたげに、「『赤』の誘惑」こそ「フィクション」を招きよせるにふさわしい記号だと口にしながら、「理論」の不毛地帯を心地よさそうに移動してまわる。」(同P14)などと、論者は序章で書き連ねている。

一方『物語批判序説』において私の目を引いたのは、「現在にも過去にも共通の感覚を通してものの本質というべきものに触れたが故に、「ふだんはけっしてつかむことのできないもの――きらりとひらめく一瞬の持続――純粋状態にあるわずかな時間を、獲得し、孤立させ、不動化すること」ができた」(『物語批判序説』 P198)、「中心が消滅し構図がぐらりと揺らいだ隙に走りぬける裂け目として、亀裂として、生が、そして生の悦楽が存在を貫く。」(同)という箇所で、いずれもプルーストの『失われた時を求めて』中の“無意志的記憶”(「特権的な瞬間」(同P192))について語ったものです。(この当時の蓮實さんの文学観の、少なくとも一端は言い当てていると思います。)

――両者、何だか似ている。20年の隔たりがありながら、彼の嗜好の一端、文学観のコアの部分が露出しているのでしょう。『不意撃ち』という言葉が両方の本に出てくる。『「赤」の誘惑』においては、「思わずそれに立ち会ってしまったときの不意撃ちの衝撃」(同P12)。『物語批判序説』においては、「不意撃ちされる気遣いもないまま(反対の立場の人々のことを言っている)」(同P197)。つまり、「赤」やマドレーヌの匂いにより不意撃ちを食らうと、瞬間湯沸かし器式に、“法悦”に落ちる(プルーストのそれが文字通り“不意撃ち”なのに対し、赤は文章の背後に隠れたベーシックで緩やかな法悦です)。あの、“影の無い真昼の一瞬に立ち尽くす”が如き、法悦状態です。その時、“物自体”に直接コンタクトが取れたが如き錯覚に、瞬間のエクスタシーの中に、浸り切った自分に気付く。ボルヘスも「交合