コントラスト

諏訪真

エセー

1,031文字

追悼というより、弔意を示しているということにできる作法があれば、多分あの場にいた人間はかなり救われていただろう

競馬観戦を始めてようやくダービーの指定席を取ることが出来た。推し馬はファントムシーフである。理由は別に変わったものではなく、通っていた競馬バーのオーナーさんが生産牧場なので、「うちで生産された馬を応援してくれ」と言われたからだ。

確かそれがホープフルステークスの3ヶ月くらい前だった。ホープフルでは5着、共同通信杯は優勝、皐月賞では3着と健闘していたので、ダービーこそは、と推す側も熱が入った。

 

そしてダービーで起こったことの詳細は既にニュースやネットの記事で出回っているので、詳細は割愛する。これは誰かに向けて書いているものではなく、只単に自分自身のために書いている。

 

特に強く印象に残ったのが、ダービーのレース後、ゴール前で優勝式典が粛々と準備されていく中、ゴールの100メートルほど向こうで、スキルヴィングの亡骸が幕で仕切られて処理されていた光景だった。

かつて見たことがないほど、強いコントラストだった。優勝者は死力を尽くして戦い、責められるものなど一つも無く、スキルヴィングも、こういってしまったら身も蓋もないが、レース中の事故はよくあることなのだ。ダービーの後も、レースは残っている。簡単に式典を遅らせられるというものでもない。

優勝馬の関係者達が馬車で入場し、優勝式典が始まる頃には、すっかり事故処理は完了していた。しかしその場に漂うやるせない空気は、どうやって拭えば良かったのだろうか。優勝者への賛辞も、そして死んでしまったスキルヴィングへの弔意もそこかしこにあふれていた。しかし賛辞を示す方法はあっても、弔意を示す手段はどこにもなかった。観客はやるせなさだけを抱えて、ネットは荒れに荒れていた。

 

前から何度も主張しているが、競馬からファンタジーを残らず取り除けば、動物虐待しか残らない、と。言い換えればファンタジー、フィクションの部分が重要なのだ。コンテンツビジネスで食っていた身として、フィクションそのものの重要性は言うまでも無く理解している。だが人とフィクションとの繋がりは、簡単には証明できない。

 

一晩明けた後で少し冷静になった頭で考えてみると、あの時必要だったのはマナーではないかと思った。

普段はマナー講師というと本当に迷惑極まりない職業だが、生き死に関わるときだけは、弔意があることを示す(弔意そのものではない)マナーがあるというのは、円滑なコミュニケーションにこの上なく貢献しているのではないかと。

2023年5月29日公開

© 2023 諏訪真

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