ある日、横浜にある父親の墓まで出かけた。不思議なことにこの日は電車もバスも乗り継ぎがうまくいって乗り換えの際の不快感がなかった。
バスを降りて霊園がある小高い丘を上ると、真夏の空気が陽炎を作り出して風景を揺り動かしていた。
霊園の受付で線香の束を買って火をつけてもらうと、線香は小さな炎を発して松明のようになった。慌てて炎を手で扇ぎ消すと、もうもうと煙が発生して、煙でむせてひどい咳が出た。
咳き込みながら墓の前まで行くと男が立っていた。よく見ると死んだ父親だった。驚いて咳が止まってしまった。
父親は相変わらずな笑顔で「お前が持っていったあばら骨の一部がないから少し痛い」と言う。
そういえば13年前の父の葬儀の日、火葬場で骨壺に入りきらなかった骨の中から小さなものを選んでハンカチに包んで、持ち帰ったのだった。あれは、あばら骨の一部だったのか。
「あの骨は猪苗代に行ったときに渡部家の墓の前にこっそり埋めたんだよ」
「知ってる、ありがとう。でも、あのとき、お前は俺の骨を足で埋めたじゃないか?」
「まわりに気づかれないように足でこっそり埋めたんだよ」
「ひどいやつだ」
「でも、残った骨をいまでも持ってるよ」
「わかってる、だからいまでもあばらが痛むんだよ」
「じゃ今度持ってきて、骨壺に入れるよ」
「いいんだよ」
「だって、痛いんだろう?」
「痛ければ、あの世でいつでもお前を思い出すことができるからな」
「あの世でも認知症は進んじゃうのかい?」
「ばか野郎…」
そう言うと父親は笑顔のまま消えてしまった。
"墓前の父"へのコメント 0件