午前の外来が終わり、束の間の休憩時間にやきそばパンを囓っていると、研修医の藤井がやってきた。
「小倉先生、これ見ちゃってください」
「転院?」
渡されたタブレットには英文の紹介状と、申し送り事項が山のように羅列されている。酷い状態だった。三十四歳男性。右下肢切断、左肩銃創、鎖骨骨折、無数の打撲傷、裂傷、擦過傷。いったい何をしたらこんな怪我をするのか。
「海外から? PCR検査は?」
「陰性です。事務は受け入れ可能っちゅうちょってです」
「勝手じゃのう。なんでうちを希望しちょるん?」
僕はやきそばパンの残りを口に詰め込んだ。藤井は首をかしげる。
「さあ、緊急連絡先がこの辺じゃけえ、実家でもあるんじゃないですか」
となると僕と同い年だから、同級生かもしれない。患者氏名を見ると、「鎌田弘喜」とある。
「まさかな」
僕は独りごちた。藤井はさらに首をかしげる。
「いや、ええっちゃ」
僕はやきそばパンのかけらを口から飛ばしながら、タブレットを藤井に返して立ち上がった。
鎌田はポーランドから移送されてきた。ワルシャワの病院に一ヶ月入院したのち、成田経由で山口宇部に降り立っている。ワルシャワ以前の記録はない。
「どこでこんな怪我したんか?」
担当の看護師である志野に訊くと、意外な答えが返ってきた。
「ウクライナだそうです」
「ウクライナって、あの?」
あのウクライナ以外に何があるんだ、という顔を志野はした。鎌田が傭兵になって世界のあちこちで任務についている、という噂は高校の同級生に聞いていた。当時男子の間では戦略シミュレーションゲームが流行ったり、モデルガンを所有するのがステータスだったりしており、僕や鎌田もその例に洩れなかった。
誰かが全巻持っていた「エリア88」を回し読みしたり、「トップガン」や「アイアン・イーグル」のDVDをツタヤで借りて観たりした。僕らのほとんどは、それらの漫画や映画で主人公やメインキャラが主に搭乗していた西側の航空機がお気に入りだった。例えば僕はJAS39グリペン。スウェーデン、サーブ社の傑作マルチロール機だ。だが唯一鎌田だけはソビエト連邦の機体を異様に好んでいた。奴はフライトシミュレーターで対戦するときも、必ずMig-29やSu-27を選んだ。
僕たちは鎌田の趣味を揶揄して、よく「帰れソ連へ」と題して超適当な歌を歌っていた。その歌は「帰れソレントへ」をもじったものだった。尤も、音楽の授業か何かで一度聞いたことがあるくらいで、ソレントがイタリアの地名であることも、その歌がナポリ民謡であることも知らなかった。ただ、知っていたとしても僕らは「帰れソ連へ」と歌って鎌田をいじっただろう。僕らにとっては、歌のルーツなんてのはどうでもよくて、そのいい加減な響きの一致が面白くて仕方なかっただけである。
鎌田は銃器もソ連製を好んだ。サバゲーをするときも、僕らはM16やUZIなど西側の銃を好んで使ったが、鎌田だけはAK47を愛用していた。奴は暇さえあればAK47がどんなに優れた短機関銃であるかを得々と語った。
「世界中のゲリラで愛用されている兵器が二つあるんよ。カラシニコフのAK47とトヨタのピックアップじゃ。どんな過酷な状況で使ったって故障せんのじゃ」
僕らは熱く語る鎌田に向かって「帰れソ連へ」を歌った。
回診の時間が近づくと看護師の志野がやってきて、声を潜めて告げた。
「三〇五の鎌田さんじゃけど、同室の方が文句言いよってじゃけぇ、何ち言うてくれませんか」
話を聞くと、何やら変な金属部品やアーミーナイフを四人部屋の病室に持ち込んで、他の患者たちに気味悪がられているそうだ。
「わかった、言うちょく」
僕は回診の最後に、三〇五号室の鎌田のベッドを訪れた。
「小倉か、立派になったのう」
鎌田は半身を起こし、包帯だらけの右手を差し出してきた。僕は患者との不要な接触を避けるよう努めていたので、その手を無視した。鎌田は不敵な笑みを湛えたまま、右手を下ろし、その手でベッドサイドテーブルに置いてあった巨大な釘のような鉄の棒を手に取った。その棒を、入院着の背中に突っ込む。
「かゆうてやれん。鎖骨が折れちょるけえ、背中に手がたわんのじゃ」
右脚があるべき場所には、包帯でぐるぐる巻きにされた太腿があるだけで、膝から先がない。
「鎌田、再会して早々悪いんじゃが、そいつを仕舞ってくれんかのう」
僕は鎌田が手にしている長大な鉄の棒と、ベッドサイドに抜き身のまま置かれたアーミーナイフを顎で示して言った。
「これかあ? のう小倉、これがなんか分かるか?」
鎌田は棒を背中から抜き出して振ってみせた。
「さあ」
「AK47の撃針じゃ」と言いながらまた金属棒――世界で一番売れた短機関銃の撃針――で背中を掻く。「本当はAKを持ってきたかったんじゃが、銃刀法違反になるけえのう」
僕は冷ややかな目でこの負傷兵のにやけ面を見下ろした。そのナイフだって立派な銃刀法違反だろう。
「鎌田、なんでウクライナなんか行っちょったんか」
鎌田は僕の質問を無視して左肩の銃創を覆うガーゼをめくってみた。
「小倉、モルヒネある?」
「あるけど?」
「ちょっとくれーや」
「必要な場合に医師の判断で処方する」
何か言いたげだが、口を尖らせたまま鎌田は黙って首を振った。
「外科医先生かぁ、ぶち立派になったのう」
鎌田はしみじみと言う。別に立派なつもりはない。こんな田舎では医者の息子は医者になるのが普通だし、なったからには世の中の役に立ちたいと思うのは自然だった。助けられる命は助け、和らげられる苦痛は和らげる。それが僕の仕事だった。
「じゃがのう、命を助けるんは、なにも怪我や病気を治すだけじゃないで」
病室を出ようとした僕の背後から、鎌田は言った。僕は奴の表情を見ようと振り返ったが、鎌田は窓の外に目をやっていた。
鎌田は高校を出てからすぐに働き始め、二十代になってほどなくフランス外人部隊に入隊し、訓練を受けたという。いわゆる傭兵として、東南アジアや北アフリカなどを転戦する。ここ数年は紛争から離れ、スイスでPMCの経営に携わったりしていたが、ロシアがウクライナに侵攻すると義勇兵として志願し、激戦地のマリウポリに入った。アゾフ連隊の指揮下で斥候や後方撹乱の任務についていたが、ロシア軍特殊部隊の待ち伏せに遭い、撤退中に対人地雷に触れて負傷したのだという。
命からがらマリウポリを脱出し、後送される間に右脚の膝から下は切断の憂き目に遭った。ワルシャワの病院で一ヵ月加療し、この度ようやく長時間のフライトに耐えられると判断されて日本の病院に転院を認められた。ヨーロッパ便はロシア上空を避けるため、通常よりかなり時間がかかるようになっていた。
「命を助けるんは、なにも怪我や病気を治すだけじゃないで」
鎌田の言葉が、ワイン壜の底に溜まった澱のように、僕の胸にこびりついていた。医師として仕事をするなか、残念ながら助けられなかった命が少なからずある。その度に、僕は自分の知識や技術が足りなかったのではないか、違うやり方をすれば助けられたのではないか、という自省と後悔に苛まれる。
「のう小倉、モルヒネくれーや」
回診に行けば必ず、鎌田はそうせがんだ。僕は首を縦に振らなかった。
「ここは戦場じゃないど。モルヒネよりましな治療がいくらでもあるで」
鎌田はにやけ面をその顔に貼り付けたまま、AKの撃針で背中を掻いた。
「怪我が治ったら、わし会社つくるわ。ガレージキット作る会社な。タミヤとかハセガワみたいな大手が絶対にキット化せん、マイナーなん作るんよ」
鎌田らしい発想だった。旧東側のマイナーな兵器をプラモデル化してどのくらいのニーズがあるのかは正直わからない。でも世の中には鎌田のような酔狂なミリタリーオタクもそれなりの数がいるのかも知れない。
「そうか、その時は俺も出資するよ」
半分は本気だった。忙しい勤務医で他に金の使い途もなく、いくつか株を買ったり投資信託をやったりしていた。しかし鎌田は背中を掻く手を止め、急に無表情になった。
「金なんか出さんでええけえ、モルヒネくれーや」
妙に癪に障るもの言いだったので、僕は気を紛らわすため点滴のチャンバーを確認した。滴下が明らかに早すぎるのに気付いた。痛み止めが全開になっている。ベテランの志野がこんな調節をするはずがない。鎌田が自分で痛み止めを増やしたのだ。
僕は無言で痛み止めを適量よりも少なめに調節しなおし、部屋を出た。入口で振り返ると、鎌田は窓の外の青空を眺めていた。
コード・ブルーが鳴った。
僕は食べかけのやきそばパンを放り出し、蒼い顔で走っている志野を呼び止めた。
「小倉先生、三〇五でCPAです」
僕は駆け出した。ありえない、と思いながら腕を振り、リノリウムの床を蹴った。助けられる命は助ける。心の中で呪文のように唱えながら、走った。病室に到着すると、藤井がすでにCPRを行っていた。
「何分経った?」
「十五分です」
「代わろう」
僕はCPRを続けた。しかし五分も経たないうちに、これはダメだと思った。
「緊急開胸」
「はい」
藤井と志野はおそろしく良い手際で準備をする。だが、開胸心マも結局鎌田の心臓を再び拍動させることはなかった。僕は血まみれの手を蓮の花のような形にして、肘をついてうなだれた。
「死亡確認、午前四時五十八分」
死因は敗血症性ショックによる多臓器不全だった。患者の管理に間違いはなかった。いつでも、どこでも起こりうる不慮の事故のようなものだった。だが僕は救えなかった命があったときはいつもそうするように、自分の見立てや処置が正しかったかどうか、何度も顧みた。
鎌田の遺体が霊安室に移されたあと、遺品の整理を手伝った。志野は「看護師の仕事じゃけえ」と頑なに僕を遺品に触れさせようとしなかったが、半ば強引に押し切った。
AKの撃針やアーミーナイフに混じって一冊の本があった。AK47の設計者であるミハイル・カラシニコフの自伝だった。一ページだけ付箋が貼ってあったので開いてみると、傍線が引かれている箇所にはこうあった。
「私は祖国を守るためにこの銃を作った。AK47のせいで罪なき人々が死んでいるのは、政治家の責任だ」
窓の外を見やった。黎明の空は、濃いブルーと山吹色のグラデーションに染まっており、昇りつつある太陽が黄金色の輝きを添えていた。
僕は、よく知りもしない「帰れソレントへ」の歌を誰にも聞こえぬように口ずさんだ。
退会したユーザー ゲスト | 2022-05-25 20:47
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ヨゴロウザ 投稿者 | 2022-05-25 23:28
以前の作品で競艇場の場面を読んだ時も思いましたが、その場の雰囲気の再現みたいな事がとても上手いと思います。毎回色々調べたりご自分で足を運んだりされているのかと思いますが、病院のあの特徴的な、消毒液か何かの匂いがずっとしているようでした。
鎌田の死に方が少しあっけなさすぎる気がしまして、あれは『海と毒薬』だったか、あの失敗する手術シーンみたいな溜めが欲しいような気もしましたが、変に作り込んでわざとらしくなっても駄目でしょうからこのままでいいのかなと思いました。
曾根崎十三 投稿者 | 2022-05-27 00:19
「帰れソレントへ」、何か聞いたことあるけどどんなだったかなと思って調べたら学生時代に習ってました。替え歌はどんな感じで歌ってたのかなーと思いました。
歌詞も作品に合っていてラストに口ずさむのにしっくり来ました。なまりがあるのも「故郷」感があって良かったです。
松尾模糊 編集者 | 2022-05-27 21:21
医師として患者の命を救うことを選んだ語り手と、紛争地へ赴き武器を取ることで命を救おうと考えた鎌田のそれぞれの正義が交錯していて良かったです。方便も二人の時間を超える交流を現すようで効果的だなと感じました。
Fujiki 投稿者 | 2022-05-28 00:40
鎌田は点滴いじれるくらいだから自殺したのかなと最初思ったがそういうわけでもないのか。死のあとでもっと主人公の気持ちとかいろいろ掘り下げてほしいなと思ったけど、あえてそうしないのがハードボイルド風なのだろう。ソ連兵器マニアの彼がロシア軍側の傭兵でなく、ウクライナ側で戦ったのには鎌田なりの倫理的な葛藤があったと想像できるから、そこらへんも読んでみたかった。
わく 投稿者 | 2022-05-28 09:28
戦争を実際に経験していない男の子は、ほとんどが銃や戦車、戦闘機になんらかの憧れを抱くものだと思います。その中に虚偽があることを大人になるにつれ学びますが、大人になってから学びとったことよりも、子供のころの憧れを大切にする人が世の中には時折いるのだと思います。程度の差こそあれ、宮崎駿なんかもその一人で、鎌田もまたその一人なのだと思いました。
帰れソレントへがリフレインするのが特に良いと思いました。
小林TKG 投稿者 | 2022-05-28 10:28
広島弁ですか?広島弁ですよね?いいんですよね。あってますよね?いいなあ。広島弁。TRICKのドラマの矢部さんの部下を思い出すなあ(笑)
あ、すいません。とても面白かったです。これ読んでから、自分の読み直したら恥ずかしくなりました。あとすいません。こんな馬鹿みたいな感想でww
鈴木沢雉 投稿者 | 2022-05-29 05:25
小林TKGさん、コメントありがとうございます。
これ山口弁です。まあ広島弁と何が違うのかと聞かれても正直わからないんですけどね。そもそも山口弁も広島弁も県内のどの地域かによって言葉もだいぶ違うものですから。山口市で話されている山口弁が標準山口弁で、広島市で話されている広島弁が標準広島弁かというとそういうわけでも全然なくてですね、ちょいとややこしいです。
あとTRICKは見てません。すみません。
鈴木沢雉 投稿者 | 2022-05-28 10:41
虫除け効いてないぞ! アース製薬、大日本除虫菊でてこい!
波野發作 投稿者 | 2022-05-29 05:17
我がライバルと勝手に思っている沢雉先生の作品を拝読。流れるようなストーリー曲線で今回も大変よろしかったです。鎌田さんが生きていたらいい感じの東側諸国兵器がガレキとして手に入ったんですよね。残念です。ウクライナには素晴らしい模型メーカーがたくさんありまして、この度の戦乱は本当に忸怩たる思いがあります。尊い人命が損なわれていることももちろんですが、文化の破壊という点でも許されざる暴挙であると、私も思っています。
鈴木沢雉 投稿者 | 2022-05-31 22:22
波野さんにライバル視されて光栄の至りというか、私ごときが、と大変恐縮しております。ありがとうございます。
ウクライナの模型メーカー、改めて調べてみたら結構あるんですね。鎌田がウクライナ側に立って戦った動機ってこれでいいじゃないか(後付け)と思ってしまいました。
天汁ちしる 投稿者 | 2022-05-29 10:02
最後のカラシニコフの自伝のセリフがめちゃめちゃ胸に沁みました。
「私は祖国を守るためにこの銃を作った。AK47のせいで罪なき人々が死んでいるのは、政治家の責任だ」
今のこの状況を「クソがぁー!」と雲の上で叫んでおられることでしょう。
Juan.B 編集者 | 2022-05-29 10:13
良いことはみんなが書いてしまった。昔は東側を、今はウクライナを選んだ鎌田の気持ち、分かる気はする。本懐を遂げられたなら何よりである。