不要不急の渡河が禁止されてから随分経つ。
もともと河原には舟に乗ろうとしないやくざ者がぽつぽつと屯して、時々鬼に「密!」と棍棒で蹴散らされていたりした。しかし渡河が禁止されては、そんなのどかな光景はのぞむべくもない。日本における年間死者数は137万人であるから、単純計算で一日数千人もの死者が三途の川のほとりへとやってくるのである。押し寄せる死者にあっというまに河原はいっぱいになり、鬼が密にならぬよう整列せよと命ずるも、群衆はやつれた顔でのそのそと互いを押し合うばかりであった。
そうするうちに少しばかり元気のあるものが鬼を捕まえ、文句を垂れるようになった。やれ舟はいつ出るのか、やれいつまで待たせるのか、やれ待たせるのであれば座る場所くらい用意したらどうだ、相手が鬼であっても死者は怯むことがない。俺を誰だと思ってるんだ、忙しいんだから明日の七時までに生まれ変わって仕事にいかなくちゃならない、はやく出してくれ。
はたしてこの者は十王の一人なのか? いな、十王もしくはその家臣であれば渡河の舟を待つ必要などないはずだ。鬼は腹を立て、棍棒で男を叩き潰した。いかなるものも十王の裁きを受けるまでは罪人だ。我欲にまかせて鬼に詰め寄るなど、人道にいる間によほどの大罪を犯したに違いない。
しかしそれよりも鬼が手を焼いたのは、子らであった。
昔に比べ、最近は悪童が増えた。悪童が増えるのは悪いことではない。けれども突然「ゼンシュウチュウ!」「ミズノコキュウ!」「オマエヲユルサナイ!」などと謎の呪文を叫んで鬼の首の付根を叩こうとするのには辟易とさせられる。彼らは河原に棒っ切れひとつないのをいいことに、石積みのための小石を投げ、鬼の棍棒を奪おうとする。おかげで鬼は悪童から逃げ回る羽目になった。これでは鬼の威厳が保てない。
「子どもは連れて行ってくれませんか」
鬼は耐えきれず、珍しく河原に顔を出した地蔵に頭をさげた。地蔵というのは案外えらい存在で、生前の裁きが必要なほど長く生きなかった子らをまとめて人道へ送り届ける役をしている。鬼はなぜ十王が裁きを止めているのか知らなかったから、裁きに関係ない子らのことは地蔵にまかせてしまえばよいと短慮したのであった。
地蔵は目を細めるだけで答えない。右手を枕として横になり、尊大な態度である。鬼はどしんと足をうちつけて言葉を荒げた。聞こえないのか、子どもを連れて行け。子らに裁きはいらぬ。たとえ十王がお隠れになっていたとしても、おまえが子らを人道へと導く役はかわらずあるのだぞ。
しかし地蔵はあくびをしただけで、やはり鬼の言葉を取り合わない。鬼は赤い顔をさらに赤くしてどしん、どしんと両足を地面にうちつけた。地が揺れ、河に波がたち、河原の人々が悲鳴をあげた。
鬼は腹を立てたまま、やいやいと大声で怒鳴った。こっちは渡河禁止令が出る前から目が回るくらい忙しいんだ。俺の本当の仕事は積石崩しだってのに舟渡しのもぎりまでやらせやがって。渡河禁止になってからは、やれあっちで揉め事があっただの、やれあっちでひっくり返ってるやつがいるだの、やれ将棋倒しになったから片付けろだの、なんでもかんでも押し付けりゃいいと思ったら大間違いだ。そのうえ今度はなんだ、俺の頼みを無視して昼寝か? いいかげんにしろ!
いつの間にか趺坐の姿勢になっていた地蔵はやんわりとした笑みを浮かべ、目を少しひらいている。鬼が棍棒を振り上げても動じることなく、手を合わせ、ゆったりとした雰囲気をまとったままだ。
お前らは、と鬼は怒鳴った。結局なにも聞いちゃない。牛頭馬頭なんて使い捨てればいいと思ってるんだ。まったくそんなんで、なにが地蔵菩薩だ。なにが大慈悲だ!
そう叫んだ途端、鬼の目から涙が溢れた。鬼は地面に倒れ込み、おいおいと声を上げて泣いた。まったく俺はなんてかわいそうなんだ、と鬼は嘆いた。人間を怖がらせるはずが、人間に振り回され、やつらのせいで疲弊している。これじゃどっちが鬼かわかったもんじゃない。こんなんじゃだめだ。俺は牛頭の役目もまっとうにつとめられないだめな牛頭だ。
あわれな、と唐突に地蔵は言った。
その声は十王の主、閻魔のものであった。驚いて鬼が顔をあげると、地蔵はやはりやんわりと笑っている。
なんとあわれな、と地蔵は繰り返した。
わたくしがこうして三途の川のほとりへ降り立ったのは、おまえを羨ましがらせるためではない。
鬼はしゃくりあげ、励ましに来てくださったのかと問うた。けれども地蔵はやはりやんわりと笑ってかぶりをふる。では死者をさばきに来たのですか、と鬼は再び問うた。地蔵はやはりかぶりをふった。
「ではなぜ――」
地蔵は目をうっすらと開けて、死出の山を指差した。
「昔から人道ではこう言われている」
死者の衣で覆われ、雪をかぶったように見えていた山に金の雨が降っている。地蔵はのけぞって、奇妙な笑い声を立てた。
「地獄の沙汰も金次第、とな」
雨を先導する光に向かって、河原に屯する人々は快哉を叫んでいる。けれども鬼はその光を見ることができなかった。光が彼らの頭上を通り過ぎ、金の雨がすっかりやんだ時、牛頭の姿はなかった。
舟が岸を離れようとしている。
Fujiki 投稿者 | 2020-05-21 23:19
「時々鬼に『密!』と棍棒で蹴散らされていたりした」のインパクトにやられた。今の世相のアレゴリーとして読めそうな気もするし、三途の川で右往左往する牛頭の話として素直に読んでも楽しめる。斧田さんは物語性のある長めの作品のほうが得意なのだろうとこれまで勝手なイメージを抱いていたけれど、掌編の完成度も非常に高い。星五つ!
退会したユーザー ゲスト | 2020-05-22 19:54
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退会したユーザー ゲスト | 2020-05-23 00:23
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T.K 投稿者 | 2020-05-23 13:31
「不要不急の渡河が禁止されてから随分経つ」という物語の始まりから、ラストの「舟が岸を離れようとしている」とこの世界がまた動き出すまでのお話の中に、ものすごく広い奥行きを感じられる作品でした。牛頭がどうなったのか、はっきりと書かれていないことから、読み終わった後もあれこれ考えさせられ何周も読んでしまいました。何周読んでも面白かったです!
春風亭どれみ 投稿者 | 2020-05-23 19:36
缶コーヒーを一本差し入れしたくなるような苦労性の鬼さんに◎を。
地上の流行に敏感な彼らに笑いました。三途の川の方々が口にしていたのかしら、「密!」
あと、直前まで「ミズノコキュウ!」と元気にはしゃげる悪童がこっちに来ていると考えると、少しだけ、この子らはもう少しはしゃがせたってと、しんみりも致しました。
短いのにすごくきれいに纏まっていて、掌編の理想を見ました。
大猫 投稿者 | 2020-05-23 21:33
楽しく面白く読ませていただきました。
三途の川の渡しまでが不要不急になるとは。牛頭馬頭のうち牛頭天王を主役に据えたのは、疫病退散の神様だからでしょうか。疫病の蔓延で牛頭さんは敬われなくなってしまったのか、三途の川での報われない仕事ぶりは、ドラッグストアの店員さんみたいです。真面目な人、いやさ鬼は、どこへ行っても真面目で、想定外のことに対応できない悲しみがひしひし。
「地獄の沙汰も金次第」のくだり、『西遊記』の最後の方で、三蔵法師が極楽の役人に付け届けをしなかったために、白紙の経文を掴まされたことを思い出しました。死んだあとさえ身もふたもない金万能の世界を、お地蔵様は清濁併せ呑んでお救いくださったのか、それともおちょくっただけなのか。
異界魔界を自在に遊ぶ作者の物語世界にしばらく一緒に遊ばせてもらいました。
諏訪靖彦 投稿者 | 2020-05-24 00:42
『十王』知らなかったです。恥ずかしい。検索してなるほどお、少し賢くなりました。どこの世界も使われるものは大変です。三途の川の様子がほのぼのとしていて、釣りバカ日誌の夢の中で三途の川を渡るシーンを思い浮かべてしまいました。
古戯都十全 投稿者 | 2020-05-24 01:46
死者の増加で自身がエッセンシャルワーカーであったと気づく鬼、死んでも誰かに迷惑をかけ続ける人間、無関心を決め込む地蔵菩薩。寄る辺ない世界に住まう彼らは、それこそ不要不急の渡河を禁止されてしかるべきでしょう。
生きることそのものがユーモアに思えてくる作品。
松下能太郎 投稿者 | 2020-05-24 04:00
男を棍棒で叩き潰す一方で、子らには逃げ回っている鬼の姿におかしみを感じました。あの世のことが生き生きと描写されているなあと思いました。その描写に引き込まれたがゆえに、人道で言われているような俗の言葉を閻魔が口にするかなと少し引っかかりました。
一希 零 投稿者 | 2020-05-25 12:03
楽しかったです。真面目で現実的なものを想起しがちなお題に対して、こんな風な想像力の膨らませ方があるんだなと思いました。皮肉が効いてて、けれどそれが全面に出すぎないゆえに読後爽やかな感触が残る、素敵なお話でした。
Juan.B 編集者 | 2020-05-25 17:39
不要不急の渡河の光景からして笑える。あの世も官僚制だし案外こんな風景なんだろうなと思わされる。