其れから一週間が経ち件のフォーラムの前日を迎えた。その間、様々な編集者に聞いて周った処、宮崎氏と連絡がつかなくなっている事自体は事実であるらしかった。しかしその事に依って警察が動いているかどうかは判らなかった。編集者に訊ねる際も、暫く連絡が来ないし、電話が繋がらない、と云う以上の事は言わなかった。其れは、私の頭に『黒白』の事が浮かんだ所為もある。あまり大きく騒ぎ立てて、私が免罪の嫌疑を掛けられないとも限らないし、そう云う風に仕組もうとする、黒い大きな手の如き物が眼前にちらつきもした。だから私は、締切に追われている文筆家と云う演目を演じ続けた。実際に、幾つもの締切に追われているのだから、わざわざ演じると云うのもおかしな話なのだが、私の頭の殆どを占めるのはやはり黒い大きな手であった。私は、件の『黒白』の主人公の男の事をおもった。絶対に私は、誰かの陰謀の餌食にはならない。……
その日は大学の教授会がある日であった。私は専任教授では無いため、これまでに参加した事なんぞ一度も無かったのだが、その日の朝、学部長から参加を要請する連絡が入ったのであった。学部長は、酒妬けしたハスキーボイスで、電話口にこう言った。
「一寸今日は、先生にも参加して頂こうとおもっているのです。『開かれた教授会』と云うのも変な話ですが、そう云うような提案がチラホラ出てまして、お時間があるようでしたら是非参加願いたいのですが。」
なんとはなしに私は、
「はい。」
と返事した。しかし考えてもみればこれは頗る変な話であった。そんな学習参観みたいな話は聞いた事が無い。緊張状態が続いた所為で、私も一寸油断してしまったようである。
指定された時間に会議室に行くと、非常勤講師は私だけであった。其れどころか、私の他には、学部長が一人、一番前の席にこちらを向いて座っているだけであった。私は、早くに来てしまった事を後悔した。講義の関係で、皆、時間通りに来ないのが普通なのかも知れない。
私は、軽く会釈して、ドアを開けた直の処の席に腰掛けた。そうして、学部長と目が合わないように、姿勢を正して真直ぐを向いた。腕時計を確認すると、十六時二十分であった。開始は三十分である。四限の授業終了を伝えるチャイムは、少し前に鳴ったので、もう直ぐ他の教授たちも集まって来るとはおもうのだが……。
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