(第19話)
それから1週間も経たず、もう1作仕上げてしまった。
依本は書き終わると、すぐさま内田に連絡を入れ、メールに添付して送った。あまりの快調さに自分自身で驚いていた。もっとも内田からの反応は特段なかった。
それにしても考えるに、内田の出版社としてはおいしい商売ではある。契約は印税ではなく一冊買い取りなので、見方によっては貧困ビジネスのごとく貧乏作家の弱みに付け込んでいるものだ。当座の生活費程度の出費でプロの仕事を手に入れられるのだから、これはぼろい儲けだろう。若い女性向けという絶対的な市場があるのだから、はずれのリスクも極めて少ない。なんだかそう考えると、内田と文晴社に掌で弄ばれている感じだ。うまくリズムに乗れば1日に50枚も60枚も書ける才能を、不当な価格で買い叩かれている気分になってくる。
これがもし詠野Zが実在する作家だとしたら、莫大な金を払わなくてはならないだろう。もちろん1冊買い取りなんかではなく、印税ということになる。しかも人間一人にずっと書かせていれば、どんな才人であろうとも、不調や飽きで必ず凡作がはさまれることになる。それでも大家から渡された原稿であればボツにはしにくい。依本ら貧乏作家に書かせれば安い稿料の利点に加え、不出来な作は遠慮なく指摘できるし突っ返すこともできる。考えれば考えるほど、詠野説人プロジェクトは濡れ手にアワだ。
でも、そう自分勝手に考えてもいけないと、依本は思う。逆に考えれば、自分一人では容易にできない方向転換を実行させてくれたのだ。さらにはこの後に復活のお膳立てをしてくれるかもしれないから、文句を言うのはおこがましいというものだ。かつて書いていた重く暗い作風のものは搾っても搾っても頭から出てこなくなっていたし、もし書き続けられたとしても、たった一つだけの作風に凝り固まっている作家に待っているのは、飽きられて見放されるという世間の冷たい風なのだ。スプリットが売りの抑え投手だって、その決め球ばっかり投げていたら球筋を覚えられて打たれてしまうことだろう。依本としては、作風を広げてもらったことをとても感謝していた。
今まで何人が詠野Zを手掛けているのか分からないが、もしかしたら内田の出版社は日本文学界にものすごい貢献をしているのかもしれない。なんといっても社会の中で最もむずかしい作業、救済措置というものを行っているのだから。
依本は電気をつけ、気分転換にコーヒーを淹れてたばこを吸うと、再び書き出した。
狭い四畳半にいい香りと煙が広がり、キーを打つ音が響く。今もってブラインドタッチはできないが、長年の慣れでけっこう速く打てる。
新人賞を取っていくつかの依頼が入ってからは工場を辞め、私鉄の急行停車駅に引っ越した。金に余裕ができたからか妻との仲も良好で、あれが人生の最盛期だといってよかった。しかし落ちぶれていくと高額の家賃がきつくなり、逃げるように、各駅停車のみ停車する駅のアパートに引っ越した。仕事と収入が減るにつれて妻との諍いが増えていき、工場時代の給料より下回った頃に離婚。一人になったからには一間で充分ということで今のアパートになった。昔から万年床には抵抗があったので布団は上げているが、服も小物も散らかし放題ですさんだ生活そのままの部屋となっている。机の上だけはきれいになっていて、それは整頓されているからではなく、それだけ書いていないということだった。
多少物語が強引に進んでも構わないが、主人公のキャラを引き立たせてくれ。これが、内田の強調することだった。それに従って書いているので、後半はバタバタした感じになっている。以前の自分であれば許せないところだが、と依本は思ったが、今はどんどんページを伸ばしている。
内田の依頼が新たな自分を引き出したのは間違いない。たしかにそうなのだが、しかしもう一つ、自分が一度落ちぶれているというのも、滞りなく書ける要因となっている。糊口のためにはもはや個性だ好みだなどと言っていられない。美学もこだわりも吹っ飛んでいる。依頼のとおりに書き上げることこそが重要だ、という心境になっている。仕事なのだ、終わらせなくては話にならない。とりあえずどんなカタチでも仕上げる。これが文章のいい練習なのだ。たくさん書くのもいいが、力を付けるためには、完結させる、ということが肝心だ。
もっとも、落ちぶれた作家だからこそ内田が訪ねてきたわけでもある。こんな依頼はとても順調な作家に持ち込めるものではない。なにぃ買い取りだとぉ、バカにするな! そう怒鳴られて塩をまかれてしまう。
空腹を覚えたが、依本はそのまま書き続けていった。気持ちよいペースで作品を生み出せているという充足感は、空腹でさえもしばらく横に置いておける。
"影なき小説家(ペイパーバック・ライター) 第19話"へのコメント 0件