(第17話)
まだ依頼があったころ、編集者に「がんばって書いてますか?」とよく言われた。依頼主にケチをつけるなんてできないので受け流していたものの、実に違和感のある言葉だなぁと依本は思っていた。
がんばればプロの仕事をできるものだろうか。プロの仕事というのは、がんばってどうにかなるものではないはずだ。
まぁ編集者の方だってそこまで深く考えず、常套句として言ったにちがいない。しかし依本は、このがんばるという言葉がいつも引っかかった。
実際書くのがはかどっているときは、がんばっているという意識がまったくない。頭に思い浮かんだ言葉を外に出しているだけという感じだ。依本は受賞後しばらくして筆が止まってしまったが、公募時代の10年間は仕事を終えてくたくたになっていようとも1時間2時間と書き続けられたし、休日は1日のほとんどを書き物に充てても大丈夫だった。もしがんばってこなしていたとしたら、ぶっ倒れてしまう。そこまでいかなくても、バテて放っぽり出していたことだろう。
少なくともデビュー前、工場勤めのときは、極端に言えば、がんばるとは正反対で息抜きの感覚だった。頭の中からひねり出す作業はある程度面倒で疲れるので息抜きはオーバーとしても、そこそこの枚数を書き上げたあとに感じる達成感が気持ちと体に安らぎを与えていたことは確かだった。だから本人の感覚としては、がんばってと言われるとへんてこりんな気分になるのだった。
スポーツだって、練習はがんばる以前に癒しになっているはずだ。いい例がバッティング練習。プロになる才能を持つ者は人より多くバットの芯にミートさせられるので、その快感が癒しになる。もし空振りや当たり損ねばかりだったらストレスが溜まり、とても長時間の練習になど耐えられないことだろう。芯にミートするのは、人がなかなかできないことができるという特権意識を持てて、そしてまた体への快感も得られる。その2つが、癒しへと導くのだ。
守備練習だってそうだ。守備位置という、ある一定の狭い場所を行ったり来たりとちょこまか動かされ、取りそこなって体に当たれば痛い思いをする。いくら試合のためだからといって、エラーばかりで怒鳴られたりアザだらけになったりでは、とても長時間は続けられないだろう。華麗なグラブ捌きで満足感を得られたり、感心されたりするからこそ、嫌気がささずに打ちこめるのだ。
文章も同じ。自分自身で読んでもなかなかだと思えるようなものが書けるから、書き続けていくことができる。書けないのに長時間ワードの画面に向かっていることなど、無理な話だ。
窓からは西日が差し込んでいるが、夏なので暗くなる気配はまだない。この日は好調で、朝から始めて50枚を超えていた。書き飛ばしているので読み返せば粗いところもあるのだが、大抵はたくさん書けたときの方が、完成度が高い。どうにも書けない日のたった数枚は、使い物にならないことが多かった。文章の完成度とはじっくり時間を取るかではなく、リズムに乗るかということの方が大きい。
――― この調子だと、明日には仕上がっちゃうな。
内田の指定した枚数に、そろそろ到達しようとしていた。
気だるくさせる夕方の日差しが、依本の腰をむずむずさせる。どうにもこの時間、呑みに行きたい気持ちがわき上がってきて困る。
ましてや、今は女神のこともある。単純な呑みの衝動に、もうひとつ動機が加わっている。
しかし、ここでパソコンを閉じるのももったいない。今快調だからといって、明日も快調とは限らない。快調なときに書けるだけ書いた方がいいに決まっている。呑み屋は逃げないのだ。
とりあえず依本は、冷房を止めて窓を開け、窓枠に肘をついて一服した。
じっとりとした空気だが、結構気持ちがいい。依本は中空に煙を吐き、赤く染まった空を見渡した。
ぼんやりと、自分は死ぬまでにあと何作書けるのだろうかと思う。いいところ、長編を10作ほどではないか。その10作が、果たして人の目に触れるような書物になるのだろうか。
夕日は、愁いの感情で胸をいっぱいにさせる。依本は煙とため息を交互に吐きながら、しばらくの間、赤い裏通りを見ていた。
"影なき小説家(ペイパーバック・ライター) 第17話"へのコメント 0件