ところは越前。時代は令和。理由なぞ知るまいが、或る若人が「文学を極める」ことを志したそうな。したが「文学を極める」とは如何なることでござろうか。若人は眼前の形而上たる問いに直面することとなり申した。形而上の問題に直面した折は形而下にとりかかるよりほかにせんない仕儀。越前に隠棲した文学上の師たるほろほろ落花生は迷える若人にこう告げたそうな。
「オリジナリティ? 独自の文体? 芥川賞? BFC? なめたことぬかしおるとそのハラ掻っ捌くぞ。ぼけい」
若人は師の訓戒指導の下、古今に名をなす文豪の作品を濫読するのみならず、音読筆写するという挙に出た。それはそれは苦しい日々であったそうな。己が珠を磨き一刻もはよう世間に宣したい若人がこの辛抱じゃ。一日に五万字の筆写。画では素描であるとも申されましょう愚昧愚直の基礎修練。外国語の文書の閲にあたってはこれをその国語で筆写することも心掛けたらしいとのこと。実直な性根でござろう。仏蘭西の語も露西亜の語も若人にとればその文様から体温と生命の鼓動が伝わってくるらしゅうとのこと。まこといじらしい心意気じゃ。よしその言語を解さずとも。
十年が経ち申した。若人は師たるほろほろ落花生の文章を再読した。ただ他者を瞠目させんとするばかりの虚妄空漠たる形容の数々、卑しきな我、平板な主題。「てにをは」すらおぼつかない師の愚文を読み終えた後、おおきくひとつ嘆息した若者は越前を出立したということじゃ。
「闘争とはつまり文字の生まれ出づるところより生じる。諸君の極めんとする文学はその程度のものであったか」
呵々大笑する老人は某帝国大学の文学部教授であり、現在は伊豆の小村に隠棲しているらしいとのこと。此処に文学を極めんと青雲の志を抱いた若者達が集ったことは令和の御代に隠れながら有名でござった。無論、彼の若人も例外ではござらぬ。
「しかしまずは先生。文学賞をとらなければ。一つでも多くの『イイね』を稼がねば。相応の地位を得なければ」と青年たちが裂帛切迫の気炎をあげたこともむべなるかな。いつの世もしかるべきことよ。
「気負いはわかる。が、彼の透谷をみよ。ボオドレエルをみよ。俗人には文学的アンコロか選りすぐった糞便でも与えておけばよいと文学的天上より我々を睥睨したるではないか」
五年経ち申した。老人は依然として呵々と笑ったが若人は其処に虚偽の腐臭を嗅いだ。「このような古の文人を引き合いに出す『評論家』ほどキンタマのさめた者はいない」己が手で血で文字を書かないでいる不当不動を若人は老人の卑劣傲岸として正眼に容れ吠えた。「老人はただの老人でしかない」若者の軽侮を込めた文学的一喝を老人は例によって笑いいなしたが、彼の眼底に潜む欺瞞に満ちた揺らぎを若人はついに見逃さなかった。此処にいる理由はもうない。
それから若人がどうしたかと? おそらくは遍歴したのでござりましょうぞ。手前伝え聞く限りには海に向かった。森に向かった。ついには川に向かいそして座った。自然の造化を我が手にしてこそ文字は裡よりうまれ出づるとな。文学の信心あつき者のことじゃ。自然より学べと。若人が敬愛する芭蕉翁も語っていた。ギョオテ翁も語っていた。
十年が経ち申した。自然と相対する若人において、かなしいかなひとつの文字も浮かび上がらなかったそうな。酷薄に其が運命であるか。宿命であるのか。若人は既に初老でござった。
さらに十年経ち申した。白髪を蓄えた越前の初老は訝ったそうな。己には自然としての言がハラよりどうしても湧き出づらない。自然を模倣する言葉も、其処に人造の彩色をくわえる能技もない。これはいわゆる天稟の問題であったか。初老にして妻子係累なく、金品の蓄えもなく人身としての凡庸な懼れしかなかった。徒に時をむなしゅうした挙句がこの有様か。紅顔の若人は既にしてひとりの老人にござった。
ときにその老人の前に老人が現れたそうな。禿髪、痩せひいでたあさましい乞食である。乞食の老人は問うた「して、お前さんはどうして文学を極めようとなさったのか」
乞食の無礼ともいえようぞ詰の返答に苦しんだが、老人は己の遍歴について、若年の気概、幾多の師との決別、後の煩悶と諦念について誠をいたいて乞食に話したそうな。話しているうちに不可思議哉、その舌より自然、言葉は零れ落ちたそうな。
「そうかそうか、それはまこと、おもしろい話ではあるまいか」乞食は老人のアタマをはたいたのちに笑いつつ倒れ伏した。
老人は自分が生まれ、その生涯を文学に捧げた意味を解したとのことでござる。
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