****年のフルーツボール(1)

****年のフルーツボール(第1話)

ほろほろ落花生

小説

13,436文字

完璧に終わってしまった中年、高橋ちくわ。おしっこを駄々漏らす母の介護をしながらゲーム三昧(星のカービィetc)の日々を送っていたちくわだったが、ある日、これといった決意もなく、家を出た。それでどーする? おまえの人生どーする?

ADIEU かあちゃん

 

おれは四十七歳で、その時ボーイング747のシートには無論座っておらず「星のカービィ 夢の泉の物語」のエクストラステージをノーダメーヂでクリアしていた。つんつるてんのドラえもん座布団に仰臥した午前四時三十四分、スターロッドを厳粛に捧げ持つカービィを見て目をうるませたエンディングの十分間、おれはまぎれもなく本当に終わってしまった中年として完璧だった。あたり森閑として。じっとり赤茶けて毛羽立った畳の四畳間。だれもおらぬ。だれもおれの肩をたたいて「よくやった」とはいってくれない。だれも俺と握手をして「お前のおかげでこの星は救われた」とはいってくれない。おれは悲しい。お前にこの悲しさが分かるか? おれはメタナイトもデデデ大王もノーダメーヂで倒したのだよ。メタナイトノーダメーヂってほんと難しいのだよ。おれは戦った。おれは勝った。おれ偉いね。おれすごいね。おれさびしいね。おれはおれをどうしようか。本当に。おれはおれを。おれはおれを。そうして、おれ、ぷるぷるしてたよ。ひとり。

この日の祝杯のためのとっときのいいちこをかあちゃんにかすめとられた。下町のナポレオン・いいちこ。泣けるでないか。下町のナポレオン。これで泣けないお前はいったい何だ?

「ちくわちゃん」

くねくねした呼び声がして、その声はやはりおれのいいちこかっくらったいつものかあちゃん。ガスとめられたおれの家は冷水しか出ず、その冷水に溶かし込んだネスカフェ・ゴールドブレンドをzuzuすすりながらマイセン一服することで命脈保つかあちゃん。かあちゃんはやはり「違いを知る人」であってこんなおれを家にいまだおいておくのだ。

おれはこれ以上、かあちゃんを苦しめてはならない。そして、此処は、このドラえもん座布団は、おれのいるべき場所ではない。おれは茶ばんだ笑顔を見せてタケコプターできらめくのび太の座布団ではない、此処より他の場所へ向かわなければならない。なぜならおれはあの呼び声を聞いたのだから。

「かあちゃん。おれは明日、発つ」

「ほいじゃあたしのアテント、誰が代えてくれんの」

「人間はやはり、自分の糞は自分で始末するべきなのだよ」

「それ、オーデンかい?」

「いや、高橋ちくわだよ。ADIEU」

 

エデン喪失

 

最後まで手元に残していた小沼訳の筑摩書房版ドスト全集を神保町の田村書店で売ると十三万円となった。おれはその足でヴィクトリア系列の登山用品店elle・blessに向かい、グレゴリーのザックを買った。盗んでもよかったが景気づけに買うてやった。「Escapeシリーズ」と銘を打たれたそのザックには容量に応じて個々の名がつけられている。中でも「RIALITY」という名のザックを選んだ。ESCAPEして辿り着いた場所もRIARITYでしかないというふざけきってはいるがまったき真理を把持する慧眼の開発者に共鳴して。

コッヘルやランタン、テント一式をそろえて、さあ、どこにも行くあてがない。結局四ッ野のところに転がりこむことになる。

四ッ野は東京帝國大学言語文化学科フランス語フランス文学専修課程一年というながったらしい肩書きを持つ男で、なぜにこんな奴とおれのごときおっさんが知り合いかといえば、ふたりとも「love@さゆりん」という某ゲームの美少女キャラを狂熱的に愛しぬくホームページのbbsの常連だったからだ。「さゆりんはキリストが顕現した聖体である」「復活の日は遠くない」「今日五反田で後光をまとったさゆりんを見た。本当におれは見たんだ!」などという厳しすぎる発言でつわもの揃いのbbs仲間からも異端視されはじめていた四ッ野とおれはしだいに距離を近めていった。四ッ野とおれのさゆりん崇拝は苛烈さを増し、「さゆりんの神聖を汚した貴様らこそ獄門行きだ」という四ッ野の発言を機にこころのよすがであったそのbbsからおれたちは破門された。放逐されたおれたちは何処へ? Big Echoへ。ということで四ッ野とふたりっきりのBig Echoでのoff会、濁酒にふらふらになったおれたちは協作した彫心鏤骨の阿呆曲「For さゆりん mon coeur」を肩組んで怒号し追い出され、新代田にある四ッ野の下宿になだれこんだ。

「ちくわさん、いちばん愛した者がいちばん罰を受ける。これ道理ですね。汝、迫害する者のために祈れよ、か」

「いっちょ前に何言ってやがる。四ッ野、お前がどれだけさゆりんを愛したっていうんだ? ここで証明してみろ」

「愛は比較するものでもなく、勝負するものでもありません。ましてや証拠立てるものでもありません。ただ、純一に願い、祈るものなのです」

「愛は絶え間ない認識と行動でしかない。お前の大好きなバイブルにも書いてあるだろ。太初にファックありき。言葉でべらべら、おべんちゃら、逃げ隠れ、そこにイノチなどない」

その夜、おれは太宰の言葉までひっぱりだして小一時間四ッ野を問い詰めた。奴の獣性をひきずりだした。

「ディスプレイにうつるさゆりんにチチチンカスぬぬぬたこと、あります」恥辱に悶死寸前という体の四ッ野は吐き出した。

「はは。やっとゲロったか。それが、お前の正体だ。あさましく狂おしい。でもそれが愛なんだよ。愛というのは、わけのわからないキチガイ乱痴気の果てにみえてくるものだ。その極点で辿りつけるものだ。たとえディスプレイのさゆりんにチンカス塗りたくる行為が愚かしくみえようとも、おまえのその行為はなんと純粋で尊いことか! 「いぬぉーせんとぉわーあああーど」うんたらと唄いわめく阿呆共とはワケが違う。まったくお前はなんという厳粛な祈りに貫かれていることだろう! さゆりんに塗りたくられたお前のチンカスこそ愛の本体なんだよ。お前のチンカスは天上への捧げものとして今、星になった!」

おれは説きながら泣き、泣きながら説き、四ッ野も泣きぬれて、しずかにおれの胸にからだをあずけた。おれは涙の痕をうっすらうかべひくひく震えている四ッ野を限りなくやさしくかき抱いた。青白くうっすらと額に冷たい汗をかいてからだをふるふるとあずけてくる四ッ野を横抱きにしているとなぜか勃起してきたが黙っていた。奴は泣きつかれて眠り、その顔は最も無垢なるものの寝顔だった。まつげをそっと舐めてみた。しょっぱかった。

 

 

くらやみのガラスにひとり咆える

 

四ッ野のアパート前。ザックを背負った汗まみれ、加齢臭むんむん我ながらあさましや、腋は汗じみ、ぬるぬるのランニングシャツ、醗酵して何色なのか今では判別不能なティノパンいっちょのおれが何度呼び鈴を押しても奴は出てきやがらない。

「四ッ野、入るぞ」

と入った部屋には誰もいない。鍵は開いていたが。ナコルルの抱き枕はいまだ生臭いするめ臭ぷんぷんしており、部屋は「シンデレラなんかになりたくない」が轟然と響き渡り奴がついさっきまでその部屋にいたことを告げていた。「晩飯でも買いにいったか」とまあそのうち戻ってくるだろう。おれはここにしばらく居座ることに決め、くしゃくしゃになり黄色だか茶色だか変色した異臭を放つティッシュ散らばるグレイの絨毯に座った。部屋は相変わらず二次元の住人である美少女たちのポスター群に埋め尽くされ、彼女たちの顔には無数の擦過傷がついているのであった。四ッ野は奴なりに、なにがしかの煩悶を抱いたのかもしれない。

一服して人心地ついたがやはり暇。おれは静かに奴のPCの電源入れた。他人のPCを覗き見るというのは禁忌ではあるがたまらぬ。人間は己がグロテスクな内部をハードディスクなる小箱に蓄えこむ生き物である。

壁紙はさゆりんでなくさくらたんになっていた。これでは彼が成長したのかどうかは分からない。

まずマイ・ドキュメントから。フォルダは全部で四つあった。大学一年、大学二年、大学三年と名づけられているフォルダには学校の授業の為に作成したとおぼしきレポート、発表の際使ったレジュメの類が整然と並んでいた。四つ目の「無題」と題されたフォルダを見ようとした時、机の上に置きっぱなしにしてあった奴の携帯が鳴った。

「はい」

「あの、四ッ野君でいらっしゃいますか」

「いえ、私は四ッ野ではなく、友人の高橋と申します。いま、留守を預かっているのですが」

「ああそうですか。いえ私は本郷の方の東京大学保健センターで医者をやっとります河町と申しますが、今日四ッ野君とお会いになられましたか」

「いえ」

「それは困りました」

「それは困りましたか」

わけの分からぬこんにゃく問答が続いたが結局次のことが判明した。四ッ野は大学一年の駒場キャンパス時代から重度の躁鬱を患っており、電話をかけてきた河町という男が奴の担当医であったこと。奴の容態は一時快方に向かったが最近急速にまた悪化しており河町は入院しての長期療養を勧めていたということ。今日午後四時頃保健センターを訪れた四ッ野は「河町先生が処方してくれました」と河町の留守中に嘘を騙り、最強クラスの向精神薬リタリンと睡眠薬ゼストロミン三ヶ月分の処方箋を違う医者に書いてもらい、実際に保健センター内にある薬局でそれを受け取ったということ。ゼストロミンとリタリン三ヶ月分は致死量に相当し、オーバードーズかませば一発昇天は間違いないということ。河町は愛媛にある四ッ野の実家に電話したが誰もおらず連絡がとれないということ。「守秘義務あるからホントは言っちゃいけないんですけどね」と言う河町から、おれは「彼の後見人は私ですから」などと騙り以上のことを聞き出した。

「無題」フォルダを開くと、「ぽえむ」と題された簡素なプレーンテキストファイルがぽこっとひとつだけあった。

 

俺の人生

キングコング2 怒りのメガトンパンチ

だった

 

おれは目を閉じた。「なにもみなかったことにしよう」

 

 

手紙をコアとしてはじまる

 

とるるると四ッ野の携帯が鳴り、目を覚ませば朝。四ッ野はやはり帰ってこなかったなと思いつつ、失踪した阿呆の部屋で抱き枕抱えてふて寝きめこんでいるおれはやはり四十七歳いったい何者なのであろうか。こざかしい着信音を無視していたが、昨晩の件を思い出し、携帯のディスプレイを見ると「ユダ」と表示されていた。おれは携帯をとった。

「ユダ君?」

「え、あ。四ッ野?」

「いやおれは四ッ野の友達で高橋っていうんだけど。あいつ今ちっとでかけてて家にいないんだわ」

「あ、そうスか。高橋っていうと、もしかして高橋ちくわさんですか」

「そうだけど」

「いやちくわさん。あ、おれ油田っていうんスけどなんか俺もよく分かんないスけど今日四ッ野から手紙届いてて。でなんかそれにわけわかんないこと書いてあって、最後にちくわさんに連絡とれみたいなこととか書いてあるんスよ。で俺わけわかんないからとりあえずあいつに連絡しようと思って」

「お前ほんじゃとりあえず今から四ッ野のアパートにその手紙もって来い」

てわけでいらっしゃった油田。なぜか全力疾走で来たのか、ピンクのタンクトップをぐっしょり濡らし、迷彩柄のズボン、挙句に丸刈りでゼイゼイいっている珍妙な男である。おれたちは四ッ野の冷蔵庫ひっかきまわして得た二十世紀梨プリンとどこからでも裂けるらしいチーズ・ストリングをつまみにこれまた四ッ野の本棚からひっぱりだした「無頼派」なるウィスキィをくらいイイ気持ち。

「で、その手紙ってのはこれ?」

「あ、そうス」

「なんだよコレ?」

油田がごそごそナップザックから取り出したものは防水用油紙にくるまれ、酸化して退色した血のような赤黒い瘢痕が飛び散る明らかに不気味な代物だった。

 

 

一九九九年 十二月十九日

四ッ野リョウジ

 

突然にお手紙をお渡しする非礼をお許しください。

 

私は現在、東京の大学に通う四ッ野リョウジと申す者です。昨年、実家のある愛媛から東京に越して参りました。今は京王井の頭線の新代田駅近辺に下宿しております。

この唐突のお手紙を読んでご不快を感じられるかもしれないということは重々承知しております。それでも私は書かなければならない、書かねば決定的、致死的な破局が待っているということを予覚したので筆を執る決意をしました。ここに書かれていることは嘘偽りのない真実です。正直に、虚飾のないように、また誇張のないように書いたものです。少なくともそのように記述するように努めたことだけはご理解いただきたいです。

内容はあなた様の長女、ぱなヱ様についてです。

私は昨年の九月から今日までぱなヱ様とおつきあいをさせていただいています。きっかけは昨年の六月に彼女が私の家に間違い電話をかけてきたことからはじまりました。彼女は学習院大学の一年。級友の電話番号を誤って記入したものが、偶然にも私の家の固定電話番号と同じだったのです。

これは奇妙な話で、間違い電話ならばその場で終わるのが当然でして、私としても一度目は世間様の通例通り社交的な挨拶を交わして電話を切ったのです。ところが翌日、再びぱなヱ様から電話がかかってきました。今思えば、この「二度目の間違い電話」が、あるものを準備させていたのかもしれません。

その当時、私は大学の一年生でしたが、自分自身にいきづまりを感じて八方塞がりの有様。何も手につかない自失した日々を送っていました。そうした自身の状態もあったせいか、予期せぬその二度目の電話に、親近感? 違う。一種のヤケになって、また半ば興味本位に(そうしてまたその偶然の電話に救いの影をほのかにみていたことも事実です)彼女に対し、人間に対する不信や疑惑をあらいざらいかきくどきました。彼女はそれを何も言わずにゆっくりと聞いてくれ、混乱している私を、様々な切り口でもっていさめ、やさしく慰謝してくれました。それを機に私たちは次第に距離を近めていき、やがて毎晩となく電話をかけ合うようになりました。

話をしているうちに、その頃、彼女においても、自分をとりまくものに対して著しく信頼感が欠如していることが分かってきました。ある部分での本質的な欠格者であるという意識と、過度の内省が彼女の内側に食い入って心身をこわばらせ、周囲と自己との調節がうまくいっていない印象です。彼女は自己を語ることについて、かたくなでした。その彼女が私に対して次第に気をゆるし、安心感をもって話せたのは、そういった根深い不信を抱かざるをえないようにさせた、彼女の内にある誠実さ。この誠実さを裏打ちする不信を彼女に蓄積させ固着させたのは、彼女の目に映し出された世界の残忍さだとはと思いたくない、という気持ちは今でも強くありますが。私の内にある(もし本当にそのようなのがあったらばですが)誠実さが少しなりと通底していたからだと思います。その誠実さという一点で、彼女は私とつながり、そのつながりをしっかりと保持し、確認しあい、彼女自身もまた信頼を回復していったように思われます。

私はこの時点では願いをもっていました。もともとが「分断された」存在として、取り残されたふたりの人間。残されている、わずかばかりではあるけれども、それは束の間のものかもしれない心の共振。その震えから、その持続から、除々にではありますが、お互いにこわばりきったものをゆっくりとあたためなおし、よりゆるやかに生きていくことが可能かもしれないという願いです。あるいはそれは幻想であったのでしょうか。

過去の断ち切られた願い。その願いが強くあればそれだけ激しさを増す予感、そこに含みもたれた昂揚、共有された期待と幻滅。その感覚に生きた実体としての私自身が、願いというものを幻想などという言葉で片付けてしまうにはあまりに辛く悲しいことです。しかし往々にして、ある一定のラインを超えた体験というものは、幻想という言葉を付与することで距離を保ち、過酷な内在化をおそれるものではないでしょうか。あまりに烈しく、長期間に渡って印字された記憶は、その痕跡そのものを自ら隠匿しようとする力が働くのではないでしょうか。時の経過、思い出すという、ある種の炙り出し作業とは、実際に物理的な効力をもって自らを焼くのです。そこに浮上する言葉はさらに強く人を処罰するものに変容しているのかもしれません。ここに書いている自分は、一定のポイントをはぐらかして旋回している壊れた織り機のようで……。しかし私はすこしお話が過ぎたようです。本題に立ち戻りましょう。

 

そのように電話で毎晩話す幾月かが過ぎた頃に、私は自分が彼女に対し、男として付き合いたい旨を申し出ました。彼女はいくつかの条件を提示しました。自分の姿を絶対に見ないこと、そのために私が彼女と一緒にいる時には必ず目隠しをつけること(私がぱなヱ様と会うのは最初からこれまで全て私の部屋においてでした)、絶対に勝手に動いてはならず、彼女の体には自分から決して触れないこと、の二点です。彼女はこれを「約束」と呼んでいました。その際、本当にこれでもいいのかと彼女は何度も念をおしました。その頃までに私は、彼女が幼い頃の体験で男性不信に陥っていることを聞いておりました。あのあまりに過酷な事件以降、男性とまともに目を合わせることのできなくなっていることなどです。ですから、そんな要求はごく当然のものとして受け入れました。なんでもないものとして受け入れたのです。

もうひとつ。彼女が心臓を患っていること(のちに血液に関するご病気のこともうかがいました)や、これまでの男性不信の蓄積により精神に軽微な変調をきたしていること。そのために、自分が彼女を守らなければならない、彼女を守れるのは自分だけであると信じていました。その時、彼女の(人間を含めた)「不信」を回復することができるのは自分であると信じて疑いませんでした。そういった私の気持ちには、今思えば、自分の我欲を度外視した、自分を恃みきった驕りがあったのです。ここに自分のどうしようもない落ち度があったのです。私のこの自己過信が全てを破綻させることになった最も直接の原因だと今では思い至ります。

結果として、こういう形でのつきあい方は多くの苦しい犠牲を自分に強いました。共に散歩をすることもできず、顔すら見たこともない。彼女が家にいる間は「約束」を守り、目隠しをしているための完全なくらやみのなかで、自分の意志では身動きひとつとれない(言いにくいことですが、しかしおおよその男女間の関係は事実としてありました)。私は、はじめからこうした制約を覚悟して受け入れたのです。こんなことはなんでもないことではないか、そう何度も自分に言い聞かせました。こんなことはぱなヱ様を愛することに比べたら、と。

愛する。私はこの言葉に含まれる当たり前の欺瞞から自分の目を伏せていただけだったのです。なにごとにもあれ、直視し続けるという行為は相当ハードなものです。私は終局的にぱなヱ様を愛することができませんでした。愛という言葉の意味も定かではない私は、実体のない人間愛と脆い同情心(不信というところの彼女の境遇に対する)、そして汚らしい矜持(彼女を救っているという)が彼女への愛情であると錯覚していたのでした。最も大切な事実に目を閉ざしてしまっていました。一人の人間を救うことができるのではないかという驕り、自己瞞着。私にあったのはそれだけでした。

こうした自分をたばかるような行為がいつまでも続くことはないだろうということをわたしが明確に意識しだしたのは、昨年の十一月頃からでした。その頃までには、先述した愛に付随する苦しい乖離の思い、精神上のきつさに加え、以前からの、身動きがとれない、何もみえない、などという肉体的な苦痛もあいまって、自分自身は絶望的な状態になりました。大学の保健センターの精神衛生科に通うようにもなりましたが、根本のところが解決されないのでは治るべくもなく、そうして私は決意しました。自分の苦痛の極点において、私は自分が生きることを選びました。他人を殺してでも自分が生きる、そちらを選びました。

 

ぱなヱ様は私とつきあって以来、計三回自殺を試みています。これよりの記述は私の存在の真実性をあなた様に保証するため、同時に自分を公平に裁くために書きます。一度目は昨年の夏です。その時の経緯は以下のようなものです。自分はその日の翌日、彼女と会う約束(もちろん私の部屋においてです)をしていたのですが、急用がはいったので、その約束は延期してもらえないかという旨を夜中にぱなヱ様に伝えました。その言葉を彼女は、もう私が彼女に飽きたのだという意味だと一人で合点し、その夜に電話ごしに手首を切りました。その際、救急車を呼ぶ亜津佐様の妹様の声が聞こえ、彼女が搬送される直前に、私は四ッ野という名で、駆けつけてきたらしいあなた様と二言三言、言葉を取り交わしました。

二度目は去年の冬でした。この時、私は彼女と別れたいということをはじめてはっきりと彼女に対して言いました。この言葉を彼女に向かって言ったときの自分は、彼女からいま自分が失われてしまえば、彼女はもしかすると自殺してしまうかもしれないということがある程度分かっていたことを申しておきます。この時点ではしかし、決して自殺などしないだろうという独り善がりに恃んで、また、このままでは自分が潰れてしまうからという卑劣さから、この別れを告げたのです。この際も結局、彼女は手首を切りました。私は我が身を切り裂かれるような後悔と贖罪の思いにかられて、あれだけぎりぎりのところまで自分を追い詰めて彼女に言った別れの言葉を撤回しました。「人間として」それは許されないことだろう、「人間として」それは恥ずべきことだろう。この復讐の言葉が否応なく身をかみ責め苛み、撤回させました。「もう一度僕にチャンスをください。あなたを助けるチャンスをください」と。

人間性の脅迫。自分の中にある人間性というものに完全に見切りをつけていた私が、その人間性とやらに脅されて、こんなことを言ったのです。言わざるをえなかったのです。

三度目は今年の十月です。二度目の自殺の件以来、繰り返される「次にお別れを言われたら死ぬから。今度は間違いなく死ぬから」というぱなヱ様の言葉もただ、自分を苦しめるだけのものとしてしか響かず、ただ憎悪と嫌疑と断罪の思いに身をやかれて狂いまわるような毎日を送っていました。さらにその時の状態を詳しく申せば、つきあうようになって一年と半年が経過しているというのに、動かないこと、目隠しなどといった条件は一向に変わっておりません。さらにご自分の家がどこにあるかも何も教えてはくれません。ご家族の方に対しては、私の存在について「四ッ野リョウコ」という名を使っていると笑いながら話していました。

自分は、疲れました。疲れきりました。私が彼女に対して漏らした「助けてくれ。もう、助けてくれ」という呻き声ともつかぬつぶやきが、彼女に決定的な一撃を与えたらしく、彼女は睡眠薬を多量に服用して自死を図りました。彼女が睡眠薬を服用し、意識が消えていき、「死ぬときはリョウちゃんの声を聞いていたい」とつぶやき、そうして全てが止まるまで、私は彼女の電話口にいたのです。自分の愛した人の自殺する様を実況で体験させられました。無時間的な孤独と空白。恐怖。呼びかける私の電話口での声も届かなくなった頃に、おそらくあなた様のお声で「ぱな、ぱな」という言葉が聞かれ、電話は切られました。私はその晩、警察に保護されました。「ひとを殺しました」といいながら夜道を裸足で駆けていたのです。

 

私たちの間には他にもさまざまな事情があったのです。ぱなヱ様はいってみれば上の人です。それは社会的な力、金銭的な力という意味においてです。(この程度のことは普段の会話や彼女の姓などから推し量れました)これが問題を必要以上に複雑にしました。たとえば、私がぱなヱ様と一緒になりたいと思います。そのとき自分のどこからか「お金がほしいからかい」「家の格がちがうだろう」などということばがきこえてきます。非常に下司な話です。最下等の話です。ですが、私は書かねばなりません。たとえば私は日陰の身。もうすぐ亡くなってしまうかもしれないお嬢様の、最後の思い出づくりのために利用されている。決して対等には付き合ってもらえない。いいようにあしらわれている。ぱなヱ様が、誠実に付き合おうとしている気持ちはわかります。こういう付き合い方しかできないのも、ご自分の病気のためだということも十分に理解しています。ただ、そんなことは別としてこの思いは私の頭から離れることはないのです。彼女がごく普通の家の出だったらと思ったこともあります。そうだとしたら私はこんなに余計なことに思い煩わされることもなかったかもしれない。彼女にしても、たとえ病気だったにしろ、ここまでの約束を私に強いることはなかったかもしれない。もうすこし節度があったかもしれない。これもまた非常に下司な話ですが、しかし大事な話だからいってしまいますが、彼女は私の苦しみを本当にどの程度まで分かっているのでしょうか。いや、分かろうと努めているのでしょうか。私がもう破滅すれすれのところまでいっている、それを分かっていながら、それでも自分が生きていくためにそれ(自らの生をつなぐために、自分の死を担保として私の存在を強要すること)は必要なのでしょうか。彼女自身にはもうきりつめることのできるところはないのでしょうか。私にはそこのところがよく分からないのです。彼女が私に「もう死ぬから」と言うとき、絶望と愛情と復讐と虚偽、その中のどれが最も大きいのでしょうか。

 

この手紙をあなた様にお渡しした実際的な目的をお話いたします。私は次の学年から大学のキャンパスが福井の敦賀というところに移ります。しかし「福井に引っ越したら死ぬから」というぱなヱ様の言葉に、動くことはできそうにありません。この場合、現在下宿している井の頭沿線に残ることになります。しかし、この近辺に残った場合、今と変わらぬぱなヱ様との関係が続く苦しみの上に、通学時間や定期代などの課業上・経済上の制約(あさはかだと思われるかもしれませんが、現実的に自分の経済状態や、電車と体質的に相容れない私にとって長い通学の制約は相当のものです)が加わることになります。

自分はもう決断しております。この次は自分から身を退こうと思います。実際的な手段、つまり自分が自死の道をとるということです。ぱなヱ様をおいて自分一人が福井に引っ越すということはモラルが許さない。おそらくそこには愛ではなく道徳的拘束力の方が強いはずです。しかし、自分が自殺した場合、彼女もまた自殺するということは明白です。このことについては、彼女自身の言葉で何度も聞かされているので断言できます。私とぱなヱ様は深い紐帯に結ばれています。このままいった場合、どちらにしても二人ともが死にます。私にとって、もう他に方法がありません。行き場がありません。どうしようもありません。

 

ひとつ大切なお願いがあります。この手紙を読んだことや、私の存在を、ぱなヱ様にすぐには決して伝えないでください。それだけでぱなヱ様と私の信頼のきずなは破れ、すぐにも悲しい結果を引き起こすことになってしまうでしょう。このことはぜひ守っていただきたいのです。

私としては、本当にどうしようもないこの状況のなかで、最後の藁にすがるような思いでこの手紙を差し上げたのです。もはや自分ひとりの力ではどうすることもできないところまで追い込まれてしまいました。それはお前の弱さのせいではないか。お前のせいでぱなヱは余計な苦しみを背負うことになったのだとお怒りになられるかもしれません。しかし、自分と知り合っていなければ、ぱなヱ様は昨年中に自ら死を選んだことは間違いのないことです。そう断言する失礼は承知の上でやはりそう言わざるをえません。自分は力の限り頑張りました。自分のできる全てを、文字通りの全てをかけて彼女と対しました。いま、自分は完全にちから尽きました。この言葉に嘘はありません。

 

私がうけるのは赦しでも、処罰でもかまわないのです。これはたいへん不遜にきこえるかもしれない言葉ですが、私と別れた後のぱなヱ様のダメージを、あなた様を含めご家族の方々の手で回復できる可能性がおありになるならば、ぱなヱ様がそれで救われるという可能性があるとしたならば、すぐにでも自分を彼女と引き離すなり、いままでぱなヱ様を苦しめた代価として、私を社会的に抹殺してくださっても結構です。むしろそれくらいなさっていただいた方が、わが身の終生の罪悪感の相殺には良いのです。

しかし、ぱなヱ様が救われるというその可能性が限りなく低いということが自分には分かっているため(これはぱなヱ様とご家族とのつながりを見限っているのでは決してありません。自分とぱなヱ様との信頼関係の深さから言わざるを得ない言葉です) 私としては早急な決断をなさる前に、あなた様と一対一で話しをさせていただけたらと思います。面頭向かって話せば、解決の道も自ずと違ってくるだろうかと思われるからです。 以下に私の連絡先を記しておきます。

 

氏名  四ッ野 リョウジ

住所  〒168‐****

杉並区代田―***―*****

電話  03―****―****

携帯  090―****―****

 

このようなことにあなた様を巻き込むことは誠に心苦しく、思い違いも甚だしいと思われるかもしれません。しかしこのようなことであるからこそ自分は他に頼るすべを知らないのです。 辛い思いをさせてたいへんに申し訳なく思います。私は自分の行き着く先の光景がはっきりと見えました。ですからこの手紙をお渡しする以外に道はなかったのです。

本心では、もう助けてほしい、この苦しみから解放してほしい、ただそればかりです。

 

追伸  油田、これを高橋ちくわに渡すこと

 

 

こころの臨界

 

「いったいなんなんスかね。これ。けっこうシリアスっぽいですよ。重すぎっスよ」と油田。

「おれもよく分かんね。だがひとついえる。まずだいいちにだな、問題はともかくとしてなんであいつがこんなにおフィジカルなおつきあいをしてたんだ? わけわかんねぇよ。おれ知らねぇよ。おれ聞いてねぇよ。ふぁっきゅん裏切りだよなぁ油田。さゆりん裏切ったよなぁ油田。」

「はい? あ。ええ、まぁ」

「おれがかあちゃんの陰部清拭に汗だくへろへろになってる間に、結局のところこいつはエアコンきいた心地よき涼しげなお部屋でおいしーことぺろぺろやってたんだよな」

不条理に怒りが沸騰して目が眩み、よろけるついでに油田でもぶん殴ってやろうという発作にかられたが、わずかに残っていたおっさん的自意識によりなんとか自制した。

「正直いっておれもよく分かんないスけど、このぱなヱってマジやばくないスか。ほんとやばやばっスよ。やば過ぎっスよ。四ッ野みたいなやろーに限ってこんな女にとっつかまるんスよね。なんスか目隠しって。なんかのプレイじゃないスよね。なんつってもあいつが今やばいコトになってんのは確かっスよ」

「さらにやべーのは」

油田に続いておれは四ッ野がクスリかっさらって逃げた云々の経緯を話した。

「ところで四ッ野みたいなやろーってお前、なんでそこまで知ってんだ? そーいやお前、四ッ野とどういう関係なんだ? ―――おい、なに顔赤らめてんだ?」

「いや、あいつとはただの大学の友達で」

もぞもぞ語る油田はあいかわらずの挙動不審でゆらゆらカクカクしているのである。わき腹を覗いたら金属性の歯車でもカラカラまわっているやもしれない。全ての挙動に人為的な感じのするアーティフシャルロット・油田君は続けた。

「でもちくわさん、東大のキャンパスが福井にあるなんてムチャな話、おれ聞いたことないスよ。この手紙自体ムチャクチャじゃないスか。だいたいこの手紙、あのぱなヱって女のどっちかの両親宛みたいですし。ちくわさんに関係ないじゃないですか。じっさいなんかのネタじゃないんスかこの手紙」

おれは油田のハラに一発叩き込んだ。

「お前は四ッ野のことも、この物語のことも、自分自身についても、なにひとつ分かってない。すべては愛とさゆりんからはじまる」

ある種の荘厳さを湛えて託宣垂れるおれには、はっきりいってなんの確証も意味もなく、油田にはまったく意味不明だったろうが、彼はハラをおさえながら土下座するように身をふたつに折って、うんうんうなずくような素振りをしていた。

「まずは福井だ。油田。お前も来るだろ。ん? どうせ学校なんぞ行ってないだろし」

「あぐ。ぅぅ。いや、まぁ、おれは行けますだいじょぶっス。はい。けどちくわさんはいいんスか。仕事とか」

「いや、おれもだいじょぶだから」

ああ。二十数箇年職歴なしでかあちゃんに吸い付いてたおれにだいじょうぶもクソもあるかい。

――(続く)

2007年3月2日公開

作品集『****年のフルーツボール』第1話 (全6話)

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"****年のフルーツボール(1)"へのコメント 2

  • ゲスト | 2010-08-23 01:28

    良質の絶望感が滲み出す文章で、描かれた内容が映像として見えてくるようでした。
    まだ全て読み通してはいないのですが、何だか一気に読み通すのがもったいないようにも感じられる、その類の作品であるように思われました。

    登場人物の造形や台詞も、内容の切迫感を裏打ちしているように読めて、面白かった(また、少し怖かった?)です。

    題名から「万延元年のフットボール」等へのオマージュ等を想像していたのですが、良い意味で裏切られました。

    まとまったカタチで通し読みしたら、きっと印象が違うんだろうなぁと、それだけが心残りでもあります。
    webでの読書は苦手でしたが、これを期に、モニター越しに読みこむ癖を付けたいと思っています。

    このような決心を促したほろほろさん、どうも有難う御座います!

    • ゲスト | 2010-08-23 07:20

      こんにちは。丁寧なコメントをどうもありがとうございます。
      3年以上むかしに書いたものですが、いまだに愛着がある作品であります。
      ぜひ最後まで読んでみて、いろんな意味で裏切られてみてください。

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