鍋島化と飴お兄さん

山雪翔太

小説

9,173文字

東京を放浪していた妖怪鍋島化。ある時、怪しい風貌の紅い髪をした人間と出逢い……。

 東京は渋谷……人間達の住む街を、三日月が照らしている。何百年も前から。その月を……一人ぼうっと眺めている、猫耳フードの少女が居た。

「……はあ……」

 その片手には火のついた赤マルを摘んでいる。それを慣れた風に口にくわえて、フードのポケットに両手を突っ込むと、下駄をかつかつ言わせて歩き始めた。

 一方それと同じ頃、歌舞伎町のとあるバーで、二人が酒を呑みつつ話をしていた。

 一人の男はマティーニ、そしてもう一人は……その真っ紅な髪によく映えるプリンストンを呑んでいた。

「……でさ、これはちょっとした噂なんだけど……」

「うんうん、何?」

「……渋谷辺りに、やべえガキが居るんだってよ! なんせ煙草持ってて、路上で吸ってたらその火を近付けて気色悪い声で笑ってくるとか!」

 その話を赤色の人物は少し笑いながら聞いていた。

「……へえ……そっか……」

 渋谷の路地裏、二人の若者が喫煙をしながら何か訳の分からない話をしていた。ただ大声で何か言葉にならない不平不満を叫びたいだけなのかもしれない。そんな風に聞こえている。

 ……その二人の近くに、下駄がアスファルトを踏む音が、路地裏の狭い壁に反響しながら近付いてくる。だがそんな音は、二人には聞こえていない。

「「ははは!!!」」

 そして、二人の前に小さな黒い影が姿を現した。それは右手に小さな火を灯していて……。

「……なあ、君達……」

 その声は想像よりも大分高く……まさしく九歳程度の少女の声だった。逆にそれがこれの不気味さを引き立たせていた。

「……じゅう、となるまで五秒前ー……。よーん、さーん――」

 それは煙草の火を男の額に近付けてくる。独特の臭いがはっきりと分かる様になって……。そして二人は其奴の光に照らされた、明らかに人間のそれではない八重歯が見えた。……現実が空想へと引きずり込まれる。

「うわあ!!」

 二人共、酔いが覚めた様でこの訳の分からない状況から逃げ出そうと走り出した。そんな二人の間抜けな後ろ姿を見て、其奴は思わず声を上げて笑いだした。

「ぎゃはははは!!! ざまあみろ!!!」

 その不気味な笑い声は、暫く続いて……路地裏中に響き渡っていた。

 其奴の名は、鍋島化。推定年齢百五十歳の妖怪である。……明治時代に彼女は生まれたが……紆余曲折あり、今は妖怪として永い命を生きている。

 しかし、百五十年も生きていると、どうしても不便があるものだ。何せ妖怪は人を恐怖させる事で生きられるが、令和の時代、人間は簡単には恐怖しないし、妖への興味も無くしてしまった。

 化自身もえらく落ちぶれたものである。いつの間にか人から煙草を盗む様になり、当初あった誠実さというものも、何処かに捨ててきてしまった。

 そうした末、彼女が導き出した答えが、先程のくだらないドッキリという訳なのだ。

「いやあにしても、煙草は美味いし人間は怖がらせられて腹も脹れて一石二鳥! 俺の人生がこんなにもイージーだったとはなあ!」

 化は路地裏の中を、いかにも人生の成功者かの様に独り言を言っていた。右手の煙草を振り回しながらスキップをして、フードの猫耳が揺れている。

「そうだ、今日の俺ならきっとスクランブル交差点だって歩いても怖くないぞ! 面倒な警察も居ない、俺だけの深夜三時! 俺の世界! 鍋島化だけの世界!」

 そう言いながら、意気揚々と化は路地裏を抜け出した。

 明るいモニターの光が、化を包む。その光を手で遮りながら、彼女が歩き出したその時だ。

 化は前をよく見ていなかったせいか、人にぶつかってしまった。

「……ちっ、てめえ俺を誰だと思って……」

 化は身長をカバーする為に上を見た。そこには……。

「……?」

 先程まで歌舞伎町のバーにいた、あの紅い人物だ。

 化はまた変な言いがかりをつけて、怖がらせてやろうと思ったが……。そんな気持ちは一瞬で消し飛んだ。彼女は察知したのだ。……こいつがただの人間ではなくて、何か危ない物と関わりを持っている危険人物であると。

「……へえ、じゃあ君が噂の……」

 化は触らぬ神に祟りなし、という様にその場から直ぐに立ち去ろうとした。……しかし。

「あ、待ちなよ」

 其奴は化の服を掴んで、軽々しく脇に抱えた。

「ちょ、おいお前何しやがる!! 離せ!!」

「……へへ」

 化はじたばた手足を振り回して暴れるが、その圧倒的な体格差の前には無力だった。そして、紅い人物は何処かへと歩みを進める。

「くそっ、こんな事して許されると思ってるのか!? 警察呼ぶぞ!!」

「……いやいや、警察に怯えてずっと路地裏で暮らしてるのは誰だったっけ? それに君も言ってたじゃない、こんな時間に警察は居ない、って」

 どうやら、先程まで意気揚々と話していた化の独り言は、最初から全て奴に聞き取られていた様だった。

 それから化は何も言えなくなって、黙り込んでしまった。

「……まあ、大人しくしてなよ。……悪い様にはしないからさ、ははは……」

 それから数分歩いて、其奴はアパートの一室に鍵を開けて入り込んだ。そしてしっかりと鍵を閉め、化を脇に抱えたまま、まず風呂場の方へと向かった。もはや化は疲れているのか、諦めたのか分からないが抵抗する事もしなくなっていた。

「……さあて」

 突然、其奴が化のパーカーの下の部分を掴んで持ち上げようとする。化の黒いアンダーウェアの腹辺りが見える所で、化は抵抗出来た。

「て、てめえ何しやがる!」

 こんなに人に接触をされるのは何年ぶりかと思って、化は思わず赤面して其奴を睨みつけた。

「いや、お風呂に入れてあげようと……」

「自分で入る!! 出ていけ!!」

 化の気迫に押されて、其奴は渋々洗面所から退出した。

 やはり化も無警戒でいる訳にはいかない。先ず服を脱ぐ前に部屋の隅や、棚の中をよく観察して……隠しカメラが無いかを調べた。扉がしっかりと閉められているのを見て、化はようやく服を脱いだ。

 風呂場の鏡の前に立つと、やはりあの頃から自分の肉体は成長していないのだな、と再確認させられる。やがて椅子に座って、シャンプーを探し始める。

「……ああ、これか……」

 何か分からないが、透明な容器に英国風に英語が書いてある。素人目でも分かる程、高級なものだった。

「……ふうん。こだわってるんだな……」

 化は何となく、彼奴がよく自分に気を使っているのだな、と推測していた。それが役に立つかどうか、自分でも分かっていなかったのだが……。

 一通り身体を洗って、置いてあったタオルを拝借した後、化は元の服に着替え直すと、洗面所の扉を開けて、あわよくば逃げ出そうとしたその時だ。

「……」

「お疲れ。髪乾かしてあげるよ」

 紅髪の其奴が、ドライヤーを片手に待機していたのだ。化はその瞬間命の危険を感じて走り去ろうとした。久々に感じた感覚であった。

 その最善の行動も虚しく、化は腕を掴まれて呆気なく餌食になってしまったのだが。

「クソ! シャー!! 離せ!!!」

「はいはい大人しくしててねーすぐ終わるからねー……」

 化は猫の威嚇の様な声を上げて奴の腕の中で暴れているが、それらを全て其奴に抑えられ、そしてみるみるうちに其奴の望み通り彼女の黒い髪が乾いてゆくのだった。

 化はむすっとした顔でリビングのど真ん中に胡座をかいて座っていた。紅髪はそこから少し離れた位置にある革のソファに座って、ライターを出すやいなや煙草を吸い始めた。それに化は目の色を変えて反応する。

「あ、火くれよ」

 化は何処に隠していたのか、一本の紙煙草を取り出して、ちょいちょいと左手で手招きした。

「うん、話終わったらあげるね」

「……ちっ」

 化は煙草を仕舞って、する事もないので美味そうに煙を吸う其奴の方を恨めしそうに見ていた。

「……さて、じゃあまず君の名前は何なの?」

「……はあ。鍋島化。化け学の化けって書いて、化。……お前も名乗れ」

「へえ、化ね……。化ちゃんだね。……俺はね、昔飴お兄さんとか、言われてたんだ。だからそう呼んで?」

「ほう、その面に似合わん名だなあ」

「まあ色々あったんだよ……。懐かしいなあ」

 その飴お兄さん……は何か昔を思い出している様に、顔を上げて目を閉じていた。化はその様子を黙って見ていたが、悪い思い出では無い事だけは察していた。まあ、奴にとっての良い思い出なら、そっとしておいてやろうと……。その「思い出」についても何も聞かない事にした。

「……おい話終わっただろ。火貸せ……えーと……飴!」

「あっごめん、最後にもう一つ……って、『飴』って酷い……」

 すると、飴は灰皿に煙草を押し付けて消した後、胡座をかく化の元に近寄って地面に座ると、彼女と目を合わせた。その紅い目にじっと睨まれると、化は思わず背を伸ばして緊張してしまった。

「……化ちゃん。この家住みたい?」

「……いや、早く出て――」

「住みたいよね?」

「…………ああ…………」

「じゃね、一つ条件。……見てくれからは予想もつかないだろうけど、お兄さんちょっとヤバい仕事してんだよね」

「ああ、見れば分かる」

「でね、うちのアパートも……俺が留守の時変な人来たら不味いでしょ? だから化ちゃんに留守番してて欲しいの。これが居候の条件。どう?」

 化もそう言われて「やる」と簡単に承諾する様な単純な奴ではない。一番の問題は、目の前の人物が信頼出来るかどうか……。……それを確かめる為に、化はある作戦を仕掛けた。

「……分かった。……はあ」

 化はわざとらしくため息をついて立ち上がると、部屋奥のベランダの扉をがらがらと乱暴に開けて、外の方へと歩いていく。

 東京の夜空に星は無かった。そこには人口の星空……ビル群……しかなくて。化はそれに一種の諸行無常と……彼女らしくもない、虚しさを覚えていた。そんな気分を全て吐き出して、東京の薄汚れた空気に混ぜてやろうと、化は懐から一本赤マルを取り出して、口の方に寄せる。気を利かせて、飴がマッチの火を先につけてくれた。

 それを吸うと、ほんのりと甘い味がして、全てが赦される様な気分に化は落ちていく。久々の感覚だった。

 右隣で同じ様に煙草を吸う飴の姿を横目で見た後、化はもう一度深く煙を吸い込むと、ゆっくりと話し始めた。

「……なあ、飴。本当に良いのか? 俺の見た目がこれだからさ……世間体とか……な?」

「ははは! 今更世間体とか気にしてらんないよ。別に俺は同居人の見た目とか気にしないから」

「……ほう、そうか……」

 すると化は、パーカーのフードを取った。それからしばらく黙っていたので、何かあったのかと飴は彼女の方を見た。

「……」

「……なあ、飴。俺は人間じゃないんだ。こんな気味の悪い化け物、一緒に住みたくないだろ? 追い出すなら今の内だ……」

 そこには、凡そ人の物とは思えない……黒い猫耳と、二本の尻尾が生えている化が居た。どちらもゆらゆら動いていて、作り物ではないと一目で分かった。

 化はそんな妖怪としての証を堂々と見せびらかしながら、どこか皮肉っぽい、強がった笑みを見せた。だがその頬には冷や汗をかいていて……怯えている様だった。

 流石の飴も言葉も出ない様だったが……煙草には頼らず、すぐ平然を取り戻すと、空を見てこう呟いた。

「……それが何? こんな好条件な留守番役いないんだから、追い出すわけないじゃん」

 結局飴はそれ以上何も言わなかった。化はそんな飴の態度に呆れて、はあっとため息をついた。

「……全く……危機感の無い奴め……」

 と悪態をついたが、その顔は綻んでいて……当然飴もその姿をはっきりと確認していた。

 化にとって……妖怪である事は一生付きまとうコンプレックスだった。このせいで……勿論嫌われたかったらこれが一番の武器になる訳だが……関わる人にはいつも隠し事をして生きてきた。

 そしていつか来る別れの時……又はバレてしまった時……彼等はいつも怒ったり……泣いたりして……怒鳴り、彼女を罵った。

 段々とそうされていくと、哀しくなる感情も消え失せて……最後に化に残ったのは嘲笑と空虚感だけだった。その時こそ、化が人でなくなった瞬間だったのだ。

 今回もそうなると思っていた。あの赤髪はまず俺を恐れ……そして自分の身を守る為に虚ろな罵倒をして……もしかしたら火で脅されて、何かしら燃やされるかもしれない……だが俺は人ならざる者だから平気だ……そして、ばたりと閉まったドアの前で……はははと笑ってやるのだ。奴の無様な俺が見る最後の姿を……。

 ……だが化の予想は外れていた。飴は化を避ける事無く……ただ受け入れた。それが無性に嬉しかったのだ。生憎化は自分の気持ちを表現する事が下手なので、表面上は相変わらず不機嫌そうにしか見えなかったが……飴はちゃんと化の喜ぶ気持ちを分かっていた。それは飴の才能だ……飴自身の人生が育て上げた。

 あれから暫く過ごして居たが、結局飴が化に何か要求する事は無かったし、化も飴に対して何か文句を言う事は無かった。寧ろ飴は化の分の煙草を買って来る様になったし、「妖怪だから食べても意味無いんだぞ」と言っても、晩飯を二人分用意する様になった。

 ただ飴の性格故に……時折悪戯をする事もあった。

「おいてめえ! これはなんだよ馬鹿野郎!」

 化の机の上には皿に盛られたキャットフードが置いてあった。

「あっはっはっ!! ごめんごめん化ちゃん猫だから間違えちゃった! ……ほらほら、早くしかめっ面直しなよ。可愛い顔が小皺だらけになっちゃうよ?」

「……ちっ、ああもう、余計なお世話だ!!」

 からかわれたと思ったら、なんだかんだ褒められていて、化はもう何が何だか分からなくて赤面していた。飴の事は嫌いではなかったが、こういう所があるので完全に好きにはなれずにいた。

 静かに鈴虫が鳴く涼しい東京の夜。化はある日にルーチン通り、飴が与えたマッチで赤マルを吸っていた。煙草の火種から出る副流煙と、自分の吐く呼出煙がその鈴虫を殺しているのだという気持ちの良い罪悪感に化は包まれていた。

 そのまま煙に身を任せていると、ふと化の耳にギターの弦の弾かれる音が聴こえてきた。その音が何となく気になって、灰皿に煙草を押し付けると、化は部屋の中に入った。

 そこには、ソファに座りながら青いアコースティックギターで何かコードを弾いている飴が居た。

「……ほお、随分洒落た趣味を持ってんだな」

「ん? ああ、ギター? そうだよ。俺の趣味。気ままにね……」

 化はそのままベランダの扉に寄りかかりながら暫く飴のギターを聴いていたが、それから化は飴のギターを興味深そうに見つめて、こう言った。

「なあ、ちょっと弾かせてくれよ」

「いいよ。けど化ちゃんに出来るかな……?」

 化は飴からギターを受け取ると、慣れた手つきでピックを持ってネックを握った。その所作のスムーズさに飴は少し驚いていた。

「……じゃあEmから――」

「大丈夫だ」

 すると化はAmに指を押さえて、弾き語りを始めた。

「……これ……」

 それは村下孝蔵の「初恋」だった。

 化の九歳の幼女にしては低い声が、切ない初恋のメロディに乗って、人の心を失った東京に溶けていく。……だが東京の街は変わらない。……そんな事は、彼女自身が一番知っている事の筈だ……。

 けれども化は人間を捨てられないのだ。……全員が全員、悪い奴ではないと……それを一番知っているのも化なのだ。

 今はただ……放浪のせいで味わえなかった高校時代の酸っぱい初恋を取り戻そうと、化は歌っている。そんな初恋は二度と来ないと知っていながら。

「……ははは。懐かしいな。……まだ身体が覚えていた」

「……化ちゃん、ギター上手だね。それに歌も……放浪してたのに何で出来るの?」

「……昔、どっかのミュージシャンがヤケになったのか、路地裏にアコースティックギターのセットが捨ててあるのを見つけてな。それを拾って、路上で練習していたら……色んな物好きの通りがかりが俺にギターを教えてくれたんだ。……それで一人が教えたのがこの曲なんだよ。……俺もこの曲はリアルタイムで聴いてたな……」

 化は昔を懐かしむかの様に、俯いて話した。化にとってこの曲が……彼女と人間達との絆を象徴している……人間を拒んできた彼女にとって、どんなに大切な曲なのか飴は何となく理解していた。

 それから暫く経って、ある金曜日の夜の事だった。

 普段なら飴は十時までには帰って来るのだが、今日に限って、珍しく十一時を回ってもアパートに帰って来なかった。ぎゅるると腹の虫が先程から鳴っている化も、珍しく飴の事が心配になってきた。彼奴なら隕石が落ちてきても死なない、と化も飴自身も思っていたが、こう一向に、連絡も無しに帰って来ないと流石に心配になってくる。

「……ちっ、何処をほっつき歩いてんだ彼奴は……」

 化はそう苛立たしげに呟くと、二重ロックの扉を開けて、外へ出た。

 外は少し冷え込んでいて、足を露出している化は少し身震いした。こんな深夜でもそれなりに人は居て、皆訳の分からない話をして歩いている。

「……何をしてんだ彼奴……ちっ、煙草も忘れたし……」

 化は焦燥感に身を駆られて、早歩きで下駄の音を鳴らしながら飴を探し始めた。

 東京には沢山の人がいる。善悪に関係なく、神様はこの街に人間を一緒くたにしてしまった。……そうだ、こんな場所で飴一人……確かに普通の人よりは大分目立つが……見つける方が無理な相談なのだ。

 化はそんな事を思ってしまった。

「……ちっ、ああ! 馬鹿!」

 自分の頭をこつこつ叩いて、馬鹿な考えを吹き飛ばす。……あの馬鹿、は自分自身に向けたのか、飴に向けたのか……それは分からない。

「……彼奴……」

 今更人に助けを求められる身分でもない。嗚咽に近い消え入りそうな声でそう呟くと……彼女の目に懐かしい……あの場所が写った。化が以前まで縄張りにしていた路地だ。

 暗い路地を見て、よく目を凝らすと……。

「……」

 そこには何か暴力的な、事件の現場があった。三人の柄の悪い男が、寄って集って一人をリンチしている。その被害者は……。

 他でもない、紅い髪の飴だった。

 それに化は気付くと、自らの危険も顧みずその現場に突進していき……そして飛び上がると男の一人にドロップキックを喰らわせた。

 男は声を上げる暇もなく、奥の方に吹き飛んで、見えなくなった。

「な、なんだ此奴!?」

「へっ、ただのガキじゃねえか。怯むなよ!」

 男達が飴に構わなくなって余裕が出来たのか、飴は化の姿を見ると口角を上げてにやりと笑った。

「……」

 化は何も言わず、ただ男二人を睨み付けている。それはまさしく、猫の睨みと同じ様な……冷たく恐ろしい目だ。だが二人は鈍く、それに気付けていない。

「オラッかかってこい! その鼻へし折ってやる!」

 男は構わずに化を手招きし更に挑発する。……けれど、それに対する化の返答は明確だった。

 横に伸ばした化の右腕が、この世の物とは思えない様な挙動で蠢き始める。それはまるで……腕が一瞬にして虫の大群に代わり、それが外に出ようとする様な見え方だった。その動きが限界を迎えた時……。

 パーカーの袖が弾け飛び、黒い毛皮に包まれた一メートル程の長さの……猫の腕が姿を見せた。先にはナイフの様に鋭い爪が飛び出ていた。

「……なあ、飴。言ったろ? ……俺は妖怪だ……舐めんじゃねー……てめえら覚悟しろ……」

 男達はその現実離れした光景に悲鳴を上げる事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「……に、逃げろ……!」

 一人の男が我に返り、化の左側を走り去っていく。最後に残った男も、同じ様に逃げ出そうと覚束無い足で逃げようとするが……。

「喰らえ!」

 化は右腕を振りかぶって男の背中を切り裂いた。爪は服を掠めて、まるで巨大な猫が引っ掻いたように破れた。

 男はそのまま逃げて、人混みの中へ消えていくが……。化はまだ男の方を見つめて、低い姿勢で威嚇していた。

「二度と俺達に関わんじゃねえ! バッキャロー!!」

 後ろで安全を確認した飴が立ち上がって、化の後ろに立つ。けれど彼女の方はそれに気付いてはいなかった。

「シャー!! フー!!」

 そう、我を忘れて化は闇に向かって吠える。……この世の理不尽に叫ぶかの如く。

「……ちょいちょい、化ちゃん」

 飴は化の肩を叩いて、優しく声をかけた。

「……あっ……お前……」

 化は漸く平常心を取り戻した。それと同時に右腕も元に戻っていた。……今はただ、右腕の袖が無くなっている事が先程の光景を証明している。

 飴の服は汚れていて、顔も少し腫れていたが、特に問題は無さそうだった。化は飴の微笑みに安心感と……先程までの自分の愚かさに羞恥心を抱いていた。

「……帰ろっか。お腹空いたでしょ?」

 優しい声だ。化はこんな気持ちを百五十年間で一度も抱いた事が無かった。

 アパートに戻り軽く晩飯を済ませると、二人は何も言わずベランダに出て、軽く一服始めた。

「……あ、飴。火貸せ」

「はいはい」

 先に火がついた飴の煙草に、化は自分のそれを咥えながら、背伸びをして火をつけた。

「……なあ、飴。もうこんな事に関わるなよ。お前の命は俺のそれと違って短い。それに俺は傷を負ってもある程度平気だが、お前は怪我をしたら直ぐには治らない。……ほんとに、このままじゃいつか死んぢまうぞ」

「……はは。……」

 飴は一吸いすると、ゆっくりと話し始めた。

「……俺には今の仕事しか向いてないし、今更転職も出来ないよ。……けど、安全面はもう心配無いさ。何でって、化ちゃんがあんな風に助けてくれるからね」

「……お前なあ……。俺がいつでも駆けつけられると思うなよ……。あれだって結構やばかったんだ……」

「でも化ちゃんはなんだかんだ優しいから、さ。……きっとまた来てくれるよね?」

「……はあ。努力はする」

 化はそう返事をすると、自分の咥えていた煙草の煙を、夜空に向かって吐いた。今日は珍しく星が輝いている。

「……そのパーカー、ボロボロになっちゃったね……。俺のせいで、ごめんね」

「……いいんだ。いつかこうなると思っていた」

 すると飴は声色を明るくしてこう言った。

「分かった、俺が新しいパーカー買ってあげるよ。もっとかっこいいやつ!」

「……へっ。まあ期待しておくよ」

 夜風がベランダに当たって冷たい。煙草の煙もゆらゆら揺れて、まるで笹の葉の様だった。

「……ああ……やっぱり俺たちゃこういう事しなきゃ生きられねえんだなあ……」

「ね、俺達仲間だね」

「……いつから俺はお前の仲間になったんだよ……馬鹿……」

 飴は灰皿に煙草を揉み消して、まるで再出発を始めるかの様に大きく伸びをした。

「よっしゃ、化ちゃん今から映画観ようよ! 『ミスト』って映画! 結構怖いから化ちゃん寝れなくなるかもね?」

「……もう寝させてくれよ。……まあいいが……所詮映画なんだから、寝れなくなるなんて宣伝文句だろ……」

 ……鑑賞後、化は目を真っ赤にして泣いてびくびく震えていたし、掛け布団にくるまって一夜を過ごしたのは……化の名誉の為に記さないでおこう。

2024年7月21日公開

© 2024 山雪翔太

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