夜の郵便配達 其の最終回

消雲堂

小説

3,510文字

其の四

郵便配達員は、たすきに掛けた大きな鞄から一通の封筒を取り出して差し出した。
「やっと、あなたのお手元に届けることができました」
「すみません、ドアを開けなかったのは強盗かもしれないと思ったからです。悪気はないんです、夜中の郵便配達なんて聞いたことがなかったものですから、どうか気を悪くなさらないでください」と言いながら封筒を受け取った。
「大丈夫です、私の見た目が怪しいのが悪いんです、かねがね反省しなければならない点だと思っているのです。私は郵便会社の者ではございませんし、現世では真夜中の郵便配達員なんかおりません。もう、お察しのことと思いますが、私はこの世の者ではございません。私はあなた方が幽霊と呼んでいる者ですから、怪しまれて当然なのです」
「ええ、あなたは幽霊なんですか? やっぱりそうなんですか。でも不思議と恐怖感がないんですね、何でだろう…僕は夢を見ているのかもしれないなぁ」と言いながら頬をつねってみる。
(痛い、夢じゃないな)
「夢じゃありませんよ、私は本物の幽霊です。でも幽霊といえば、何の根拠もないのに人を祟るとか呪うとか悪い印象がありますからね。誠に遺憾に存じます」郵便配達員の口元がゆるんだ。多分笑っているのだろう。
(おっと、すると僕はこいつに呪われているのかもしれない。だからこうしてうまいこと言って僕の前に現れたんだ、でもそれならこいつは誰だろう。呪うというならば僕の知人であり、僕を恨んでいる者のはずだ。とりあえずは早く家の中に入ってドアを閉めよう)
「ありがとうございました、ご苦労様でした」僕はそう言って家の中に入ろうとした。しかし、家のドアがない。ドアどころではない、いつの間にか僕の部屋もアパートもない。僕は空中…もやもやとした雲のような中に浮遊していた。
「ああっ」声を出して驚いた。
「大丈夫です、手紙をお読みになればご自宅にお戻りになれます」
「え…」
「あ、申し訳ありませんが、手紙はこの場でお読みください」
「え…」
「本当に申し訳ありませんが、手紙は今、ここでお読みください」
(何だ、ここで手紙を読めだと…)
「お母さんの手紙は、あなたがお読みになったら、私が持ち帰らなければならない決まりなのです」
「ええ、それじゃ僕の手元には母の手紙が残らないんですか」
(冗談じゃない、俺の母親の手紙だぞ)
「残念ですが、そういう決まりなのです」
「嫌だと言ったら…どうなるんですか」
「申し訳ないですが、手紙を返していただきます。同時に私と会った記憶もなくなってしまいますがね」
「…」
「お母さんが伝えたかったことも、あなたは永久に知らぬまま人生を終わるのです」
「そんな馬鹿な…」
「あなたが拒否されたらということです。この場でお読みいただいて、私が手紙を回収して冥界に戻れば、何の問題もありません。さあ、お急ぎいただけますか、私は次に向かわなければならないのです」
(幽霊に何を言っても始まらない、諦めよう、僕がここで手紙を読めばいいんだから)
「はいはい、わかりました、でも、母からの手紙を手元に残したいと思うのは当たり前でしょう」
「気障なことを言うようですが、あなたが手紙をお読みになれば、お母さんの思いがあなたの心に刻み込まれるのです。形があるものはいつか壊れますが、記憶したことや経験したことはあなたの中に永遠に残るんです。形がないものこそ真実なんですよ」
(幽霊のくせにずいぶんとまともなことを言うじゃないか)
「幽霊といっても、もともと人間でしたからね、たまにはまともなことも言いますよ」
「ひえっ、あなたは僕の心を読めるんですか」
「幽霊ですからね」

其の五 母の手紙

相変わらず妹に迷惑をかけているのかい。お前は還暦が近い歳になっても子供みたいに落ちつかないんだからね。困ったものだね。少しはまともになりなさい。

それはともかく、お前が私の病気は「ただの風邪だ」って言うから、私はすっかりその言葉を信じてしまったじゃないか。だから私は自分が死んだことにしばらく気がつかなかったんだよ。確かに毎日死ぬほどに苦しかったけど、いつかは治るものだと思っていたんだよ。いつかは自宅に戻れると思っていたんだよ…。それが一瞬、チクっと痛みを感じたと思ったら死んでいたんだからさ。ところで私の病気は何だったんだい、まさか肺がんだったんじゃないだろうね。今更どうでもいい話なんだけど凄く息苦しかったからね。

大丈夫だよ、そんなことでお前を恨んだりしないから。

お医者さんも看護師さんも本当に親切にしてくれた。私はあの人たちにすごく迷惑をかけたと思っているの。だって、おしっこもウンチの片づけもあの人たちの世話になるしかなかったんだからね。この年になっても人に自分のおしっこやウンチを見られるのは嫌だったよ。お前も覚えているだろう、私が脳梗塞で倒れて吐いた時だって、私は自分で吐いたものを人目に触れないように片づけてから救急車に乗ったじゃないか。

だから病院にはお前の方からよろしく言っといてちょうだい。医者や看護師さんたちを逆恨みしちゃダメだよ。あの子たちのせいで私が死んだんじゃないんだからね。

でも、まさか、私が死ぬとはね…。いつもお前たちには死ぬ死ぬなんて冗談を言ってたけれど、まさか本当に死んじゃうとはね、驚いたよ。冗談で言ったことがあるけど、わたしは本当に100歳まで生きるつもりだったいいんだからね。まだまだビールも飲みたかったしね。

でも、死ぬのも良いもんだよ、もう病気の苦しみはないし、気楽なものだよ、私はこの通り元気だしね。死んでいるのに元気っていうのは変だね。可笑しいね。お前とはもっと話したかったけど、年をとると伝えたいことも忘れてしまうものだよ。

そうそう、この人にこの手紙を届けてもらった理由はね、お前に一言だけお礼を言いたかったんだよ、ありがとうってね。私はいきなり死んじゃったからお礼を言う時間もなかったからね。

お前には感謝してるよ、本当にありがとう。じゃあまたね。

追伸

忘れていたよ、こっちではパパにも会えて、今、私は幸せだよ。

其の六

「オヤジに会えたのか…あの世に行けば死んだ人間に会えるっていうのは本当だったんですね」僕は母の手紙を読み終えると安心した。涙こそ出なかったが、胸につかえていた母に対する後悔の気持ちが払拭できた気がした。
「会えるようですね、そうでなければ人が生まれたり死んだりする意味がないように思えます」
「そうですよね、親子や結婚相手とは絶対にそうあってもらいたいです。そうでなければ親や結婚相手としての資格がないですよ」
「全てお読みになったようですね」配達員が言った。
「はい…」
「それでは手紙を回収して私は次に向かいます」配達員の手が僕の前に伸びてきた。手紙を渡せということだ。

僕は慌てて、「あ、あの…手紙を手元に残しておくわけにはいかないんですか」と言って手紙を持った手を引いた。
「それは無理ですね、手紙をご覧なさい」郵便配達員の言葉で僕は手紙を見た。
「あ、ああ…」母からの手紙は手の中で徐々に消えていく。暖かな掌で解ける新雪のように、母からの手紙は見る間に跡形もなく消え失せてしまった。
「それが回収するということなんです。あなたが手紙を読み終えたら手紙は消えてなくなるんです」
「それなら初めからそう言ってくれれば…。どうせ手紙が消えちゃうのなら、あなたの前で読む必要もなかったじゃないですか」
「申し訳ありませんが、お渡ししたらすぐに読んでいただく必要があるのです。しつこいようですが、それが決まりなのです。回りくどいのが私の性分でして、再び遺憾に存じます」
「いや、怒ってはいませんよ、おかげで胸につかえていた母に対する後悔の念を拭い去ることができましたよ。ありがとうございました」
頭を下げた。すると郵便配達員は僕の頭を撫でながら、「あれから何年経ったのかは俺にはわからないが、お前も随分変わったな。髪の毛は真っ白だし皺だらけで、それに何だその腹はみっともない…」と言った。やはり聞き覚えのある声だった。
「あっ」(気がついた、この声は…)頭を上げて配達員の顔を見た。父だった。
「やっとわかったのか、相変わらず鈍いな」郵便配達員が制帽を取った。見覚えのある顔が見えた。14年前に死んだ父の笑顔だった。
「オヤジ…だったのか」涙が溢れ出た。
涙が目を覆って父を消した。
「またな…」父の声が遠くに去って行く。
いつの間にか雲が消えて僕は自宅の玄関前に立っていた。

2015年3月3日公開

© 2015 消雲堂

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