銃弾

合評会2023年07月応募作品

諏訪靖彦

小説

3,566文字

2023年7月合評会参加作品。お題は「人生の重要な局面において猛烈な下痢の腹痛に襲われる話」

 

男はオープンタイプのリンカーン・コンチネンタルの後部座席から白い歯をのぞかせながら、車列を取り囲む群衆に向かって右手をゆっくりと振っている。男の隣には派手なピンク色のスーツを着た女が座り、男と同じように群衆に手を振っていた。

「そんな古い資料を見ているなんてやっぱり変わった人ね。もうとっくに結論が出ている事件じゃない」

食い入るように液晶モニタを見つめる男に向かって、背後から両手に紙コップを持った女が話しかけた。男はマウスをクリックして映像を止めると振り返る。

「はい、コーヒー。鉄の塊の中で一週間コーラと一緒に焙煎されてとっても美味しくなってるわ」

女は笑いながら男に紙コップを手渡した。男は「ありがとう」と言って紙コップを受け取ると隣の席の椅子を引き寄せる。女は椅子に腰かけ男が熱心に見ていた液晶モニタに目を向けた。

「事件に対して色々な見解があるのは知っているわ。発射された銃弾が四発あったとか、車の右後方に建っていた教科書倉庫ビルからの発砲だけでなく、前方からも発泡があったとか、ハーベイ・オズワルドの単独犯ではなく組織的犯罪だったとかね。でもね、この事件はオズワルドの単独犯と言うことで結論が出ているの。私たちには他に取り組まなくてはいけない事件が沢山あるのよ」

「それは僕も理解しているよ。ただ、このケネディ元大統領暗殺の瞬間が記録されたザプルーダー・フィルムに気になることを見つけてね」

「気になることって?」

男は液晶モニタに向き直りマウスをクリックして映像を動かす。教科書倉庫ビルを右手に大通りを二〇メートルほど進んだ先で突然ケネディ大統領は喉元を押さえうずくまり、そしてすぐに車後部に仰け反った。そこで男はまた映像を止める。

「この三度目の発砲がケネディ大統領の致命傷となった頭部への銃撃だ」

「後方に仰け反ったように見えることから、前方から狙撃されたんじゃないかって物議を起こしたシーンよね? でも被弾直後に僅かに前方に頭を落としていることから、後方から被弾しても反動で頭が後ろに動くことはありえると結論が出ているわ。それに血しぶきも前方に向かって飛び散っているように見える」

「うん。その点について異論はない。問題はこの後のシーンなんだ」

そう言って男は紙コップを口元にもっていった。コーヒーをすすると再びマウスを操作し映像をコマ送りで進めていく。ケネディ大統領が頭部に被弾した後、隣に座るケネディ大統領の妻ジャクリーンが後部座席からトランクに向かって身を乗り出した。そして両腕を広げ何かを拾い集めている。

「ここなんだ。僕がこのフィルムの中で気になったのはここなんだよ。ケネディ大統領が致命傷となる二度目の被弾、右頭部へ被弾した後にジャクリーンが取った行動についてなんだ」

男は再び映像を止めて隣に座る女に言った。女は液晶モニタに映し出された映像を見ながら言う。

「ジャクリーンが咄嗟に取った行動ね。夫が銃撃されたことに動揺して、とにかく夫の身体から出たもの、頭部が撃ち抜かれたことによって散らばった頭蓋骨や脳を拾い集めたとされているわ。治療するときに必要になるのではないかとジャクリーンが考えとった行動として美談にもなっているわね」

男は液晶モニタを見つめたまま口を動かす。

「ジャクリーンが拾い集めていたのは本当にケネディ大統領の頭蓋骨や脳組織だっだのだろうか?」

「え? 何ですって?」

「この映像にはケネディ大統領とジャクリーンが乗っていた後部座席の後ろ、車のトランク周辺に頭蓋骨に該当するものが映っていないんだ。脳漿のようなものは何となく確認できるけどね」

男はマウスを操作してリンカーン・コンチネンタルのトランク部分を拡大した。解像度が荒くトランクの上に広がるものが何であるか判別することはできないが、固形物は見当たらず、液状のものをジャクリーンがすくい拾い集めているように見える。

「この映像だけでは何とも言えないわ。だって映像が荒すぎるもの。でもね、実際にジャクリーンはケネディ大統領の右頭部の骨を搬送先の病院の医師に渡しているから、ジャクリーンがケネディ大統領の頭蓋骨を拾ったことは間違いないわ」

男は液晶モニタから視線を外し女に向ける。

「確かにこの映像は八mmフィルムで撮られていて画質も荒くフレームレートも少ない。映像からこれ以上の情報を得ることはできないから、僕はケネディ大統領夫妻がこの映像に映っていない場所で何をしていたのか、パレードに向かうまでに何をしていたのか、詳細な行動を調べることにしたんだ。すると面白いことが分かったんだよ」

「仕事中に何をやっているの? 解決した事件を追うことは私たちの仕事ではないわ」

「解決済みの事件であっても資料に残されたものがすべて真実とは限らない。そこに別の真相が眠っているなら目を背けるべきではない」

女は男の目をじっと見つめる。女は観念したように両手を上げて「オーケー、分かったわ。続けてちょうだい」と男に話の続きを促した。

「ケネディ大統領夫妻は現地時間の十一時四〇分にダラス・ラブフィールド空港に到着すると、テキサス州知事ジョン・コナリーとその妻アイダネルに出迎えられた。そこでアイダネルはジャクリーンに花束と一緒に小さな包み箱を手渡している。箱の中身は何だと思う?」

「何かしら。手作りのクッキーとか?」

「君は勘がいいね。アイダネルはジャクリーンに前日の夜に焼いた自家製のアップルパイを渡したんだ。それは空港に着いてから休むことなく市街をパレードするケネディ大統領夫妻への気遣いだったのだろう。パレードを終えて昼食会が予定しているダラス・トレードセンターには十三時過ぎに着くはずだったから、その間にお腹が空くと思ったんだね。それでジャクリーンはパレードに向かう前にアイダネルが作ったアップルパイを食べた。口にしないと失礼だと思ったからかもしれないし、単純にお腹が空いていたのかもしれない」

「ジャクリーンがアップルパイを食べたからって何なのよ?」

男はマウスを操作して幾つかの写真を液晶モニタ上に表示させた。

「映像と違いパレードの様子を捉えた写真はいくつも残されている。当然ジャクリーンを中心に捉えた写真もたくさんあった。ジャクリーンはジャッキーの愛称で人気があったからね。モニタに並べた写真をよく見てごらん。ジャクリーンはどの写真でも目を細めながら群衆に向かって手を振っているだろ? 苦悶の表情を浮かべながら手を振っているんだ」

「私には日差しが強くて……」

女の言葉を遮り男は話を続けた。

「写真を見たら分かるように、パレードの最中、ジャクリーンはアップルパイを食べてお腹を下していたんだ。アイダネルお手製のアップルパイが痛んでいたんだね。ジャクリーンは腹痛に耐えながら手を振り続けた。パレードの途中で車から降りてトイレに行くことなんかできないから。そして車が教科書倉庫ビルを通過したところで事件が起きた」

男はそこでいったん言葉を区切り女に視線を送る。女は暫し呆れ顔で男を見ていたが男が合いの手を欲していることに気づき、仕方なく「オズワルドによる狙撃ね」と答えた。

「そう、ジャクリーンが腹痛に苦しんでいる最中、ケネディ大統領がオズワルドによって狙撃されたんだ。オズワルドが教科書倉庫ビル六階からライフルによって放った銃弾は全部で三発。一発目は大きく外れ、二発目がケネディ大統領の喉元を貫通し前方座席にいたコナリー州知事当たった。そして三発目がケネディ大統領の右頭部に命中し致命傷となったんだ。しかし、これで終わりではなかった。実は三発目の後に四発目が発砲されていたんだよ」

女は白けた顔で「どういうこと?」と聞く。

「三発目の銃弾がケネディ大統領の頭部に命中した瞬間、ジャクリーンは驚いて車のシートから飛び上がった。その瞬間、抜けないように必死で我慢していた尊厳を守るための栓が抜けてしまったんだ。激しい発砲音を響かせ、ジャクリーンのスカートの中からトランクに向けてジャッキーが噴出した。もちろんスカートの下にパンツを履いていただろうけど、ジャクリーンの放ったそれはパンツごときで守れる代物ではなかった。ジャクリーンは隣で項垂れている夫のことなど気にもせず、新聞の一面に『ファーストレディ、パレード中に脱糞』といった文字が並ぶのを恐れトランクの上に身を乗り出して、自らがぶちまけた物を必死になって回収した。これがフィルムに映っているジャクリーンの不可解な行動と、多くの群衆が聞いたとされる四発目の発砲音の正体なんだ」

男は褒められることを期待する犬のような目を女に向ける。女はそれを見て大きなため息をついた。そして男の肩に右手を乗せて言った。

「モルダー、あなた疲れてるのよ」

 

2023年7月24日公開

© 2023 諏訪靖彦

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"銃弾"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-07-29 20:25

    上手いですね。何を食べて生きていたらそんな発想ができるのでしょうか? 一発ネタとも思える物を意外性を孕みながら読ませる文章も上手かったです。
    コーヒーを出した時のコーラのジョークが分からなかったので元ネタがあるなら教えて欲しいです。

  • 投稿者 | 2023-07-30 10:30

    銃の発砲音と聞き違えるほどの脱糞音、壮大にもほどがあります。でもモルダーに大真面目に語られてしまうとそうかも、と思ってしまいそう。ミステリーの名手だけあって、そのあたりの呼吸というか、持っていき方が上手いです。
    しかし食べて数時間で終点に到達するほど傷んでいたアップルパイって相当ですね。下剤が仕込まれていたとしか思えません。テキサス州知事の陰謀だったのでは?大統領暗殺とたまたま被っちゃったから闇に葬られましたが。

  • 投稿者 | 2023-07-31 00:30

    もっともらしいようでいて馬鹿げた推理、最後の冷静なツッコミ、いつもながら見事な手際であると思いました。ただそれだけに、今回は慣れた技術だけで書いてみた感も否めないような、そんな気もしたのですが、面白ければ全部OKだと思います。アメコミの絵柄が目に浮かぶような、翻訳調の文体も実によくできてます。

  • 投稿者 | 2023-07-31 15:50

    最後の一文っていうか、セリフがね。見たことあるんですよ。ピクシブ百科事典とかで。見たことあるんですよ。にやにやしちゃう。私。あれを見るとにやにやしちゃうんですよ。意思とは関係なく。自然に。

  • 編集者 | 2023-07-31 16:26

    オズっちが頑張ってるその時にこんなことが起きてるなんて知らなかった。ジャッキー、人生そんな日もあるよ。しかしこれは機密解除できないな…

  • 投稿者 | 2023-07-31 17:52

    俺も疲れているようね

  • 投稿者 | 2023-07-31 18:07

     JFK事件についてりの新説を提示する心意気は買いたいところだが、もっと説得力のある要素がほしいと思った。会話の主である二人が何者なのかよく判らずもやもや。

  • 投稿者 | 2023-07-31 19:48

    アメリカの刑事ドラマを見ているように二人の登場人物がテンポよくJFK事件の真相(?)を語ってくれるところが気に入りました。正直言うと二人の背景を知りたかったです

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