合評会2023年09月応募作品

諏訪靖彦

小説

2,679文字

2023年9月合評会参加作品。お題は「通勤途中に渋滞に巻き込まれた話」

 

タクシーの後部座席に座る男は片足を小刻みに振るわせている。空港から目的地まで三〇分もあれば着くはずだった。しかし、タクシーに乗ってから既に一時間近く経過している。

「運転手さん、何とかならないですか? 十九時から重要な会議があるんです」

運転手はバックミラーで男をチラリと見てからすぐに車道に視線を戻す。

「そう言われても十月は一番混むんですよ。皆さん同じ目的地に向かっているから到着するまでなかなか渋滞は捌けません。お客さんはこの時期に来るのは初めて?」

「昔は出張でちょくちょく来ていたけど、最近は来ていなくて。久しぶりに来たらこんなに混むとは思っていませんでした。昔来たときは道が混んでいても動けないなんてことはなかったから――。あ、ちょっと失礼」

男は胸ポケットからスマホを取り出すと、ロックを解除して画面を見る。先に着いている部下からのLINEメッセージだ。

――そろそろ会議が始まるんですけど、タケさん間に合いそうですか?

スマホの時計は十八時五〇分と表示されている。男は再び運転手に声をかけた。

「あとどれ位かかりそうですか?」

「見ての通り全く進んでいないからね。一車線道路だから駐車場の空き待ちの列がここまで及んでいるんですよ。ただ、もういい時間なので一気に駐車場が捌ける可能性もあります。そうなれば目的地まで十分もかからないと思いますよ。今は対向車線がスムーズに流れてるけど、駐車場が捌ければ混みだすので目安になるかな」

男はそれを聞いて部下にメッセージを送る。

――渋滞にはまっているので何とも言えない。十分で着くかもしれないし、三〇分かかるかもしれない。会議に間に合わなかった場合、議題に入る前になるべく話を引き延ばしてもらえないか?

メッセージを送ると同時に既読が付き、すぐに次のメッセージが送られてくる。

――出来る限りやってみますが、なるべく早く来てくださいね。隣国は中欧で始まった紛争に乗じてテリトリーゲームを始めようとしています。そんな隣国にどう対処するべきか、会社は以前に同様の問題を解決したタケさんの手腕を必要としています。

――それは俺も承知している。

――だったらもっと早く支社を出ることが出来なかったんですか?

男は小さくため息をついてからスマホを操作する。

――余裕をもって向かいたかったが、そういうわけにもいかない。お前も俺の立場をわかっているだろ? 以前俺が支社を離れたときに何が起こった?

――まあそうですけど、とにかく早く来てください。千葉支社長も来ているんですから。

男の勤める会社では年に一度、各支社の支社長が一同に会し、本社会議が行われる。例年は収支報告と人事、株主対応がメインの議題であるため、男の支社では毎年支社長代理を向かわせていたが、今年は社長より直々に参加要請がきた。社長命令は絶対だ。メンヘラ気質の社長は物事がうまくいかないと雲隠れする癖がある。

――千葉支社のイワイ支社長が来ているのか?

――はい。既に到着されています。そろそろ会議が始まるので会議室に向かいます。先輩、早く来て下さいね。

――わかった。

男はLINEアプリを見ながら考える。イワイ支社長も参加しているとなれば、すぐに会議を終わらせて支社に戻らなければならない。以前自分とイワイ支社長が同時に本社会議に出席したことにより大変なことになったのだ。男はタクシーの運転手に再度道路状況を確認しようとしたときタクシーがわずかに左右に揺れた。

「地震かな? でもお客さん安心してください。この辺は日本で一番地震が少ない地域ですから。今の揺れも震度1とか2じゃないですかね――」

運転手が言い終わる前に、男が大きな声で言葉をかぶせる。

「ラジオを、ラジオをつけてください!」

運転手がバックミラーを見ると男の鋭い眼光と目が合った。運転手は男に気圧され、慌ててラジオに手を伸ばした。

――関東地方東部で大きな地震が発生した模様です。震源地は茨城県南部と千葉県県北部の県境、マグニチュードは7・2、最大震度は茨城県鹿嶋市で震度5強、震源地が内陸部のため津波の心配はありません……、いえ、マグニチュードが更新されました。マグニチュード8・2、茨城県鹿嶋市、千葉県香取市で震度6強を観測――

男は「なんてことだ」と独り言ちて部下にメッセージを送る。しかし、なかなか既読が付かない。既に会議が始まっているためスマホを確認することが出来ないのだろう。男はメッセージではなく通話発信した。十数回のコールのあと電話が繋がった。

「着いたんですか」

「いやそうじゃない」

「じゃあ何ですか? もう会議は始まっていすよ。社長はタケさんがまだ来てないのことで機嫌を悪くしてます。今回の会議はタケさんがメインなんですから」

「ああ、それはわかっている。わかってはいるが緊急事態が発生したんだ。悪いがこの電話を千葉支社長に取り次いでもくれないか?」

「それは会議を中断してまで伝えなければならないことですか?」

「ああ、二〇〇年前と同じことが起こった」

しばしの沈黙の後部下が言った。

「そうですか……、わかりました。すぐに取り次ぎます」

電話の向こうで扉を開ける音がする。そして「茨城支店長からです」と遠くに聞こえたあと、耳に当てたスマホから大きな声が聞こえてきた。

「タケちゃんどうした? みんなお前の到着を待っているぞ」

「それどころじゃなくなった。関東地方で大きな地震が発生したんだ。俺とお前がいない間になまずが暴れ出したんだよ。あいつは二〇〇年前と同じように、俺たちが同時に持ち場を離れるのを待っていたんだ」

要石かなめいしが抜けたってことだな。わかったすぐに空港に向かう」

「俺もこのまま乗っているタクシーで空港に引き返す。チケットの予約もしておくから空港で落ち合おう」

電話を切ると男は運転手に空港に引き返すように伝えて航空会社に電話した。

「出雲縁結び空港から羽田空港まで一番早い便のチケットを二枚頼みます。クラスは何でもいいです」

電話の向こうで端末の操作をする音が聞こえる。男は苛立ちながら相手の返答を待った。

「二〇時三〇分発羽田行のビジネスクラスを二枚お手配することが出来ます。個人でのご利用ですか? 法人でのご利用ですか? 法人の場合は御社名とご搭乗されるお客様名をお知らせください」

「法人です。社名は高天原たかまがはらホールディングス天津神神社あまつかみじんじゃ、利用者は建御雷神たけみかづちのかみ伊波比いわい――いや経津主神ふつぬしのかみです」

「お取りしました。ではご到着をお待ちしております」

男は電話を切ると安政地震のような甚大な被害にならないように祈りながら空港に向かった。

 

(了)

2023年9月18日公開

© 2023 諏訪靖彦

これはの応募作品です。
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"鯰"へのコメント 7

  • 投稿者 | 2023-09-19 16:19

    神様も大変だなって思いました。いいともやってる時のタモさんみたいに、どこも行けないんだろうなって。あと、空港の人びっくりしただろなって思いました。武御雷とか経津主神とか言われて。それとも慣れてるのかなあ。出雲縁結び空港だったらまあ、あるのかなあ。

  • 投稿者 | 2023-09-23 20:03

    「あ、だからこのタイトルなのね」という掌編のお手本的な上手さ。長編の冒頭でもいけそう。

  • 投稿者 | 2023-09-23 20:27

    きれいにオチが決まってます。渋滞場所は出雲ですか。
    「中欧で始まった紛争に乗じたテリトリーゲーム」ってのが気になります。中国の神様や台湾の神様も登場するのかしら。

  • 投稿者 | 2023-09-25 17:14

    夕方じゃ通勤じゃねえじゃんと思っていたが、神様なら人類の時間帯は関係ないのでセーフ。しかしみなさん都会人のせいか通勤で渋滞=タクシーってお話が多いですね。

  • 投稿者 | 2023-09-25 18:33

    神様も大変ですね、と第一声書こうとしたらもう小林TKGさんが書いていらっしゃったので負けました。無念、
    神様も公共交通機関に乗らないといけないとは!
    面白かったです。

  • 投稿者 | 2023-09-25 19:24

     主人公らは生身の人間ではなかったらしいことも含め、困惑する点が多々。会社の事業内容なども具体性的に示したい。渋滞という設定なしでも成立する話だと思った。

  • 編集者 | 2023-09-25 21:27

    この間はありがとうございました。古墳巡りで垣間見たが、神話の知識が生かされていて素晴らしいドラマになっている。神様の関わりでも公道最速伝説、出雲爆走族とはいかないのか。

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