田中パレード。

巣居けけ

小説

4,307文字

自分の田中を誇れ。そして他人を見下せ。

ありとあらゆる田中が迫ってきている……。マーケットの最中に注射器を置き去りにしてから、大道芸の色を灯台に落とす。すると山羊の顔に染まった階段の妖精のような物質が降り注ぎ、油膜で包まれた学会に重低音が挿入される。

悠久の『カタルシス』と、魅惑の男たち……。何度目かもわからない指揮棒操作の手順……。学級閉鎖を叫んでいた教師が水に浸されてから轢死している。第一発見者の中学生の田中は保存用にスマート・フオンを取り出し、震える素手で一枚撮影する。二時間後にはカビでなくなってしまう。

ガリウムを飲んでいる山羊、三日後には破裂すると自己申告している公園の掃除人、マイクスタンドで肛門を拡張している男、発汗作用のある筆箱、オーストラリア人、砂漠をさ迷うラクダの真似をしている四足歩行の赤子、眼球愛好家の調理師、定例会議に遅刻しそうになっている折り紙力士、まだ決定されていないコンピュータ室の引き戸で事故を発生させようと企んでいる学園長の流れる頭髪、素手の皮膚で新しい帽子を作ろうとしている人形作成技師……。おれたちはカヌーを使って学会を襲撃する……。

怪物を目撃した市長、インフルエンザの男、カスタムされた自動計算機、大きく寝そべって太陽を眼窩に入れようとしている少年たちによる応援歌。

ローキックで床を破壊しているぞ……。田中が軍隊を作って教室を占拠しているという情報が街を駆け巡り、全ての山羊たちが震えて不眠になる。

怒気を上げている音階が降り注ぐ。するとスイッチを入れられた巨大な音楽鑑賞アプリが空中を覆い、校庭に暗闇を落とす。
「あれは何?」
「田中……」すでに彩られた学級委員の男児が上空を指さして、そう答えて前転をする……。

開かれたドアの向こうには、そのまま前転を続ける田中、直立のまま恋焦がれる相手のためのお経練習に勤しむ田中、受胎の確率を指で計算している田中、バーテンダーに憧れる田中、同じ顔のままで戯れる田中、チョークの色を数えている田中が見える。
「馬鹿野郎の田中……」

そして全ての生徒の間で暗澹たるゲームが始まる。賭場の席では定期的に田中の叫び声が聞こえ、飛び上がって絶叫する姿が目撃される。しかし周りの田中は我関せずを貫いており、自分の次の手札だけに注目している。
「どうだ?」
「田中……」すでに勝ちを確信した田中が腰を震わせて呟いている……。

学校の中には食物連鎖を現すポスターが所狭しと貼り付けられている。田中たちは毎日それを目にして過ごしている。やがて発狂に到達した田中がポスターの一部に噛みついて唾液で溶かしている。「や、やめろ! やめろ!」
「いやだっ! おれは警察だぞ!」
「違うでしょ?」一人の田中が寄り添う香りで肩に手を置く。「みんな、田中……」
「おれもか……」ようやく自分を客観視することに成功した田中が、さっきまでしゃぶっていたポスターから離れる。すると警備員が溶けるように消え、全てが円滑に再出発する。

街の全ての柑橘系が動きだす……。するとそれに反応して新聞屋が看板を設置し、迫り来る大戦に備えているつもりになる。市役所の連中は油断している彼らに針を刺してから刺身のようにいただく。カリスマの錠剤を飲み込んでから駅員に成りすまし、線路の上の女児がどのようにして肉塊になるのかをじっくり観察する。

トウモロコシの発熱に備える……。役員どもが銃を持って突撃している。ガラパゴスの田中、イースターの田中、アメリカ田中、ソビエトの田中の男たちが集結して絵画を完成させようと必死になっている。

そして街の人間はみな山羊のような仮病を訴え、病院的帰還はすっかりパンクしてしまう。受付の女が焦りの中で仕事をこなし、次々と迫って来る保険証に悪戦苦闘を強いられている。
「次の方、どうぞっ!」
「田中です」
「田中……」

女はうんざりしながら診察の手順を進める。「また田中か……」

色とりどりの研究者がロープを使って人形を再現している。数多の論文の中で形作られていた人格が激しく露呈し、注射器の痛みを知らない赤子が完成する。
「なんだこれは?」
「どうやら計算が一つ間違っていたようです」
「なら名前を付けないといけないな……」と囁く研究者は珈琲ゼリーを啜る。「どうする?」
「田中……」

書類の音たちが薬局の天井でくすぶっている。動物的実験の長い照明、数学的執拗な新しい確率の問題、熱による自動的運動による予測変換、山羊の身体検査とその結果、さらに田中という生命体の存在証明……。

山岳地帯の田中……。熱帯雨林の田中……。学会に提出されている田中……。西の田中……。スカートを履いている田中……。おれたちだけの田中……。「田中になんの恨みがあるっていうんだ?」質問だらけの田中……。「お前の背後だよ……」
「いいかい? おれたちの学会はおれたちで守るんだ……」という発射の声で説明が始まる……。「田中のバカヤロウ! おれたちがお前らに夢中になっている間に、どれだけの病的被害者が出たと思ってるんだ? この『オトシマエ』ってやつは必ず払ってもらうからな?

さて紳士の皆さま。いいや、淑女もいるのだろうか? まあそんなことはどうでもいい。とにかくこの学会に参加している皆々様。どうかお静かに。わかります。『田中』という生命体に対しての恨みつらみ、確かに多い事でしょう。しかしここは一旦納めて、冷静にならなくちゃならないんです。皆々様、考えても見てください。田中は水の上を歩くことができません。しかし私たちは違います。水上専用装置を使えば簡単に水の上を走行可能です。そういうことなんです。田中など取るに足らない存在なのです。マイクを使って女と遊んだことがありますか? 私はあります。田中にはありません。田中とはそういう生命体なのです……。
『ところでそのブルドーザーの名前は?』
『もちろん、田中……』

田中だって? それは本当かい? どしてもそういうのかい? なら君は隣の家の女が作る唐揚げを喰ったことがあるのかい? おれはないよ! ははっ。

すると力士研究家たちはこう答えるんだ……。
『でもおれたちは田中だし……』
『そんなふうに落ち込んでいてもなにもはじまらないさ! いいかい? 自分の田中を誇れ。そして他人を見下せ。そうすればいずれは音楽が君を導いてくれるぞ……』田中の大群が波となって迫ってくる……。『ははっ! これでおしまいだ!』

すると隣のバス停で待っていたトレンチコートの男が口を開くんだ。『おれには関係ないな……』
『君! 聞こえたぞ? 関係がない? そんなわけがないだろう? 今や田中問題は全世界の定番会議ネタだ。ただの社会人に関係が無いなんてこと、あるわけがないだろう?』
『すみませんっ! わたくしはどうしてもノート・パソコンが有り余っているので?』
『ははっ!』ぼくはいつものように笑みを浮かべてから唾の玉を飛ばす。『そりゃあ傑作だ! 次このバス停にたどり着いた時には、その声色を合図にして作戦を始めることにするさ……。誰だって自分の作戦が上手くいくかどうか気になってしょうがないはずなんだ。だからおれは自分の心に火炎瓶を投入して、燃え盛る大地に敬礼……。ボートをこぐだけの人生に終止符と煙草を打つさ』

傑作だって? これが? ありえないだろ……。おれたちは作家じゃないんだぞ?
『でも文学的じゃないですか? 問診票にはそう書いたんでしょう?』
『ああ……。そうだけど……』とおれはバーテンダー山羊のような余裕のある笑みを浮かべてスケッチブックを広げる……。中には複雑な山脈を記した地図が挿入されており、おれは右手の指先でそれを掴んで斬り捨てる……。
『いいのかい?』本物のバーテンダー山羊がグラスを拭きながらおれに問いかけてくる……。

おれはすっかりくしゃくしゃになった地図を見つめてから注文の『ヤギノダエキ』を飲む……。
『いいのさ……。だって、これはただのスケッチだから』
『そうかい……』
『なあマスター。おれに強いアルコールを渡してくれないか? そしたらおれは自分の喉で学会を開いて、集まってきた学者連中に唾を垂らすからさ。おれは自分が管理している賭場の中で田中を演じている山羊に出会ったことがあるんだ。彼は自分の金を使うっていう発想が無かったようで、おれがテーブルに置いた札束に無断で手をつけたんだ。当然かれは警備員に裏方へと誘われたけど、その時の田中の顔を知っているか? 笑ってたんだ。あいつは自分の立場がわかってないんだ』
『阿呆だったんだろうな』
『阿呆なんてモンじゃない。彼は三次元的な立体を知らなかったんだ。……さらに彼が賭場から消える時、なんて言ったかわかるか?』
『わからないな』
『さっさとションベンしてぇ、だ……』

おれはそれから出された新しいロックのウヰスキーを飲み干してからカウンターを飛び超えて、マスターの『やめてください』を無視して小銭を奪った。するとマスターのやつは自分の店の鍵を持ち出してから扉を開いて、便器の香りがする酒をおれに投げてきた。
『なんだこれ?』
『酒だ』

さらにやってくる田中の団体客とレジ・カウンターの席。おれは自分の素手がようやく札束になっていく感覚に研ぎ澄まされた本能が反応して光り出すのを目撃し、すっかり乾燥したパン生地に注射針を通す技量を目指した。『解体だって? アヘンでも売ってたのか? おれは見返りを知らないやつには商売をしないタチなんだ……』

参考にならない全ての書物に田中の印鑑を挿入して役所に届ける……。おれは自分の身体が田中に成り代わって行くのを感じながら山羊としての氏名を最期に思い出す」

全世界田中化計画はペンウィー医師が止めるべき課題だった。「私に言わせれば田中など取るに足らない。なぜなら田中とは単細胞の未熟な生命体だからだ。ではどうして単細胞が未熟なのか。それは彼らが渇きを知らないからだ。喉の乾燥がないと水滴の旨さを知れないように、渇きがないと潤いを享受できない。田中とは単一のそういう生き物なんだ。だから彼にこの最新式に注射器を施すだけで死ぬ。これには通常のスポンジの五十倍の水滴吸引効果がある。田中の体内に入ったこれらはすぐさま田中の細胞から水分を吸収し、勝手に消滅してしまう。田中はかつてないほどの渇きに苦しむだろう。いいかい。私はこれでも理系なんだ。立派な科学者だし、れっきとした医学者なんだ。医者という肩書を利用したいだけのでぶの連中とは違う、医者と偽って違法な手術をするおかしな連中とも違うんだ。私は真剣に患者と向き合っているし、これからもそれは変わらない。私は自分が導き出せる医学で可能な限り全ての患者を救いたいと思っているんだよ」

2023年1月13日公開

© 2023 巣居けけ

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